「ありがとうございましたー」
客を見送り、軽く頭を下げる。
辺鄙な土地の、辺鄙な立地にあるコンビニだ。十時から入って十九時までの間、一人も来ない事も珍しくない。
どうやって運営しているのか不安に思う毎日だったが、今日は珍しく中ほどまでの時間で三人。その内の一人が店外に出ていったタイミングでレシートを不要の箱に放り込んだ。
長ったらしいしかないそれには、大量の菓子の名前が記載されている。見れば売り場の菓子棚からは、ごっそりと商品が消え失せていた。
面倒くさかった。本当に。
ただでさえ少ない客足だ、多分一ヶ月分ぐらいのレジ打ちをしたと思う。経験値が足りず、随分と手間取ってしまった。
幸いだったのは客側が急かしてこなかったことか。
いや、待っている間の顔がいかにも分かってますよとでも言いたげな優しげなものだったのはムカつくが。分かってんならやめろよ、分けろ馬鹿。時代は個包装だろうが。
長い時間同じ体勢で固まっていたせいか、妙に背中が痛かった。
ほぐすため、背を伸ばす。どうせ見ているのは監視カメラだけだろうと、遠慮なしにストレッチをし始めた。
後ろから、ツンとつつかれた。
「んぁ?」
なんだよ、と言おうとして変な声が出た。そんな俺がおかしかったのか、そいつはけらけらと愉快そうに笑った。
「なんですか先輩、絞られたカエルみたいな声出して」
「例えが怖えよ。子供の悪意なき虐殺じゃねえか」
「えー今の子供そんな事しますかね? 触れもしないんじゃないですか?」
「良くも悪くも恐れ知らずだ、よっぽどじゃねえ限りいけんじゃねえの?」
「なるほど、先輩みたいな感じなんですね。勉強になります」
「おう……あ? 今俺の事子供と同等って言ったか? あ?」
「言ってないですよーやだなーもー」
「そうかそうか、ははは」
がしりと、形のいい頭を掴む。
バレーボールぐらいしかないんじゃないかと思うほど小さい、俺の手のひらに収まるサイズ感。これから起こる悲劇に悲しくなっちまいそうだはっはっは。
思い切り力を込めた。
「いだだだだだだ! やめっ、先輩大人げない! ほんのささやかな戯れじゃないですか! こんな可愛い後輩捕まえてそれはない、でっ、掴むなー!」
「敬う心が足りねぇなあ最近の若えのはよぉ! んんんー?」
「四つ違いのくせして! 年上気取りにも上限ってものがぁぁぁぁぁ、ゆらすなぁーっ!」
俺の手を剥がそうとするが、まるで抵抗を感じない。出会いはじめの頃に比べたら多少筋力はついているようだがそれでも貧弱としか言いようがない。
必死にしていても一向に立ち向かえていないのは心配になる。何食って生きてんだこいつ。霞か?
ほっそりとした指、整えられた爪には光沢がある。柔らかな女の子の手をしているなと感じながら、しばらく揺らしたり握りの強弱を変えて遊んでいた。いい声で鳴くわ。
ひとしきり楽しんだ後、ぺいっと手を離してやる。わざとらしくふらふらとして床に座り込んだそいつは、不満気にこちらを見上げていた。
「うぐぐ……このやろー! 前々から思ってましたけど、先輩ほんっとに扱いが雑ですよね! わたしで無かったら訴えていましたよ! よかったですね! 感謝してください!」
「いやあすまんすまん。でもお前が打てば鳴るのが悪いんだよ、こんなクソ田舎じゃ刺激を得るのも一苦労だ。その点お前は確実に反応が返ってくる。すっかり魅了されちまったよ」
「刺激的な美少女で悪かったですね!」
まったく、と呟きながら腕を広げる。ぺたんと足を崩しながら上目遣いで、視線に訴えを込めながら。
何してるんだこいつ。
「だっこ!!!」
「お前まじか」
本当に何してるんだこいつ。
四つ下のバカ後輩は前言を撤回する気は無いらしく、そのままの姿勢で固まっていた。目尻にはうっすらと涙が溜まり始めている。
これは、そうするしかないのか? このご時世セクハラは禁忌だぞ。まだ人生を終わらせたくないと俺の体が抵抗しているのが分かった。
しかしそれを拒否と受け取ったのか、さらに騒ぎ始めた。
「だっこ! だっこだっこだっこっ!!」
「うるせぇ! おま、騒ぐなバカ! 誰かに聞かれたらどうすんだよこのバカ!」
「どんだけバカって言うんですか! いいじゃないですかどうせ誰も着ませんよこんなとこ!」
「さっきいただろ客が! ああ、ったく仕方ねぇな……! 文句言うなよ! 絶対だからな!」
