かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~   作:あかのまに

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彼の理由

 

 ワタシヲスキニシテクダサイ?

 

 ウルは言葉を理解するのに暫く時間がかかった。頭が痛い。彼女の発言のせいではない。迷宮の中で彼女に殴られた後、昏倒の魔術をかけられたせいだ。つまりどっちみちシズクのせいだった。なんて女だ。

 ぐらぐらとなりそうな頭を押さえ、ウルは問うた。

 

「何故、……なんでそうなる?」

「償う必要があると思いまして」

「それで?好きにしてください?」

「ウル様は私の身体の事が好きなようですから」

 

 あまりに明け透けな物言いにウルは硬直する。彼女の胸を見ていたのに気づいていたらしい。普通なら恥じていたかもしれない、が、今はそれどころではない。目の前にもっとヤバいのがいる。

 

「償うというなら他に手段なんていくらでもあるだろう」

「ありません。金銭は貴方と共に稼いだもの。私の能は授けられたもの。私は自分で持ち合わせているのはこの身だけです」

 

 貴方を騙した咎を償うならば、“コレ”を差し出すしかありません。

 

 そう、自分の身体を、豊かな起伏をなぞるように撫でる。その仕草は艶めかしい。

 

 頭が痛い。身体がダルい。心臓が痛い。疲労と、それに興奮がウルの頭を掻きまわしていた。いっそこのまま、彼女の言う通り、促されるままに、蠱惑的な身体に溺れてしまえば、たぶん楽になる。ウルはそう思った。そう思って、確認でも取るように、シズクの瞳を覗き見た。

 

 そして、喜びも悲しみも恥じらいもない、空っぽの目を見て、ウルは気づいた。

 

「……なんとも思わないのか、自分の身体をそんな風に扱って」

「そうですね、ウル様がこれで納得していただけるか、それは心配です」

「違う、そういう事を言っているんじゃない……」

 

 と、否定しても、シズクは不思議そうにするだけだった。

 

 致命的に、会話がかみ合わない。

 

 昨日まで何の問題もなく会話できていた筈なのに、突然意思疎通できない狂人にでもなったかのようだった。確かに彼女と距離をとり、彼女の内面に踏み込まないようにしてきたのは事実だが、それにしたって限度というものがある。

 

 だが決して、思い当たる節が無いわけではなかった。

 

 誰に対しても優しく、誰の願いも拒まない態度。聖女のように優しい少女。酒場ではヒトに慕われ、その慕ってくる誰しもを、シズクは拒まなかった。

 

 怪我人には治癒の手を、

 飢える者には施しを、

 悩める者には慰めを、

 好く者には笑顔を、

 

 身も心も清らかな聖女。天賦の才と完璧な人格が備わった素晴らしい少女。彼女と出会った多くの人がそういう認識で彼女を満たし、ウルもそうなんだろうなと思っていた。

 だが今、こうして踏み込んで、ようやくわかった。

 

「今わかった。どうしてお前が、優しいのか。使命のために命を懸けられるのか」

 

 よほどの人格者であるからだと、そう思っていた。

 よほどの重要な使命があるからだと、そう思っていた。

 慈悲深い心があるからこそ、粗野な冒険者達にすら優しく出来るのだとそう思った。そして、家族の為、妹と己の為と必死になっているウル以上の何かを背負っているのだと、だからこそ命をなげうつような危険な挑戦が出来るのだと、そう思った。

 

 だがそれは違った。彼女は、この少女は、

 

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

 自分に対して、一欠片も価値を感じていない。

 

 だから自分の身を投げ出せる。使命を達成するためならば、自分の身に降りかかるリスクなどどうでもいいからだ。聖女のように他人にも優しくできるだろう。見ず知らずの他人でも、少なくとも自分よりは価値があるのだから。

 なにがどうなって、シズクがこうなったのかは分からない。

 だが、その在り方はあまりにも歪だった。

 

「なんだそれ。どうやってそんな風になったんだ」

「ウル様」

 

 そしてシズクは、そんなウルの苦悩を知らず、あるいは知って尚無視するようにして、微笑みをウルへと向けた。愛らしく、美しい。慈悲深い、聖女のような笑み。決して自分自身に対しては向けない慈愛に満ちていた。

 

