アブソリュート・レギオス   作:ボブ鈴木

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02.狂人ユリウス

 

 

天剣授受者の強さを目の当たりにし、ユリウスは変わった。

やっている事に変化はない。ただ只管に自分を鍛え抜き、汚染獣が来れば一武芸者として出撃するだけだ。

 

違うのは、以前ならば在った余裕が一匙分も残されていないことだ。

何かに追われる様に強さを求め、朝から晩まで練武館へと篭もり、鍛練の最中に意識を失ったのは一度や二度ではない。意識を失った翌朝、目覚めた練武館でそのまま鍛練を再開する様は間違いなく尋常の沙汰ではなかっただろう。

 

汚染獣が来れば必ず戦闘に参加した。グレンダンでは余程の規模でない限り汚染獣戦は任意参加だ。それだけ武芸者の層が厚いのだが、同時にコンディションを保つための準備期間を設けられるという事でもあった。

しかしユリウスは全ての汚染獣戦で出撃し続けた。過度に遭遇の割合が偏った時期であっても、終戦まで数日を要する長期戦であっても、戦場がある限り毎日戦い続けた。

 

それは傍から見れば十人が十人異常だと捉える姿であった。まるで狂気に駆られる様に戦いを求める男の姿は、健常な精神を持つ者に言い知れない嫌悪感を与えた。

誰が呼んだか『狂人ユリウス』。常人としての在り方を捨てた彼を侮蔑する呼び名であり、常人としての在り方を捨ててまで武芸者たらんとする異常者への畏怖を込めた称号であった。

天剣足り得る実力を持たぬにも関わらず、その在り方を模倣しようともがき狂う狂人。彼を支配するのが狂気と紙一重でありながら逆のベクトルの感情である恐怖だということは余人には知りえぬ事実であり、同時にそれを察する者にとっては意に介す程の意味はない物であった。

 

 

 

 

死が現実の物だと知ったユリウスは恐怖した。この世界で誰よりも死を遠い物として扱っていた男の精神は摩耗し、その安寧を根刮ぎ奪ってしまっていた。

鍛えても、鍛えても、もう少しも強くはなれない。今の自分が才能の限界に達してしまっていると理解するのは早かった。

誰よりも強くなる事に偏執した故の絶対的な確信に失望はない。在るのは天剣を目にした時から変わらぬ絶望だけだ。

汚染獣戦の合い間に続ける鍛練は肉体を衰えさせない以上の意味はなく、以前ならば使命感によって僅かばかりの高揚感を得られた狼面衆との戦いには何も感じなくなった。

 

未来への焦燥感によって募る苛立ちを晴らすべく、ユリウスは躍起になって狼面衆の気配を追い求めた。

世界で唯一アイレインとリグザリオの意思を汲む活動を続けているグレンダンは、狼面衆にとって成果の有無に関わらず攻め続けなければならない場所である為、工作紛いの妨害行為を行う狼面衆をそれなり以上の頻度で発見するのは難しいことではなかった。

また、狼面衆に対応できる人間の少なさもあった。後の時代ではクラリーベル・ロンスマイアとミンス・ユートノールの二人しかグレンダンで狼面衆を感知できないとあったように、今の時点で能動的に狼面衆の活動を妨害しているのはユリウス唯一人であったのだ。

 

恐らくそれは意味のない行為であった。仮にユリウスが狼面衆の暗躍を無視したところで、彼らの思い通りには決してならない筈なのだから。

女王アルシェイラはオーロラ・フィールドへの知覚能力を抑制することで意図的に狼面衆を避けているのだろうが、少なくとも天剣キュアンティスの座に在るデルボネが、みすみす有象無象の好きにさせているとは考え難い。

想像の域を出ないが、狼面衆の行動が何かしらの形として現れた時になって初めて人員を送り、対処療法的な手段で狼面衆の脅威を排除しているのだろう。それならばオーロラ・フィールドに対応出来ない者でも狼面衆と対峙する事が可能だ。

事実としてデルボネ・キュアンティス・ミューラはそれによって都市への被害をゼロに出来るだけの超越的な能力を持つ念威操者であり、彼女の立場によって派遣できる武芸者には他の天剣授受者すら含まれているのだ。

ユリウスのしている事は所詮、身の程も弁えない部外者が出しゃばっているに過ぎない。だが意味は無くとも構いはしなかった。

 

