「踏み山選びを誤ったな。士人様方」
「とんだ笑い話だぜ。お前達はしくじったんだよ。俺の首を討ち取ってみろ、死に損ないの野蛮人。俺は捻くれ者のミダス王なんだぜ、おい。世直し義賊を気取る積もりは端から無いのさ、アラブの腐れ売人野郎。聞こえてんだろ。街道万里を引き回したら、その屑肉擂って出来合いの挽肉にしてやる」
次から次へとよくもまぁ、飽く事無しに言葉が続くものだ。舌の根も乾かぬだろうに。彼の右に出るなら、本場で通用する喜劇俳優を目指さねば。物のついでに、面の皮を紳士の国謹製品に張り替えてもいい。僭越ながら、一連の応酬には称賛の意を送ろう。個性的だが、それにしても口汚い。下手な目集め口上、失笑すら買えない三文芝居だ。
否、いやに耳通るこのわざとらしい啖呵切りは、最早猿芝居と言っても遜色あるまい。何にせよ、多弁気味に繰り出されるその悪言雪崩は、合衆国独立記念日の夜より騒がしい事だけは確かだ。米国音楽界最大の革命家が今後も張り弦を弾く事は無いと確信断言出来る様に、それだけは声を大にして保証してやってもいい。一生涯の片時、信仰心の欠片たりとも覚えた記憶の無い木造りの十字架に誓って。
「軍隊。軍隊だ」
「全部隊無線局共同使用周波数帯。此方山賊弯刀六。無線封鎖止め。無線封鎖止め。無線封鎖止め。応答不要」
月雲凍る冷えた黒天蓋が、地維と対成す上顎として四方八面の斑色山景と程良く噛み合う。野面を引き剥いだ茶兀山に、青冴えた月光環の後景は誂えたも同じに良く似合った。今日一日を此日是好日と物見遊山に甘んじられたなら、血を見過ぎた余輩の視野は雛菊の花言葉を題材に彫り上げたのではと心当てる野良山羊同士のじゃれ合いを保養に、ここ数日溜まりに溜まった疲れを癒せたのだろう。
「眼鏡下げ。戦闘用意。射撃限制。自後に続け。」
「了解。後に続く」
だが周囲の隆盛を余所に人血啜る砂礫地は御仏の山を供物と召され、北極星が暗空に爛々と輝くこの期に及んで尚擡げた上機嫌を隠そうともしない。その通り、切った張ったは何処でも出来るという事だ。
勇む火回りの脚勢が一周二週と外郭を駆け回れば、吾人の骨肉を喰らって回禄はまた一刻を生き永らえるだろう。今日の死合は、いつかの教訓譚に。仮にこの場を生き延び、生彩で潤う外耳の末端に忌まわしき今夜の顛末を聞かせる場を宛がわれたなら、怖ず怖ずとした語りはまるで似合わん。少なくとも、大火生える平火床と化したこの見渡はそう思わせるだけの伏魔、陰鬼を忍んでいた。
「敵性目標前進中。各員武器点検」
「死に急ぐか、猪武者が」
「異常無し。掌握下総員応戦移行準備良好」
いと猛き護国伝奇の幕が上がる中、片時襟首を逆撫でるは瞰下の無情景に泣き伏す一陣の山颪。荒れ山に降り頻るは血の飛沫。地獄と地獄が対局の構図を成す中、星海被り血塵戦ぐ寒山の膝元に未だ天日は昇らない。土色七割に赤三割。それが此処から見える世の全て。この血風譚を見れば誰であれ悲哀の念は濃さを深め、十字を切る余裕も失せるだろう。
山頂の冠雪を駆け下りた濁り風一吹きが、山裾に生し整列した黒煙の柱を掃いては浮かして押し流す。着生する怨嗟の源、謂わば仏の成り損ない達が発する掠れた呻鳴と共に。 鋭峰囲いの不落山城、その月下銀嶺が鍛え上げた冷風は吹き抜ける町から生気を拭い去っている様にも思われた。極楽浄土の対義語を絵で表せと言われたなら、今この場を模写するだけで良いのだろう。この、険山の裾野にのさばる悲色絵図を真似るだけで。
「腰の上げ所だ。急げ駆け足」
「デイヴィッド、前方監視。コリン、後方警戒」
何時だったか見た果ての地で枯れ行く荒廃した町の哀愁に、純粋な寂寥感を覚えた事が有る。衰退した光景の中に光る美を見出す者達は、危篤の町に住まう疲れ果てた痩せ老骨であれ、大いなる苦難が約束された人生を前に打ちのめされ悲観に暮れる若者であれ、草臥れ者なら何であれ額縁の中に飾って退廃美の結晶として仕立て上げるかもしれない。血泥に慣れぬ日の自分は、場違いにもそんな感想を抱いていたと思う。
「初弾装填戦闘準備。薬室半開放装填点検。気を抜くな。敵対行動者は全員殺せ。捕虜獲得は不要だ」
「先手は任せる。不味ってくれるな。活路の種は多くない」
今日も同じだ。いつもに増して友達面の死気が鼻につく。あの日感じた心の淀みをこうして思い出すのは、今日が自身とその軍人生命にとって命日となる事を覚悟したからか。
人は死の間際に己が人生の全体を思い起こすと伝えられるが、これがそうだとすれば幸か不幸か自分はまた一つ貴重な経験を得た事になる。我が人生最後の瞬間を締め括るこの諦観にも似た感情も、吟遊詩人の手に掛かればそう馬鹿に出来ない芸術品に生まれ変わるのだろうか。胸に秘めた小さな疑問を誰かと共有したい衝動に駆られるが、悲しい哉、栄光の一幕を共に記す筈だった力強き友は今や地に伏す魂の抜け殻に過ぎない。
死を許した主よ。我が無二の友をその腕に招いた貴方に尋ねる。子羊の分際で聞くには忍びないのだが、彼は貴方のお眼鏡にかなう人間だったかね。彼、無神論者だったよ。僕と同じく。
「共生同志六、此方伯人盗賊六。部隊移動中。送れ」
合戦場から千切れた闘気は満ちる鬼気と溶け混じり、浮世離れした血の精彩が埋葬者へ手向けた添え花の様に今夜を飾る。だが幾ら血花の快臭に逆上せようとも、この小戦場が遊兵愚士数多の足跡で荒される心配は無かった。どの道、武軍で色付けるなら此処は長丁場も良い所。陣幕すら無いのだから、ある意味それも当然か。せっかくの拍細工も似合う筈が無い。とうに分り切った事。京観を立てると言うのなら。もっと相応しい所が他にいくらでもあるだろう。
それを確約するに足り、過行く今に有るのは、合衆国陸軍精鋭軽歩兵の一員としてただひたすらに戦技を磨いてきた兵道猛者達の規則正しい息遣いと、その間を往復する平淡を表徴したが如き意思疎通。
そして憤激の色を隠せぬ呼号。有終の美を土産話に苦患絶無の世界へ歩を進めんと意気込み、窮愁の万日を受忍した現人修羅達の呪詛で紡ぎ織る大合唱だ。
落花の残香染み入る藍墨茶の夜を揺らす物、難場の序幕で檜板を踏み鳴らす者は、それ以外に何も無い。
「感明良し。伯人盗賊六、此方共生同志六。敷地中庭から貴隊交戦位置近傍へ前進中 。用件続く送信待て」
「伯人盗賊六。撃ち方待てその場で待機。復唱する。撃ち方待てその場で待機。以上了解されたい。送れ」
「撃ち方待て了解。交信終わり」
ここ数年の渡世経験から今世第二の母語と錯覚するまでに聞き慣れた流麗なパシュト語、方言混じりの訛ったウルドゥー語、その他国境近辺の散立集落部で聞き覚えある雑多な地方民族言語の発声が、今は酷く耳障りな雑音に感じた。
己の内に沸いた恐怖を肯定するのは専業兵士の恥に他ならないだろうが、死に向かう前進さえ厭わない敵の威勢や気迫は紛れも無く本物だ。広大な草原を馳せる蛮人達の王国が西方へ手を伸ばした古の時代、この地を巡り征服戦争を繰り広げたモンゴル帝国の尖兵達も恐れを知らぬ部族戦士の人雪崩に恐怖したに違いない。
帝国の墓場とははて誰の言葉だったか、どうやらその厳めしい二つ名に偽りは無いと見える。現にその猛威は今日の合衆国を相手に余す所無く振るわれ、国家への絶対的献身を誓った自分でさえ身近に感じる死の予感に震えを隠せないでいるのだから。
だが驚くなかれ。これと同時に、逆境の最中で湧き溜まる奮起の感情という物もまた確かに有り、この戦場を自分の墓標と死没叶えたならそれはそれで軍人にしか許されぬ誉れであり贅沢だと固く信じる自分も居る。
気狂いの沙汰だと笑いたければ、その御心のままに従うといい。斯く言う自分でさえ、失礼ながら後方職種の馬鹿野郎と貶す者改め後方勤務の出不精軍人、蔑称将校野郎が御気持ちを理解出来た試しは無かった。
だからお互いを笑いの種にしあう風潮は、少なくとも軍内部に身を置く限り取り立てて珍しくは無い風習で、その気安さと荒っぽさを煮込んで仕立てた業界文化は戦争業従事者だけが味わう事を許される。無論、万人受けを狙うなら血気過多も甚だしく、かと言って娑婆暮らしを忘れた兵者同士の会話にはこれが欠かせないのだが。僕はそう思う。
「十一時方向。相対距離三十前後。目標有効射程圏内」
「捨身を此処へ。露払いに備えろ」
長髯が嗾け、躾けられた童衆は喜哀を知る。面と向かって戦う彼等に、鉛で出来た報酬を。
一線さえ踏み越えない限り自分の獲物をどう調理しようとも当事者の勝手だが、訓練を受けた人間が優先的に狙う身体部位には一種の統一性があった。それは丁度、専門特技教育課程を履修した者が閉じ戸の鍵へ射角下四五度射向左右四五度の規格化人為傾斜何れかから散弾射撃を実行するのと似ていて、科学的根拠に基づき合理、標準化された行動を体になぞらせているに過ぎない。無比高設計射場で得た学びのその真価が、燻し銀の殺技へと姿を変えて今此処に顕在を果たさんとしている。
だからこそ急性弛緩型運動麻痺を引き起こす中枢神経系破壊を狙って頭部急所を、主要臓器の機能不全化を目指して胸部中心を、腸骨動脈破断を願って骨盤付近に狙点を置く等、潜在意識域深層までに深く刷り込まれた対人戦闘技術は無意識に早期高致死率箇所を狙わせ、三つの内一つにでも多く命中弾を送り込んで素早く能率的にその場を制圧させようと自身を躍起にさせる。彼我の間に開く交戦距離が目測で三十メートル以上四十メートル未満の至近距離、俗称相互面貌認識範囲内で展開される普通高速弾の応酬がより深い戦闘時高揚状態への没入口を開かせた時は特に。
「腕白牧童六、此方夢追い壮者一。連絡事項、小型の移動性熱源反応を複数確認。同時に敵尖兵小集団が後退開始。未成年者主体の自爆攻撃である可能性大。貴隊各員は担当区域監視を強化継続。送れ」
達者の手抜かりに凶事の端を発し、剛夫、武夫、射士それぞれの混戦で示指は賑わう。五発発射に一度の割合で走る鮮緑。攻め気強い。速く、鋭く、そして精確。追視叶わぬその一撃は宛ら、川波を抉る翠鳥の如し。目閉じの半ば、気疲れの網膜にはその残光が引く筋を確と刻まれた。あの一射、恐らくは動きの良い白人兵士が放った物。成程、出来る。流石は武闘派軍将大バサエフの倅だけはある。引き際をよく絞った、腕の立つ奴。噂に聞く通り、中々に手強い手兵達だ。それとなく誘った見せかけの勝機に食い付く類いはこの場に居ない。寄せ集めの雑兵揃いが関の山と高を括って事に望めば、此方側が馬鹿を見る。
驚く事に、敵方は単人火力を常時確保発揮出来る様にと双人小組での行動を徹底し、健在戦力の漸減、分断化が進むこの場面でも最小部隊行動編成の一つ上たる二人一組を崩した様子は無い。配兵模様は尚も不揺、孤立化するばかりか弱音を誦する兵員を出さない程度には個々の気構えも確立されている点を見ると、彼等に入れ知恵した者が誰であれ最低限度には駁火の鉄則を弁えている事が窺えた。
無論、その臂力が反恐作戦用個人戦闘装具で粧し込んだ黒尽くめの皮肉屋共に遠く及ばなかろうとも、場馴れした者が一定数居るというだけで戦闘群単一単位としての脅威性は格段に跳ね上がっている。腕覚えの者が参戦したその結果として、同業者に後ろ指を差される事は最早免れん。当事者の身として憎らしい事この上ないが、口無しの屍骸と流れた血の山川がその証明材料役を買って出ていた。