「シズク――」

「ええ、そうですね。私はきっとおかしいのでしょう。狂っているのでしょう」

 

 シズクは静かにウルの手を取った。火傷しそうなほどに熱っぽく、両手から痺れる様な感覚が全身をのたうった。

 

「私は人とは違う。異端である自覚はあります。ですが、ウル様。私たちの目指す場所は"そういう場所"でしょう?」

 

 彼女の瞳に自分の目が映る。眩さすら感じる透き通った銀の瞳は、ウルの視線を強引に奪い、離さなかった。

 

「冒険者に身を染めて日は浅くとも、黄金級に至る道のりが尋常ならざるものという事は十分に理解しました。常識を前に足踏みをしていては入口にたどり着くことも叶わない場所であると」

 

 それはウルも理解し始めていた事。そして諦めかけていた事。自分が異端ではないと。異常者ではないと。認めかけて、だからこそシズクの意見には頷けなかった。だが、だからこそ

 

()()()()()()()()()()()()、ウル様」

 

 シズクは誘う。狂気へと

 

()()()()()()()()()()()。ウル様。私を求めてください。狂った理屈を並べ立てて、貴方を困らせる私を、どうかお好きにしてください」

 

 彼女が両手をウルの手から頬へと移す。蛇のようにするりと首に腕が纏わりつく。恐ろしく整った彼女の顔が目の前に迫る。その笑みで、聖女の笑みで、淫魔のそれよりも邪悪な言葉と声で、絡めとろうとした。

 

「さあ」

「――――断る」

 

 それをウルは、吐き捨てるようにして、拒絶した。両手を突き出して彼女を突き放した。

 

「ウル様?」

「断る。絶対に嫌だ。なんだそれは。()()()()()()()

 

 ウルは抱きつくようにしていたシズクを押し倒し、そして見下ろした。自分が拒絶されたことに対して、悲しみも羞恥もなくただきょとんと不思議そうな顔をしているシズクのその顔に、ウルはふつふつと抑えきれない感情が生まれたのを感じた。

 この感情は、怒りだ。

 

「お前のやってることはつまりこうだ。“自分の事は全く大事じゃない”。これっぽちも自分に価値を見出していない。そんな無価値な自分自身を俺に“くれてやって”機嫌を取ろうとしている」

 

 言ってしまえば、自分にとっての“ゴミ”を、たまたま相手が欲しがっていたから提供しているだけだ。これのどこが謝罪で、償いというのか。ふざけている。

 彼女が裏切ったことなどこの上なくどうでもよくなった。ウルの胸中に渦巻くのは、舐めくさった真似をしてきた女に対する怒りだけだ。

 

「ではどうすれば良いですか?私にできることならなんだってします」

「自分の事を軽々と扱う発言を今すぐやめろ、不愉快だ」

 

 ウルは不快感を隠さず、シズクを怒鳴りつけた。

 

 そもそもウルは怒っては“いなかった”。彼女が決断を強いられるほどに迷い続けていたのは自分なのだからやむを得ないとすら感じていた。ただケジメとして、今後彼女と上手くやっていくための決まり事を定めるべきだ、と、その程度に思っていただけだった。

 だが、今は違う。ウルの中では激情が煮え滾っていた。彼女がとった態度はウルの価値観をあまりに大きく逆撫でした。シズクのふざけた謝罪を拒絶し、彼女自身のそのありように憤慨した。

 

 価値のないものを押し付けて媚を売ろうとする彼女の態度も。

 

 価値が無いものとして自分を売り払おうとした彼女の価値観にも。

 

「何故ウル様は、私の事でお怒りになられているのですか?」

 

 何より、そのことに怒り狂うウルを、全く理解できていないシズクにも、ウルは怒った。

 

 何故ウルがこんなにも自分の事を。()()()()()()()()()()()()()()()()、怒りをたぎらせているのか、彼女には見当もつかないのだ。それがあまりにも不愉快だった。

 

「私の事なんてどうでもいいではありませんか。今は宝石人形の事を」

「宝石人形の事が重要なら尚の事だ」

「私の事ですよ?」

「仲間の事だろう」

 

 そうだ。仲間だ。ウルにとってシズクは仲間だった。保護者を失い、妹も失い、0からのスタートになってから初めてできた仲間だ。後ろ盾も何もなく、不安とどうなるかもわからない恐怖に立ち尽くしそうになったウルにとって彼女がどれだけの助けになってくれたかもわからない。