狂った都市。何処の誰が言い出したかは知らないが、グレンダンを知る他の都市の人間はグレンダンをそう呼んだ。

本来なら可能な限り避けるべき汚染獣に自分から挑んで行くグレンダンの在り方を端的に表したのだろう。

しかし、今のユリウスはその言葉を否定せざるを得ない。狂っているのはグレンダンではない、この世界だ。

グレンダンで暮らす者は、他所の都市の住人とは逆に『世界一安全な都市』と自分たちの都市を言うが、これは自虐でも揶揄でもない、歴然とした事実なのだ。

普通の都市は何時来るかも分からない汚染獣の驚異に怯え、満足な戦力も抱えず不毛の大地を移動し続けている。それと比べて、如何なる汚染獣と相対したとしても必ず最後は天剣授受者が勝利するグレンダンのなんと安全なことか。

 

結局、ユリウスがしているのは迂遠な延命行為に過ぎない。

グレンダンを天剣授受者の知覚の及ばない場所から害しようとする不届きな輩を狩り尽くすことで、この世界一安全な都市を少しでも危険から遠ざけようとしていたのだ。

それが意識的にせよ無意識にせよ、ユリウスはグレンダンという都市に庇護されることを望んでいた。

嘗て運命を変えると決意した男が、今やその在り方を狂人とまで言われる男が。より高みにある強者に縋りつき、こうべを垂れ命乞いをしているのだ。

それはユリウスにとって筆舌に尽くせないほど惨めな行為だった。世界の中心だと信じて疑わなかった自分が、遥か高みから見下ろされる凡愚でしかなかったという証明。

嘗ての自分の決意は野心というにも醜悪な独り善がりでしかなく、誰に期待されずとも自分の進む先にこそ運命があると信じていた前提が崩れ去った。

狂人の名の如く、いっそのこと本当に狂ってしまえたらどれだけ楽であったか。この夢の世界は、まさしくユリウスにとって地獄であった。

 

 

 

 

 

 

 

 

そんな獄中の様な人生の中で、ユリウスにとって転機となる出来事はあった。

月の見えない暗い夜だった。雲が満月を覆い隠し、世界の守護者の目のない時だと揶揄するように、奴らは行動を起こしていた。

もう阻止した回数を数えるのも億劫になった狼面衆の暗躍。あの手この手と方法を変えながら、稚拙なやり口だけは何時まで経っても変わらない。

その日は狼面衆が直接手を下すのではなく、フェイスマンシステムで操った一般人に仮面を付けさせ、ある武芸者の食事に毒を混ぜようとする物であった。

 

「呆れ果てて物も言えんな。天剣授受者を毒で殺せるなどと、どんなお目出度い頭でなら考え付くのやら」

 

狼面を砕かれ倒れた一般人を見やり、ユリウスは暗闇の中で独り言ちた。

ユリウスが居るのはミッドノット家に連なる一部門の訓練施設の一つ。この晩は門下生への指導を理由に、天剣授受者カルヴァーン・ゲオルディウス・ミッドノットが此処で一泊するという情報はユリウスも掴んでいた。

奴らがカルヴァーン個人を標的としていた確証は無いが、王宮かインフラ施設を狙う事が多い狼面衆が武芸者の宿泊施設を狙うとすれば十中八九が天剣絡みだ。

尤も、あの莫大な剄力によって毒など瞬時に自浄出来る天剣授受者に毒を使って暗殺しようとしたのかは、本気で疑問に思う話ではあったが。

 

「う、ん――――あ……貴方、は?」

「ちぃ……!」

 

意識を失っていた一般人の女が不意に目を覚ましたことに、ユリウスは小さく舌打ちした。

ささやかな善行を積んでいると言えば聞こえは良いが、人から見ればユリウスがしているのは不法侵入の上に罪もない一般人に錬金鋼を向けているという蛮行でしかない。

女に顔を見られぬ様にと、外套に深く潜らせて隠す。しかし女はそれを気にする余裕もなく困惑に暮れた様子でいた。

 

「私、叔父様のお食事に毒を……でも、どうして……そんなこと何故、私が」

 

