カメラのシャッター音と千代子の声がチャペルを騒がせる。成幸とうるかは指示に従って忙しなくポーズを取っていた。最初こそ緊張してぎこちない笑顔をしていたが、次第に慣れて自然な表情ができるようになっていた。
「オッケー! 成幸くん、うるかちゃん下ろしていいわよ。お姫様だっこ経験者だけあってサマになってるわね!」
「あんなこと口走るんじゃなかった……」
「ご、ごめんね成幸。あたしが重くって……」
「い、いや重いとかじゃないからな!」
色々なポーズを撮影した後、先程の成幸の言葉を耳聡く聞いていた千代子がお姫様だっこをしてみないかと提案していた。最初は断った成幸だったが、うるかが思いの外乗り気だったので観念して抱えると、その柔らかな感触や綺麗に着飾ったうるかが密着していることを強く意識させられて、ずっとどぎまぎしていた。
千代子は撮影した写真を確認すると満足そうに頷いた。それから満面の笑みを浮かべてうるかと成幸の方に振り返ると衝撃的な台詞を発した。
「じゃあ次でチャペルの撮影は最後ね。最後は誓いのキス行ってみよっか!」
「はあ!?」
「ええ!?」
成幸とうるかは同時に大声を上げて、千代子は笑顔のまま期待した様子でカメラを構えている。冗談だと言い出す様子もない。成幸とうるかは顔を見合わせて固まって、少し前にしたキスの感触をお互いに思い出していた。
「ああ恥ずかしかったらフリでいいわよ。こっちでいい感じに編集するから」
「最初からそう言ってください!! 恥ずかしいとかそういう問題じゃないですから!」
「そんな怒らなくってもよくない……?」
「怒りますよ!?」
「最近の子は恥ずかしがり屋なのねえ」などと呟く千代子に何を言っているのかと文句を呟きながら、成幸は改めてうるかに向き直る。うるかは顔を赤くしたまま、今も成幸のことを見つめていた。キスをしなくて済んだことに安堵しているようには見えなくて、心なしか残念そうにも見えて、成幸の心臓はドキリと跳ねた。
「じゃあ顔を少し寄せてみて」
千代子の指示で顔をゆっくりと近づける。唇が触れなければいいと思っていた成幸はそれが間違いだったことに気が付いた。
成幸と息がかかるほど近づいたうるかからは甘い香りが漂っていた。いつもより長いまつ毛も赤い唇も間近に見える。薄くメイクした肌はきめ細やかで美しい。目を閉じて目の前にいるだけの姿もなぜだか蠱惑的で。蝶が花の香りに誘われるようにうるかに近づいてしまいそうになるのを、成幸は理性で必死に抑えていた。
早く写真を撮ってくれないかと願う成幸の目が、知らずうるかの唇に引き寄せられる。キスをしたときにもこれほど近くで見ることはなかった。華やかな衣装に合わせてはっきりとメイクされた赤い唇がひどく魅力的に見える。
うるかはキスは普通の挨拶だと言っていたからこのまましてもいいんじゃないかとか、キスしたこともそんなに気にしていなかったから事故でしてしまっても構わないんじゃないかとか、そんな邪な考えが成幸の蕩けた脳に浮かぶ。
成幸の理性はいつの間にか本能に負けていて、ゆっくりとうるかの唇へと近づく。うるかは成幸が近づいて来ているのを感じていながらも、目を瞑ったままじっとしていた。
「はいオッケー! おかげでいい写真が撮れたわ!」
2人の唇が触れる直前に千代子の声が掛かる。2人は体を震わせて弾けるように離れた。成幸は全力疾走した後よりも早鐘を打つ心臓にいまさら気がついて、今自分が何をしようとしていたのかを思い返して罪悪感に襲われていた。
「ところでうるかちゃんはチラシに顔出してもいい? 出さないほうがいい?」
「顔ですか……成幸はどうしたん?」
「お、俺!? 俺は、その、別に出してもいいって言ったけど!?」
「そっか。ならあたしも出していいです」
「え? いいのか?」
「うん。どーせザッシとかでいくらでも出てるし」
うるかはそう言ってあっけらかんと笑って、成幸はそういう問題なのだろうかと首を傾げる。馬鹿みたいな速度の鼓動はその疑問のおかげで少しずつ収まっていった。
「それじゃ次は中庭で撮影するからよろしくね」
「はーい!」
成幸はもう一度確認しようとしたが千代子とうるかの声に遮られる。釈然としない気持ちを抱えながらも、中庭に向かう千代子とうるかの後について行った。
◆◆◆◆◆◆
「いやー今日はありがとね。急だったけどいいモデルが来てくれて助かったわ」
あの後中庭とホールでも撮影を済ませ、バイトを終わらせた成幸はうるかよりひと足早く着替えを終えて千代子と一緒にうるかを待っていた。
「いえ、こちらこそバイト代助かりました。……それとうるかはそうでしょうけど、俺は別にいいモデルってことないですよ」
「何言ってんの。花嫁をこんなにいい笑顔にさせてるんだから自信持ちなさい! お似合いのカップルだと思うわよ」