「夢追い壮者一了解。各員散開。各員散開。各員散開。持場に目を凝らせ」
激する溢れ火が晦冥に一、二、三と弾ければ、高活性銃撃犯への事案対処行動
では味わえぬ堅固な殺意が小口径発光火線と共に頬を焼く。視界にそれを拾わせ第一種火器管理状況の黒染め鉄砲を右肩構えで持ち上げては、短期記憶中に散りばめた立体敵火点座標に速単射を最適回数。単眼式低光量空間可視化機材が染め上げる緑色景の先に確かな手応えが生まれる事を願い、機械越しの浅い被写界深度に捉える射撃効果の痕跡を探した。
「お前さん、止血帯はどうしたんだよ」
黄金の三日月は今日も道徳の倒錯劇を主題に筆を進める。頭蓋腔を撃ち損じた小鬼が一匹、空飛ぶ原子番号八二の小偶像が仕留めた小鬼は既に二匹。更にその二倍近い山千海千の戦玄人、早い話が児童兵士を小間使う御髭自慢の御立派な兵役適齢者の肺に鉛の苦味を教えてやった。
だがその古豪なる使役頭を失おうが相も変わらず、飼い慣らされた哀れな遣使共に撤退の二文字は無い。それは何故か。
答えは簡単。彼等が自己の生存を気にも留めず、敵と戦い死を受け取る事を最優先しているからに他ならない。真に厄介なのは、その意味に於いて彼等は既に勝利の前条件を達成していると言う点だった。道理で攻撃意欲に衰えを感じられない訳である。最早彼等は半ば勝ったも同然の身である上、後は敵の前へ身を晒せば念願は本日を以て大成される運命だ。理解できない点は多々あるが、彼等の立場からすると、今日は実りの日と言って過言ではない。これを皮肉と言わずして何と言えようか。僕達の存在そのものが、徒死の可能性を御親切にも間引いてやり、その結果が士気発揚の近因となっている等と。
結論、戦場で果て伏す瞬間こそが彼等殉士達の追い求める名誉の究極的具現物であるならば、至上の最後を目前にぶら下げられた彼等に回れ右を期待するだけ時間と労力の無駄である。結局、戦闘は避けられない。
しかしそれでも、例え腐っていようとも、僕等は合衆国の矛であり盾を兼ねる兵隊さんの一端で、自ら戦端を開く事も重々覚悟の上である。衆生の生血で手を染め汚そうが、必要ならそれを成すのが僕に課された必遂の務め。砥いだ短刀は山菜を刻む為か。構える小筒は野猪を狩る為か。僕は山子か。僕は猟師か。
誤魔化すな。両者のどれも的外れ。笑わせる。それらが真に役立つは大抵、血を見る時と相場が決まっている。僕等の場合、その仕事道具二つは兇人の首を裂き、凶徒の臓を砕く為にあると教わった。我が手で握る手前の軍籍より付き合い長いそれを、今更形ばかりのお飾りで済ませてどうすると言うのだ。
例え万衆から非人の誹りを受けようとも、作戦完遂に全力を尽くす態度こそ僕等に望まれる理想の姿。国家の銃をその手に収める以上、僕の立場は公共と民衆双者の期待に応える義務がある。此処でどう言い繕おうが、年端も行かぬ被差別山岳部族出身の若人と一戦交える事は初期想定の範疇でしか無い。一体誰がそれを咎める権利を持つ。国家の武力を預かる我が身に良心の呵責に勝る任務完遂優先の感情を宿そうとも、私情を挟む余地の無いこの世界で。
「隊伍を乱すな、首尾は整然に。然すれば天は味方する。進め、撃て。主はお許し下さる。いや違う、お望みなのだ。異教信徒の今際を」
さて此処で一度話は移り、降流西岸の神子生誕日から二十世紀の経過を迎えた今日、西アジア地域屈指の弱小国家アフガニスタン・イスラム共和国の内情はこれ以上無く疲弊衰弱していた。
米軍侵攻の翌年、二千二年時点での国内総生産は米発行紙幣換算で五十憶ドル未満。国民個人単位が創出する付加価値は一七九ドル程度。国民層の一般年収は五百四十ドルを上回る事が稀。人々は一日当たり僅か二ドル以下を資金に生きている。その根深い貧困問題が更なる悲劇を連鎖させる一因となり、学校教育を受けられない家庭の多発から男女別国民識字率の平均値は僅か四割にも届かない。それに加えて、年間乳幼児死亡率は出生千人に対して二五七人。弾き出された数字を信じれば、最低でも四人に一人の分量で要保護者死亡を許している計算になる。そこへ栄養失調に起因する未成熟児の年間死亡件数を含めて未成年者全体の総死亡量を算出すればどうなるか。その計上結果、大まかな見積もりは口に出すのも憚られる。
だがそれでも、一目見ただけでは現存する国家の内実とは甚だ信じがたい国勢ではあれど、国民が信ずる神が涙ぐましい自助努力を後押しするのか、いつの世であれ戦乱に所縁深いこの社会集団は西暦二千年の現在に至る今日まで、辛うじて国家の体を保ち続けて来た。
「歓迎するぞ米帝主義者の友人諸君。刺し違えでもすれば、晴れて僕も胸を張りながら名誉パシュトゥーン人の称号を頂戴できるという訳だ。ハザラ人が勇猛果敢の死に様、篤と御覧じるがいい。我等に勝利を、敵に死を」
公衆へアフガンと聞いて浮かべる心象風景を聞けば第一に山羊飼いと小麦作りを挙げるだろうが意外や意外、国内に於ける農作適応地の割合は実に全国土面積の僅か十二パーセント程度を占めるに過ぎない。それも、その貴重な農作地の大半が中部から北部にかけて集中し、南部方面の農地分布率は絶望的な数字を記録している。しかし不思議な事に、その耕作可能面積の割合に相反して国民就業人口の約七割近くが同国の伝統的産業である農業に従事しているのが実情。余りにも歪、そう言わざるを得ない産業別就業人口の比率だ。
それに追い打ちを掛けるのが乾燥した気候と、農産物の鮮度維持。まず言及しなければならない点があるなら、そもそも深刻な干ばつが長引くアフガン国内は一般的な作物を育てるには向かず、百姓が安定した生活を営むには最も不適当な自然環境なのだ。年間を通した総降水量が乏しいなら国内河川の農業活用が難しい事は勿論、国土全体に灌漑用水を供給出来る様な都合のいい網状地下水源や巨大帯水層等が存在する筈も無い。
よしんば誇張無き血の滲む努力で収穫段階に漕ぎ着けたとしても、扱う物が青果類である以上は一定の可食品質を維持して民間市場への提供を目指さなければならず、冷蔵技術が未発達であるアフガンで生鮮食品販売業を成り立たせるには、如何にして需要層への到達時間短縮を実現させるかという戦いになる。それを追求する過程で供給主体には必然的な輸送手段の近代化を要求されるだろうが、アフガニスタンの自動車普及率は依然として低いままであり、国民平均所得が桁二つを算出している現状が克服されない限り全農業従事者への事業用車両導入はどうあがいても達成不可能に近い命題だ。
水不足と運搬方途。貧困国家アフガンの国力を頼りにしては両者共に解決の糸口が掴めぬ難しい課題であり、素より農産物輸出を収入源に各世帯の家計を支え、延いては国家運営の柱を担わせる等無謀にも程がある。
「目睫の間に殉教の時を見付けたり。諸公よ誇れ。諸子よ欲せ。諸人が求むる、
大義の死を」
第一次産業の惨状から目を逸らす様に地下資源方面に着目すれば、幸いそこに広がるのは農業分野の脆弱性を十分補填出来る程多種多様な鉱物資源を含み、膨大な総可採埋蔵量を誇る鉱床の数々。地質調査等で判明した場所だけを数えてもその数は実に千四百にも上り、有識者がアフガン政府へ宛てた公式送付書簡の文面を見れば金属資源や宝石類は勿論の事、果ては希少金属すらも含有する未確認の資源埋蔵地が未だ国土の至る場所に眠っていると言うではないか。
更に石油や天然気化燃料等、俗に言う化石燃料の産出地が国内各地に点在している事実には、アフガン鉱山工業省の閣僚も夜皆が寝静まった頃の執務室で一人男泣きを禁じ得なかったであろう光景が浮かぶ。一つ視点さえ変えてしまえば、アフガンは正に資源の宝庫。枯れた大地の地下深くで、同国の経済発展の要因となり得る可能性が今も日の当たる瞬間を待っていると考えれば、国民なら誰であれ救いは有ったと歓喜に湧いて然るべきだ。
だが何か失念してはいないだろうか。そう、忘れてならないのは多民族国家アフガニスタンで第二次産業を安定稼働させる点に於いて、前述した識字率や就学率の低さ、度重なる戦火によって壊滅的打撃を受けた教育水準の問題は無視できない壁となって立ち塞がるという現実。基幹産業を第二次分野に移行させようにも、工業従事者増強を現実の物とするには当然ながら公私共々の予算を割いて新規参入人材を対象にした工員教育課程を開設しなければならないが、六割を超える国内文盲率を前にすればその研修制度自体、一体どれ程の費用対効果が期待出来るのだろう。
それだけでは無い。保守封建的性格から脱却出来ぬ部族主体の社会基盤。アフガン人が送る生活の宗教との深い結び付き。そして何よりも、自由主義を忌避排斥し欧米の物質主義思想を否定した閉鎖的国家の建設を目標に活動する原理主義組織の存在。祖国の地に根付いた伝統産業を放棄し、強硬派が敵視する欧米色の強い機械化産業へ自国民が鞍替えしていく事態を許せば、それは武装した神学校の学子達にとって余りにも絶え難い光景の現実化を意味する。今も故国と仰ぐ窶れ土地に休座しながら望郷に浸り、半生を共にした故郷を打倒すべき傀儡国家として再認識しなければならない事態を、彼等は是が非でも阻止したい筈だ。
「何度夢見た事か、描き重ねた事か。ダマドラの湿気た穴倉で。今日という僥倖
の施しを」
外国の支援無しには国家再生に必要な手立ての一つも講じる事が出来ず、だが救済の手を払い除けるのは国民自身の生む柵である事実に、前を向き建設的歩みを望む人々は再び頭を抱えなくてはならない。
農産業を主軸として財政改善を狙うには土地の相性が悪く、天然資源の輸出で経済再生を図るには国民同士が生む不和によって産業基盤確立に不安を残す。単一産業依存型経済の確立すら難しいどん詰まりの地は何処を見ても可能性なんて物を感じず、これだけの努力がありながら国勢回復の目途が立つ気配も無いと知れば、どんな経済開発の秀才天才賢君明君だろうと匙を投げるだろう。明るい未来への足掛かりに成らんと奮い立って頑張る者程、知れば知るだけ国の根深い困窮に意志を捩じ折られる。それが敵意の大地、アフガニスタンの実態だ。
しかし、真っ当な産業の成長が殆ど望めぬ厳格の地でも、一つだけ国家財源の主力に成り得る物が存在した。二十一世紀基準の倫理に照らし合わせなければ、ある種の盲点とも言える最も身近な国民文化その中に埋没した暗黒産業が。
「呪うがいい。己が生まれを」
「聖典に捧ぐ我等が争闘だ。奴等好みの戦争で雌雄を決する」
一九九七年、一人のパキスタン人操觚者がアフガン南部の主要都市カンダハールの地に降り立った。その人物とは、旧共産政権時代から長年に渡って激動のアフガン情勢を海外に発信し続けて来た実績を持つ東西冷戦期影の情報功労者であり、現在では英国高級日刊紙デイリー・テレグラフ中央アジア支局長の席に着く報道業界の重鎮、アハメド・ラシッド氏其の人である。
