ルーデウス・グレイラットが死去してより数年後の事。
平穏に暮らしていた妹夫婦にも、確実に『その時』は近づいていた――
皆さまはじめまして。@てんちょっぷと申します。
これは2022年冬コミでの無職転生合同誌に寄稿した二次作品です。
せっかく書いたので、ファンの方々にも読んで頂きたく投稿しました。
ノルンとルイジェルド夫妻の物語です。
※少々、残酷な描写というか内容です。よろしくご容赦下さい。
気に入って頂けると幸いです。
「私は夢を見る。幼い頃の夢だ
転がる赤い赤い林檎。それは私の中の恋心
それをあの人に捧げる為に、私は冒険者になる
そうして旅をして、最果ての地にてあの人と再会を果たし
もう一度、この赤い林檎を捧げるのだ――」
---
かくんっ
「む……」
軽い衝撃に、俺は閉じていた目を開ける。
どうやら椅子に座ったまま、微睡んでしまったようだ。
目だけで周囲を軽く見回す。
窓からは暖かい陽射し。
影の角度から察するに、さほどの時間は経過してはいないようだった。
手には開いたままの、少し古びた帳面。
「ふぅ……」
力を抜き、息を吐く。それから顔を上げる。
視線の先には少し低めの古びた寝台。
その上には、老いた女性が横たわり、静かに眠っていた。
彼女の名前はノルン。
長年連れ添った、この俺ルイジェルド・スペルディアの妻だ。
愛らしく輝いていたその貌は、年齢相応に皺が刻まれている。
だが俺にとってはそんな事はどうでもいい。
彼女が傍にいてくれる。それだけで、十分過ぎるほどに満ち足りているのだ、俺は。
ノルンとの出会いは、もうどれくらい前になるのだろうか。
彼女が幼い頃にミリスで偶然出会い、二度目は護衛としての再会。
そして三度目に巡り合った時、俺は瀕死の床についていた。
泣きそうな顔をしつつも絶えず俺に寄り添い、献身的に看護するノルン。
そんな彼女に、いつしか俺は懸想をするようになっていた。
もちろん、その時のノルンは少女ではなく、既に一人の女に成長していた。
少し、亡き妻に似ているとも思った。いや、それはいい。
その後、激しい戦闘があった。絶命の覚悟もするほどの戦い。
それに勝利したあとは、ビヘイリル王国と部族との間を取り持つ役目で多忙になった。
それでも俺は、彼女を、ノルンを忘れる事はなかった。
いつでも俺の中に、彼女が輝いていた。
そうして、いつしか俺達二人は結ばれていた。
すべては偶然だったのか、運命というやつだったのか、それはわからない。
だが俺はノルンを愛し、また彼女も俺を愛してくれた。
だから守りたいと思った。ずっと傍に居続けようと思った。
「ん……」
寝床のノルンが少し声を漏らした。
俺は傍らの盥で手拭を絞り、そっと彼女の顔を拭いてやる。
そうしてまたノルンは穏やかに寝息を立てて眠る。
彼女が昏睡状態になって、もう三月にもなるだろうか。
今思えば、予兆はあった。確かにあったのだ。
ある日を境に、ノルンは物忘れをするようになった。
始めはなんでもない事だった。
隣家への届け物を忘れたり、洗い物を干し忘れたり、卵を貰いに行くのを忘れたり……。
だがそれはそのうち、徐々に酷くなっていった。
今、自分がどこにいるのかわからなくなったり、かつて自分で書いた物語をすっかり思い出せなくなったり――。
そうして時折、ルーデウスの行方を尋ねるのだ。
「兄さんはどこ?」「兄さんに聞いて欲しい事があるの」
その時だけ、ノルンはまるで十歳の少女のようになるのだ。
そういえば、ノルンがこうなったのは、ルーデウスが死去して少し経った頃からだったのかもしれない。
憎まれ口を叩きながらも、きっと深い部分で繋がっていた兄妹だったのだろう。
そしてある日、ふらりとノルンは家を出ようとした。
或いはルーデウスを探しに行こうとしたのかもしれない。
しかし家を出て少しも行かない所で躓き、倒れてしまった。
その時頭を打ったのか、それとも気を失って倒れたのか。
以来、ノルンはずっと眠ったままだった。
汁物などは口に含ませると飲み下すので、最低限の食事は取れているのが救いだった。
だがそれだけだ。ノルンは、目を覚ます事なく眠り続けている。
俺は毎日、そんな彼女の世話をして過ごしている。
ある日、俺はふと、ノルンの書いた書物を読み聞かせてやろうと思いついた。
毎日毎日、拙いながらも俺は彼女の綴った物語を読み、彼女に語り掛けた。
