かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~   作:あかのまに

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災禍出現

 

 カナンの砦、3F、“元”指令室

 

 迷宮大乱立の際、放棄されたこの砦の中で唯一と言っていいほどに被害が少なかったこの場所は現在、死霊術師のための工房となっていた。かつては自国を守護する任を負った者たちの集った場所が、今は怪しげな魔法陣や薬品、そして夥しい数の死体が積まれた邪悪としか言いようのない空間となっていた。

 

「……」

 

 そしてこの部屋の主である死霊術師は、部屋の中心の魔法陣の前に立っていた。若くも見えず、だが、老いているようにも見えない青白い肌のローブをまとった男。眼の色は虚ろであり、押せば倒れるのではないかというくらいに弱弱しくすら見えた。

 階下で発生している侵入者騒動も、我関せずとでもいうように、幾度か小さく詠唱を繰り返し、その後再び何か考えこむようにしてブツブツと近くの壁や床に何かを走り書きを行う。

 

 一見すると研究に没頭する魔術師のそれだ。彼の前にある魔法陣の中心にいる、拘束された少女がいる点を除けば。

 

「騎士団が来たのよ。貴方達はもう御仕舞よ」

 

 少女、ローズは強気に声を上げる。顔にいくつもの殴打の跡があり鬱血していたが、それでも虚勢であれ強気に盗賊たちの首領と思しき男を挑発できる彼女の肝の太さは筋金入りだった。

 

「……な………やは………く………」

 

 だが、そんな声も死霊術師にはまるで届いていない。

 ぶつぶつぶつと、ローズに視線すら向けずに魔法陣の前で詠唱を続ける。時々魔法陣を書き足しながら、ローズが転がされているその魔法陣を完成させようとしている。

 

 なんとか、止めなければ。

 

 ローズは、魔法薬も売買するラックバード商店のトップだ。最低限は魔術に精通している。故に、この男が“何かとてつもなく危険な事をしようとしている”のはわかっていた。

 魔法陣の周囲に均等に設置された莫大な量の魔石、本来グリードの各衛星都市に分配されるはずであったその魔石を利用しようとしていることからもその危うさは窺える。

 

 止めなければ。という使命感と危機感がローズの胸中を支配する。この術師がしでかそうとしている事は、イスラリア大陸で生きる誰しもが拒絶しなければならない何かだ。

 

「……っ」

 

 縛られた状態で、少しだけ身体を捻る。後ろに回された両手を地面に向ける。精緻な魔法陣だ。魔力を込めた爪先で術式を弄るだけでもこの儀式の進行を少しでも遅らせる事ができるかも―――

 

「動くな。贄めが」

「ッか!?」

 

 次の瞬間、先ほどまで全く此方を見ていなかった死霊術師が、一瞬で彼女の目の前に現れ、その手がローズの首を絞めた。死に掛けのようにすら見えた男のものとは思えぬほどの力が込められていた。

 

「何ゆえに抗うか、“間もなく”偉大なる御神の礎になる名誉を与えようというのに」

「邪神の贄になる事を名誉に思うほど私はイカれてないわ…!」

 

 少しでも時間を稼ぐべく挑発する。そして、邪神、と罵った瞬間、術師の元より悪かった顔色が更に悪くなった。年齢も定かでない表情が醜く歪み、そして首にかかる指に力が入った。

 

「随分と舌の回る贄だ。盗賊どもも気が利かぬ。舌を抜いておかないとは」

「……が……っか……」

 

 ローズの首に、死霊術師の骨ばった指先が絡みつく。逃れようと抗う中、彼女の目に死霊術師の黒いローブから首飾りが下げられているのが映った。太陽、唯一神、太陽神の紋章、しかし世界を照らす陽の象徴が、“真っ黒な蛇”にまるで卵のように飲み込まれる絵図が彫り込まれていた。

 意識がかすむ中、ただただ不吉なイメージが脳を埋め尽くしていく。

 

「ああ、しかし、混ざり無しの器さえあれば血肉の檻は不要か。うむ。成程」

 

