かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~   作:あかのまに

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大牙猪②

 

『BUMOOOOOOOOOOOOOOO!!!!』

「だあああああ!!!」

 

 大牙猪の咆吼を聞きながら、ウルは恐怖をかき消すように叫び声を上げつつ、ついでに猪の気を引き寄せながら飛び出した。目論見通り、扉を粉砕した猪はそこから飛び出してきたウルに視線を移す。血走った目と、禍々しい牙がウルの方へと向き直った。

 

「参ります」

 

 そしてその隙をつくようにして、謎の少女が破砕した扉から飛び出した。若干だぼついたローブを纏った彼女は、出口の方へとは向かわず、ウルへとその牙を向けた大牙猪の背面に動く。

 

 ガチで戦う気か。あの女。

 

 ウルは顔を顰め、何か言おうとして、思いとどまる。何かやれるっていうならやってもらおう。悲しいかな、ウルに彼女を気遣う余裕は全くない。牙をこっちに向けてる大牙猪がとても怖い。これ以上彼女に意識を割く余裕など持ち合わせていない。

 

 現在のウル達の勝利条件は明確だ。

 

 ①倒す

 ②逃げる

 

 このどちらかを達成すればいい。現在の戦力なら逃げる一択だ。よしんば戦って勝ったとして、得るべき【真核魔石】は存在しない。戦うだけ損だ。

 問題は目の前の“主”から逃げる方法。

 対抗策は、ある。ウルは倉庫からみつけた薬瓶を取り出した。

 

『BUMOOO……』

「上手くいけよ…!」

 

 倉庫から発見した薬瓶、中に在る液体の正体はウルには理解できない。彼に薬学の知識はない。ただ中の液体がこの上なく腐敗しており、瓶の蓋をあけるととてつもない悪臭を漂わせていることだけだ。

 そう、悪臭である。ウルが嗅いだ瞬間顔を顰め、えづきそうになったレベルの悪臭。

 

『BUMOOOOOOOOO!!!!!』

 

 あの大牙猪がどのような生物かは不明だが、あの牙と牙の間に覗いている巨大な鼻が何の役にも立たないハリボテの訳があるまい――――!!

 

「そいや!!」

 

 ウルが薬瓶を投げつけた瞬間、中の腐敗物が飛散し、大牙猪にぶちまけられた。

 

『BU――――』

 

 その薬物は恐らく毒物の類いではない。ただただ長い年月、放置されもとが何だったのかも分からないほど腐敗してしまったに過ぎない。が、その効果は絶大だった。

 

『BUGYAAAAAAAAA!!!??!』

 

 大牙猪は叫ぶ。

 魔物への知識の浅いウルは知るよしも無いことだったが、大牙猪は五感の内、九割以上を嗅覚によって判断している。だからこそ眼は小さく視界は狭い。皮膚は分厚く弾力があり感覚が少ない。故に、鼻に腐敗物を叩き込まれるダメージは計り知れない。

 

 ウルの予想は当たっていた。

 ただし

 

『BUGIIIIIIIIIIIII!!!!』

「っ!?」

 

 基本的に、大牙猪と対峙する冒険者や騎士達は、決して猪の嗅覚を奪うような真似は“しない”。明確に見える弱点を攻撃で潰したりはしない。

 なぜなら、危険だからだ。長大な牙を持つ大牙猪の嗅覚を失わせるのは。

 

『BUGIIIIIIII!!!』

「だあああああああああ?!!!」

 

 ウルは頭上を凄まじい速度で過った巨大な牙に悲鳴を上げた。猪は暴れている。恐らく悪臭に耐えられないのだろう。苦痛そうに身悶えし狂ったように暴れ回る。そのたびに長い牙が地面を削り、壁にたたき付けられ、柱に突き刺さる。そこに一貫性は全くない。どう動くか全く予想が付かない。だというのに直撃すれば致命的だ。

 

 これは、これは正気の状態のほうがマシだ!!!

 

 ウルは己の安直な作戦の結果に顔を引きつらせる。嗅覚を、此方を感知する能力を奪えば逃げられるかと思ったが、これだけ得物のリーチがあれば見えようが見えまいが一緒だ!まだ愚直に一直線に突進してきてくれた方がいい!!