 そんな彼女が、彼女自身をそんな風に扱うのは嫌だった。到底看過する事は出来ない。

 

「ウル様、怒っていますか?」

「そうだな」

「何故でしょう。何故私の事で、ウル様はそんなにも怒るのでしょう?」

 

 先ほどと同じように聞こえて、しかしその質問の本質はウル自身に向けられていた。

 何故、自分が怒るのか。何故、血も繋がらぬ、出会って一月と経たない女の事でこんなにも自分が怒り狂っているのか。その問いに、ウルはふっと昔の記憶を想起した。

 

 前にも一度、ウルは「何故?」と聞かれたことがあった。

 

 

 

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 大罪都市プラウディア“名も無き孤児院”

 そこは、死んだ冒険者達の子供らを養うための養護施設だった。【大罪迷宮プラウディア】、天空に存在する“巨大迷宮要塞”。幾多の魔石、遺物、宝魔。家族を置いて夢を追いかけ、そして散っていった冒険者達の忘れ形見の子供達を集めた場所だ。

 冒険者の多くは“名無し”だ。彼らに永住権は無く、故に、その子供らにも同様の事が言える。しかし自活の能力もない子供を都市の外、人類生存圏外に放り出すだけの無道さは、都市民にはなかった。

 

 故の孤児院。親無き子達が独り立ちするまでいることを許された箱庭だ。

 

 ウルとアカネはここに居た。当時、病で母は死んだが、父親は存命だった。が、この孤児院は半ば、長く冒険に出る冒険者達のための託児所としても機能しており、ウル達も此処を利用していた。

 しかし、親の居る子供といない子供、環境の違いからの軋轢も多かった。

 

「何故だ」

 

 そう、問うたのは孤児院の主である老人だった。

 

 孤児院は【神殿】の建てた施設であり、その管理者も【神官】だ。都市内における特権階級であるはずのその男は、しかしあまりに権力者特有の生臭さとはかけ離れていた。肉付きは悪く、骨に皮膚が張り付いたような身体つき。皺は寄り、ふとすれば名無しの老人と間違わんばかりに、貧相な印象を相手に与える。

 しかしその眼光は異様に鋭く、立ち姿は老い衰えた印象を感じぬほどに真っ直ぐだ。

 孤児院の管理者、神殿の中でも閑職も閑職、めざましい功績も、精霊達との交流もまるで望めない、神官にとってまるで得のないその職務に自ら赴き就いたその“変わり者”の神官は、ウルを真っ直ぐに睨み、問うた。

 

 頬や腕に擦り傷を作った、そのときまだ6つ程のウルは、その問いを復唱した。

 

「なぜ?」

「何故、諍いを起こした」

「ごめんなさい」

 

 当時、今と比べ随分と感情に乏しかったウルは顔色を変えず、ただ頭を下げる。

 

「ごめんなしゃい」

 

 それをみて、ウルの背後に居た、4才頃の妹、アカネもまた同様に、兄の真似をするように頭を下げた。この時彼女はまだ精霊に憑かれてはいない。彼女が精霊憑きになるのはもう少し先のことである。

 兄妹の謝罪に対して、神官の男は首を横に振った。

 

「違う。謝罪を求めているのではない。貴様が諍いを起こしたその理由を問うている」

 

 幼い子供に対して向けるにはあまりに堅苦しい物言いだった。しかしそれは彼にとっていつものことだった。その神官は幼い子供であっても平等に厳しく接した。相手が神官の御曹司だろうと、都市民の子供だろうと、名無しの孤児だろうと、当然ウルに対しても同様にだ。

 そして別に、彼は怒っている訳でもなかった。

 

「貴様は幼いが、頭は回る。危うさから逃げる頭はある。怪我を負う喧嘩よりも、逃げることを選択してきたはずだ」

 

 孤児院の主は、ウルの傷を水で湿らせた布で丁寧に拭ってやる。しみる筈だが、ウルは黙ってその治療を受けていた。

 

「だが、今回何故喧嘩を起こした。しかも、手を出したのは貴様からだ」

「アイツら、アカネのメシをとったんだ。おやがいるのにおれたちのメシをとんなって」

 

