翌日である。
「柱田ァ! 飯行くぞッ!」
「……へぁ?」
流石姉妹、リアクションが似てるぜ!
今日も今日とてコンビニバイトを最悪な空気感の中で終え、これから帰ろうかというタイミング。それまで普通にしていははずの俺が急に叫び出して、驚くより先にあっけに取られるしかない柱田の小さく開かれた口が妙に間抜け面だった。
それを見て、俺は心底安堵した。まだ間に合うと分かってホッとしたし、もう随分と見ていない光景を見たような懐かしさが胸を突く。
長い長い体感時間も、今日できっちりおしまいにしてやる。
「な、なんですか急に。それに無理ですよ、そんな気分じゃ」
「御託はいいからとっとと来い! 幾らでもおごってやるからな!」
「だからそういう問題じゃ、いやあの先輩!? ちょ、強引、いつになく強引ですね! なにするんですか! ひ、人攫いー!」
「人聞きの悪い事叫んでんじゃねえよ! ほら乗れ!」
「どう見ても誘拐現場じゃないですか! あっ! て、店長さん! なんか先輩がおかしいんですけど! 助けてください!」
無理やり腕を引っ掴んで車に乗り込ませようとすると、柱田はか細い力で抵抗してくる。そりゃ傍から見たらそうとしか見えないだろうが直接的に言うんじゃねえ! 前科が付いたみたいな気分になるだろうが!
ちょうどその時、外のゴミ箱を整理しにきた激レアキャラこと店長が姿を現し、柱田が助けを求める。
「……!」
「なっ、ちょっと! グッ、じゃないんですよ!」
が、店長は俺たちを一瞥しても特に何事かを言うでもなく、親指を立てて無表情で見送るだけだった。流石に柱田を雇うだけあって度胸がある。この人も柱田の影響とやらを受けているんだろうが、その鉄仮面の下に感情を隠しているんだろうか。
「残念だったな! 店長は既に買収済みだ!」
「はぁぁぁぁぁっ!?」
「お前は大人しく俺に飯を奢られる定めなんだよ! 親睦会だ! ほれ乗りやがれ!」
「先輩が乗せてんでしょうがっ!!」
なおも抵抗を続ける柱田を後部座席に放り込んで、俺も運転席へと乗り込む。その頃には逆らっても無駄だと諦めたのか、シートベルトをきっちり締めている柱田なのだった。顔がドナドナ。諦めが滲んでいる。
鍵を回し、エンジンを掛ける。時代を逆行する十数年前の中古車は、現行車と比較して明らかにやかましい唸り声を上げて点火、途端にアイドリングによる振動が車内を支配し始める。くすんだフロントガラスは、早上がりのまだ昇っている日の光を受け止めて白んでいるようにも見えた。
そのタイミングで、柱田が不満気に問いただしてくる。
「……それで、先輩。なんなんですか?」
「何がだよ」
「だから、この状況がですよ。私気にしているっていうか、気まずい状態なんですけど。仲良くご飯なんて無理ですよ。先輩も分かってますよね、それぐらい」
「んなもん百も承知だ。だから、この状況を改善しに行くんだよ。飯食うついでにな」
「ついでって……そんな軽くありませんよ? 先輩ついにデリカシーが無くなって繊細な感覚もお亡くなりになったんですか? 適当先輩がド適当先輩になっちゃいました?」
「んなクソ鈍感にすんなや俺を」
「だってそうじゃないですか。他に何があるっていうんですか先輩の呼び方に。これ以上の譲歩は出来ませんよ?」
「お前着いたら下ろす前にげんこつグリグリの刑だからな」
「何でですか! 先輩の自業自得じゃないですか! もう! 誤魔化さないで下さいよ!」
いつもよりご立腹な柱田がシートベルトごと体を伸ばして覗き込んでくる。身体に染みついたやり取りはなかなか離れないみたいだが、バックミラー越しの柱田はやはり元気がどこか欠けていた。
陰りのある雰囲気も、柱田の美少女ぶりを損なわせるものではない。むしろ歳不相応の色気を醸し出している。どこか雨に濡れているような、そんな湿度のある色香だ。
だが、それよりも柱田には笑顔が似合う。イタズラで、生意気な、そんな笑顔が。
「どこに連れて行って、何をするつもりなのか……を……?」
「……ねえさん」
その為に必要なのは、まあ両親との仲も大切なんだろうが。
まず初めに行うべきは、姉妹の仲直りだ。文面上の距離で言えば、一番近いんだから。
「撫子……? 先輩、本当に、何をするつもりなんですか?」
「だから言ってんだろ。いつまでもお前が落ち込んでるとこっちまで気分が下がってきちまう。だから荒療治だ。そのために必要なんだよ、そいつは」
あらかじめ助手席に潜ませておいた撫子が、のそのそと足元から這い上がって恐る恐る席に座る。見ていて初々しい。
そんな撫子は時折姉の方を気にしながらも、上気した頬を隠そうともせず興奮気味にきちらを見上げてくる。ちょっとわくわくしてないか?