無論、ノルンが聴いてくれているかはわからない。だが俺はそれを続けた。
この三月、俺はずっとノルンの本を読み、語り掛け続けた。
そうしているうちに、俺自身も物語に引き込まれていた。
本というものは、ノルンの目を、心を通して物語が描かれている事に気が付いたからだ。
俺は声に出して物語を読むと同時に、ノルンの心と共に、彼女の描いた世界を歩み続けた。
ノルンの世界は美しく、心躍るような輝きに彩られていた。
そこには幼き日のルーデウスがおり、エリスがいて、俺もいた。トカゲもいた。
世界中を旅歩き、魔物を倒し、様々な種族と出会い、別れ、そしてまた旅路に着く――。
きっとこれは、ノルンが憧れ夢みた冒険なのだろう。読んでいて、とても楽しい気分に浸れた。
俺は本というものの素晴らしさを、初めて知ったと思った。
瞬く間に時が経ち、彼女が出版した本は昨日で全て読み終えてしまった。
また最初から読み直そうかと書棚を漁っていると、一冊の古びた帳面が出てきた。
手書きの文章がこれまでのものに比べ拙く、どうやらごく若い頃に書いた草案のようだった。
それを持ち出して、冒頭の文章を読んだところで疲れからか寝落ちしてしまったのだろう。
俺は椅子に座り直し、ノルンの様子を見て、それから帳面に目を落とした。
それはやはり、作家になる前に書いていた物語の下書きのようだった。
要領を得ない文章と、乱雑に斜線を引き「上手く書けない!」という走り書き。
完成された後年の文章とは違い、決して上手い文章ではない。
だが、若かったノルンの心の瑞々しさともいうべきものが感じられる物語だった。
これはどうやら、ノルン自身が冒険者となり世界を旅する架空の話のようだ。
一人の少女が吟遊詩人となる。目的は人探し。
世界は輝きと苦難に満ちており、出会う人は優しく温かく、時折厳しい。
少女は歌を吟じ、剣を振るい、一人で果てしない冒険を続ける。
そうして少女は世界の最果てにて、ある男と再会を果たす――。
……これは、もしかして。
俺ははたと気づいてしまう。
この物語は、ノルンから俺へ宛てた恋文だったのだろうか。
読んでいるうちに、俺の中で明確に映像が浮かんでくるようだった。
そこにいる少女はノルンの顔をしていて、含羞むように微笑んでいた。
「む……」
文章は途中で途切れていた。
グシャグシャと文章を塗りたくるように、線が乱雑に引かれている。
その端に「どうか、ルイジェルドさんともう一度逢えますように……」と記されていた。
文字がじわりと歪んでいく。
あぁ、ノルン。お前は、そんなにも俺を……。
愛おしさに胸が締め付けられ、唇を噛みしめたその時――
「……泣いて、いるのですか」
か細い声が聞こえた。
一瞬の硬直の後、俺は顔を上げた。
眠たげな目をするノルンがこちらを向いていた。
「の、ノルン!お、お前……」
立ち上がり、帳面を落としてしまう。
ノルンの視線がそれを追い、ゆっくりと目が見開かれた。
「やだ……それ、見ちゃったんですか」
慌てたように身体を起こそうとするも、うまく動かないようだった。
「あれ、あれ、おかしいな……」
「落ち着け、慌てるな」
「おかしいな、私、どうしちゃったのかな」
俺はノルンの額に手を当てて、落ち着くように言った。
彼女は少し安心したように目を閉じて息を吐いた。
「……俺のことはわかるか?」
「はい……わかります。ルイジェルドさん……ですよね?」
「そうだ。俺だ」
「あの、私どうしちゃったのかな」
「どうもせん。少し、長く眠っていただけだ」
「でも、体が動かないんです」
「うむ、そうだな……うむ……」
「ちょっと、恐い、です」
「大丈夫だ、俺がずっと傍にいる」
こんな問答でも、嬉しくてたまらない自分がいた。
鼻の奥がつんと痛くなり、また目が潤んでしまう。
ノルンはそんな俺を不思議そうに見上げ、それからゆっくりと微笑んだ。
「あなたが、そんなに泣き虫だとは、知りませんでした」
「はは、そうか……俺は、泣き虫だったのか……」
「ふふ……」
まったく、これではルーデウスの事は笑えんな。
---
それからは、ノルンの手を握ってやりつつ、これまでの経緯を説明した。
彼女は自分の身に起きた事に驚いたが、納得してくれた。
三月の間のことも話すと、彼女は申し訳ないと何度も謝った。
そしてノルンは眠っていた間に観たという夢を話してくれた。