そう叫んで、屈みこむ。
正面から向かい合う形になったそいつに近づき、背中に手を回した。
温い体。体温が伝わってくる。意外とある胸がつぶれる感触に嬉しいやら寒気がするやら、不思議な感覚だった。もっと純粋に味わいたいものだが、こいつが後で訴えてくる可能性を考えると冷汗が出てくる。
ぐっと、持ち上げる。
思ったよりも軽い体を支えて立たせてやると、後ろ手に手を組んでこちらを見上げてきた。
くそ、案の定だ。ニヤつきやがって。
「ありがとうございます先輩。現役JKの感触はいかがでしたか?」
「どう答えても社会的死滅を免れないじゃねぇか! 止めろバカ!」
「訴えませんって、安心してくださいよ。私がそんな詐欺めいたことすると思います?」
「からかい半分でやりそうなんだよお前! 取り返しがつかなくなるのは俺なんだからな!」
「……そこまで必死にならなくても」
なにやら落ち込んでいるが、そんな事はどうでもよかった。俺の安全が確保されたか今も気が気じゃないんだ。
焦っていた俺は、視界の端に何かを捉える。それは三段に詰まれた段ボールで、一番上は包装が開かれ中身が覗いている。
入っていたのは、菓子だ。ちょうど今しがた消え失せた分がそこには入っていた。
「お前、その段ボール」
「ああ、これですか? どうせすぐに補充するだろうと思って準備していたんですよ、先輩がレジ打ってる間に」
「……いつの間にそんな気遣いが出来るようになったんだ?」
「少しは素直に褒めてくださいよ!」
ぷんすか怒り出すそいつを見て、俺は過去を思い返す。
出会って半年、いまいちやる気の無かったこいつが、気付けば少しずつ率先して手伝うようになった。
そして今、こうして能動的に動けるまでに至った。若いのの成長は速いもんだと感心してしまう。
俺がこいつぐらいの歳だった頃はどうだったろうか。多分ここまで動けていなかったんじゃないか。あの頃の俺はバカ過ぎた。
それに比べてだ、簡単ではあるが自分で動けている。やってくれるじゃないか。
「じゃあ褒めてやる! 偉い! 偉いぞ柱田!」
「あ、そ、そうですか? えへへぇ」
リクエスト通りに褒めてやると、柱田は照れくさそうに頬を掻いた。
ちょろすぎて心配になるな。半年前はもう少し刺々しさもあってとっつきづらい印象だったんだが、どうやら俺の目が節穴だったみたいだ。
「いやぁ本当に偉い! 偉いから先輩をこばかにするのはもう止めような!」
「えへ、えへへぇ! ありがとうございます先輩! でもイヤです!」
「その頑なさなんなの?」
何がコイツをそこまで揺らがなくしてるんだよ。大木でも少しは譲るわ。
見るからに上機嫌になった柱田はレジカウンターから箱を持って行き、補充に取り掛かった。今のやり取りなんだったんだよ。
柱田はなんというか、猫っぽいというか。それまでの流れをぶった切って自分の世界に集中しだす、気まぐれな一面があった。それは別に不都合ってわけではないんだが、急にされると距離感が分からなくなる。
まあでも、それなりの時間は過ごしてきた。もう慣れたもんだ。
むしろそれが柱田の人間性なのだと思うと、それは魅力であるとすら思えてくる。
俺はレジに立って、次いつ来るかも分からない客を待ち構える。スキマ時間が多いこのコンビニ、訪れる暇をいかにやり過ごせるかが続けるコツだ。でないと自分が何をしているのかとか、余計な考えが膨らんで潰れていく。
何年か努めているが、辞める連中の理由は大抵そんな感じだ。
俺の場合は趣味の計画を立てながらぼーっとする事だ。今年の釣りは激熱だぜ。
「……んんんんんん」
どこのスポットに行くかとか、日程はどうしようかなどなど。予定を大雑把に組み上げながらぼーっとしていると、視線を感じた。
客が居なければ、それは同業者からしかない。ぼやけていた視界の焦点を合わせると、柱田がこっちを睨んでいた。
「先輩、なんでそんなところに立ちっぱなしなんです?」
「見りゃわかるだろ、客が来るの待ってんだよ」
「今ここに! かわいいかわいい同僚が一人寂しくお仕事してるんですよ! 手伝おうとは思わないんですか!」
うるさっ。
中身がパンパンに詰まった段ボールをバンバン叩きながら訴えてくる。おい大丈夫なのかそれ、なんか割れたり折れたりする音が聞こえる気がするんだが気のせいか?