若き日の氏は、後に全世界で一大旋風を巻き起こす事となった自書タリバン - イスラム原理主義の戦士たち - 石油資源と原理主義運動の狭間に揺れる中央アジア情勢を追ってを仕上げる為、その取材旅行の一環でカンダハールに赴き同地に住まう人々の暮らしぶりを取材しようと思い立った。取材動機は明快で九七年当時、短期間の急激な勢力拡大から遂には要衝都市カンダハール掌握に至った新興の原理主義組織タリバンに関する情報を持った民間の研究機関や有識者が存在しなかった為、それを主題とする学術誌を執筆する上で自主的な情報収集を強いられた事に起因する。
研究の題材が題材だけに命の危険すら覚悟しなくてはならない取材行だったものの、春の到来と時を同じくして目的地へ無事な五体を運んだ当人があったからこそ、後の世に渡って明らかにされたアフガン闇社会の一端があった。
「此度の背教徒宣告は武を以て執り行う。汚穢に塗れた邪人は清火にて焼き討たねばならぬ。正義は我が方、我等が背後に有り。恐れるな、我等が刀槍に神意は宿るのだ」
都市中心部から約三キロ半離れた場所に広がる見渡す限りの芥子畑と、そこでの労働に汗水を垂らす農民達の姿。知的な印象をより引き立てる眼鏡越しに、彼の視野に飛び込んで来た物がそれである。二十一世紀初年度に出版された氏の著書によれば、カンダハルに在住する芥子農家の生活は大凡次の様に纏められた。
春先に植え込んだ芥子に十分な水分と栄養が行き渡るように雑草を取り除き、肥料を撒き、対ソ戦時代に破壊された灌漑設備を復旧して畑に水を引く。それから数週間が経過すれば開花の時期を迎えて深紅の花が咲き立ち、やがて花弁を落とす頃合いには立派な芥子坊主が一つ出来上がる。この間実に四カ月、種撒きから芥子の収穫までに必要とされる時間は一年間の三分の一程度と極めて短い。農民はその丸々と膨らんだ実りの皮膜を剃刀の薄刃で傷付け、現地民がトルと名付けた生阿片を皮外へ染み出させるのである。明け方の早朝に液状芥子の搾り出し作業を始めるのは次の工程に時間を要するからで、生阿片は半日程陽光の中に曝され褐色の半固形物へ変貌する。農民達はこの乾阿片を鏝で丁寧に掻き取り、餅の様に固まったそれをビニールに袋詰めして、湿度の高い場所で保管しながら顔馴染みの買取商人が来る日を待つ。
高品質の阿片は良好な水利の畑でしか実現できぬ故、その希少価値はアフガン国内でも健在だ。色は暗褐色、粘り気は餅の様に。そう広くは無い畑を世話して私は毎年四五キログラムの生阿片を作っているが、その収入は千三百ドルとアフガン農民の現金収入としては一財産で、一家十四人を養うにはなんとか足りる。真っ当に小麦を育てていたのではこうは行かん。何せ小麦栽培で得られる利益は芥子栽培の一七分の一ときているのだから。こう答えるのは氏の取材に快く応じてくれたとある老農夫の一人だが、五十年代半ばからアフガン国内での阿片製造が本格化した事実を参考にすると、その経済的背景は非常に根深いと同時に歴史も浅くない事が察せられ、合法的手段では今日を生き延びる事すら儘ならない人々が存在するという事実を再認識させられる。
麻薬製造を一族代々の収入を支えてきた家業とする家庭に生まれ新当主の立場を預かる今、円熟した作り手なりに今日も粉の製錬に精を出す者。麻薬王の懐を暖める組織専従の運び屋として乾地を走り、半透明の防湿合成被膜を巻き付けた小包届けに勤しむ者。有り触れた買い手の一人から売り手の世界へ、麻薬密売人という稼業に新たな生き甲斐を見出す者。法治が機能する正常国家生まれの人間から見ると異常としか形容出来ない事だが、この国の暗部を覗けば前三者どれをとっても新旧アフガンの尺度では物珍しい反社会存在と言えない。それは薬物常用者側であれ、同じ事だったのだ。
「薬室内残装弾無し。弾倉交換次弾再装」
「立てよ若子、老師を裏手退路へ逃がせ。穢土にて彼を死なせるな」
印度大麻。通式名称以下分類詳細は植物界、維管束植物、被子植物、真正双子
葉類。バラ目アサ科のアサ属。学術名称は贅沢にも英字一四文字構成と短くはない。十中八九、新来の植物研究者から恨みを買う事、請け負いである。
その生態は所謂、一年生植物としての性質を持ち、発芽から枯死までの一生涯は全て年内に完結。又、それに併せ持つ暴力的な生育速度と熱帯環境から寒冷地にまで定着する驚異的な環境順応性を武器に世界各地へ広く分布するが、アフガンの排他的気候に於いても繁殖を成し遂げ都とする逞しさを見れば、その冗談にも等しい適応力に嘘がない事は一目瞭然だ。
アフガンから秘密裏に輸出される薬物の半分以上が芥子の加工品である事実に隠されがちだが、実はアフガン国内では芥子と同程度に大麻草の栽培が盛んで、それを加工した麻薬品は国内の各地でかなりの需要を生んでいたりする。
成長を終えて至る全高は一メートル前後と低く、側軸から幾重にも分枝した先端群と密集した葉叢が造成する円錐状の輪郭は空を抉らんと頂芽に英気を込める。
ここまでざっくり解説しただけでも見所の多い植物である事は明白だが、薬学的観点からこの植物を見ると今度は一つの希少価値に気付かされるのだ。その価値を生むは葉と花。特に花穂部分に詰まる樹脂に大きな希少性が隠されている。
成分名、テトラヒドロカンナビノール。大麻の局所が含む当物質の薬理作用は多幸感の自覚に始まり、抗不安効果の発揮や鎮痛作用等々。万能に近い効能は古くから注目され、現代では薬品として製造取扱する認可済み企業があり、特定疾病者層を主な需要元に一定量が流通。医療分野への幅広い応用によって人間社会へ貢献する等、適正用法に終始した関係を保てばその恩恵は後時に及んでも計り知れない。最近では食欲減退効果を期待出来ると言う研究結果が報告された為に、一時期は減量目的でこれの摂取を図る者まで出たとも噂される。実際、過食症患者の食欲を管理し克服を目指せるのではと考える者が居たりと、少なくとも今後何世紀にも渡って人類はこれのお世話になるのかもしれない。
だがそれとは裏腹に、一般世間的には使用後に幻覚と併せて強迫観念の発症が懸念される危険薬物として知られ、高い依存性から消費者には高確率で強い再使用欲求が表れると言う。その悪用しやすい特性は司法に盾突く者や暴力的非国家主体にとってはこれ以上無く魅力的で、一度でも体に入れてしまえば誰でも固定需要者と出来る犯罪的中毒性から、これの売買で自組織の資金源を賄うという事例は後を絶たない。正真正銘、功罪の大きすぎる存在だ。
それ故にこれを危険視する政府組織は多く、当成分を含む薬品に法的規制を掛ける国家は少なくない。一方で、既述の通り北米地域の限定的範囲では医師の処方箋提示を不要で当該物質を内含する医療用大麻が購入出来る等、国によってはその管理を国民各人の裁量に一任している場合も有る。合法指定と非合法指定。薬物成分に設けられる規制という点に於いては今言い及んだ通り、各国の足並みが揃っているとはとても言えず、その使用是非という議題で大麻は度々物議をかもしては世界的論争の種となった歴史がある。
「昔世話になったな、資本主義の人。八一年のカラチ、その節で。嘗ての恩人と武劇を演ずるとは、これも何かの巡り合わせか。所で、俳優崩れの白人坊ちゃんはまだ御存命かな」
阿片芥子。通式名称以下分類詳細は植物界、維管束植物、被子植物、真正双子葉類。キンポウゲ目ケシ科ケシ属。学術名称は豪奢に英字一七文字を使う等、これ又長ったらしい事甚だしい。何処の誰が名付け親かは知る訳も無いが、この名を思いついた頭でっかちは余程自分の海馬を痛めつけるのが好きだったと見える。全く学者先生という生き物は、一党全員揃いも揃ってつくづく御し難い。
以下、各種生態について。種としての起源を地中海地方、又は東欧州方面に持つとする学説が有力視されているが、現在に至るまでその原種が未発見のままである為に未だ確証は得られていない。成長を経て草丈は最大二メートル程度まで延び、葉身の形状は長楕円か長卵形。上部へ至るに連れて葉は小さくなる傾向にあり、葉柄を介さずに茎部から直接葉を抱く。その浅い切れ込みとは対照的に葉縁は規則性を持って波打ち花以外の茎葉は緑灰色で全身が無毛である等、他ケシ属には見られない本種固有の特徴が多い事から植物学に疎い一般人でもこれに限って言えば品種特定は容易な部類だ。
大麻との共通点として本種も一年生植物である事が挙げられるが、やはり最大の共通点としてその抽出成分が人間の善悪両面に於いて利用されている点を差し置く事は出来ないだろう。正邪全面を話すなら、大麻と同じく内含物質の医学利用が盛んであるのは誰しも知る所として善き面綴りを早々に切り上げ、本命なる悪しき面を語りたい。
阿片、モルヒネ、ヘロイン。今記した三つはケシ属の特定種から採取、又はそれを原料に手を加え完成する麻薬物質の名称で、モルヒネだけは鎮痛鎮静効果が医学的に重宝され末期癌患者の激痛緩和、疼痛治療薬として用途制限付きで民間にも出回っている。では他二者はどうなのかと問われれば、合法性について話すことは何もない。真黒な違法薬物である事を除けば何一つ。ヘロインに至ってはその依存、危険性を大麻と比較する事も馬鹿馬鹿しい。
摂取中断から二四時間以内に発現する禁断症状の具体例は、発疹、吐き気、感冒に似た初期症状、倦怠感に併発する不快感。これだけあって第一段階である。そして時は進み第二段階へ移れば、人体の全身を埋め尽くす激痛に常時苛まれる様になり、意識の朦朧から脳は外界情報の一切を遮断。末期段階への突入を以ていよいよ記憶中枢に障害を引き起こし時間感覚は機能喪失、人間は痛みによる失神と覚醒を交互に繰り返すだけの肉塊と成り果てる。そんな地獄を経て肉体は知覚限界を上回る苦痛に耐え切れず、最終的には救いを得るかの様に死を迎えるのだ。百害あって一利なしのそれを一言で言えば、人類に害成すだけの純粋悪そのもの。一時の快楽を得る為、当事者は人生の全てを代償として差し出さねばならない。
「我等が唯一無二の絶対神。我等が血骨育む大祖国。我等が偉大なる不退の獅子。我命賭するはそれだけだ」
「道半ばで膝を折れるか、不信心者の血を見ずにはまだ死ねん」
市場占有率八割超。驚くべき事に、アフガンとその周辺国家から出荷される麻薬関連品は、全世界へ供給消費される芥子系薬物全体の半数以上を占める。巷で頻繁に騒がれる中南米地域からのコカイン流入問題に比較すると、統計学上の数値ではこちらの方が断然にその深刻度は大きい。
供給に用いられる道筋は様々だが、アフガンが海に面さない内陸国という特性から密輸手段は全て陸路利用という点で一致。非合法品の輸送という観点で見れば、陸上輸送と言うのは海運に比べ圧倒的にその交通量が膨大で、往来する車両群と大量の通行人に紛れ込めば取締当局の監視を掻い潜れる可能性に富み、未だ万全とは言えない国境保安体制の脆弱性が仇となって治安当局側から非正規越境者の検知は難しい等、密輸業者にとってこれ幸いと運び屋稼業に専念出来る条件は揃っている。こうして言葉で並べてみれば成程確かに、汎米大陸幹線道路網を経由して北米地域に粉を流し込む米州麻薬組織よりかは、国境通過時に強いられる緊張は小さくて済むらしい。
