グレンダン市街地郊外、その最も外縁部に近い住宅地。
この地区はかつて約百年ぶりに都市計画法が見直された際に、市街化区域の区分を外された場所だ。
アルシェイラが王である現代では稀である物の、それ以前は引き下げられた最終防衛線と重なる事が度々あったこの場所は、市民の生活圏としては不適格であるとして他区域からの移住を禁止されたのだ。
この場所に残されているのは住人が去り草臥れ切った家屋に、当時は僻地ながらも商店街として機能していた廃屋の群ればかりであった。
そんな廃墟の街を夜、一人の老人が歩く。
頭頂部は禿げ上がり、残った腰まで伸ばした髪と同等の長さの顎髭の真っ白さは、刻まれた深い皺と併せて老人が一目で察せられる以上の高齢である事を窺わせる。
しかし、それらが老人を見窄らしく見せているかと言えばそうではない。老人らしからぬ長身は腰の曲がる事なく伸ばされた背筋による物であり、見る者が見ればゆったりとした着流しの上からでも未だ肉体が屈強さを失っていないのを見て取る事が出来る。
威風堂々とした佇まいは貴人特有の気品に溢れ、重ねられた年輪によって厳かとも言える雰囲気を醸し出していた。
普段の好々爺然とした表情がなりを潜めた今のティグリス・ノイエラン・ロンスマイアをグレンダン国民以外が見たのならば誰もが思う事だろう、この人物こそが都市を治める王ではないのかと。
「……此処か」
風化し崩れかけた街道を踏みしめながらティグリスが訪れたのは、廃墟群に隣接することなくポツンと立つ一軒家であった。
この建物が他の建築物と違うのは明かりが灯されているのが外から分かる様子と、家屋にも多少なりとも人の手が入っている事が伺える所である。
この地区には、こうした不自然な建物が幾つか見受けられる。それは何かしらの理由によって未だ此処に住む人間が居るという事だ。
建造物の崩落の危険から行政府は地区への侵入を止める様にと注意を呼び掛けているが、そうでなくとも汚染獣の脅威に曝された場所に好んで行きたがる人間などまず居ない。
――――要は隠し物をするにはうってつけの場所という事だ、王政府にとって。
王家の落胤として生まれた子、政争に敗れた大貴族、歴史を紐解く中で多くを知り過ぎてしまった学者、都市機関部の修繕に関わる内に見てはいけない物に気付いてしまった技術主任。
そんな者たちがこの場所から一歩も出ることなく一生を過ごすならば、最後の情けとして命は保証される。誰に望まれる事もない終焉の地が、この街だった。
ティグリスが静かに扉をノックすると、中から家主である人物の足音が近付いて来る。
ベルが無いからと軒先で声を上げる様な無粋な真似はしない。ティグリスが今日この場所へと足を運んだのは極秘の一件であり、それを知るのは女王とデルボネのみである。
『不動の天剣』たるティグリスの能力を以ってすれば尾行の可能性など万に一つも無いが、この都市にはそんな理屈の抜け穴を付くのを何より好む鼠が潜んでいる。
王家の敵などと言った所で何が出来るかというドブネズミでしかないが、穴蔵ごと叩いた所で蜥蜴の尻尾ほどの痛手にもならない生き汚さ故に歴代の王を泣き寝入りさせて来た難物でもある。
狼面衆。ティグリスがよく知る連中は、にわか剣術を引っ提げ意気揚々の孫娘に追い立てられる程度の実力でしかない。
だが狼面衆の数少ない取り柄である実益に繋がる事の少ない諜報能力は、面倒この上ない事に部分的にはデルボネに匹敵しかねない領域に在るのだ。
しかも連中はデルボネがグレンダンへ辿り着く遥か昔から都市に根付き、彼女がグレンダン中央の諜報対策へ関わる以前から付くべき穴を熟知し、その手法を確立している。
業腹極まりないが、機密を守るという事において狼面衆に取れる対策は殆ど無い。それこそ三王家当主とその側近中の側近だけが腹の中に留めておく程度が一番の方法になってしまうのだ。
この一件にしても恐らくはティグリスが動いた時点で、それを嗅ぎ付けた連中はどこからともなく様子を伺っている事だろう。
しかし、だからこそティグリスは秘密裏に、同時に堂々と単身この場へと赴いたのだ。
狼面衆にはこの都市で最も怖い物が幾つかある。一つは自身らを感知する事すら叶わぬ癖に、誤って触れよう物なら羽虫を払う如く己を薙ぎ払う天剣授受者。
次に狼面衆の気配を察知するや否や、我先にと大鎌を抱えて首を刈り取りに現れるライヒハートの一族。グレンダンの歴史上でも有数の狼面衆殺しであった今代は倒れたが、その娘にしてライヒハート史上最大の鬼才が健在である以上、その脅威に差したる低下は望めていないだろう。
そして奴らが何より恐れているのがグレンダン三王家、とりわけティグリス・ロンスマイアその人である。
天剣に相応しい実力とオーロラ・フィールドへの知覚能力を両立した数少ない人物であり、早くから感知能力を封じる事に努めた現女王より遥かに狼面衆への対処に当たった人物である。
