かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~   作:あかのまに

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ヒトを救うためのたった一つの邪悪なやり方

 魔術学園ラウターラ

 男子寮六階、ラウターラ上級学生階の一室にて

 

「楽しい時間、ありがとうございますトーマス様」

 

 客として招かれたシズクはたおやかに微笑みながら一礼する。彼女の背後には魔術の学び舎には少々ふさわしくない、甲冑を着た鎧の騎士が静かにたたずんでいた。彼女の使い魔であるらしい。

 異様な風体であるが、既に見慣れたものだった。

 

「いや、こちらこそだ。わざわわざ足を運んでくれてありがとう」

 

 トーマス・グラン・ダンラントは、彼女に優しく笑みを返した。背後では彼の付き人達が茶会の片付けに勤しんでいた。先程まで、二人で楽しくお茶会をしていた。学んだ授業の事や、新しい魔術の開発について。あるいはそれとは関係ない生徒間にあったくだらない笑い話等々、本当にただただ雑談を楽しんだ後だ。

 

「叶うならもっとお話をしたかったのですが、期限が迫っているのがとても残念です」

「学生を続けるつもりはないんだね。君ならば特別入学試験も容易いだろうに」

 

 本来、冒険者の特別入学の一月で実力を示し、正式に入学を認めさせるのは難しい。冒険者としてたたき上げて魔術を学んだ者達には、学ぼうにも下地が無いことが殆どだ。多くの者はその隔たりにぶつかり、挫折するか、勉強を学び直して再挑戦をする。

 しかしシズクはこの学園において非凡さを示した。知識は足りない。だが、魔術の飲み込み方は天性だった。魔術は技術であり、誰しもが学び鍛えれば獲得に至る。だがその獲得の速度には、やはり向き不向き、才能による差が生まれる。彼女はそれが圧倒的だ。

 

 学んだ魔術は速やかに咀嚼吸収する。属性による得手不得手も存在しない。

 しかも学んだ術式、形態を己の独自魔術構築に変換する異常さ。

 術の短縮、効率化、新魔術の構築。

 

 全ての講師が彼女の能力に太鼓判を押す。シズクが望めば間違いなく学生としての入学を認められるだろう。だが、シズクは首を横に振る。

 

「もうしわけありません。私にはやらねばならないことがあるのです」

「そうか……とても残念だよ。君との会話は楽しかった」

「またいつか――」

 

 そう言って、シズクはそっとトーマスの身体に寄り添った。ふわりとトーマスの鼻を柔らかな髪がくすぐる。トーマスは僅かに目を細めつつ、シズクの身体を受け止めた。

 

「またいつか、お話ししてくださいますか?」

「……ああ、もちろんだとも。君なら大歓迎さ」

 

 そう言うと、シズクは顔をほころばせ満面の笑みを浮かべた。そしてもう一度頭を下げると、彼女は背後の騎士を伴い部屋を後にした。

 

「……………………ふう」

「お疲れ様です。トーマス様」

 

 彼女を最後まで見送った後、小さくため息をつくトーマスの背後で付き人がそっと声をかけた。トーマスは彼女、メイド長の顔を見ると少し顔を緩める。緊張が解けたような、安心したような表情だった。

 

「大丈夫ですか」

「ん、ああ……そうだな。少し危なかった……お茶を入れてくれるか?」

「用意しています」

 

 彼は自室に戻ると、既に用意してあったカップの琥珀色の茶を口にする。温もりが胃の中に落ちていく感覚にトーマスはリラックスするようにため息をついた。

 

「彼女、どうでしたか」

「素敵な女性だよ。何よりも“欲しい人材”だった……が、」

 

 神殿の官位を持つ家の長男であるトーマスにとって、この学園での生活は今後の神官としての人材を勧誘する時間でもあった。神官の仕事とは信仰と都市の管理であり、ヒトの世の“保護”である。

 官位が上がるほどに保護の役割と範囲は広がる。

 最も位の低い“ヌウ”ならば小神殿の管理等と小範囲だが、“グラン”を超えると広大だ。都市の管理区域も広がり、権利も増すが義務も増える。たった一人の裁量では到底処理しきれない。

