ビルダニア戦記   作:ぽー

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第一章 クロエとフィバル
第一話 クロエ・ファルク


 古代、人は天の豊穣(ほうじょう)を一身に受けていた。

 大地は潤い恵みはよく実った。人の暮らしは(やす)(いこ)いは多かった。

 神は自らの分け身を天使と呼び、たびたび大地に(つか)わした。

 人は天を愛し天もまた人を愛した。神は天使に知恵と道具を与えると人を豊かにせよと命じた。いと高き神は分け身を通じて人を守っていたのである。

 しかしそれをよく思わぬ者たちがいた。地に封じられた者たちである。

 彼ら地の下に蔓延(はびこ)る者たちは一計を案じ、弱く見目愛らしい獣を岩の隙間から地に放った。

 獣は地を走ると牧童を見つけて言った。

「私の父と母は岩の下です。心優しい方、助けてください」

 牧童は哀れに思い岩をどけた。

 途端、地の底から無数の悪しき者たちがいっときに飛び出して見る間に地を埋めた。

 悪しき者たちは人を殺して地を汚した。

 天使はいと高き神にこのことを伝えようと空を駆けたが、悪しき者たちが梯子(はしご)を蹴倒し地に落ちた。

 天使は日の沈む先に打ち付けられてしまった。

 いと高き神は人を哀れに思われたが、分け身が傷つくのを恐れられ新たに梯子(はしご)を降ろされようとはしなかった。

 大地は豊穣を失い人は作物を手入れしなくてはならなくなった。

 そして悪しき者たちもまた世に満ち、人は境界大陸(ビルダニア)から先に行くことはなくなった。

 

 

 ——ゲルドレス説教集より。*1

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 地下遺跡(ダンジョン)最深部には鼻をつく特有の臭気が漂っている。

 幾百年陽光に晒されることのなかった埃がかもす、発酵した紙のような甘くも()()()匂い。

 さらにこびりついたかのような深い闇は、永遠に剥離することはないかのように重々しく沈殿している。時折ゆらめく火炎虫(フラム)の明かりがなければ、1シャード*2先さえ見えなかったろう。

 

 ——その闇に溶け込むように、少女はいた。

 

 黒い鉄帽(ヘルム)に黒い布を巻き、鼻から口までを覆う(マスク)までも黒。短套(マント)脚絆(グリーブ)に至るまで全身黒ずくめである。

 強烈な意志を秘めた瞳だけが爛々と、星明かりのように輝いている。 

 少女は深く息を吐いた。異臭がした——血の匂いだ。胸元から小さな魔石を取り出し点火。石は少女の魔力にただちに反応し、淡い緑光で足元の惨状をさらけだした。

 目の前に横たわる三つの死体。

 いずれも叩きつけられ、踏み潰されている。三人一組の旅隊(パーティ)のように見えるが、不意を突かれたのかまともな戦闘の痕跡も見当たらなかった。

 少女は血まみれの認識票を拾い上げ荷物を漁った。金目のもの、そしていかにも個人が識別できそうなものを手当たり次第に背嚢に突っ込む。

「……ごめんね」

 後はスライムが片付けるに任せるしかない。それがダンジョンに潜る冒険者の掟だ。

 その時、何かを感じた。ひやりと冷たい床に這う。耳を地面に押し当てるとこちらに近づく足音がはっきりと聞こえた。

 魔石の火を消し伏せたまま移動、しばらく息を殺して待った。やがて姿を現したのは身の丈3シャードは超えるだろう魔獣だった。事前に確認した魔獣目録(モンスターリスト)に記載があったことを思い出す。牛頭の魔獣、登録名はアリシュタ。

 こいつが三人をやったのだ。

 縄張りを荒らされたことに気づいて詳細を確かめようとしているのか、息を荒げて匂いをかいでいる。魔獣は総じて嗅覚に優れている、間を置かずにこちらの存在にも気づくだろう。

 背後に音もなく忍び寄った。抜剣、そして伏せていた殺意を一気に解き放った。脇腹と胸、続いて股間に刃を刺しこんで致命傷を与える。そしてただちに距離を置いた。致命傷が即座に絶命に至るわけではないことを十分理解していたからだった。

 激しい血飛沫を飛ばして魔獣は吠える。周囲を舞う火炎虫(フラム)の光を引き伸ばすように曳光させながら、魔獣はその爪を背後に払った。人体など果実のように裂くだろう一撃に、しかし少女は退かなかった。腰を落とし、それを正面から待ち受けた。