「気が付いたら、白い世界にいたんです」
「ほう」
「真っ白で、何も無いんです。で、人影が見えたんです」
「ふむ」
「誰かと思ったら、亡くなった父だったの」
「なんと」
「お父さん、と呼び掛けて駆け寄ろうとしたのね」
「うむ」
「そしたら怖い顔で、こっちに来るな、帰れって」
「そうか、奴らしいな」
「それでどうしようか悩んでたら、今度は兄さんが現れて」
「なに、ルーデウスが」
「ウニャッ!って寄ってきたから、シッ!って追い返したの」
「追い返したのか」
「なんだか、ニチャッとした顔だったものだから」
「そ、そうか。はは、奴らしい……な?」
「そうなの、うふふ」
小さく笑いながら、ノルンは少し咳き込んだ。
「大丈夫か、ノルン。喉が渇いたか?」
「えぇと……」
俺が尋ねると、ノルンはふと窓の外に視線を向けた。
外には葉の茂った立ち木が見える。
「……まだ、実が赤くなりませんね」
それは林檎の木だった。
結婚し、ここに住む時にノルンが自ら植えた種から育った木だった。
木に実はなっているが、まだ青く食用に適するにはもう少し時間が必要だろう。
ノルンはしばらく窓の外をぼんやりと見つめ続け、ひっそりと言った。
「ルイジェルドさん、私、林檎が食べたいです」
「む、林檎か」
あの実はまだ青い。しかし村の誰かが輸入品を購入しているかもしれん。
「少し、待っていろ」
「はい、待っています」
握っていた彼女の手を放し、俺は外に出た。
---
結論から言えば、林檎は手に入らなかった。
村の誰も購入してはおらず、村の他の林檎の木もまだ青い。
仕方なく俺はビヘイリルの街に足を延ばした。
ほうぼう尋ね歩いたが、やはりまだ出回っていないようだった。
ノルンに申し訳が無いが、時期というものがある。
代わりに別の果実を購ってきたので、これで勘弁してもらおう。
「戻ったぞ」
入口でそう声を上げ、足早に彼女の部屋の扉を開ける。
急いだつもりだったが、室内は大分薄暗くなっていた。
「すまないノルン。まだ林檎は無かった。代わりにシナの実で我慢してくれ」
俺はそう言いながら部屋に足を踏み入れ――立ち止まった。
なにかがおかしい。
それは、生物としての直感だったのだろうか。
寝床に横たわるノルンを遠目で見て、言い知れぬ違和感を覚えたのだ。
「…………」
俺は無言で歩み寄る。
ノルンは先ほどと同じように眠っているように見えた。
ひとつだけ違う所があった。
ノルンは胸にあの帳面を抱えていたのだ。
そして彼女は、呼吸をしていなかった。
「…………」
荷袋を机に置き、俺はそっと近寄り跪いた。
暫くノルンの顔を眺める。
愛らしいその頬をそっと撫でた。
まだ温かく、柔らかい。
しかし、息はしていなかった。
「…………ノルン」
そう声をかけた。
応えはなかった。ただ、耳に痛いほどの静寂があるだけだった。
俺はまだ温もりのあるノルンの手を握りしめた。
そして彼女の額や頬を飽きる事なく撫で続けた。
「……ずるいじゃないか。俺が傍から離れた隙に逝くなんて」
無いことに、声が湿り気を帯びていた。
だが、今度は涙が流れることはなかった。
---
ルイシェリア・スペルディア。
スペルドとグレイラットの血を受け継いだハイブリッド槍使いである。
今の彼女は、龍神オルステッド直属の配下である。
伯父ルーデウスを慕い、彼同様に様々な任務に就いてきた。
そのルイシェリアが母の訃報を聞いたのは、遠い異国の地でのことだった。
知らせをもたらしたのは、驚いたことに北神三世アレクサンダーである。
「そういう事だから、君は早く、お母様の元へ」
しかし、とルイシェリアは躊躇した。自分は任務中であると。
現在彼女が任されているのは、紛争地帯のとある小国の要人警護である。
その要人とは、近隣国との国境の砦に派遣されている下級士官だ。
オルステッドからは、その男が後の対ラプラス包囲戦において重要な役割を果たすのだと聞かされた。
しかし、砦は数か月前から敵国の軍勢に包囲されていた。これはオルステッドの知る歴史には無い事だった。
ヒトガミの差し金の可能性。その為に、配下でも指折りの強さを持つルイシェリアが送り込まれたのだ。
重要な仕事を任されたという自負があった。それだけに、この場を離れたく無いという気持ちが強い。
父ルイジェルドからも、戦士になったからには親の死に目に会えると思うなと釘を刺されていた。
