かくして少年は迷宮を駆ける ~勇者も魔王も神も殴る羽目になった凡庸なる少年の話~ 作:あかのまに
その日、大罪迷宮ラストの入り口は異様な雰囲気に包まれていた。
元より大罪迷宮ラストの入り口は迷宮の内部の魔性が溢れ出ようとするのか、寒々しく、重苦しい空気が漂うのが常だ。どれだけ意気揚々と迷宮へと向かう冒険者でも、そのぽっかりとあいた入り口を前にすると、冷や汗を滲ませ生唾を飲むのが常だ。
が、今回そういった緊張や怖気とは全く別の、珍妙な空気になっていた。
「……なんだあありゃあ?」
「馬車……?戦車か……?え?迷宮で戦車?」
「最近しょっちゅう出入りしてるぞ。というか、あれ、ウルだぞ。人形殺しのウルだ」
「骨砕きのウルじゃなかったか?」
冒険者や彼らを相手にする商人達が視線を向ける先は一つ。入り口の前に鎮座した奇妙な馬車があった。兵器に詳しい者はそれが戦車と察することは出来たが、戦車にしてもやや様子がおかしい。機動力の馬がいない。馬が居なくて、御者の座る場所も無い。手綱も無い。丸い。何故か大弓が飛び出ている。車輪がやたらでかくて太い。
突っ込みどころが山ほどある。恐らくその場にいた誰もが首を捻るだろう。
そして、更にその馬車の前で奇妙なことをしている二人組がいた。
「…………」
「…………」
一人は、小柄な少年。最近冒険者達の間では噂になっているルーキー、ウルだった。只人(ヒューマ)、銅の指輪、煤けた灰色の髪、小柄な身体、巨大なる竜牙槍、魔物素材の装備で固め、風変わりな姿になることの多い冒険者だが、その中でも彼の姿はよく目立っていた。
冒険者達を悩ませ、しかし誰もがその厄介さから手を出さずにいた【毒花怪鳥】を討とうともがいているという噂は冒険者達の間で広まり、彼の姿を知る者は多かった。
その彼が、何故か上半身裸で、迷宮の入り口に座り込み、横に本を積み上げながら読書に勤しんでいる。その時点で奇妙だが、更に奇妙なのが彼の後ろにいた。
「【……………!】」
橙の髪を三つ編みにした小人の少女、分厚い眼鏡にかなり古めかしい魔女衣装を身に纏う。更に片手には“真っ白の”魔術の杖。その杖で彼女は晒されたウルの背中になにやら魔術の術式を刻んでいる。
それ自体は別に珍しくもない。迷宮内部における【付与魔術(エンチャント)】の主流は魔術による付与だが、迷宮に入る直前の入り口でならば、直接肉体に描き込む術式の方がより魔術効果が期待できる。そうする者は確かに居る。
が、しかし、これを数時間ぶっつづけで行う者は流石にいなかった。
「ウル様、お気分はどうですか?」
「割としんどい」
シズクの気遣いに対して、ウルは素直に現状の感想を述べた。
現在2時間と半。ウルは身動きがとれずにいた。背中ではずっとリーネがへばりついて、つきっきりでウルの身体に魔法陣を刻んでいる。術式の対象物が迷宮内部の地面ではなく、移動可能なウル自身になったことで、少なくとも迷宮内部でリーネの【白王陣】を刻む手間は大幅にカット出来る事になった。
とはいえ、やはり数時間じっとするというのはそれだけで精神的にこたえるものがあった。【集中】しノンストップで術式構築を進める彼女の邪魔は出来ない。ウルは以前のディズのアドバイスを思い出しながら、時間を潰し精神を疲弊させないため、読書に勤しんでいた。
シズクもウルの周囲をパタパタと動き回り、ウルが疲弊しないよう献身的に動いていた。
「ウル様、新しい本は必要ですか」
「置いといてくれ」
「ウル様、リリの実お食べになりますか」
「くれ」
「ウル様、お飲み物をどうぞ。そちらの売店で売っていたレイモのジュースですよ」
「うまい」
「ウル様、お手洗いの手伝いをいたします」
「それはやめろ」
いささか過剰ではあったが。
かくして、周囲からの奇異な視線に晒されながらも、術式の構築は進み、そして、
「【………………】で、きた」
疲労を滲ませた声がウルの背中から漏れる。ウルは首を捻り後ろを見ると、汗を滲ませ息を荒くさせたリーネの顔が目の前にあった。
「出来たのか」
「基盤だけは。一息つける。これから完成させるのに残り2時間くらい」
「……頃合いだな」
ウルは立ち上がると、装備と周囲の荷物を片付ける。土を払う。荒くなった呼吸を整えているリーネに水筒を渡す。これからが本番なのだ。ここで力尽きられても困る。
「ロック、いけるか」
『おうさ』
問うと、きゅるきゅると馬車の車輪がひとりでに動き出した。遠目に見学する冒険者達が驚きの声を上げているが、ウルは気にならない。気にしている余裕が無かった。
「シズクは」
「問題ありません」
「護衛のメインはシズクに頼ることが多くなる」
「理解しております」
シズクはいつも通り、優しく微笑んでみせる。頭を抱えさせられる事の多い笑顔だが、この時ばかりは安心した。
「リーネ」
「……、いけるわ」
飲み干した水筒をつっかえし、リーネは頷いた。
