かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~   作:あかのまに

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ラウターラ魔術学園

 

 ラウターラ魔道学園 学園長室

 

 名の通り、この学園の最高責任者のいる場所である。それ即ち、この大陸で最も偉大な魔術師のおわす場所……というわけでもない。

 

 少なくともこの部屋の主である女性、ネイテ・レーネ・アルノードは己の事をそんな大それた魔術師であるとは思ってはいなかった。

 

 御年70過ぎ、只人である事を考えれば高齢者、昔と比べれば身体がふっくらして、少し動作がゆっくりとしている。老眼用の眼鏡をかけ、ちまちまと裁縫する姿は、どこからどうみてもごくごく普通の優しそうなただのおばあちゃんにしかみえないし、実際彼女自身、そんなものだと思っている。

 魔術の知識も優れていない。少なくとも彼女がこの学園の生徒だったころから決して、同級生から秀でていたとは思えない。ただ、ほんの少し、人と人の仲をとりもつのが得意だっただけだ。それが気づけば長の地位に立っている。

 

 正直言えば、自分より優れた魔術師たちの上に立つのは申し訳ない気持ちも少しはある。が、しかしその彼らが自分を推すのだから仕方が無い。求められているものが傀儡や添え物の類であったとしても、自分にできることをしよう。と、彼女は思っている。

 

 そんな彼女のもとに、今日は来客が来ていた。というよりも今からくる。先ほどからカツカツとこの学園長室へと続く無駄に長い廊下から足音がする。「そっちに挨拶に行く」と昨日手紙があったばかりだというのに、早いことだ。扉が開き、そしてその者が姿を現す。

 彼女はニッコリと微笑みをこちらに向けてきた。ネイテもそれに返す。

 

「また貴女に会えてとてもうれしいわ。ディズ」

「私もだよ。ネイテおばあちゃん」

 

 ディズ・グラン・フェネクス。この大陸、大連盟の盟主国プラウディアの【七天】が1人、それがこんな少女だなんて、きっと誰も信じはしないだろう。ただでさえ、【勇者】その名も、神殿の総本山であるプラウディア以外ではあまり広まってはいないのだから。

 しかし、そんな仰々しい事実など、ネイテは気にしてはいなかった。彼女は都市の外のいろんな話をしてくれる親しき友人の一人だ。

 

「おばあちゃんだなんて」

「失礼だった?」

「可愛い孫が増えたみたいでうれしいわ」

 

 ネイテはニコニコと微笑むと、ディズもまた嬉しそうに笑うのだった。そしてネイテは、彼女の傍らでふよふよと宙を舞う少女にその細くなった目を向けた。

 

「それで、貴方のお名前は?」

《アカネはアカネよ》

「まあ、アカネちゃんというの。ディズとはお友達なのかしら?」

《シャッキンのカタよ?》

「ディズ、感心しないわね?」

「精霊憑き、やむを得ない事情ってとこだよ、おばーちゃん」

 

 ディズが肩を竦めるのを、ネイテは困ったように微笑みかけた。

 咎めるのは容易いが、この賢くも妙なところで愚直な少女にそれを批難するのは惨いだろう。彼女はちゃんと考えられるヒトだ。アカネを連れる経緯だって、ちゃんと考えた上でのことなら、今更口に挟むことじゃない。

 

「でも、それじゃあ、“貴方が連れてきた生徒”も、アカネちゃんの身内なのかしら?」

「シズクの事?彼女はアカネのお兄ちゃんの一行(パーティ)の一員だよ」

《シズクとはともだちよ》

「まあ、すてきなことだわ」

 

 ディズは今回、一人の冒険者を連れてきた。

 本当に冒険者なのかと疑ってしまうようなきれいな少女、シズクという冒険者。これは珍しいことだ。基本的に、ディズという少女は単独行動を好む。(誰も彼女の無茶なスケジュールについてこれないというのが正確なのだが)自分の従者以外を連れてくる事なんて滅多に無い。

 