「というか、どこから入り込んだんです?」
砦内部は物々しい厳戒態勢であり、その外は敵の軍勢がひしめいている。蟻の子だとて入る隙間は無い。
ちなみにルイシェリアは身変わりの指輪で姿を一兵士に変え、陰ながら対象を護衛していた。
「ん?どこからって、正門からだよ。当然じゃないか」
あっけらかんと答えるアレクサンダーに、ルイシェリアは開いた口が塞がらなかった。
というか、それ以前に、この男は本当にアレクサンダーなのだろうか。
黒いマント、黒い装束、筋肉質の身体。背には大剣。ここまではいい。
よくある中二病かもしれないが、まぁいい。いいことにしておこうよ。
黒衣の男、その頭には兜がつけられていた。
ゴツゴツした造形の、黒い兜だ。
その兜の額には、黄色い雷のようなマークが刻まれていた。
あぁ、やっぱり北神様だ。ルイシェリアは一瞬にして落ち着いた。
音がしたなら「すんっ……」って感じだろう。
それにしても、である。
この砦内部の雰囲気は現在ピリピリしている。戦時中だから当然だ。
こんな時に、こんな怪しい人物が、こんな堂々と入ってきたらどうなるか。
考えなくてもわかる。不審者として囲まれてしまうだろう。タコ殴りだ。
北神三世アレクサンダー・カールマン・ライバック。
彼は、戦闘力はともかく、致命的に空気が読めない人物であった。
こういう人だから、オルステッドは彼に重要な任務を任せないのだろうとルイシェリアは思った。
いい歳なんだから、少しくらいは忍んで来るなりして欲しかった、とも。
忍ぶ、で思い出したことがある。
従兄弟のジークからは、北神流には音も無く忍び込む侵入術があると聞いていた。
「もちろん出来るよ!でも、正義の味方はコソコソしないものさ!」
ルイシェリアは頭を抱えたくなった。最早任務どころではなくなってしまう。
そして懸念通り、周囲が騒然となってきた。衛兵が集まってきたのだろう。
「どうするんですか!このままでは任務が……!」
「うん。だから君は、早く抜け出して故郷に戻るんだ」
「だから、私には任務があるって」
「うん?だから――」
途中で言葉を止めながら、アレクは左手を挙げた。
その手はそのまま肩口から覗く大剣の柄を握りしめる。
「だから――僕が来たんだよ」
言いながら、アレクは背負っていた大剣を左手一本で抜き払つ。
そのまま軽く一振り。少なくとも、彼にとっては何気ない一振りだった。
その剣風で、彼を取り囲もうとしていた衛兵たちは吹き飛んでしまった。
ルイシェリアは目を見張る。そのあまりの威力に。
そして、目の前の剣士の持つ大剣の圧倒的な存在感に。
北神三世アレクサンダー・カールマン・ライバック愛用の得物。
それはとある炭鉱族の鍛えし無銘の大剣。
それは、剣と呼ぶには、無暗に大きすぎた。
無駄に大きく、やたらとぶ厚く、馬鹿みたいに重く、そして、いくらなんでも大雑把すぎた。
それは、まさに、誰がどうみても清々しいほどに鉄塊だった――
「この砦を囲む敵国の兵士を全部斬ってしまえばいい。ほら、なんの問題もない」
いやいやいや、大ありですよ。ルイシェリアはズッコケそうになる。
「目立ち過ぎですよ。そんな事したらオル――社長に迷惑が……」
なけなしの平常心から、どうにか実名を口走る事を回避した。
「問題ない。何故なら――」
そう、何故なら――
「今の僕は、暗闇に落ちる一筋の光、人呼んで……イナズマ!」
大剣を天に掲げ、北神アレクサンダー改めイナズマはそう高らかに宣言した。
彼の背後に落雷のエフェクトが見えた気がしたが、気のせいだろう。
「なんですって?」
「暗闇に落ちる一筋の光、人呼んで……イナズマ!」
二度名乗った。
「いや、そうじゃなくって」
「イナズマン!」
新番組になった。
「そして我らは悪の秘密結社シャドー軍団!」
強い口調で断言された。
「我らって、私は違いますよ!?」
「ウィー・アー・シャドー軍団!!」
どうやら、問答無用のようだった。
げんなりするルイシェリアをよそに、大剣を肩に担いで踵を返すイナズマン。
「さぁ、あとのことは僕に任せて、君は脱出するんだ」
君を早く帰すようにとの、オル……社長の思し召しだからね――イナズマンはそう言った。
「え、社長が……?」
オルステッドが自分を思っての指示。あんな恐い顔のあの人が……。