「お前の術式が全ての要になる。頼むぞ」
「完成させた術式を振るうのは貴方よ」
己が失敗する事はない。という自負と、失敗したらただじゃおかねえからな、という灼熱の感情を向けられ、ウルは肩が重くなる感覚を味わったが、同時に安堵した。少なくとも、要の彼女が不安と無縁であるのはありがたい。
不安なのは己だけである。つまりいつもの事である。
「…………いくぞ」
腹底に煮詰まった不安を全てだしきるように大きく呼吸し、ウルは宣言した。
◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆
深緑の迷宮、鬱蒼とした魔の森の中を、キュルキュルキュル、と迷宮に似つかわしくない奇妙な駆動音が響く。木々の合間を縫うように、馬を持たない小型の戦車が道なき道を進み行く。ウル命名の【ロックンロール号】がぬかるんだ道をタイヤで蹴りつけながら、疾走していた。
『ふむ、快調じゃのう、カカカ』
戦車から、というよりも戦車そのものから声がする。戦車と一体化したロックは気持ちよさそうに呟く。まるで手足のように車輪の軸を回し、小型の戦車は自在に、狭い道ですらないような斜面を縫うように動いていた。
「俺は快適じゃないがな……」
「あついですね」
対し、戦車の内部にいるウルは呻くように悲鳴をあげた。快適ではない。という理由はシンプルだ。暑く、狭い。これがわかりきっていたから、室温調整の【魔道札】の対策を取ったが、それでもヒト同士がほぼ接する距離で3人詰め込まれているのだ。どうしても暑いのは避けられない。
『なんじゃい、女の子二人と密着できるんじゃぞ。役得じゃろ役得』
「限度がある……リーネが小人でよかった」
「【……】」
現状、リーネの魔法陣作成は未だ継続中である。戦車の中、コレ専用に特注で組まれた椅子に座るウルの背に、リーネはほぼ寝転ぶような姿勢で彼の背中に引き続き魔法陣を刻み込む。あまりに狭い空間、僅かな灯りを頼りに行う作業はかなり過酷であろうが、彼女は決して筆は止めない。全ては白王陣の名誉のためだ。
彼女の、強大であるが故に極めて使用に難のある白王陣を成立させるため、「その作成を持続させつつも守り、そして移動し続ける」ための戦車。結局これが、ウル達がリーネの力を利用し、そしてこれから先賞金首達に戦いを挑む上で選択した“戦術”となるわけだが、正直今でも、もっとスマートなやり方があるのでは、という疑念がウルの頭をよぎっている。
が、流石にここまできて、思いつかなかった策を惜しんでもしかたがないのだ。
割り切れ、と不安を振り払う。
『む、メシが来た』
と、ロックが声を放つ。直後ドスンと、何かが突き刺さるような音と、不気味な断末魔の悲鳴が響く。ロックが外で魔物を討ったらしい。現状ロックはこの戦車と一体化している。身体の一部を刃や針のようにして魔物を迎撃することも可能だった。
「魔石、出たか」
『うまし』
魔物から奪った魔石は集めず、ロックにそのまま喰わす。
迷宮内部ではロックのエネルギー補給には事欠かない。戦車の動力として常に魔力を消費しているが故に重要だった。補給用に予備の魔石も用意してるものの、温存しておくに越したことは無い。
「ひとまずこっちの準備は順調みたいだな」
「ええ、ダンガン様たち、とても良い仕事をしてくれたみたいですね」
「金貨ばかみたいに注いだんだ。そうじゃなきゃ俺達は破産だ」
兎も角、準備の手応えは感じていた。準備期間が短い代わりに、注いだ大金が確かな結果を生んでいる。その順調さは、背後でウルの背中に魔法陣を迷わず刻み続けるリーネからも窺える。
ならば後は、迷宮側に何か問題が発生していないかどうか。
「シズク、【足跡】に何かおかしな所はないか」
「あります」
「そうか………なんだって?」
あまりに淀みない返答に、ウルは思わず聞き返した。
「はい。問題発生です。ウル様。現状迷宮は普段の探索とは状況が異なっています」
「……具体的には?」
「静か過ぎます。魔物が少ない」
確かに、今まで通常の探索の時は迷宮に入れば魔物との接敵は今回と比べもっと早かった。何度となく襲撃されたし、遭遇も珍しくはなかった。別にそれが特別だったわけではない。魔の迷宮というのはそういうものだ。
だが、何故だろう。今日に限ってはその襲撃が少なかった。先ほどロックが即座に討った魔物の遭遇が、初めてだ。既に迷宮にこの戦車で突入して二〇分ほどが経過しているのに。
『それならワシの方でも感じとるぞ。やけに今日の迷宮は静かだ。魔物の気配が少ない』
「沈静化してると?」
『……そんないいモノじゃないのお?どっちかっつーと、なんかざわついとる』
ざわついている。緊張している。抽象的な表現だが、人外の身であるロックの発言であることを考えると嫌な信憑性があった。だが問題は、それが何故起こっているのかだ。よりにもよって今このタイミングで。
あるいは今、このタイミングだからか?
