早めの更新です。
何かあったと思ってください。
何も無いんですけど。
ではどうぞ
キリトside
強い。
スピード、バランス、そしてタイミング。全てが完成されている。攻略組にも、ここまでの技を持つ剣士はそうはいなかったはずだ。
あの討伐戦の時に、《
往時の愛剣と比べて遥かに軽い光剣では連続技を再現することは極めて困難だ。そして死銃はもう、俺に大技を繰り出させる隙を一切見せないだろう。近接状態を保ち、次々に多彩な突き技を繰り出してくる。懸命に回避するものの、HPはじりじりと減少する。ゲージは残り三割に近づいてる。
奴はまだあのデスゲームの中にいる。しかし、俺は《安全圏にいる》という認識に寄りかかっている。だから強い。今更ながらにそれに気付く、あまりの遅さに内心舌打ちをする。
だからといってこのまま敗れることは許されない。
(一瞬。ほんの一瞬でいい)
このラッシュを、一瞬だけブレイクできれば。
武器の威力でいえば、極細のエストックより光剣の方が遥かに上だ。重い単発技をクリティカルヒットさせれば、死銃のHPを吹き飛ばせる確信がある。だがその間合いを作れない。生半可なフェイントは通用しないだろうし、光剣のエネルギーブレードを敵のエストックがすり抜けてしまうので、剣を強振してブレイクポイントを作ることもできない。
(どうする。どうすれば……)
HPゲージがついに赤色圏内に突入した。頬から流れる光芒が、視界を赤く照らす。
(赤……)
俺に止めを刺すべく、死銃がエストックを鋭く引き絞る。
「《ザザ》」
俺の口から零れたその短い音が、奴の俺の心臓を狙う鋼鉄の軌道を狂わせた。胸を浅く抉り、刃は後方へ抜けていく。
「お前、《赤目のザザ》だろ?」
「それが、どうし……」
直後、俺の後方から一条の赤いラインが飛来した。死銃のフード中央に突き刺さったそれは、実弾――ではなく、照準予測線。シノンだ。これは、予測線そのものによる攻撃だ。彼女が、その経験と閃き、そして闘志のあらん限りをつぎ込んで放ったラストアタック。
死銃が、大きく後方に跳んだ。スカルマスクの下から、低く怒りの声が漏れる。奴もすぐ俺を誤射する危険を犯さないと気付いたのだろう。まだソルが居るから撃っても構わないが、あのソルがそんなこと許容しないと信じたい。
奴は急に名前を呼ばれたことに動揺し、判断が遅れた。結果、体が勝手に幻影の弾に反応し、回避行動を取った。
これがラストチャンス。もう二度と予測線のフェイントは通用しない。シノンがくれたこの機を無駄にはできない。俺は大きく踏み込み、死銃を追おうとする。
(ああ……)
だが、何たることか。奴の姿が消えていく。《光歪曲迷彩》。足跡は残るので見失いはしないが、光剣を正確にクリティカルポイントへと叩き込むための狙いがつけられない。一撃で決めねば、カウンターでこちらのHPが吹き飛ぶ。
その時、更なる、いっそう驚くべき現象。
今にも消える死銃の
俺は目を瞠る。自分で形を自在に変化させる影の輪郭を捉え、更に驚く。
「
二つの銃口から放たれる銃弾の流星群が、消えゆく死銃を撃ち抜いた。弾倉が空になるまで続いた斉射は数秒と経たずに残響のみを遺し、硝煙の薫りが周囲を満たした。
「ソ……ル……」
死銃のアバターは文字通り肉片ならぬポリゴン片に変わり果てた。ザザは何が起きたのか判りはしないだろう。遺言すら呟くことすらできずに、【Dead】タグが浮き上がった。
死銃に迫った俺も漏れず弾丸を浴び、なけなしのHPは吹き飛んだ。
「いいとこ取り……しやがって」