不死の能力を得ながら死の恐怖を克服出来ない狼面衆は、刃を突き立てられた時に最も死を感じさせる者こそを恐怖する。
若かりし頃は暗躍する狼面衆へ、策を以って頭から叩いていた時期も在るのがティグリスだ。時間の概念が無い故に当時を忘れていない狼面衆に対しては、この一件にティグリスが関わっていると分からせる事が何よりもの抑止力となる。
扉を開け中から現れたのは一人の男だった。
男はティグリスの姿を確認するや否や。その白髪交じりの頭を深々と、そのまま平伏するかという程にティグリスへと下げた。
「お待ちしておりました、ティグリス様。この様な場所までご足労頂きまして、何とお詫び申せばよろしいか……」
「よい、お前を呼び立てるよりは何かと都合が良かったまでだ。中へ上げて貰おうか、外はどうもドブネズミどもの足音が煩わしくて敵わん」
「……成る程、仰る通りかと。どうぞ、こちらへ」
家主は遠目に見える廃屋群をちらりと一瞥すると、頷いてティグリスを屋内へと案内した。
――――その時ゆらりと、廃墟群の闇で影が蠢いた。家主が視線を外すのと同時に、ティグリスの気配察知の呼吸の合間を潜る様に、影は誰に気付かれる事も無く闇から闇へと居場所を移す。
しかしティグリスも家主も、それを五感ではない別の感覚で確かに捉えていた。今この場に在るのは一人の例外も無く、そんな世界で生きる人間のみであったのだ。
ティグリスが招かれた一室は質素極まる部屋であった。
テーブルと椅子が在り、それ以外は生活の上で利用する最低限の道具がちらほら見受けられる程度だ。
部屋がキッチンと隣接しているのはそもそも客間など存在する間取りの家では無い為であり、ここにティグリス程の人物を通すのは中々の勇気が要る事であるのは確かであった。
「粗末な物ですが、宜しければ」
「茶か、頂こう」
キッチンから出てきた家主が淹れた茶をティグリスは玩味する様に口に含んだ。
カップもポットも、このあばら屋と同じく質としては最低限以下の物。それしか手に入らぬ生活だと言うよりは、男の無頓着さこそがこういった物を選ばせているのだろう。
しかし茶葉だけはそれなりに上等な物であるのが分かった、男にとって拘りなのだろう。それが、まるで自身を皮肉る様に価値の低い物に埋もれながら朽ちて行く男の、最後の人間らしさを垣間見させられた様な気にさせられる。
「こうしてお前が淹れた茶を飲むのは、お前が尻の青い小僧だった時以来か。テオドール」
「まだ、憶えておいでに御座いましたか」
「忘れて貰えると思ってか。儂に泥水を飲ませた不届き者など後にも先にもお前しか居らんのだからな。それをさも当然の様に飲む、茶の味も知らん阿呆も一人だけ居たが」
「……ええ、懐かしい。私の前では茶など一度も飲んだ事のない父が慌てて一式揃えたのですよ、あの時は。私も初めて自分で淹れた茶の不味さに一口飲んで残りは窓の外にひっくり返してやりましたが、父はあれを飲んでいましたか」
「普段から優雅に暮らしていますと言わんばかりにな。よくもまあ舐め腐りおってとその場で打ち首にしてやろうかと獲物を抜きかけたが、あれが奴なりの精一杯の見栄だと分かって此方が虚しくなったわ」
呆れ果てながらも何処か昔を懐かしむ様に目を細めるティグリス。
それに釣られる様に男も苦笑した。その自嘲めいた笑みに、ティグリスは僅かなりとも感じる憤りを自覚せざるを得なかった。
それは自分の価値を貶める事に慣れ切った男の顔であった。この一族を古くから知るティグリスにとって、彼の諦観は逃げ以外の何物でも無いと思えた。
「つくづく貴様らライヒハートは粗忽者の家系よ。誇るだけの武を持ちながら、誰も彼もが後一歩に及ばん」
「仰る通りです。しかし我が一族にとって、それは定めとも言えるかと。遠き祖先が国王陛下より賜り今に至るまで受け継がれ続けて来た責務は、凡俗の身にとって余りにも重荷です。己の行く末を見つめる目さえ曇らせ、誰もが暗愚に成り果ててしまう程に」
テオドール・ライヒハート。それが、この男の名前であった。
つい先日、王家への叛逆人として認められたユリウス・ライヒハートの実父。そしてリリウム・ライヒハートにとっては今や残された親族の中で最も近い血縁となってしまった祖父だ。
息子に家督を譲って以後、テオドールはユリウスにすら自分の近況を知らせる事なく暮らしてきた。この荒廃した土地で、まるでユリウスから身を隠す様にしながら。
「恨み言が在るのならば聞こうか。今さら、お前に不敬だどうのと言う気は無い。お前には儂を恨む理由もあれば権利もあろう」
「……恨むと言うのであれば、それを王家の方々に向けるのは筋違いと言う物でしょう。負の感情を向けるには、私たちにとって王家は遠すぎる存在でした。我々はただ己の出自に翻弄され、囁かれる醜聞に焦燥感のみを育まれ。それを払拭すること叶わず責務のみを次代に受け渡して来たのですから」