 直撃! だが次の瞬間、低く腰を落とした姿勢からさらに()()()()()くぐり抜けるように軌跡を躱す。わずかに飛び散った火花は抜き放った片刃の短剣が咲かせた明滅であろう。

 刹那、巨爪の主の足元で強烈な光が弾けた。球状の黒い石——魔石から際限なく放たれる閃光が魔獣の目を焼く。悶え苦しむ巨大な影が壁に焼き付くように映し出される。

 その隙はあまりに大きかった。

 混乱する魔獣に背後から突っ込むと、かかとの腱に正確に刃を走らせた。ばねが弾ける異様な音。意志とはかけ離れた理屈で半身の支持を失い、巨体は右膝を突く。

 そして少女はすでにその場所にいた。膝を踏み台にして飛ぶと、手にした拳大の魔石を左の眼球に叩き込んだ。ただちにありったけの魔力を流し込む。悲鳴はなく、代わりにあるのは爆音のみだった。

 魔石が放つ特有の緑光と、四散した頭部から飛び散った真っ赤な鮮血が入り交じるように降りかかる。

 まもなく巨体は地響きを立てて倒れ伏した。勝利の瞬間であった。

 しかし最後に交差した一撃はまさに紙一重であったことを示すように、頭部を守っていた黒染めの布は千切れ飛び、深く裂けた鉄帽と額当てがガラガラと音を立てて地面に転がった。

 仕舞い込まれていた艶やかな黒髪、隠れていた濃紺の瞳があらわになる。

 浴びた血もそのままに、残光と爆煙の中で少女は雄叫びをあげた。

 

 ——クロエ・ファルク。それが勝者の名であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 四日目の夕方である。

 約束まであと半日あるが、ベルナールはすっかり諦めていた。

 女の子が、単独で、地下遺跡(ダンジョン)に? 無事で済むわけがない! 出発前に攻略記録には一通り目を通してきた。このスピナ湖畔遺跡で今までどれほどの旅隊(パーティ)が撤退してきたと思っている。無謀な挑戦というものにも限度があっていいはずだ。

「おーい若造、何だか不満げだな」

 のんべんだらりと焚き火を前に煙草を吸っている老人が言う。ひっひっひ、と笑いながらまるで馬鹿にしたように。

「……俺はこれでも三十五だよ」

「ま、若造じゃな」

 ぷかりと煙を吐くご老人。ベルナールはむきになってまくし立てた。

「爺さんは気にならないのかよ、あの子がどうなったか。ええ?」

「なーんも。前金はもらっとるだろう?」

 だったら待つだけよ、と続けて煙を吐き出す。

 ベルナールは鼻白んだ。

 確かに自分たちはクロエという冒険者に雇われただけの人間だ、だが人足が雇い主を心配したってバチは当たるまい。

 

 ——国と組合(ギルド)によって指定されたダンジョン。その調査と攻略に関係する仕事を主に請け負うのが冒険者である。

 

 だが冒険者といっても関わる人間は様々だ。

 調査、狩猟、採集、破壊。それぞれの専門家が異なるのはもちろん、ただダンジョンに潜ることだけ考えていては仕事は成り立たない。

 ダンジョンの外に構築する野営地を維持する者も必要であれば、かかる日数によっては都市から食料を輸送する人員まで必要な場合もある。ダンジョン内部で水や食料が調達できるとは限らないからだ。

 冒険者たちも自分たちの任務に集中することが最優先であり、雑用を妥当な金額で解決できるなら外注に任せてしまおうと人員を手配する。

 大規模なものになると旅団(キャラバン)と呼ばれる混合編成が企画され、ダンジョンの周りにそれなりの村が一つ出来上がるほどである。

 ゲクランとベルナールもまたクロエという少女に雇用された野営管理人(キャンプキーパー)だった。

 ギルドからの斡旋ではあるが払いも条件も他の募集より良く、案内が出た瞬間ベルナールはすぐに応募した。幸い騎獣荷車(ワゴン)を扱っていた経験もあるため雇用条件にも合致していた。

「荷役は考えずにのんびりやるのがコツよ。なんせあと半日ある。まぁこれでも飲め」

 ゲクランが煮出した茶のようなものを差し出した。茶であれば南方のカシュケニア大島圏連合からの輸入品に違いないが、そんな高級なものを目の前の老人が用意できるはずもない。そこらの野草か何かを煎じたものだろう。