 殺すか。

 短い宣言。そして指先に込められた力がさらに強くなる。僅かも息をする事が叶わなくなり、ローズの意識は真っ黒になる。目の前の危機も、体の痛みも、自分の守るべき商会も部下たちも、恨むべき相手も、此方を心配してくれていた親戚も、死んでしまった愛しき両親も、何もかもが闇に溶け、彼女の命もそのまま消える―――筈だった

 

「……グッ?!」

 

 ふっと、首の締め付けが緩くなり、彼女の意識は急激に浮上する。

 

「ッガハ!!ごほ!!げほ!!」

 

 慌て呼吸し、そして咳き込む。目の前の事態を理解するよりも呼吸が先だった。そして涙目になりながら、ようやく前を向く。つい先程まで此方を殺そうとしていた死霊術師がしゃがみ込んだまま、身動き一つ取らずに呆然としている

 

「な、なに…?」

「………………なん」

 

 そしてローズの前で、死霊術師の首が、“ズレた”。

 

 そしてぼとりと傍らに落下する。

 ローズは呆然となった。目の前の現象が何を意味するか分からず後ずさる。状況はまるで分らない。わからないが、これが死霊術師も予期せぬ事態であるのなら、今の間に逃げ出さなければ――

 

「ああ、動かないでね。まだ終わってないから」

 

 だが、そう判断するよりも早く、耳元で声が聞こえてきた。

 ローズは周囲を見渡す。誰もいない。だが、聞き覚えのある声だった。

 そしてその助言の意味する所を彼女は即座に理解させられた。

 

「我が邪魔をするか――!!」

 

 落ちた首が、口を開いたのだ。

 ローズは声にならない悲鳴を上げた。落ちた生首は血もこぼさず、その浮き上がった眼球をギョロギョロと動かし、自らの首を落とした犯人を捜し求めていた。そして続けて口も開き―――

 

「【我ッガ?!」

 

 魔術を詠唱、しようとした。だがそれよりも早く、地面に転がった生首に虚空から突如出現した緋色の剣が叩き込まれた。術を詠唱しようとした口蓋を貫き、 更に周囲を見渡す眼球に別の二本の短剣が撃ち込まれる。

 

「……!!」

 

 あまりに容赦のない追撃だった。だが、これでもう死霊術師は喋ることもできなくなった。ローズはその結果に安堵する。流石にこれではもう、生きていたとしてもなにもできまい、と。

 しかし、その視界の外で、首から上を失った死霊術師の胴体が音もなく立ち上がろうとしていることに、彼女は気が付かなかった。

 首を失った身体は、まるで生きているかのように指先を動かしだす。声を発する手段を失った胴体が、その指先の形を詠唱の代わりとし、新たな魔術を産み出そうとしていた。

 

「っ!?」

 

 が、次の瞬間、再び空中から出現した緋色の剣によってバラバラに両断された。

 ローズが死霊術師の身体が動いていることに気が付いたその時には、既にその体は地面に散らばった。四肢も指先も何もかも、死霊術師の肉体を構成するその全てが、徹底的に破壊しつくされた。

 

「やーれやれ、間に合ったかなっと」

 

 そして、聞き覚えのある声がローズのすぐそばから聞こえてきた。振り返ると、何もない――ように見えたその空間が、歪んで見えた。幻影か、不可視の術か、姿を隠していた者がその姿をさらしていた。

 紅と金色の奇妙な鎧を纏った金色髪の少女。

 

「やっほーローズ、良く生きてたね。間に合ったか」

「デ、ディズ?!」

 

 ローズから家宝を奪っていった憎き女が、この状況下でも変わらない軽快な笑みを浮かべていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「あ、貴女、なんで……」

「はいそれじゃ服脱いで。怪我見せて。回復薬ぶっかけるから」

 

 奇妙な姿をしたディズは、こんな状況であるにもかかわらずいつもの飄々とした態度をまるで崩さなかった、テキパキとボロボロになった此方のドレスを裂くようにして脱がしていく。盗賊たちによって暴力を振るわれた箇所に回復薬をぶっかけて、更に新たに一本渡してくる。

 

「どうぞ。品質は保証するよ。なにせ君の店の商品だからね」

 

 見れば、確かに自分の所で扱っている薬瓶だった。一息で飲み干す。苦みと臭みが強かった。飲みやすさへの配慮でひと手間しているはずだが、ああ、島喰亀の騒動で運ぶはずだった香草などが不足しているのか、と、どうでもいいことがローズの頭でぐるぐると巡った。