「ねえさん相手に軽口の応酬……! わたし、初めて見ました。こんなに他の人と話しているねえさんを。やっぱり司さんは、見込んだ通りの逸材なんですね……!」
「見せた覚えはないんですけど、勝手に……司さん? 撫子、あなた先輩を名前で呼んでるんですか? 私はまだ呼んだ事ないのに、なにしてるんですか。私を差し置いて何様ですか? ふざけないで下さい」
「あっ、その、ご、ごめんなさい。ねえさん」
「その程度で済ませると思ってるんですか? 撫子、お前はやっぱり――」
「おいおい落ち着けって」
「っ、すみません……駄目ですね、やっぱり」
やっぱり根深い問題であるらしく、あれだけ俺の前でキレたのを見られて落ち込んでいたにも関わらず抑え込む事は不可能みてえだ。止めなければ際限なく怒り続けていたのは間違いない。その時、どれほどの地獄が繰り広げられるのか。
撫子が何をしようとも、それを元手に怒りの火を燃え上がらせるだろう。それは柱田の制御を外れ、本来以上の火力で標的を焼き尽くす焔だ。たとえ些事であっても、業火に至ってしまうだろうよ。
これから俺がしようとしているのは、そのぶっ壊れた調整機能の修理だ。目に見えて落ち込んでしまった柱田に手を伸ばし、落ち着かせるように肩を叩く。
「ま、とりあえず行くぞ。話し合いはそっからだ」
「……私は話す事はありません」
「あ? これから三者面談すんだよお前は。舐めんな」
「舐めてませんし聞いてません! 今更何を話すっていうんですか!」
「つーかお前、普通に呼べばいいだろ俺の名前ぐらい。何戸惑ってんだよ」
「それは、その……分かって下さいよ乙女心! というか質問に答えてください!」
「はた迷惑な奴だなお前な。撫子ー、シートベルト締めたかー?」
「は、はい。締めました」
「聞いてくださいよ! 聞け! 誰がはた迷惑ですか!」
「後でな、ははは」
「なに笑ってんですか先輩ぃっ!」
喚く柱田を放置しながら、車は発進した。
アクセルを踏み込み車道に躍り出る。十分か十五分か、お目当ての店まではそれぐらいの時間が掛かる。恐らく五分ぐらいは、柱田の不満の声がBGMになるだろう。短い旅路のお供には十分すぎるぐらいだ。それまでに、撫子も少しはこの状態の柱田に慣れてくれるといいんだが。
それにしても、今更か。
話を聞いて俺には疑問点が残り続けている。思ったよりも、この話は早く着く。それぐらいに簡単な話なんじゃないかってな。ただ柱田の持つ事情が、単純な話をここまで拗らせてしまっているだけ。それだけの事で、その事情に対抗できる人が今まで出てこなかっただけだ。運が悪すぎた。なんて一言で片づけてしまえる程度の。
第一、遅すぎるなんて事はないだろ。
これまでが話さな過ぎたってのに、むしろ足りないぐらいだ。
言うだけじゃ足りないと悟ったらしい柱田が運転席の背中に打撃を加え続け、それを恐々としながらも覗き見る撫子を乗せて、俺は車を進めていく。
いい結果になればと、願いながら。
「はじめに言っておくんだが」