 故に優秀な人材を常に欲している。いずれ学生を卒業して本格的に父の仕事を引き継ぐとき、手伝ってくれる優秀な人材は幾らいても足りないのだ。

 その点、シズクは非常に魅力的だった。魔術師としての能力は未熟ながら非凡さを示し、しかも容姿に優れている。会話能力も淀みなく、性別も種別も問わず、誰からも好感をもたれやすい。しかも冒険者の指輪まで所持している。なにより、元は名無しであるが故に下手なしがらみが一切無い。

 この上なく素晴らしい人材といえるだろう。

 だが、

 

()()()()()()()()()()

「同意見です」

 

 主人とメイド長は同じ答えをだしていた。その言葉を聞き、同じくトーマスに仕えるメイドの一人、最近彼に仕え始めたばかりの新人の獣人メイドが意外そうな顔をした。

 

「え、え、なんでです?あんな、いい人そうだったのに」

「ロクに話もしていない貴方からそんな風に思われる事がそのまま答えよ」

 

 ぴしゃりとメイド長が部下をいさめた。トーマスはため息を吐いた。

 

「彼女は、“魔性”だ」

 

 魔術を手繰るでもなく、言葉を交わし、微笑むだけでヒトを惹きつけ、虜にしてしまう魔性。一度虜にされてしまえば、身も心も魂さえも捧げてしまうであろう毒華。彼女はその類いだ。

 しかも、それを自覚している。彼女は自分がいかに魅力的で美しいか理解して、それを武器としている。それは優秀な人材として扱うにはあまりにも危険がすぎる。

 

「制御可能な手綱があればいいんだが……私には無い」

 

 彼女は“名無し”だ。神官(グラン)の権力を活用すれば彼女に都市民の権利を与える事も叶うが、それを餌にしようとしても、彼女はそこに興味はない。彼女が望むのは冒険者としての進展、そしてなにより自身の戦闘力の強化だった。しかも、少し強くなれば良いだとか、そんな次元の話ではない。冒険者ギルドの金級を目指すというのだから相当だろう。

 無論、その支援は出来る。無理の無い範囲の魔装具の贈り物を彼女はとても喜んでいた。効果はあるのだろう。多少は。だが、金色になるレベルの支援、ともなると話が違う。単純に言ってしまえば底抜けだ。キリがないし、そこまで貢いでも届かない。

 

 金や、地位、権力では決して届かない。そういう所なのだ。冒険者ギルドの金級は。

 

 つまり、彼女の望みを叶えるだけの甲斐性が、トーマスにはない。大罪都市の神官長ですらないだろう。つまり、誰にも無い。

 

「満たされない底なしの井戸に金を注ぎ続ける趣味は私にはないよ」

 

 せいぜい距離を置きつつ、無理の無い範囲で支援し、スポンサーもどきになってつながりを保つくらいだろう。必要以上の接近も支援も危険だ。此方の警戒と距離感を、シズクも理解したのか、彼女の此方への接触も適度で過剰ではない。その恐るべき魔性を此方に向けることも、そんなには、ない。

 

「それをしている男がいるようですが」

「ああ……彼か」

 

 そう言われて、思い当たる人物は一人だ。

 メダル。トーマスより高い官位の家に生まれながら、その地位にかまけて堕落している男。彼のことはよく知っている。何せ、地位が自分より下なのに優秀と多くの人間から認められているトーマスのことが気にくわないのか、しょっちゅうつっかかってきているからだ。

 そんな彼が、シズクに今はお熱であるらしい。女性への見境のなさは有名で、それ自体は驚かない。が、なんとまあ、よりにもよって彼女とは、というのがトーマスの感想だ。

 

「随分と仲が良いようですよ」

「なるほど、彼女が取られると困ることになるかもしれない。注意しよう」

「ありえますか?」

「精霊の気紛れはいつだって起こりうるものさ」

 

 メイド長の指摘に、トーマスは至極真面目に答えた。どんなことだって起こりうるのが、この世界、神の庭にして精霊の遊び場だ。どのような事態であれ、起こるかもしれないという心構えは、精霊に仕える神官には必須のもの。故に彼女への答えに嘘偽りは無い。

                   

 何事だって絶対に起こらないと否定することは出来ない。

 

 それがどのような奇跡であったとしても。

 

「そもそも私は他人の在りようをどうこうと指摘できるような身分じゃないさ」

「失礼しました」 

「お茶を飲んだら、明日の準備だ。不可侵域開拓用の結界術の新魔術発表。爺様がたへの説明は長引きそうだ。資料を用意しておいてくれ」

「承知いたしました。トーマス様」

 

 メイド長のいつも通りの小気味よい返事に満足し、トーマスはお茶の香りを楽しみ口にする。一杯を飲み終わる頃には、メダルの事など彼の思考からは消えてなくなっていた。

 

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

「……どこだ……どこへ行った。あの女ぁあ!!」

 

 がしゃんと、なにかが割れる音が響く。

 

 メダルの機嫌は最悪だった。理由は何故か?