「まあ、シズクに関しちゃ、私がどうしたってわけじゃないけどね。この学園を知って、

彼女が希望し、己の持つ権限を利用しただけだよ」

「冒険者ギルドのお客様なら、私達も拒否する理由は無いわね」

 

 冒険者ギルドが配布する【冒険者の指輪】は銅であっても、所持している者はこのラウターラ魔道学園に一か月ほどの無償での短期入学が許されている。指輪の特権の一つだ。冒険者ギルドと魔術ギルドの協定により生まれた特権である。

 

 ただし、優秀な成績を残せなければ、それ以降の残留は許されない、という条件がある。

 

 価値さえ示せれば残留の権利と助成金も出るが、一月でそれを示すのは難しい。この学園で指導する教師たちがいかに優秀であったとしても、慣れるのに必死に駆けまわっている間に終わってしまうのが殆どだ。

 

「あの子、シズクさんはどうなるかしら?」

「元々1か月だけの入学って決めてるよ彼女は。私の護衛の任務もあるからね」

「それじゃあ、あくまでどんな学園か体験したかったってだけなの?」

「いや、彼女は此処の叡智を吸収していく気だよ。それも貪欲に」

 

 何処か確信めいたディズの物言いに、ネイテはあら、と首を傾ける。

 ディズだって、もし入学してもたったの1か月でどうこうするだなんて容易くないことは承知だろうに。それでも尚、そういう言い方をするという事はつまり、

 

「才能のある子なの?」

「天才だよ。私よりもずっと才能がある」

 

 彼女は言い切った。その言葉にネイテはあらまあと驚き、しかしその後おかしそうに口元を押さえてくすくすと笑ってみせた。

 

「でも、貴女と比べたら、私だって才能がある方だわ」

「酷い事言うなあ、おばあちゃん」

「ごめんなさいね。でも、そんなあなただから尊敬しているのよ。私は

 

 そう言って、ネイテは先ほどまで手元で治していた編み物を取り出す。それは吸いつくような紅の生地に金色の刺繍が施された美しい外套(マント)だった。

 

「【星華ノ外套】修繕できたわ。最上位の魔具の修繕は大変ね」

「あんがと、貴方にしか頼めないからね、これは」

 

 そう言ってディズは身にまとう、と、紅の外套は己が主の下に戻れたことを喜ぶように、仄かに明るく瞬いた。陽の光に反射したのではなく、それ自体がまるで意思をもつかのように、生きているかのように輝いたのだ。

 すると、近くを飛んでいたアカネが、その外套に近づき、ぺたりと、その小さな体で触れた。

 

《あったか》

「精霊の住まう【星海】に近い性質だから、心地良いかもね」

《……ねむ》

「まだ本調子でないんだろう?マントと同化して眠ると良い」

《にーたん……》

「ウルが来たら起こしてあげよう。おやすみ」

 

 そう告げると、彼女は紅の生地の中に“とぷん”と溶けた。一体化した外套をディズは優しくなでると、再び仄かな光を瞬かせ、彼女の身体を温めた。

 

「災厄から主を守る神秘の外套、その力は貴女が一番知っているのでしょうけれど……」

「ん、気を付けるよ」

 

 彼女はなんでもないように笑顔をネイテに向ける。

 しかしネイテは彼女がこれから決して容易くはない仕事をいくつもこなさ無ければならないことを知っている。自分はこんな日当たりの良い部屋で雑務をこなすばかりだというのに、申し訳ないという気持ちがネイテの心をつついた。

 しかし、そんなことを彼女に言えば彼女に笑われる。だから出来得る限り手を貸してあげよう。非力な己にもできることを。

 

「困ったことあったら言ってね、ディズ」

「あんがと、おばーちゃん」

 

 ネイテの決意を知ってか知らでか、ディズはそう言われて、嬉しそうだ。その姿は見た目の通りの幼い少女のようだ。出来れば、彼女の力になってくれる人がもっとたくさんいてくれることをネイテは願った。

 

「シズクさん、大丈夫かしら」

 