メニュー表を片付けて遠ざかっていく店員を見送りながら、俺は二人に真実を告げた。
「こいつ、案外チョロいぞ」
「は? チョロくないですけど? 戯れないで下さいよ先輩」
「そ、そうです! ねえさんはチョロくなんか……!」
「あーはいはい待て。抗議の前に待てお前ら」
戯れるとか聞いた事ねえ言い回しすんな。古風か。
お互いの間に流れる空気は最悪のはずなのに注文に遠慮が無かった姉妹は、揃って不満気に睨んでくる。しかし、無理やり押し込んだ対面の席を目いっぱい使って距離を保っている時点で語らずとも仲は最悪だと示してくるが。
間に一人が限界の、なんてことない空間ではあるが――その距離は、俺の知らない二人の間に積み重なった年月そのものだ。特に柱田にとってそれは、凝り固まった塊が城のようにそびえ立ち、へばりついているものだろう。ある意味では執着と呼べる強固なそれは、柱田を逃がさず憑りつき続けている。
それを今から引っぺがすんだ。いくら俺にとって単純に見えていても、言うは易しだ。実際に手を加える段階まで来たと身構えてしまう。ピッチャーから水を注いで飲み干し、喉を潤して準備を整える。
まずは、整理から。
「状況を把握するぞ。柱田は、その、なんだ。俺が唯一だと、そう認識している」
「違いますよ、先輩」
「は?」
いきなり出鼻を挫かれたかと、柱田の方に首が動いた。
その先の瞳はどろりと蕩けていて、日の光がまだ差し込んでいるのにこんなにも怖いと感じる事があるのかと逆に感心してしまった。
「認識じゃないです。確定で、真実です」
「……」
「そこは間違えないで下さいね? 私、悲しくなっちゃいますから」
「…………おう」
「司さ、いえ、お兄さん負けてます……!」
負けてな……負け……いや負けだわ。こっわ。
心臓止まるかと思った。えお前メドゥーサか何か? 目力こっわ。見開いているとか、目に見える変化はないはずなのに輝きが怪しすぎる。妖艶とかそんな言葉では片づけられない。ギラギラしているくせにハイライトは無いとか器用過ぎだろ。
やっべえ柱田の感情の重さ見誤ってたかもしれねえ。大丈夫かこのまま進めて? こんなドッキリ箱出てくるとか予想もしてなかったんだが?
それでも気を取り直し、いやだいぶ動揺している気もするがうるせえ! 取り直したんだよ! 黙れ正気の俺! こっから先は狂気しか生き残れねえんだよ!
脳内で天使と悪魔役の正気と狂気が争うのを感じながら、話を軌道に戻す。
「とにかくっ! 柱田は俺を唯一としていて、撫子とは長年の確執があって、怒りようを俺に見られてクソほど落ち込んでいる。間違いないか?」
「……ええ、まあ。言い回しは気になりますけどおおむねは。先輩よくそれだけ知ってて私を食事に誘えましたね? しかも当の撫子も忍ばせて。先輩じゃなかったら逃げてますよ? 感謝してくださいね?」
「信頼が重えなあ。俺何したんだよ心当たりねえぞ?」
「何もしなかったからですよ、先輩」
ええい甘い声を出すな! 公然の場だぞ!