「心配せんでもあの娘は帰ってくる」

 意外と爽やかな香りだった。ベルナールは何度も息を吹きかけながら少しずつ口をつけた。

「……何も、心配なんざしやしねぇ。死んじまったら成功報酬がパァだ。それはたまらんってだけさ」

 前金は五割。残りの五割は成功報酬として依頼完了後に支払われる契約が組合(ギルド)の通例だ。しかし雇用主である冒険者が死亡または安否不明の場合は組合の保険から一割しか支払われない。これは荷役や下働きを協力的に働かせるための仕組みでもあった。

 つまり少女が生きて這いずり出てくれば後払い分の残金が満額支払われるが、そうでなければ契約は破棄され手にする報酬も()()()()にとどまるということ。

「金がいるのか、ええ?」

「じゃなけりゃわざわざビルダニアなんてヤバい土地にまで来るかよ」

「世知辛いの」

 片手で器用に薪を割って火にくべるゲクラン。失った左腕は戦場でのものだろうか、とベルナールは左目に蓋をしている眼帯に手を当てながら想像した。

 

 ——長きに渡った魔族との大戦。人類側の勝利で終わったはいいものの、傭兵やら人足やらで食い扶持を繋いでいた者たちは一斉に仕事を失うことになった。

 

 魔族の地で新たに発見されたダンジョンを調査する冒険者稼業は、居場所を失った荒くれ者にとっては格好の再就職先というわけだ——限りなく世間体よく言うのであれば、だが。

 ベルナールもご多分に漏れない。故郷のオールタンに家族を置いてひと月前から出稼ぎに来ているが、苦労話に困ることはない。ため息を吐きながらすっかり皮肉めいた口調で言った。

「魔族がいてくれた方がまともな暮らしができていたぜ、まったく」

 ゲクランも続いた。

「……大戦が終わり幾年月。魔族を追い払って土地を拓いたはいいものの、結局人間同士で争う世の中になってしもうたしの」

 市井の人間でさえ国同士が緊張しているのはわかる。秘宝を産み出すダンジョンの奪い合い、ビルダニアの開発競争……間に立とうとする教会もいつまで(ぎょ)せるだろうか。

「救われんぜ、まったく」

「じゃがな、英雄が現れる時代とはまさにそういう時なんじゃ。歴史を学べばおのずと……」

「へいへい。『天地戦争』やら『蛇王ヴァリ』なら俺だって読みましたよ。人生の先輩は説教臭くてかなわんぜ」

「ほ。意外と熱心じゃの」

 ベルナールは茶を沸かしていたポットをぶんどると自分のコップに注ぎ足し始めた。この香りがなかなかクセになる。世の愚痴を語れば舌の滑りもまずまずだ。()()()()で喉まで潤せば夜っぴて語ることもできるだろう。

「あ、私も頂戴。メムルの葉のお茶、好きなんだ」

 コップ貸せ。

 あまりに自然に会話に入ってきたものだから思わずそう答えかけた。

 ベルナールは弾けるように振り返った。死んだと思って心配していた雇用主である少女が立っていた。

「も、戻ったのか!」

 黒髪をかきあげながら、少女は呆れたように言う。

「そりゃ戻るよ。お腹も空いたし」

 疲れた疲れた、と言ってクロエは背負っていた革袋をどさりと下ろして座った。中にはぎっしり戦利品が詰まっているであろうことはその音だけでわかる。

「し、仕事はやり遂げたのか!?」

 ベルナールは自分が興奮して声が上ずっていることに気づかない。ん、と手で催促してくるクロエに慌てて茶を差し出しながらも冷静でいられない。

 言葉では答えず、ほら、とクロエは革袋からゴロゴロと魔石を取り出した。

 

 ——魔石はダンジョンから算出される石で、主に魔獣の体内から取り出すことができる。これまで秘術とされていた魔術を誰もが手軽に使えるようになる代物で、以来人々の暮らしぶりは劇的に変化した。借金をこさえてでも手に入れようとする者もあとを絶たないと聞く。

 