「お前、もし客がサッと現れて速攻でレジに向かってきたらどうすんだよ、役割分担だ役割分担」
「どうせきやしませんよこんなコンビニ!」
「……それもそうだな!」
何やってんだろうな! 杞憂でしかねぇ!
柱田のお望み通り、手伝いにカウンターを出る。三段に積み重なった段ボールは重量こそ見た目より軽いが、中身の量はそれなりだ。面倒な仕事は分担して早く終わらせた方がいい。
作業するべき棚は、近づいてみればより空白を実感する。空箱や溜まったほこりが浮き彫りになっていて、開けた空間の見慣れなさに拍車をかけていた。
そんなに大量に買い込んでどうすんだと思うほど、ごっそり商品が消えている。いやマジで何がそんなに必要なんだ? 客のおっさんは見るからに普通のおっさんでしかなかった。菓子囲っておっさん同士でパーティーでもするのか?
華やかじゃねぇ見栄えだなおい。
浮かんだ想像をかき消していると、柱田はつつーっと指を滑らせて、付いたほこりの塊に眉をひそめた。
「これ、先に掃除するべきじゃないですか? 結構汚いですよ」
「……だな。裏にモップあったはずだから持ってきてくれ」
「はーい。ピンクのでいいんですよね?」
「ピン……いや分からん。とりあえず適当でいい」
「うわ出た。先輩適当おじさん化」
「適当おじさん化ってなんだよ」
聞いたことねえわそんな現象。
「やめた方がいいですよ先輩……そんなんだから先輩は先輩なんです。足り得ちゃうんですよ~?」
「おう俺をなんか不足してる奴の代名詞にしてんじゃねえよ。得るまでもなく俺は俺だわ」
「やーん先輩怒ってるー! じゃー持ってきますねーうふふ!」
「うふふて」
おちょくった挙句やけに楽しそうにはしゃぎながら柱田はバックヤードに消えていった。単語のチョイスが古くせぇ……よく考えればやーんもおかしいだろ、いつぶりに聞いたよ。
いやホント何が楽しいんだアイツ? なんか俺煽られ損じゃねえか、ただただ馬鹿にされただけ。イカれてんだろなにこの仕打ち。ていうか柱田アイツ、うわ出たとか言ってやがったな? 常套してるじゃんちょくちょくそう思ってるって事じゃん。
……まあ本気で無いのは分かるんだが。というかそう理解されているのを見抜いてやってる節はあるんだが。
そこらへん、なんだか掴みどころのない感覚は接していて悪い物ではない。こんな辺鄙なコンビニで出会えたのは奇跡といっていい。偶然とはいえ、なかなか無い縁だと思う。時間が経てば途切れるんだろうが、大切にしておきたいものだ。
だからといって手加減したりはしないけどな! 戻ってきたらどうしてくれようかあの小生意気な後輩をよぉ……!
「せんぱーい? 持ってきましたよー」
空想の中でああでもないこうでもないと柱田を制裁していると、当の本人がのこのこ呑気にやってきやがった。
へへ、飛んで火に入る夏のなんとやらだ。ニヤつきそうになるのを抑えるのも大変だな。
「……おう」
「どうしたんですかそんな物静かで。……もしかして、さっきの事気にしてます?」
「そうだな、そんなところだ」
「え――にあぁっ!?」
振り向きざまに飛び掛かり、小さな頭を脇に抱える。持ちやすくていいぜ。
そのまま抑え込み、ほっぺたを好き放題引っ張り回す。おうおういい感触だな、きめ細やかな肌は実にいじりがいのある弾力だ。人間国宝かな?
「ひふぁい! ひょ、へくはられすよへんはいっ!」
「んなもんさっきの抱っこでもう手遅れなんだよ! ヤケになった俺は無敵だ、大人しくされるがままになるんだな……!」
「……はっはくもー、んもーっ!!」
よう鳴いとるわハハハ!
流石に非力に定評のある柱田だった。もぞもぞ動いているぐらいにしか感じられない。しばらく抗議だけし続けるのだった。まったく想像通りで助かる。
しかしなけなしの抵抗も、どこか気持ち半分程度でしかないような気もするのだが。そもそもの基準として力が弱すぎるので判別がつかない所だ。構造としてちゃんと筋肉ついてんのかコイツ?