まるで傍に血縁者がいないようにふるまっているが、肝心の妹が姉の出した声色に思いっきり驚愕していた。まあそりゃそうだよ。むしろ驚かない方がおかしい。撫子の知る柱田じゃあ絶対ありえないだろうからな。
なんだかうっとりしだした柱田をいったん置いて、続いてはと撫子に話を切り出す。
「で、撫子は姉を恐れ崇めと、まあ中てられ続けて柱田の地雷も踏み続けて、でも最近耐性が出来たのか正気を取り戻せたと。……俺日本語話してるんだよな? ここんとこ、こんな言葉ばっか言ってるけど」
少なくとも普段使いは絶対しねえ語彙ばっかじゃねえか。
「……えっ。あ、はい。そうですね。ねえさんに関わるという事はそういった不思議に向き合う事でもありますから」
「お前ぼーっとしてたよな」
「してません」
「してたよな?」
「してません」
プイじゃなんだよプイじゃ。一回姉の方向いて慌てて反対に頭回すとかもう語るに落ちてんだよ。なによりの証拠じゃねえか。
気持ちは分からなくはない。まさしく青天の霹靂だったんだろう。びっくりしてたもんなお前、思いっきり目見開いてたもんな。でも意固地になり過ぎなんだわ。何がお前をそこまで頑なにさせんだよ。
「呆けていた撫子はまあいいとしてだ」
「呆けてません!」
「お前は姉と仲直りがしたくて色々と手をこまていていたものの上手くいかないでいた。それであの日、俺と出会って一緒にいて、よりにもよって柱田の逆鱗に触れて激怒させてしまい、取り返しがつかなくなってしまったと思っている。違うか?」
「違いません! ……あ、違いません、はい。合ってます。一字一句」
「ついでに釣られやすいと」
「うぐぅ……はい。わたしは釣られやすくてタイミングも悪くてねえさんに嫌われている一抹の塵芥です……路傍の石以下です……外道にも劣る畜生です……」
「自分の下げにちょっと凝った表現盛り込むな」
なんというか、見ていて可哀そうになるぐらいパニクってるな。余裕を保とうとして失敗してる感が出てしまっている。
姉に挟まれる形で席の奥に押し込まれているから逃げ場も無い。瞳がグルグル回ってしまっている。落ち着くまで放置だな。
「で、まあ二人は幼い頃からの仲をずっと引きずり続けて今に至る訳だ。影響を及ぼした側と及ぼされた側、距離を縮めようにも拗れすぎてどうしようもない。おまけに俺という地雷が柱田に備わっていたせいで、前の一件がとんでもない規模の爆発になっちまった……」
「……まあ、ですね。先輩が関わるとあそこまで怒れるんだって初めて知りましたし」
「納得はしてないんだけどよ、俺もまあ、火薬の一部になってんだよな……」
あの場で偶然出会わなければ、ここまで姉妹仲が拗れるなんて事は無かったのは間違いない。三人だからこそ起きた化学反応が、柱田の心をとことん追い詰め撫子から未来を奪おうとしている。
そういうのは、避けねえといけない。
「……先輩は、悪くないですからね。私が自分を抑えきれなかったからいけないんです。ほんっと、子供です。ガキです。馬鹿ですよねわたしぇっ」
「そうやって一人で勝手に落ち込んでくなっつってんだよ柱田ァ」
ははは、こうして摘まんでやるといくら美少女とはいえ笑いどころの一つも生まれてくるな。タコみたいとはよく言ったもんだわ、まんまじゃねえか。
もちもちお肌は指の腹によく吸い付く。虚を突かれた柱田は急速に何をされているのか理解し逃れようとするが、無駄だ。こういった状況でお前が逃れられた試しなんてのは存在しねえんだよ!
「しぇんぱ、ひままじみぇな」
「なあにが真面目な話だよ、これからすんのは単なる話し合いで、その悩みもくだらなくしてやるつってんだよ覚悟しろよ柱田お前」
「はにゃへーっ!」
「はわわ、ねえさんが、はわわ!」
喚く柱田。急に興奮しだす撫子。
やっぱな、二人の根幹はこんな重苦しいシリアスめいた空気なんかじゃねえ。もっと明るい世界こそが似合ってるんだ。それを再認識する状況が狂っているが無視だ無視。必要経費だこんなん。いや撫子はなんかおかしくないか?
お望み通り離してやると、柱田は赤く色づいた頬を抑えながら涙目で睨んでくる。そこに先ほどまでの陰りは無い。それでこそなんだ、柱田は。
それでも拭いきれない暗さを纏っている二人に、俺は三本指を突き立てる。
「ようは、だ。二人は仲悪くて、柱田はぶちギレたの気にして、撫子は姉を気にして、俺はなんか影響受けないせいで柱田の特別に昇格してたと。そういう事だな? あんまそういう事言わせんなよ俺恥ずかしくなってきたぞ」
「先輩は特別なので間違ってないです恥じないで下さい」
「俺以上に俺の過激派がいるんだよなぁ!」
訂正の速度が尋常じゃねえ!
