前世師匠の押しかけ魔女様は“こい”が知りたい。 作:流星の民(恒南茜)
「今、親いないから。入って良いよ、二人とも」
三浦について行った先、辿り着いたのは学校近くの一軒家。
表札には『三浦』と書いてある。つまるところ──ここは彼女の家らしかった。
「……おい、ソフィー。靴はちゃんと脱いでけよ」
「は、はいっ。お屋敷なので土足かと……。ここでは、そういう習わしなのですね……?」
身が強張った様子でソフィーは玄関口に上がる。無理もないだろう。
先程問答していた時の三浦はやはり──どこかおかしかったから。
俺もソフィーについて家に上がろうとして──その時、ふと目についたものがあった。
手形。それも四つ。
コンクリート固めの玄関に残った跡。
大きいものが二つ、そして──幼い子供ほどの小さいものも二つ。
──もう、いなくなっちゃったんだ。
皆が家に上がり込んでいく中、ぽつんと取り残されて。
「カエデも、早くついてきてくださいっ!」
「あ……ああ、ごめん。今行くよ」
ソフィーに呼ばれてその場を後にはした──ものの。
どうにも視界に焼き付いたそれは、なかなか遠ざかるものではなかった。
「……お邪魔します」
薄暗い玄関に靴を並べ、階段に向かう。
家中のドアは全てピシャリと閉じられていて、ギシギシと、聞こえてくるのは俺達の足音だけ。
それが反響するだけで、返ってくる音は何もない。その静けさがどこか不気味だった。
「ん、ここがあたした……あたしの部屋だから。ついてきて」
前を行く三浦がドアを開け、恐る恐る足を踏み入れた先──そこは、思いの外というべきか。
「……あまり、カエデの部屋と変わりませんね……?」
「面白みないでしょ? まあ、適当なところに腰掛けてよ」
棚やベッド、机といった生活に必要な最低限の家具しかない殺風景な部屋だった。
本棚だって詰め込まれているのは参考書ばかり、図書館に通い詰めて三浦が集めていた戯曲やシナリオは影も形もない。
「……なんというか、意外だな。てっきりシナリオとか持ってるものだと思ってたのに」
「あれは借りてくるだけ。見るのも外でだけ。全部、こっそりね? ……親が許してくれないんだ」
そう言って苦笑する三浦の顔は、どこか諦めきっているようだった。
大好きだと言っていた演劇。それを家に置くことが許されないということを。
そして、暗に触れていたのだろう。
「……それも、”お姉ちゃん”と関係があるのですか?」
先程口走っていた”もういないお姉ちゃん”に。
それにソフィーは真っ向から踏み込んでいった。
「……うん。でも、その気持ちはわかるんだ」
「……わかる? でも、三浦さんは演劇が好きなんじゃ……」
好きなものを禁止されて、それでも、その気持ちがわかると言う。
どうにも腑に落ちなくて聞き返せば、ふるふると首を振って三浦は答える。
「……思い出すのが辛いって。ずっと、付き纏うものだから。話すって約束したよね? あたしと、お姉ちゃんのこと。これを聞いたら、あたしが脚本を書けないって納得してくれる?」
「納得できるかはわかりません。それでも……聞きます」
珍しくソフィーは齧りつくことなく、そのまますんと黙り込む。
三浦の話を聞くということだ。頑固なソフィーにしても思うところがあったのだろう。
「……うん。今日はソフィーちゃん、少しだけいい子。じゃあ、話すね」
わざとらしく微笑んでみせて、三浦は話し始めた。
「あたしが演劇を好きになったきっかけ──それは、お姉ちゃんだった。……華があるって言うのかな? どこにいてもぱっと目を引いて、それで、誰よりも演劇が好きな──そんな人。あたしはいつも隅っこで本ばっか読んでて……似合わない姉妹だったなぁ」
三浦の口調はいつもどこか自信なさげで、おどおどとしていて。