やがて抵抗も小さなものになり、殆ど形だけになっていた。こうなったら形無しだな。
……気付けば、柱田がおとなしいというか、しおらしくなっている。調子づいているか気まぐれかしか見ない柱田だが、稀に見せる別の顔は随分と普段とは違うものだ。そんな顔されても、こちらとしては調子が狂うだけなんだが。
そろそろ潮時かと、摘まんだ指を離してやった。ついでに腕ロックも解除だ。
「ぷあっ!」
久しぶりに抜け出した柱田は、まるで今まで水中に潜っていたとばかりに勢いよく顔を上げて息継ぎをする。
かと思えば、わなわなとパーマのかかった髪を揺らつかせて睨んでくる。さっきまでのしおらしさというか、萎んだ感じはどこにもにない。いつもの柱田といった具合だった。
髪どうやって動かしてんだよ。コイツ人外か?
「こ、このどどどえっち先輩め……!」
「言いがかり過ぎる……何段階目のエロだよそれ」
「私でなかったら! 今頃大問題に発展してましたからね! 私で! 無かったらっ!!」
「主張が激しいな!」
「激しくもなりますよ! こんな美少女相手に好き勝手出来るなんて先輩心臓毛玉じゃないでしょうね!?」
「んな気色悪い臓器に生かされたくねぇよ!」
想像しただけで怖気が走るわ!
「自分を美少女呼びするお前の方がよっぽどだろうが!」
「じゃあ美少女じゃないってんですか!」
「…………」
「……………………」
「………………………………美少女だけども!」
「ほらそうじゃないですか! どっからどう見ても美少女じゃないですか私!」
「美少女美少女うるせぇ! どんだけ使うんだよきょうび飛び交わねえよその単語は!」
否定できないレベルなのは間違いないのがたち悪い。
なんでこんなコンビニでバイトしてるのか分からないレベルだ。どっかで芸能人かモデルでもやってる方がよっぽど似合う。
そんなある意味顔面凶器が今では俺の前ではしゃぎまわっているんだが。改めて思い返すとすげぇ状況だな。頭バグるわ。
「……んで。そんな美少女柱田さんはちゃんと持ってきたのか」
「……! 先輩が話の流れ関係なしに私を美少女と認めた!?」
「おう何がそんなに驚く事だよ」
「だってそんな! どっか適当で! 子供っぽくて! なんかもう全然年上に思えない素直さの欠片もない先輩が!」
「ボロクソだなおいすらすら言いやがって!」
他にも余罪がありそうだな……言おうと思えばもっと言えそうだ。慣れてやがる。
「淀みなくお前は……いやそんなのどうでもいいんだわ。持ってきたのかって」
「……持ってきましたけど、もうちょっと褒めてくれてもいいんじゃないですか?」
「あ?」
不思議に思って見れば、どこかふてくされたようにそっぽを向き、唇を突き出している柱田の姿が。
そのくせ目線だけはこっちに寄越してくる。じっと見つめる目と視線が合った。長いまつげが不満気に伏せられている。
幼げなその態度に、俺はまじかよと驚く。
「え、お前まさか拗ねてる?」
「なっ!? ち、違います! ただきちんと仕事をしたのにねぎらいの言葉一つ出てこない先輩に呆れているだけといいますかなんといいますかっ!! 違いますからねっ! 誤解しなっ、しないでくださいねっ!!」
「言い回しが自白のそれなんだよなぁ……」
「それってなんですか!? どれがそれしてなんなんですか言いがかり止めて下さい訴えますよ!?」
「すげえなここまでから回ってる奴初めて見たわ」
言葉も態度も自爆でしかねぇ。下手クソのボンバーマンか?
