かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~ 作:あかのまに
宝石獣とウル達の激闘を見物していた一同は総毛立った。
先ほどまで互角に、いやそれ以上に勇勢に戦っていたようにすら思えたウルが、一瞬にして紙きれのごとくすっ飛び、壁に叩きつけられたのだから。
「ウル!!」
ナナは思わず絶叫する。他の見物者たちも、あわよくばウル達の横取りを狙おうとしていた者たちに至るまで、思わず息をのむような衝撃的なシーンだった。全員の頭に、最悪の光景が過った。
「ほらみろ、まだまだ精神修行あめーなおい」
「呑気してるね!あんたの弟子ミンチになったよ!?」
ナナからみても、ウルを直撃した反撃の一打は明らかに致命傷だった。彼の体は迷宮の壁にめり込んでいるが、はたしてその体がどうなっているのか想像したくなかった。
しかし、グレンはそれでも冷静だ。
「今のは右腕が崩れて残った左腕だけで繰り出した一発だ。対衝ネックレスと守りの魔術重ねてるし死んじゃいめえよ」
こういった事故が起こることを想定して、ウル達は出来る限りの準備を進めていた。即死することはない。もっとも、骨の一つや二つはへし折れていても不思議ではないし、意識があるかは怪しいが。
「もう無理だろ!助けに行くよ!!おまえら゛っ!?」
仲間たちを引きつれ、ウル達を助けに入ろうとナナたちは飛び出した。飛び出そうとした、ところでグレンに首根っこをひっつかまれ、強引に止められた。
「なにすんだい!!」
「まだ終わっちゃいねえよ」
グレンは指さす先に、ウルの後衛に努めていたシズクの姿があった。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
ウルが壁に叩き込まれてからの、シズクの判断は迅速の一言に尽きた。
「……!!!」
『GAYHAAHAHAHAHA、GA?!』
まず、備えてあった残る三つの魔封玉を一気に宝石獣に投げつけた。目障りな虫を叩きのめし、いいように笑っていた宝石獣は、突如目の前で発生した爆発、粉塵、そして爆炎にのけ反る。
「【風よ唄え、彼らを包め】」
払うように残る左腕を振り回すが、魔術により生まれた炎と粉塵、それは掻き消えず宝石獣にまとわりつく。右腕を失いバランスも崩れているせいで思うように魔術を振り払う事は出来ていない。
その隙に、シズクはウルがいるであろう、砕け散った迷宮の壁へと駆け寄る。
見れば、凹みができている壁の中にウルがいた。少なくともミンチにはなっていない。鎧も、兜もほとんどがひしゃげているが、少なくとも人の形は保っている。
急ぎ、首に指をあてる。心音がする。息もしている。
「ウル様」
声をかける。だが、目を覚まさない。
あまり衝撃を与えぬよう腰にある回復薬を抜き出す。衝撃で割れ、回復薬がこぼれている。シズクはそれをすぐにこぼさぬよう口に流し込み、それをそのままウルに口づけて注ぎ込んだ。ちゃんと飲み込めるよう、顎を掴み、強引に喉に落とし込ませる。
「ウル様」
まだ目覚めない。
ふむ?と、シズクは、頬を張ろうと平手を広げ、しかしその前に振り返る。
「……」
『GAGYAGYAGYAGAGYAGYAGYAGAYGYA!!!』
宝石獣だ。魔封玉の魔術を振り払い切り、顔をこちらに近づけ、そして嗤っている。嗤っている。実に愉快そうに。自分の敵対者を叩きのめしたことが楽しくて仕方ないのだろう。子供のように純粋で、邪悪な笑いだった。そしてそのまま
『GAGGYAY-------!!!』
拳を、振り上げる。残された左腕を大きく大きく、シズクとウルを、丸ごと叩き潰すべく。
シズクはウルの身体を引っ張ってみる。抜けない。歪んだ鎧が食い込んでいる。引き抜く間につぶれるのが見えていた。
残された選択は2つだ。ウルを見捨て、此処を逃げるか、守るか。
彼女の最も優先すべき事項は“使命”である。
使命の為にウルは重要ではあるが、不可欠ではない。
彼がいなくとも、使命は達成できるのだ。使命が達成できなくなるリスクを背負ってまで、ここで彼を命がけで助ける意味は―――
―――お前は俺のものだ
「……ああ、そうでしたね」
胸中に刻まれた約束が、先ほどまで頭に浮かんだ選択肢を捨てさった。
「守ります」
ウルに背を向け、宝石獣を見やる。間もなく振り下ろされるであろう左の拳を睨みつける。
「【風よ、我と共に唄い奏でよ】」
両の足で大地を踏みしめ、ウルを守るようにして、杖を両手に構えた。
迫る死に立ち向かう事を彼女は選択した。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!!!』
「【邪悪を寄せつけぬ堅牢なる盾で我らを包め】」
振り上げられ、振り下ろされる拳。確実な死を伴う一撃を前にした彼女の歌にも似た詠唱は、思わず聴き惚れるほどに美しく、迷いなく、そして澄み切っていた。
「【風王ノ衣】」
そして魔術が発現する。