 

「ああ、クソ!どうする!!」

 

 最悪な事に、大牙猪が暴れている場所は出口の周囲だ。デタラメに振り回される牙の射程圏内である。この攻撃の合間をさけていくなんて真似は出来ない。

 回復するまで待つか?だがこの狂乱状態のまま突撃してくるとも限らない。どうする。

 

「離れてください!!」

 

 女の声がする。そして次に新たに彼女が何かを放った。薬瓶が複数。更に悪化させるのか!?と思う間もなくそれらは大牙猪に直撃した。

 

『BUGII!!』

「………!!」

 

 大牙猪は更に激しく暴れ出す。身体に牙が掠める。死ぬ。マジで死ぬ。ウルは悲鳴すら上げられなくなった。なにしてくれるんだ、と彼女の方を見ると、少女は両手を前に出し、そして再び魔術を発動させようとしていた。

 

「【焔よ唄え、我らが敵を討ち祓え】」

 

 まるで()のように響く、魔術の“詠唱”と共に。

 

 魔術の詠唱、魔力をより深く、重く浸透させるための技術。先ほどよりも強く魔術を撃つ?そうすれば倒せる?本当に?そんな気はしなかった。見るだけでわかる凶悪に分厚い皮膚、貫けるほどの炎になるとはとても……

 

「……ん?」

 

 その瞬間、悪臭で麻痺していたウルの鼻に僅かに別の匂いが流れてきた。

 腐敗の類いの匂いではない。嗅いだ覚えのあるものだ。迷宮に侵食された地下施設。迷宮の魔力なしでは先が見通せない真っ暗な空間、奥の広間の倉庫ならば絶対に保管されていなければおかしいもの。

 油か!!

 ソレって本当に可燃性か?そもそもどれだけ時間が経ったモノかもわからないものが使えるのか?とか、様々な疑念が頭を巡るが、それらを全て頭から追いやる。考えているヒマは無い。なぜなら狂乱していた大牙猪がぐるんと、少女の方へと身体を向けたのだから。

 

『BUMOOOO!!』

 

 鼻が回復したのか、あるいは本能的な勘が働いたのかは不明だが、このまま放置すればどうなるかは明らかだった。少女はまだ魔術を放てていない。たとえ放たれたとしてもあの巨体が突撃したらそのまま潰れて彼女は死ぬ。

 

 突撃を止めるしか無い。

 

 咄嗟のことだったが少女とウルが大牙猪を対角に囲んだのは正解だった。大牙猪は少女の方を向いた。つまりウルには背を向けている。牙の脅威は低い。だがどこを攻撃する?

 ウルは儀式剣を構える。幸いにしてただ剣の形を模した模造品ではなかった。切れ味は多少ある。だが、それだけだ。真っ当な武器でもこの猪の皮膚を貫くのは一苦労だろう。此方に向いた尻に剣を突き立てたとて、まともなダメージとなるまえに振り返り様に牙になぎ払われてそのままウルは死ぬ。牙、牙だ。牙にあたりさえしなければ――

 

「――――()()()!」

 

 ウルは大牙猪へと駆けだした足を更に大きく蹴る。跳ぶ。そして駆け上るようにして大牙猪の背中に上った。背中、絶対に牙が届かない場所、安全地帯は此処だ!!

 

「だらああ!!!」

 

 ウルは叫び、自分の足下に猪に剣を突き立てる。重く、固く、鈍い手応え。予想した以上に全く刃が通る気配がしない。息を大きく吸い込み、更に深く、全身の体重を剣に込めて刺しこんだ。ぶちりと何かが千切れるような音がした。

 

「BUGYA!?」

 

 大牙猪は突進を止め、背中から突然湧いて出た痛みに悶え苦しむ。跳ねるように足を蹴り、再び暴れ始めた。しかし牙はウルには届かない。背中にいるウルには届かない。ウルの直感は当たっていた。大牙猪の背中は、分厚い肉に囲まれているため急所たり得ないが、安全圏ではあった。

 

「……………!!!!……!!!!」

 

 その事をウルが理解する余裕は残念ながら全くなかったが。現在彼は暴れ狂う猪の背中で振り落とされないよう必死だ。突き立った剣を支えにギリギリ生きている。

 

「いきます!!」

 

 少女の声、ソレを聞いた瞬間、ウルは両手を手放した。投げ出されたのか自分から飛び出したのか不明だったが。地面に投げ出された。前後が不明になりながらも、立ち上がらずそのまま這いずるように猪の気配から離れた。

 

「【火球!!】」

 