 

 側にシズクがいないからである。

 

 今や彼女が側に居ない。彼女が自分のものになっていない。それだけでメダルの機嫌は最悪になっていた。彼女の存在が側に居るだけでメダルの心は浮かれ、離れればそれであけで苛立つ。誰かに当たりちらし、耐えられなくなる。それは最早、依存と言って差し支えなかった。

 

 いつからこうなったのか。メダル自身にもよく分かってはいなかった。

 

 最初は見目麗しい彼女を装飾のように扱うだけで悦に入(い)られた。それは他の女生徒の扱いとも変わりは無かったはずだった。新しく手に入った景品。それがメダルにとってのシズクだった。

 それが気がつけば、変わっていた。

 その横顔に目を奪われ、透き通るような声に耳がくすぐられ、触れる肌に産毛が総立ち、花の香りが鼻孔を通して脳を揺らし、指先に触れられれば喜びにもだえて震えた。

 

 おかしかった、明らかにおかしくなっていた。だがそれに彼は気づかなかった。あるいは気づいていても、それを無視した。普段の生活がシズクが中心になっても、自分の言動が全てシズクによって制御されていても、いつの間にか自分の周りに彼女以外の女がいなくなっていても、それらの異常を彼は無視した。

 彼女の存在以外は些事だった。些事になっていった。

 

「ああ、メダル様、大丈夫でございますか」

 

 そして今日も彼女はやってくる。自分を狂わせに。

 

「貴様!!」

 

 メダルが手元にあったカップをシズクへと投げつける。シズクの顔にめがけて投げつけられたそれは、彼女の背後にいる鎧の騎士に呆気なく受け止められる。彼女はメダルの暴挙に対して特に驚いた様子も見せない。

 

「誰の!誰の許可で!!貴様!!!」

「落ち着いてくださいませ。メダル様」

 

 彼女は微笑む。優しく、どこまでも美しい。それだけでメダルの気勢は削がれてしまう。彼の精神状態は既にシズクの手中にあった。感情が沸点に到達したとしても、それは全て手の平から零れないようにコントロールされていた。

 だが、今日が話が違った。

 

「メダル様。私は明日賞金首を討ちに向かいます。その成否にかかわらず、その後はこの都市を出ていくことになるでしょう」

「なっ――――」

 

 一瞬、メダルの息が詰まる。言葉を失ってしまったかのように沈黙し、そしてその数瞬後、爆発する。失せていた血の気が増し、真っ赤になって、そしてわめき散らした。あまりに興奮していたためか、何を言っているのか最初は全く分からなかった。

 

「ふざけ!ふざけるな!なんの許しがあって!勝手に!貴様!!!」

 

 徐々に舌がまわるようになり、言葉の意味はわかるようになってきたが、しかしその表情はますます歪に引きつっていく。そして、ほんの僅か躊躇い、しかし次の瞬間、魔術師の杖を抜き出した。

 

「僕の言うことを聞け!!!」

 

 シズクの表情は変わらない。笑みのまま。そして代わりに背後の騎士が前に出た。

 

『限度があらあな、小僧。剣を相手に突きつけている自覚はあるのか』

「お前の事はもう知っているぞ!所詮は死霊兵だろう!!貴様なん――」

 

 そのまま何かを口にしようとしたのだろう。が、続きが言葉になることはなかった。ロックの腰から下げた刃が閃き、メダルが突きつけた杖を瞬く間に両断したからだ。それをメダルが認識したのは、胴から真っ二つになった杖の片割れがむなしく地面に落下してからだった。

 

「――――あれ?」

『主よ。杖を失えば魔術師は役立たずかの?』

 

 役立たずになった杖の柄をむなしく握りしめるメダルを尻目に、ロック端ずくに確認する。問われたシズクはふむ、と、一度思案し、

 