ウルを守るために彼女が生み出していた風鎧より上級の魔術がシズクとウルの身体を包む。本来迷宮内に現れる筈のない豪風は砕け散った迷宮の壁をも喰らい、巻き上げ、壁とする。迫る拳から主人らを護るにとどまらず、宝石獣の一撃を“弾き飛ばした”。
『GA?!!』
「発展魔術…!!戦闘中にか!!」
驚愕に満ちた声がどこからか響くが、シズクには聞こえなかった。
彼女は極限まで集中していた。自分たちを守る強大なる風の維持はすべて彼女の集中力にかかっていた。降りかかる拳は当然、一撃ではないのだ。
『GAGAGAAGAGAGAGAGAGAAAAA!!!』
「…………!!!」
一撃が致死の攻撃が、繰り返し繰り返しシズクへと振り下ろされる。その度、暴風が吹き荒れ、その風圧でもって拳を弾き返す。拳は壁や地面、天井、果ては己自身の身体とあらぬ方向へとすっ飛び、しかしシズクには傷一つつけなかった。
無敵とも思える風の結界、しかしそれを維持する彼女は、確実に削られていた。
「ああ……!!」
『GUGAAAAAAAAAAAAA!!!!』
シズクはおぞましい感覚に襲われていた。
まるで荒れ狂う海の中一人溺れるような感覚、十分な準備と複数の術師で制御する強力な魔術をたった一人で操るのは至難だった。その状態で“風の鎧”を維持し続けなければならない。
途切れそうな意識の中求められる集中と、それを殴りつけて妨害する宝石獣の攻撃、両端から体を引きちぎれそうな感覚でもなお、彼女は魔術を解くのを止めない。
ウルを守る、その一心が彼女の意識を繋ぎとめていた。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!!』
「……っか」
不思議だった。誰が為、というのは彼女にとって日常だ。彼女は滅私の化身であり、己の事など二の次だ。それが当然、故にこそ、誰かのために力を尽くすのも彼女にとってはごく普通の事。
なのに何故、こんなにも力が湧き出るのだろう。なぜこんなにも必死なのだろう。
朦朧とした意識の中、理由を己が内に問いかけると、返ってきたのはあの夜感じた暖かさだった。魔力の枯渇で指先まで冷たくなる感覚に襲われる中、胸の中心だけが暖かさに満ちていた。それがシズクを奮い立たせた。
この温もりは、感情は、なにか
「………………ぐ」
後ろでウルの呻き声がする。起きたのか、あるいはまだ意識がなく蠢いているだけか。振り返る余裕が全くないシズクにはそんな余裕は全くなかった。しかし振り返ることも叶わないその後ろから、腕が伸びて、シズクの身体を確りと掴み、支えた。
「……シ……ズク」
それは、縋りつくのとは違った。
こちらを気遣い、そして助けようとする腕だった。気力を振り絞って、自分を支え助けようとしてくれている動きだった。そうと気づいた瞬間、胸の温もりが更に燃え上がる様にしてシズクの身体に広がり、気力を取り戻させた。
同時に、この温もりの正体に気が付いた。
「……嗚呼、嬉しかったのですね、私」
嬉しかった。大事にすると、守ると言ってもらえて、嬉しかったのだ。
“罪深いことに、許されがたいことに、嬉しいと思ってしまった”。自分には過ぎたものだと思いつつも、そう思ってしまった。
この温もりは決して失いたくはないと、そう思ってしまった。愚かしい。罪深い。でも今は――
「死なせはしません」
決意を口にし、彼女は再び意識のすべてを魔術の維持に集中する。パチパチと頭の中で小さな火花が何度も散って、焼ききれそうな熱を感じる。それでも、彼女が魔術を途切れさせることはなかった。
「………………!!!」
『GAA!?』
そして先に根負けしたのは宝石獣の方だった。
振り回し続けていた宝石獣の左腕、右腕は砕け残された左腕にも大きな亀裂がいくつも入り始めていた。シズクの魔術の影響だけではない。自らの負担を全く顧みず、力任せに振り回し続けた結果だ。宝石獣は砕けボロボロになった自らの左腕に対して唸り、うめき声をあげる。痛みに苦しむ声ではない。が、その声からは煮えたぎるような怒りが発せられていた。
風の衣はいまだ宝石獣の前にそびえたつ。あと数度叩きのめせば砕けそうなほどに弱り始めていたが、自分の左腕とどちらが先に砕けるのかわからない。
そう判断したのか、あるいは単に煩わしくなったのか、結果、宝石獣は手っ取り早い手段に出る。
『GAAAAAAAAAAAAAAAAA!!』
すなわち、魔道核による破壊の光熱の準備である。
自らの心臓、魔道核を稼働させ、破壊の光を生み出す。爆発的な熱量と光を身体で反射し、まるで宝石獣自身が光り輝いているようにすら見えた。近寄るだけで火傷しかねない熱量は、そのままこれから放たれんとする破壊の威力を物語っていた。
対して、それを受けるシズクは、
「……まだ」
と、口にしつつも、すでに魔力のすべてを完全に使い切っていた。そして魔術を集中するための意識も、全てを振り絞った決死の守りだった。しかし、それはもはや途絶えた。
身体を支える気力すら、すでに残されていないのか、ぐらりと、杖を取り落とし、体から力が抜けて、
「やっと、急所を、さらしたな、木偶人形」
その彼女を抱きとめ、ウルは立ち上がった。