テオドールは自分の口にした通り、ティグリスに怒りも憎しみも向ける事は無かった。
あるのはただ諦観のみ。これこそが、ライヒハートに生まれた者の成れの果てであった。ユリウスが味わった物が挫折と絶望であれば、テオドールが最後に抱いた物は諦観と虚無感。
何の事は無かった。特異な視点と感性を持つと自負していた転生者も、所詮は受け継いだ立場と資質という、破滅を約束された血に呑まれたに過ぎなかったのだから。
ライヒハートとは、ただ繰り返す一族であったのだ。
「父と祖父は、私とは比べ物にならぬ優れた武芸者でした。祖父は苛烈だった。己の武が天剣に至る物でなくとも、ライヒハートの処刑鎌は王家の敵を狩るに不足なき物であると。自分は用を為さぬ鈍らではない、世に蔑まれてきた一族とは違うと、彼の者達を屠り続け……最期は祖父を恐れた彼の者達に、毒による暗殺を受けました」
テオドールの代からして先々代のライヒハート家当主。衰え切ったと思われていた血から生まれた、当事者達にとってすら青天の霹靂の実力者であった。
その才能も天剣に届く物ではなかった。しかし長い時を蔑まれ続け、それに慣れ切ってしまっていた家の空気は先々代にとってさぞ窮屈だった事に想像は難くない。
出来る筈がない、認められる筈がない。そう思う事に理由すら必要としなくなっていたライヒハート家の中で先々代が感じた焦燥は如何ほどの物だっただろうか。何かを為さねば、確かに存在する己の武が無価値の中に呑まれてしまうのだと。
先々代にとって、まさに狼面衆はこの上ないまでにうってつけの相手だっただろう。それに縋るしかない程に。
己の実力を以ってすれば容易く薙ぎ払える故に、特異な察知能力を持ちながら数の脅威に対抗する手段を持たぬ故に手を出せずにいた以前の当主たちとの明確な違いを証明出来る。
光差さぬ暗闇の中に降って湧いた光明に、飢えた獣の如く牙を突き立て喰らい付く。それが先々代の生涯だった。
しかし狼面衆との戦いに傾倒したが為に、その武勇が決して人に知られる事の無い物として幕を閉じたのは最大の皮肉だったか。
「父は祖父よりも周到な野心家でした。祖父によって示唆された再興の可能性に魅せられ、彼の者たちとの戦いを祖父より引き継いだのです。父は祖父の行いによって、ただ戦うだけでは己の望む栄光に手が届かないと理解していました。祖父の才が三代に渡って続けば――――いえ、もし仮に我が息子があれ程の才を持って生まれると予見する術があったならば。破滅を約束されていると分かっていて尚、あの仮面を手に取る事はしなかったでしょう」
「だからか? お前が、息子に伝えるべき事を伝えなかったは。お前は狼面衆に取り込まれた父親に刃を向けられ、あの男を手に掛ける事でしか儂はそれを止められなんだ。それは、我ら王家が課した責務を放棄させる程に重かったか」
ティグリスの脳裏には、嘗て自分が心臓を撃ち抜いた男の最期が思い浮かぶ。
それはティグリスが今の今まで己の胸中のみに直隠し続けた事実であった。この事を知るのは当事者のテオドールだけであり、デルボネでさえ全ての経緯を知っている訳ではない。
目を掛けていた男に裏切られ、自分自身の手で始末を付けるしかなかった苦い過去。その感傷に浸るのを、王家としての役割を果たし続ける自分の最後の我侭にしようと、現女王にも凡そを語る事はしなかった。
それらが巡り巡って、現状を招いてしまった。
二代続いて傑物を輩出したライハートへ期待を持った事、あれ程の武芸者が狼面衆に取り込まれたのを見てとうとう自身の感知能力を封じると決めた事、再び衰退の一途を辿ると予想されたライヒハートをテオドールに任せきりにした事。その全てが尽く裏目に出た結果だ。
どれか一つでも歯車が欠けていれば、ユリウス・ライヒハートというグレンダンにとって未曾有の敵が現れる事など決して無かっただろう。
「ティグリス様に目を掛けられる栄誉を得た時こそが父にとって、まさに人生の絶頂だったでしょう。絵空事に過ぎなかった己の夢が現実となると。少なくとも、父はティグリス様からの信頼を疑った事は一度として無かった」
自分の持つカップへと視線を落としながら、静かに語る。テオドールはティグリスの質問から逃げ、過去の己と向き合うのを恐れていた。
古くから続いた一族の中にあっても最も異端であった先代、そして次代に挟まれた男の、見るも無残な弱り切った姿であった。
「……ああ、そうだろうとも。一世代前に生まれていたのなら、まず間違いなく右腕として側に仕えさせていた。それ程までに信頼していたし、期待もしていた。ライヒハートの始祖が当時の王と共に定めた在り方へ、ようやく戻る事が出来るのだと儂は思っていた。近くライヒハートの者が我が子らにとっての導き手となる時代が来るのだと、あの男がそうさせるのだと信じていた」
