※この作品はフィクションです。
実在の人物・事件・団体とは一切全く一寸たりとも関係はございません。
「―――指輪が見つかった?」
マースル領主館、執務室。
朝も早くからどこか気もそぞろに書類を眺めていた領主 フォルナー=マースルは、息を切らせ駆けこんできた使用人の報告に目を見開いて問い返した。
「では賊を捕えたのか?」
「いえ盗品が……とある場所で見つかったのです」
「ふむ? 隠し場所を発見したか、それとも市場にでも流れていたか?」
「いえ、それが……」
領主が問いかければ問いかけるほど、使用人の返答は歯切れが悪くなっていく。
これは厄介な者の手にでも渡っていたか───と、彼は己の権力でも簡単には口止めのきかない人物を脳裏に挙げていた。
「とにかく言い淀む暇があるなら早く話せ。早急に対応を考えねばならん」
そう言って彼は、今なお視線を泳がせる使用人を強く促す。
常から彼は柔らかな人柄、という言葉には縁の無い男であったが、この日の彼は輪を掛けて募る苛立ちを表情に滲ませていた。
何故となれば、今回の騒ぎの原因が領主たる彼にとっても
軽々に口にはできないが、いよいよ
それ自体を惜しむ気持ちは───全く無いとは言わないが、何より
そんな付随する面倒事に早くも思考を飛ばしつつあった領主へと、促された使用人は顔色を白くさせながら口を開いた。
「―――女神様の御手元です」
「…………は?」
想定外過ぎる発言に、思わず漏れたのは呆気にとられたような呟き。
そんな主の様子が果たして目に入っているか―――どうも敬虔なシャニム教徒でもあったらしい使用人は、ガクガクと身を震わせながら吐き出すように報告を続けた。
「指輪が教会の礼拝堂……女神シャニム様の石像の指に嵌められていたのですっ」
「…………賊が、そこに置いていったのだな」
ややあって、再起動した領主から出たのは、非常に現実的な見解。
呆れたように息を吐いた主に、使用人は「ああっ」と呻いて、自らを抱くように両肩を握った。
「……それで、回収は?」
「そ、そのような事が出来ようはずもありませんっ」
「…………教会の者と話がつけられなかったのか?」
信頼をおく部下の中に、こうも信心深い奴がいたのかと、領主は額をおさえて小さく呻く。
しかもどうみてもただ単に神を騙っただけの使い古された手法にここまで惑わされるようでは、その認識も改めねばならないか……と、ただでさえ痛む頭に別の悩みを加えていた。
「……もう良い。お前には暇を出す。とにかく今日は休め」
そう言って鷹揚に手を振り、意外な信心深さを見せつけてくれた部下に退出を促す。
改めてまともな判断力を持つ者に教会に向かわせるか、と彼が考え始めたその瞬間。
「―――フォルナー様っ!」
「む……ああ、お前も戻ってきたか」
「っ、盗品の在処については―――」
「ああ、既にこいつから聞いた。……で、お前はどうなった?」
駆け込んできたのは先に報告に来た者とは別の、同じ命令を与えていた使用人。
今度はまともな報告を聞けるだろうかと、それなりに期待した彼に対し―――
「懺悔を、させましょう」
「…………はぁ?」
思いつめたように、しかしはっきりと告げられた言葉に、再び彼の思考は凍りつく。
一方、先に退出を命じられた使用人が、我が意を得たりとばかりに頷き同調を始めた。
「女神様よりこれ以上の御不興を買う前に、全ての罪を認めさせ、反省を促しましょう」
「っ、そ、そうですっ! この地から女神様の御加護が失われる前にっ!」
「…………お前達は何を言ってるんだ?」
揃って意味不明な主張を始める二人に、彼の声が次第に極寒を纏っていく。
だがその思考が苛立ちと失望に塗り潰される寸前で、果たして何事が起これば二人揃ってこうも惑わされる事態になるのか、というある意味根本的な疑問が彼の頭をもたげた。
「……いったい何を見たというのだ、お前達は」
主からの問いに、二人は顔を見合わせ、喉を鳴らし―――厳かな口調で声を揃える。
「「女神様が
「…………えぇ……?」
領主は三度、思考を飛ばした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―――最初に『それ』に気付いたのは、石像を正面から見ることになる参拝者の一人だった。
時刻は早朝。静謐な冷気の中で祈りを捧げる者達の耳朶を叩きつけたのは、悲鳴染みた叫び。
驚き集まった視線の先には、腰を抜かしへたり込む一人の青年。
そしてそんな彼が、震える指先で指し示す方向に目を向けてみれば―――彼らが敬愛する女神の
―――石像が涙を流す、という光景に対し『有り得ない事が起きている』と、冷静に思考出来るような人間は、幸か不幸か居合わせてはいなかった。
何故ならその場に居たのはいずれも、日の出と共に参拝に訪れるような信心深き者達のみ。
ひいてはその光景を即座に『神の奇跡』と認識するような者以外が居る筈もなかったのである。
奇跡を目の当たりにした信徒たちは、即座に街中を駆け、叫びまわった。
彼らは『神の御意思』をなるべく多くの人民に伝えることを己が使命と捉えたのだ。