 しかし効果は確かであったらしい。鈍い痛みがすっと消えて楽になった。頭がスッキリする。そして改めて現状の訳の分からなさに対する疑問が湧き上がった。

 

「アカネ、そこの触媒破壊して、順序は右左真ん中」

《まとめてこわしたらあかんの?》

「ダメ、爆発するから」

《こあい》

 

 何ゆえに、我が家宝を奪っていった女が此処にいるのか。

 

「なんで私を助けたの」

 

 この混乱する頭を静めるべく、問いかける。すると、なにやら部屋の儀式の跡を淡々と砕いていたディズは振り返った。そしてなんでもない、というように肩をすくめた。

 

「え、まあ、ほら、頼まれたし、死ぬこともないなって思ったし」

 

 なんだ、それは

 

 そのあまりにいつも通りな“軽さ”に、ローズの心は沸点に達した。

 

「な、によそれ!なんであなたはいつもそう適当なの!!」

 

 なんでこの女はこんなにも軽いのだ!

 

 今助けられた恩すら怒りに燃やし、ローズは叫んだ。

 両親が死に、莫大な負債を背負い、店が傾きかけたその時、誰一人として助けてくれなかった時も、この女は何でもないように目の前に現れ、手を差し伸べて、そして奪っていった!

 本当は、家宝を奪っていった事だってローズにとっては恨めしいことなどではなかった。あれは正当な取引だったのだ。そして返済できなかった自分が悪かったのだ。

 だが、自分を救い、奪って、それだけ自分の人生を翻弄しておいて、なんでもないという様に、どうでもいいというように、目の前から去っていた彼女が許し難かった。ディズにとって自分がなんでもない路傍の石であることがあまりにも腹立たしかった。

 

 救っておいて、奪っておいて、何だその適当な態度は!

 

「軽軽とヒトの人生振り回してさぞかし楽しいでしょうね!!この―――」

「待った」

 

 激情に任せ、理不尽な怒りを叩きつけようとしたその時、ディズかぴたりと手でローズを制止させた。何を、と問おうとすると、ディズはじっと、部屋の中央を見つめる。正確にはその奥、幾つもの魔導具が陳列された棚の上の方を見つめていた。

 

 

                ぐげ

 

 

 なにか、いる。

 棚と、天井の隙間に、小さな何かがいる。何かがうごめいている。恐らくローズの身体の半分もないようなサイズだ。

 しかし、それなのに、何故こんなにも心臓が早く打つのだろう。息が苦しい。あの不気味な、おぞましい死霊術師を前にした時ですら全く感じたことのない圧迫感が、ローズの身体を包んだ。なんだ?何がいる?

 

 

               ぐげげげ

 

 

 小さな何かが、蠢いた。何か一瞬動いたのをローズは視認した。そして、

 

「おっと」

 

 自分の目の前に、ディズの腕が伸ばされた。そしてそこに巨大な、蠢く、軟体の、蛇のような物体が“貫いた”。

 

「…………なっ!?」

 

 顔に生暖かいものが飛び散る。ディズの腕から噴き出した血が自分にかかったのだと理解するのに時間がかかった。

 

「アーカーネー、油断したよね。鎧ならちゃんと守らなきゃ」

《うえー……ごめん》

 

 蛇のような何かがうごめくようにして引いていく。ディズの腕にはぽっかりと穴が開き、そこからどくどくと多量の血が零れ落ちた。絶句するローズを尻目に、ディズはその目を“小さな何か”から逸らさなかった。

 

「要は、とっくに“手遅れ”だったって訳か」

 

 棚の上に隠れ潜んでいた何かが地面に降りる。べしゃりと落ちてくる。そして蠢くように立ち上がる。ぬめぬめとした表皮、頭を半分に割るような大きな口、そこから伸びた牙、小さな翼、肥え太ったヒトのように膨らんだ腹、小さな手足、そして鈍く輝く巨大な目が二つ。

 

 

『ぐげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげげ!!!!!!!』

 

 

 幼竜(ドラゴンパピー)は狂笑した。

 

 

 


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