 言い分として、正しいと言えば正しかった。

 この孤児院はあくまでも、親を失った子供達を育てるための場所である。半ば容認されているとはいえ、託児所のように利用している冒険者達がおかしいという指摘は正しい。孤児院に配給される食事は決して豊かではなく、そして多くもない。その食事を不正に奪っていると言えなくもなかった。無論、孤児院のルールには反しているが

 

「だから、奪い返そうとしたと?自分より5才年上で、しかも3人相手に?」

「うん」

「返り討ちに遭うかもしれないと分かっていただろう?」

「うん」

 

 頭に血が上って、無鉄砲に向かったわけではない。

 ウルはその時知っていた。相手には決して敵わないと。明らかに体格が二回りも違う相手が3人だ。ウルでなくともバカだって分かる。ウルはソレを承知で、食事を奪っていった彼らにつっかかり、喧嘩を起こした。

 喧嘩の結果は、ウルが返り討ちにあい、ぼこぼこにされて、大けがを負う前に神官が止めに入り、終わった。ウル達の食事を奪い、ウルを殴った少年等は懺悔室にて反省中だ。

 しかし、この喧嘩は一方的でもなかった。

 ウルに暴行を加えた少年等も怪我をしている。しかも3人中2人には“石で殴りつけたような痕があった”。最後は3人がかりで殴られたが、それは彼らがアカネを狙ったからに過ぎず、そうでなければこのウルは、3人全員を石で殴り倒していただろう。

 だから今、こうしてウル少年の聴取に神官自ら赴いている。

 

「そこまで飢えていたのなら、まず私に言えば良いのだ。幾ら金のない孤児院と言って、子供二人の食事の融通が利かぬ訳でもない」

 

 そう言うと、しかしウルは首を横に振った。

 

「ちがう」

「何が違う」

「べつに、おなかはへってない。アカネにはリリのみをあげた」

 

 見れば、幼きアカネの手には裏庭に自生しているリリの木の実が握られている。リリの木は高く、子供が実を採ってはいけないと釘をさしているが、黙って採ってしまったらしい。

 

「リリの実の件は後で叱る。だが、なら何故だ。なおのこと理由があるまい」

 

 腹を満たせるのなら、問題は無いはずだ。

 

「ある」

「それはなんだ」

「あいつらはアカネをいじめた。“おれ”のてきだ。だから“おれ”がたおす」

 

 老人を見る、ウルの表情は無感情のままだった。しかし瞳の奥は燃えていた。激しい怒りが見えた。決して萎え尽きぬ激情が、幼い子供の奥底から発していた。

 老人は、幼い子供の内を垣間見て、小さく溜息を吐いた。

 

「……放浪の旅の過酷さと、寄る場所も、物も、ヒトもいないためにこうなったか」

 

 骨張った手が、ウルの頭を撫でる。

 

「その憤怒、諫めねば身を滅ぼすぞ」

「ふんぬ?」

 

 その言葉の意味が分からず、ウルは繰り返した。

 

「その幼さで、自分以外の誰かが解決してくれるという甘い期待を“捨てきっている”。故に、自らの判断で、自らの手で、解決しようとする」

 

 だから、自分と妹を攻撃してきた子供達に対して即座に行動に移した。親や、神官達、他の孤児達が自分たちを助けはしないだろう、と、確信している。

 しかも、困ったことに、その彼の考えは、ある程度“的を射ている”。

 

「……じいさんだって、また、はなれるよ?」

「そうだな」

 

 ウルの言葉に、神官は同意する、

 名無し故、そしてウルの父が存命であるが故に、ウルにこの都市に永住する権利はない。あるいは、彼の父が滞在費を支払うことが叶えばソレも出来るかもしれないが、残念ながらその期待は薄いだろう。

 ウルは老人の手から離れ、この都市を出ていく。ウルとアカネはこれから先も都市の外で幾多の厳しい試練に見舞われる事だろう。ウルはソレを知っていた。

 

 故に、一概にウルの考え方を否定する訳にはいかなかった。

 しかし、それだけでは“足りない”部分がある。

 

「お前の“立ち向かうための手段”はあまりに、拙く、苛烈が過ぎる」

「かれつ」

「その苛烈さは、自分は護れても、妹はついてはいけまい」

 