闇夜に紛れた軍兵の表情は見えなかったが、事の終焉に安堵のため息をついた。
~~~~~~~~~~
「おぉぉぉーい! キリトぉー!!」
キリトの死体の前で両手を着いて叫ぶ。まさか、まさかアレに突っ込むなんて、どんな反応速度してんだよホントに。
キリトを巻き込むつもりはミリも無かった。突っ込んだキリトが悪い。うん、キリトが悪い。
「終わった……の……?」
空気のギャップ故か、立ち尽くすシノン。立ち上がって、咳払いした後真剣な顔をして答える。
「終わった。全部終わったよ」
空を見ると、満天の星空が祝福するかのように星光を降り注いでくれていた。二人で暫し空を見上げ、やがて口を開く。
「……そろそろ、大会の方も終わらせないと。ギャラリーが怒り出す」
「……うん。そうだね」
夜空の中継カメラが、心做し苛立ちを持ってRECマークを点滅させているような気がする。
「死銃は倒した。共犯者も撤退を余儀なくされた筈だ。奴らの目的は闇雲に殺人を犯すことじゃないしな。念の為、すぐに警察を呼んでくれ」
「でも一一〇番して、何て説明するの? VRMMOの中と外で同時殺人を企んでる人たちが、なんて言っても絶対すぐには信じてもらえないでしょう?」
「……そうだね、わかった。こっちから警察を手配する……ああいや駄目だ。ここで君の住所や本名を聞くわけには……」
意外な所に落とし穴があった。これがネット犯罪の取り締まりを難航させている原因かと納得してる場合じゃない。事後処理までしっかりしないと。
「いいわ。教える」
「……え?」
「何だかもう、今更って感じするもの。私……自分から、昔の事件のこと誰かに話したの、初めてだったから……」
シノンの呟きに瞠る。開き直った態度だが、その裏にある彼女の苦痛を感じ取ってしまったのだ。恐らく彼女は周囲の人々に事件のことを不本意に広められ、傷を抉られ続けたのだろう。一瞬、想像して苛立つが、彼女は僕にそんなこと望んでいないことくらい解る。グッと抑え、冷静に、平静に頷く。
「……わかった」
「私の名前は─
「湯島か。僕がダイブしてるのは千代田区お茶の水だよ」
「え……ええ!? 目と鼻の先じゃない」
まさかの展開に仰天するシノン。
「なら、ログアウトしたら即刻駆け付けるよ」
「え……、き……」
咄嗟に口を噤む。咳払いしてから言い直した。
「う、ううん、大丈夫。近くに、信用できる友達が住んでるから……」
何故か哀しそうな顔で言うシノン。
「……それにその人、お医者さんちの子だから、いざってときはお世話になれるし」
「…………その人、過去の事件のことは?」
「え? ……知って、る」
嫌な予感がした。背筋を鋭い氷柱の先端でなぞられる不快感が僕を啄く。
「一応、今日一日は誰も家に入れないでくれ。この事件の全容を知った君は、何かしら遺恨のようなものを抱かれている可能性は零じゃない」
「そ、そう?」
ああは言われたが、シノン……いや詩乃の様子だけでもドア越しに確認しようと決める。
「それはそうと、私にだけ個人情報開示させて終わり?」
「これは失礼した。僕の名前は
彼女だけに開示させて、自分は開示しないのは失敬だった。
「ヒヅキソウ、いい名前ね」
「そう?」
話しを区切り、さてと、とカメラを一瞥する。
「ともあれだ、BoBを決着させよう。どうする?」
「……なんかそんな空気じゃないわ。決着は次の本大会まで、預けておいてあげる」
「?……。じゃあどうするの?」
「レアケースだけど、北米サーバーの第一回BoBは、二人同時優勝だったんだって。理由は、優勝するはずだった人が油断して、《お土産グレネード》なんていうケチ臭い手にひっかかったから」
