かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~ 作:あかのまに
時間を少し戻して
ウルはシズクを庇うようにしてディズの姿を見守っていた。見守る、というよりも見る以外何一つ出来ることが無いというのが正解だった。そして見ているというのも正しくはない。何しろ全く目で追えてないのだから。ただただ、眼前で爆発と発光、騒音が連続して響くばかりで、ディズはおろか、巨体なはずの竜の姿すら、全く目で追えない。異次元の戦闘がそこにはあった。
身を守る事すらこの戦闘の前では無意味だろう。本当に何も出来ない。
ウルは諦めに近い境地で、ただ呆然としていた。
《はろー、ウル。聞こえてる?声は出さずに頭の中で返事して》
が、突如として聞こえてきた声に、ウルの意識は強制的に覚醒した。ウルは悲鳴を上げるのを堪える。声はディズのものだった。言われるまま、頭の中で返事――と言ってもそれが上手くいってるのは分からなかったが――をした。
《……デ、ディズか?》
《お、いけたね。今、アカネを介して君の脳内に直接話しかけてる》
アカネを介する、というのは一体どういう理屈なんだという疑問は出たが、今、ソレを聞く状況ではないことはウルにもよく分かっていた。こんな風に会話している現在も進行形で彼女は死闘をくりひろげているのだから。
ウルは必死にディズの会話に耳を傾ける。なんとか生き残るために。
《で、本題なんだけどね。ウル》
《ああ》
《助けて》
《助けてほしいのは俺なんだが???》
ウルは脳内で叫んだ。
今此処に存在する生物の中で最も貧弱なのがウルであり、最も死にそうなのがウルである。武器は自分の血でベタベタになったチャチなナイフが一本のみ、魔力も全て尽きている。心身共にボロボロで正直気を抜けば意識を失って失血死しそうになっている状態である。
本当に助けてほしいのはコッチである。
《というのもね――――うん、このままだと確実に私、負けるんだよ。竜に》
《ゲロでそうなほど絶望的な情報なんだが》
ディズが死ねばウルもシズクもアカネも間違いなく助からない。ウルからすれば最悪のニュースである。泣きそうだった。
《大罪竜相手だと、装備が完璧でも厳しいからね。おばあちゃんの外套とアカネは頑張ってるけど……》
《んにゃあああ!!もーむーりーーー!!!》
《……うん、確実に負ける。劣勢を覆すためにある程度賭けに出ないと厳しい》
とりあえず、現状が極めて厳しいということだけはアカネの悲鳴でウルも理解は出来た。アカネの事を慰めてやりたかった。が、慰めてほしいのウルの方である。
《だから助けてってか。いっとくが、俺今ほんっとうに何もできんぞ。毒花怪鳥との戦いでもうなんもかも出し切って、体力も魔力も道具もなんもかも底をついてる》
そのウルの言葉を聞いて、ディズがニヤリと、悪い笑みを浮かべた、ようにウルには感じた。
《それだからいいんだ。君は今、この場において最も弱い。しかも瀕死だ。竜もそう思ってる。君という存在を完全に戦闘面からは除外している》
だからこそ、狙い目ではある。とディズは言う。が、ウルはまだ彼女の言うことを理解しきれない。最も弱く、瀕死である。それは紛れもない事実で、だからこの場では何も出来ないのだ。だがディズは言葉を続ける。
《ウル、【
ハッとなり、ウルは自分の背中に意識を向ける。リーネが渾身を込めて描ききった白王陣の強化魔術。発動時の全てを圧倒する力は既に失われているが、その術式の痕跡は未だウルの背中に残っていた。
《使った。だが、もう発動はし終わったんだぞ。魔力も尽きて陣も――》
《いや、まだ陣は霧散していない。此処が迷宮の深層なのが幸いだった。大気の魔力量も尋常じゃない。濃密な魔力が霧散しかけていた白王陣を留めている》
つまり、魔力を補充し、しかるべき手順を踏めば、再び発動は可能だとディズは言う。
《私に白王陣を一から生み出す技術は無いけど、既にあるものを再起動するくらいなら出来る。不足してる魔力は私が与える》
《そんな余裕なんてあるのか?相当量の魔力が必要だろう、再起動》
《無い。でもあるように見せかけるくらいは出来る》
ムチャクチャな話だった。だが、それくらい、彼女にとってもこの作戦は賭けなのだ。