「日没に伏すとは何たる豪運か。それでこそ殉教者の生き写しよ。栄えある戦路に枕すと思えば、それだけで火箭筒の口が逸るな。そうだろう、教友」
アフガン本土バルフ州から北部方面へ走る長距離軍用高速道路上を飛ばせば、ウズベキスタン共和国、タジキスタン共和国、キルギスタン共和国領内を順に通過。バダフシャーン州最東端の国境多接狭窄地形ワハーン回廊に踏み込めば、中華人民共和国新疆ウイグル自治区行政区画の一つカシュガル地区と、南アジア地域最大の火薬庫たるカシミール領土が東南各方角に軒を連ねる。
アフガンはこの他に二国家との地理的接点を持つが、国連薬物犯罪事務所の報告を見る限りどの国境付近でも相次いで密輸中の麻薬が摘発された話は多く、それに応じて各国が熾烈な対麻薬作戦を展開している事は今や警察軍事の関係者でなくとも周知の事実だ。
「アッラー以外に神は無し、全ては我等が代理者の為に。郷土を穢す西蛮の罰当たりめが。その太首、簡単には刎ね落とさんぞ。貴様等の人血全てを以て、祖邦入寇の返礼としてくれる」
今や懐かしの九十年代後半期、タリバン政権発足から程なくしたその頃にアフガン麻薬の売買流通は最盛期を迎えた。九八年のタジキスタン国境、一二ヶ月という期間で押収された量はそれぞれ阿片が一トンとヘロインが二百キロ。九七年のトルクメニスタン国境、一年間で押収された量は品目別にしてヘロイン二トンと乾燥大麻材が三八トン。一般公開資料に記載された数字を信じる限り、どれもこれも恐るべき数値と言う他ないだろう。そこに麻薬利権を漁る腐敗役人達が意図的に見逃した量を付け足せば、その数は何処まで膨れ上がるだろうか。五倍、十倍、或いはもっとか。
こうして見ると、タジキスタン共和国第三代大統領エモマリ・ラフモノフ氏が九九年一月の国際集会議場で残した、アフガン国内からは一日一トンの割合で非合法薬物が密輸されているとの言葉もあながち脚色の少ない誠実な発言だったのかもしれない。あまり喜べる内容とは言い難いが。
「勝ちはくれてやる。野子を放て。死するは今ぞ、卑人の子よ」
「一弾投げるぞ、気を付けろ」
ではそれらへの理解をもう少し深められる小話として、此処で一つこんな例を挙げてみよう。アフガン西部国境方面と隣り合う形で国土を置くシーア派教徒主流の宗教国家、イランイスラム共和国。旧体制転覆その前夜まで親米体制を敷いてきたパフラヴィ―朝を打ち破り、革命成功後の七十年代後半期から一転して強硬的反米路線を打ち出した事で有名なこの共和政国家だが、その悲劇的立地の悪さが祟って旧王朝時代から国内の麻薬汚染問題に長年頭を悩ませてきた。何しろ件の無法国家とは陸続きの隣国同士という関係にある上、革命直後の政的混乱によって治安が悪化した時期に非合法薬物売買に手を染める者は一層の増加傾向を見せた故、八十年代初頭に掛けてイラン内部は麻薬常習者の温床と言っても過言ではない様相が呈された。
無論の事、旧王制に取り替わった人民集団主体の新政府構造も国内風紀改善を目指す様々な取り組みを行った。旧体制時代、嘗ての王朝が子飼いの猟犬たる国家保安情報機構を動員した様に新規編成警察機構を動員し、薬物の取り締まりを継続させた事や、より厳格な薬物法案を制定させ邦内麻薬需要層への一定効果を期待できる牽制行動とした事例等は目に見える努力の軌跡と言って良い物だろう。
それに、目を向けるべき点はなにも文民的分野だけに留まらない。武官的活動が筆で戦う彼等にどうやって並行していたかは、次の二文を読めばそれ以上の語りを必要としない筈だ。新世紀到来の日から約二十年遡って八十年代の分から棺数えを始めると、アフガン国内から来た麻薬密輸団を阻止する作戦でイラン共和国側は治安部隊員二千五百名を失っていると言う事実を知れば。九八年にイラン政府とタリバンが軍事的緊張により出入境審査場を封鎖した際も、イラン当局側は僅か数週間という期間中に約五トン近くのヘロインを国境近辺で押収し、国内への流通を阻止していたと言う事実を知れば。二千五百と言う数字も五と言う数字も、それに込められた誰かの努力と犠牲は決して目を逸らして良い物ではない。そうとも、生誕間もない新体制を支えると誓った彼等は、人知れず血を流しながらも銃後の人民を守る盾としてその役目を果たそうと懸命に努めていた。
「遮蔽取れ、遮蔽」
「手榴弾」
「その場に伏せ」
では彼等治安当局職員達の命を懸けた献身で、最前線国家イラン共和国は対麻薬戦争に於いて何を勝ち得たのか。華々しい勝利か。麻薬に汚染される事無き健やかな人民か。否、実際はその対極だ。嘗ての戦火起発を二昔前と懐かしむ今日この頃に至り、首都機能設置都市テヘランですら一日当たり約四トン、共和国全土の年間消費では四百五十トン前後の阿片乱用が常態化している。それもその筈、無理は無い。イラン国内では麦酒を買って酒精に酔いしれるより、密売阿片を手に入れ一時の快楽に浸る方が遥かに安く済むのだから。一ドル札一枚分と等価のイラン通貨と引き換えに阿片一二グラムが手に入る国なら、その国民の何人かが薬物の購入使用を躊躇わなかったとしても不思議な話ではない。
九八年時点で共和国政府が公に認めた国内の麻薬中毒者総数は百二十万人。国連直轄の薬物犯罪調査機関による報告はそれ以上の約二百万近い数と見込まれ、中毒症患者の総合的数値は悪化の傾向にあると言う。八十万と言う大きな隔たりが両者間を隔ててはいるが、そのどちらがより実情に迫っているにせよ二者共に驚異的な数字である事に違い。この際、推定数値を一度でも見てしまった以上はとある政府高官が明かした、実際には国内の約三百万近い人々が危険薬物を常習的に消費していると言う内部報告が有ると言っても最早誰も驚きはしないだろう。
生産国と隣国同士であるという一つの地理的事実関係が、消費層に届くまでの価格上昇を最低限に抑えるという結果に結びつき、中間経由国を挟まず超えた国境線は一本だけであるからこそ実現可能な価格設定は中毒者統計の変動に大きく表れている。イラン司法当局が国内麻薬犯罪に対する厳罰化を進め、今ではほんの数オンスのヘロイン所持が直ちに極刑執行に直結すると言う現実があるにもかかわらず、国民全体に至る薬物健康被害が未だ減少する気配を見せない究極の理由はそこだ。そう、イラン共和国が粉物を地球上で最も安く手に入れられるという現実が変わらぬ限り、状況の改善はほぼ不可能なのだ。
「粉をやれ。後腐れは無い」
「遠路遥々首狩りの御礼参りとは、その兵隊根性恐れ入る。しかし、亡き者に捧ぐ誅討とは泣かせてくれるな」
「力。力だ。同志アフマドは我が力だ」
ここまでアフガンという一国家とその周辺国家にまで纏わる麻薬問題を取り上げ幾つか語ったが、そもそもの話何故自分達が今という時間を使ってまで地獄観光を強いられているのかと言うと、事の発端と現在に至るその後のあらましを端的に説明すればこうとなる。
丁度十二ヶ月前、アフガンとパキスタンの両国間を結ぶウェシャマン国境検問所付近のアフガン領土側で、大掛かりな麻薬密輸事件が摘発された。問題となったのは、パキスタン国内で買い付けた食料品をアフガンへ運び、そこから各小売店へ卸す仲介業者所有の小型積載車が計五台。通過車両の運転手へ身分と越境理由を確認する通常業務中、麻薬対策強化の一環で検問所へ臨時駐留していた警備犬部隊が車内に隠匿された薬物類を発見した。最終的にアフガン治安当局へ押収された薬物の内訳は、未加工の阿片材と高純度のヘロインが各二トンづつ。末端価格にすれば中小途上国の年間国家予算にも迫ろうかという、天文学的資産価値を秘めた非合法薬物が国境保安部の警戒網に掛かったのだ。
一度に運ばれる量としては極めて異例な事で、仲介業者自身が密売に直接関与しているか、背後に麻薬組織が居るのではないかと司法の手が伸びたのがその数日後。大規模且つ組織性が疑われる国外麻薬事案という事で、他所様の国へ麻薬を流す不届き者をいざ成敗せんと張り切る麻薬取締局国外派遣諮問支援部隊がアフガンへ乗り込んで来たのが更にその一カ月後。人権後進国基準での合法尋問が行われた後、検問所で身柄を押さえた被拘束者十名中その九名から企業経営者と麻薬組織に関する黒い情報を得たのが十ヶ月前。常時多忙なその立場に配慮し十名の処理が終わるまで定期的な事情聴取に留め、対応を後回しにしてきた企業経営者の身柄を再拘束する為に自宅へ踏み込み、頭部が切断された本人遺体を発見したのがその翌日。早くも捜査の雲行きが怪しくなりかけ、何も進展が無いまま過ぎていった期間が二ヶ月弱。暗礁に乗り上げて暫くが経ち、そんな現状へ苛立ちを募らせた捜査部の下へ同日別の検問所で同様の密輸事件があったという知らせが入ったのは今から八ヵ月前。そちらの拘束者を改めて尋問し、パキスタン方面への密輸を取り仕切る大物の名前を引き出すのに十日を要した。
「脈拍無し。この不埒者が、勝手に逝ってくれるなよ」
警察機関としてはまだ未熟で頼りないアフガン警察に一旦の見切りを付け、それに代わる新たな捜査協力と情報提供を旧国家情報局の実質的後継機関たる国家保安局に要請したのは、事件発生から四カ月と二十日を数えた頃。それからの彼等の仕事ぶりは見事な物で、どんな魔法を使ったかはついぞ彼等の口から明かされる事は無かったものの、捜査協力の承諾から僅か三週間で件の密輸団幹部をお縄に掛けて見せた。この鮮やかな捕物劇が捜査部の感心を集め、すぐさま結果を出してみせた彼等の捜査手腕に賛辞の言葉を送る事となったここまでは良かったのだが、この幹部人物なる者が中々の曲者で、保安局の局部切除すら辞さない強硬姿勢の下に行われた各種尋問手段でも口を割らせる事は叶わず、いや参ったねと苦笑しつつ保安局連絡員が零した言葉に捜査部の面々が落胆の色を走らせたのが六ヶ月と少し前。
またもや壁に衝突かと二度目の捜査膠着に陥ったその翌日、奇妙な事に合衆国の独立系総合情報機関がこの捜査活動とその内容に興味を示した。その後、捜査協力の一部と言う事で合衆国本土から機密書類数点を携えた筋骨逞しい普段着姿の情報機関職員が半ば強引にアフガンへ飛んできたのが、今から約六ヶ月前の事である。
羽織った柄物が印象的なその職員曰く、今回槍玉に挙がったのは六十年代中期から国内でのヘロイン製造とその流通に深く関わってきた古株の麻薬密売組織で、年間に二百トン以上に及ぶ非合法薬物を諸外国へ持ち出す事で莫大な利益を上げて来た。それ加えて組織の棟梁人物は旧タリバン政権官僚層へ至る広い人脈を持つが故に現在もその保護指定を受けていて、数年前に瑞通信企業スイスコムへ圧力を掛け入手した電話発信位置の情報閲覧権限と通話内容の傍受権限を活用した限りでは、アフガン南部地域に複数の潜伏拠点が用意され暗殺対策としてそれらを規則性無しに転々としている、とか。
