「終わっちゃいましたね、お仕事」
「だな」
「暇です先輩、何かしてください」
「何をだよ、芸も何もねえぞ俺は」
「ほんとーになんでもいいんですよー。それだけで面白いですから先輩」
「……それ褒めてんのか? 珍獣扱いされてねぇか?」
「や、やだなせんぱ、ぷふっ。ほ、褒めてま、ますよっ? ふふふっ、ぷふーっ!」
「どの口がほざきやがる貴様ァー!」
「にゃぁぁー!」
今日も今日とてバイト日和。
なのは良いが、それだけでは済まないのが我がコンビニだ。圧倒的空虚と今クソほど時間を無駄にしてんのに金発生してんだよなという世の無常を同時に味わえる何とも濃い空間となっている。
どうして潰れないのか、なにか非合法な理由でもあるのか、その場合俺巻き込まれてないか……なんて妄想をするのが楽しみになるほど客がいない。
そのくせ商品の補充は滞りなく行われていくのがマジで謎だ。廃棄したの好きに持ってっていいとかいうロックな貼り紙が張られているから、少なくとも決定に人の意思が介入しているのが恐ろしいぜ。
そんなわけで俺と柱田はいつものように、推定五桁に届くかどうかという売り上げの入ったレジの前ではしゃいでいるのだった。誰が生きてるだけで面白いだこの野郎。
相変わらず片手でも掴みやすい頭を揺する。しかし締めが甘かったのか、柱田はするりと手を抜けて飛び退き俺を睨んでくる。
「なにするんですか! 今ので私の貴重な脳細胞が減ったんですけど!」
「その脳細胞が俺を笑うのがいけねえなぁ。的確に殺してやったぜ」
「わー先輩の手マジックハンドだー! んなわけないでしょ殺しますよ」
「うお急な殺意、ってうおおっ!」
一瞬で構えを取った柱田から伸びてくるストレートを寸での所で躱す。そのまま柱田は一、二回シャドーを打つと冷徹な目線を送ってくる。
何がそんなに気に入らねえんだよ。
美人が怒ると怖いってのは本質を突いた言葉だ。今の柱田クソこええ。
軽快なステップで近づいて来る。キュッキュッと靴底が摩擦で音を立てる。即興にしては随分と様になっていた。こういったコツを掴むのが柱田は上手い。惜しむべくはとても非力で弱い生き物であるという点か。
要領がいい奴だけでなく顔もいいんだから羨ましいったらないなオイ。
「やめ、お前やめろっ! 雰囲気だけはマジだからこえーんだよ!」
「うおお脳細胞の仇ぃーッ!」
「急にIQ下げんなッ!」
おふざけって一瞬で分かったわ!
こういう場面でマジ切れしてんのか分かりづらいのは顔の造りがいい弊害だ。未だにすぐには分からないから参ったもんだぜ。動画見ててたまに出てくる外人とか無表情が既にいかめしいからな。多分それと同類だろう。
いやあんなのでぶちぎれてたらそれはそれで恐ろしいが。
冗談にしてはスピードと体重の乗った一撃を、俺は何とか受け止めた。華奢な拳が手のひらに収まる。見切るのも一苦労だ。
「あ、捕まった」
「じゃねえんだよ柱田ァ! 何事かと思ったわ!」
「ええー冗談も冗談じゃないですか。まだまだですね先輩。柱田検定失格です、再試験は次のシフトの時なので復習しといてくださいね?」
「受けた覚えが無いんだがぁ……?」
「常に試されてるんですよ当たり前じゃないですか」
「北海道じゃねえんだよ俺は」