「いや俺たちカップルじゃないですよ」
「え?」
「付き合ってないです」
「え?」
あふれんばかりの笑顔で写真を見せつける千代子の台詞を成幸がすげなく否定する。呆気にとられた様子で固まった千代子は成幸の言った言葉の意味をしばらくしてからやっと理解して、取り乱した様子で謝った。
「ご、ごめんなさい!! 2人でお姫様だっこ大会に出たって言ってたしすっごく仲良いし、てっきり付き合ってると思って……!」
「それで誓いのキスとか言ってたんですか……」
「許してー……知らなかったの」
「まあ貴重な体験もできましたし、俺は怒ってないですけど……」
なぜ急にキスをしろなどと言いだしたのか不思議に思っていた成幸は、千代子が誤解していたことがわかってようやく納得がいった。確かにお姫様だっこなんて普通しないのだから誤解しても仕方がないかと、あまり怒る気にはなれなかった。
そもそも付き合っていたとしてもキスシーンを写真に撮るのはどうなのかという気もしたが、そこまで触れる気力はなかった。
「ごめんね、ありがとう! ……ちなみに体験してみてどうだった?」
「……良かったなって思いました。でも、多分結婚式のいいところだけ体験させてもらいましたから」
千代子はほっとため息を付いて感謝して、それから成幸の振った話題に乗っかった。
成幸もどさくさ紛れにキスしようとした自分に謝られる資格なんてあるのだろうかと、少し居心地の悪い思いをしていたので積極的に話を続けた。
「まあそれはそうね。……でもさ、好きな子のあんな綺麗で素敵な姿が見られるなら、ちょっとくらい面倒でも結婚式やりたいって思ったでしょ?」
「…………面倒なのってちょっとくらいなんですかね?」
「さあ? 面倒だったのがどうでも良くなるくらい私は楽しかったけど!」
好きな子、という言葉を肯定しているように思われてしまうのが躊躇われて、成幸は話を逸らしてごまかした。
一般的な意味で言っているのかうるかを特定して言っているのか成幸には判断がつかなかったが、どちらの意味で言ったとしても、肯定してしまった後でうるかとまともに顔を合わせる自信がなかった。
「成幸、お待たせ!」
ホテルに集合したときと同じセリフで同じ格好。けれど成幸にはそのときとは全く違ったように見えて、心臓の鼓動が高鳴った。
「今日はありがとう! それと2人が恋人って勘違いしててごめんなさい!」
「うえぇぇ!? そ、そんな風に見えてたんですか!? そ、そっか……えへへ……」
千代子の謝罪にうるかは頬を緩ませて恥じらう。恋する乙女そのものといった、甘酸っぱい表情だった。
並んで帰る成幸とうるかを千代子が見送る。先程の成幸の反応とうるかの表情を思い返して、恋人だと思ったのは本当に勘違いだったのだろうかと、首を捻って見送っていた。
◆◆◆◆◆◆
「チラシに顔出して良かったのか?」
「え? なんで?」
ホテルからの帰り道。成幸は撮影中に聞けなかったことを改めてうるかに尋ねた。
「だって俺と一緒だし……それにほら、うるかは有名だしさ。スポーツの特集ならともかく結婚式場のチラシなんて騒ぎになるんじゃないか?」
「うーん……まあ知らない人には別に見られたっていいし、それに知ってる人ならさ、成幸顔出すんでしょ? その隣に日焼けしてる女子がいたらそれもうあたしじゃん。だったらどっちでも一緒かなって」
「あっ!? す、すまんそうだよな!! 悪い気づかなかった!」
苦笑するうるかを見て成幸は慌てて謝る。うるかの日焼け跡は良くも悪くも目立ってしまう。成幸とうるかのことを知っている人が見れば、うるかの顔が隠れていたとしても誰なのかは一目瞭然だろう。そんなことにも気が回っていなかったのかと成幸は自己嫌悪した。
「今からでも顔隠してもらうように言っとくよ」
「いいってば。今からじゃ迷惑かもだし。……ほんと全然気にしないから言わないでよね!」
携帯電話を取り出した成幸に、絶対言わないでと念を押すようにうるかが言う。なんでそこまで止めようとするのか成幸には腑に落ちなかったが、そこまで言われてしまっては言わないほうがいいだろうと思い、手にした携帯電話をポケットに戻した。
「わかったよ。……それと今更だけど、ウェディングドレス着るの知らずに誘って悪かったな」
「え? なんで? キレーなドレス着れたし楽しかったけど?」
「いやほら、結婚前にウェディングドレスを着ると婚期を逃すとか言うから……」
迷信のたぐいではあるが、うるかはそういうものを気にしそうなタイプだと成幸は思っていた。うるかは成幸が何を言っているのか考え込みながら目をしばたたかせると、ようやく理解したあとに大声で笑った。
「あはは、何言ってんのもー! そんなメイシン真に受けなくても。とりあえずあたしに限ってはそんなんないかな」
