ジムかん。(トレセン学園内ジムの管理人の話。 作:なっぞのひと
後編はすぐ出せるように頑張ります。
カフェテリアで購入したエスプレッソブレンドのテスト抽出と試飲を終えた流は、またカフェテリアに戻ってエスプレッソブレンドを1kgと炭酸水のサーバーとボンベと複数の炭酸水のペットボトルとフルーツ系のフレーバーシロップを数種類、購入していた。
コーヒーに入れるのは勿論、筋トレ後に冷たい炭酸水で割ったフレーバーシロップで簡単なサイダーも作れる、終わった後の楽しみがないと、練習もトレーニングも続かない。
購買の方にイベント用に豆を大量購入したいと伝えたら全面的に協力して貰えることになったのは幸運だった。
一旦ジムの給湯室に戻って炭酸水のサーバーを設置して炭酸水を冷蔵庫にしまった。
給湯室がどこかの店の厨房みたいにでかいのは、ジムがもともと職員用の食堂だったからで、給湯室はウマ娘が使うからということでそのまま改装されずに残されたらしい。
皐月賞後にカフェテリアのスイーツイベントが行われるので、そこから一週間後になるから、それまでに例のマシンの設定と初期整備をしなければならない。
それまでにマシンと連動したアプリやら抽出のテストやら水道との接続、グラインダーのチェック、コーヒーの濃度、場所の温度や湿度などなどチェックしておくことが沢山ある。
未使用の業務用エスプレッソマシン、それも高級外車が買える最高グレードの品が置いてある学園は金が余っているのか、それとも良い意味でも悪い意味でもバカなのかと流は思う。
とはいえ、それを好きに使っていいからという就職の条件に飛びついたのは流自身だし、そのマシンの事は知ってはいるのでカフェ関係の人たちの為にも調整しておきたかった、こういう機械は自分だけが使えてもなんの意味もない。
カフェテリアの食堂の職員さんにはこれからお世話になる事を考えれば、今回のマシンの調整とテストついでに自分の入れたエスプレッソを振るまっておきたいと流は考えた。
朝食の食器の片付けが終わり現在は昼食の仕込みの時間だろうから、日常に寄り添う一杯と用意するならそれが終わっての休憩時間の間に振る舞うのが理想だ。
昼過ぎの休憩時間まで時間がかなりあるので、まずやることは、ジムの掃除と機材点検とテーピングテープを数種類の発注と意外とやることは多かった。
ウマ娘用のトレーニングマシンはヒトよりも高重量を扱うためマシンに掛かる負荷がヒト用よりも半端ないので頻繁な点検が必要になる、目視で亀裂が入っていないかとか、ネジが緩んでいないかとかそういったところを朝と夜毎日点検する。
流がジムの管理人になってからは、使用するウマ娘にも必ず確認してもらうようにしてもらっている、こういった事前に確認する習慣を身につけることが事故の予防につながると流は考えている。
目視の点検とは言え台数もあるので結構掛かり、終える頃には11時になっていた。
一度管理人室に戻るとクローゼットから、ワイシャツとベストとスラックスを取り出してからドアにかけておき、シューズラックから革靴を取り出して、靴の汚れがないかをチェックする。目立った汚れはないが光沢が弱かったので新聞紙と手入れ用具一式を持って靴磨きに部屋を出た。
靴の汚れたバリスタは最悪だと教育を受けていたし、食品を扱う仕事で格好が汚かったら、バリスタという仕事を甘く見られてしまう。
玄関にしゃがみ込んで、手袋をはめてから新聞紙を広げるとシューツリーを外し、その上に片方の靴を置いておき、もう一方の靴を右手にはめながらブラシでホコリをとり、両方ともホコリを取り終ええるとリムーバーで汚れや古いクリームを落とし、全て落とし終えた所で新しいクリームをブラシで塗っていき、革にクリームを十分に染み込んだのを確認する。
硬めの豚毛ブラシでブラッシングして余分なクリームを取り除いていく、ブラッシングだけでもかなり光沢が出てくるが、更にしっかり仕上げたいので黒のポリッシュを使う。
流の使う黒のポリッシュは既製品のポリッシュの蓋を開けて一週間ほど放置したもので、こうすることで有機溶剤を蒸発させてワックスの濃度を高めておくと、ポリッシュは硬くなるが多くのワックスを塗ることができる。
仕上げに湿らせたコットンで全体を磨き上げると靴に光沢が戻っている。
ここでパンストがあれば最高級のブラシと遜色ないくらいに綺麗に磨けるのだが手に入らないので諦めるしかない。
続いて革製の靴底の手入れだ。靴底用の保革剤を丁寧に塗っていく。両方の靴の裏に塗り終えると、革底の側面、コバの汚れや傷をチェックし専用のクレヨンで傷を埋めていく本当はコバインクを使うべきだが、乾くのに時間がかかる上に変なところに着いたらまず落ちないので今回は専用のクレヨンにしておいた。
