かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~   作:あかのまに

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ラウターラ魔術学園⑦

 

 

 

 リーネは集中し、魔法陣を描き続けていた。

 

 必死だった。恐らく学園の試験の時よりも集中していた。彼女にとってこれは降って湧いたような、後にも先にもないであろう好機だった。最初、自分の魔術の欠点を説明したとき、その時点で帰ってしまうのではないかと怖かった。

 だが、ウルは帰らなかった。「完成まで適当に時間は潰させてもらう」とは言ったものの、それを見届けると言ったのだ。これまで冒険者ギルドにて、何人かに魔術を披露する機会はあったが、最後まで見ると、そう言ってくれたのは彼だけだ。

 だから彼女は必死だ。レイラインの魔術を継ぐ際に獲得した異能、【集中】も発動させ、一心不乱に魔法陣を描き続ける。それでも、構築にかかる時間は決して短くはならない。それでも焦らず、一つ一つ確実に、光の線を描き続ける。完成に至るために。

 

「き……貴様!こ、この!!貴様ぁあ!!」

 

 そんなわけだから、背後で発生しているいざこざを彼女は全く関知出来ていなかった。

 

「…………ごかいです」

 

 何言ってんだろうこいつは、とウルは自分の口からこぼれた台詞を聞いてそうおもった。

 誤解もクソも、目の前で鼻血を噴き出している男の顔面におもいっきり球をたたき込んだのはウルである。弁明の余地もなく全力投球だった。良い球速だった。ちょっとスッキリした。

 訓練用のボールはものを壊さないように柔らかいモノを選択していたおかげか、派手に血を噴き出しているものの骨が折れるような事にはなっていないらしいのは幸いだった。怪我も、シズクがささっと回復魔術で今治してしまっている。血もすぐに収まるだろう。

 

 が、しかし、メダルの怒りは当然そう簡単には収まりそうにはなかった。

 

「【魔よ来たれ(火を/風を)宿し穿て!!!】」

「ぬあっ」

 

 杖から放たれた魔術をウルは横飛びに避ける。火球(ファイアボール)、と思ったが違う。シンプルに威力が違う。基礎魔術であればどれだけ威力を向上させようと限界はある。術構築の手段、精度で威力の上下は相応にあるものの、“これ”は明らかに違う。

 

「いっつ!?」

 

 ウルは突き刺さるような痛みを掠めた腕から感じた。覚えがある。シズクとの鍛錬の時、彼女が使っていった雷の魔術の感覚だ。あれと似ている。だが、二種の魔術を同時に?

 

「【魔よ来たれ(大地よ/氷よ)刺し貫け!!!】」

 

 詠唱が二重に重なって聞こえる。そして放たれる魔術が基礎魔術ではありえない威力で放たれる。同時に二つの魔術が発動している。なんだそれは便利だな。とウルは感心しながらも逃げる。

 

 相手の魔術はとても派手だが、躱すことは割と容易ではあった。

 

 なんだかんだとウルは今日に至るまでいくつかの死線をくぐっている。本気の殺意の込められた一撃を幾度となく回避し続けてきた。普段の鍛錬でも本番に可能な限り近い一撃を受ける訓練も躱す訓練も続けてきた。

 そして今、相手はどれだけ有能な魔術師であろうと、直接戦闘を経験したことのない学生で、頭に血が上りきっている。攻撃は読みやすく、避けるのは今のウルには容易だった。

 

「この!!この!!!この!!!!!!」

 

 当然それはメダルには全く面白くない状況だった。

 柔い球が直撃したせいなのか、頭に血が上ったせいなのか、顔を真っ赤にしながら吠える。ウルに対して怒り狂うあまりアカネの事がすっかり頭から抜け落ちてしまっているのは幸いだったが、さてどうしよう。

 

「この都市に!!いられると思うなよ!この!!余所者が!!!すぐに追い出して!!追放刑の印をくらわせて!!!」

 

 魔術の詠唱と詠唱の間に挟まるメダルの罵倒はもはや支離滅裂だ。このままでは頭の血管が破裂するのではとすら思えた。せめて取り巻きの女生徒たちでいいから、なんとか宥めてはくれないだろうか、とウルが内心で祈っている、と

 

「メダル様」

 

 そこに、どこまでも通るような透明感のあるシズクの声が響き渡った。彼女は、怒り狂うメダルを、背中からそっと抱きしめてみせた。

 

「心を落ち着かせましょう。メダル様。あなた様の心はあのような木っ端のために乱される事あってはなりません」

 

 木っ端呼ばわりされたウルは「どうも木っ端です」と沈黙し、なりきった。

 シズクの声は静かで、しかしまるで心に潜り込み、深く浸透するような震えを持っていた。アルトの騒動での人質達への人心掌握術を思い出していた。あのときと同じ、人の心にするりと滑り込むような音色だ。

 

「あのような男、あなた様なら如何様にも出来ましょう。間を置けば己の所業がいかに罪深いか、無能であっても理解できましょう。まずは、あの男に自らの罪を理解させなければ、裁くことはできません」

 

 外道へと誘うような笑みをメダルへと向けるシズクはまさに悪女のそれだった。そして、彼女の言葉に、鼻息を文字通り荒くさせていたメダルの顔色が徐々に落ち着きを取り戻していった。

 しかし、それでもなお、彼の表情には色濃く憎悪が残っていた。学園生活を送る上では決して味わう事がなかったであろう恥辱を許す気はなかった。

 

