ビルダニア戦記   作:ぽー

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第三話 フィバル・レバン

 母の夢を見た。夢を見ているとわかる夢だった。

 幼い自分はただ腕の中。上下に左右にあやす動きに心地よく眠るだけの夢。

 劇的なことは何一つなく、穏やかで曖昧な時間が過ぎるだけの他愛もないものだった。

 現実と同じように安らかな夢もたやすく崩壊した。

 目覚めは唐突に訪れた。頬を打つ風にわずかな水が混じったのだ。まるで涙のように頬を濡らす雨粒。青年は快速で走る騎獣にまたがったままぐっと伸びをした。

 

 ——青年は名をフィバル・レバンという。

 

 日に焼けた肌、灰色がかった髪の色はいずれも北方の山地に住む者たちによく見られる容姿だ。しかしその容貌は一般とは隔絶していた。絶世の美男子と断言して差し支えなかった。

 鼻梁も口元も絵で描いたよう。だが何よりもその瞳だった。

 無数の星を閉じ込めたような輝きにあふれた目には愛であれ野心であれ、あらゆる情熱が常人の幾倍も秘められていると思わせる迫力がある。

 その星も今でこそ穏やかであるが、一度激情に駆られれば烈火の如く燃え盛るであろう。

「もしかして……寝ていました?」

 隣を走る——騎獣とさして変わらぬ速さで軽々と走る人影が呆れたように言った。目深に被った帽子で顔は隠れているが、その声は少女のものである。そして快速中型の騎獣と並走する時点で明らかに獣人だった。

「ああ、ぐっすりだった」

「振り落とされて頭を打っても笑えないですよ」

 騎獣の上で器用に足を組み直し、あくびを噛み殺しながらフィバルは答えた。

「俺がそんな間抜けに見えるか? セルイ」

「残念ですが」

「ひどいやつだ。なぁウィジャ」

 ウィジャは彼がまたがる騎獣の名前である。北の言葉で《青い月》を意味する。

 セルイと呼ばれた獣人はやれやれと首を振った。確かに殺しても死にはしない男だが釈然とはしない。心配する身にもなってほしい、とばかりに。

 フィバルは荷に押し込んでいた上着を引っ張り出して頭からかぶった。雨は名残さえないが空気が冷えてきた。いよいよだろう。

 二人は林を切り開いて作られた道を進み、大きく弧を描きながら丘を越えた。すると一気に景色が転換し、巨大な山が眼前に迫ってきた。

 山の冷気が清々しく、青年はあえて深く息を吸った。

 白く(けぶ)る視界の中でさえなお雄大なラヴォイドの山。その裾野に広がるアグニアの街を見渡す。

 街とはいうものの防備に重点を置いた城塞都市という方が近いだろう。

「あれがかのアグニアか」

 

 ——思いを馳せるのはここで繰り広げられたと聞く激戦。

 

 標高3000シャード超のラヴォイドを越えて飛来してきたと言われる魔族空軍の群れ、そして地を埋めたとされる魔族の地上軍にアグニアは完全に包囲された。

 総数は十万とも二十万とも言われているが、正確な数字は誰にもわからない。全人類の総力を上げて迎え撃ったと聞くが詳細は全く伝わっていないのだ。古来の魔術を操る達人が助力しただの、魔族同士の内紛があっただの、天使の御業が降臨しただのの噂ばかりが聞こえてはくるがどれも眉唾だ。

 そしてフィバルの興味は正確にはどう守ったかではなかった。

 逆である。魔族でさえ陥とせなかった街、自分ならどう攻める?

 人口は多くて三万人といったところだろうが、まず城壁の造りもなかなかのものだ。()とすなら正攻法ではダメだろう、兵糧攻めにしても時間がかかりすぎる。大兵を導くにしても隘路が多く罠を避けられそうもない……などと益体もないことをつい考えてしまう。

「フィバル様、そろそろ」

 時間切れだった。セルイに促されて速度を落としたウィジャから飛び降りると、手綱を握って入城を待つ長大な列に並んだ。

 戦後、加熱する地下遺跡(ダンジョン)開発競争の最前線の一つがこのアグニアだった。ビルダニアまでの近さ、そして発見されるダンジョンの多さから魔石や魔道具の類の産出量が頭一つ図抜けている。

