劇団騒霊少女、開演?
「―――っ!!?」
その時、悲鳴を上げなかったのは男としての最後の意地だったろうか。
「痛っ!? 何? 敵襲?」
崩れた姿勢を支えるべく伸ばした彼の手は、傍らで眠っていた彼女の脇腹をついていた。
起こされたと感じた瞬間、身に染みついた経験が、寝起きの身体に臨戦態勢を取らせる。
しかし、その鋭く開かれた視界に映ったのは、ひどく怯えを浮かべた仲間の顔。
「う、あ……」
「ど、どうしたのよ、ラクス? いったい何、が―――」
問いかけるサーシャの言葉にも答えず、彼は何かを指し示すように震える腕を上げていた。
尋常でない様子を訝しみながら振り向いた彼女の声もまた、吸い込まれるかの如く虚空に散る。
―――ズズッ
微かな、しかし、確かな音を立てて。
地虫の這いずるが如き速度で、されど滑るかのようになめらかに。
―――ズズズ…… ズズッ
鈍く輝く金の光沢を、どことなく薄黒く濁らせ。
誰に触れられるでもなく、誰に指図されるでもなく、にじり動く、『箱』。
―――コトン ……ズズッ
『それ』がほんの僅かに、『跳ね』たその瞬間。
その表面、周囲にまでに黒く浮かび上がるは―――無数の『手形』。
「「―――ッ!!?」」
悲鳴を上げてへたりこむ―――とはならなかったのは、高位の冒険者を支える自負故か。
しかし思考を埋める混乱と恐怖には抗えず、二人は弾かれたようにその場を飛び出していく。
そうして、俄かに
無数の手形により真黒に染まった、『箱』は
―――カコッ
「―――彼女はいったいどうしたんだ!?」
「わ、分かりませんっ!? 急に起き上がって……」
深夜と呼べる時間、野営地にて恐縮する冒険者を問い詰めるは『銀の翼』がリーダー、ポルト。
彼ら『銀の翼』はこの日、二人一組で役目を分けて行動していた。
ラクスとサーシャは自分達のテント内で、件の『箱』の見張りを。
そして残りの二人は件の『少女』の見張り兼様子見を、だ。
多くの冒険者がひと所に集まったこの野営地では、固定のパーティを組んでいる者でなくとも、数人毎に一つのテントに集まり休息をとっている。
彼らも冒険者なれば、数人で協力し合い不寝番を立てるのは当然のことで、同じ依頼を受けた者同士、誰に言われるともなく数人毎のグループを作っていたわけである。
事態解明の一助となればと呼び出してみれば、実に奇妙な言動を始めた若草髪の少女。
直後の『現象』に少なからず動揺してしまったがために、その場での追及は出来なかったが……何か二心を抱いている可能性が高い。
それが彼らが冷静になって―――というより、説明がつかない『現象』に疲れ果てた末に出した暴論であった。
目に見える者が何かしらの行動を起こしていた、ということで
説明可能な何某かによる意志で
そんな焦燥感からくる願望がもたらした浅慮……という自覚すらも彼らにはあったのだが、他に行動指針を見付けられなかったというのが実情である。
―――そしてこの日、遠目に確認する限り少女の行動に不審な点は見られず。
精々が風変わりな御札を拵えては希望する冒険者に配っていた程度……製造元だったのかよ、と目撃した二人で呟いた程度。
普段なら斥候役のラクスがこの役割を担っただろうが、今回は相手が相手であった。
尋常ならざる探知能力の前に自分の隠密能力では太刀打ちできないと判断したラクスが、むしろその方面は素人に近い二人の方が、変に構えさせずに済むと主張したのである。
そんな彼らの視線に気付いていたのか否か―――間違いなく気付いていただろうが―――少女は特にそれ以上の行動を起こすことはなく、同じテント内の冒険者とそれなりに友好的に接しながら就寝した……かのように見えた。
「……………………」
「―――おいっ!? おい、ユズっ!? ……駄目だ、聞こえてねえ!?」
顔見知りからの呼び掛けにも反応せず、幽鬼の如き歩みで何処かへと向かおうとする少女。
俯いた顔は若葉色の髪に隠れ、その表情は伺えず。
「……何が起きたか、動き出した時から見てた奴はいるか?」
「あ、えっと……隣で横になって暫くしたと思ったら、いきなりガバっと起き上がって、ああして外に向かって歩き始めたんです。何もかも突然のことで何が何やら……」
飛び出してきた冒険者の一人を捕まえ、目を離した僅かの間に起きた事を聞き出す二人。
聞かれた人間もまた、頻りに首を傾げながら思いつくままに呟く。
「魅了か何かの状態異常の可能性は? 軽度なら軽く刺激を与えてやれば緩和されるはずだ」
「……考えもしてませんでした」
「だああっ! これだから田舎の冒険者はっ」
「よせ、今は猛っている場合じゃない」
数日振りに感じた街の冒険者のレベルの低さに嘆息するクルガン。
ポルトも顔では同意しつつ、今もゆらゆらと歩き続ける少女に近付かんと動き出したところで、
「―――うん? ラクス、サーシャ?」