然程時間を要することも無く、野次馬を大いに含んだ人の波が瞬く間に教会を覆い尽くしたのは最早当然の帰結と呼ぶべきだっただろう。
結果として、女神が涙を流し尽くし、黒ずんだ跡が頬に残るのみとなるまでに、街の人口の凡そ一割ほどがさして広くもない一施設に集う事態となる。
必然的に生じた押し合いへし合いの騒ぎの中、誰かが
―――女神様が見慣れぬ指輪を嵌めている、と。
白石を削り出し作られた石像の指にはめられた、紅い宝石をあしらった指輪。
『涙』との関連性に人々が疑問を抱く中、先の叫びにも負けぬ声が喧噪の中に響く。
―――自分はあの指輪の持ち主を知っている。
―――あれは、ある知人が肌身離さず持っていたはずの物だ。
―――打ち棄てられた彼女の遺体から、ついに見付からなかった物だ、と。
命と共に失われた、あるいは奪われた指輪。
それを手中に、嘆きを露わにする女神。
情報が与えられれば、人々が
その場には、実に多くの人間が集まっていた。
指輪の由来、元の持ち主を知る者が居たように―――それを
また、そんな『彼』にとってしても―――『雇い主からの命令』など『女神への敬愛』の前では比べるべくもなかったのである。
「―――とんだ茶番だな……」
そう言い捨てながらも、領主フォルナーは顔の半分を手で覆い、深く嘆息した。
眼下に跪く二人―――奇跡の渦中にある『盗品』について懇切丁寧に『喧伝』してくれたという部下達を叱責する気力も沸かず、彼は椅子に腰を落とし項垂れた。
「……『奇跡』とやらをどうやって起こしたかは知らんが、なかなか都合良く事を運んだものだ。いったい何人の協力者が……いや、今更考えても詮無い事か」
自嘲気味に呟き、顔も知らぬ『賊』へと彼は心中で拍手を送る。
それから暫し瞑目していた彼は鋭い眼光を宿す目を見開き、未だ床に縫い付けられたかのように不動を保つ二人に、厳然と言い放った。
「……『あれ』を連れて来い。大至急だ。寝こけているならば、叩き起こせ」
「「はい、フォルナー様」」
領主が眉間に深く皺を刻んだ命令を、二人は想定通り―――あるいは期待通りとばかりに力強く頷き、争うように部屋を後にする。
「あの阿呆が……」
その場で溢された彼の呟きが、
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
―――当然、わたくし
丁度私の見ている前で、文字通り叩き起こされたらしい領主の息子が連行されてきた。
使用人を口汚く罵りながら、されど両脇抱えられた様で口以外に出せるものなど有る筈も無く、されるがままズルズルと引きずられてのご登場。
いやぁほんと……何だコイツ。『彼女』の記憶で見たわけだけど、それも踏まえて何だコイツ。
「……ようやく来たか、カトル」
「ああ……こんな朝っぱらから何だよ親父」
掴まれていた腕を摩りながら、寝起きと分かるぼさぼさの頭を不機嫌そうに掻く青年。
見た感じの年齢は二十代前半。……十五で成人扱いなこの世界基準だと、おっさんの域か。
指輪を盗られた女性―――騒ぎの中で泥棒さんが叫んだ名前はロザリー、だったかな?―――に対し、暴行、殺害の上に、亡き夫から贈られた指輪を「気に入った」の一言で強奪した男。
……この頭の切れそうな領主さんから何がどうなればこんな『産業廃棄物』が生まれるのかと、小一時間問い詰めたい気分っすねー。
……それにしても、これだけ広く宗教―――というか神の存在が信じられたこの世界で、しかもあれだけの伝聞からこの騒ぎを『サクラ』付きの『人災』と断定するあたりは素直に凄いと思う。
あの口振りからして、それを分かった上で敢えて『乗る』つもりみたいだし。
いやまあ、元々この
それに泥棒さんは元よりエキストラを集めてた皆さんも、ここまで騒ぎが大きくなるのは想定外だっただろうに、即興でよくあれだけ同調できるもんだよねぇ。侮れないよ、この世界の人達。
「……あの、話違くない?」「コレ、仕込みだよね……?」「え、でも……どこまで仕込み?」的な感じの視線を発起人であろう泥棒さんにチラチラ送ってたけど。
そんで泥棒さん当人も若干どころじゃなく引きつり笑いを浮かべてたけど。
まあ、最終的には「本当に女神様が……まさかな」って感じで良い笑顔を浮かべてたし、横から多少『盛った』事については、許してもらえるだろう。
私がした事なんて文字通り水をちょろっと『盛った』だけだしさ。……石像の目の部分にね。
具体的には、人が入ってくる時間まで流れ出さないように、それから涙の如く流れ落ちるように調整して指で押さえてたくらい。
指輪についても彼女の墓で発見されるよう泥棒さんがセットしてたのを、折角だからと女神像の指に嵌めといただけだ。
……こっそり教会に入って誰もが目に付く場所に置くってのは、生きた人間には難しいよね。
まあ、ひとつ懸念を挙げるとすれば……あの場にお集まりだった皆々様の異様なまでの信心が、私の『霊力源』にどかっと入ってきたことか。
……これ、ひょっとして信仰のエネルギー的なものを思いっきり横取りした形なのでは?