「魔術師の杖はただの補助具ですから、まだ危険ではあるかと」

『なるほどの……ふむ、舌も刻んでおくか』

「そこまでするのはやめておきましょう――――かわいそうですから」

 

 その哀れみの言葉を聞いた瞬間、既にゆだっていたメダルの頭は沸点に到達した。表情を悪鬼のように歪めきって、両の手を前に掲げた。

 

「【魔よ来たれ/魔よ来たれ/魔よ来たれ】」

 

 三重に重なった声が響く。白の魔女により受け継いだ並列魔術。一度に同時に複数の魔術を走らせる特異な魔術。人の世を守るために編み出されたその技術を、彼は口端から泡を吐きながら、叫び続けた。

 だが、それは

 

「【【【唄よ鎮まれ】】】」

 

 シズクの一言によって、全てがかき消された。

 

「…………は!?」

 

 ()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()

 

「………消去魔術(ディスペル)……そ、れに」

「貴方に並列魔術を見せていただいたおかげで、面白い構築式を作れました。【反響】とでも呼びましょうか」

 

 シズクがニコニコと楽しそうに笑う。メダルはラスタニア家の秘奥、【並列魔術】に関してはシズクに漏らしていない。いかにメダルが道徳的な欠落があろうと、自身の家の秘奥をみすみす他人に明かすほどマヌケではなかった。

 だが、彼は間近で、繰り返し自慢げに披露し続けた。決して見盗られはすまいと驕り、事実今まで誰一人としてマネすることが出来なかったという事実からの過信、そしてシズクに乞い願われる快感によって幾度も繰り返し彼女の前で見せつけた。

 

 結果、彼女はラスタニアの技術を強奪し、己のものに書き換えた。

 

 仮にも本家といえる【並列魔術】をかき消すレベルの魔術を。

 

「詠唱の特異な技術を操る貴方の魔術は、唄を操る私にとってとても参考にしやすくて、助かりました」

「ぼ…………ぼくの、家の、勝手に」

「ですから“もう大丈夫”です。メダル様。ありがとうございました」

 

 言外に、「もう貴方はいらない」と、そう告げていた。その言葉に、メダルは腹の底に冷たいものを流し込まれたような気分になった。怒りが徐々に静まり、不安が急速に広がっていく。

 それが、“捨てられるかもしれない”。という恐怖であると彼が自覚することは出来なかった。いつも彼は捨てる側であり、捨てられる事への恐怖は、未知のものだった。

 

「まて、まてまて!お前、ほんとうに冒険者なんかになる気なのか!」

「ええ、最初からそう言っていたとおりです」

 

 メダルは顔をひしゃげた。嫌悪の滲んだような顔で、

 

「冒険者の何が良いんだ!確かに奴らの魔石は世界を回すが、所詮奴らは探鉱夫!魔石を回し、人々を管理し、都市を運営する神官である僕は支配階級だ!!アイツらが生涯かけて迷宮を駆け回って望む都市民権を、僕は望むままに与えられるんだぞ!何が不満だ!!」

 

 吠えるように、メダルは叫ぶ。おそらくは幾度となくシズクに言い聞かせてきたであろう言葉だった。神官、都市の特権階級の人間の優位性、いかに自分が恵まれているのかという説明。その言葉は正しくはあった。少なくともウルがその場にいたらメダルの言葉に同意していただろう。

 

「リーネのバカのように、恵まれた選択肢を捨てるようなマネをする!」

 

 しかし当然、シズクにはその一切が届かない。彼女は、優しい表情のまま、わめき散らすメダルに一歩近づくと、その頬に両手をそっとあてる。

 

「メダル様は冒険者がお嫌いなのですね」

「当たり前だ!!あんな下品で、下劣な労働者ども!好きになる要素など――」

「――――“本当は、冒険者になりたかったのに?”」

 

 …………へ?