覚束無い記憶を必死で探る女の顔は、暗い部屋の中ではユリウスには見えない。

狼面衆に操られた人間がその時の記憶を残しているのは希だ。さっさと逃げてしまおうと考えつつも、これが意外な状況である事にユリウスは足を止めていた。

女がそのか細い体を両腕で抱き竦めると、その足元に小瓶が音を立てて転がり落ちた。

混入が未遂で終わった毒の入った小瓶を拾ったユリウスは、それを外套のポケットの奥深くに仕舞い込んだ。

 

「今日の事は忘れてしまえ、毒なんて何処にもなかった。君は少し、悪い夢を見ていただけだ」

「……夢?」

 

何の意味もない薄っぺらな慰めに、ユリウスは我ながら上手い事を言った物だと自嘲した。

そう、こんなのは夢だ。かつて自分が夢見た世界で、敵を相手にしての活躍。今はまだ覚めなくても、胡蝶の夢の如く何時かは目が覚めるのだと。

例えばこの命が失われた時。自分はあの懐かしい布団の上で何の事もなく目覚めるのではないかと、今も思う時がある。

ユリウスが今夜の出来事を夢だと信じさせたい相手はこの見知らぬ女ではなく、自分自身に他ならなかった。

その時だった、まるで運命の悪戯の様に……月が、雲に隠した顔を覗かせたのは。

 

「…………っ!」

 

月明かりによって顕になった女の姿に、ユリウスは息を呑んだ。

透き通る白い肌、薄闇にあってなお輝く蒼玉の瞳。そして何より、前世で見た月とそっくりな色の白金の髪に目を奪われた。

端正というにも言葉が足りない。そんな美貌に、ユリウスは此処が何処かも忘れて放心していた。

見詰める男、俯く女。そんな二人の間に流れた静寂は、突如として響く雷鳴の如き轟音によって引き裂かれる事となった。

 

「無事か、アリシアっ――――ッッ、貴様ァ!!」 

「……叔父様!?」

 

蹴破られた扉は文字通り吹き飛び、ユリウスは自分目掛けて迫るそれを咄嗟に大鎌で払い除けた。

現れた人物を見間違える筈などなかった。厳格なる武芸者の規範とも言える面持ち、物理的な圧力すら放つ剄力。

グレンダン最強の一柱たる武芸者の頂点、カルヴァーン・ゲオルディウス・ミッドノットを見紛う者が、グレンダンの武芸者の中に居る筈がない。

脊髄反射のままに大窓の側へと跳んだユリウスは、女を庇う為に前へ出たカルヴァーンの恐ろしいまでの怒気に身を震わせた。

 

「天剣が威光すらを恐れぬ愚か者がッ! アリシア、伏せていろ!!」

「えっ……いけません叔父様、その方はっ――――!」

 

寸前に聞こえた女の静止を掻き消して、剄の波動が大気を呻らせ空間を支配する。

ユリウスにはまるでスローモションの様にカルヴァーンの動きが見えた。生命の危機がもたらす思考時間の延長が、奇跡の反応速度をもたらしたのだ。

全てが遅くなった世界でユリウスが感じたのは、カルヴァーンの持つ剣がその象徴たる天剣でなかった事への安堵か。それとも、認識してなお避ける事の許されない絶技への恐怖か。

何れにせよ、その感情を処理するより先にユリウスが衝撃の激流に巻き込まれ、窓ガラス諸共野外へと弾き飛ばされたという事実が残るのみであった。

 

 

 

 

 

件の事件より数日。ユリウスは負傷した身体の治療のため通院を余儀無くされていた。

思えばもっと真剣に考えるべきであった。天剣授受者の実力など今更論じるまでもない狼面衆が、何故あんな粗末な暗殺計画など立てたのかと。

要は行動を起こす度に襲撃を掛けてくる邪魔者を、より絶対的な強者とぶつけて消してしまおうというのが狼面衆の狙いだったのだ。

まんまと囮の計画に踊らされたユリウスは、その褒賞に天剣授受者の剄技を受けて生き延びるという人生最大の快挙を成し遂げた訳である。

自分の阿呆さと無様さに首を吊りたくなるくらい惨憺たる結果だ。これで身元が割れていたら、本当に首を切られる事になるのであろうが。

ここ暫く汚染獣戦の無い今に現れた重症患者に医者は不審な目を向けていたが、カルテを見るなり訳知り顔になっていたのでそこは問題無かった筈だ。

ライヒハートは言うに及ばず、ユリウス個人の悪名も医療関係者に知れ渡るまでになっているのであった。

 

