かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~ 作:あかのまに
身体を酷使しきった後の睡眠は、深く、心地の良いものだ。
真っ暗な世界、思考が形を結ぶ前に解けて霧散していく海の底。不安な事は何もない。ただただ癒しをもたらしてくれる海の底。だからこそ、覚醒に伴う浮上は苦痛だ。
意識がもう少し眠らせてくれと強請る。しかし身体は願いを無慈悲に拒否し、グングンと意識を浮上させていく。やるべきことがあるのだと訴えるように。
やるべきこと。やらなければならないことは何か、と考えた時、脳裏によぎったのは唯一の家族の事。
「……」
ウルは目を覚ました。
目を覚ました。はずなのだが、なぜか目の前が真っ暗だった。夢でも見ているのだろうか、と思ったが、体は動く。自分が動かしている身体がこれは現実だと教えてくれている。ではこの闇は何か。
《にーたーーーん!!おきた?!》
「アカネか」
顔面にへばりついてるモノを引きはがして、ウルは闇の正体をしった。アカネが顔にはりついていた。なぜに睡眠状態のウルの顔面にへばりついていたのかは不明だが、アカネは目を覚ましたウルを見て、手足をパタパタさせた。兎に角嬉しそうだった。
《いたいとこないー?!》
「んーダイジョブだ……シズクは」
探す。までもなく、隣のベッドで横になっていた。
重たい体を引きずりゆっくり彼女のもとに近づく。ベッドに横たわる彼女は規則正しく呼吸をして、幸せそうに眠っていた。少なくとも死んでるわけではないらしい。ウルはほっと息をはいた。
「……シズク」
小さく声をかける。
起きなければそれで良いと思っていたが、その声でシズクはぱっちりと、目を開けた。そして身体を起こし、ウルを確認すると、両腕を広げ、そして
「なん……おご」
「御無事でよかったです」
タックル気味に抱き着かれた。中々の衝撃が病み上がりの身体を貫いたが、柔らかな感触があったのでよしとした。下を見れば、シズクは心底に嬉しそうに、安心したように微笑んだ。うっとりするような、愛らしい笑顔だった。
「躊躇いないなあ、シズクは」
「喜ばしい事ですから」
どうあれ、彼女が無事でよかった。とウルは安堵のため息をついた。そして冷静になって、今さらながら自分がいる場所が、普段寝床としている馬小屋と違うことに気づく。
「貴方は3日寝てたんですよ」
と、そこに聞いた覚えのある声がした。“以前”も世話になった30代半ばの女性。とても大きなエプロンを身にまとっている。療院の治癒術師。
「お金はありません」
「賞金の方から治療費は差っ引かせてもらいましたので」
ウル達が担ぎ込まれた理由を知ってるらしい。当然か。
「……で、おいくらで」
「二人分の治療で金貨2枚」
「高い」
ウルは思わず悲鳴のような声を出した。
実際想像以上の高額だった。いくら自分たちがこの国の国民ではないとはいえそんだけの金が吹っ飛ぶとは、どれだけ自分たちは重傷だったのだ。
と、顔を青くするウルに、彼女の背後から
「高回復薬(ハイポーション)を使わせたからねー。私が頼んで」
と、ひょっこりと、ディズが姿を現した。
3日ぶり、と言っても特に変わりあるわけでもない、迷宮の入口で別れた時と変化ない彼女は、いつも通り優雅な動作でするりと病室に入ってきた。ウルのもとにいるアカネに驚きもせず、治癒術師もディズの存在を自然に受け入れているところを見るに、ひょっとしたら3日間毎日見舞いに来てくれていたのかもしれない。
お礼の一つでも言うべきなのだが、その前に気になる言葉があった。
「高級回復薬(ハイポーション)」
「熟練の冒険者たちや小金持ちたち御用達の高級霊薬。貴重な体験だね?」
「お安い治療方法はなかったのだろうか」
「3か月くらい治療に専念することになったけどそっちの方がよかった?」
良くなかった。ウルには時間がない。アカネ買い戻しの期限は決まっているのに3か月も寝ころんでいられない。そもそもそれだと、3日で目覚められたかもわからない。彼女の判断は適切だった。
出費はこの上なく痛いが。
「……よし、うん、よし、わかった、ありがとうディズ、本当に、助かった…!」
「いろいろと飲み込もうと苦心してるのがとても面白くて私は好きだよそのお礼」