 という空気が漏れたような声が、メダルの喉から漏れた。目は見開き、そして喉が鳴った。それは、シズクの言葉の意味を理解できないという。芯を射貫かれ身じろぎできなくなり悶える獣のそれだった。

 

「冒険者になりたかったのでしょう?メダル様。本当は貴方は冒険者に憧れ、そうなりたいと願っていた。幼い子供のように」

 

 シズクは笑う。目を細める。そしてぱらりと彼の前に書類を落とした。メダルには見覚えのあるものだ。彼の机の奧にずっと仕舞っていた“冒険者ギルド登録の申請書類”。

 何故、どうして彼女が?という疑問に答えを得られぬまま、シズクはその両手で彼の頬に触れ、逃げられないようにささやく。

 

「でも、許されなかった。神官という家の立場を捨て、跡継ぎたる貴方がそんな道を選ぶ事なんて許されるはずも無かった。貴方の夢は潰されて、お母様は貴方が冒険者にならないよう、冒険者に対して強く当たるようになった」

「だま、れ、違う違う、違う!!」

 

 彼の必死の否定をまるで意に介さず、メダルの心の芯根を指先で叩く。楽器を奏でるように、メダルの悲鳴を奏で、歌う。

 

「それで、自分と同じように神官なのに、自分とはちがって諦めずに冒険者として邁進するリーネさんが気に入らなくて、攻撃的になった。それでも諦めなくて、ますます嫌いになって、諦めてしまった自分がどんどん惨めになった」

「違うと言ってるだろおおおおおおおおお!!!!」

 

 メダルが叫んだ。血を吐くような悲鳴であり、シズクの声を塗りつぶすための必死の咆吼だった。両手をかくようにシズクに向かって振り回された拳は空を切る。シズクは既に身をひいていた。メダルは勢いに倒れ、顔を打った。

 鼻から血を噴き、それでも違う、違うとメダルは呟く。うめき声をあげる死者のようになってしまった彼をシズクは優しく抱きしめ、そして、耳元に口を寄せ、そして、言った。

 

「貴方には無理ですよ」

 

 メダルが息を飲む。身じろぎする。シズクは彼を離さない。

 

「安定だけを求める探鉱夫にはなれるでしょう。ですが貴方が望むものになれない」

 

 肩を揺らし、逃れようとする。シズクは彼を離さない。

 

「貴方には意思が欠落している。決断力が損なわれている。だから血の繋がった親“ごとき”を捨てられない。ヒトを支配する特権階級“ごとき”を捨てられない。みじめたらしく他人にあたることしかできない」

 

 じたばたと、死にかけた虫のようにもがく。シズクは彼を離さない。

 

「貴方は、危険に挑む挑戦者にはなれない。未知に挑む開拓者にはなれない。悪竜を討つ英雄にはなれない。貴方は」

 

 シズクは彼を離さない。

 

「冒険者には、なれない」

 

 そうして、メダルはピタリと動きを止めた。

 まるで死んだように、彼は身じろぎ一つ、声一つあげなくなった。シズクはそっと彼から離れて、そして自身がズタズタに切り刻んだその男の姿を見て、そっとその背中に触れた。

 

「――ですが、私なら」

「そこまでにしておけ」

 

 そこに声が響いた。闇を裂くような鋭い声であり、シズクをメダルから引き剥がす声だった。シズクはそっと彼から離れると、いつの間にかその間に立つように、男が現れた。背丈の高く、威圧的なほどの整った容姿をした男。特徴的な高い耳は森人の証。

 

「まあ、クローロ先生」

「この男を“潰すまでなら許可できるが、支配するのは許可できない”」

 

 シズクがのんびりと声をあげる。その彼女を守るようにロックが前に出た。クローロは目を細める。深緑の瞳の奥は氷のように冷たい。

 しかしシズクはその力を前に特に恐れる様子もなく向き合っていた。

 

「潰すのは良いのですか?」

「そもそもこの神官の子供は問題になっていたからな。限度が過ぎた。故に矯正のため“へし折ろう”とする頃合いにお前が来た。メダルを懐柔しようとするお前が」

 

 故に、任せた。

 と、クローロがパチリと指を鳴らすと、足下からうぞうぞと何体もの小さな木製の人形(ゴーレム)が姿を見せた。彼らはメダルの身体を見た目には分からない強い力で持ち上げると、そのままとてとてと彼を運び部屋を出ていった。

 

「学園の教師の、しかも森人が神官の後継ぎに傷を負わせば問題になるが、生徒同士の争いならば問題の規模は小さい。加えて、お前はもうあと少しでこの学園を出る」

「私が彼をどうするか、詳細には分からないんじゃないですか?」

「私もそう言った。だが“学園長はそう思わなかった”」

 

 ――メダルさんのような方を懐柔するとしたら、()()()こうするわ

 