色白の肌が色づいていく様はとても分かりやすい。いっそ清々しいぐらいだ。一番雄弁に本人の感情を語っているのは、その肌なんじゃないかと思う程だった。
俺も男だ。可愛い奴が可愛いリアクションをしていて思う所が無いわけではないんだが……それ以上に慌てている柱田は、見ていて面白いという感情が勝ってしまう。
こんなに荒ぶっているのは初めて見るかもしれない。珍しいものを見たっていうありがたさと同時に、どんどんと自供を重ねる柱田は、その、なんだ。
すげえ愉快ですね。
「しかしお前、んな事で拗ねるってなぁ……ははは」
「拗ねてないっ! なに笑って……!」
「いや、案外可愛い所あるんだなって思ってな! っくくく……モップ持ってきただけでそんな褒めてオーラ出すなんてな……あ、ダメだ笑い堪え切れねぇっ。あっははははははははっ!!」
「な、ほめ、かわっ……~~~っ!!」
何やら悶えている柱田が視界の隅に行ってしまう。それぐらい俺はこみ上げてくる笑いに耐え切れなかった。
たまに他の奴とバイトの時間が被る時があるが、その時の柱田はどこか人慣れせず、すまし顔のままで対応するばかりだ。俺とは多少シフトが重なるせいか慣れてきているっぽいが、普段は冷たい印象を与える少女ではある。
だからそんな柱田がこう、人からの反応を求めてるって事実だけで面白い。お前人が違い過ぎるだろ。
第一リアクションがわざとらしい。わざとやってるんじゃないよな? と不安になるレベルでわざとらしい。もはやあざとい。んでそのあざとさが似合ってるのが恐ろしいんだこれが。
「――」
「……あ?」
「もーっ!!」
「うおあーっ!?」
逆襲の柱田が埃で汚れたモップを顔面に叩きつけてきた!
「きったねぇな何しやがるお前ッ!」
「先輩が悪いんですからねっ! この、このっ!」
「うおお連撃!」
ばしばしとはたかれるたびにそこそこ大きい埃が舞う。掃除しなければいけない箇所が増えていく。
おかしい、俺は汚れを落とそうとしていたはず……いやまあ、流石にからかい過ぎたか。
内心反省する。それはそれとしてこれ以上汚されたくはないからガードは硬くする。俺は鉄壁だぜ。
勢いが徐々に収まってきて、俺は恐る恐る盾にしていた腕を解いた。
「……あー」
柱田は、涙目だった。
顔が真っ赤で、涙を零していて。それでも罪悪感を抱けないのは、柱田が純粋に照れだけでそうなってしまっていると伝わってくるからだ。相当俺の言葉が効いたらしい。やり過ぎたという思いが支配する。
何も言えねぇ。言葉が出てこない。無理やり出そうにも気まずすぎる。
無言の時間が長く感じた。こんな心地なのは柱田との初対面時以来だ。あの時の柱田は緊張するなんてものじゃなかったが、深まった間柄になったからこそ触れがたいものもある。今この瞬間のこいつは爆弾に変わっていた。
ボンバーマンじゃなくてバクダンマンじゃねえか。
出来ればこのままスルーしたいが、そういう訳にもいかない。なんとかこの空気を破ろうと、考えもせず口を動かすままに任せる事にした。
「その、なんだ」
「……」
「……ごめんな? 本音見抜いちまって。本気で可愛いなって思ってるんだぜ?」
バカ俺のバカ! 謝んのか煽んのか褒めんのかせめて統一しろよ全部漏れ出てんだよ!
自動生産に全てを任せた結果垂れ流しとかいう地獄。沙汰がどうなるのか本気で予想できなくなっちまったなァ!
後悔ばかりが募るなか、動かない柱田を注視する。警戒って言った方が正しいかもしれない。今度は禁断のモップ二刀流が飛び出してくるかもしれなかった。
しかし柱田はそんな俺の警戒をよそに、黙ったまま俺の隣にしゃがみこんで片方のモップを差し出してくる。俺がそれを受け取ると、そのまま掃除を始めた。
助かった、のか?
何となく俺も埃を取り始める。
「……先輩の」
その声は、微かで。俺の耳をくすぐるように撫でつけてくる。
「先輩の、馬鹿」
ギリギリ聞こえるか聞こえないかぐらいで、柱田はそう言った。
思わず振り向いても、それ以上何も言わず。ひたすらに没頭する横顔が視界に入ってくるだけだった。
……え?
なんだそれは。否定なのか、肯定なのか。
いや、柱田の様子からいって本音のはず、ではある。なんだ、柱田は結局それを認めたのか? 照れ隠し? 不満気で、でも決して冷たくは無い。そんな、どちらかと言えば暖かい温度感のある罵倒。俺はどう受け止めればいいんだ。柱田は今、何を考えているんだ?
憮然とした表情は、それ以外の色を読み取らせてくれない。
聞こうにも、もはやそんな雰囲気ではない。もやもやを抱えたまま、俺はひたすらハンディモップを左右に動かすしか出来なかった。
結局シフトが終わるまで、今日はこれ以上話しが交わされる事は無かった。
時間が来て解散し、帰路につく直前。柱田は俺に向かって少しだけはにかんだあと、軽い足取りで帰って行った。
美少女って、絵になるな。
なんて馬鹿みたいな感想を抱いたまま帰るしかなかった。
何だったんだマジで。