又もう一人の職員が言うには、内戦期に何度か組織分裂と吸収再統合を繰り返し、最後にはタリバンが掌握する政権下で彼等が対外的に否定するアフガン麻薬産業の元締めとして西及び中央アジア一帯の麻薬流通を一手に握る立場を得た。だからこそ、その影響力拡大を好ましくない現象と見て以前から監視を強めていたと共に、原理主義組織を資金面で支援した事実を重く受け止め自由社会へ対する重大脅威として情報収集に当たっていたとも。
「彼我不明目標一名が此方へ向け前進中。非武装、危険性有り。其方の対応指示求む。送れ」
「何時ぞやの契約志願兵とは比較も出来ん練度だ。認めよう、中々の手練れだ。武者震いに適うだけの」
国境で起きた一件の密輸事案が、まさかここまでの大事になるとは。捜査部にそんな緊張が走った事は想像に難くなかったが、麻薬との闘いに命を懸ける米麻薬局が更に義憤に駆られたのは是非も無い話だっただろう。残念な事に、正義執行に意欲を燃やす彼等国外派遣員達は、この後に起こったある一件でアフガン国内での部隊行動能力一切を完全に喪失するのだが。
米情報機関の活躍はそれだけに終わらず、今度はその辣腕ぶりを拘束者の尋問という面で発揮した。自供を引き出すまでに費やした時間は、国家保安局が幹部逮捕に要した三週間の半分。その間僅か十五日の出来事だった。否、保安局が拘束者の身柄引き渡しを一時渋った為に五日無駄にせざるを得なかった事を思い出せば、事実上は十日で口を割った計算となる。因みに、幹部の身柄送致先が彼の囚人虐待多発で名高いパルワン拘留者収容施設のその最深部、米国防情報局が非公然に運営管理する超法規刑務所でなければ豚血とフェノバルビタール調合剤を使った強化尋問法実行に許可が下りず、自白引き出しまでにもっと多くの時間を費やしただろうとは尋問を担当した本人の談だ。
「よぉ、髭面の兄弟。的は此処だ、来て取ってみろ。帯巻き頭の穢多人共め」
「惜しいな、届かんか。帰郷は果たせん。パンキシの緑も―」
拘禁者の証言を基に新たな作戦が組み立てられ、麻薬捜査は次の局面へ。バージニアからお越しの私服組に情報支援を任せ、いそいそと修羅場に乗り込む準備を始めた麻取の精鋭達。携帯電波の傍受内容から、対象が近日中にホースト州ナディールシャ―コット地区の隠れ家を訪れる可能性が高い。一刻も早く檜舞台へ立たせろと言外に周囲を責っ付く戦闘中毒者達に、突っ掛け履きの巌御前方がそう報告を上げたのは今から五ヶ月と少々前の事だった。
合衆国省庁上級意思による裁定の下、現場へ作戦執行命令が下された四ヶ月と少し前。久々にハリド・シェイク・モハメド並みの大物を捕らえるという事で、アフガンの僻地に腰を据え猛暑を耐え忍んできた少数名の軍事行動要員とその支援員達は、期待と不安入り混じる面持ちで運命の日までの一日一日を過ごす事となった。責任の完遂を祈願する者有り、作戦目標の成就を願う者有り、流通網の破壊が世界是正に繋がればと生きる者有り。誰一人として同じ心中を描いた者は居なかっただろう。だが戦地に居場所を見出した者の定めか戦野を手近に控えたその誰もが、戦に身を投じずには死ねんと決意を改めた事だけは確かだと言い切れる。
そして訪れた決行の日。旧ソビエト製の汎用回転翼機に乗り込む彼等の姿を、僕は遠巻きから眺めていた。戦術集結地点の砂埃を巻き上げ飛び立たんとする、鋼の巨体を見守った観衆の一人として。だから覚えている。気合い十分、士気は旺盛、歩兵根性に揺るぎ無しと、これから死地に踏み入る徒兵の容体として彼等は文句なしに上々の仕上がりだった事を。各々が慣れ親しんだ得物を両手に意気揚々と機内へ身を詰めていった彼等に、宛ら秘教僧兵が出陣式の様だと感想を抱いたあの日はまだ記憶に新しい。
「取り乱すな。後は託すよ兄弟」
「言ってくれるね。一名脱落、一名脱落、一名脱落。フォーサイス軍曹死亡」
それはそれは暗澹たる結果に終わった。派遣された諮問支援部隊の規模は陸軍編成基準での二個分隊。作戦終了後、語らずの死に身として基地に戻ってきたのも二個分隊規模。全滅だった。一般的に知られる、三割方の人員損耗で判定される全滅とは訳が違う。人的投入戦力が誰一人として生還を果たせなかったと言う、その言葉本来の原義を全く違えない最悪の結果が待っていたのだ。
何故そんな悲劇が許されたのか。簡単である。その後の原因究明により導き出された答えは大きい物が三つあった。第一、敵の保有火器が想定より遥かに強力であった事。第二、隠れ家の周辺封鎖を担当したアフガン軍に間者が紛れ込んでいた事。第三、十分な空中支援が用意されなかった事。どれも言葉にすれば単純な理由ながら、人命を奪うには十分過ぎる失策点だった。
順を追って説明しよう。先ず第一理由に挙がった予想火力と実際火力に齟齬があったという点から。自動小銃に、旧式の対戦車擲弾発射筒。アフガン各地で暗躍する反乱分子の保有火器として前者二つは一般的だが、彼等の命を奪ったのはそのどれでもない。墜落炎上した機体を解析した際、いの一番に調査官が目にしたのは無数の弾痕。直径にして幅約二十ミリはあろうかと言う、明らかに大口径弾の侵徹が作り出した貫徹痕の数々。またそれと関係があると思しき、目標村落の一軒に内側から開けられた大穴。その光景を見た調査官は脳裏に一本の仮説を走らせた。彼は知識として知っていたのだ。アフガン国内で、これだけの破壊力を有する兵器が何であるかを。何が土壁に大穴を拵えたのかを。
「経文に違えるな。立つぞ俺は」
回収済みの飛行記録装置から回避機動を取った形跡が読み取れなかった点で、誘導弾の類いでない事は明々白々。機体前方の装甲板に、柔い飴細工へ鉄箸を突き通したが如き風穴を易々と作って見せるその威力。そして機体全体で見られる数え切れない程の着弾痕。現場に散らばっていた百を優に超す空薬莢。小崩壊した屋壁。それら全てを繋ぎ合わせれば、火器の特定は難しくない。これが当の本人から賜った言葉になる。
嘗て北方の共産勢力が手先として送り込まれたソ連軍地上部隊、正式名称第四十軍。そしてその忘れ形見、低空域防空用火器。これがアフガン国内の反政府組織で運用が確認されたと言う報告は過去に幾つか挙がっていた。我々が墜落原因の最有力候補として睨んでいたのもこれ。放つ弾幕は強烈で、低速且つ装甲の薄い回転翼機を狙うならこれ以上最適な兵器は無い。土壁程度の脆性構造物が相手なら、砲弾本体は遮蔽体貫通後も十分な威力を維持したまま輸送機まで到達出来るから理屈は通っている。
墜落地点は丁度降下予定地と重なっているし、目標家屋から百メートルと離れていなかった。人員を地上展開させる為、空中で一時静止に入ったその瞬間に墜落炎上が確認されている。目標を出来る限り近くまで引き付け攻撃するという手段は、これの運用法としては正に教本的だ。ソ連の航空機も似た手段で撃墜された例が有る。目視照準による直接射撃なら、如何に航空機の近代化が進みレーダー警戒受信機を搭載していたとしても、警報が作動する道理はない。
しかも、連中は対対地監視策として切り札を屋内に隠して射撃直前までその存在を隠蔽していた。電子的はおろか、視覚的にも攻撃の前兆を出さぬよう相手方が秘匿化を徹底していたからこそ、対麻薬作戦部隊を輸送した機は回避動作が取れなかったのだ。現段階に於ける我々の推測がこれになるが、恐らくは的を得ているだろう。
その後、これら調査官の主張に則り機内から摘出した銃弾らしき金属片と大納屋内部で回収された二百発分の撃ち殻薬莢を分析した結果、見事にその仮説は裏付けられた。司法の使者を無残な千切れ肉に変えた物の正体。それは彼等が仮設の通り、前世紀のアフガン国内を混乱に追いやった戦争の賜物だったのだ。
「退くな。前へ」
では次に移り第二理由の内通者問題へ言及しよう。これについてはアフガン軍への協力要請をした事自体がそもそもの愚行だった。少し頭を働かせれば気が付いた筈なのに、何故誰もそれを指摘しなかったのか。アフガン軍兵士の中には、少なからず芥子農家で生まれ育った者も一定数居たという事を。
これは対タリバン作戦ではない。いや、直接的被害が軍事目標のタリバンを中心として波及するであろう点は理解する。しかし、その被害を間接的に受けるのは名も知らぬアフガン国民とて同じ事。芥子流通網断絶と既得権益の侵害、時間を掛け育成された経済体制を攻撃する事は、それ即ち独立国家アフガン崩壊の誘因となり得る。当然、そのしわ寄せは国民の物質精神両面に於ける困窮の促進に繋がり、それはやがて国民の対米感情が反発へ向かうという形で結束されるだろう。無論、其の方が従来の経済体系破壊を意図して臨んだのでは無いという事も理解してはいるが。しかし私が何者かと問われればそれは当然アフガン軍の一兵卒であると同時に、この国に住まう一市民でもある。それ故、この度不義理を承知で間諜の真似事に出たのだ。
数点発言させてくれ。カルザイ大統領を国家首長と据えた新民主主義政権樹立以降、種々の国際支援がこの国へ投じられた。教育拡充とその現代化、支援物資の提供、生活基盤の再整備、高等人材の派遣と言った形で。世界的に見ても、これ程人道支援に充実した戦災国家は他に無いだろう。所が、その事実に反して芥子に取って代わる新たな換金作物がこの国土に根付いたと言う話は未だ聞かない。私たちにとっての最重要事はそれだ。貴方に問いたい。麻薬が倫理に反するとして、それを栽培して食つなぐ他無い無辜の人々を一方的に弾圧する事は倫理に沿う振る舞いなのか。我々アフガン人は悪意を持って芥子の種を蒔くのではない。先祖代々に渡ってこの地で生存する道を模索した結果、貴方が麻薬と呼ぶ物と共存せざるを得なかったのだ。人類の歴史が、我々に芥子農家として生き残る術を残したのだ。貴方達は功を焦りすぎている。武器は強い。だがそれで人々の意思を刈り払おうとする事自体、夢物語にも等しい。銃弾が民意に勝る事は無いといい加減に気付くべきなのだ、貴方達は。
前記の述事二つは、利敵容疑で拘束されたアフガン兵三名中の二人から得た供述内容の全文そのままである。最早、それ以上を語るまい。我々は、合衆国は、この段階から間抜けにも失敗に向け突き進んでいた。ただそれだけの事だ。
「各員現在間隔を維持、警戒強度を密に執れ。隊形持続のまま移動、閉塞進入口左近側点へ集結待機。爾後行動にかかれ」
「走使この位置。西方の旗色に曇りが見える。大至急、指示を仰ぎに迎え。何としても大佐まで繋いでくれ」
そして最後、不足した空中支援について説く。身内の不手際で作戦に不備が生じていた事も併せて語らねばなるまい。予定通りに事が進めば、麻薬狩りには武装した無人機が参加する筈だったのだ。主翼下に数発の誘導弾を実らせて。故に始めから部隊支援火力、対地監視能力共に不足を生じさせて計画を組んでいた訳では無い事を先に弁明させて頂く。
以下は最低最悪の失態までの大まかな状況推移。当日早朝、規定通りに機体各
部の点検が行われ、姿勢制御機能に不調が見られた。唯でさえアフガンに搬入された大型無人機の母数は少なく、他部隊も連日の様に武装無人機の支援を必要としていた事情から予備機確保に失敗していた為、部隊本部はその代替として即応状態にあった非武装の小型無人機を急遽手配。先行きに不穏さ残しつつ、非武装機は空路移動部隊に先行して航空基地を離陸。天候悪化著しく気流も荒れた上空を灰白色の機影は懸命に飛ぶ。それに合わせて潜伏監視中のアフガン軍へ部隊機動を始めるよう伝達、封鎖が開始された。