 故に、彼女の同行者、シズクにも思いをはせる。一時であれ、新たに我が学園の一員となった少女。ディズの事とは関係なく、彼女にもまた、頑張ってもらいたい。

 真剣に向き合えばきっと得るものはある、そういう場所である筈なのだから。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラウターラ魔道学園の一日はとても忙しい。

 

 魔術、という学問は極めて奥が広く、幅広い。この世のあらゆる現象に干渉し、自在に操る技、今のヒトの世の根幹を成す技術の勉学なのだから、それも当然だ。多くを知り、学び、身につけ、己がものとしてようやくこの学問の入口に立てる。

 学徒はそのために先人たちの教えを乞い、彼らの教室に足を運ぶ。決められた時間だけ、彼らの教えを吸収し、理解する間もなく時間が終われば次の教室だ。移動し、準備し、学び、次へ、繰り返している間に半日はすぐすぎる。朝から勉強し通しの学生たちにとってようやくの休みが訪れる。昼食の時間だ。

 

 大勢の学生たちを受け入れる巨大な食堂にて、全ての学生たちは昼食をとる。料理の中身は豪華絢爛、なんてことは流石にないが、衛星都市から供給される食料から生まれる豊富な料理の数々はこの大罪都市ならではだ。

 

 学生たちは料理を楽しみながら、人心地つく。そして、次の授業までの間に、学生同士で交流を交わすのだ。

 

 つまるところこの一時が、あの噂の転入生と接触する好機でもある。

 

「お野菜の葉で大きめに切り分けたお肉を包んでいる?蒸し料理でしょうか……?」

 

 手に取った料理をしげしげと興味深げに観察をする少女、銀髪の転入生。とても冒険者とは思えない冒険者。シズク。香葉の沼鳥肉包みを口に運び、おいしそうに頬を緩ませている彼女を、他の学生たちはチラチラと様子を窺う。

 別に、転入生自体珍しくはない。明夜の魔道学園は大陸一の学び舎だ。冒険者たちだってこぞってここで学びたいと志願してきて当然だ。

 ただやはり、彼女の容姿はあまりにも、目立った。

 

「あら、これはパスタですね。でもかかっているソースが……黒?」

 

 見目麗しいから興味をそそられる、なんてのは魔術の学徒、真理と深淵の研究者達であることを考えれば失笑ものだが、それもやむなしと思えるほどに彼女の美しさは、否応なく視線を奪うような魅力に満ちていた。興味を惹かれるな、という方が無茶だった。

 だから魔術師の卵たちはひそひそと遠巻きに、機を窺う。誰か、声をかけろよと、きっかけをつかもうとして、しかし中々にその一歩が踏み込めずにいた。そんな中。

 

「やあ、こんにちわ新入生さん。お隣良いかな」

 

 濃い紺の色の髪をした若い少年。見目は良い方だが、何処か動作が芝居がかっている男、メダル・セイラ・ラスタニアが彼女に声をかけた。彼を知る学生らは、顔を顰め、あるいはげんなりとため息をつく。

 彼らの態度からでもわかるように、彼は中々に問題を抱えている男だった。

 

「まあ、勿論よろしいですよ」

 

 そんな、他の学生たちの態度など露知らず、美しき転校生シズクは彼の申し出を笑顔で受け取る。メダルは隣に座り、そして慣れた様子で彼女に話しかける。

 

「僕はメダルという。よろしく。キミはシズクさんと言ったかな?」

「はい。メダル様、どうかよろしくお願いしますね」

 

 メダル・セイラ・ラスタニア。【第二位(セイラ)】、即ち“神殿の官位持ち”であり、この都市における有権者。更に言えばラスタニアは白の魔女の弟子の家でもある。

 白の魔女から【重言】の術を引き継ぎ、才能もある。いずれはこの大罪都市ラストを代表となる魔術師の一人になる事は約束されている。

 が、しかし、問題があった。

 

「まだ学園生活がどういうものか、わからないことが多いんじゃないかな?どうだろう?僕が案内してあげようか?融通もきかせられると思うし」

「そうなのですか?」

「これでも、優秀な生徒でね?先生にも顔が利くのさ」

「まあ、お凄いのですね!」

 