 矜持をへし折り、砕ききったあと、優しく導く。逆を言えばこのような手管でない限りは完全に支配する事は叶わない。故に放置しても良いだろうと。

 

 そして、もしこの手管をとったならば、メダルが砕け散った“後”に回収しろと。

 

「まあ、あんなに優しそうなおばあさんでしたのに、怖いことをおっしゃるのですね」

「そうだな。その怖い手管を本当にお前が取ったからこうなったわけだがな」

 

 クローロは度しがたいものを見るような目でシズクを見つめる。彼がそんな表情をするのは希であり、そんな顔を彼がする相手は今までたった一人、この学園の学園長ネイテ・レーネ・アルノードだけであったことを目の前のシズクは知るよしも無い。

 

「それで?私は何か罰を受けるのでしょうか?」

「学生同士の交流になんの罰が付く。度々暴力沙汰を起こしたのはメダルであってお前ではない」

「良かったです」

「だが――」

 

 クローロは静かに森人特有の細く長い指をシズクに向ける。その先に途方も無い魔力が宿る。

 

「此処は“彼女の庭”だ。勝手にしすぎると、排除せねばならなくなる」

 

 只人、鉱人、小人、獣人、多様なる人種が住まい暮らすこの世界において最も魔力に愛された種属、森人。精霊に最も近いとされる種属の、持って生まれた圧倒的な魔力の奔流が、たった一人の少女に向けられた。

 

『ぬ……』

 

 ロックは剣を構える。が、彼の存在などこの森人にとっては障害にならないだろう。二人まとめて消し飛ばすだけの魔力が、魔道具でもなんでもないその指には込められていた。

 対して、シズクは

 

「ご警告ありがとうございます。クローロ先生」

 

 ふんわりと、優しく微笑みを浮かべて頭を下げた。

 

「此処で魔術の多くを学べました。これ以上を望むつもりはありません」

「メダルの件は?」

 

 問われ、シズクは目を伏せ首を振る。誰しもが庇護欲をあおられるその哀しげな仕草に、クローロは不愉快げに眉をひそめた。

 

「メダル様は“あまりにも辛そうにしていたから”少し踏み入ってしまいましたが、学園長様が彼を救ってくださるというのなら、これ以上この場所を荒らす気はありません」

「辛そう?あの男が?」

「ええ」

 

 先ほどまで子供のように無様な癇癪を喚き散らし、あげく抑制の利かない殺意と共に魔術を向けてきた男に対して、彼女は本心から口にする。“彼は哀れだと”。

 

「理想と現実の違いに苦しみ、嫉妬にあえぎ、周りに怒りをたたき付けても尚、何一つ変わらない現実に絶望している。とても哀しいヒトです」

 

 嗚呼、と、彼女は部屋の外へと連れ出されていくメダルを愛おしそうに見つめる。

 

「――――助けてあげたかった」

 

 それは、心の底からの願いに聞こえた。声音に嘘も偽りも無かった。表情に嘲りも侮蔑も無くただ慈愛があった。彼のすさみきった心を救いたいと彼女は願っていた。

 彼自身を破壊してまで、一切の手段を問わずして。

 

 彼女と相対するクローロは、自身の心に薄ら寒いものがよぎるのを感じた。

 

「それでは失礼いたします。クローロ様。怪鳥との戦いで生き残れたら、また挨拶に伺いますので」

 

 簡潔な挨拶を終え、彼女はクローロに背を向けて去っていく。彼女の従僕たるロックも同様だった。クローロは魔力を注いだ指の先をシズクの背に向ける。それは学園の平和を守るためなのか、それとも“彼女自身に危惧を抱いたが故なのか”彼には分からなかった。

 

「……」

 

 だが、結局、彼が魔術を放つ事は無く、彼女は部屋を出ていった。クローロは一人、閉じた扉越しに、去っていった彼女を見つめる。

 決して、逃してはならないモノを逃したことを、悔いるように。

 

 

              ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 

 

 人類生存圏内、太陽神の結界の内部に住まう場所が限られて以来、ヒトの建造技術は横にではなく縦に伸びた。故に、その高低の負担をいかに軽減するかについての技術もまた、発展した。