靴底に塗った保革剤が馴染むまで陰干しをしている間に、バリスタベストとワイシャツとスラックスに念入りにアイロンがけをしてガーメントバッグに仕舞っておく。
基本的に上下ジャージとラッシュガードで私生活を過ごしているような流がここまでするかというと、エスプレッソマシンを扱うときは正装でないと扱いたくないからだ、ジムで淹れる分はジャージでもいいが間借りしてかつ、バリスタとしてコーヒーを淹れる時はきちんと正装で淹れたいという気持ちがある。
何より見栄えとしても良くないし、格好がだらしないと腕も良くないと思われるし、飲食にかかわるものとして綺麗な格好をしておくに越したことはない。
テストなのでバリスタとしての正装で行くことはないがいつものジャージは避けてラッシュガードの上に黒の半袖のポロシャツにチノパンにしておく。
ただアポ無しで行くのは失礼なので、理事長経由でカフェテリアに連絡を取ってもらうことにした、内線を使ってアポを手配したらすぐOKをくれるだろうが、一度理事長室に行ってその旨を伝えることにした。理事長にアポを取らなくて良いのかというと、大体居るし許可を取らなくても会ってくれるのと仮にいなくても、駿川さんは大体いるので彼女に許可を取れば良い。
バリスタとして使う器具を特注のキャリングケースに収納し、続いて玄関においていた革靴の保革剤が乾いたことを確認するとガーメントバッグにしまい込んだ。
数種類の豆の入った真空キャニスターに緩衝材代わりのエプロンを巻きつけてトートバックにしまう。
ガーメントバッグを管理人室に置いてトートバッグとキャリングケースを持つと理事長室へ行くために裏口から校舎内に入っていく、正面から入ってもいいがスイッチが入って居ない時は、ウマ娘が多いのが感覚的に疲れるので裏から入ることにした。
校舎内の理事長室のあるエリアはURAの高級スーツを着た背広組が沢山働いているので、ラッシュガードの上に半袖のポロシャツにチノパンという格好の流は以前のジャージ姿程ではないが、どこか目立つ。
キャリア感バリバリの背広組の視線などどこ吹く風で受け流し、そのまま理事長室の扉を開けると理事長はリズミカルに書類に判を押していた。
「蒼間君かちょっと待っていてくれたまえ。」
理事長は作業を切り上げて此方に話しかけてきた。
「で、今日は何用かな?」
「例のエスプレッソマシンをテストしたいので、カフェテリアに入る許可が欲しかったので、理事長から連絡していただけないかと思いまして。」
「許可!私からカフェテリアに連絡を入れておく。」
「ありがとうございます。自分でやっておいてなんですが、なんにも連絡もなしに、勝手に上がり込んであれして下さい、これして下さいと言うような奴にホイホイ許可をだすのは良くないのでは?」
「君が突然来るのは最初からだろう。それに迷惑を掛けるような要求は一切していないから問題なし!」
「ただ、私としては、事前に連絡は入れて頂けると有り難いですね。」
突然後ろから話しかけてきたのは、駿川さんだった。その気になれば人ならざる者の気配さえ察知できると自称する流でも駿川さんの気配だけはわかりにくい。
「それはご尤もです、その御礼とは言っては何ですがお二人にコーヒーを用意したのですがいかがでしょうか。」
「頂こう、たづな、カップを頼む。」
駿川さんが持ってきたカップの銘柄はアイルランド王室御用達のベリークのカップで、皿とカップ全体にアイルランドの国花であるクローバーの模様が描かれていた。
ベリークはアイルランドにある陶磁器の街で日本で言う有田焼や伊万里焼のようなもので、その薄くて軽い磁器はパリアンチャイナと呼ばれ硝子のような透明感がある。
「これはベリークのコーヒーカップですよね?それもシャムロックシリーズ。」
「ええ、よくご存知で。」
「これでも、純喫茶の息子ですから、ただこういった時に使われるのは、イギリスのウエッジウッドが定番だったりしますので少し珍しいなと思いまして。」
「こちらはベリークのカップはファインモーション殿下がトレセン学園に留学された時に王室から贈呈されたものです。」
「王室からの贈呈品ですか・・・良いんですか?たかが自分の淹れるコーヒー程度にこんな高級な食器持ち出して。」
「下手な謙遜は嫌味にしか聞こえないぞ、蒼真くん君は今も現役のバリスタだろう、イタリアンバールのインストラクターとして、商店街の複数の喫茶店で道具の整備やブレンドや焙煎、抽出の指導をしていたという話じゃないか。このコーヒーカップもたづなが自分で選んで持ってきた、君が良いコーヒーを入れてくれると期待してだ。」
今回持ってきた抽出器具はエアロプレスで、流からすれば味こそネルドリップやペーパードリップに劣るものではないが、空気圧でサーバーに押し込むその抽出方法がベリーク、それもシャムロックのような気品あふれるカップにふさわしいかと聞かれると疑問だった。