 レイヴダム皇国が他国に対し非常に有利に振る舞える大きな根拠の一つでもある。

「まず宿を探されますか?」

 ふん、とフィバルは鼻を鳴らした。

「まずギルドだ。用事は先に済ませる。宿はどうとでもなるだろう」

「かしこまりました」

「話は変わるが、もう少し対等な感じで話せないか。変に勘繰られてもつまらん。いざという時にボロが出れば危険にもなる」

「嫌です」

「命令でもか?」

 セルイは小さくうなだれた。帽子をかぶっていなければ耳を垂らしているのがはっきり見えただろう。尻尾も腰に隠しているので獣人であることはすぐにはわからない。

「別にタメ口でも構わんぞ。普段の鬱憤を吐き出してもいい。ムカついたからといって後で罪になぞ問わん」

「まずその絡みが面倒くさいです」

「お、いいぞ。もう一息だ」

「……やはりできません。これは私の性格ですから。無理に変えればいざという時にボロが出て危険です。良いですよね? フィバル様」

「ああ言えばこう言うやつめ」

 だが初めの頃よりだいぶ可愛げも出てきた、とフィバルは思う。

 自分の命を狙って寝所に忍び込んできたところを斬り合った仲であることを考えれば、大親友と結論づけても良いだろう。

 そうしてしばらくセルイをからかって遊んでいると、列はあっという間に進んでいった。

 受付での滞留も大したことはなかった。来訪目的を聞かれ冒険者と答えたが珍しくもないのだろう、ほとんど素通りで入ることができた。

 アグニアの街は想像よりもはるかに賑やかだった。

 単に隆盛しているわけではなく、どうやら祭りが近いらしいということはすぐにわかった。屋台の客引きも声に力がみなぎっており、いざ売らんかなの気合いがものすごい。

 セルイが手を引かなければとっぷりと時間を費やしてしまったかもしれない。

 フィバルが特に面白いと思ったのはほとんどの獣人が素顔のまま歩いていることだった。

 地域によっては獣人に対して辛く当たる——はっきり述べるのなら差別的な街も多い。そのようなところでは隠せるのであれば獣人は皆顔を覆ったりして人目から逃れようとする。

 だがアグニアでは何も隠さず堂々と歩く獣人が珍しくなかった。魔族との戦争、そしてビルダニア開拓という大きな事業を推進する仲間として受け入れられているというのがよくわかった。

 フィバルがうながすと、ほんの少しだけ躊躇った後にセルイも顔を包むように覆っていた帽子を取り、服の中で押しつぶしていた尻尾を出した。

 白い毛に覆われた長い耳、ふっさりとした尻尾——狐狼の魂をあわせ持つのがセルイ・シャーランだ。*1

 

 複数の店舗が軒を連ねており、中には冒険者向けらしい物騒な店もあった。棺桶屋にいたっては祈祷札*2まで叩き売りしているのだから呆れてしまう。

 ひときわ大きな建物が組合(ギルド)本部で間違いあるまい。

 途中、暇そうな一人の男を捕まえ銀貨(ルナ)十枚を見せながら荷物の管理を任せた。五枚くれてやり残りを後払いと告げる。持ち逃げされるのが怖くて自分なら絶対できないとセルイは毎度困惑するが、不思議なことにフィバルが人物を見誤ったことはこれまで一度もない。

 組合本部の前まで来ると、フィバルとセルイはしばし立ち尽くした。

「……本当によろしいのですか?」

 セルイが怖気付いた、というより呆れたように聞いた。

 視線はギルドの入り口に掲げられている看板に向けられている。

 

 ——『野蛮なお困りごとは冒険者組合へ!』

 

 思わず笑ってしまうような謳い文句だった。

 今の己にぴったりではないか。笑い声をあげながら重々しい扉を開いてフィバルはギルドに足を踏み入れた。

 笑いながら入ってくるのもそうだが、その美貌もあって周囲の視線が一気に集まった。フィバルは気にもせずに大股で真っ直ぐ窓口に向かった。

「ギルド長殿と約束をしている。ドン・モリスンの名で」

 フィバルは紹介状を渡した。受付の妙齢の女性は急に顔を赤らめ緊張させた。法都アルバの全土職業組合本部長の名はやはり伊達ではないらしい、とフィバルは思った。が、隣のセルイは違う理由であろうと確信しており主人の朴念仁ぶりにため息をこぼす。

 おそらく要人向けであろう待合室に通されしばらく待った。

 質実剛健、という感じで戸棚にある酒瓶とグラスを除けば無駄な装飾はほとんどないが、フィバルは逆にそこが気に入った。

 まもなく勢いよくドアが開いて見事な体躯の男が入ってきた。後ろに立ったままだったセルイがわずかに足の重心をずらして即応の体勢に入る。それもわかっているだろうに、巨躯の男は笑顔でずけずけと間合いに入ってきた。

「ヴァータル・アシドだ。良くぞお越しになられた」

「フィバル・レバン。後ろはセルイ・シャーラン」

 セルイは会釈さえしなかった。

 ヴァータルへの警戒を解いていない。事実、相当出来る武人だろう。

「ヴァスキル*3はお好きかね?」

 セルイは首を振ったのでヴァータルとフィバルだけで杯を交わした。一口の量をなめるように少しずつ口にする。ヴァスキルは漬け込む薬草の種類でかなり味が変わるが、この瓶にははどうやらがっつりと辛みを効かせる材料も入っているようだ。

「これは効くね」

「吐き出すやつもいるがね」

「気に入った」

 大仰に笑い、さて、とヴァータルは話を切り出した。

「この度はアグニアギルドにお声がけ頂き感謝する。モリスン会頭からは事前に連絡を受けている。ご用向はダンジョンに挑戦したいということで変わりはないか?」

「相違ない」

「これまでギルドへの登録は?」

「ない」

「ならばこの書類に記入を」

 名前、年齢、出身地、種族、死亡時の連絡先、保険金の受取先、装備品の貸与希望の有無などかなりの項目が並んでいる。

 誓約書も分厚くざっと見ただけでも内容は多岐に渡っていた。無用な破壊を慎む、依頼人に誠実である、死者の認識票は可能な限り回収する、冒険者同士の諍いは裁判で決着する、など。