そう考えると、ルイシェリアの心はぽかぽかした。
もう任務を放棄することに躊躇も未練もない。どうせ滅茶苦茶になるし。
ルイシェリアはイナズマンに無言で頭を下げる。
即座に回れ右をし、砦内部の秘密の脱出口から外に向かう。
向かうは一路、遠い故郷。スペルド族の村へ。
待ってて、父様、母様――。
走り去るルイシェリアを見送り、イナズマンはこれでよし、と頷く。
「あとは僕がこの状況をひっくり返せばいい。楽な仕事さ!」
身の丈近くもある大剣を振るい、イナズマンは気合いを入れた。
「よ~しっ!僕も頑張って、社長に褒められるぞ!!」
ウオオオオ!という雄叫びと共に、イナズマンは軍勢の中に飛び込んでいった。
なお、帰社後にオルステッドから正座させられたのは言うまでもない事である。
---
砦から脱出して数日。やっと故郷の村に戻って来れた。
見知った住人達から次々に声をかけられたが、私はまっすぐに実家に向かう。
「父様っ!?」
扉を開け、家の中に入る。しかし人の気配がしない。
母の部屋も覗いてみたが、そこももぬけの殻だ。
額の目(伯父さん曰くスペルド・レーダー)で周囲を探ってみる。
いた!母の部屋の前……裏庭に反応があった!
窓から外を覗いてみる。
「……あっ」
林檎の木の前で、父がうずくまっていた。
だが様子がおかしい。ぐったりしているようにも見える。
「父様っ」
裏庭に回り、父の背中に声をかける。
やや間が空き、少ししてから父が緩慢な動きで顔をあげた。
「……お前か。戻ってきたのか」
父の顔は憔悴しきっていた。妙に身体も埃っぽいように思える。
「は、はい。あの、母様は……」
私がそう言うと、父はゆっくりと視線を林檎の木に移し、下を向いた。
「母様は、ここだ」
そう呟いて、木の根元の盛り土を撫でた。
「…………」
あぁ――、と。
よくわからないが、何かがすとんと胸に落ちた。
母様は、もういないのだと。
ここに来るまでに覚悟していたものが、腑に落ちたのだ。
「……どうして?」
非難の意味ではない。
私だって、もういい歳の大人だ。身内が居なくなるのは何度も経験している。
最近ではルーデウス伯父さん。その前はエリス伯母さん。
ゼニスお祖母ちゃんやリーリャお祖母ちゃんだって見送っている。
だから、知らされなかったのを憤る気持ちは微塵もない。
悲しくない訳じゃない。寂しくない筈もない。
ただ、私が独立してから、母がどう過ごし、どう亡くなったのか、それが知りたかった。
父は盛り土をゆっくりと撫でながら、ポツポツと教えてくれた。
伯父さんが亡くなってから気落ちしていたこと。
少しずつ、母が壊れていったこと。
それでも、常に私の無事を気にかけていてくれたこと。
倒れてから伯父さんみたいに眠り続けていたこと。
それを父はずっと看病していたこと。
そして、最後に交わした言葉。
「…………そう、ですか」
すべてを聞いて、私は胸に溜まった息を吐いた。
母の最期は決して不幸なものでは無い。
少し寂しいが、人族の寿命なんだと思うしかなかった。
「……俺が皆に頼んだのだ」
お前は戦士として歩み出した。
だからノルンの様子を知らせなかった。
私はその言葉に頷くしかなかった。
重荷にしたくなかったのだろうと思った。
それに、母のそんな姿を、誇り高い父が見せたくなかったのだろう、とも。
私は母の眠っているであろう盛り土に手を置き、精一杯の感謝と別れを心に念じた。
それから振り向き、父の肩に手を置こうとして、驚愕する。
「と、父様っ」
父の身体が異常に冷たかったからだ。
それに砂埃でざらついてもいた。
「もしかして、ずっとここに!?」
そう問いかけると、父は上を向いた。
「……林檎がな……赤く、ならないんだ」
眩しそうにまだ青い林檎の実を見上げていた。
母が最期にせがんだ、赤い林檎の実。
父はそれが心残りなのだろう。
どうして最後に食べさせてやれなかったのか。
それだけが、父の中で後悔の残響を繰り返しているのではないか。
「とにかく、中に入りましょう。このままじゃ――」
身体を壊してしまう――だが父の身体は根が張ったように動かなかった。
「いいんだ。俺はここで、いい」
そう呟いて寂しく笑い、また盛り土を撫で続けた。
「…………」
もう、私には出来ることが無い。
そう思うしかなかった――。
---
それから数日。
父を見守りつつ、ルイシェリアは実家で過ごした。