「お土産グレネード? つまりどういう……」
「こういうこと」
シノンがポーチから取り出した黒い球体を、僕の右手に乗せた。上部の電管のタイマーノブを、キリキリと捻る。
このゲームの歴が浅い僕はこれが何なのか検討がつかなかった。
「……これは?」
「グレネード」
聞くと同時にシノンは両腕を背中に回して強ーく固定された。
「……あちゃー」
「ふふ♪」
対戦相手とまともに撃ち合ってなかったツケがここに来て効果を発揮した。キリトのことを全く笑えなくなってしまった。後で笑ってやろうと思ってたのに。
(まあ、いっか)
諦めて、強烈な光に包まれた。
~~~~~~~~~~
詩乃side
一瞬の浮遊感が訪れ、消えた時には現実世界の自室のベッドにひとり横たわっていた。
身動きひとつせず、瞼をしっかり閉じたまま、詩乃は周囲の気配を探った。
──異質な音を立てるものは、無い。
ゆっくりと、空気を吸いむ。芳香剤がわりにチェストの上に置いたハーブ石鹸の、穏やかな香りだけが鼻腔を擽る。
部屋には私以外、誰もいない。
そう思っても、なかなか目を開けられない。
――くしゅん!
不意に、抵抗虚しくくしゃみを炸裂させてしまった。
しかし、部屋の何処からも反応は無い。
そっと、瞼をあげる。目に入る範囲、次いで首をじわじわ動かして、部屋の様子を見る。人影は無いようだ。
音がしないようにアミュスフィアを外し、枕の横に置く。上体を持ち上げ、もう一度部屋を見渡す。
キッチン、シンク、ユニットバス、玄関、何処にも何も無く、いつもの自身の部屋だった。
「……馬ッ鹿みたい」
ぽつりと呟く。バスの中も確認したけどもちろん無人。
ようやく、体の力を抜いた。壁に背中を預けて、ずるずると座り込んだ。ちらりと、冷蔵庫の上に置いてあるキッチンアラームを見上げた。時計機能によって表示されたデジタル数字は、午後十時七分過ぎを示している。
長い三時間だった。ダイブ前に、目の前のゴミ袋にすててあるヨーグルト容器の中身を食べたことなんて、遥か昔の出来事のように感じてしまう。
自分の何かが変わったようで、何も変わってないような気がする。少なくとも心の中に居座っていた焦燥感は強く感じられない。ゆっくりで良かった。何もかも、焦ることなんて必要なかった。少しずつ、彼と……
喉の乾き感じて、シンクにて水をグラスに注いで飲み干す。
――キンコーン。
突然のチャイムに、注ぎ足そうとした手がびくりとすくむ。
警察が来たのかと思って時計を振り返るが、ログアウトしてからまだ三分と経っていない。立ち尽くしていると、再びチャイムが鳴った。息を殺して、足音を立てないようにドアに歩み寄った。
チェーンを掛けようと思って恐る恐る手を伸ばすが、指先が触れる前に、
「朝田さん、居る? 僕だよ、朝田さん!」
聞き慣れた、やや高めの少年の声がした。
「新川君……?」
「あの……どうしても、優勝のお祝いが言いたくて……。これ、コンビニので悪いけど、買ってきたんだ」
レンズを覗くと、新川君がケーキが入っているらしい小箱を掲げている。
「は……早いね、ずいぶん。ちょっと待って、今開けるね」
ほっと息をつきながら、ロックノブに手を伸ばした所で、彼に言われたことを思い出した。
『今日一日は誰も家に入れないでくれ』
伸ばしかけた手を引っ込むこともせずに固まる。新川君がそんなことするとは思えなかったし、彼にそんな疑いをすることを悪いと思う気持ちでぐらりと揺れる。
「……朝田さん?」
「ご……ごめん。今日はもう疲れてるから、もう寝よっかなって。祝いの言葉ありがとう。また明日ね」