 大陸一の魔術学園においても当然、その問題に対して様々な回答が選ばれた。高い宿舎に貫くようにして建造された【地天反転塔】もその一つ。地下に刻まれた終局規模の大魔法陣により地の力を操作。全一〇階まである高い建造物を自在に移動が可能となる。

 

 大陸でもまたとない高位の魔術の恩恵に授かり、ゆっくりとシズクとロックは塔を降りていく。奇妙な浮遊感を覚えながら、二人はどちらとともなく口を開いた。

 

『死ぬかと思ったの』

「死ぬかと思いましたね」

 

 シズクも、ロックも己の実力を測り間違うほどに寝ぼけてはいない。クローロ教授は紛れもなく実力者であり、冒険者でないというだけで、戦闘能力は圧倒的だった。わざわざ自分の武器を剣士の前に無防備に晒したメダルとは違う。僅かでも動けば魔術に焼き尽くされるであろうということがわかった。

 彼の気持ち一つでロックもシズクも消し飛んでいた。

 

「指輪に救われましたかね」

 

 シズクはそっと自らの人差し指にはめている“冒険者の指輪”を撫でる。“名無し”のシズクが唯一保持する身分証明、冒険者ギルド所属の証。彼女の存在は冒険者ギルドが保証し、彼女を守るもの。高名なる魔術師であれ、大陸一の魔術学園の教師であっても、理由も無く冒険者ギルドのギルド員を排除すれば問題になる。

 

『そんなもんがなくとも、主ならうまくやったろうさ』

「買いかぶりすぎですよ」

『んなこたあ全然ないんじゃがのう』

 

 ロックはこりこりと己の骨を覆い隠す兜を掻く。

 

『しっかし残念だったのう、主よ。あの小僧を取り込めなくて、カカカ』

 

 ロックは骨を鳴らし、笑う。

 彼にとってすればシズクによって破壊されたあの男の事などどうでもよいことではあった。彼は己を生み出した死霊術士のような外道は嫌うが、さりとて、自身や仲間に害なす輩に対し温情を向けるほど優しくもない。主がメダルを破壊し、洗脳するなら好きにすれば良いと思っている。

 だがそれとは別に、主である彼女の“本質”を知りたい、ともロックは思っていた。

 何せ、半ば強引とすら言える契約の末、主となった少女である。最後には同意したが、知るべきを知っておきたいのは人情、ならぬ骨情であろう。

 

「あの小僧、神官の地位を籠絡できるなら、今まで以上に好き勝手できただろうに、のう?」

 

 反転の塔を出て、貴賓館へと歩きながら、ロックは問いかけをしつつも、彼女を観察する。その視線を知ってか知らでか、シズクは少し困ったように首を捻った。

 

「確かに、神官の地位を持つ彼を取り込めなかったのは残念です……が」

『が?』

「彼自身の荒みきった心を、学園長様が救ってくださるなら、それはそれで良いことでしょう」

 

 ロックは彼女の言葉に、なるほど、と額を掻く。

 

『主は本気であの男を助けたかったんじゃのう』

「勿論そうですよ?」

 

 彼女は笑うそこに嘘偽りはまるで無かった。当たり前のことを問われ少し不思議そうにする少女の笑顔があった。

 

 危ないのう。と、ロックは口に出さず、思う。

 ヒトなら誰しも持っている倫理観、価値観から生じる無意識のブレーキを全く持たぬまま、目の前の相手を救おうとする彼女がどのような存在になるか、ロックには想像が付かなかった。行き着く先で一体何者になり、何を成すのか。

 

 歴史に名を残す偉大なる聖人になるか、あるいは――

 

「――とはいえ、私自身としましても、ここで干渉が断たれるのは結果的に良かったな、とは思います」

 

 おや?と、先ほどと比べ少し殊勝な事を言うシズクにロックは首を傾げる。らしくない、というほどロックはまだシズクのことをよく知っているわけではないのだが。

 

『ま、どーせワシらはもうすぐこの都市から移動するし、余計な重荷になったかもだしの』

「いえ、それも確かにあるのですが……」

 

 と、そこまで言ってシズクは何故か急にもごもごと、歯切れが悪くなった。ロックが彼女の顔をのぞき込むと、シズクは、これはまた珍しく、年相応の少女のような――――少し、ほっとしたような顔をしていた。

 

「ウル様に、怒られずに済むので」

 

 ロックはその日、死霊騎士として生まれ変わって一番の大笑いをした。

 


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