長くライヒハートを見続けたティグリスにとって、その男との出会いには少なくはない驚きが同時にあった。ライヒハート家の当主の座に在る者が必ず漂わせる、卑屈さや後ろめたさといった物をまるで感じさせなかったからだ。
時折感じさせる強い野心など、寧ろティグリスの期待を高める要因にさえなっていた。
ライヒハート家に生まれた者は当主の任に就く時、始祖から受け継いだ重大な秘密を先代当主より聞かされる事となる。
その秘密こそがライヒハート家にとっての呪いであり、不治の病であった。始祖が定めた一族の役割を知る時こそが、彼らにとって未来を諦める瞬間だったのだ。
自分の代でこそライヒハートを終わらせる。当主となるまでにそう考えた者は数えきれぬ所か、殆ど全てがそうだった筈だ。
しかし出来なかった、出来る筈が無かったのだ。この都市で最も必要とされる武芸の才を与えなかった初代ライヒハートの血は、凡俗の身では余りに過酷な宿命だけを子孫へと課してきた。
ライヒハート家が本当にしなければならなかったのは初代ライヒハートの技を残す事でも、王家の暗殺者として返り咲く事でもなく。血を存続させる事そのものだったのだから。
本来、ライヒハート家は三王家と共に手を取り合い歩むべき存在だった。時代によっては下賤な家柄の如く罵られたライヒハートも、その発祥は貴き血から始まっていた。
だからこそ三王家はライヒハートの血族から芽が出る時を待つと固く決意した。それが何時なのかは誰にも分からず、或いは世界が命運を決する瞬間に間に合わない物なのかもしれなかった。だが、その時は何時か必ず訪れるのだとアイレインの直系たる三王家の当主達には強く信じられていたのだ。
何故ならば、ライヒハートの一族ならば必ず発現してきたその資質こそが。どれだけ時を経て、どれだけ血が薄まろうとも決して消えないオーロラ・フィールドへの知覚能力こそが。
ライヒハートが三王家と同じく世界の理に踏み入る権利を持つ一族である、確固たる証拠であったのだから。
――――すなわち、初代ライヒハートとは三王家の者だったのだ。
「狼面衆を討つ傍ら、己を当主とした一武門を立ち上げる。それが父の当初の計画でした。流派を興した所でライヒハートに教えを請う武芸者などグレンダンには居ません。しかし、それが父個人にとなれば例外が在りました」
「同じく狼面衆と対峙する事を宿命付けられた三王家、か。真に選ばれし存在を知るが故に、才無く王家に生まれた者こそ奴が眩しく見えただろう。儂も乗り気だった。もし実現出来ていたのならば、奴にヘルダーを預ける程度の事はしていただろう」
「ですが父の計画は破綻した。最初の門下生となり、次期当主として門弟の顔とならなければならない私が、余りに無才だったからです。王家の方々が集うグレンダンで最も貴き流派の創設者となる父の夢は、最初の一歩で頓挫したのです」
王家の子弟の個人的な指導者となるだけでは駄目だった。ライヒハートにとっての栄光とは世間からの評価を獲得し、過去の不名誉を払拭する事でしか得られない物だったのだから。
どれだけ王族を強く鍛え上げたとしても、自身の後継者が脆弱では全てが無意味であった。流派が強いのは尊い血を囲っているのだから当たり前、王家に貸し与えられた子弟を並べ虚勢を張る恥さらし。そう思われるのが関の山であったし、何より流派の立ち上げすら覚束なくなる始末だ。
後継者を息子以外の門弟になど最も論外だ。王家とは王家として生きる事こそが責務であり、武芸の流派を継ぐということは王家である事を放棄するに他ならない。それをよりにもよって王家の慈悲で武門を成り立たせた者が頼むなど厚顔無恥などという言葉では到底足りない愚かさであり、これ以上無いまでに救い様が無い。
「父が私に施した苛烈な指導も、私にとって悪い事ばかりでは無かったのでしょう。非才なりにも武芸を糧に今日まで生き長らえましたし、息子へ不足無く初代の技を受け継がせる事も叶いました。ですが……あの日、今日こそ父の訓練で命を落とすのではと怯える私へ一切の視線を向けず、何時もの訓練を始める事もなく無言で窓の外を見続けていた父が、どれ程の失意を抱いていたのか私には分かりません」
テオドールの父親が何を目的に狼面衆へ与したのかは今や推測でしか分からない。仮面の力で操り人形にした王族を後継者に仕立て上げる気でいたのか、いっそ己を縛っていた物全てを壊してしまおうとしたのか。その結果がどうなるかなど、本人が一番理解していただろう。
信頼という隙を付かれる形になったティグリスが事実を把握したのは、何もかもが手遅れになってからだった。
人類の切り札であるアイレインの力の一部がイグナシスの塵へと渡り、力の隠し場所とされて来た一族を滅ぼそうと処刑鎌を振り上げていた。