 ウルがケンカ相手を石で殴りつけるような手段を取るのは、自分が幼く、弱いことを理解しているからだろう。戦える者が自分しかいないのだという理解が、立ち向かう手段を過激化させた。

 だが、それはあまりに極端だ。

 

「にーたん、おなかすいてないん?」

 

 見ると、ウルの後ろでアカネは渡されたリリの実をウルに返そうとしている。ウルに食べさせたいらしい。優しい娘だった。

 そんな彼女が、ウルの行動についていけるか。神官の見立てでは怪しいところだった。アカネはウルの愛情を受けたが故に優しさを得て、厳しさを失っている。

 

「お前についていけず、お前にまきこまれて、遠からず妹は傷つくと言っている」

 

 ウルはアカネの頭を撫でながら、困った顔をした。

 

「……それはやだ」

「で、あろうな」

 

 老人は頷く。そして膝を曲げ、ウルに視線を合わせ。瞳の奥の炎は、未だにあり、そして尽きる事はない。それはそうであろう。この火があったからこそ、今日まで彼は幼き妹を守り続けてきたのだから。

 

「これからお前に道徳を与える」

 

 神官は言った。どうとく、という言葉に、やはりウルはピンとこなかった。首を捻りながら、その言葉が出てきた話を頭の中から思い出す。

 

「せいれいさまのおはなし?」

「それよりももっと基本的な、ヒトの世を生きる術だ」

 

 ウルにとって、世の秩序、社会的な規範は縁の遠いものだった。関わり、学ぶだけの時間が無かったからだ。親から学ぶ機会も、彼には無かった。故に、代わりに神官がそれを与える。

 

「善きを尊び、悪しきを嫌悪する。欠落が無ければ種として本能的に備わる社会性だが、お前にはそれを培う機会がなかった。故に私が与える」

 

 無道を征けば、いずれ必ずたちいかなくなる。ウルの親がそうであるように。守るべき者がいるなら尚のことだ。神官がこれから教えるものは、一見脆く頼りなくみえても、困難に暴力以外で立ち向かうための必要な武器だった。

 だが、と、彼は区切る。

 

「忘れるな。お前の根底にある“我”を」

「が」

「頼れる者などいない。守るべき者のため立ち向かえるのは己のみであるというお前の悟りは、悲しいが正しい。お前に与える【道徳】は、“我”を貫くための手段に過ぎぬ」

 

 苛烈なる“我”。

 自らを救うのは自分しかいないという強靭な確信。

 彼の瞳の奥の炎を奪うことを神官は選ばない。それが必要な場所にウルが居るからだ。

 

「我によって荒野を拓き、徳によって道を得よ」

 

 そう言って、これから先のウルの道行きを労るように、神官はウルの頭を撫でてやった。

 これがウルにとっての“はじまり”だった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……ウル様?」

「…………」

 

 シズクの呼びかけに、ウルは過去の回想から戻ってきた。

 

「少し、昔を思い出しただけだ」

 

 懐かしい思い出だった。ウル自身、ずっと記憶の奥底にしまっていて、思い出すこともなかった程、古い話。しかし、思い出さずとも、あの老いた神官がウルに語りかけていたことは、ウルの中に根付いていた。

 

 そしてソレを思い出した今、ハッキリとわかった。

 

「で、なんだった?何故、お前のことで、俺がこんなにも怒るのか?だったか」

「はい、私のことなど気にし――」

「そんなものは決まっている」

 

 ウルは、目の前のシズクの頭をがっしりと掴んだ。驚きもせずぱちくりと瞬きするシズクに、ウルは真っ直ぐに告げた。

 

()()、お前のことが気に入らないからだ」

「それは――」

「俺の感性にお前の言動全てが不快に映った。それだけだ」

 

 正当性など存在しない。ただただ、不愉快だったから怒ったのだ。

 そしてそれこそが、ウルの全てだった。

 寄る辺のない放浪者である彼の、絶対的な判断基準は【我】だ。

 

「ああ、そうだ。そうだった」

 

 思い出した。そして確信を得た。

 

 アカネを助けたいと願うことに、アカネは関係ない。

 アカネが売られ、ソレを救おうと足掻いたのも、彼女のためでも、せいでもない。

 ウルが決めたのだ。ウルが救うと決めたから、ウルは冒険者になったのだ。

 