寝起きは母ノルンの部屋でした。窓から父の様子を伺えるからだ。
途中、オルステッドから手紙が届いた。
色々あるだろうから、彼女の気が済むまで休暇とする旨が書かれていた。
ルイジェルドはノルンの埋葬された場所から動かない。
風が吹いても、雨が降っても、彼は微動だにしなかった。
盛り土を撫で続け、時おり上を向いては、肩を落とした。
ルイシェリアはそれを見守るしかなかった。
何か食べるようにと食事を持って行ったが、口にすることは無かった。
彼の命を繋いでいるのは、わずかに口に入る雨の雫のみだった。
ルイシェリアはそれを見続けるしかなかった。
どれほど槍を扱うのが上手くなっても、自分には何もできない。
何が戦士だ。何が任務だ。助けたい人も助けられない半人前じゃないか。
ルイシェリアは無力感に胸を痛めるしかなかった。
ふと母の過ごした室内を見回す。
執筆に使っていた机の壁には、親類の絵がいくつも飾られている。
その中に、敬愛する伯父ルーデウスの肖像画があった。
ルイシェリアはその絵に向かって祈る。
どうか、助けてください、と。
父様を助けてください。
母様を助けてください。
どうか、どうか――。
肖像画の中で微笑むルーデウスは、しかし何も応えてはくれなかった。
---
そしてその日が来た。
ルイシェリアは目を覚まし、窓の外を見る。
「――父様っ」
ルイジェルドが座り込んだまま、ぐったりと前のめりになっていたのだ。
即座に外に飛び出し仰向けにする。
ルイジェルドの身体は衰弱してはいるが、呼吸はしていた。
ルイシェリアは父の身体を抱えて運び、母の寝台に寝かせた。
ボロボロの父の身体はすっかり冷え切っていた。
ルイシェリアは自分の覚えている限りの治癒魔術を父に施す。
それに意味があるかはわからない。しかしそれしか考えが浮かばなかった。
「痛いの、痛いの、飛んでけ……痛いの、痛いの、飛んでけ……」
掌から魔力を放射しつつ、ルイシェリアは呟き続けた。
それは幼き日、転んでケガをした自分に伯父がしてくれたおまじない。
本当は痛かったけど、それをしてくれると、少しだけ我慢が出来た。
(……母様に習った治癒魔術。伯父さんが教えてくれたおまじない)
大好きな二人から教わった大切なもの。
思い出に縋りつくように、ルイシェリアは願いを籠めて魔力振り絞った。
どれほどの時間そうしていただろうか。
精神的な疲労と魔力欠乏から、ルイシェリアは崩れる様に父に突っ伏してしまう。
横たわるルイジェルドは、昏々と眠り続けるだけだった。
---
気が付けば、俺は白い世界にいた。
何も無い。辺り一面、雪が積もったかのように真っ白だった。
そして、ふと見れば、目の前にノルンが立っていた。
「の、ノルンッ!?」
そこにいたノルンは小さかった。
まるで遠い昔に出会った頃のように、幼い少女の姿だった。
俺は頭が真っ白になりつつ、ゆっくりと跪いた。
目線が同じになる。
幼いノルンは気恥ずかしそうにしていた。
俺は震える両手を伸ばし、その柔らかい頬にそっと触れた。
……あぁ、温かい。ノルンだ。あのノルンなのだ。
ノルンも俺の両手に自らの手を重ねている。
「……えへへ」
照れたようにノルンは含羞んだ。
俺は堪えきれず、その小さな身体を抱きしめた。
柔らかく、温かい。ノルンも小さな腕で俺を抱き返してくれた。
あぁ、神とやらがいるならお願いだ。夢でもいい。もう少しだけ、覚めないでくれ。
「……ごめんなさい」
暫くして、ノルンは耳元でそう言った。
身を離して俺は彼女を見る。
ノルンは少し顔が赤いが、真摯な瞳をしていた。
「何故、謝る?」
予想はついていたが、俺はあえてそう口にした。
「あの、私、死んじゃった?みたいなんで……」
上目遣いになりつつ、ノルンは申し訳なさそうに答えた。
そうだ、と俺は思った。時々、ノルンはこんな顔をしていたなと。
掃除をして食器を割った時に。鍋を焦がした時に。卵を貰い忘れた時に……。
この顔をする度に、俺は苦笑をしながら何でもない事だと慰めた。
「……そうだな。俺が手を離した隙にな」
俺がそう言うと、ノルンは「はわわ……」と慌てた。愛くるしい。
「ご、ごめんなさい。ちょっと、あの、その……」
もじもじとしつつ、上目遣いになり「ちょっと、見られたくないものが」と呟いた。
見られたくないもの……もしかして、あの帳面か?