男にとって最大の誤算は、己の反逆が余りに早く露呈した事だろう。男は都市最高の念威操者がどれ程の物かを正しく理解していなかった。
それが命運を分けたのだ。男を絶望の淵へと叩きこんだ、己の血を分け与えた息子の命運を。
テオドールの父親は許されざる罪を犯し、裁かれた。
そしてまた、テオドールも罪を犯していた。ティグリスが今日ここへ訪れたのはそれを問う為であった。
「お前の息子が、狼面衆へ堕ちたぞ」
己の感情を押し殺す様に独白を続けていたテオドールの目が、初めて驚愕に見開いた。
世俗から身を隠し続けていたテオドールには、家督を譲って以後の息子の動向は一切伝わっていなかった。しかし彼には息子と同じ能力が備わっていた。各地で頻発するオーロラフィールドの気配に、自分の息子が戦っているのだと漠然と察知する事は出来ていただろう。
「つい最近天剣になったばかりの小僧を狙い、連中側の技術を用いた暗殺を企てた事で事実が発覚した。企みを阻止したライヒハートの者―――お前の孫にあたる娘が証言をしたが、動機や推測される目的には不明瞭な点が多い」
「おお……何という……何という、事だ……」
両手で目を覆い、全ての力を失ったかの様にテオドールは項垂れた。
その落胆は信じられない事実を知らされた故か、それとも恐れていた懸念が現実になった事への後悔なのか。ティグリスはそれを見定めるべく、失意の底へと落ちた男を見る眼を細めた。
「何時からだ。お前が、息子に造反の兆しを予見したのは。デルボネと陛下も怪しんではいても、いざ行動を起こすまで狼面衆に付く要素が有ったとは思わなんだらしい。お前はライヒハートの役割を息子に伝えなかった、お前だけがユリウス・ライヒハートに対し危機感を抱いていた。違うか?」
ユリウス・ライヒハートによる現ヴォルフシュテイン暗殺未遂。この事をティグリスが知った時、まず真っ先に疑ったのがテオドールだ。
関与を疑ったのではない、この男はそんな気概は元より持ち合わせず、謀反に意義を見出す様な性質も有りはしない。
だが、謎の多い現ライヒハート家当主について最も多くを知る者が誰かとなれば、この男をおいて他にはいなかった。
「息子は、ユリウスは天才だった。それは常人の理解の及ばない物であると、非才の我が身もそれだけは理解していました」
「……ふむ、要領を得んな。確かに今代は優秀な武芸者であったとは聞く。一時は天剣選抜の有力候補とも囁かれたが、それも一過性の物に過ぎん。何時の時代も常に一人は居る、一般武芸者という括りの中での有望株でしかなかった筈だ」
「武力という点で言えば、そうでした。ですがユリウスは違った。あれの異質さ、異常さは、かの存在と対峙した時にだけ垣間見える物でした。それは我々ライヒハートが、ともすれば王家の方々が一度として持ち得ない物だったのかもしれません」
過去に見た光景。テオドールにとっては遠い、遥か遠く手が届かなくなってしまった過去に思いを馳せた。
思えば、あれが運命の日だった。望むが望むまいがテオドールを押し流し、打ちのめして来た運命が、初めて選択を迫った。狼面衆と対峙する息子の背を見詰めていたあの瞬間。そこにはテオドールが一度として持たなかった選ぶ権利が確かに存在していたのだ。
「狼面衆との不意の遭遇であったであろう、あの日。ユリウスにとっては奴らとの初めての対峙であった事は間違いありません。私が逃げ続けて来た敵の、あの領域にユリウスが捕らわれたと気付いた時、私は無我夢中で走りました。怖かった、身体が震えました。私も祖父の様に殺されるのか、それとも父の様に人の尊厳を奪われて死ぬのかと。ですが、それも息子を失う恐怖に勝る物ではありませんでした。既に肉親を失った事のある私は、それがどれだけ恐ろしい物かを知っていたからです」
テオドールは息子の盾となって死ぬ覚悟を決めて、その場所へと辿り着いた。だが、そこに在ったのは数の脅威に晒され、無残に傷付く息子の姿ではなかった。
それが当然の事であるかの様に有象無象を斬り裂く、一人の少年武芸者が居るだけだけだったのだ。
その光景はまるで舞台の一場面の様で、大鎌を振るう少年は物語の主人公の様で。そのさまが、テオドールには到底現実の物であると信じられなかった。
「困惑すらなかった。まるで予定調和の様に驚いてみせた後は、そうするのが当然だと息子は狼面衆へと斬りかかって行った。あの戦いの中、息子には怒りも憎しみも闘争心もなく、迷惑な隣人に接する様な気安さだけがありました。ユリウスにとって初めて見たはずの狼面衆は未知の敵などではなく、少し遠い知人程度の存在でしかなかったのです」
「在り得ん……テオドール、お前は今、在り得ない事を言っているぞ……!」
「そうです、在り得ません。どう在っても事実に繋がる過程が存在しないのです」
テオドールの言わんとする事を理解したティグリスが、その意味の重大さにワナワナと肩を震わせ慄く。
