ジムかん。(トレセン学園内ジムの管理人の話。 作:なっぞのひと
少し早めに起きて朝の習慣になっていることを一通りこなしてから流はスーツに着替えてリュックを背負って、学園へ出発した。多少バランスが悪く感じるがいつもの道を歩いていく。
学園に近づく程に、通学中らしきウマ娘たちにやたら注目されている。そりゃあスーツを着たバカでかい登山用のリュックを背負った顔面に向こう傷のある男が学園に向かっていりゃあ、見られもするか。
登校時間は避けるべきだったかなと思いながら、正門前でデカい声で『おはようッス!』と挨拶をしているハチマキをした体育会系っぽいウマ娘に会釈をし、身分証を守衛に見せてから学園に入っていった。
朝の予定は前の管理人からの業務における引き継ぎという事もあり、流は練習場にあるトレーニング用ジムに向かった。
引き継ぎに関してはすぐ終わってしまった。元々定年間近の練習場の整備員が時間に合わせて戸の開け締め、受付、掃除とマシンの安全チェックをするぐらいで、やることは少ない窓際部署というか、自主練とかも担当トレーナーがメニュー作る事が多いのでいよいよやることがない。
伝えるだけ伝えたら丸投げで帰りおった。前任者はこのまま退職らしい、裏門でスタッフで見送るらしいが、
こういうところは結構うんアレだよなあ。
とは言え理事長の期待もあるし、担当の居ないウマ娘も多いわけだしレースや練習のことを考えたら裏方は大事だ。
ウェイトトレーニングにおける基礎であるBIG3を鍛えるためのベンチプレス、スクワット、デッドリフトの正しいフォームや目的別に扱う重量なども表にしておけばそれなりに役に立つだろう。
体幹トレーニングやHIIT(高強度インターバル)トレーニングとかのやり方とかも出しておいて、改めて基礎的なトレーニングのやり方を周知する事で怪我の予防につなげるのが最初にやるべきことだ。
後はプロテインバーみたいにプロテインやスポーツドリンクも増やしてみるか、結構大きめのカウンターがあるし。
この際だから現場の改善というかできる事は少しずつでもやって行くか、学園もそのつもり雇っているのだし。
トレーニング器具を見て思うのは、使われているウェイトの重量の最大値がとにかくでかい。人間向けの重量の物もあるにはあるが、人の扱える限界重量の3倍から5倍近い物がゴロゴロしている。
それだけのスペックを持った連中が全力で競い合うレースが注目されない訳がないしその上でアイドル顔負けの容姿と歌唱力で歌うのだから力の入れ方や規模が違うとはいえ、ウマ娘レースの話題で自分のやっていたスポーツが埋もれてしまうのは複雑だった。
こうしてみれば人がウマ娘に夢を託す気持ちもわかるが、流自身はウマ娘に夢を託そうという気持ちは起こらなかった。
事故の怪我と試合を潰してしまった事で干されてしまったからキック選手としての道はどうすればいいかわからないが、コーヒーを極めたりここでの経験を活かしてまたジムでキックの後進の指導をするとか道もある。
キックというか格闘技への未練は当面引きずるどころか、一生引きずり続けて呪いのように己を蝕み続けるのは確定だ。でも蓋をできるものならば無理にでも蓋をして次に進めばいいし、納得いかなくても納得させなければならない、何よりも子供が五体満足で助かったほうが大事だ。
あの時動いていなければ、もっとひどい後悔を抱えて生きることになっていただろうし其の事を考えたら少しは報われる。
其の謝礼金でコマンダンテのミルが複数やらROGのゲーミングタブレットやらエスプレッソマシンが買えたんだし悪いことばかりでもない。
ネガティブになって仕事がやりづらくのはよくあることだが、初日からこの体たらくではどうにもならないのでスーツからラッシュガードの上にTシャツ短パンという運動用の服装に着替えて気分転換を兼ねて管理人室に置いといたリュックからタブレットPCを取り出して資料作りの事務作業を始めた。
ウェイトトレーニングといっても目的別に、パワーアップ筋肥大、筋持久力、瞬発力、神経系と目的別に合わせて重量の比率が変わってくる。
基礎体力の強化としてBIG3だけでもいいんだけど脚質やフォームの維持とかを考えると、各部位別トレーニングをしっかり分けてまとめていこうか。
怪我や休養中のウマ娘たち向けには軽量のウェイトを使った持久力トレーニングや自重系の体幹トレーニング法を提供していけば調子も戻しやすくなる。
ストレッチやリカバー、マッサージとかのやり方も集めてその辺の事をしっかり資料としてまとめて、各人配布と言うかたちを取っていけばいい。
スポーツマッサージやテーピングとかは状態確認のために、直接触れる必要があるが、年頃の娘ばかりだから訴えられても困るし、基本やらないけどマッサージに関して依頼があったら同意書とトレーナーによる許可証を書いてもらうか。
やり方を教えてチームや仲間同士でやってもらうのが一番いいだろう。
簡単なテンプレを作ると、後はジムを開けるまでの清掃だ、ただ広いのでデカいモップ使うのも一苦労だ。
武道場やダンスホールもあるので、すべて終わらせた頃には時計は昼を回っていた。後はジムを開放するだけで基本座っときゃあいい。
昼休憩になったので、コーヒー豆とミルと紙コップと、93℃に設定した電気ケトルとエアロプレスとコーヒーサーバーをリュックから取り出して机に置いた。
昼飯は通勤で買っておいたパックの白ご飯とサバ缶に納豆と卵を合わせたものに野菜ジュースのパックで済ませて片付けると時間つぶしに日課の拳立てを初めた。
3分掛けて下ろし、3分間止めてから3分掛けて上げるのを一分休みを挟んで3回繰り返す。
運動効果も糞もない苦痛に耐えるための精神鍛錬みたいなものだ。
ジムを開けるまで後10分。
受付の書類の横に伯父から渡された、焼き肉食べ放題の半額チケットも置いておく。
コレについては、生徒会や理事長はうまくごまかせても駿川さんに怒られそうな気がしたけど後で事後承諾すれば良いやと入り口を開けてから受付の椅子に座って事務作業をつづける。
この時間帯に来るのは整備系の業者さんぐらいか一部の事務員とか裏方のスタッフの福利厚生がメインで、実際にウマ娘の生徒たちがトレーニングに来るのは午後の授業が終わってからだと聞いていたが、夜勤明けの人が使いたいかもしれないから、朝早く開けても良いかもしれない。
最初に受付に現れたのは制服姿の耳を覆う白のカチューシャがよく似合う純朴そうなショートカットのウマ娘を連れたミドル級のボクサーの様な体型で190近い長身の精悍なツンツンヘアーの男だった。
流の知人関係の中で会いたくないやつランキング最上位に位置する男、高槻だった。