新川君に罪悪感を感じるが、ソルの言ったことを守ることの方が大事だった。
「…………もしかして、砂漠の洞窟で一緒に居た奴に何か吹き込まれたの?」
「え?」
私の知ってるいつもの彼とは雰囲気が違う。扉越しの声でもそれが解った。
「あいつに脅されたの? 何か弱みでも握られて、仕方なくあんなことしたんだよね。いつもの朝田さんなら僕を入れてくれるよね」
「は、はあ?」
本能が危険信号を鳴らす。その場から動くことができない。
「脅迫されて、あいつに無理やり狙撃までされて……でも、最後にはあいつを油断させて、グレネードに巻き込んで倒したよね。だけど……それだけじゃ足りないよ、朝田さん。前にも言ったけど……もっと、ちゃんと思い知らせてやらないと……」
「……あ……えと」
どうやら彼は勘違いしているようだ。どう言ったものか。懸命に頭を回して言葉を探す。
「あのね……ううん、脅迫とか、そういうんじゃないの。大会中に、あんなことしてたのは不謹慎だと思うけど……私、ダイブ中に、例の発作が起きそうになって……。それで取り乱して、ソル……彼に当たっちゃってさ。いろいろ、酷いこと言ったのは私なの」
「…………」
「彼……一見変な奴だったけど、礼儀正しいし、常識人だったし。何だか……お母さんに似てた。そのせいかな、子供みたいにすごく泣いちゃって……恥ずかしいよね」
「……朝田さん……でも……それは、発作で、仕方なくなんだよね? あいつのこと……別に、なんとも思ってないんだよね?」
「え……?」
「朝田さん、僕に言ったよね。待ってて、って」
言った。確かに言ったけど、あれは……
「言ったよね。待ってれば、いつか僕のものになってくれるって。だから……だから僕……」
「……新川君?」
「言ってよ。あいつのことは、なんでもないって。嫌いだって」
「ど……どうしたのよ……急に……」
彼に言った「待ってて」はいつか自分を縛るものを乗り越えてみせる、という意味だった。そうして、ようやく普通の女の子に戻れるのだ。
「あ……朝田さんは、優勝したんだから、もう充分強くなれたよ。もう、発作なんて起きない。だから、あんな奴、必要ないんだ。僕が、ずっといっしょにいてあげる。僕がずっと……一生、君を守ってあげるから」
うわ言のように呟く新川君。突如、ドアのロックが解除される。チェーンを付ける暇もなくドアは開かれ、新川君がぬるりと玄関に入ってくる。
「えっ……!?」
驚愕のあまり全身がすくんでしまう。
「……し……かわ……く……」
両手を掴まれ、玄関の硬い床に押し倒される。背中に感じる冷感は床から伝達された感覚なのか、恐怖によるものかを判別する余裕なんてなかった。
「朝田さん……好きだよ。愛してる。僕の、朝田さん……僕の、シノン」
嗄れ、ひび割れた声は愛の告白には程遠く、むしろ呪詛のように感じられる。
「や……め……っ……!」
必死にもがくが、体格も腕力も劣る私では抜け出せはしなかった。
「朝田さんは、僕を裏切っちゃだめだ。僕だけが朝田さんを助けてあげるれるのに、他の男なんか見ちゃだめだよ」
彼の右手が離れて、ミリタリージャケットの前ポケットに差し込んだ。何かを握って抜き出された手の中にあったのは、見たことない奇妙な物だった。
全体は二十センチほど。艶のある、クリーム色のプラスチックで出来ている。先細りのテーパーがついた、平均すれば太さ三センチ程度の円筒から、斜めにグリップ状の突起が伸びている。円筒の先端だけは金属パーツが取り付けられ、その先端には穴が空いているようだった。