突然あの異様な集団に囲まれた子供が何の躊躇も無く獲物を抜けるだろうか。天剣授受者に通じる様な高い戦意を持つ武芸者であれば出来るだろう、それ程の資質を生まれ持っていたという前提さえあれば。
だがユリウスという子供は平凡だった、その苛烈な思想故に道を踏み外した先代と先々代とは違った筈だ。少なくとも、それが育まれる理由となる物を可能な限りテオドールは渡そうとはしなかった。
「ユリウスは、私が語るまでもなく知っていたのです。狼面衆がグレンダンに仇なす存在である事、奴らと対峙する事そのものに選ばれし者としての栄誉が付随する事、それが本来は王家にのみ許された物である事を」
それは絶対に、どんな間違いが起ころうとも在り得ざる事であった。
ライヒハートであればこそ狼面衆に何も感じない事など有りはしない。王家の血はイグナシスに連なる存在に対し、それが敵であり己を脅かす者であると指し示す。だが、それだけだ。それ以上の事など在る筈が無いのだ。
これらの情報は歴代三王家当主による徹底的な秘匿が常になされている。中枢の施政に携わる機会も多いカナリスすら一切の情報を与えられない様に、女王の懐刀である天剣授受者であってもこれを知るに不適格とされる程だ。デルボネだけが例外中の例外であり、三王家の正統後継者にさえ当主がこれらの知識を与えるには最大限に時を見極めた上でとなる。
故に情報を漏洩など、世界が引っ繰り返りでもしない限り起こる筈がない。
「ユリウス・ライヒハートは王家と狼面衆の関係を知っていても、己の出自が何処に由来するかは知らなかったのだな? となれば情報の出処は王家ではなく、唯一の可能性があったヘルダーの線も消えるか。そもそも始めから狼面衆と繋がっていた。或いは億に一つの可能性として、創世に纏わる者との会遇を成し遂げていたとでも言うのか。いや、そんな馬鹿げた夢物語はどうでもいい。問題は其奴が何を、何処まで知っているかだ」
「……分かりません。ティグリス様、私は知らないのです。知ることを恐れたのです」
力なく首を振ったテオドールが、遂に観念した。
それは男の罪の告白あり、運命の時が間近に迫る事を予期する三王家の前に突如として現れた最大の謎を、誰も解き明かすことが出来ないという事が決まった瞬間でもあった。
「私は恐ろしかった。ユリウスが祖父の様に、栄華への道に取り憑かれるのが。己の血を呪い、父と同様に人の道を外れるのが。そして何より……あの才能が一族の定めに押し潰されるのが、何より恐ろしかった。若き頃、夢見た理想の姿が己の息子として現れたというのに、どうしてそれに自分で泥を塗らねばならないのかと。ユリウスに狼面衆へ通じていた可能性が在ろうと、今一度見る事の叶った夢から覚める事を恐れ、見て見ぬふりをしたのです。私が与えられた責務を放り捨てたのは、全て我が身可愛さの為でありました」
廃墟群の崩れかけた建物の屋根の上。瓦礫の影と一体化する様に黒い人影が揺らめいた。
黒い外套、獣の仮面。それはこのグレンダンにとっての、世界にとっての敵である証明であった。
「……成程。そうか、そういう事だったか。親父殿」
黒い外套の男が、抑揚の無い声で独り言ちた。怒りを、悔恨を、そんな見当違いな感情を抱く己の愚かさを、全て噛み締めた呟きが宙へと溶ける。
その背後で、男と全く同様の影が一人、また一人と増え続け、次第に無数の群を為していた。
後から現れた人影の内の一つが先頭に立つ男へと歩み寄り、声を潜め囁いた。
「どうする? 情報的な価値が無くなった以上、不動の天剣もあの男へ今まで程の注意は払うまい。ここで消しておくべきだと考えるが」
その言葉に先頭の男は何の反応も示さなかった。小さなあばら屋を、ただ見詰め続けるだけだ。
しかし背後の影達が身動ぎ一つしないまま男へ視線を集め、無言で返答を催促する事に、苛立ちを滲ませながら振り返った。
「放っておけ。老いぼれ一人、殺す価値も無いだろう」
「分派といえど保有するアイレインの因子は本物だ。それが有象無象の贋作とは訳が違うのは、お前が一番良く知って――――」
その言葉の続きが語られる事はなかった。ゴシャリと何かが握りつぶされる様な音が周囲へ響き、一つの人影が跳ねる様に一瞬大きく震えた。身に纏う外套の中身が空気に溶けるかの様に消失し、重力に引かれ落ちる外套は地に付く前に風に攫われ何処かへと流されていった。
そこには、丁度人影の被る仮面の位置で右手を握り締める男がドス黒い狂気で眼を濁らせ、周囲の者達を睨め付ける姿があった。
「同じ事を二度言わせるな。親切なお前らが倫理的なストッパーを外すなんて余計な事をしてくれたお陰で、今の俺は抑えが効かないんだ。まさか忘れていたりはしないな?」
まるで幽鬼の如く身体を揺らし人影達へと男が一歩進むと、それと同時に人影たちが後ろへ下がる。