間に合わせの対応にしては上出来と言った所か、アフガン軍部隊の周辺封鎖は無事に完了。軽無人機は重要視目標地域の上空へ到着した後、対地監視を継続。残るは主役の登場を待つだけ。
「行け。急げ」
監視開始から程なくして所属不明の兵員が監視家屋の周辺をうろつき始め、何やら車両が数台車庫から現出。そして部隊本部はこれを移動の前兆と判断。その数分後、熟年期相当の男性が年若い護衛に付き添われ、車両に乗り込む素振りを見せる。無人機から取得した望遠映像を専門家に分析させ、九割の確率で本人と判断。太鼓判が出るのと出動下達、この二つはほぼ同時に行われた。
アフガン軍部隊は事前計画に沿って包囲網を狭めつつ、拡声器による投降勧告を開始。退路となる道は全て塞がれ、悪くない流れを掴みつつあった。対象は護衛を伴い屋内へ引き返した後に籠城戦を覚悟したのか、散発的な小火器射撃が包囲網へ放たれ政府部隊もこれに応戦。人数と装備の面で圧倒的優位に立つ正規軍部隊はこれに余裕を持った対応で臨み、交戦対象へ絶やす事無く火力を注ぎ続けた。
航空偵察で確認された敵の総数は軽武装の戦闘員がせいぜい三十名前後、対してアフガン軍部隊側の動員規模はその三倍近い約九十名。頭数、火力、装備。どの要素でも敵に勝っているなら、これの何処に敗北の匂いを嗅ぎ取る事が出来ようか。これでは勝負になるまい。実際、黒煙の柱を墓標代わりとするその時まで、誰もがそう思っていた。
「畜生めが。撃ち返せ」
そしてとうとう生死を決する運命の時がやって来た。輸送機系特有のずんぐりと丸みを帯びた団子鼻の機体。丘の陰からるぬりと不気味に飛び出したそれが、太陽を背に低空域を悠然と突き進む。唸る原動機がありったけの出力で回転翼を回し、重々しい巨体を高速で滑らせて飛ぶあの筆舌尽くしがたい異様さよ。あの光景の中、もし鼻先方向に自分が居たなら、間違いなく本能的恐怖を呼び起こされていた。
だが振り返って見ると、そんな雄姿も儚い三日天下に過ぎなかった。その後の流れは知る通り。航空燃料で香り付けした挽き肉の缶詰が、あれよという間に一丁出来上がってしまったという訳だ。
「負け知らずも今日までか。この対局を凌ぐには酷い手札だ。笑ってくれ」
「空挺野郎が相手だ。不足は無いが、致し方もあるまい。案ずるだけ徒骨と言う物よ。しかし随分な無理難題よな、悪運をシャトイで尽かしたとは言え。この老体も年貢の納め時か」
未構成箇所、入力途中
未構成箇所、入力途中
未構成箇所、入力途中
「官軍騙りは止せ。賊徒呼ばわりも不要と知れ。そして足掻くな、奴兵」
以上、これが今日という日を地獄で過ごす事になった理由。今日という名の一級品反道徳物完成に至るまでの時系列である。
「心拍頻度低下。不味い」
そしていざ運び屋達の塒を叩いてみれば、蜂の巣を小突いた様に出るわ出るわ捨て駒の山。マスード将軍曰くアフガンの癌細胞こと旧イスラム党ヘクマティアル派構成員、それに合流した外国人戦闘員含む諸軍閥離反者達烏合の衆が末席に数多顔を連ねるこの麻薬組織が地方から拉致徴用した未成年者を訓練し、東方の大要衝ペシャーワルや南南西の山間農業都市クエッタに向かう密輸隊商の護衛に従事させているという話は事前説明の段階で聞き及んでいた。なればこそ、実際に小口径完全被甲弾の火線が射貫く鮮肉の的がお世辞にも大きいと言い難かろうがそれに動揺を覚える事は無く、業務上避けては通れない脅威処理作業を淡々粛々と進められる。
若骨の輪郭が主張する筋萎縮著しい細腕は、敵対する未成人戦闘員自身の微笑ましい腕力を十二分に直喩してくれるが、その貧相な身体能力の限界は銃弾の威力を左右しない。大の男が怒りに任せて銃弾を撒き散らそうが、衰弱した女児が死力を尽くして一発を放とうが、銃口威力は全て同一値と決まっている。結論を言えば、武器を手に対峙する者なら誰であれ我々を下す可能性を秘めた脅威に他ならなず、武装した主体が大人であれ、子供であれ、その排除は任務遂行に必須の義務だ。
「姿勢戻すぞ。敵員目視、撃つぞ」
相方を務める指示出し射手の怒号で、僕の意識は再度乱戦の最中に。あぁ失礼、止めの一射をくれてやれ。
「良いぞ。撃て」
百二十センチに達しない背丈の彼等剛の者達は、慢性的栄養失調で発育が遅滞気味である事を考えても骨格の成長具合に未熟さが見て取れ、恐らくはその何人かが間違いなく未就学児相当の年齢で動員されている事が窺えた。反骨の大地に宿る粘り強さは無情にも青い戦士達が捧げる命に休息を許す気が無い様で、圧搾処理済み乾燥大麻の人体許容量超過摂取で意識が興奮と酩酊の中間を彷徨っているのか、選ばれし者を守護する小さき宗教戦士達は拉げ髑髏に開いた傷口から損傷した大脳を溢れさせても尚、歩みを止める気配を微塵も見せようとしない。
対する窮地の僕達は、そんな狂信的突撃を辛うじて捌きながらそいつは御宅らの御法度だろう、まだ斃れんか麻薬に溺れた盲信者共めがと内心で苦言を呈し、早急に周辺脅威の即時排除を完遂し場の混乱を収束させる為にも幼き体躯へ矢継ぎ早に効力射を叩きこんでいく。
訓練が育む有益習慣に地固められた射撃姿勢の先で、血の通った木偶共はじきに臨死から涅槃を経験し選別の啓蒙を得るだろうが、敢えて語るまでも無く彼等に赦しを請う発想は無い。怨んでくれさえすれば、帳尻は綺麗に揃うと自己完結は済ませてある。この場に至って躊躇は不要。諒恕の気は捨てよ。彼等は敵に他ならん。
「隊形取れ」
拍動有る巷の諸衆に向けて、此処で一つ質問を挟みたい。扉一枚を目前に控え、そこに握り玉が一つ付く。今からこれを開けなければならないが、さてこの状況に置かれた兵隊の確かめるべきは一体何であろう。軍服に袖を通した経験の有る者も無い者も、等しくこの返答に詰まるだろうが此処に熟考の要は無い。簡単な事だ、誰でも自然と手が伸びる。何処へ。扉把へ。何故。それは無論、施錠の有無を確かめる為。
「配置完了。目標視認範囲内。共生同志六から全行動中部隊へ。交戦を許可。再度復唱、交戦を許可。さぁ愛国者の紳士諸君、行動再開」
厚板から伸びる柱状把手に五本指を浅く絡め、真鍮製のそれをそっと緩く捻り施錠点検を取る。するとどうだ、薄い抵抗感が指骨を圧した。軽く押しても強く引いても、その力量とは関係無しに板戸の動く気配は微塵も無い。流石、非常時の戸締りは例外の無い万国共通の現象で、その行動は此処でも常識であると見た。招かれざる来客が近地をうろついているなら、文明人も疎い人も取る行動は似ているらしい。
「戸扉全閉、施錠有り。仕掛け線見えず、異常無し」
では開かずの扉を前にした我隊の歩士は、尻尾を巻いて踵返しを計るのか。そんなまさか、性質の悪い冗談だ。挺進戦教育学校を卒業した身が、高々扉一枚程度の克服手段を知らぬ筈が無い。錠を掛けた程度で易々と引き下がる様では、連邦の精兵を名乗っても我が国民の諸老諸若様から数瞬の冷笑を頂戴するだけ。閉じられた扉は打ち割ってでも、引き剥がしてでも克服して前へ進む。その挑戦を忘れぬ臨戦姿勢こそが、我等を鋭兵足らしめる諸兵の敢闘精神也。
「準備出来次第、進入手順実行。伴動衛護手、閃光発音筒投擲準備。諸動作急げ」
外観構造と採光窓の位置を見て大凡の内部構成を推し量り、仮の青写真を脳裏に書き出して戸肌と鍵穴周りを指で幾度かなぞる。一度、二度と忙しなく指の腹が木目を舐め、その度に指紋を押し返す確かな硬い感触。この跳ね返りは間違いない。板戸と門枠を繋ぐ丁番の固定位置、城門破りに欠かせぬそれを探り当てたか。
「正面接敵。無力化。一名排除。繰り返す。加害容疑者を射殺。周辺区域掌握。作戦目標不在。確保対象者の現在位置不明。部隊状況良好。引き続き状況継続。高所監視員。次段指示を」
開閉方式の詳細及び、室内形状分析終了。視界枠内に幾点転がる存在証明示標を目敏く拾えたなら、観測効果は一も二も無く重畳其の物。知るべき事は事前観察で大方揃え、執るべき進入要領も絞り終えた。
「実行。実行。実行」
灰緑塗装で厚めの木製扉。埋め込み閂は一本限りの三点固定支持型。耐久性の点から蹴打破砕こそ難しいが、それでも弧状爆薬や環状爆薬といった小型種でも適量威力で通用、多頭鉄梃を使えば難なく開けられる。
部屋自体の諸仕様は内向き開き式、開口部翼所配置の近正方形設計と、典型的で有り触れた建築様式。
家屋全体は分厚く塗り固めた粘土壁と日干し煉瓦の複合素材を主体とし、見た目以上に堅牢で高剛性。この気合いの入れようを見るに自重を支える内部補強も一般屋舎とは格が違い、旧東側軍規格の通常小銃弾程度が相手なら角度によってはその貫徹阻止効果発揮を見込んでいい。つまり、進入口付近へ敵火力が集中した場合、その壁体部構造を盾に応戦可能と此方に幾分有利な形だ。
懸念材料があるとすればそれは推定間取り図面にやや残った不透明な点と正確な敵の人数所在、家財道具の配置場所だが生憎残念、今は時間が押している。であるならばいつも通り、蝶番側にお決まりの帯状爆薬一本を張り付けて、どかんとかまして一発喰らわす。連戦に次ぐ連戦で弾道破砕の供たる万能解錠具の詰め弾残りを品切れにした今、小さく丸めたそれをぴんと貼り伸ばして炸起させるのが一番手っ取り早い。無論、踏み込む前に小五月蠅い投げ物も一緒に放って肝潰しも忘れない。室内状況不透明であっても、最低限その二つを実行出来れば文句は無い。それで骨幹要素の一つ、奇襲性は確保出来る。機動性と発揮打撃力の二点はそれぞれ、足の回転を上げ射撃回数を増やして補えばいい。後は儘よと突っ込むのみ。此処は一つ、泡を食った奴らの間抜け面を拝んでやるか。
「点火起爆。点火起爆。点火起爆」
一列密集隊形の準備完了、陣取り合戦に節目有り。兵隊蟻の影が動いた。そこからの攻め手は終始一貫、流滑にして一挙無分割。
手始めに八一式線端点火装置の引き環に通した掛け指が微動、直結した衝撃伝導式点火管内部を超音速の発熱性化合反応が最大効率で駆け抜ける。その伝播現象速度、実に音速の六倍近く。
又それに応じて障害破砕手ないし戦闘工兵と歩兵専務者の殺気が鋭く尖れば張り物の軟質成形爆破線が伝爆薬と共に散り消え、雷鳴の如き爆音に埋もれる誰かの号令。ずしんと重く腹の底に響いたそれは、事始めを知らせる謂わば法螺貝の様なもの。導爆線三本を同時消費して生じる大音は伊達でも酔狂でもない。恐嚇力に富むその威は散り散りになった敵守兵の協和を重ねて細砕きにし、自壊寸前にある防勢の虚を衝かせた。
「破砕成功、通路啓開良し」
「前進。前進。前進」
これは好機、攻めるは今だ。臨機を逃さぬ兵なれば、戦機を制する士なればこの機を活かさぬは恥ぞ。そう言いたげに奮うのは同邦の剛兵に限り結構な事だ。
事実、犀牛の大頭角を帽前に乗せた鬼兵達へ間発入れず変形進入要領で沓摺りを跨いで軍靴を踏み鳴らさせていけば、各々に割り振られた担当支配起点を確保占領せんが為、破れ戸枠に雪崩れ込む武装兵衆は一番手を始め素早く手筈通りに壁縁部集中展開隊形を竣工させる。