なにがきっかけで人が壊れるのか分かったもんじゃねえなとしみじみ思いながら、俺は話しを聞いてから常々思っていた事を突き付ける。
「俺はな、お前にこれだけは言っておきたいんだけどな」
「……なんですか?」
「気にし過ぎだ」
柱田は、その一言に機嫌を悪くして眼光を鋭くする。
「……だから、先輩にとってはそうでも私は――」
「違う。言い方を間違えたな……お前じゃなくてお前らだ。お前ら二人揃って気にし過ぎなんだよ、この問題は」
「わたしも、ですか……?」
「誰が、誰と一緒だって言うんですか先輩」
「お前ら全員だって言ってんだよ!」
自分が言われると思ってなかったらしい撫子も、反論してきようとした柱田も黙り込む。驚きでだ。俺が急に叫んだからか、とりあえず聞かせる姿勢は整えた。
ずっと、ずーっと俺は疑問だったんだ。そして改めて整理して確信した。確かに長い間の隔たりはあるんだろうが、それにしたってこいつらは、揃いも揃って過剰が過ぎるんだよ。極端にも限度がある。
「あのな、お前らアレか? メーター振り切れてんのか? そりゃいきなり確執を消化しようってのは難しいかもしれねえけどな、それにしたってどいつもこいつも感情爆発させ過ぎなんだよ大体が」
突き立てた三本指を左右に揺らしながら、まずは柱田に矛先を向ける。
「柱田ァ」
「な、なんですか」
「俺からも言わせてもらうがな、お前にとっては気にするもんでもこっちは全くこれっぽちも! なんとも思ってねえと断言しとくぞ。後な、そうやって自分を卑下ばっかすんのも止めろ。似合わねえんだよお前には」
聞いてて気分が悪かった。あんだけ自分を美少女だなんだつってた奴が、己に刃物を突き立てるように罵倒を繰り返している光景は俺にとって悪夢そのものだ。んなもん見せつけられ続けてみろ、止めたいって思うのは普通だろうが。
柱田の瞳に、力が宿る。虹彩に色が踊るようだ。不可思議な色彩は艶を増す。いつもの柱田の瞳だ。影が薄らいでいく。原因はどうあれ、元気が出て来てるじゃねえか。
テーブルに手を突いて、身を乗り出してくる。
「似合わないとかとそういう話じゃないんです! 私は、先輩に見られたくなかったというだけで――」
「この先ずっと隠し通せると思ったら大間違いだからな? いずれ絶対バレてたし、そうしたらお前は落ち込んでた。タイミングの話だ、たまたま早かっただけなんだよお前は。つかその特別扱いがまずもって間違ってんだ」
「間違ってなんて、そんなの先輩が決める事じゃないです! 先輩は私を変に扱ったりせず普通通りにしてくれた唯一なんですよ! 言いましたよね!?」
柱田にとって、そこは譲れない一線であるらしい。背水の陣を決め込んだ武士の如き決死さからも、それは読み取れる。
だけどな、それは過去形なんだよ。
「その時はそうだったかもしれねえけどな、今はそこの妹、違うだろ。お前の、その、何かを克服して、必死に距離詰めようとしてるじゃねえか。俺はもう唯一じゃねえんだよ。お前と普通に仲良くしたい奴は、俺だけじゃねえんだ」
「っ、それ、は……」
勢いが止まる。柱田も気付いてはいたんだろう。
前提が違う。柱田の嫌っていた撫子はもういないんだ。離れすぎて腕の動かし方も分からないままに、不器用なりに距離を埋めようと頑張っている少女がそこにはいる。嫌っていても、それがより酷くなる要素はどこにもないんだ。
怒りはあるかもしれない。激情を抱く機会はあるかもしれない。だが深まりだってしないはずだ。撫子は柱田を普通に扱おうと努力する、その一歩をもう踏み出している。
始まりは唯一でも、今はもう状況が違う。
柱田を取り巻く環境は、変わろうとしているんだ。
「そんで撫子」
「は、はいっ」
「お前は気負い過ぎだわ。上手くいかなかった分を埋めようとするのは分かるけどよ、性急過ぎるように思うぜ」
「……でも、そうでもしないとねえさんには」
「柱田の地雷を除いても……というかあれは純粋に事故だから除外してだ。それでも焦って距離を測ろうとして失敗する未来しか見えねえぞ俺は。一回怒らせたからって絶望までいってただろお前は」
柱田の怒りようは確かに怖かったんだが、撫子の場合はその受け止め方が極端だった。風が吹けば倒れそうな程ショックを受けるなんて、それこそ普通ではない。あれはそれだけ柱田との仲を改善しようと必死だったからで、勝手にもう後が無いと思い込んでないとそうはならないリアクションだ。