 グレンはウルに自身の行動原理、目的を問うた。

 答えは一つだ。“ウルがそうしたい”からだ。 

 それしかない。そして、それだけで命を賭す理由は十二分だ。

 

 そして今、目の前の、哀れで壊れた美しい女を、どうにかしたいと思うのも、ウルがそうしたいからに他ならない。そしてその衝動に逆らう理由を、ウルは持たない。逆らう意味など無い。

 己に背いた先に、ウルが望むものなど一つも無いのだから。

 

「いいさ。なら償ってもらおうか。これからお前の肉体の全ては俺のものだ」

 

 ウルはシズクの頭につかみかかったまま、言い捨てた。しばし呆然としていたシズクだったが、ウルのその言葉に笑みを浮かべる。その嬉しそうな表情が尚ウルの神経を逆なでしているのだが、彼女は気づいた様子は無かった。

 

「……ああ、良かったです。それでは――」

「だから、お前は“俺の物になったお前”を大事にしてくれるよな?」

 

 そして、続けてウルが発した言葉に、ぱちくりと瞬きした。

 

「…………私を?」

「そりゃそうだろう。お前の肉体は俺の物になったんだろう。なら俺の所有物をないがしろにしてくれるなよ」

「それは、ですが、私は」

「償うんだろ」

 

 有無を言わさずというようなウルの問いに、シズクは、困った顔になった。

 

「それは、難しいです」

「何故だ」

「この身体を使って貴方に尽くします。償います。ですが私の命は、使命のために消費しなければならないのです。私は、私の命を大事にする自信がありません」

 

 彼女をこうしたナニカが与えた使命こそが最上位。

 ウルに対する償いがその次に在り

 そして最下層に自分がある。

 

 彼女の価値基準をウルは理解できた。

 使命がある限り、彼女は自分のことを絶対に大事にしない。出来ない。それを理解した。

 

「………………わかった」

 

 だからウルは決断した。

 ウルはシズクの頭を掴み、近づける。触れ合いそうな距離にあって、シズクの瞳に映るウルの表情には愛や友情のような類いはなかった。燃えさかるような怒りと、そして決意に満ちていた。

 

「ウルさ、ま!?」

 

 そのままガン、と額をシズクに叩きつけて、ウルは立ち上がった。

 

「いたいです?!」

「命の方は好きにしろよ。俺も好きにする。アカネもお前も絶対に死なせない」

 

 我望む 故に 我在り

 

 ウルは一つの真理を得た。

 己の選ぶ全てはエゴであるという、険しく苛烈極まる真理を。

 故にこそ、彼は妹を救うことを決意した。

 故にこそ、彼は目の前の悲惨な少女を放置することは許さない。

 

「精々勝手に命を費やしてろ。どんなことがあろうと俺がお前を救ってやる」

 

 ウルがそう言うとシズクは――恐らくウルと出会って初めて――極めて困惑した表情で、ウルを見た。

 

「……何故そんな結論になったのです?私は別に、そんなことは望んでいません」

「関係ない。お前の意志もアカネの意志も関係ない。()()()()()()()()()()()()()()()()()

「……ますます、わかりません」

 

 だろうな、とウルは彼女の疑問に内心でうなずいた。ウルだって、自分がここまで頭がおかしくなるとは思わなかった。だが、気分は悪くなかった。

 

「俺が理解できなかろうと、気にすることはないだろう?お前の取引を受け入れたんだから」

 

 だが、迷いは晴れた。もはや躊躇はない。

 

「それは、つまり」

「お前は俺のものだ。そして、お前と一緒に俺は宝石人形を討つ」

 

 ウルがそう答えると、シズクは笑みを浮かべ、口づけを交わした。男に媚びるための笑みも仕草も不愉快だったが、触れた唇は柔く、子供のようなその笑みは愛らしかった。

 

「私は貴方のモノです。どうかお好きに」

「そうさせてもらうよ。命軽女」

 

 かくして、紆余曲折の果て、二人の契約はなった。

 奈落の底へと突き落とそうとする少女の手を、少年は自ら掴み、そのまま二人仲良く奈落の底へと自ら飛び降りた。

 

 故に これより二人は地獄を見る。

 

 だがそれは、自らの意志によって成される事だった。

 




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