駿川さんが心なしかワクワクしているのが見て取れたので気品はそっちのけでやってみようと思った。
「わかりました。お湯とボウルだけ用意していただけますか?」
たづなさんが用意してくれたのは先程よくある電気ケトルで、スイッチ一つで沸騰させるタイプだ。
流は、まずキャリングケースから小型ケトルを取り出し電気ケトルからお湯を移した後に、道具一式を取り出して、応接用のテーブルに置き、自分の扱いやすいように並べてから、
ムスケールの上に上蓋を外した地中粗挽きにセットしたコーヒーミルを置き重量をゼロにセットしてから、24g分の豆をミルに入れると、蓋をして挽いていく。
浅煎りの硬い豆を切るようにサクサクと挽くことができ微粉もほとんど出ない最高のハンドミルだ。
挽き終えた豆を逆さにしたエアロプレスの本体に入れ、タイマーをセットし10秒かけて100gの湯を流し込み、パドルで10秒間撹拌する。
そこへ100g湯を足しフィルターをセットしたキャップを載せて、30秒待ちタイマーが一分になったところで、エアロプレスをサーバーにセットし、30秒掛けてピストンを押し下げ空気の抜ける音がしはじめたところで、抽出を終えた。
抽出されたコーヒーに90gの湯を加えてマドラーで撹拌して出来上がり。
予め湯を注ぎ予熱しておいたベリークのカップにコーヒーを注ぎ終えると、理事長と駿川さんに差し出した。
「どうぞ、エチオピアのフィサデバレ農園の豆です。」
この豆は熟した桃やさくらんぼを思わせる香りとライムのような明るい酸味とほのかに下に触れる甘味は南国系のフルーツようであり、その上で飲み口は柔らかいという、スペシャルティーコーヒーと呼ぶにふさわしい豆だ。流は酸味を活かすために浅煎りながらやや中煎りに近づけてある。
ちなみに、このようなスペシャルティコーヒーの豆も例外を除けば200g2500円程度と決して買えない値段ではない。
「お湯で薄めていたので、薄くなるのかなと思っていたら、そんな事もなく甘くてスッキリして飲みやすいですね。」
「エアロプレスは、空気圧を用いて押し出す事で抽出するので、比較的コーヒーの濃度が高くなるんです、そうなるとエチオピアの豆はやや酸味が強く出るので、お湯で薄めることで味を調整したんです。」
「美味!これはさぞ高いコーヒーだろう。」
「等級としてはかなり高いですが、値段としてはそんなに高くないですよ、200gで2000円位で高い店でも3000円するかしないかです、その上で今回の生豆は実家から送られてきたものを私が焙煎したものですから、お金は掛かってないので。」
「ふむ、意外と安いのだな。」
「特級品とはいえ、産地と農場のはっきりとわかる。高級なブランド米みたいな物で、一部の例外を除いて手の届かない値段ではありませんよ、商店街の喫茶店でも買おうと思えば買えますからね。」
「意外と簡単に買えるんですね、蒼間さんのおすすめはありますか?」
流は道具を片付けながら答える。
「私のお勧めとして上げるならば苦いのがお好きなら、インドネシアのマンデリンG1ですね苦味の中にラズベリーのような風味があります。次いで酸味や甘みがお好きなら先程の豆と同じエチオピア産のイルガチェフェG1ナチュラル、これは柑橘系レモンのような酸味とオレンジに近い甘みがあります。スペシャルティコーヒーとしてこの二種類が手に入りやすく、ハズレがなくおすすめです。」
駿川さんと理事長は興味深そうに聞いていた。
「自分で飲むためには他にどんな道具を用意したら良いでしょうか?」
「ここでの来客用に使うなら、電動のグラインダーとドリッパーとサーバーとコーヒー用の電気ケトルがあれば大丈夫です。」
「ご丁寧にありがとうございます。蒼間さんはこれからカフェテリアに行かれるのですか?」
「ええ、昼食が終わった後のスタッフさん達の休憩に合わせて伺う予定です。」
「それでしたら、今から行ってみたらどうでしょうか?」
「今からですか?」
「ええ、丁度お昼時ですし、生徒さんの動きも分かりやすいですから。イベントでの動線を把握しやすいとおもいますよ。」
動線と導線については中学の同級生だったウマ娘が文化祭のときによく語っていた事を流は思い出した。
当時の流としては絶対褒めたいとは思わないが、今考えると中学生としては非常によく考えられたルートを作っていた。
ちょっとした因縁というかウマ娘に対するコンプレックスの大きな要因になった相手なので、そこまで会いたいとは思わなかったが、彼女がトレセンを卒業して何をしているか、少し気になった。
「確かにそうですね、生徒さんの動きをしっかり把握しておかないと、苦労しそうですね、助言に感謝します。」
流は理事長室を出るとそのままカフェテリアへ向かった。