《その力で、ディズを助力しろと?》
《そ。とはいえ、闇雲に突っ込んでも返り討ちに遭うだけだ。白王降臨は君を“多少は”強くするけど、正面からぶつかれば普通に竜に圧殺される》
たかだか身体強化程度でどうこうできるような相手ではない。竜、ましてやこの世で最も凶悪な魔性、【大罪竜】ともなれば太刀打ちなど普通は出来ない。
不意を打つ必要がある。それも一回こっきりの不意打ちだ。
人より遙かに長い年月を生きてきた竜に、同じ手は二度は通じない。一度目すら「自他共に認める戦力外であるウル」が動く事によって初めて成立する。
竜とディズの戦闘は会話中も続く。白の蔓がいくつもディズの肉体を貫き始める。それでも尚、ディズの思念の声は揺れなかった。ウルはいつこの思念が途切れてそのままディズが死ぬのかとひやひやしながらも会話に集中した。
《勝機はもう一点、ウル、君、【魔眼】手に入れたね?》
《……は?》
《気づいてない?じゃあ土壇場で習得したんだね。君、左目が【必中の魔眼】になってるよ》
何ソレ怖い。というウルの感想を余所にディズは解説を加える。後衛、特に弓士などが発現させやすい、比較的ポピュラーな五感強化の一種であるとのことだ。
恐らく白王陣の発動と、投擲の技術、土壇場で「絶対に命中させなければならない」という心理的な追い込みが作用し発現したものらしい。
《じゃあ、俺が竜に向かって投擲したら絶対に当たるのか?》
《残念ながら、当たる可能性ゼロの相手に投げても魔眼は補正してくれない。そもそもウル、今君、竜の動きを捕捉できている?》
《全く》
たいそうな名前の付いた魔眼とやらで見ようにも、竜の動きは全く追えない。何か白い巨大な何かがびゅんびゅんしているようにしかみえない。これで必中の効果とやらが発動するならそれはそれは使い勝手のいいものなのだが、おそらくはダメなのだろう。何が必中だ。
《なのでこれから君の魔眼を改造手術します》
《ちょっとまって》
不穏すぎる単語が二つ並んだのでウルは待ったをかけた。
《改造?手術?おい待てソレ大丈夫なのか?》
《うん、これもハッキリ言おう。全く大丈夫じゃない》
上空でディズが炎の魔術を放ち、しかし竜がソレを一呑みにしてしまいながらも、会話は続く。ウルの眼球を弄くり回すプランの話は続く。
《超強引に君の魔眼を昇華させるために直接君の目を弄る。当然のように激痛を伴う。眼球の中に無数の棘が突き刺さるような感覚になると思う。しかも上手くいっても今後の君の魔眼の成長方針に多大な影響を与える。どんな結果になるか全く予想できない》
《聞けば聞くほど拒否したい》
《うん。だから念のためウル、聞いておこうか》
ディズは四方八方から飛びかかってくる白の蔦を切り刻み、それでも幾つも見逃し、貫かれる。竜が鬨をあげるように咆吼する。その最中、血反吐を吐きながら、まるで明日の天気を聞くかのような気軽さで、質問した。
《死ぬのと、どっちが良い?》
《………………………………………………死にたくない》
プランは決まった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
彼女の施術は極めて正確かつ、迅速に行われた。変幻自在のアカネの身体を極めて細く、細く、そして鋭く変化させ、その一部を密やかにウルの方へと伸ばした。そしてウルの眼球に様々な術式を刻み込み、魔眼を昇華していく。
無駄を削ぎ、未熟を研磨し、最適化を進める。
数年をかけて行う作業を数秒に凝縮する。
本来多数存在した可能性の道をこの場、この時を乗り越えるために搾り、突き詰める。
「……!!………………ッ!!!!」
ソレに伴う激痛は、尋常ではなかった。
ウルはシズクの身を庇うようにしていたが、その実、悲鳴を抑えるために彼女の身体を抱きしめて、暴れ出してのたうち回るのを耐えていたに過ぎない。彼女の身を案じる余裕も感触を楽しむ余裕も欠片も無かった。自分で突き立てて今なお痛む右腕の刺し傷が慰めに思えるような、未知の苦痛だった。ダラダラと流される涙に血が入り交じり、血涙が滴った。
《もうちょいいい………!!にーたんがんばって………!!!》
アカネが陰から励まし、その裏でディズが決死の覚悟で竜相手に戦い続けている。その事実がウルを地獄のような激痛を耐え続ける力となった。