 魔術師の腕はある。その点は多くのヒトが認める。そしての【神殿】の有力者の家だ。彼は選ばれし者だと誰もが思うだろう。だが、その立場が彼を増長させた。

 教師に対してはある程度いい顔をするが、同じ学生に対する態度は傲慢そのもの、女生徒には何人も手を出して、学園の施設も我がもののように扱う。彼の親が【セイラ】の神官として神殿に勤めている事実も相まって、歯止めが利かなくなっていた。

 今こうしてあの新入生に声をかけているのだって、いつものように手籠めにするつもりなのだろう、という事は誰もが知っていた。だが、それを表立って指摘する事もまた、出来なかった。

 

「では、案内お願いしてもよろしいでしょうか?」

「ああ、勿論だとも!」

「助かります!」

 

 だから、そう言って転入生がメダルの手を取り喜んでいるのを見て、様子を見ていた他の学生たちはがっくりと項垂れた。ああ、またあの男によって、彼女は弄ばれるのだろう、と。

 メダルは彼女の感謝に笑みを深める。その目が下卑た欲望にくらみ、淀んでいた。そのことに転入生が気づくそぶりは見せなかった。

 

 だが、転入生のその美しい銀の瞳の奥に何が宿っているのか気づく者もまた、いなかった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 ラウターラ魔道学園は広い。

 

 魔術の研究は非常の多数の分野に分かれる。森羅万象に通じるのが魔術であるが故、その全てを解き明かそうともすればこの世界すべてを調べることと同義である。到底、一個の研究所だけでは足りない。いくつもの研究所が重なり、積み上がり、場所を変え、様々な形で協力し合っている。だから広い。学園という敷地内にとどまらない。大罪都市ラストすべてがこの学園と言っても過言ではない。

 

 敷地内だけでも丁寧に紹介していけば昼休みどころか日が暮れるだろう。

 

 故に必然的に、案内する場所は限られる。

 魔道学園“西塔”地下、あらゆる条件下で変化成長する魔草の育成を行う【幻夜ノ園】、“北塔”の屋上、天の星々、精霊たちの命の煌めきとその動きを観察するための【星見塔】、あらゆる魔術の発動への影響を外に漏らさずその空間に押しとどめることであらゆる魔術の試験が可能となった【白ノ庭】

 どれもこれも、この学園ならでは、おそらく外ではお目にかかることは叶わない秘術の数々だ。メダルはそれらをシズクへと案内していった。

 

「素晴らしい学園ですね」

 

 昼休みの時間も終わりに近づき、次の教室へと足を運ぶメダルに、シズクは優しくそう声をかけた。メダルは自尊心をくすぐられたのか自慢げな笑みを深める。

 

「“我が学園”は大陸一の魔術の学び舎といっても過言ではないからな」

 

 そう言って、彼は饒舌にラウターラ魔道学園を語る。この学園が、都市が生まれた経緯、そこから積み上げていった幾つもの輝かしき歴史の数々打ち立てた幾つもの偉業、これでどれだけの都市が発展してきたか。

 ソレらを我が事のように、というよりも、“我が物”のように彼は語る。事実、彼はこの学園を己のモノのように思っていた。彼は白の魔女、その弟子の血筋、彼らの中でも最も汎用性に優れ、大罪都市ラストでも強い地位を獲得したラスタニア家の長子だ。いずれはこの学園の長になる、というのもあながち妄想の類ではない。彼はそう確信している。

 他の学生たちが聞けば顔を顰めるような傲慢さだったが、シズクはメダルのその自慢話をニコニコと聞いて相槌を打つ。それに気をよくしたメダルは気をよくして更にそのボルテージを上げようとして――

 

「―――む」

 

 ふと、教室に入る直前、向かいの廊下から歩いてきた少女と鉢合わせた。オレンジの髪を三つ編みにした少女。メダルとはそこはかとない“因縁”があり、そして幾度となくメダルがちょっかいをかけ、そして昨日もまた決闘という名のリンチをかけた少女、リーネである。