 

未だ気怠い体を押して自宅に戻ったユリウスは、門前に見慣れない人影が在る事に気が付いた。

憎らしいくらいに燦々と照りつける陽射しを日傘で遮り、純白のワンピース姿から醸し出さる清楚さは、目の前の暗鬱とした屋敷を誰の家なのか忘れさせる様な雰囲気を纏っていた。

振り向き様にサファイアの瞳がキラリと輝いて、ユリウスの姿を見た女はニコリと笑みを浮かべた。

 

「こんにちは、良いお天気ですね」

「………どうも」

 

朗らかな挨拶に余りにもぞんざいな返事をして、ユリウスはさっさと家に入ろうと門を開けようとするのであった。

すると門に手を掛けたユリウスの腕を、女の白く細い腕がそっと掴んだ。

掴むと言うよりは触れると言った方が正しい行動であったが、それだけの事で門に巨岩の如き重さが加えられた様な錯覚を受ける。

多分に苛ただしさを滲ませた視線で女を睨めば、向こうはそれを微笑ましげに見つめ返すだけであった。

 

「御当主を訪ねて参りました、お取り次ぎ願えますでしょうか? 夢の中で救われた女が会いに来た……と伝えて頂ければお分かりになると思います」

「御足労頂き恐縮だが、当家に脳神経へ干渉する剄技を開発した者は居ない。人違いだろう」

 

芝居の掛かった女の物言いに、分かっていながら要点を外した返答を返してやる。

何が可笑しいのやらクスクスと笑う女は、手に提げた鞄から何やら手紙が入れられているらしき封筒を取り出した。

白い封筒、ちらりと施された封蝋を見れば複雑な紋様が刻まれている。それにユリウスは渋面を浮かべるしかなかった。

 

「私の叔父、カルヴァーン・ゲオルディウス・ミッドノットより、ライヒハート家御当主ユリウス・ライヒハート様へのお手紙を預かって参りました」

「……話は中で聞こう」

 

封蝋に押された印は武芸者ならば一度は目にするであろう代物であった。カルヴァーンが天剣授受者に叙任して以来、何かと公の場に出る事の多くなったミッドノット家の家紋だ。

家紋付きの手紙は使者として十分な証拠で、事実ミッドノットの関係者である事はユリウスがその目で確認している。

天剣授受者の名はこの都市では絶対であり、おまけに身に覚えもあると来たのだから門前払いなど出来る筈もなく。

あわよくば知らぬ存ぜぬでゴリ押しする気でいたユリウスは、腹を括る以外の選択肢が残されていない事に肩を落とすしかないのであった。

 

 

 

 

女を連れてやって来たのはライヒハート邸の客間だ。

最後に手入れをしたのが何時か分からない埃っぽい部屋は、申し訳程度の調度品すらも完全に色褪せている。

以前に住人以外の人間を通した事が有るかどうか、恐らく前当主が現役だった頃に遡っても有ったかどうか怪しい程の無意味極まる空間である。

 

「申し遅れました、アリシア・ミッドノットと申します。どうぞ、よしなに……」

「ユリウス・ライヒハートだ。父から家督を譲られた以上、形式上は自分が当主を務めている事になる」

「ふふ、存じておりますわ。ご高名はかねがね」

 

形ばかりの挨拶でしかないのに、この時点で皮肉を言われている気になるのは自分に負い目が在るからだろうかとユリウスは思うのであった。

尤もアリシアの様子から他意は感じられず、また言葉の内容によって不快になる様な事はまるで無かった。

当の彼女は快適さとは縁遠い客間の惨状に眉一つ顰めず、上流階級特有の品のある微笑みを静かに浮かべるだけである。

何と言うか、不思議な女性だ。彼女から発せられる雰囲気のせいか、普段は墓地の如く陰鬱なライヒハート邸が妙に華やかに見える。

 

「まずは私個人からのお礼を言わせて下さい。あの時ユリウス様に助けて頂けなければ、きっと取り返しの付かない事になっていました。ありがとうございます、どれだけ感謝しても足りないくらいです」