「そうです!あれは見ないでって、言ったじゃないですか!」
ぷんすか怒りだした。ころころと変わる表情が小動物のようだった。
「すまん。読むものが尽きたものでな」
「ひどいです!ルール違反です!えっと、プライバシーの侵害?です!」
「ははは、すまない」
他愛もないやりとり。ただそれだけなのに、それがとても尊く感じる。
……む、もしかして、それでか?胸に帳面を抱えていたのは。
「あの、拾おうとして頑張ったら、疲れちゃって……」
無理がたたってしまった、という事か。
……俺が帳面を拾っておけば。そもそも読まなければ。自責の念がもたげる。
すると俺の顔色を読んだのか、ノルンがまたあわあわとなる。
「あの、ルイジェルドさんのせいじゃないですから!私が勝手にこうなったんで……」
「だが、俺がもう少し気を使えていれば」
「ですから、ルイジェルドさんはいいんです!なんでもいいんです!」
「しかし……」
「そのままでいいんです!そのままのあなたが大好きなんです!……はわぁっ!?」
なんだろう、この可愛い生き物は。
俺は自然とノルンの頭を撫でてしまう。
「……えへへ」
ノルンは照れながらも嬉しそうだった。
暫く俺はそのまま撫で続けていた。
「……林檎、すまなかったな」
俺がぽつりと言うと、ノルンは不思議そうな顔をした。
「林檎……あっ」
「探したんだが、どうしても手に入らなかったんだ」
「あ~、はい、あの、はい……」
「すまなかった」
「あの、なんで謝るんですか?」
少し眉根を寄せ、ノルンはそう言った。
「探してくれたんですよね?季節的に無理だったんですよね?」
「あ、あぁ。ビヘイリルまで足を延ばしたんだが……」
「なら、仕方がないですよ」
「しかし」
「そもそも私が我が儘を言ったんですから」
言いながら、ノルンは俺の頬を両手でそっと包み込んだ。
「私は何も不満は無いですよ」
にっこりと微笑んだ。
「――な・の・で」
言葉を区切りつつ、今度はムッとした顔になる。
「自分を責めるのはやめてください。身体を壊しちゃいますから」
俺が墓の前でずっと座り込んでいたのを言っているのだろう。
わかった、もうしない。俺はそう答えた。
ノルンはそれを聞いて、またにっこりと微笑む。
その微笑みが、少し透けて見える気がした。
いや、実際に透けてきたではないか。
「の、ノルン、お前……」
俺の狼狽を悟ったのだろう。ノルンは少し寂し気に頷いた。
「はい。多分、お別れです」
段々と意識が薄れてきました――身体から燐光を零しながらそう言った。
待ってくれ。俺はそう叫びたかった。
だがそれだけは出来ない。
そんな事をしては、ノルンが安心して逝けないではないか。
俺は無理に笑顔を作り、ノルンに頷いた。だが手の震えは隠せなかった。
わななく俺の指に、ノルンは自分の指を絡ませてきた。
「ルイシェリアを、よろしくお願いします」
「……あぁ。心配するな」
「ちゃんとご飯を食べてくださいね?生卵ばっかりじゃなくて」
「……善処する」
「……私のこと、忘れないで」
「忘れるものか。死ぬまで、お前の面影を抱いて生きていこう」
「うふふ……嬉しいなぁ」
ノルンの手がぎゅっと、俺の手を握りしめてきた。
俺はそれに応える。
嬉しいなぁ、嬉しいなぁ。ノルンは何度もそう言いながら涙を零した。
俺はその涙を口で吸い取った。
「……えへへ。ルイジェルドさん、大好き」
泣きながら、ノルンは微笑む。
そして、俺の額に口づけをした。
ミリス様の、永遠の愛を誓うキスですよ――ノルンはそう囁いた。
「ありがとう、出会ってくれて」
「ありがとう、幸せをくれて」
「ありがとう、愛してくれて」
「私、ノルン・グレイラット・スペルディアは、永遠にあなただけを愛しています――」
その言葉を遺して、ノルンはゆっくりと光の粒になり――そして虚空に消えていった。
俺はノルンのいたその場所を呆然と眺め続けた。
それから、誰に聞かせるともなく呟く。