そして、そのときは来た。
《ウル、今から、竜と会話して、隙を作る、アカネをそちらに寄越すから、合図で使って》
《……発動、時間、は、》
《5秒》
上々だ。ウルは竜とディズの会話を聞きながら、左目から零れる血を拭う。荒れた息を落ち着ける。震える身体でそっとシズクの身体を離す。するとシズクが小さく目を開けた。あまりに乱暴に抱きしめたせいで、目を覚ましたらしい。
「……ウル、様」
「……だい、じょうぶだ……いける」
シズクはウルの血まみれの腕にそっと触れる。小さく魔術を唱えると、右腕の痛みが僅かに引いた。
「ご武運を」
ウルは頷き、そして目の前で、竜に隠れ、一本の槍を形成するアカネを掴んだ。かつて、雷の精霊と共に成竜を屠った聖遺物、その劣化品をウルは握る。
《にーたん》
《いくぞ、アカネ》
久方ぶりの妹との共同作業が竜との殺しあいになるなんて誰が想像しただろうか。しかしこの土壇場の窮地に彼女と共にいられることが、崖っぷちの精神の支えとなった。妹のためなら、竜とて殺せる。そう思い込め。
後は迷うな。恐れるな。ビビるな。
奈落の底へ、一歩、前に、踏み出せ。
「こうする」
ディズが竜の意識を限界まで惹きつけ、ふっと、しゃがんだ。
竜とウルとの間に射線が通った。その瞬間、ウルの背中が燃えるように熱くなり、その熱が再び全身を巡った。【白王陣】の感覚がウルを包む。本日二度目となる感覚。決して慣れはしないが、しかし戸惑うこともない。
「【
白王降臨を身に宿し、雷の槍を振りかぶり、そして魔眼で竜を見る。
毒花怪鳥との戦いで開眼し、ディズによって改眼されたその魔眼は、命中を促す魔眼から、捉えた対象の“先”を掌握する凶眼へと昇華を遂げていた。どれだけ縦横無尽に迷宮内部を駆け巡ろうとも、その動きそのものを知れば、困難であれ、補正は可能だ。
魔眼が告げる竜の未来を見ながら、ウルは足を踏み出し、そして槍を放った。
「穿てぇ!!!!」
紅と光の閃光となったアカネは、まさに落雷のような轟音と共に竜の喉を貫いた。
『【揺れ――――ッがあああああああ!!? !???? 』
「外、した……!!」
竜の悲鳴を聞きながら、ウルは目の前の結果に歯軋りした。脳天を貫く筈だった槍が逸れた。外したのは魔眼の不発でも何でも無く、純粋な己のミスだ。投げる際、僅かな姿勢のブレを感じた。どれだけ肉体を強化しても、既に身体自体がボロボロなのだからそれも当然だった。
だが、まだだ。
「アカネ!!」
《おっしゃああー!!!》
瞬間、竜に突き立ったアカネが、雷の槍が爆裂する。突き立ち、穿った者を内部より焼き焦がす雷が色欲の喉を焼き破る。
『………!!! …… …………!!!!』
血と肉と、何か得体の知れぬものが焼けた匂いが充満する。竜の悲鳴は既に聞こえない、竜の喉がまるごとゴッソリと焼け落ちて、グラグラと大部分を失った竜の首が揺れる。
その隙を見て、ディズが跳んだ。雷の槍としての役目を終え、手元に戻ったアカネを剣に換え、その喉元を切り裂くために。
『 な゛ め゛ る゛ な゛ 』
白の蔦の翼が瞬く。魔法陣を描いていたそれが更に鋭く、巨大な立体の終局魔術は発動せんとしていた。ディズが竜の残された首を落とすよりも、魔術起動の光の方が早い。
間に合わない。
ウルは息をのみ、シズクをかばうようにして彼女に覆いかぶさった。
「【■ ■ ■】」
その時、真っ当には聞き取れぬ、奇妙な魔言が、シズクの喉から零れたのをウルは耳にした。本当に小さな、しかし確かにシズクの口から漏れた言葉だった。そして、その結果は――――劇的だった。
『 ガ あ !? 』
竜の身体が瞬く、正確には、突如として竜の身体に出現した巨大なる“白銀の魔法陣”が竜の胴に出現した。迷宮の深層の闇の中であって強く瞬くその魔法陣は一瞬、竜のその動きをほんの僅かの間、制止した。
時間にしてそれは1秒にも満たず、魔法陣は消滅する。竜の動きは再起動した。だが、そのほんの僅かな時間は、“彼女”にとっては十分で、
「【魔断】」
その一瞬の隙に、ディズは竜の残った首を両断した。
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