 彼女を前にした途端、メダルはその顔を加虐的なモノへと変えた。

 

「リーネ。昨日の醜態をさらしておきながらよくまだ顔を出せるな」

 

 ニタニタと、先ほどまでシズクに見せた人の良さそうな顔から一変した悪意に満ちた態度。それを隠そうとしないのは、陰でコソコソとする必要がないという彼の自信の表れだろう。

 あるいは、己が目を付けた人間がどういう事になるのかを示す良い例と思ったのかもしれない。メダルは嬉々としてシズクへと振り返った。

 

「シズク、紹介しよう。彼女はリーネ・ヌウ・レイライン。この学園を創りたもうた偉大なる白の魔女の業を引継ぎし魔女の一人だ。最も彼女の技術は―――」

「リーネ様、教室に入られましたけど?」

 

 メダルが紹介する間にさっさとリーネは教室へと逃げていった。俊敏だった。

 

「なっ……この女!!」 

 

 メダルは吠え、教室の中で席に着こうとする彼女を追いかけ、腕を乱暴にひっつかんだ。最早転校生の前で見せた人当たりの良さなど皆無だ。リーネは強引に腕を掴まれ引っ張られて尚、冷静沈着にメダルを睨んだ。

 

「痛いわ」

「無視とはいい度胸じゃないかレイライン!」

「興味ないの。貴方に」

 

 リーネの淡々とした物言いに、メダルはますます顔を赤くさせた。教室にいる他の生徒たちは半ばメダルを怖れ、半ば野次馬根性で、二人の対立を見守っている。メダルはリーネを突き飛ばし、そして声を上げる。

 

「“白の系譜”の面汚しめ。ラスタニアのおこぼれで授かった【第五位(ヌウ)】の地位をこの俺の権限で奪ってやったっていいんだ―――」

「我が教室で脅迫とはいい度胸だな。メダル」

 

 と、静かな、しかしまるで教室中に浸透するような震えの声が響いた。この教室の主、森人のクローロ教授が顕れたのだ。いつの間にか、というくらいに声がするまで存在感がなかったのに、彼が声を上げた瞬間、彼が放つ濃密な魔力が教室を支配した。

 先ほどまでの混沌とした熱が、彼の魔力によって一気に鎮められていく。

 

「クローロ、教授」

 

 王のように立ち居振る舞っていたメダルすらも、彼の前ではわずかに怖気づくのが垣間見えるほどだ。

 

「席につけ。私が無駄が嫌いな事は知っているな」

 

 問答無用、というようにクローロが睨むと、メダルはわずかに何かを口にしようとするが、しかしそれが言葉として吐き出される事はなかった。彼は一度だけリーネを睨みつけた後、彼を待つ生徒との取り巻き達の下へと向かって行った。

 

 それを見て、クローロ教授は面倒くさそうにため息をつくと、リーネには目も向けず教卓へと歩みを進め授業の準備を始めた。もう用はない、とそういう事らしい。シズクもまた、メダルの下へと戻ろうとした。

 

「ちょっと」

 

 リーネに小さな声で呼びとめられた。

 

「はい?」

「あの男に近づかない方が良いわ。魔術の腕はあるけど、ハッキリ言ってクズよ」

 

 そのリーネのセリフはメダル少年に対する意趣返しというわけではなかった。不愛想な顔つきながらも、目の前の、見ず知らずの、シズクという転校生の少女を気遣ってのものだった。

 その忠告を受けて、シズクという少女はと言えば、何故か笑顔になった。そして、

 

「まあ、素敵ですね」

 

 そう言い放ったのだった。

 

 何だこの女?