 この魔石の収集が冒険者の主な任務の一つである。

 今回のギルドが仲介した依頼は確か魔石30カレン*3。すでにクロエが持ち帰っている量を合わせれば、どう見積もっても超えているだろう。

「でもさ、なんてったってこれだよ」

 クロエが最後に取り出したのは、直径30タリスはあろうかという魔石。

 小石からこぶし大程度がほとんどであるはずの魔石の基準を大きく超えた塊だった。

「ほっほ、こいつは見事じゃのう」

 ゲクラン老が覗き込みながらうんうんと唸る。

 思わず手に取り、その重さにベルナールは歓声を上げた。

「でかすぎるだろこりゃ! 一体何カレンあるってんだ!?」

 魔石の品質は様々あるらしいが、大きさももちろん重要な指標である。そしてこれほどの大きさのものはベルナールもついぞ見たことがない。法都アルバの競売にかければ一体どれほどの値がつくだろうか。

 いやぁ、とため息を吐きながらベルナールは慎重に魔石を戻した。慌てて落として割りでもしたら洒落にならない。

「魔獣からか?」

「うん。なかなかでかいやつだった。装備もやられた」

 ズバッ、と口に出しながら人差し指で額をなぞる。鉄帽を破壊されたという意味だろう。きっと紙一重だったに違いない。これだけの大物を旅隊(パーティ)を組まずに単身攻略するとは、ベルナールはゲクランが妙に落ち着き払っていた理由をようやく思い知った。

「急いで戻られますか?」

 そのゲクランがにっこりと笑いながら言う。クロエはバサリとまとまりが悪そうな髪をかきあげながら答えた。

「ううん、今日は遅いから野営して明日の朝に出よう」

「飯は特別豪勢にせねばなりませんな」

「それ! もうペコペコでくたばりそう。悪いけど準備よろしくね。汚れたし風呂に入ってないし血の匂いもすごいしで、ヤバいんだ。ちょっとひと泳ぎしてくる!」

 泥と血にまみれた装備と上着を脱ぎ捨て、上下七分丈の甲冑下着のまま夕日に暮れゆくスピナ湖に向けて駆け出していく。そのまま勢いよく飛び込んで黒髪の少女は誰を気にすることもなく泳ぎ始めた。

「戻ってくると言ったじゃろ?」

 大笑いしながら夕食の支度に取り掛かるゲクラン老。

 ベルナールは食事の用意を手伝いながらもつっかかった。

「爺さん、さてはあのクロエって娘のこと前から知ってたな? だからあんなに安心してたんだろう」

「ほっほ。あの娘を知らなけりゃ、アグニアじゃあ()()()よ」

「どうせ俺は新入りの若造だよ!」

 思えば初めからおかしな話だったのだ。

 少女は当初より自分たちのような人足と移動用の騎獣以外は募集していなかった。まさか単独攻略だとは出発するまでベルナールは思いつきもしなかった。

 しかも妙な才気に走るような無謀さもなく、慎重にことを進める手腕はむしろ老練な経験者を思わせるふしさえあったのだ。

 二度に分けてのルート確保、そして最終アタックのために野営地に一度戻り、二日後には化け物の首を取って戻ってきた。

 おおい、と声がしてベルナールとゲクランは同時に振り返った。

 クロエは湖のほとりで、夕陽にキラキラ光る巨大な魚を掲げていた。

「とんでもないやつだ、全く」

 肉をさばきながらベルナールは思わず笑った。笑うしかなかった。

 鍋に塩、刻んだ野菜を放り込みながらゲクランもまた盛大に笑った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 レイヴダム皇国の中心である法都アルバから北西へ騎獣で五日あまり、ラヴォイド山の麓にアグニアという名の古い街があった。

 エディフランド辺境領マルカ州の西端に位置し、先の大戦の最前線を支えた戦略的要地として栄えた地域の主要都市である。北方の要所、スヌード要塞へとつながる重要な拠点でもあった。

 終戦から十年余りが経つ今、魔族が支配していた西方の大地『ビルダニア』を目指す拠点として日々多くの人々が訪れるようになった。

 一日に行き交う人と物資の量はとてつもない規模に達し、入城の順番待ちで朝から夕暮れまで荷車の渋滞が続いてしまう日があるほど。

 ビルダニア各地に点在する地下遺跡(ダンジョン)攻略のためにもこの地は重要拠点であった。

 

 ——そのアグニアにクロエは戻ってきた。寝て起きて寝て起きて、気づけば二日が経っていた。

 

「よく寝た……」

「寝すぎだろ」

 ベルナールの小言に返事代わりの豪快なあくびをぶちかましてクロエは荷台から飛び降りた。雇用主が起きていようが寝ていようがゲクランとベルナールはしっかりと仕事をやり遂げた。アグニアまで20リートの道のりを問題なく帰還したのだ。