それだけでも、”お姉ちゃん”と違うことははっきりと伝わってくる。
目を引く”お姉ちゃん”と今の彼女とでは、どうにも対照的に思えたから。
「ある時、お姉ちゃんは世間に見つかった。劇団にスカウトされて花形になって──それなのに、病気になってね。呆気なく……いなくなっちゃった」
何でもないように、三浦は言葉を続ける。その中で”お姉ちゃん”が死んだというのに……あっさりと。何の感情もこもっていない声音だった。
「……長いのは、それからだよ」
けれど、そんな大きな出来事を経たはずなのに。
まだ話は続いていく、むしろ尚更苦しげな声音で一人分になった人生は続いていく。
「お姉ちゃん、お姉ちゃん、お姉ちゃん──何を書いても主役はお姉ちゃん。あの人以外に、考えられない……だって、当然だよ」
続いていく”お姉ちゃん”、もういない”お姉ちゃん”。
「あたしたち──約束してたんだ。お姉ちゃんが有名になる前から……一番、最初に」
繰り返し、繰り返し、繰り返し。
きっと三浦が語ってきた日々の全ては──そこに帰結するものだったのだろう。
「お姉ちゃんが演じて、脚本はあたしが書くんだって。ロクに叶えられないまま、勝手にすごくなって、勝手に死んじゃったんだ」
いつまでも、そうして引きずって。
「なくなったものって忘れられない。夢にだっていつも見る。生きてく身だって精一杯で……酷いよ」
逃れられないもの──そうやって自分を捉え続ける。
「……そう、だったのか」
わからないわけじゃなかった。
俯いて三浦が語ったこと、その意味が──語ることすら辛いから押し殺した感情が。
むしろ、痛いほどわかる身だった。忘れられないものは、誰にもあるから。
聞いてしまって悪かったとすら思う。語らせてしまって悪かったとすら思う。
三浦が黙りこくって垂れ込めた沈黙の中で、暗に彼女は告げていたのだろう。
これ以上、触れてくれるなと。
「……だからって、私は
だというのに。
振り絞るように声をあげてソフィーは叫んだ。
そんなことなんて知ったことか、
「……ねぇ、わからないの? 約束の大切さって……ソフィーちゃんには……!」
声を荒げる三浦の前で、それでもソフィーは怯むことなんて無かった。
このままじゃ危険だ。静止せねばとソフィーの方へ手を出そうとした時──ふと、目に映ってしまった。
「ダメだ……」
「約束、したんですっ! 私だって、弟子と……っ!」
指先に触れた杖が、それが三浦に向けられようとする瞬間が。
「……ソフィーちゃんって、残酷だよっ!」
カラン、と。
怒鳴りつけられて杖を取り落とした瞬間が。
ソフィーは呆然としていた。
その瞳は見開かれたまま、動きかけた唇はそのままの形を保つ。
それ以上の動きなく、取り落とした杖を拾おうとすらせず。
涙を散らす三浦の前で立ち尽くすソフィーがいて、少なくとも今しかなかった。
「……ごめん。ソフィーには俺から言い聞かせておくからっ」
三浦に謝りつつ、ソフィーの手を引いて強引に連れ出す。
驚くほどその体は軽くて、抵抗すらなくて。
たった今出てきた一軒家の影が深く射していく。
橙色に灼けたアスファルトの中で二人、俺達は立ち尽くしていた。
「……なくしたものを忘れられない身……。それを、私は知っていて……」
ぽつりとソフィーが声を漏らす。ぎゅっと握られた拳にはもう、杖は握られていない。
怒りも悲しみも、三浦が必死に感情を押し殺そうとしていたのとは違って、ソフィーは正直だった。
「……どうして、またっ……ミラの時だって……私はっ……!」
大粒の涙が瞳を潤ます、わなないた唇は嗚咽を吐き出す。
しゃくりあげるようにして、彼女の慟哭が響いた。
「私は不器用です……いつも、いつも……
そうして俺にしがみついてこられたって。
いくら、
「……帰ろう」
彼女と約束をした身でない俺には。