「さて、何の事やら。失礼ながら、ミッドノット家との交流は先祖を遡っても一度として無くてね」

「あらあら……ところでユリウス様、大鎌の錬金鋼をお使いになる武芸者の方が今のグレンダンに何人いるかはご存知ですか?」

「……流石はゲオルディウス卿の姪御殿であらせられる。武芸への見識をもお持ちとは、恐れ入る」

「くすくす、お褒め頂き恐縮です」

 

楽しげに笑うアリシアを見て、ユリウスはキリキリと痛む胃を自覚せずにはいられなかった。

あの晩、やはり最大の失態であったのが錬金鋼を抜いた事であるのは間違いないだろう。

あんな酔狂な錬金鋼を扱う武芸者など現在ではユリウス一人。それどころか歴史を探してもライヒハートの人間しかいないのである。

あの程度の薄闇でカルヴァーンの目を欺ける訳も無いのだが、翌日になっても屋敷が憲兵に取り囲まれていなかったので何か理由を付けて見逃してくれたのではと、儚い希望を抱いて今日まで過ごして来たのだが……

 

「叔父様からのお手紙です。ご覧になって下さい」

「ああ、拝見しよう……」

 

カルヴァーン本人からの手紙だと言うなら逮捕状や出頭命令ではないのだろうが、果たし状の類でないことを祈るばかりである。

家紋付きの封を破ることに恐れ多さを感じながらも、開けて見れば意外にも便箋一枚の簡素な中身だった。

黒いインクで綴られた内容は、書き手の性格を表した様なガチガチで古風な文体であるため、解読に必要以上の労力を必要としたが概ね理解は出来た。

『先日、貴公が屋敷へ侵入した件で―――』などと心臓に悪い出だしの文を要約すれば……

 

「つまりゲオルディウス卿には先の一件を不問にして頂ける、という事で間違い無いのか?」

「はい、相違ありません。事実確認を怠っての攻撃に謝意を伝える様にと、叔父様から仰せつかっております」

 

要するに「姪に不届きな真似をした輩を始末した礼に、お前がした不法侵入は咎めない。だからお前も塵芥の様に吹き飛ばされた事は忘れろ」という事である。

寛大にも寛大が過ぎる処遇だ。望んでいたとはいえ、何か裏があるのではと疑ってしまう程に。

疑惑の眼差しをアリシアへ向ければ、彼女は分かっていると言わんばかりに小さく頷いた。

 

「叔父様も、事件直後は大層憤慨されておりまして……"兵を動員してねぐらごと焼き払ってくれるわ"と息巻いて飛び出して行かれたのですが、何でも詰所に着く前に念威端子でユリウス様の任務について知らされたとかで。その後、私の証言と併せて誤解があったと知り、ユリウス様へ文を送る事にされた次第です」

「……任務、だと? ゲオルディウス卿にその事を伝えたのが誰かは聞いているのか」

「いえ、それは私が知るべき事ではないと教えて頂けませんでした。ですが、叔父様のお怒りを鎮められる程の御方だと仮定すると、余程高い地位に在る御人になるかと……」

 

美味すぎる話に裏があるのは当然と分かっていても、今日ばかりは背筋が寒くなるのを抑えられはしないだろう。

念威操者、カルヴァーンが二の句を言わず従う人物。この二つのワードだけである人物を連想するのは容易いことだ。

天剣授受者キュアンティス。この都市最高にして文字通りグレンダンの全て知る念威操者が、たかる羽虫を駆除するしか脳のない、取るに足らない凡愚の為に態々口を出したという事だ。

これは警告だ。仮にデルボネにどんな真意があろうとも、それだけは絶対だと言える。

一つ、何を知り、何をしようと勝手だが、お前の行動は全てデルボネ・キュアンティス・ミューラの監視下ある事を忘れるな。二つ、都市の益となる行いに免じて今回は手を貸すが、これに懲りたならば確実を期したやりかたを心掛けよ。

恐ろしい事実であった。ユリウスはデルボネを知っている、それは鋼殻のレギオスの読者という正しく神の視点によって得られた知識であったが、ユリウスがデルボネを知る以上に、デルボネはユリウスの事を完璧に把握していたのだ。

天剣授受者の異常性を理解したつもりになっていたが、まだ認識が甘かったと再確認せざるを得ない。衝動の赴くままに十年近く続けたユリウスの活動に、たった一度の事で完全に釘を刺されてしまったのだから。