「クロエ様、どうされますかな?」

組合(ギルド)前につけちゃって。荷物全部捌いてもらわなきゃ」

「ではそのように」

 背中からボキボキと音を立てると、クロエはハッと息を吐いた。

 正門を抜けると道は石畳に変わる。くゆる白煙を数えながら坂道を下り、中央街路に入ると一気に朝の喧騒に包まれた。慎ましくも忙しない魔力の余波があたりに満ちている。

 すでに多くの者にとって魔石を使った暮らしは根付いている。 

 例えば火の魔石はパン焼きの釜場を人々に提供し、水の魔石は毎朝たっぷりの水を街に巡らせる。風の魔石で空を飛び商売に精を出しているものもいるだろう。

 

 ——クロエはアグニアのこの空気が好きだった。生まれ育った街だからというだけではなく、忙しなくも溌剌とした雰囲気が何だかしっくり来るのだ。

 

 いつものように人でごった返す目抜き通りを騎獣車でかき分けて組合(ギルド)の前にたどり着く。

 床屋と酒屋と飯屋と宿屋と道具屋と貸獣屋と棺桶屋——どの街の冒険者ギルドでもそれらの店は寄り添うように居並んで建っているというが本当だろうか? 荷受け役の若い男が書類片手にすっ飛んでくるのを眺めながらクロエはぼんやりと思う。

 ギルドは仕事の斡旋の他にダンジョンでの拾得物や魔物の部位、魔石などの買い取りも行なっている。もっと利率のいい商人を粘っこく探す冒険者もいるが、クロエはいつもあっさりギルドに全て任せてしまう。手間だし、何より付き合いを深めるのならギルドの方がいい。

 今回のダンジョン攻略の間に集めた成果は魔石の他には荷車に半杯というところ。数人の旅隊であれば倍は稼げたろうが、単独(ソロ)であることを考えれば利益は比較にもならない。

 持ち帰った荷物をギルドの職員たちが手分けして帳簿に記録していく間、クロエはベルナールとゲクランにその場を任せて市場の方に向かって歩いた。

 大通りを回って毎朝決まった時間に(いち)の立つ教会の前へと向かう。()()()()アグニアの街の住人は、礼拝以上に商売に熱心である。案の定すでに喧騒でごった返していた。

 クロエは人をかきわけるようにして馴染みの店に向かった。

 何やら香ばしい匂いで肉を焼く屋台。店主のモーリスはクロエを見つけると大きく手を振った。

「やぁお嬢! 遠征から戻りかい? 儲けはどうだね?」

「上々。そっちは? 仕入れある?」

「ばっちりさ」

「なら()()()()。あと……お腹も減ってるから三つね」

「食いすぎじゃねえのか?」

「仲間の分だってば」

 ひっひっひ、と笑ってモーリスは仕事にとりかかった。

 香辛料をまぶして肉と野菜を鉄板で焼く。火種はもちろん魔石だが、なかなかいいものを使っているようだ。焼き上がった具材にたっぷりと香草をのせ、薄く伸ばした麦粉で包んで寄越した。

 ここは何でも一皿銅貨(テッラ)*4十枚。

 独特の味付けだが、このあたりの名物だと言い張っているらしい。確かに味は悪くないのでいずれ嘘も真になるのかもしれない。

 クロエはきっちり銅貨(テッラ)がくくりつけられている銭束を一本、さらに銀貨(ルナ)五枚を払った。そして手渡される香草たっぷりの包み焼きに、()()()()()()

 それを一瞥(いちべつ)し、クロエは懐に突っ込んだ。

「確かに」

 そのままきびすを返そうとしたクロエをモーリスはちょいちょい、と呼び止めた。

「……常連客にだけのおまけをやろう。気をつけな。見慣れないやつばかりウロウロするのがアグニアなんだが、とびきりの連中まで来てやがる。俺から見て右側の後ろをそっと見てみろ」