全く同じ装いをしながら明確に立場が違う一人の男。数で遥かに勝るそれ以外の集団は、確かにその男を恐れていた。
ある者は出来ないと知りつつ逃げる為の体勢で足を震わせ、ある者は救いが在る訳でもないのに何かに縋る様に腕を彷徨わせる。
その醜態に男は鼻を鳴らした。目の前の集まりを嘲ったのではない。生き汚くも、この連中に命を繋がれて何とか生き延びている自分の無様さを皮肉るしかなかったのだ。
「もう一度だけ言っておくぞ木偶人形ども。俺はお前らお得意の不毛で意味もなく、延々と繰り返される健気な工作活動などに協力する気はない。文句は聞かんとも前に言ったな? 虚無の子どころか"右眼"の所在まで教えてやったというのに、やれ天剣になって手が出せないだの、三王家が怖いだのと」
この集団、狼面衆の遂行能力の低さは問題であった。しかしその以上に酷いのは彼らの習性とでも呼ぶべき気概の無さだ。
慎重を期すと言えば聞こえは良いが、実際は諦めの良さが他の追随を許さないだけだ。もはや逃げ腰及び腰の権化とも言えるのではなかろうかと男は思っていた。
「
おどけた様に言う男の手に何時の間にか握られていた物に、狼面衆は息を呑んだ。鈍く光を反射する白刃の煌めきに、背筋を這いずる冷たい死の感覚を思い出す。
巨大なる処刑鎌。自分たちを幾度と無く斬り裂き、首を刎ねた殺戮の象徴。それを見た瞬間、狼面衆たちに男へ逆らう意志など全て失われてしまった。あれを突き付けられて平然としていられるのならば、そもそも狼面衆は狼面衆足りえていないだろう。
男が投げ遣りに顎でしゃくれば、煙が風に攫われる様に全ての狼面衆は消え、ひとり残らず逃げ出すばかりであった。
もう一度、眼下に在る見窄らしい家へと視線をやった男は、自分の被る仮面へと手をやった。
その仮面の下から現れた素顔は、ついこの前この男が首を刎ねられた瞬間と何一つ変わらない物だった。
ユリウス・ライヒハートは、生きている。道化の如く踊り狂い、実の娘に父殺しの咎を背負わせ、狼面衆になど窮地を救われて、それでもまだ生にしがみついていた。
「せいぜい生きるが良いさ、親父殿。これが俺に出来る最後の親孝行だ。その後悔も罪の意識も、全て貴方の物だ。俺が俺のやりたい様にやるのと同じ様に、貴方もそうやって好きな様に後悔し続ければ良い」
この世界に来てからの自分の父親に、ユリウスが何の感慨も抱いていないと言えば嘘になる。
例え本心では他人としか思えなくとも親子として接し、武芸の師として確かな愛情を向けてくれた相手に情を持たないなど、どだい無理な話であったのだ。
自分が持つ、本来三王家だけに許されたオーロラ・フィールドへの知覚能力が一体何処から降って湧いた物かとも思っていたが、蓋を開ければ何と言うこともない。三王家だけにしか許されないのだから、持っている自分もその血が一端でも流れていたと言う単純な話だ。
それを父親が自分に教えてくれていたのなら、自分の運命は何かが変わったのだろうか。
天剣授受者を見た時の絶望は、まるで獄中に居る様に感じたあの頃は、アリシアを失って開いた穴に狂気で栓をするしかなかった自分の弱さは。血に選ばれし者であったという自負が得られていれば、何か一つでも変われていたのだろうか。
……考えても意味のない"もしも"だ。例えもう一度このグレンダンで生きた時間をやり直せるとしても、ユリウス・ライヒハートは世界の敵となる事を選ぶだろう。
今日この日までの運命がアリシアと出会う奇跡を起こし、アリシアと共に生きた時間が今の自分を作ったのだ。
それを否定するなど、無かった事にするなど。ユリウスがユリウスである限り、何が在ろうと起こり得ない。例えどれだけ狂気に堕ちようと、それだけは揺るがない。
「……君は今の俺を見てどう思うんだろうね、アリシア。リリウムや叔父上は、君が俺を狂わせたのだとまるで疑っていない。おかしな話だ。君はあんなにも俺を戦いから遠ざけ、弱くしていたというのに」
ユリウスは自分の腕を見た。ついこの間まで感じていた自身の実力の低下は、綺麗さっぱりと消えている。現在のユリウスは狼面衆の特異な能力が無かろうと、生涯で最高の実力を発揮出来ると確信している。
結局の所ユリウスという武芸者は一人の人間と見たとしても、何処までも凡俗な才能しか持ち得ていなかったのだ。
期待を掛けられれば掛けられるだけ、己に課された重責を感じれば感じるだけ、ユリウスという武芸者は弱くなっていた。イグナシス勢力を滅ぼす事でしか自分を保てなくなった頃には、最早それは自覚するしか無いほどになっていた。リリウムを英雄にせねば、他勢力の頭を出し抜かねば、原作知識という拠り所を失おうと未来を変えねばと。狼面衆に与し全ての責任を投げ捨てる事で本来の実力を取り戻すに至り、それらが武芸者としてのユリウスに止めを刺していたのにようやく気付いたのだ。