念威という特異能力が生み出した、深淵なる叡智の化物。全くもって愚かしいにも程がある、神の視点を経験しただけの凡夫が、何を思って彼女らと並び立てると信じていたのやら。

 

「大丈夫ですか? お顔の色が優れませんが……」

「……お気遣い痛み入るが、心配は無用だ。今日は忙しい中ご足労頂き感謝する、ゲオルディウス卿には後日改めて返事を送らせて頂くとお伝え願いたい」

 

その秀麗な容姿に憂いげな表情を見せ、アリシアはユリウスを気遣った。

男としてはそれだけで舞い上がってしまいそうではあるが、生憎ユリウスの頭の中はそれ以外の事で一杯一杯の状態であった。

額に浮かんでいた冷や汗をハンカチで拭おうとしたアリシアを手で制し、彼女と対面していたくなかったユリウスは堪らず席を立った。

無様な顔色を見られたくないが為に窓際へと歩き目を外にやったが、背後のアリシアが何時まで経っても帰る気配を見せない事に、ユリウスはちらりと視線を向ける。

 

「まだ、何か要件があったか」

「不躾ながら……どうか、お聞かせ願えますか? 私はあの時、どうしてあの様なおぞましい事をしようとしてしまったのでしょうか。あの仮面を付けた集団は一体……あの仮面とは、何の意味を持っていたのでしょうか」

 

真実を知りたいと、アリシアはユリウスへと縋った。

彼女がユリウスへの使者として現れたのは、結局の所これが目的だったのだろう。

尊敬すべき偉大な叔父へと向けた暴挙が、自分自身の意思ではなかったという確約を得たい……そんな辺りかと考える。

事実を事実として教えるのは簡単だ。そう思って口を開いたユリウスは、出かけた言葉が喉に閊えた事にもう一度口を閉じた。

 

「それについて、君の叔父上は何か仰っていたか?」

「叔父様は、ただ私は悪く無いという事しか……他は何も知らなくても良いと、教えて下さりませんでした」

「なら、それが答えだ。俺から君に言える事は何も無い」

 

既にデルボネから釘を刺された後だと、情報の秘匿を理由に全ての責任を放り捨て、アリシアを突き放した。

別にカルヴァーンを恐れた訳ではない、デルボネを恐れた訳でもない。抱える物の重さから逃げたかった、それだけだ。

天剣授受者に名前を憶えられ、見られているという事実。目の前の美女が自分に感謝を抱き、心を明かそうしている事実。

それらに全て蓋をして、ユリウスは目を逸らして無視を決め込んだ。期待など、されたくない。どうせ何時か失望の眼差しを向けられるくらいなら、初めから興味など持たれたくないのだから。

 

「帰りなさい。不必要にこの家に留まるのは君の為にも、君の叔父上の為にもならない。今後、此処には二度と近寄らないことだ」

「……分かり、ました」

 

傷ついた様に目を伏せる彼女への罪悪感は、固く無表情の中へと押し込んだ。

これでいい。この都市の住人として目覚めてから父以外の人間と関係を持たず、当主となってからは意識して人を遠ざけてきた。

これは渡世術であり、生きるための術だった。夢の中の登場人物に対して要らぬ感情を持つ事は、本当の意味でユリウスを戻れない所まで引きずり込んでしまうことだと分かっているのだから。

それが何を持って正しいのか、何に対して正しさを示すのか、そんな事も理解できないまま。

ユリウスは霞んだ過去の記憶の中にしかない、自分の在るべき本当の居場所に想いを馳せ、全てから目を逸らすことを決め込むのであった。

 

 

 

 

 




歳食った分だけ環境に順応しつつも、着実に色々こじらせているユリウス君。よく知りもしない相手の行動発言に一々理由を考える不毛な行為を繰り返していると、こんな高二病のお化けみたいなのが生まれる……かもしれないという悪い見本です。

カルヴァーンは原作でかなり好きなキャラだったりします、出番ないけど。
他にはサヴァリスとかハイアとかアイレインとかエルミとか……見事に噛ませと人格破綻者ばっかりですね。
多分、普通に生きてたら人生イージーモードなのに、何故かガチ縛りして悲惨な事になってるみたいな矛盾が好きなのかもしれません。

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