「この戦車が原因か?」
圧倒的な異物、として真っ先に思いつくのがこの戦車だ。幾ら小型といえど三人他荷物が搭載出来る程度には巨大な異物、それが我が物顔で迷宮内部を疾走しているのだ。より生物に近いこの迷宮の魔物達が警戒している、と言われても不思議ではない……が、
『可能性はゼロじゃあないが……どっちかっつーとそれじゃあないの』
「そもそもそれなら試走の時に判明してる筈だしな」
別に、迷宮内で戦車に乗ったのは今回が初めてではない。ぶっつけ本番で突入するほどウルは肝が太くない。何度も迷宮で試走してる。その時は異常な事など無かったはずだ。
「じゃあなんだ。誰だ」
『お前じゃ』
は?と、ウルは思わず声を上げた。恐らく現在のメンバーの中で最も凡人で凡庸であるという自覚のある自分が何故トラブルの原因となるのか。まだシズクのせいとか言われた方が納得感がある。
『気がついとらんのかもしれんが、今のお主、ヤバいぞ』
「感覚的な話なのはわかるがもう少し具体的に言え」
『強そう』
「わかりやすい」
ウルは身体を動かさないように首を捻る。小人でも狭苦しい隙間にリーネは寝そべり、そこからウルの背中に魔法陣を刻んでいる。ウルを強く感じる、という原因はおそらく、というか間違いなくコレだろう。それ以外思い当たる節は無い。
だが、
「魔法陣、まだ完成していないんだが?」
実際、体中から力が湧き上がってくる訳でもない。強化魔術は既にシズクに何度も使ってもらったことがあるが、そんな感覚は全くない。
「しかも【不可視】と【魔力遮断】つかってるだろ。ロックは結界の中だから感覚が違うだろうが……」
『そういう、直接的なもんとは違うのう。もっとふわっとしとる』
「というと」
『なにか、得体の知れないモノが、どんどんと成長していっている、そんな悪寒じゃ』
成長していってる。まさしく、今現在進行形で、ウルの背中の魔法陣が徐々に完成に向かっている。それがそのまま、目に見えぬ、物質も魔力も無く、周囲に脅威として伝わっている……?
んな理不尽な!と、叫びたい気持ちで一杯であったが、そんな理屈もへったくれもないものがこの世には存在するのはウルも知っている。と、なれば、理不尽を嘆いていても仕方が無い。現実を受け入れ、発生する問題に向き合わねばならない。
魔物との遭遇が減る。コレはよろしい。消耗が減るのは良いことだ。緊急補給はできないが、戦闘も減るならトントンだろう。これはいい。
一番重要なのは、
「……毒花怪鳥が逃げやしないかだ」
ウルから放たれる“気配”のせいであの面倒な怪鳥に逃げられれば、ただそれだけでこの作戦は失敗する。魔法陣の完成は既に止められない。完成してしまえば制限時間がかかる。それから怪鳥を探すのは不可能だ。
魔法陣が完成する前に、怪鳥を視野に納めるのがこの作戦の成功条件。
最悪は逃げられること。
その次に最悪なのは――
「ウル様、逃げられる心配はないようです」
「……というと」
問い直すと、彼女の高く響く声が狭い戦車の中で反響した。
「
その次に最悪なのは、魔法陣の完成前に、襲撃されること。
『KEEEEEEEEEEEEEEE!』
けたたましい鳴き声が響く。それは上から降り注ぐ奇声だった。シズクが足跡を睨み、そして上を見上げる。当然、戦車の屋根が空の景観を塞いでいるが、彼女の視線の意味はウルにも分かる。
「…………元気だなあ畜生」
直後、戦車に衝撃が走る。まるで何か巨大な物量が空から落下してきたかのように――と、いうよりも、まさしく降ってきたのだろう
毒花怪鳥が。
『MOKKEEEEEEEEEEEEEEEEEE!!!!』
毒花怪鳥戦、開始