ひそかに温めていたエピソードです。
182.グロリア・ディズ1
新しい住処は悪くない。
広さは十分だ。風も通る。寝床にする場所にも不自由はない。族長たちの町から近いのも便利だった。
だから、母上の住処に残した物をわざわざ運ぶ必要はないと、グローリアは思っていた。
別に困っていないからだ。
いや、それだけではない。
あの洞窟は、あのままで残しておけばいいとも思っていた。
もう使わない。だが、使わないからといって、わざわざ手を入れる必要もない。母上が集めた石も鉱石も、そのままでいい。昔からそうだったのだから、そのまま残っていればいい。
そんな風に思っていたのだが、形見の宝石の話をされると、強く反対する気にもなれなかった。
母上が集めたものは、今もあの洞窟に残っている。
ただ、そこへ手を入れたくなかっただけだ。
◇◇◇◇◇
当日の朝は早かった。
族長、セリーナ、シャロン、それにドローンを連れて、母上の住処へ向かう。空を飛ぶのは嫌いではない。朝の空気も悪くない。
途中でドローンが横へ並んできたので、少しだけ速度を上げてやった。ついてくる。なら、もう少しだけ上げる。まだついてくる。
悪くない。だが、心の底には少しもやもやしたものがあった。
ほどなく洞窟の前に降り立つ。
見慣れた場所だった。昔はここが自分の世界の全部だった。今はもう違う。違うのだが、入口の前に立つと少し妙な気分になる。
中へ入ると、宝石や鉱石の山がそのまま残っていた。水晶、原石、色のついた鉱物、装飾品のついた遺品、何かのアーティファクトらしいものまで混じっている。
(これは一財産あるな)
族長の言葉に、グローリアは洞窟の奥を見た。
母上が集めた石や鉱石は、昔とあまり変わらない姿で残っていた。あのままでよいと思っていた。わざわざ動かす必要はないと、ずっと思っていた。
だが、人間から見ればそうでもないらしい。
(はい。母が集めた宝石や遺品、後はアーティファクトとかもあります)
そう答えながら、グローリアは宝石の山を見た。
母上は綺麗な石が好きだった。気に入ったものを見つけると、よく洞窟へ持ち帰っていた。財産として集めていたのか、単に好みだったのか、今となっては分からない。
ただ、母上らしい山だとは思った。
そうして作業が始まった。
族長は大きいものを動かす。セリーナとシャロンが価値を見て分ける。グローリアは必要に応じて場所を教えたり、重い塊をどけたりした。
母上が集めたものを、人間たちが一つずつ見ていく。別に変なことではない。持ち出すなら必要な作業だ。それは分かる。
だが、母上の住処にあるものは、ただの宝石ではない。
母上が綺麗だと思って拾った石。なんとなく残していた鉱石。気まぐれで置いたままになったもの。そういうものが、長い時間のまま積まれている。
そこへ手を入れるのは、あまり気分のいいものではない。そう思ったことで、ようやく気付いた。自分はずっと、なんとなくもやもやしていたのだ。
しかし、気付いた時にはもう手遅れで、しばらくすると宝石の山はだいぶ低くなっていた。
それを見て、族長たちは住処の飾りや使い道の話をしていた。
そこでグローリアは、もやもやに気付かないふりをして口を開いた。
(族長 それなのですがやはり私は要らないので受け取ってもらえないですか?
引っ越してからも全然気になりませんでしたし、母も一族のために使うのであれば満足だと思います)
口にしてから、グローリアは洞窟の奥を見た。
本当に気にならなかったと思っていたのも事実だ。新しい住処に移ってから、不自由はなかった。母上の洞窟へ戻りたいとも思わなかった。
ただ、何もかもそのまま残しておきたい気持ちが、少しだけあったことに気付いただけだ。
(全部はもったいないな。どれか一つくらいは形見として残しておいたらどうだ?)
見透かされたように言われたグローリアは、改めて宝物の山を見た。
青い石もある。透明な結晶もある。金色に光る鉱石もある。どれも悪くはない。
その中で、最初から目に入っていたものがあった。
赤いクリスタルだった。
人の頭ほどの大きさで、結晶がいくつも固まっている。光を受けると、奥が静かに赤く見える。
昔、母上がその石の前で足を止めていたことがある。
その時、幼い自分は隣で丸くなっていた。母上は石を見て、それからこちらを見た。赤い石と、赤い自分とを見比べるように。
何も言わなかった。
だが、あの時の母上は少し機嫌が良かった。つられてグローリアも笑っていたのだ。
そのことを、グローリアは妙によく覚えていた。
その記憶がよみがえった時、ようやく分かった。
そして自分は、この洞窟をそのまま残したかったのだという、もやもやの正体にようやく気付いた。
母上の住処だから。昔の自分がいた場所だから。何も変えず、そのまま残しておけば、そこにあった時間までそのまま残るような気がしていたのだ。
だが、もう昔のままではいられない。
それでも、全部をそのままにしておかなくても、なくなるわけではない。
一つあれば十分だ。意を決して、思い出のあるそれを見つめる。
(では、あれにします)
グローリアは赤いクリスタルを指した。
(お、いいな。体の色に似てるし)
族長の言葉に、グローリアは少しだけ間を置いた。
(あ、そうですね)
そう答えておいた。
本当の理由は言わなかった。別に言わなくても困らないからだ。
赤いクリスタルを抱え上げる。見た目より少し重い。ひやりとした感触が爪に伝わる。
だが、悪くなかった。
◇◇◇◇◇
戻った後、赤いクリスタルは新しい住処の壁際に置いた。
なかなか悪くない。夕方の光が入ると、結晶の中が静かに赤くなる。
(似合ってますね)
セリーナが言う。
(はい。とても良いです)
シャロンも頷いた。
(うん、いい感じだな)
族長もそう言った。
たぶん族長は、本当に赤くて似合うと思っているだけなのだろう。それで構わなかった。
これがあれば、母との思い出に手を伸ばせる。
母上の住処は残っている。だが、もうそこへ戻ることはないだろう。
何かを置いてきたわけではない。全部をそのままにしておく必要もなかった。
たった一つ、これさえ持ってくれば、それで十分だった。
グローリアは寝床に伏せ、赤いクリスタルを見た。
今の自分の住処には、今の自分に似合う石が一つある。
それが母上のいた場所から来たものだと思うと、なんだか少し嬉しかった。
評価、誤字脱字報告、御指摘、感想、何時もありがとうございます。
完結してからこれほど経ってエピソードを書くとは思っていませんでした。