「よく覚えておけ、貴様がいったい誰に手を出したのかを。そしてこれから待ち受ける制裁を震えながら待つと良い!!!」

 

 そう言いながら、女達に支えられながら、メダルは去っていった。

 

「……アカネのこと、ディズに報告しねえと……攫われたって」

 

 彼らが去った後、ウルは現実逃避気味にぽつりとつぶやき大きくため息をついたのだった。

 

 

               ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

「……で、きたわ」

 

 リーネは完成した己の魔術に声をあげ、そしてへたり込んだ。絶え間なく連続で魔力を注ぎ、魔法陣を形成しつづける動作は彼女に大きな疲労を与える。技能の【集中】の反動だ。倒れ込みたかったが、あまりにも格好が付かないと両足に気合いを入れて踏ん張る。

 

「出来たわ」

 

 改めてそう言って、振り返る。振り返った先に、ウル少年が既に立ち去っている可能性が頭をよぎり、少し恐ろしかった。

 

「……ナルホド、お疲れ様だ」

 

 だが、恐れは杞憂だった。ウル少年はちゃんとそこにいた。何故か表情が大変優れない様子で、凄くぐったりと疲れている感じだったが。

 

「……待つのに疲れたの?」

「いいやそれとはまったくの別件だ。ところでメダルというヒトをご存じ?」

「私、あいつ嫌いだわ」

「そうか、俺も嫌いになった。向こうも俺のこと嫌いになったんだろうが」

 

 ウルは深々とため息をついた。何があったのかは把握できていないが、あの男がなにかしでかしたということだけはよく分かった。

 大体いつもメダルはリーネに対してちょっかい、というにはいささか過ぎた干渉をしてくる。かつて奴隷の立場にいたレイラインの一族の事を未だ彼は自らの所有物であり、奴隷であると勘違いしているのだろう。

 どう思おうが結構、と言いたいが、今邪魔されたくはなかった。

 

「それで、出来た。と言ったな。ようやく魔術を見せてもらえるのか?」

「そうね。見せられるわ」

 

 なるほど、と、そう言ってウルはまず、リーネの前に懐中時計を見せた。

 

「貴方自身が予告したとおり、貴方が魔術を描き始めてから、一時間が経過した。何もない、妨害もない状況下であったにもかかわらずだ。つまり、迷宮で発動させる場合、同じ場所で、たった一回の魔術を行使するために、貴方を襲い来る多数の魔物達から守りつづけなければならない」

「だから雇うのは難しい?」

「この大きなデメリットを上回るモノを見せてもらえないなら、そうなる」

 

 ウルはハッキリとそう告げる。その表情には、此方を試すような所も、あるいは迂遠な失格の通知でもなく、誠実さがあった。事前に言うべきことを言っておこうという不器用な心遣いだった。

 リーネは、未だ見捨てず、そして真剣に此方に向き合ってくれているウルに感謝し、大きく息を吐いた。どのみち既に逃げも隠れもできない。後は、自分が、祖母が、そしてレイラインの先祖達が黙々と培ってきた技術の粋を見せるだけだ。

 

 リーネはウルをつれて魔法陣からたっぷりと距離をとると、杖で地面をたたく。

 

「【開門(オープン)】」

 

 途端、遠方にある魔法陣が凄まじい光を放つ。累積されていた魔法円に魔力が収束したのだ。それは瞬く間に幾重にも重なった【増幅】【強化】【拡大】の術式により膨れ上がり、しかし一切術式の型を崩すことなく洗練を続ける。

 この工程を刹那の内に術式の内部で幾度となく繰り返し、そして、発動する。リーネが選んだのは【雷】の魔術、風属性の魔術の上位にして扱いのとても難しい魔術の一種。

 

「【天雷ノ裁キ・白王陣】

 

 その、終局魔術(サード)。

 

 途端、魔法陣を中心に莫大な光と音を放つ、この巨大な地下の天井にも届く雷の刃が突き立った。術士を除く全てを焼く雷は、ほんのわずか一瞬で魔法陣の周辺を焼き切り、空気を焦がした。さらにその場にとどまった刃は雷を放ち続け、周囲を破壊し続ける。

 白の結界の内部でなければ、破壊はこの地下訓練所全体に及んだのは想像に難くなかった。

 そして、たっぷりと一分間、光と破壊を放ち続けた終局魔術は、その後役目を終えて消失した。あれほどまで時間をたっぷりとかけて生み出した魔法陣もまた、その仕事を終えて、消えた。

 

 たったの一回、術式構築の時間を思えばほんのわずかな時間の間、しかしヒトの身で起動可能な最大レベルの魔術の発動を単独で可能とする。それがレイラインの魔術だった。

 

「どう?」

 

 恐る恐る、リーネはウルに感想を求めた。だが先ほどまで横に立っていたウルはいなかった。おや?と見回してみると、ウルは地面に転がりながら縮こまり両耳を塞いで頭を伏せていた。

 考えてもみれば、たとえ距離をとろうとも、終局魔術の威力に晒されれば術者以外は平気なはずがなかった。と言うことを、リーネは失念していた。

 

「……大丈夫?」

 

 問われ、よろよろと彼は立ち上がる。ウルは表情を強ばらせながら、口を開いた。

 

「……仮採用で」

 

 リーネの就職が仮で決まった。

 


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