 そして次の瞬間少女の魔術が放たれた。

 先ほどと同じ火の玉。しかし先ほどと比べ明らかに熱量も大きさも増していた。揺らめく炎は猪に一直線に向かい、そして爆発した。

 

『BUGYAAAAAAAAAA!!!??』

 

 火が巻き起こる。激しい炎が大牙猪の身体を焼く。攻撃の魔術をマトモに見るのはウルはこれが初めてだったが、その威力の高さに驚愕する。近づくだけで火傷しそうな炎は大牙猪の命を確実に奪っていった。

 しかし、まだ立っている。

 

「頑丈だなクソが!!!」

 

 ウルは駆け出す。ここに至っては逃げる選択肢は無い。逃げる体力がウルにはない。魔術を放ちおわり、脱力している少女にもだ。

 半端な退却は死につながる。ならばもはや一択だ。

 

「殺す……!」

 

 ウルは背中に仕込んでいたもう一本の儀式剣を握りしめる。そして駆ける。未だ大牙猪は炎に焼かれ、此方に意識を向けていない。その隙に、ウルは全力で剣を突き出した。

 その、小さな眼球に向けて

 

『GIIIIIIIII!??』

 

 突き立つ。頑丈な皮膚に守られていない急所に深く、強く、ウルは突き刺した。

 

「え、ぐ、れ、ろお!!」

 

 眼部に突き刺さった剣の柄に全身全霊の力を込める。両足で地面をけりつけ。腕を振り絞り、そして前へと突き出した。なにかが破れ、そして砕け散り、抉れる音と感触がウルを震わせる。

 

『……GA……GI……』

 

 そうして、脳天に深々と剣を突き立てられた大牙猪は、ようやくその動きを停止した。

 死んだ、とウルがそう思った直後には、大牙猪の肉体は崩れていく。迷宮によって生み出されたその肉体は溶けて消える。迷宮そのものも今は核を失った。末路はこの魔物と同じだった。

 そして、大牙猪が居た場所に、小鬼のそれよりも二回りほど大きな魔石が一個転がる。ウルはそれを拾い上げる気力もなく、ただ見つめた

 

「……終わった、のでしょうか……?」

 

 少女が、ウルと同じく疲労困憊といった声で確認する。見れば額から血を流し、ローブも寸断され露出した腕から血が出ている。あの大牙猪が暴れたとき、牙を掠めたのだろう。それだけでこの様だ。

 

「平気か…?」

「貴方の方こそ大丈夫なのですか?」

 

 言われて、彼女よりもウルの方がよっぽど酷い姿なのだと気がついた。全身擦り傷まみれで血まみれだ。そしてソレを自覚した途端、全身から凄まじい痛みが走った。半ば興奮状態で麻痺していた分、痛みと疲労が一気にウルを襲った。

 

「……率直に言って、全く大丈夫じゃない」

「回復魔術を使いましょうか?」

「できるの?」

「…………ごめんなさい、魔力切れです」

「ぬか喜びをありがとう」

 

 ウルは溜息をついて、へたり込んだ少女の近くに座り込んだ。迷宮の核を失った今、魔物が湧き出ることもないだろう。そして核を失った以上、ウルは借金返済のアテを再び失ったことになる。安堵と徒労のダブルパンチがウルから体力を奪った。少し休む必要があった。

 すると、隣の少女がウルをじっと、じいっと見つめている事に気がつく。無視して休もうかとも思ったが、黙っているのもヒマを持て余した。

 

「……何?」

「助けてくださいましてありがとうございます」

「どういたしまして」

「何かお礼をしたいのですが、どういたしましょう?」

「金くれ」

「ありません。全裸です」

「じゃあもういらん……ああ、くそ、骨折り損だ。誰か慰めてくれ」

「頭を撫でましょうか?」

「そんならまだそのデカイ乳でも揉ましてくれた方がマシだわ」

「されますか?」

「冗談だよ……」

 

 余計に疲れて、ぐったりと薄暗い天井を眺めたウルは、そのときになってようやくはたと、気がついた。

 

「……名前なんなの?」

「シズクと申します。貴方は?」

「ウルだ」

 

 かくして、ウル少年はシズクと名乗る少女との邂逅と、初めての迷宮攻略と「主」退治を終えることとなった。

 攻略を終えたウルの感想は一つ、「二度とごめんだ」だった。

 残念ながら、この願いは叶うことは無かった。




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