近方の一辺沿いのみを高度特技化突撃手の限定浸透圏と定め、味方同士での火線重複を未然防止しつつ突入隊が有する最大限の銃砲火力を叩き付ける目的で設計された偏向展開形状は、銃を片手にふらつく脅威要素を個々の開けた視界に捉えさせ、腋下に潜らせた床尾板が個人戦闘防弾衣の中府に着き次第、その室内に残る潜兵ごと薙ぎ払うかの様に部隊火力を飽和させた。
「右方良し」
「左方良し」
「第一攻組、其方の状況報せ」
勝負あり。鳥瞰図で見る各々の最終停立位置は案の定、定型化部隊戦闘教練第六目の模範展開形状に一致。戦闘射撃が終わり現状把握に努める今、その短瞬に一呼吸を差して銃口正面銃床肩乗せの姿勢へ移り、数拍の間残心の構え。息を吸って息を吐いてを繰り返し、心の臓に再度の静穏を送り込む。そして揺り戻しを手早に効かせれば、視野狭窄もするりと解け広角の視野が後頭葉に麗景を映写、要ある明識は此処に帰る。
然すればそこから何が見えるか。一つは格式ばった一風を取り巻く煙雲。もう一つは死場の萎びた香り。血芥綯い交ぜの今を埋めてくれるは、たったこの二物だけ。
「一室確保異常無し。棒指標置け、緑で標記。次へ移るぞ戸際に着け」
射後周辺検索終わり。脅威状況評価も終了。虫の息さえ聞こえぬが、御用とあらば当方応じる備えあり。ぴくりとでも指端を遊ばせてみるがいい。その時は手動安全装置を任意で外し、適所に効力射撃追加を実行するまでの事。
「戸口左方。戸口左方」
「位置に着け」
お膳立ては功を奏し、銃の残声滅却から一拍置いて結果が広がる。押し引きの状況がまた一つ動く中で、敵は慟哭の一声さえ無く三途の河原へ転がり落ちた。爪先揃えの横隊全力射撃に一区切りがついた今、一次と二次の両責任区域上の穴開き骸は吊り糸を断ったかの様に転がっている。
命終の期を幾つ見ようが、手際の濁りは一点も生じない。そんな肝太い彼等を知っていればこそ、夜に木霊する野犬の遠吠えにも似た咆哮を聞き、常闇に巣食う影法師達が走らせた怯えを見れば、誰かの死は確信に変わる。もっとも、攻撃一辺倒、その思い切りの良さ故止めるは難しの振り切った戦闘機動を彼等に挫いて欲しいとは思わないが。
「蛍光棒投下、標記良し」
「後続番手就位良し」
聴覚保護装身具内蔵完備の自動雑音遮断機能に濾されて聞いたそれらは、障害排除用戦術霰弾の発射音には似ても似つかなかった。気心知る見知った郷人の声には何一つとして符合しなかった。異種混在、数珠繋の炸音を追った悲号の後先から子細を見越すに、友軍部隊が発号掌動作も銃身揺動も一纏めに割愛して進入前必須部隊動作終息に次ぐ局所点爆式戸口破砕を実施、沈降射線処理に発端する接地階層発起点制圧進入を始めたらしい。
能動色の強い人工空間内での攻性部隊機動を有利に進めんが為、標準戦技教本の手引きに従い非殺傷型投擲牽制物を投げ込む気配が有ったのだ、短期集中した銃声は間違いなく敵を仕留める雄叫びとなった筈だろう。でなければ若蛮骨が発したらしき骨が床打つ連音の頭尾それぞれを、人為的な射撃の周期性と定律めいた沈黙の訪れで飾れる道理が無い。
「後発入れ」
「余程、礼節も作法も知らん輩と見える。十字軍気取りの無義手勢がぞろぞろと」
「後発入ります」
現在時刻二三三五。状況開始から早や六十時間が経過。当初の作戦行動計画、既に破綻。目下の懸念事項一点、殺害対被殺害比率に無視出来ない陰り有り。追記一、統制下射撃班一個が既に壊滅。
被銃撃とほぼ同時期になる敵火点位置掌握後、訓練により獲得した条件反射が即座に戦闘の基本たる火力優勢の維持を選択させたが、この混戦環境下では徹底される守則の効果を推し量る事は困難を極めた。
僕を除く全班員が重軽傷或いは死亡している現状を見るに、敵火力が削り取った我の班稼働率に回復が望める筈も無く、部隊戦意の復元再興は必然的に難化する。部隊損耗の規模が拠点占有率と等価交換であると思考を切り替えた所で、その釣り合わない損害対効果を知る死者の魂は浮かばれもしないだろう。
「南方区画掌握完了。高利益目標一名射殺。部隊は現在移動中。西方区画へ前進。後方警戒を厳に維持」
道断たれに舌を打つ。終始優勢も今は昔、潮時は手の内を逃げた。雪解けの時はまだ遠く。見送る瑞気を手招く様に撃っては伏せ、又撃っては伏せを繰り返す。体に二発、頭に一発と兵士の戦場作法に拘っている余裕は無い。全ては生きて帰る為。縺れ脚に鞭打ち撃つだけ撃たねば、九割九分でそれは叶わん。
息をつく暇など有る訳も無い。接敵交戦圏離脱行動中は暇という概念とほぼほぼ無縁だ。縦列剥離後退機動のそれ自体はいっそ馬鹿馬鹿しい程洗練簡潔化された動きだが、射撃が尽きれば死を意味するし、機動を止めても死に繋がる。実に愚朴な真理である。敵散兵線から逃れられる所へ、所定の二列縦隊を崩さず安全圏に達さぬ限り動止交互の役回りが止まる事は無く、受け持つべき役柄は否が応でも反復を繰り返す。
だから今、時折咲く火花を横目に晩の花見場をどた足で駆け、定位置を見付けて振り返り、息を整える暇も無く銃の息吹に威を借り受ける。小手先に重みを乗せ火が吠える限り、鬼門から這い出る暗鬼程度は手前の力であしらえるが故。
「遮蔽取り付け、射線切れ。猶予を稼ぐ」
「南無三、死んでくれ」
受粒子検出板が炙り出すこの輪郭は、速弾に崩された人間の。光量増幅管が濾し上げた馨しい修景に脈が跳ねる。我心よ耐えろ、この時を。
開かれた頭蓋は小骨混じりの脳組織を零し、踏み躙られた人の尊厳が夜を飾る。純銅被帽と硬鉛弾芯が程良く捏ね和えた阿製養殖肉の一塊に、まだ腐臭の先触れは見られない。吹けば飛びそうな幼子の柔肉も、何れは赤身白身共々醜く腐り果ててこそ大自然の絶対摂理と言うものだが、伏屍の出来上がりを今晩に発する限り腐汁滴る古骨肉を蛆虫共が楽しむのは当分先の話であった。
だが下腹部に盛大なる諸弾痕を連ねて開かせた死体が若干数有る以上、当然ながら腸壁から溢れた茶灰色の固形汚物は酷く不快に匂う。直腸位置から発せられる悪臭は開花時期を迎えた覇王花を、殺風景な壁面に映える血垂れは風情に揺れる彼岸花の下向く花弁を思わせた。持て余された汚臭の立ち昇りは慣れて久しいが、それでもこの死臭を長々と鼻腔に潜らせれば胃の機嫌は直滑降の動きを見せる筈で、視線を落とせばその分死期が寄る今にそんな愚行へ走る気は毛頭無い。命のやり取りに汗を流すこの場でなら尚更だ。
「詰め弾が切れる。持ち弾寄越せ。手持ちの二、三割で構わん。早く」
能天気な太陽はとうに沈み、この夜を照らす者は居ない。状況開始から状況終了に至るまで、血溜まりに沈んだ古強者の死骸が幾ら増えようとも、例えそれが白面山人の物であれ、偉丈夫の山狼が死蝋であれ誰がそれを知り得るというのか。
戦活劇の幕切れも悪童共の散り際も、全ては闇の内に始まり闇の内に終わる。その筋書に変更は無く、暗澹に呑まれた冒険譚の佳境は宵闇の中に。血煙に湿る今宵の下で、暗闘の終始は完結される。
「山賊湾刀六、此方共生同志六。第一地上階層にて敵性戦闘員一名射殺。復唱。敵一名死亡確認。右上腕手首付近に外科治療痕有り。調査用血液採取後、順次標本検査に移行。現在身元照合中。高価値目標の可能性認む」
「健闘だな、確認作業急がせ。終わり。半豹山猫七。損害集計報告送れ」
口内を溜まった錆臭い血液を粘ついた唾液と共に吐き出した。糸を引いて飛び出したそれが、死臭に誘われた羽虫数匹を絡め取って地面で潰れる。もがく四肢で赤黒い泡を割る様は人語を解さぬ虫ながら哀れにも見え、野次馬根性に身を委ねてこの有様とは少々同情してやるが、予兆有りきの悲運に見舞われたのは不幸にして我々も同じ。
何の因果か分らぬが、骨身に結わえた虚脱に身を委ねれば己が行く末も恐らくは、血池で溺れる羽虫が最後の相似形を取る。小さな双翅目の諸氏はその場合に限り、野葬にて我が同輩となる運命だ。
「無線感度良好。此方半豹山猫七。了解。用件続く送信待て」
「送信待機一時解く。山賊湾刀六、此方共生同志六。目標確保。血液型一致。損傷骨格補強箇所及び裂断骨固定金属具形状一致。相貌特性一致。主要検査項目等全点合致。現時点を以て捕獲検体を対象本人の物と判断、身柄を収容。今此処に、父なる神の安らぎと我等が祖国安寧の為に。確保、確保、確保。送れ」
「負傷二名死亡一名発生。敵戦力主幹と接触。現在応射交戦中。負傷者後送を要請。送れ」
焦げた人型が黙口している。落日に吹く哀慕の風よ、今日の焼土に啼いてくれ。
偲ぶ者無き戦いに手向けの花は無く、混合瓦礫の山を舐める炎の威勢は未だ衰えを知らない。埋もれた子供も大人も火中では皆等しく可燃物に過ぎず、明日の朝には粉灰を被り、雑語不能の遺骨が残るだけ。無機物に加工された人体は物言わず、目尻の皺に哀色を表す事も叶わなければ、胸中の無念を吐露する事も無い。その炭に汚れた唇が二度と悲壮に撓みもしなければ、歓喜の三日月を描く事も有り得ないのだ。
だがそれでも、当夜を照らすこれは弔事。蹂躙された産業文明の一角を積み薪代わりに燃え盛る業火だけは、焼場をあやす火夫の代理人として骨拾う者無き遺骸を丁重に弔う。
讃美歌を捧ぐ聖歌隊の列立も無く、己が落命を幸とは取れないにしても、身を野虫の置き餌とされないのはせめてもの快。だから今は暫し羽を休めるといい、不帰の客達よ。徒人の宴を信じて散った君に、僅かばかりの幸あれ。
「共生同志六了解。終わり。半豹山猫七、後送要請受理。待機中の即応展開部隊に対し緊急出動発令。可応人員の現着予想時―」
「奴を捕らえた。作戦目標"舞台脚本家"確保」
心中に現界する殺意を松葉杖代わりに歩を進め、気合いを頼りに敵を薙ぐ。開いた傷口に呻き、割れる様に頭が痛んだ。揺れる体の正中線が右へ左へ。平衡感覚を一時的に喪失したこの身体では、どうにも冴えた動きの一つすら儘ならない。力技でどうにか意識を保っているものの、薄刃一枚分でも気を抜けば今この場で倒れ込んでしまいそうだ。
心なしか、呼気の中に震えが混じる。微熱を持った戦闘鉄帽の内張り緩衝材をじっとりと湿らせているのは、多分汗だけではないだろう。現に口元を拭う手の甲に血色は無く、高分子樹脂素材の簡易担架を引き摺る前腕は土気色に見える。
数的不利を覆しながらも痛む節々は悲鳴を上げ、疲労を滲ませた手足は鈍重に抗えない。覚束無い足取りが失望を生むが、力失せた双眸は未だ敵を睨み続ける。熱に浮かされた自我は現実から剥離し、踏みしめる大地の感覚を忘れさせた。
「破片手榴弾投擲」
「一番射手剥離後退」
「隊頭員通過離脱」
うつらうつらと睡魔に手招かれた愚脳の内で、また何処かで吠えた軍用充填炸薬の尾鰭を感じ取る。そして口腔の内に象虫を噛み潰した如き不快感を覚えたのは同時。瞬間的情報過多による意識混乱の現れか、寸刻訪れた胃のむかつきに屈して未消化の咀嚼物全てを吐き戻し、今朝の喉渇きに任せて呷った飲み切り容量缶一本ばかりのキルクリフが放つ甘い臭気を嗅覚器官の奥へ奥へと割り