 クロエは包み焼きにかぶりつき、口元についたソースを拭いながらそちらに目を向けた。

 全員黒づくめの甲冑に身を包んだ集団が泉の近くでたむろしている。そのうちの一人は赤地に黒い羊の旗を持っている。

「シュガルの羊だ」

「シュガル? あのメッサーの?」*5

「ああ」

 自らを騙し、侮る者はためらわず食い殺す羊の群れ。確かに人並みの冒険者にはない迫力が感じられる。

「元はノードの戦線に投入されていた殴り込み部隊だったらしい。有名な激戦地だ。全滅する隊も珍しくなかったらしいが、名うての隊長に率いられた連中は地獄から生きて戻った……戦後、傭兵集団として各地を転戦しているとよ。腕っこきで有名だが、自分たちに一発()()そうとした相手は依頼主でも血祭りにあげるらしい」

 多分あいつが隊長だな、とクロエは目を細めた。背はそれほど高くはないが所作に隙がない。歳は四十くらいだろうに、真っ白の髪と髭が印象深い。

「ああいう連中もこれから増えてくるだろうよ。北のウェスディアじゃあラザンの連中に攻め込まれたって噂も出ている」

「それマジなの?」

「さあな……滅多なことにはならねえとは思うが、きな臭え。気をつけな」

 手を上げてクロエはギルドまでの道に戻った。

 道すがらモーリスに渡された紙を開く。

 

 ——教会の資金投入決定。来月大規模な旅団(キャラバン)が発足、ビルダニア中域百リートまでの開発が目標。

 

 驚いたことにギルドから発される公募日と所管する教区の枢機卿の名前まである。()()()でないならかなりの特ネタだ。

「……やるねモーリス。銀貨(ルナ)五枚分の値打ちはあるよ」

 紙切れをただちに燃やしてクロエは口笛を吹いた。待ちに待った知らせ! 逃す手はない。教会が号令をかけるとなれば相当な規模だ、旅団に採用されれば個人の請け負いでは到底たどり着けない深部まで入れるかもしれない。

 クロエは残っていたモーリスの料理を強引に口の中に押し込み、一口で豪快に食べ切ってしまった。じっとしていられない、体が熱くなっているのがわかった。

 口元を雑に拭いながら言う。

「俄然、燃えてきた」

 ギルド前に戻ると一服していたゲクランとベルナールに包み焼きを投げつけるように渡す。そして帳簿係が書き留めたリストをふんだくってギルドの重い扉を押し開けた。

 たまたまそこにいたアグニア冒険者組合(ギルド)長と目が合う。まるで賞金首のようないかめしい面である。が、クロエの顔を見た途端に豪快に破顔した。

 

 ——名はヴァータル・アシド。身の丈は2シャード。筋骨隆々の男は見た目通りいくつもの戦地を転戦した戦士である。戦後は軍を抜けこのアグニアのギルド立ち上げに尽力した。戦闘力だけでなく頭も切れる。旅隊(パーティ)名もそのままである《ヴァータル》隊は未発掘のダンジョンをいくつも踏破しており、今でも名を馳せている。

 