それは、少女の肩越しに見えた、こちらへ向かってくる別行動していた筈の仲間の姿。
一瞬遅れた思考が行きついた先は、その二人が見張っていたはずの『箱』について。
「おい、お前ら何でこっちに―――」
二人を糾弾しようとした間際、またしても彼の思考は一時停止を余儀なくされる。
何故なら、駆けてきた二人の表情が、明らかな異常を訴えていたからだ。
「―――う、動いてっ、箱がっ!?」
「―――跳んで、て、手形がっ、手形でっ!?」
「お、落ち着けお前らっ!? 何言ってるか分からねえよ!」
……問題は、それがどのような異常なのか、まるで推測できなかったことであったが。
「……とにかく、何があったかを順にだな……」
「は、箱が……あの箱が……」
「気のせいじゃなかった……やっぱりあれは絶対気のせいなんかじゃなかったのよ……」
恐慌状態に陥った二人を宥め、状況を確認しようとする彼の視界の端で、少女は未だふらふらと何かに誘われるように進んでいく。
少なからずそちらに意識を割かれつつも、彼は今一度問い掛けを重ねた。
「箱が、具体的にどうなったんだ?」
「……動いて、跳ねたんだ。何も……周りには本当に何も無かったのに……」
「箱の、表面……あ、あとその周りにまで黒い手形がぶわっと浮かび上がって……」
気勢はやや下がったが、内容はより支離滅裂になった。
高位冒険者の風格もどこへやら、すっかり動転した二人を呆れながら見つめ―――二人の背後に広がる光景に、彼は三度放心を余儀なくされる。
いつの間にか、少女は振り返り、こちらを見つめて立ち止まっていた。
光の消えた瞳。微かに震える、薄く半開きの唇。
そんな少女の胸元で、水を掬うように合わされた両手。
その手の中に鎮座する―――黒に変色した箱。
「……クルガン、何が起きたか、見てたか?」
「俺達のテントの方向から例の『箱』が飛んできて、あの子が広げた手の中に納まった。……俺の目がおかしくなったんじゃなければな」
肩越しに行われる会話に気付き、ラクスとサーシャもはっと目を合わせ、振り返る。
四人と、周囲の冒険者十数名の目線を浴びた少女の身に、再び変化が始まった。
「な、何だありゃ……っ!?」
誰かが漏らした声が、月明かりと、そこに加えられた
新たな光源は少女の身体。そこに大量に貼り付けられた御札から。
それらが突如、青白い炎に包まれ、音も無く燃え尽きていく様だった。
「―――サーシャっ!?」
「っ!? ち、違うわっ!」
ポルトの問いかけに、一瞬逡巡したサーシャが首を横に振る。
その意味は『魔力が関わっているか』。そして答えは、否。
「……どうする? 箱を引き剥がしてみるか?」
「なっ!? おいおい無茶を―――」
クルガンの呟きに、畏れと怯えが入り混じった声を上げ目を剥くラクス。
そんな彼の言葉を、夜闇を照らす閃光が遮る。
それは、少女の身に残っていた御札が一度に火を噴き、一瞬にして燃え尽きた光だった。
「「「「…………」」」」
―――何かが、起きた。
なにかが、
そう断言できる程の得体のしれない
ほんの僅かの間、少女の瞼が一度閉じられ、そしてゆっくりと開かれる。
そこには消えていた光が再び、しかし明らかな変質を起こして輝いていた。
「《───ぇ……ヨ》」
少女の口が、パクパクと動く。
何かを確かめるかのように。何かを思い出すかのように。
喉を引きつらせ、呻くような音を漏らしながら。
「《───かエ゛……よ》」
少女の手の中にあった箱が、ゆっくりと浮き上がる。
小刻みに震え、微かに上下しながら、やがて少女の首元の高さへ。
自由になった手が離され、その右手は勢い良く正面へと翳され───
「《控えよッ!!》」
声音は少女の、されど悍ましいまでの寒気が乗せられた一言が、その口から放たれる。
それは物理的な重圧すらを伴って、野営地に存在する全ての人間の耳朶を叩いた。
「あ、が……っ?」
どさり、と。
一人の冒険者が力無く倒れた。
「お……」
「う、あ……」
一人、また一人と倒れ伏していく冒険者達。
その足元で、小さな虫やネズミまでもがその場に縫い付けられ痙攣を始め。
「う……お、おい、だいじょ……う……?」
その状況下で動かんとしたのは、少女が渡した御札を握っていた冒険者。
しかしそんな彼も、倒れた仲間に駆け寄ったところで、糸が切れたかのように地に伏せる。
倒れた彼の手の中で、握り締められた
「…………何だよ、こいつは」
「「「…………」」」」
やがて、その場に立ち続けていたのは、僅かに四人。
無数の死線を越えてきた練達の冒険者『銀の翼』だけがこの少女の―――否、その身体を借りた
《…………》
(…………)
《……………………》
(……………………)
《……ちゃうねん》
(……?)
《これはな……ちゃうねん》
(……そうですか)
《…………》
(…………)
などと当霊(?)は供述しており……