つまりは、焦り過ぎだ。いつから受ける影響とやらが減り始めたのかは分からないが、それまでが年単位なのは間違いない。修復不可能なものに思えても仕方ないだろう。
しかしだ。だからといってたった一回の失敗でなにもかも終わるような話ではない。
「そうですけど……でも、わたしはこれまで失敗し続けてきました。だから急ぐんです、だから焦るんです。それは、間違っていませんよね?」
「間違いとは言わねえがな、必要もねえっていってんだよ。撫子は柱田からの影響を克服しつつあるんだろ?」
「……たまに呑まれかけますけど、何とか堪えられます」
「じゃあいいじゃねえか。ゆっくり間を埋めていけばいいんだ。お前が焦る理由はもう無くなりつつある。後はもっと慣れていって、そんでちょっとずつ距離を縮めていく。これで解決じゃねえか、何を悩むことがあんだよ」
「……でも」
不服そうな撫子。柱田も二の口は紡げないみたいだが、だからと言いたい事が無くなるわけでは無いようだ。言語化し切れない思いは口の中に溜まっていき、頬がぷっくりと膨らんでいる。
まあ、すぐに納得するのは難しいよな。あくまで俺から見えた解決の糸口を話しているだけで、二人の過去を詳しく知っていない以上、当人たちからは部外者のやじにしか聞こえないのかもしれない。
「なあ、前提はもう崩れてんだよ。俺にだけ固執する……いや、し過ぎる理由は無いし、二人の仲は最悪だったんだろうがこれ以上は無い。後は改善していくだけだろ? 柱田は自分を普通に扱ってくれる人が増える。撫子は姉と仲直りをし続けられる。これで正解、解決、万々歳だろ?」
「リズム刻まないで下さいダサ先輩」
「あの、良くないと思いますよ……?」
「攻め口合わせんなや辛辣姉妹がぁ!」
それでも、俺にとってはもう解決の道しか見えなかったんだ。
というかその息ピッタリさはもう証明だろ。溜まった不満をここぞとばかりにぶつけてくんなよ急に。突きつけた指を順番に畳んでいったのは分かりやすさの為で拳を振り下ろすためじゃねえよ。
締まらねえ流れになってしまったが、これで俺の言いたい事はほぼ言い切った。
でも、まだ足りねえ。ここから最後の追い込みに掛からないといけねえんだ。きっちり手間を掛けてこそ後腐れも無くなるってもんだよな。
なにやら呆れた目でこちらを見てくる姉妹。なんでだろうなホントになあ!
「ったく……過去に色々あったのは俺も理解してるつもりだ。でももう、互いに歩み寄り方を探ってもいい時期だと思わねえか? そしたら柱田はもう撫子相手にキレる必要が無くなって、その様を俺に見せる事すらも無くなる。撫子は柱田と失敗しながら先に進んでいける。いいことづくめじゃねえか」
「む、ぐ……」
「んんん……」
互いを見合いながら、唸る二人。片方は遠慮なく、もう一方はチラチラとしながらだが、その間にある空気は少し和らいで見える。
俺の言葉に全部納得する必要はない。でも、きっかけ程度にはなれたはずだ。そのぐらいの手助けでも将来への希望は持てる結果が、ここにある。本来なら本当に、簡単に解決するはずだった事だと、改めて確信する。
「それにな、安心しろよ。特に撫子」
「わたし、ですか?」
ただまあ、これだけだと不安だからな。
犠牲になってくれ、柱田。
「初めもいったけどな、柱田はチョロいんだよ。気後れせず、リアクションに期待せず話しかけ続ければ絶対に仲良くなれるぞ」
「絶対……なんでそう言い切れるんですか? ねえさんがそんな簡単に絆されるとは思えないです」
「ああ。だってな、俺がそうだったからだよ」
「……んん?」
雲行きの怪しさを察し始めた柱田が反応する。反対に、心当たりがない撫子は小首を傾げてきょとんとしている。
それに構わず、俺は続ける。
「コイツだって最初からこんなだったんじゃねえんだよ」
「こんなってなんですか。っていうか先輩、ちょっと待ってください」
「接客業選んだくせに愛想が無くてなあ。なんで店長も採用したんだってぐらい、むしろ冷たい態度でな。今思えば店長も撫子同様びびってて思わずしちまったんだろうが、ともかくだ。俺相手にも、ほかの同僚相手にも、客相手にだって睨んでたぐらいだったんだ」
「ねえさん……」
「あの待ってくださいこれマズい流れなのは分かりますねえ先輩待って!」
思わずといった感じで手を伸ばしてくる柱田の顔面を掴んで制止する。なんだよお前の妹を安心させる最善の方法だぞ、何を焦ってんのか分かんねえなあ柱田?