「来たなわんぱく娘。スピナ湖からの戻りだって?」

 うん、と頷いてクロエはヴァータルの胸を帳簿で叩いた。

「査定も完了」

「どれどれ……ほう?」

 なるほど、とヴァータルは頷く。

「上等だ。《魔石拾い》の依頼をしっかりこなしてくれるのが、俺らにとっても一番ありがたい」

「私は不満。もっとでかい話ないの?」

「さあな」

 ヴァータルの反応はいまいち読めなかった。

 旅団の件についてカマでもかけてみようかと思ったが、余計な詮索がやぶ蛇になってもつまらない。クロエは肩をすくめるにとどめた。

「まあいいや。後はこれ……三人分の認識票。この袋は遺品」

「——感謝する。十分の一報酬はどうする」

「もう受取拒否のサインはした」

 クロエは革袋に丁寧に入れた認識票と遺品を渡した。*6

 遺品を持ち帰った場合は十分の一を請求する権利が冒険者にはあるが、一度も請求したことはなかった。

 さて、とクロエは早々にきびすを返そうとしたが、ヴァータルが目を細めて言う。

「で、その背嚢に入ってる荷物は出さんのか?」

「ぎくっ」

 さすがギルド長。例の魔獣の魔石を見抜くとは。

 思わず逃げたくなったが、何もやましいことはないのだと思い返してクロエは堂々と振り返り、背嚢から例の魔石を取り出しヴァータルに見せた。

「……ほう、なかなかのブツだ。これがアリシュタの肝ってわけか。依頼主もこれを渡せば喜んで追加報酬(ボーナス)を弾むと思うがな?」

「義務じゃないでしょ? 依頼分の30カレンは渡してる。これは自主努力報酬(インセンティブ)規定の範囲内のはず」

「わかってる、だからギルドからの交渉だ。これでどうだ?」

 ヴァータルが右手の親指を立てた。

 全く取り合うつもりもなかったクロエだったが思わず息を呑んだ。

 親指は金貨(ソル)一枚を意味する。破格の査定だ。

「ちょ、マジ?」

「大マジ」

「お、おおう……」

 はした金じゃ渡せないね、と大見得で啖呵を切るつもりだったが威勢のいい言葉は完全に喉で詰まった。

 この金があれば翼獣を借ることができる。そうすればさらに遠いエリアのダンジョンにも挑戦できるだろう。装備も更新したい。最近出回り始めた魔石剣も試してみたい。

 それに何より母上に土産がもっと買える。

 だが——クロエの脳裏には自らの師匠の素敵な笑顔が浮かんでいた。

 クロエは歯を食いしばって答えた。

「ま、またの機会に……」

「そうか、残念だ」

 ヴァータルは粘ることもなく立てていた親指を戻すと手をポケットに突っ込んだ。

 ああ、金貨一枚! こめかみに青筋を立てて強引に笑顔を作りながらも、クロエは心で泣いていた。

 しかし、と気を確かに持つ。情報は得た! 魔石の価格が高騰しているということは、おそらく()が増産されているということだろう。最近魔石拾いの依頼がやたらと増えたと思っていたら、金貨の話まで出てきた。いよいよ軍が動くのかもしれない。旅団編成の話が真実味を帯びてきた。ビルダニア開発に向けて国が重い腰を上げた気配をビンビンと感じる。

「ふん、悪巧みの顔しやがって」

「えっ? は? なに? しらんけど?」

「ったく、お前は変わった冒険者だよ……たいていはカネ目当てなんだがな」

 ギルドに登録するとき、冒険者は必ずヴァータルの面接を受ける。その時誰もがダンジョンに潜る理由を問われるのだが、クロエは自分の答えにヴァータルが大笑いしたことを未だに覚えていた。

 馬鹿にするような笑いではなかったので、クロエも一緒に笑ったものだった。 

「まだ夢見てるのか……ビルダニア全土を旅するなんて夢を?」

 フフ、とクロエはあの時のように笑う。

 爛々と輝く瞳、ふてぶてしい口元、挑戦するように突き出された拳。

 クロエは宣言するように——これまで幾度となくそうしてきたように言った。

「夢なんかじゃない……現実だ。私にとっては目の前にある目標! 私はきっと世界中を冒険する! そして発見するんだ。妖精の国、天のはしご、世界樹イェドナ、祖龍の島!」

「おとぎ話の世界だろう?」

「誰も確かめていないのに?」

 だったら答えはまだだ。霧の向こうにある景色を、夜を越えた先で待ち受ける世界をわざわざつまらない物だと決めつけるなんて趣味が悪い。

「世界をくまなく探してないっていうのならそれでいい。けどまだ誰もやってない。だったら私がそれをやる」

「……フン、足元すくわれてつまらん死に方すんじゃねえぞ」

 ただヴァータルはどこか嬉しそうだ。

 やがてやってきた出納(すいとう)係がクロエに今回の報酬の確認を依頼してきた。

 頭の中で算盤(アバカス)を弾く。

 依頼内容は30カレン分の魔石。対して収穫は45カレン。当初の依頼報酬である200銀貨(ルナ)は満額、かつ依頼者は超過分も買い上げるという契約だったので15カレン分を上乗せで60銀貨(ルナ)

 ベルナールとゲクランの給与が日当でそれぞれに5銀貨(ルナ)、往復4日と攻略5日で計90銀貨(ルナ)。貸獣屋への支払いが30銀貨(ルナ)、食料その他物資が20銀貨(ルナ)、掛け捨ての保険が10銀貨(ルナ)

 で、今回ぶっ壊した装備の補填に20銀貨(ルナ)ほどかかることを考えれば手元に残るのは90銀貨(ルナ)である。

 大儲けとは言わないが悪くもない。ただ、やはりこうなってくると金貨(ソル)の迫力が今さらながらにのしかかってくるが、クロエは何とか未練を振り切った。

「じゃ、確かに」

「次はいつ来れる?」

 珍しいこともあるものだ、とクロエはヴァータルを見た。魔石を欲しがる人間は無限にいるので冒険者稼業はいつだって売り手が強く人手が足りない。ただし一獲千金を狙う挑戦者も掃いて捨てるほどいるので、よほどのことがない限り指名はないはずだが。

