内容を何にしようか、こちらはちょっと考えました。
最初に異変を拾ったのは、グローリアではなかった。イーリスだった。
朝、イーリスから通信が入った。
(艦長、少しいいですか)
「どうした」
(グローリアの体内ナノムが、通常と違う生体変化を拾っています)
アランの表情が少しだけ締まる。
「病気じゃないのか」
(炎症反応ではありません。外傷とも違います)
「じゃあ何だ」
(サティロンのデータと照合したところ、繁殖期反応と酷似していました)
アランの眉が跳ねた。
「……待て。それは」
(現時点で最も可能性が高いのは、繁殖に伴う変化です)
アランは一拍だけ黙り、それから静かに言った。
「つまり、妊娠か」
(可能性が高いです)
「……そうか」
返しながら、もう顔は住処の方を向いていた。
「産前産後の負荷は」
(まだ断定できる段階ではありません。ドラゴンの情報はないためです)
「そうか…」
(ただ、サティロンの情報なら人間ほど負荷ではありません。それでも、備えは始めた方がいいです)
「分かった」
少し間を置いてから、自分に言い聞かせるように続ける。
「見回りも減らす。調子をみながら休ませよう」
(はい)
「まず本人だな」
グローリアは呼ばれても、最初は何を言われているのか分からなかった。住処の奥で顔を上げ、イーリスの声とアランを見比べる。
(悪いことではないのですか?)
(違います)
イーリスの声はいつも通り落ち着いていた。
(異常ではありません。危険反応でもない。備えが必要になった、ということです)
子が出来ることは知っている。けれど、それが自分のことだと言われても、まだどこか実感が追いつかなかった。
「……分かってると思うが、一応言う」
アランが口を挟む。
「しばらく無理はさせん」
グローリアは瞬きをした。
(飛べます)
「飛べる飛べないの話じゃないんだ」
アランの返事は速かった。
「族長として、今はグローリアの体調を優先する。それだけだ」
強い言い方だったが、叱りつける響きではなかった。先に責任を引き取る時の声だと、グローリアにも分かった。
その時、不意に母の言葉を思い出した。子が生まれた時、族長が名を与えて祝福するのだと。そうして初めて、その子は一族に迎え入れられるのだと。幼い頃に聞いた話だった。
ずっと先のことだと思っていたけれど、今その遠い話が急に住処の中へ降りてきたのだ。グローリアはゆっくりと寝床を見た。縁の高さも、水場との距離も、今までと何も変わっていない。なのに、前とは少し違うものに見えた。
◇◇◇◇◇
翌日から、住処が少しずつ変わった。イーリスの指示でボットが二機、常駐するようになった。一機は寝床の縁を確かめ、敷草を厚くし、角の危険を見回る。もう一機は水と食事と清掃を黙々と受け持つ。水鉢はいつのまにか、身体に近い位置に移されていた。
セリーナとシャロンも住処に来る回数が増えた。セリーナは短い。必要なものを確かめ、邪魔なものをどけ、あとは黙って動く。
シャロンはよく話しかけてくる。特に用がなくても傍にいて、他愛のない話をする。
ある日、グローリアはセリーナに向かってそう言った。
(飛べます。短い見回りくらい、今でも出来ます)
「出来るのと、するのは別よ」
「今は少し違う時期なんですよ」
シャロンが柔らかく続ける。少し遅れて、アランの通信が頭の中に届いた。
(グローリアも我々も経験のないことだ。無理はさせられない)
そういうものか、と思った。納得したわけではないが、不思議と嫌な気持ちにはならなかった。
住処の中には、いつも誰かの手があった。シャロンがいて、セリーナがいて、イーリスの声が届いて、ボットが黙って動く。
普段はひとりでいるものだと思っていた。けれども自分はそうではなかった。そのことに、少しずつ慣れ始めていた。
◇◇◇◇◇
ある日夜が明け切らない頃に、目が覚めた。眠かったわけではない。ただ、身体の置き場が決まらなかった。伏せても落ち着かない。立っても同じだった。住処の中をひとまわりしてみたが、戻ってきても変わらなかった。何が起きているのか、自分でも分からない。
(イーリス)
すぐに返ってきた。
(はい。ナノム記録を確認します)
わずかな間があった。
(グローリア、今起きているのは出産に伴う正常な変化です。危険域ではありません。始まっています)
始まっている。その言葉で、ようやく分かった。
シャロンとセリーナが入ってきた。ほとんど間をおかなかった。ボットも動き始めていた。寝床を整え、水場を近づけ、余計なものをどける。シャロンが傍に来て、声を切らさなかった。
「大丈夫です」
「出来ています」
「今はそれでいいです」
何も分からないまま、ではなくなった。それだけで、だいぶ違った。セリーナは寝床の脇で動き続けた。水を寄せ、危ない物をどけ、短く言う。
「そのままでいい」
「今ので合ってる」
イーリスは通信越しに判断を出し続けた。ボットは黙々と動き続けた。大きな波が来た。いくつもあった。初めてのことばかりで、その都度驚いた。
そして、一頭目が生まれた。
小さな鳴き声が、住処の中に響いた。周囲の空気が、一度だけゆるんだ。終わった、と思った。
(……まだです)
イーリスの声だった。
(もう一頭います。双子です)
本気で驚いた。一頭目が生まれた安堵が、そのまま次の波に飲まれた。まだあるのか、と思った。それだけだった。
(正常です。もう少しです)
シャロンは声を切らさなかった。
「出来てます」
「今もちゃんと出来てます」
セリーナは場を崩さなかった。ボットは淡々と動き続けた。いつのまにか、ここにいる全員が自分のことを知っていた。何が起きているか、何が必要か、次に何をするか。自分より先に分かっていた。それがこんなに頼もしいとは、思っていなかった。
そして二頭目も、生まれた。
住処の中が静かになった。寝床の上に、小さな身体が二つあった。グローリアはしばらく動けなかった。ただ見ていたかったが、体が勝手に反応した。二頭の鼓動を、鼻先で感じていた。全部がようやく、本物になった。
◇◇◇◇◇
(もう大丈夫です)
イーリスがそう告げた頃、アランが入ってきた。入り口で一瞬止まった。二頭いる。どちらを先に見ればいいのか、少しだけ迷っているのが分かった。
「アラン、こっちです」
シャロンが口を出した。
「……二頭とも無事よ。どっちからでもいいわ」
セリーナが柔らかく続けた。
「分かってる」
アランが返したが、少しだけ早口だった。住処の中の空気が、少しだけ緩んだ。
グローリアは二頭を見た。それからアランを見た。
(族長。名前を与えてください)
アランは一瞬止まった。二頭いることに、今気づいたような顔をした。
「……二つ、いるな」
(はい)
「分かった」
アランは少しの間、二頭を見ていた。それからゆっくりと、一頭ずつに声を向けた。
「こっちは、ルーシェ」
シャロンが息を呑んだ。イーリスが通信の向こうで記録しているのが分かった。
「そっちは、ヴァン」
セリーナが静かに受けた。アランはそれ以上、長く喋らなかった。名前を与えてから、短くだけ言った。
「よく生まれて来た。族長として歓迎する。元気に育て」
それだけだった。でも、それで十分だった。
グローリアはルーシェとヴァンを鼻先で寄せた。周囲には、シャロンがいた。セリーナがいた。イーリスの声が届いていた。アランがいた。ボットが静かに動いていた。
ドラゴンの流儀で族長が祝福を与えてくれた。そのことが、今は無性に嬉しかった。
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