さっきからなんで上からなんだよコイツ。
「かもしれないじゃないですか! 先輩無駄にでかいんですし!」
「無駄にをつけるな無駄にを。いいだろうが別に困るわけでもない」
「私が困るんですよ! いっつも見上げてそろそろ首が痛くなってきました! 縮んでください速やかに!」
「出来るかアホ! 何をそんな元気に……おい」
「なんですか?」
「なにしてる?」
気付いた。
いつの間にか捕まえていた手が解かれ、柱田の手が重なっている。指が絡み合い、自分と異なる体温が肌を撫でる。無性にこそばゆい。やけにゆったりとした動きも相まって、むずむずとした感覚が腕の中を駆け巡っているようだ。
柱田はさも今そうしていると自覚したみたいに、わざとらしくまばたきをしたかと思うとニヤつき始めた。
「何のことですかねぇ?」
「見りゃ分かんだろ」
「そーですねぇ……捕まえちゃいました?」
やんわりと、目を細める。
……やっぱ顔がいいのズルだわ。
思わず見入ってしまう、絵画のような笑みだった。
手の形だけなら取っ組み合いのそれだ。色気も可愛げもない。逆さにすれば恋人繋ぎになるんだろうが、こいつはそんなのを意識してはいないだろう。ただ、繋がった手のひら同士を見つめてはにへらと笑っているだけだ。
今、どんな感情なんだか。
さすったり、指を順番に動かしたり、擦り合わせてみたり。俺の手を使って柱田は、この状態で出来る事全部やってしまおうとばかりのはしゃぎようだった。心の跳ね具合が、直接伝わってくる。
「にぎにぎ」
柱田が手を、指を動かすたびに境界線が無くなっていくようだ。
握りしめ、感触を伝えてくる。それはまるで子猫がじゃれているような柔らかい感触だ。女子の中でも非力な部類に入るだろう力加減。拳を受け止めた時にも、全然痛くも無かった。しかし今の俺は、そんな相手にされるがままだ。
綺麗に磨かれた爪は、いつもの輝きを放っている。最初に出会った時には特に整えていなかったのを、なんとなく思い出した。
「……柱田」
そんな、俺の手を弄り回して楽しんでいる柱田に。
俺は、伝えなければならない事がある。
「お前――」
「……先輩?」
柱田が見上げてくる。確かに首を痛めそうだ。不思議な輝きを放つ瞳は、もはや見慣れてしまった透き通る赤。
その赤に宿った色が何なのかも分からず、俺は真実を告げた。
「――手汗案外凄いんだな」
「えっ。あ、な……んも――――っ!!」
思い切り手を離された。そのまま柱田は腕ごと隠す様に背を向け、首だけ振り返って睨んでくる。
いや、だって仕方ねぇだろ。そのままにさせてたらその内にちゃにちゃ言い出しそうなぐらいの量だったんだぞ。一時間もしたら小瓶に詰めれるってマジで。
「先輩ッ! 先輩はなんでそう先輩っぽいんですか本当にっ! 普通そんな事言いますか!? 今何かこう、何かいい感じだったじゃないですかっ!」
「言わなきゃだろ! 見てみろてっかてかじゃねえか!」
「いいじゃないですか美少女の汗ですよ!? ありがたく受け取るものなんでしょうネットに書いてありましたよ!」
「そのネットは間違ってんだよ!」
誰だコイツにその手のサイト教えたのは! 限られた領域にしか通じないノリなんだよそれは!