 

 という感想を隠さない、怪訝な顔をしたリーネにシズクは頭を下げて、そのままメダルの下へと歩いていってしまった。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「あの女はこの学園きっての無能さ!もしこの学園でよい結果を残したいなら、近づかないほうが無難だよ、シズク」

 

 女生徒たちに囲まれ、教室の一角を陣取りちやほやとされながらも、シズクに対してメダルはそう言い捨てた。シズクはと言えばそれに対して、そうなのですね、と微笑み返したのみだ。

 そんな彼女の態度に対して、メダルは気に留めることはなかった。彼にとってシズク、というよりも美しい女性全般は、一種のトロフィーのようなものだった。彼女自身の性格は、彼にとってそれほど重要なものではなかったのだ。

 

 しかし、彼を取り巻く女生徒たちはそうではない。

 

「……」

 

 メーミンという少女は、メダルの取り巻きの一人だ。彼女には、あるいは彼女ら取り巻きにとっては、メダルは己の将来を左右する男だった。彼女らもまた、このラウターラ魔道学園に入学した将来有望な魔術師である。キチンと卒業に至れば並みの魔術師など、目ではない知識と技術を身につけている事だろう。

 

 だが、腕の良い魔術師、というのはこの魔女の国では決して珍しくはない。

 

 優遇はされても、それは特別ではない。多くの魔術師たちが切磋琢磨するこの国では、卒業後悠々自適な生活を送れるわけではない。かといって、この都市を、国を、家族を捨て、他の都市に行くという決断は、流石に少女らには重すぎた。

 

 だからこそ、メダルだ。国営を行う神殿の中でも上位の有権者、しかも“ゼウラディアの結界”の拡張権限まであたえられている【セイラ】の官位を持つラスタニア家の家督をいずれ継ぐ男。彼の寵愛を受ける事が叶うならば、狭い都市の中の数少ない有力なポストを獲得するのも、夢ではない。

 

 要は彼女らは、己が実力だけで何かを得るのをあきらめた少女らなのだ。

 

 故に、そのポジションを奪おうとする相手は警戒する。

 

「全く、クローロ教授にも困ったものだよ。偉大なる森人である事には尊敬の念を抱くが、ここでは一人の講師であることを理解していない」

「まあ、そうなのですね」

 

 メダル“様”の話を楽しそうに聞くシズクという少女は、美しかった。メダルの取り巻き達は例にもれず容姿に優れた者が多い、というか全員そうだ。それだけを基準にメダルが選んだから当然だ。

 しかし、その中でも明らかにシズクの美しさは突出していた。とても、都市の外、魔物達が跋扈する“人類生存圏外”からやってきたヒトとは思えない。浮世離れした美しさだった。

 まあ、彼女が人並み外れ美しいのは別に構わない。問題なのは、メダルが彼女を気に入って自分たちを捨ててしまわないかどうかというところだ。

 

「ねえ、シズクさんってどうしてこの学園に入学してきたの?」

 

 メダルがほかの取り巻き達と会話を始めたタイミングを見計らい、メーミンはシズクへと質問を投げかけた、にこやかに、なんでもないように尋ねながらも、内心ではメダルと会話をしている少女たち含めたその場の全員が聞き耳を立てていた。

 何でもない理由なら構わない。だが、もしも自分たちのポジションを奪うような目的ならその時は―――

 

「ええとですね」

 

 そんな彼女らの思惑を知ってか知らでか、シズクはただただ微笑みながら、メーミンの質問に答えた。

 

「大きなモジャモジャフワフワでモケモケと奇怪な鳴き声を放つ生き物を殺さなければならなくて、勉強するつもりなのですよ」

「………………そうなの」

 

 メーミンはゆるゆると頷いた。

 

 何言ってんだろう、この女

 

 と、彼女はそんな顔をしていた。盗み聞きを立てていた他の少女らも同様である。その質問が追及される間もなく、開始のベルが鳴り、クローロ教授が授業を開始し、その質問は流れてしまった。結局、彼女らの疑問は解消されぬままとなったのだ。

 ところが、彼女のその説明は、実のところ全く以って、ウソ偽りのない本心だった。彼女がこの学園に入学した目的は一つ。“ピンクのモケモケの撃破”である。

 

 そして、その目的を果たすべく、彼女の仲間は今なお、活動中である。

 

 この学園にではなく、迷宮、即ち大罪迷宮ラストにて。

 


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