「……俺も、お前だけを愛している……永遠に」
その誓いの言葉は、白い空間に溶けて消えた。
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誰かの呼ぶ声に、ルイシェリアは目を覚ました。
寝ぼけまなこで見やれば、そこは父の胸板だった。
呼び声はルイジェルドの声だったのだ。
即座に飛び起き、それから父の様子を伺う。
「もう、大丈夫だ。心配をかけた」
そういう父の顔は憑き物が取れたかのように穏やかだった。
湯を沸かし、ルイシェリアは父の身体や髪を拭ってやる。
それから食事を作り、久しぶりの団欒を味わった。
洗い物を終え、一息入れようとした時、ふと父の姿が無い事に気が付く。
気配を探ると、どうやらまた母の墓の前に居る様子だった。
心配が頭もたげてきたので、ルイシェリアもそこへ向かう。
「父様?」
戸口から外を覗く。
ルイジェルドは果たしてそこにいた。
今度は座り込まず、立っていた。
「父様、まだ病み上がりなんだから」
そう言いつつ横に並び、父の顔を見上げ――絶句した。
ルイジェルドは泣いていた。大粒の涙を流していたのだ。
「……見ろ、ルイシェリア」
そう言われ、父の視線を辿って見上げる。
「……ぁ、うわぁ」
見上げた林檎の木には、どの枝にも充実した大きな赤い実がなっていた。
「父様、林檎が、母様の林檎が真っ赤です……」
「あぁ。赤い、赤い林檎だ」
ルイジェルドは実をひとつ手に取って捥いだ。
愛おしそうに眺め、香りを嗅ぐ。
それから跪き、盛り土の上にそっと置いた。
「……ありがとう、ノルン。俺を愛してくれて」
その日一日、ルイジェルドはいつまでも盛り土を撫でていた。
娘はもう、何も言わなかった。
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翌日、ルイシェリアはシャリーアに向けて旅立った。
休暇は終わったのだ。ならば戦士としての務めを果たさねばならない。
晴天の下、父と娘は別れの挨拶を簡潔に交わした。
「行ってきます」
「あぁ、行ってこい」
白亜の槍を手に、ルイシェリアは故郷を旅立つ。
転移魔法陣の遺跡まで、彼女の足なら遠くはない。
途中、背負い袋から赤い果実を取り出した。
それは母なる木から収穫した旬の果実。
ゴシゴシと裾で拭い、がぶりと齧りつく。
甘酸っぱさとパリッとした歯ごたえが最高に美味だった。
「行ってきます、母様――」
手に持つ赤い実を空に掲げ、娘は駆け出した。
空は青く高く、季節はもう、秋になっていた――。
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いつ頃からか、スペルド村の名産となった果実がある。
村にはいくつもその果実の木が植えられており、毎年沢山実をつけた。
それは香り高く、甘さと酸味のバランスが最高と評判だった。
「ノルンの初恋」
それが、その赤い果実に付けられた名前である――
~林檎の詩~ おわり
(店`ω´)はい、いかがでしたでしょうか。
この物語は2016年頃から温めていた作品でした。
ずっと心の中で思い描いていたのですが、世に出す契機を失ってました。
たまたまTwitterの相互様が合同誌を出すという事で、やっと形にする事が出来ました。
それを若干の加筆修正を経て投稿させて頂きました。
自分は、この無職転生という作品のどこに魅かれたかというと、それぞれの登場人物の人生、その終活というか、ともすれば永遠に若者のまま続いていきそうな創作物の登場人物たちにも明確な終わりが来るという事実に衝撃を受け、その潔さに魅かれたんだと思います。
なので、自分の描く物語は、それぞれの人物達のその後、終活をどうしても意識してしまいます。
ワンパターンかもしれませんが、もし機会があるならば、他の物語も投稿してみたいと思います。
それでは、閲覧ありがとうございました。