「意外としっかりしている。裁判、というのが特に」

「もっと荒くれにやってると思ったかい?」

「何でも決闘で決めているのではと」

「それじゃ戦闘狂(バトルジャンキー)だらけになっちまう」

 テーブルの下から新参者への講義に使うらしい資料が束になって出てきた。

「そもそも我々はダンジョンを貴重な資源と考えている。同時に冒険者の命も非常に重視している。そのために必要なのが何よりも情報だ。当然斥候(スカウト)探索者(シーカー)製図者(マッパー)の協力は不可欠。彼らに不利な環境で人が集まるわけもない。腕っぷしは二の次だ」

 腕っぷしでのし上がったような見た目ではあるが、ヴァータルはいたって真剣であった。

 資料をめくるとダンジョンの精緻な地図、出現する魔獣(モンスター)、拾得物の履歴などが見てとれた。果てはダンジョン内部から魔獣の解剖図まで無数の素描(デッサン)もある。これだけですでに一級の書物だ。

「なるほどね。殴り込むだけが能じゃないというわけだ」

「破壊するなら焼き払いながら進めばいい。だか俺たちの目的は違う。わかるな?」

 お前もそうだろ、と言外にヴァータルは言っている。

 法都アルバの組合会頭に根回しをする男を警戒しないはずもない。ヴァータルは快活な性格を装いながらはじめからこちらを疑い、値踏みしていた。

 フィバルは無駄に誤魔化す手間を省くことにした。

「……そんなに怪しいだろうか。いかにもボンボンが金にものを言わせてダンジョン行楽をしてみよう、という風に見えるはずだが」

「見えるというか、見え透いているぞ。なぁ?」

 ヴァータルが聞いたのはセルイで、セルイはなんと肯定の頷きを返している。どうやらこの部屋に味方はいないらしい。フィバルは両手を上げていよいよ観念した。

「ひどい従者だ……ま、確かに目的はある。が、無論言うつもりもない。不純な動機があると不合格かな?」

「まさか。ギルドの秩序を乱さないのであれば何も問題はない。ただ私的な理由で気になった」

「というと?」

「事前の要望通りにあんたと旅隊を組むのに適したやつを見繕っている。ギルドとしても高く評価してる冒険者で、何より俺個人も気に入っている」

「で?」

「滅多なことはないだろうが……とはいえダンジョンだ。何か不慮の事態が起きないか心配でね。もしものことがあれば、やけ酒でも飲んでしまいそうだ。それで釘を刺しておいた」

 ドポン、と音を立ててヴァスキルをもう一杯注ぎヴァータルは一息であおった。腕にまとわりついた大蛇のような筋肉、そして刻まれた無数の傷。

 なるほど、()()()()()()()

「アグニアのギルド長は面倒見がいいんだな」

「褒めてるんだろうな?」

 鼻で笑い、フィバルは同じようにヴァスキルを並々と注いで一息で空けた。

「……企みはあるがやましくはない。信用は不要だが、心配も無用だ」

「信じよう。明日の昼に引き合わせる、書類を持ってまた来てくれや」

 紙の束を抱えてフィバルは立ち上がった。ヴァータルは有能な男だった。彼が推すのなら案内してくれる人物というのも期待できるだろう。

「楽しくなってきたなセルイ。どうだ、屋台も出てるじゃないか。さっきの酒で腹も温まった。飲み歩くぞ。金をよこせ」

「また……そうくると思いましたよ。ヨミ様の予想通りだ。でもだめです。せめて全部終わってからにしましょう」

「お前も偉くなった、俺に逆らうんだからな」

「タメ口じゃないだけ感謝してください」

 銀貨五枚を右手から放ってフィバルは笑った。銀貨は荷物を預かっていた男の手のひらに吸い込まれるように落ちていった。

 

 

*1
獣人(バルカ)の姿形は様々な獣の要素が身体に表れた容姿をしているが《魂をあわせ持つ》と言うのは最上の敬意を持った表現の一つ。なお差別的な表現は枚挙にいとまがない。

*2
聖教会の教えでは、死者を弔う葬儀では僧侶が同席し、祈りを捧げることで死後の安寧を得られるとしている。だが僧侶の人数や地理的な事情からすべての葬儀に対応できない問題がある。そのため聖教会は棺桶に祈祷文を書いた札を貼ることで同様の効果があるともしている。なおアグニアの街の規模から僧侶がいないことは考えられず、安価な祈祷札で済ませてしまおうというアグニアの人々の横着さが見て取れる。

*3
ヴァスキルは薬草を漬けこんで独特の風味を加えたこの地方の蒸留酒。酒精(アルコール)もきついが体があたたまるということで広く親しまれている。




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