俺は、撫子とは違う。そもそものスタートダッシュに躓かなかったおかげで、柱田の唯一という称号すら獲得した人間だ。何故かは知らねえ。多分伏花は知ってんだろうが、明かす気は無いらしいからな。それなら俺はこの先、偶然以外で知る事は無いだろう。
だがだ。そんな俺でも、柱田相手に初めから仲が良かったかというとそうではない。順序があって、道があって今に至る。その流れは、別に特別なもんじゃねえんだ。
「それでも、俺にとっては初めての後輩だったからな。まあこんなもんだろうと思って諦めずに話しかけ続けてたら、少しずつ言葉を返してくるようになってったんだ」
「そうなんですかっ。あのねえさんが、話を聞いてくれるなんて」
「孤独をこじらせてただけで多分、会話そのものには飢えてたんだろうな」
「んむぅぅぅっ!」
なおも俺を止めようと奮戦する柱田がなんだか可哀そうに見えてきたが、止まる理由にはならねえなぁ。
遠慮しながらもわくわくして目線で先を促してくる撫子のリクエストにお応えする形で、柱田との歴史を語ろうじゃねえか。
「そっからが早くてなあ。あれこれと俺の趣味を教え込んでいったら吸収して、さりげなく話題に出してきたりしてたんだわ。ほんとさりげなくな。んでも柱田の方から話しかけて来たりとかするようになっていってだな」
「かわいい……!」
「むぐぐぐぐぐぐぅ……!」
いい加減俺を止めようとしても無駄だと悟ったらしい。柱田は見えない机の下で膝に手を添えているだろう肩のいからせ方をしながら、不満たっぷりの眼差しで俺を睨んでくる。耳まで赤くなっていってるのは、羞恥心か。
そうだろうな、柱田にとって俺の話はある意味黒歴史だ。妹相手に冷たい対応を取り続けていた人が、その一方で他人と打ち解けていく様をまざまざと語られれば恥ずかしくもなるわな。
自分を理解してくれない人と、柱田は常に距離を取り続けていた。つまり、絶対に明かしていない一面があるという事だ。それは恐らく、胸の内にしまっておきたい類のやつ。
どうやら合ってたみたいだな。
「これなら大丈夫そうかって俺はその時思ってたんだが――ある日、柱田がシフトの時間になってもこなかったんだ。連絡もねえし、なんか事件に巻き込まれたんじゃねえかと俺は店長に連絡して、店の事をお願いして探しに行った。柱田は美人だからな、そういう輩に絡まれていても不思議じゃねえだろ?」
「そんな事があったんですね……いえ、ねえさん相手にはたとえ不審者でも手は出せません。その前に圧倒されてしまいますから」
「そん時は知らなかったんだよ。つーか柱田がなんか変だって気付いたの、コイツの学生証渡しに行った時だからな?」
「にぶすぎますよ」
「急に刺してくんな自覚あんだから」
「……先輩のいじわる、いじわる、いじわるぅぅぅぅ……!」
睨む人が一人増えた。なんでだよ。
「そん時は雨だったな。方々探し回ってようやく探し当てたわけだ、柱田を。理由を聞いてみたら急に色んな事が嫌になったんだと。多分、その柱田の事情……いやもう魅了とかでいいか。その魅了のせいでストレスが溜まって、いよいよ爆発したんだろうな。どうだったんだよ柱田」
「……ここで私に聞いてくるんですか!?」
「足りめぇだろお前しか知らねえんだから」
「ええそうですよ! その時はなにもかも嫌になってました! 相変わらず周りは正気じゃないし! 非常にご迷惑をおかけしましたこれで満足ですかバカ! バカ先輩!」
「ははは」
「ふぎゃーっ!」
ひっかこうと爪を立てて振り下ろしてくる柱田の手首を掴んで止める。姉の奇行よりも話の続きが気になるらしい撫子は瞳を輝かせて続きを待機していた。
そこにはもはや暗さや陰りなど無い。
なあ、気付いてんのか柱田。お前からも険が取れているのを。こんなにも簡単な事だったんだって、分かってんのか?