「俺がこれまでの人生で触れたこともなかった金が眠っている間に吹っ飛んだ事実を飲み込む時間をくれ。頑張るから。感謝してるから」
ほんのひと月前まで、ウルは銀貨はおろか、銅貨1枚か2枚のやりくりにうんうんと唸っていたのだ。それがいきなりこれでは、現実感もなにもあったものではない。
「その様子だと、これからもっと心臓が大変なことになりそうだね」
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
【冒険者ギルド】、グリード支部
ウル達が住処としていた訓練所のすぐ真裏に建てられている、今や世界を回す冒険者業の中心にして運営所。ありとあらゆる冒険者たちが立ち寄る場所であり、冒険者にとって様々な手続き、情報の交換、依頼の受付に報酬の受け取りや昇格の申し込み、パーティの申請などなど、あらゆる“冒険”のサポートを行うのがこの場所だ。
その直下の施設である訓練所にいたために、そういった手続きや情報などを得ずともグレン達からもたらされていた。そうでなくとも日々が迷宮探索と訓練、そして宝石人形対策で手いっぱいになっていたウルはあまり立ち寄る場所ではなかったのだが、今日はウル達は此処にいた。
理由は
「それでは、お二人が討伐した宝石人形の報酬がこちらでございます」
宝石人形の報酬を受け取るためだった。
ウル達の目の前に、見たこともない量の金貨が積まれていた。累計金貨10枚である。節制すれば1年は働かずとも暮らしていけるような金額が目の前に積まれていた。
「……」
「まあ、すごいですねえ」
ウルは眼前に存在する金貨の山に言葉を失い、シズクは呑気にその光景を称賛していた。
「そしてこちらから療院の治療代および高回復薬の代金、金貨2枚を差し引かせていただきます」
そしてそこから金貨2枚が引き抜かれる。唯一神ゼウラディアが刻み込まれた大きな金貨、本来なら1枚だって慎重に扱うようなシロモノが無造作に引き抜かれる。
「そしてそこから討伐祭に際して追加された金貨5枚を足させていただきます」
その上にさらに金貨5枚が無造作に乗せられ、
「更に宝石人形の撃破時に発生した魔石の換金で金貨2枚、銀貨20枚が加わりまして」
「タイム」
ウルがギブアップした。
「ウル様、気分が悪いのですか?背中をさすりましょうか」
「うん……今までの金銭感覚がマウントとられてタコ殴りにされてる感覚がだな」
シズクに背中をさすられ、ウルは頭をクラクラとさせた。
冒険者として働き始めてから、同僚たちの金銭の扱いがおおざっぱだと思っていたが、その理由の一端を垣間見た。恐ろしい勢いで金が右に左に流れていくのだ。これで金銭感覚が狂わない方がおかしい。
ともあれ、だ。とウルは改めて目の前の金貨を見る。合計金貨15枚。やはり大金だ。しかし、
「……命懸けの報酬として適切なのか?これは」
「ウル様の装備は殆ど全損していましたので、新しく装備を整えねばなりません」
「シズクの装備も新調したいとなると、更にここから減るわけか……」
なんという自転車操業だろうか。迷宮に潜り、賞金首と死闘を繰り広げ、得た金を使ってさらに強い敵と戦うための武器を獲得するのだ。冒険者という職業はバカだ。とウルは改めて確信した。
「……でだ、一番重要な問題がまだ残ってる」
「そうですね……私たちの冒険者としての昇格はどうなっているのでしょう?」
「昇格するか否かは一月ごとの冒険者ギルドの定例会議によって決められます。それがちょうど五日後ですので、間に合わせるために明日には一度面談を受けていただきます。そうすれば早ければ1週間後には結果も出ますので、それまでお待ちくださいませ」
ニコリと有無言わさず冒険者ギルドの受付嬢は微笑みを浮かべた。
「後5日、生殺しだな。どうやって過ごすか」
「心配するな。やるべきことはタップリある」
と、背後から聞きなじみのある声と共に、ポンと肩をたたかれる。いやな予感がして振り返ると、予想通り、無精ひげのグレンがニッカリと笑顔を浮かべていた。
「久しぶりだな。師匠。で、なんだ」
「久しぶりだな弟子。さ、行くぞ」
「ちょっと待グェ」
有無言わさず、ウルは首根っこをひっつかまれ、引きずられる。
「宴会だよ」
宝石人形獲得賞金、金貨15枚、銀貨20枚