新川君はその先端を無造作に私の首筋へと押し当てる。ひやりと氷のように冷たい感触に、全身が総毛立った。
「しん……わ……くん……?」
どうにか声を出したが、言葉が終わらないうちに新川君が低く囁いた。
「動いちゃだめだよ、朝田さん。声も出しちゃいけない。……これはね、無針高圧注射器、っていうんだ。中身は《サクシニルコリン》っていう薬。これが体に入ると筋肉が動かなくなってね、すぐに肺と心臓が止まっちゃうんだよ」
どうにか、新川君の言葉を理解しようとする。首から伝わる冷たさが全身に張り巡らされて、痺れ始める。
つまり、新川君は私を――殺すと言っているのだ。言うことを聞かないと、手に持つ玩具めいた注射器で薬を注入し、私の心臓を止めると。
「大丈夫だよ、朝田さん。怖がらなくていいよ。これから僕たちは……ひとつになるんだ。僕が、出会ってからずーっと貯めてきた気持ちを、いま朝田さんに全部あげる。そうっと、優しく注射してあげるから……だから、何にも痛いことなんてないよ。心配しなくていいんだ。僕に、任せてくれればいい」
言葉の意味をまったく理解出来なかった。
「……だめだよ。まだ……まだ引き返せる。君はまだ、やり直せるよ。私と一緒に、警察に……」
「…………」
私の説得も意味をなさない。新川君は遠くを見ているような目つきで、首を横に振るだけだった。
「……もう、現実なんてどうでもいいよ。さあ、僕とひとつになろう、朝田さん……」
虚ろな声とともに左手が動き、頬を撫で、髪を指に絡めてくる。
「ああ……朝田さん……きれいだ……凄くきれいだよ……」
新川君の指先はかさかさに乾いていた。耳の傍の柔らかい皮膚に、指のささくれが引っかかるたび小さく痛みが走る。
「朝田さん……僕の、朝田さん……ずっと、好きだったんだよ……学校で……朝田さんの、あの事件の話を……聞いたときから……ずっと……」
「……え……」
思わず眼を見開く。
「そ……それって……どういう……」
「好きだった……憧れてたんだ……ずっと……」
「……じゃあ……君は……」
そんな、まさか、と心の中で呟く。
「君は……あの事件のことが、あったから……私に、声を掛けたの……?」
「そうだよ、もちろん」
左手で、まるで子供にするかのように頭を撫でながら、何度も頷いた。
「本物のハンドガンで、悪人を射殺したことのある女の子なんて、日本中探しても朝田さんしかいないよ。ほんとに凄いよ。言ったでしょ、朝田さんには本物の力がある、って。だから僕は、《死銃》の伝説を作る武器に《五四式》を選んだんだ。朝田さんは、僕の憧れなんだ。愛してる……愛してるよ……誰よりも……」
「……そん……な……」
この現実世界で肉親を除いてただ一人心を許せる存在だと信じていた。彼が死銃の一人だったことも、私のことを本当に見てはいないことも、私の心を黒く深い絶望が満たした。
記憶の沼から伸びた冷たい手が私を捕らえ、連れ去ろうとしている。何一つ抵抗できない。眼を開けることすらできない。強さを求めたのも、道を見つけた気がしたのも、全部無駄だったのだ。
途切れ途切れの思考のなかで、ふと思った。
(彼なら、どうなのだろう)
二年もの間仮想の牢獄に囚われ、そこで命のやり取りをし、人の命を奪ったというあの少年。道を間違えそうなこともあっただろう。後悔で苦しむ日々もあっただろう。でも、彼は自身を変えさせた仮想世界を恨んでいるのだろうか。
いや、そんなことないと思う。彼は例えどんな苦難も、逆境も突き進むだろう。罪を背負い、手を汚しても、大切な誰かを守る為、進み続ける。