「これは苦戦するかと思ったんだがな、柱田を連れ戻すのは簡単だった。なんせ抵抗が無かったからな。普通に手を差し出したら、普通に握ってきたんだわ」
「ねえさん……!」
「なぁぁぁぁ……もぉぉぉぉぉ……」
「あっさりし過ぎだろ? なんで逃げ出した割にそんな素直なのか聞いてみたんだわ。そしたらコイツ、めっちゃ崩れた、二ヘラって感じの笑顔でな」
その行いこそが、柱田にとっての唯一だったらしいが。撫子だって同じ行いをしたはずだ。
でもまあ、その時に必要だった行動が取れたのは、誇らしくあるかもしれねえな。うん。
「もう大丈夫だって思えたからって、そう言ったんだぜ?」
「ねえさん……!!」
「あー! ああー! あああーっ!」
柱田、陥落。
机に突っ伏した柱田が叫ぶ。顔は見えないが、そこまで赤くなるかという程色づいた耳が隠し切れていない。撫子はそんな姉をキラキラ顔で見下ろしていた。これはもう勝負ありだろ。姉妹格付けだわ。
「だからな、撫子。根気よく続けてみろ。それを受け入れられない程柱田は度量が狭くはねえし、わだかまりも解消出来るはずだ。コイツと仲良くなっていけた俺が保証する。障害が無くなったんなら、きっと仲直り出来ると思うぜ」
「はい……! わたし、頑張ります。ねえさんと、仲良く……!」
「あぁぁぁぁぁぁ……恨みますからね、先輩ぃぃぃぃぃ……!」
組んだ腕の隙間から瞳を覗かせる柱田。涙目で心底恨みたっぷりといった感じだが、妹相手に見せていた冷徹さも、俺に対する恥も薄れているように見える。普段通りの、調子に乗って失敗してやかましい柱田の雰囲気が戻ってきている。
柱田には察せられないように、胸を撫でおろした。重荷が下りた、そんな気分だ。
両手をグッと握りしめて意気込む撫子と、柱田の距離は若干縮んでいた。それでも少しだ。あれだけ威勢のいい事は言ったが、実際の所どう転ぶかは俺も分からない。上手くいくかもしれないし、これから先もっと拗れてしまう可能性を否定はし切れなかった。
結局俺がしたことは、勢いに任せてでしかない。おまけに柱田に恥じらいの感情を引き起こして、抱いていた怒りや後悔をうやむやにしただけだからだ。
年月が積み重ねた確執の深さは、そんな一時しのぎでどうにかなるものではない。事そのものは簡単でも、紐解けても。それによって生じた傷跡までは、直していけるか確定できるようなものでは無かった。
それでも大丈夫だと俺は思う。思って、言い続ける。
だって、そうじゃないと駄目だろ。
「ほれ柱田、飯が来たぞ飯が。いつまで伏せてんだよ」
「誰のせいだと思ってんですか先輩ぃぃぃ……ほんっとに覚えといて下さいよっ!」
「希望が持てたらお腹がペコペコになりました。ありがとうございます、お兄さん」
並べられていく料理。食器を取ろうと手を伸ばして、柱田と撫子の距離が縮まる。
互いを見やる。間に走った色が何かを、俺は知る由が無い。
だが、離れた後の二人の顔を見て、俺は確信を強めた。
そうだ。柱田に苦しみは似合わない。その道は相応しくない。
今、柱田が歩もうとしている行き先を、その顔に見て。その先の未来を見て。願って。
「柱田ー。元気かー?」
「元気じゃないですぅぅぅ」
「ペコペコ」
「ぬああ! それしか言えないんですか撫子ォ!」
「落ち着け!」
普通に怒る柱田へ、俺はデコピンを一発かました。