込ませた所で、本日一度目の再覚醒。鉄帽の顎紐に首を絞められながらも、前頭葉中枢を気付ける鋭い香気に正気を引き戻された。
そこでふと、胃液の小池に浮く血塊を見付ける。凪いだ下水溜めの類友たる汚濁の上澄みが俯く手前の面相を写している中、暗がりの下で鮮明性を欠いたそれを甘く煮詰めた房酢塊の一滴と何処となく似ている様にも思え、深く覗き込んでその一滴啜りたい衝動に駆られた。
「下がれ」
気でも狂ったか。僕は一体何をやってる。血溜まりが甘い房酢塊に見えただって。いいさ、分かったよ。呑気で空気の読めない僕の胃袋はを次の中身を御所望の様だ。生きて帰れたなら、ピザでもバーガーでも鱈腹食うさ。それなら君も満足だろう。だから今は黙っていてくれ。でないと君に当方御自慢の鉛で出来た御馳走を振る舞ってやる。
「山賊弯刀六より夢追い壮者一。西方区画にて敵の抵抗拡大。現在、部隊は周囲構造体からの敵制圧射撃下に有り機動膠着中。無人航空機の即時支援を要請する。送れ」
死霊か或いは生霊の仕業か、砂城を崩す勢いで死の予感が色を増す。そうか、背後へ伸びる影に冷たい物を感じたのは、足首に絡む熱風が冥府に誘う死者の両腕だったからか。死が近く、生は遠い。そんな予感が脳裏で転がり、畑違い甚だしくも己が胸元に猛猪の歯牙が有ればと思わざるを得ない。
死が地獄への門を開く等と、面白い戯言だ。死して向かわずとも、地獄は此処に有る。案ずるな。鬼火こそ見えぬが群狼の巣穴と呼ぶに相応しい惨状、この冒涜的光景がその証左だ。否、仏が嘆き神が言葉失うこの大地は最早地獄と呼ぶにすら値しなかったか。
「山賊弯刀六了解。現在、作戦地域上空に統制中の空中支援機有り。用件続く送信待て」
「対応可能。山賊弯刀六。無人機支援を許可。管制システム転送。操縦元を上書き再登録。プログラム同期中。操作権利依託。全搭載兵装使用無制限。認証コード―」
郷に入ってはなんとやら、野山を律する蛮野の仕来りは僕達にこう言う。平伏を示せ、と。文明社会では法規遵守と博愛精神が尊ばれるが、此処では殺人と略奪が身を立てる数少ない術であり、無償の愛、無尽の慈悲にも勝る美徳とされる。実際、世界は身柄略取と身代金要求
を飯の種に辺境を生きんとする手荒く逞しい事業家達の跋扈を許す程度には倫理に興味を示さず人道に関心も寄せない様で、文明成長から取り残された大地なら無法的振る舞いは許容の範囲にある。故に今、咎に溢れた楽園の罪人はその流儀と悪法が許すままに我々へ牙を剥き、指間を抜けた火の粉が我が身を焼くのだ。
彼等が少しでも理性を持っていたならその結末もこうはならなかっただろう。だが残念、肝心の現実は御覧の有様。休戦成立に懸けられる期待は前向きに見ても皆無以下か。然らば今は本位不本意を一旦置き、此処での生き方に倣った方が賢明である。今日の朝日を今生の見納め物としたくないから、僕はそれに従う。鬼籍に名を刻むその日まで当面。
「通信手、通信手。支援感謝する。委任操機信号受信。航行管制システム接続。自己診断機能精査開始。検出異常点逐次列挙、有害判定後適時修正最適化。動作点検並列進行中。全航空計器群機能率値最大、全力作動。機殻姿勢安定中。駆動油圧系正常。内部電装系通電圧正常。原動機関燃焼温度正常。各機体操作系及び兵装管制応答正常。全種装備稼働状態良好。全点検考査項目異常無し。作戦継続能力健在、連続戦闘への応答可能。操作権利受託」
「熱画像探査監視方式に切り替え。視程状況再回復。航路上異常無し。自由飛行空域を離脱 、軽度射撃統制空域に進入。現行機動継続。敵性戦域離脱者五名を確認、望遠倍率上げ視像拡大。取像良し、取像対象体一番から五番へ火力投射実施。地上員光線照射及び誘導補助省略。自機光学補足併用直接照射誘導。自律終端誘導方式設定良し
。弾備式索敵補正系起動。感度良好。識別画像情報取得終わり」
「目標展開位置座標読み込み始め。弾着候補点測距測位良し。空対地対戦車誘導弾二発使用。狙点誤差微修正、現視域内界及び加害殺傷半径中に民間人無し。目標照準終り、諸元入力良し。予想弾道落着点散布最低許容範囲内。弾着至近位置。要目点に就き再度復唱、弾着至近位置。自機進行軸の一時方向に捕捉中。最終安全装置解除。自弾準備良し」
「撃て。送れ」
良く知る声が出力電波に乗った。それと同時、弓懸を張る緊張は破局の寸前まで萎え弛み、番えた弓弦は遠離を許され今解き放たれる。
「発射。発射。発射」
諸元更新を終え、伝送回線越しに宣言された航空火器使用略語の三重復唱が対地航空支援計画の前段開始を悟らせた。移譲機影が肉眼による目視確認可能距離の外側を飛ぶ故に想像で物を語るしかないが、機首と正対する方位に我々の姿を捕らえているのだろう。
「撃ち終わり。弾体飛翔時間十秒前後。待機せよ。送れ」
「了解。待機する」
即応機の機外兵装支持架から分離投下された重量百ポンド、全長五尺三寸の大鉄塊は高空で母機から離別した後に推力供給機関へ点火、瞬時に亜音速まで加速された黒い飛翔体が事前入力された諸元に従い、地表の一点目掛けて突き進む。高高度帯特有の強い気流に弾殻を揉まれながらも、大出力に保障され機械制御を受ける落下軌道に変動は無い。空力特性を考慮した細長い弾影が夜空を泳ぎ、素直な飛翔航跡が夜帳に流れていく。
「山賊弯刀六。弾着五秒前。送れ」
「弾着五秒前了解。終わり」
発射から五秒経過。飛翔距離は予定の半分を割り込んだ。低層雲の海を抜け、噴煙の先端は衰弱の大地へ一直線。対地目標到達までもう間も無い。射前冷却良し、通常機能復帰済みの目標捜索追尾装置に同調した方向舵が強風を切り裂き、要求火力が残り火燻る大地に迫っている。賢い弾薬たる黒矢を見送る今に至りてはその面目躍如の時近く、引き締まった殺意の鏃が殺害目標名簿に載った命を薙ぎ払うまで、猶予時間推定五秒弱が残るのみ。さぁ、火遊びの怖さを教えてやる。粉捌きの人間に相応しい末路を傍に添えて、然るべき死に方を演出してやろう。
「致命効果発揮の公算大。目標沈黙。夢追い壮者一。我弾命中効果有り。次弾続く、衝撃に備え」
着弾から殻体部が大破した数千分の一秒後、敵は自分の意識が火中にある事を自覚し、肉体の細分化からは逃れられぬ運命にあると悟っていた。焦げ落ちる服の切れ端と自分の意識、どちらが天高く吹き飛ぶだろうかと空虚な夢想に耽り、飛ぶ火の粉と身の破滅を語らい合って。
「弾着。命中確認。射弾目標命中確認済み。山賊弯刀六。爆撃損害評価報告送れ ― 」
業風到着。夜場の騒は一時の凪を得、弔火が撒かれた。火薬の呱呱が連山の粉吹き肌を打ち、死火の華が対人目標集団を粉砕。そして来る吹き火の御前に万人万物、此処を吹き荒ぶ風さえもが皆等しく圧倒される。
脆くも崩れ去る在来の力関係。至近弾につき迫力満点。直撃軌道の先で芽吹く赤と熱。髄液を擽る人造喝声。横長の視界から消滅する地上構造群。一瞬舞い上がる埃臭い火柱が、彼等へ捧ぐ俄作りの十字架だった。
束の間吹き荒れる強風が炭素粒子の沈着物を削いで躍らせ、汗ばんだ顔皮へ隈取の様に塗り付ける。それに続いて丁稚達が隠し持つ自決用の擲弾加工炸発体に誘爆でもしたのか、倒潰物が寝転ぶ方向からは発破剤の爆声に瓜二つな轟音が立て続けに立ち昇った。この間僅か二秒弱。戦下で紡がれた濃密な一幕中の出来事だった。
「脳だ。指だ。脳だ。俺が」
火力要求から効力弾弾着までの所要時間は三十秒丁度。自由な自己決定の下
に選択された火力は笑える程に大袈裟で、終端部達成速度の終着点に破壊的化
学反応が溢れた。膨れ上がった火球が暗中で弾けて瞬き、爆炎の爪先が蹴飛ばした建物が破壊応力の限界から崩落すれば、運の無い何人かがそれに磨り潰される。焦げた動物性蛋白質の匂いを片手間に嗅いで爆発の中心部から上がる悲鳴を数えれば、効力確認は無用に思えた。鉄筋入り強化構造の混凝土を割る一撃に一瞬心が湧き立つが、接敵交戦中部隊たる自分達にやっちまえと敵を野次るだけの余裕は無い。
放熱源部白色表示に設定した前方監視型赤外線装置は地上の命中弾炸裂を単なる白光の瞬間明滅現象として視覚処理するだろうが、残念ながら地表の者にとってはそんなに生易しい物で終わる筈が無かった。上空で旋回待機に入った無人機に届く事こそ有り得ないが、飛び散る焼石の一欠片だろうが肉を裂き骨を砕くには十分過ぎて、高度二万三千フィート付近から傍観する者有るこの小景は、若干の誤差が深刻な死活問題の発生に繋がりかねない。幸い爆風が人間の
信号伝達速度より早く、うまく直撃弾さえ貰えば人体の圧潰を感じつつ死ぬ事は無いと言うのがせめてもの慰めだが、崩壊した上部構造が心骨に圧し掛かったなら当然それも意味を成さなかった。
「―笑えん冗談だ。山賊弯刀六。此方半豹山猫七。状況報告。我敵に非ず。射撃中止。この腐れ―」
前段一発に続く対地攻撃の火力第二波が地上攻撃目標に到達、果たしてこれも有効弾となった。
姿勢安定翼の調整により最適射入角で突入した搭載成形炸薬量八キログラムの弾頭が潰れ、装甲目標破壊に特化した攻性衝撃波と対人殺傷能力のみを考慮追求した破片効果を吐き出して平等無差別に死の機会を撒き散らす。遺憾なく発揮された暴力性の中に彼我を見分ける理性は無く、圧力集中性金属噴流が穿つ貫徹痕に流れ込んだ高速爆轟は唯々破壊を尽くすだけ。放射状に散らばる金属片がその鋭利な先端で人体組織を食い散らかし、鉄の暴風雨が過ぎ去った後に残るは生焼けの温肉片が二桁程度。
結果、修正誤差を微塵も許さない精密な一撃は生命の痕跡を刈り落とした地表を完成させる。
「半豹山猫七。此方山賊弯刀六。其方の感明悪し。其方の送信用件全文を再度復唱されたい。繰り返す。其方の送信要件を今一度復唱されたい。送れ」
この肝心な時に、狙い澄ました様な雑音混入とは泣けてくる。延長送話器に向けて怒鳴った五秒間が丸々一つ無駄になったと理解すれば、悪態の一つや二つは許されよう。
「半豹山猫七。半豹山猫七。応答願いたい。送れ」
「―攻撃中止。攻撃中止。攻撃中止―」
友軍信号用にと備えた点滅する赤外線識別標の甲斐も空しく、また一つ石碑に刻む名が増えてしまった。あぁ、教えてくれ。これは、やむを得ない犠牲とやらに含まれるのか。
「残存貯槽内燃料、帰投可能限界域に到達。第二次危険事項として留意」
「離脱。離脱。離脱」
何処かで発射硝煙が噴き出す度、血で汚れた大地は朱の趣を深めていく。
「現時点を以て、本日の全行動日程を終了。部隊は速やかに帰投せよ」
僕が流した血も少なくはなかったのか、こうして鉄火場に立つ今、温色を近く控えた筈が何もかもの景色が遠く、何もかもの色が死んで見える。裂けた肉の傷口へ、溢れ出した流血を少しでも血脈へ戻したなら、褪せた我が爪床の血色は赤みを灯し、鮮明を欠いた場景は再び色を復す事もあったのかも知れない。それも今は叶わぬ夢、半ば死者の妄言に過ぎぬと自覚はするが。
「桑原桑原、荒れた撤収作業になるぜ。長居は無用だ」
見当違いでしかないと理解していながら、丘踏む傑人達の助力が有れば或いは―。
「対応不可。やぁ、青二才君。退路なんて無いのさ、これが」