(やっぱりあなたは強いよ、ソル)
深い闇の底で、ぽつりと呟いた。
(せっかく助けてもらったのに……無駄にしちゃって、ごめんね)
ログアウトから何分経ったかはわからないが、どうやら間に合いそうにない。私が殺されたら、彼はどう感じるだろうか。それだけが少し、気がかり……
『
一緒に、彼はそう言ってくれた。こんな私と、共に歩んでくれると言ってくれた。
もし、彼が私のアパートに急行したら、新川君と鉢合わせたら、新川君はどうするのだろうか。もしかしたら手に持つ注射器で……。先刻漲らせた彼への憎悪を考えれば、充分に有り得ることだ。
(彼を、巻き添えにするのは……)
だからって、もうどうにもならない。
横たわって手足を縮め、目と耳を塞いだ幼い詩乃が呟く。その傍らに跪き、細い肩に手を置きながら、サンドイエローのマフラーを巻いたシノンが囁きかける。
『……私たちはいままでずっと、自分しか見てこなかった。自分のためにしか戦わなかった。だから、新川君の心の声にも気付くことができなかった。でも、もう、遅すぎるかもしれないけど、せめて最後に一度だけ、誰かのために戦おうよ』
詩乃は闇の底でゆっくり瞼を開けた。目の前に、白く、華奢で、しかしどこか力強い手が差し出されていた。恐る恐る手を伸ばし、その手を握った。
『さあ、行こう』
現実との再接続を果たし、眼をしばたく。
─ユラリ……。
何かが動いた気がした。あまりの緊張に目眩がしたのかと思ったけど、部屋の明かりに徐々に明確になる輪郭に、私は安心感を抱いた。赤茶色の髪、暗褐色の瞳、中性的な整った顔。GGOのアバターと瓜二つの姿、髪型だけが唯一違うが、確かに彼だった。
新川君の背後に現れ、手をゆっくり伸ばしている。伸ばされた手が急に残像を見せると、
――バァァァン!!!
謝って注射器が私に打たれないように慎重に、されど迅速な対応だった。右手で注射器ごと新川君の手を掴んで私の首から離し、左手で轟音が鳴るほど強く新川君の頭を床に叩きつけた。そのまま左足で右手を踏み、右膝で腰椎辺りを力強く抑えてる。
「……大丈夫? 詩乃」
優しく、ふんわりとした笑顔だった。
「ソル……」
「本当に申し訳ないんだけど、助けを呼んでくれ」
笑顔のまま、拘束する手を緩めずに、ちょっとしたお使いを頼むくらいのテンションで言う。
「お前……おまえだなあああああ!!」
結構すごい鈍音がしたが、新川君の意識はまだあるようで、鼻血をダラダラと流しながら横目でソルを見た。
「僕の朝田さんに近づくなあああああああッ!!」
「…………!?」
ソルが急に険しい顔になる。抑えきれないのかと思い息を飲む。
「お前……。お前、そんな
「死ねよおお!!」
「巫山戯るな!!!」
新川君の喚きも消し去る音量で、彼の怒声が耳を劈く。彼の怒りは予想外だった。
「お前ぇ、彼女が事件によって、どれだけ、どれだけ自分を壊してきたか解ってるのか!! 苦しむ彼女に寄り添うことなくただ押し付けるだけのお前がぁ、彼女に……詩乃に近付くなぁ!!!」
――ダアアアアアアアアン!!!
二度目の叩き付け。このアパート全体に響いたと思われる衝撃が走った。新川君は気絶したようで、拘束を解いたソル──湊が飛び付くような勢いで急に抱き締めてきた。
「ちょっ!」
「…………大丈夫だよ」
包容力のある、透き通る声。
何も考えられないのに、涙が頬を伝う。ただ溢れるのに任せて涙を流す。
ソル――湊は何も言わなかった。ただただ私を抱き締めて、彼の心臓の音が、私が生きていると囁いてくれてる。
サイレンの音が近付いて来たが、涙は枯れる様子はなかった。