 クロエは日程を思い浮かべて答えた。

「五日後くらいかな。様子見に来るくらいで考えてたけど」

「よし、時間くれ。お前みたいなバカを探してる御仁がいらっしゃる。魔石はフラれたがこっちは考えてもらわなきゃ困るぜ」

 指名案件というのもギルドには時折舞い込む。旅隊を編成して挑戦したいが人手が足りない場合などでよくあるパターンだ。

「内容は」

「ミレイ。旅隊(パーティ)編成での同行が希望らしい。先方は二名。詳細は当人と直接交渉したいそうだ」

 ミレイと言えばスピナ湖から北に10リートほどだ。小規模なダンジョンですでに掘り尽くされたと聞いたが、やはり狙いは魔石だろうか?

 しばらく考えてクロエは頷いた。怪しいと感じれば断ればいい。ヴァータルも必ず受注しろとは言っていない、会うだけは会え程度のニュアンスだ。

 ギルドを後にすると、クロエは外で待機していたベルナールとゲクランに後払い分の報酬と出来高のチップを渡した。そして五日後の予定を開けておいてほしい、今回の旅が嫌でなかったのであれば、と付け加えた。

 わざわざ答えを聞く必要はなさそうだった。

 

 

 

*1
ロメイル・ゲルドレスは諸国を歴訪しながら聖教の説話を伝えた巡礼者。聖教理念の体系化に貢献した。ゲルドレスの言葉は同行した弟子たちによって記録され「説教集」として伝えられている。

*2
シャードは長さの単位。聖教会が管理するクネル金属写本の厚みを1タリスと規定し、その百倍の長さを1シャード、さらに百倍の長さを1リートとした。本作では都合上1タリス=1センチメートル、1シャード=1メートル、1リート=1キロメートルと換算して記載する。

*3
カレンは重さの単位。蛇王ヴァリが定めた度量衡の名残りで、基準杯というコップに入れた水の重さが由来。ヴァリはこれを元に税制を統一した。カレンというのはこの基準杯を決めた官僚の名前が由来。なお前例に習い1カレン=1キログラムと換算する。

*4
この世界の経済は三種類の貨幣を中心に営まれている。すなわちソル金貨、ルナ銀貨、テッラ銅貨である。このような市場での流通は銅貨(テッラ)が一般的。銀貨(ルナ)はある程度高価な物品の売買に利用され、金貨(ソル)に至っては大規模な貿易や国家事業以外で目にすることはまれである。それぞれの価値は変動するが、銀貨(ルナ)銅貨(テッラ)の百倍、金貨(ソル)はさらにその百倍程度が例年の相場である。

*5
シュガルのメッサーとは教会が子ども向けに説いている教訓話の一つで、シュガル村のメッサーという少年が飼っていた羊をいじめるという話。メッサーは大人から追求されても羊が話さないことをいいことに自らの悪行をしらばっくれる。さらに羊同士でいじめがあるのだと嘘までつく。翌日、牧場の羊が一頭を残して皆殺しにされているのをメッサーは見つける。血溜まりの中心に黒い毛並みの見たこともない羊が立っており、じっとメッサーを見つめている、という話。嘘は望ましくない形で実現し、罪はいずれ咎められるという教訓を込めた話である。

*6
契約が成立し、ダンジョンに入ることになった冒険者にはギルドから認識票が貸与される。それによって万が一ダンジョン内で遭難した場合も個人の識別が可能になる。ダンジョン内で遺体を発見した場合は、認識票と遺品をなるべく回収することが努力義務とされている。遺品は保険とともに受け取り指定されている遺族に手渡されるが、受け取りが難しい物品に関してはギルドが査定して金銭に替えることもある。この金銭を《最後の報酬》と呼ぶ。なお許可なく私物化したり売り払うことは冒険者の仁義にもとる最も軽蔑される行いとして、発覚した場合は除名処分となる。




四年ほど前にパイロット版を書いてみた小説を、あらためて続けてみようとやり始めました。
多分長いぞ。気合い入れてお付き合いください。

(追記)短めの方が読みやすいかなと分割投稿してましたが、なんだかしっくりこなかったので1~3話を一つにまとめました。長くて読みにくくなってすみません。でもこっちの方が……すっきりしまして。

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