本物の女神様に対して全力で喧嘩売ったことになってたりしないよね? ね?
違うんすよ。予想外だったんすよ。なのでいち幽霊に気勢を上げんで下さい、切に。切に。
「―――懺悔しろ、だぁ!? 何言ってやがんだ親父っ!」
おう、ちょっと見ないうちに話が進んでら。
叫んでもしょうがないだろうに、この手の輩は世界が変わっても変わりませんなー。
「今、言った通りだ。揉み消せる規模を超えた。こうなれば私も領主としてお前を裁かぬわけにはいかん。その上で民衆にお前が罪を償う意思を持つ、と示すにはそれが一番都合が良い」
……揉み消そうとはしてたんか。指輪が盗まれてなければ、他に証拠は無かったとか?
向こうの世界の警察みたいな科学捜査なんてこの世界には無いだろうしねえ。
そのぶん魔法で何とか出来たりは―――被害者が貴族でもない限り魔法による調査とかしないし出来ないですかそうですか。毎度ご苦労様です、『私』。
「たかが平民の女が死んだぐらいで、何で俺がそんな面倒な事をしなきゃならねえっ!?」
「……罪の無い人間を殺した時点で、極刑になってもおかしくはないんだがな」
あっ、息子くんの返しに、これまで無表情を貫いていた領主さんの目が死んだ。
「もう、こいつ、駄目だ……」的な感情が滲み出てるのがよく分かる。
がっちり脇を掴んだままの使用人二人も呆れ―――あ、青筋浮かべてキレる寸前やね。
「俺はあんたの息子だぞっ! 次期領主だぞ!?」
「だからこそ面倒だった。処分にも手間が必要だったからな。……だが良い所に口実をもらえた」
……ぁん? 口実?
「お前の行いに、女神様がお怒りだ」
「……はぁ?」
「故に私は女神様の意思に従い、お前に告解をさせ、しかるのち廃嫡を行う」
「な、何を言って―――」
「女神を怒らせたとなれば妥当、いや寧ろ温い方だろう」
「神敵を野に放つおつもりですか?」
「なっ、おまえ……ッ!?」
ゴミを見下ろすような使用人のセリフに息子くんが絶句する。
「神敵ってお前……」と領主さんは流石に辟易した顔を
「……『奇跡』の熱が冷めんうちに準備をさせる。お前は教会に連絡しろ」
「はい、フォルナー様」
「それからお前は……そいつが逃げ出さないよう地下室に放り込め」
「はっ、お任せを」
「なん……何だよっ! 奇跡って、何を言って……!?」
「……詳しいことはそいつに聞け。私は直接見たわけではない」
最後は若干投げやりに指示を与え、退出を促す領主さん。
息子くんはまだ目を白黒させつつ言葉にならない罵声を飛ばしていたが、有無を言わさぬ
…………んむう。
このままでもしかるべき罰は与えられるんだろうけど、いくらなんでも反省というか、罪の意識無さすぎじゃないか息子くん?
それに息子くんの頭が
……何をこれ幸いと言いたげにしてんだ。既に安らかに逝ったとはいえ、被害者の命はあんたの口実作りのためにあったんじゃねーぞって話よ。
……よおぉし、決めた。こうなったらもう少しばかり『自己満足』を続けてやろうじゃないか。
大丈夫、大丈夫。ちょっと
日光に塩に銀に聖水その他聖なる何某による
うらめしやー。私の恨みではないけど、うーらめーしやー。
信心深い人間を巻き込み、神様が盗品を取り返してくれた、的な美談を作る計画はありました。
どこぞの騒霊(?)のせいで予定の十倍以上の人間にガチ奇跡認識されることになりましたが。
これには仕掛け人一同、愉快痛快大困惑。
領主氏も信心が無いとは言いません。
ただそれ以上にめんどくさいなぁ、とか思ってます。現状では。