「そうなのか? 割と気にしそうだと思ってたんだが」
「まあ割と気にするほうかもしんないけど……あれってドレス着れてマンゾクするからでしょ? あたしは別にドレスだけ着てもマンゾクしなかったから」
「へー……。それは」
「それは?」
「……すまん、なんでもない」
「えぇ!? なにそれ気になるんだけど!!」
満足していないのは相手が自分だからなのか、なんてことを反射的に聞こうとした成幸が寸前で思いとどまる。
うるかが何を言いかけたのか教えてよとせがむのも構わず、成幸は笑ってごまかす。
違ったら嬉しいのか。当たっていたら悲しいのか。それすらわからないのに聞いていいことではないと思った。
「ほんと別になんでもないんだよ。気にしてないんならよかった」
「うん。まあそれに友達も家族もいないし、ケッキョクのとこ本物じゃないしね。好きな人と今度はちゃんと本物の結婚式をやるまではマンゾク出来ないっていうか……あっ、や、今度はって別に深い意味はないかんね!?」
「そうか。……どんな人が好きなんだ?」
成幸は思いついたまま口にしてから、まるでうるかを狙っていると思われそうなことを言っているなと思った。先日好きな相手がいるとか全部ウソ、と面と向かって言われた相手に言うようなことではなかったと、内心で冷や汗を流している。
うるかは自分の台詞に成幸が反応を示さなかったことに不満そうに口を尖らせて、それから少し考えて口を開いた。
「そうだなー。うーん……あたしのこと見てくれる人?」
「国体優勝までしてるんだしいくらでもいるんじゃないか?」
「結果を見て祝ってくれるのもゼンゼン嬉しいんだけど、そういうんじゃなくてさー」
うるかは手を振ってそれは違うと否定する。結果を残したことを褒められるのは嬉しいことではあるが、好きになるかどうかはうるかにとって別物だった。
「あたしだってイチオー練習してるし、水泳以外にもしたいこともあるし、そういうことちゃんと見てくれる人」
「そっか。努力してるとこを見てほしいんだな」
「そうそう! そういうの見せないのがカッコいいのはわかってるけどさー。やっぱ努力すんのってキライじゃないけど大変だし、そういうのも好きな人には見てて欲しいっていうか」
あのとき「ずっと見ててね」と言った意味を理解されてしまうだろうかと、心臓をドキドキとさせながらうるかが話す。ウェディングドレスを着て気分を良くしていたから、つい匂わせるようなことをしたい気分になっていた。
「……すまん。俺もお前と初めてちゃんと話したとき、たくさん努力してること全然知らずに天才はいいなとか思ってた」
「え? 初めてって……え、中学のとき!? オオムカシのことなんて今更謝んなくっても!?」
「いや、まあそうかもしれないけどずっと気にしてたんだよ」
予想とは全く違う反応をされてうるかが慌てる。うるかは謝って欲しくて言ったつもりは全くなかったが、成幸の心にはずっと引っかかっていた。逆に迷惑になるだろうとも思っていたが、この機会に言わなければずっと言えないだろうから、今言わないといけないと思ってしまった。
「まあ成幸らしいっちゃらしいけど。そんで今はどう思ってんの?」
気を取り直してうるかが尋ねる。昔そう思っていたなら、今はどう思っているのか。軽い調子で聞いていたが、緊張で震えてしまわないように手はギュッと握りしめられていた。
「凄い才能があって、それ以上に得意な水泳も苦手な勉強も誰よりも頑張れるやつ」
間を置かずに成幸が答える。うるかが得意なことはもちろん、最初は逃げていた苦手な勉強も今は全力で頑張っているのをずっとそばで見ている。得意なことも苦手なことも同じように頑張れることをずっと尊敬していて、だから考えるまでもなくすぐに答えた。
それがうるかにはどうしようもなく嬉しくて、同時にそれ以上の感情は伝えてくれなかったことが少しだけ寂しかった。
「……へへ、あんがと! まだまだこれからも頑張るから、約束どおりずっと見ててよね!」
「ああ、前にも言ったけど当たり前だろ。ずっと見てるよ」
満面の笑みを作ったうるかが明るく伝える。軽快な足取りで成幸の先を歩いて行く。
成幸は遅れないように後を追って、分かれ道に辿り着くまで2人で一緒に帰っていった。
◆◆◆◆◆◆
後日談。
「そういえばあのときのバイトのチラシ全然見ないけど母さんなんか聞いてる?」
「ああ。あの結婚式体験やめたみたいよ」
「え? なんで?」
「違う相手とした結婚式体験の割引きが使いづらいんだったら、同じ理由で結婚式体験したのと同じ式場使おうと思わないんじゃない? って」
「ああ……」
そりゃそうだ。成幸は心の中で呟いて、自分の心配は何だったのかとため息をついた。
成幸が後でうるかにそのことを伝えると、うるかは残念そうに肩を落として、成幸はその姿を不思議そうに見ていた。