ユリウスという男は武芸者になどなるべきではなかった。こんな戦わねば生きられない世界で生きられる程、強い心の持ち主ではなかった。
それをアリシアだけが知っていた。ユリウスが気付かずともアリシアは気付き、ユリウスを戦いから遠ざけていた。
既にそれが真実であったか知る術は無いが、ユリウスにはそうとしか思えなかったのだ。
「まあ、良いさ。もう後戻りなんて出来ないんだ。君が俺に何を望んでくれたのかは分からない。きっと俺なんかが考えた所で、君の求める所からは離れていくだけなんだろう。出来る事を出来るだけ、やりたい事をやれるだけ。多分、それが一番正解に近いんだろう」
空を見上げ、周囲を見やれば、在りもしない彼女の影を探している自分が居た。
だが、もういいだろう。そうやって彼女が肯定してくれていた嘗ての自分に縋った所で、何か意味がある事など無いのだから。
そんな虚しい行為の繰り返しで時を過ごさなくとも、ユリウスには身を焦がすほど為すべきと思う事があるのだから。
「さあ、運命の歯車を廻そうか。父には分かるぞ、リリウム……今更止まるなんて、お前にだって無理だろう。俺の嘗て憧れた世界で、お前は華やかに舞うのだろう。今に分かるさ、お前の進む先に全ての運命があると。お前の殺し損ねた男がそうさせるのだとな」
獣の仮面を被り直した男の瞳は、変わらず狂気に濡れたままだった。
現代人、転生者、狼面衆。どれが本当の自分なのか、何が本当の意志なのか。最早、男自身にも分かっていない。
確かなのは、この男が人の世に戻り、娘と共に歩む事は二度とないという事であった。
――――グレンダン王宮、とある一室にて。
「うんうん、良いじゃない! そう、コレよコレ。こういうのがやりたかったのよ!」
「いえ、あの……陛下?」
何やら歓声を上げるこの都市の最高権力者。
先程から女王付きの侍女に捕まり、女王の前で着せ替え人形にされている少女、リリウムは困惑するばかりであった。
初めはドレスやら何やらといった豪奢な服ばかり着せられていたが、アルシェイラが方向性が違うだのと訳の分からない事を言い出して今に至るのだ。
「何故、侍女の制服なのでしょうか。機能性に難のある装飾といい、明らかに一般的とは言い難いデザインですし……」
「だって、側に控えさせるなら可愛い服着せたいじゃない? という冗談は置いておくとして、侍女って立場にしとけば色々融通が効くからね。まあデザインは私の趣味だけど」
メイド服と言いつつスカート丈が短かったり、腕や胸元が大きく露出していたり、首のチョーカーや制服の裾にやけにレースが多かったりと、そんな感じである。
……何というか、やり過ぎてメイド服じゃなくてウェイトレス服になるギリギリ一歩手前で踏みとどまっている様な、何とも言えない趣味の産物であった。
しかも着ているリリウムが年端も行かぬ少女であるのだから、どうも成金貴族の如何わしい趣味にしか見えない。こんな事を国王がやっていると知れた物なら割ととんでもない事であった。
着替えの手伝いをしていた侍女が、ついジットリと胡散気な視線を主君に送ってしまうのも無理からぬ事であったと言えよう。
「さて、可愛い可愛い私のメイドさん? 頑張るとしましょうか。君も私も、これから色々やらなきゃいけないんだからね」
「はい、陛下。お仕えさせて頂きます。拾って頂いた恩義、必ずや御返しすると誓います」
「じゃあ、これからの相談もあるしカルヴァーンを呼ぼうか? ついでにその格好見せたら面白いわよ、きっと」
「面白い、ですか? ……確かに綺麗な服ですし、陛下が私に良くして下さっていると大叔父様もすぐに納得なさるかもしれませんね」
「ふふっ、でしょう? いやあ、あの頑固者がどんな顔するか。楽しみねえ、本当に」
子供であるリリウムは理解出来ていないが、側に控えていた侍女は間違いなくカルヴァーンがブチ切れると予感していた。
まあ当たらずとも遠からずな結果にはなるのだが、話が無駄に拗れるのだけは間違い無いのであった。
お久しぶりです。
まさかこの話をお蔵出し出来る日が来ようとは思いませんでした……
書いてる内に話が横道へ逸れては修正し、したらしたで「これ恐ろしくツマんないんじゃないか……」とドツボに嵌っている内に一年以上経っていましたが、何とか形になりました。というかもう形になると思ってませんでした。
その間にSAOでキリトとアスナとコペルとディアベルとキバオウでギルドを作るSSの序盤部分が吹っ飛んで幻の作と化したり、ISで何番煎じか分からない一夏ホモ化オリ主SSが設定を煮詰めすぎて書く前に飽きたりとか珍事もありました。
他のSS書くのからこっちに逃げてきたのが正解かもしれません。
今回でユリウスの話は完全に終わりで、次が書き上がれば今度こそリリウム編です。
というか素直にそっち書いとけば恐らくこうも苦労はしなかった筈……