「え、そうなんですか?」
「美少女だろうが汗は汗だわ! 後で誰がその事教えたか言えよ……!? 柱田にはまだ早いって言ってやらねえとな!」
「いえあの、色々調べものする過程でそんなのもチラリとですね」
「お前が行き着いたのかよ……えぇ……?」
「は、はい」
いったい何を調べてたのかは非常に気になるが……止めておこう。柱田みたいな奴が自力で辿り着いてしまった時点で、プライバシーに著しく接触しそうなワードしか飛び出てこなさそうだ。何が出てくるか分かったもんじゃねぇ。
聞き出しはせずとも、今は間違いを訂正しなくてはならない。うっかり他の奴と一緒にいる時にそんな事言いだしたら空気が凍る。柱田をエタフォ使いにするわけにはいかねぇ。
「ともかくだな、雫が触れたとかならともかく、面積があんだよ今のお前」
「……あの、面積って言うの止めてもらっていいですか? なんかすごい嫌なんですけど。」
「お前の手から放出される湿度がだな!」
「湿度って言うのやめて下さい! めちゃくちゃ生々しいじゃないですか!」
「生々しいっていうか生だろ原料出てんだよ原料が!」
「原料っ!」
「いってえっ!」
謎の叫びと共に手をはたかれた。
基本コイツオウム返ししかしてねえぞ。言葉の選び方は、まあ自分でもどうかと思い始めてはいるが。でもそういうしかないだろ他に例えようが無かったんだから。
しかし今ので、柱田も自覚したんじゃないだろうか。なにせ俺の手と触れた瞬間、思い切りぬるりと肌が滑ったのだから。おかげでダメージは最小限に抑えられたが、ぬめり気のある感触ははたいた本人にも伝わっているはずだ。
振り抜いた姿勢のまま、柱田は固まっていた。
その目は驚きに開かれており、続いて段々と頬が赤くなっていく。唇を加えてわなわなと震えながら何かを耐えている様子は、こっちの罪悪感を刺激するほどかわいそうだった。
知っちまったか、柱田。
あの一瞬でも確かに感触として伝わるんだから、その量も相当なものだ。嫌でも自覚せざるを得ないだろうよ。
柱田は信じられないものを見るように己の手のひらを見つめると、俺の顔と手とを行ったり来たりさせる。一往復ごとにどんどん顔に熱が灯っていく。
手汗どころじゃないだろもう。全身だらだらなんじゃねえかコイツ?
「……あの」
「お、おう」
あんまりにもか細い声だったからどもっちまった。
なんというか、ちゃんとそういう所気にしてはいたんだなという安心と、今にも消えるんじゃないかという不安感が同時に押し寄せてくる。なんで今まで気付かなかったんだよその取り乱しようで。
「私、こんなに汗出てたんです、ね……?」
「まあ、ぬるってたからな……」
「ぬるって、ぬるってたって……ち、違いますからね!?」
かと思えば顔の火照りはそのままに、勢いよく見上げてきた。綺麗な虹彩が近い。平時であれば多少は見惚れていたかもしれない神秘的な輝きだが、焦りが前面に出てたらそれも台無しだ。
目に見えて動きが忙しい。漫画なら残像で描かれてそうなぐらい手をぶんぶんと振っている。縦に。ホッピングかな?
「ふ、普段はこんな事になりませんから! 先輩と手を合わせていたからこうなっただけで、汗なんて殆ど掻いたことないんですからね! 女優並みに汗搔かないんですから! 人間かどうか疑うぐらい!」
「女優は人間だろうが化け物扱いすんな」
「とにかく! これは例外なんです! なんですかぬめってるって!」
「言ってねえよ」
似たのは言ったけど。
「つまり、その、これは……そう! これは先輩のせいなんです! 私の汗の可能性を引き出したのは先輩なんです! なにしてくれてんですか!」
「責任転嫁もいいとこじゃねえか! 知らねえよ発汗の才能なんて限定過ぎるわ!」
「そうですよ転嫁ですよ責任取って下さいよ!」
「無茶言うな!」
こいつ勢いに任せれば押し切れるとか思ってねぇか?
必死過ぎてなんかもう見てらんねぇよ。なにがそこまでコイツを駆り立てるんだ。
俺個人の感想ではあるが、柱田の汗ならそんなに気にはならないんだがな。結論拭きゃいい話だし。どんだけ美男美女だろうが汗まみれでべたべた触られたくないのは本音だが、しかしまあ、柱田ならな。知った顔のよしみだぜ。
……それをコイツに知られるのはなんか恥ずかしいから黙っておくか。
すまん柱田、俺のために犠牲となれ。人柱。
「つーか柱田」
「なんですか!」
「俺のせいとか言ってるが、なんでだ?」
「……え」
「なんで俺と手を合わせると汗が出てくるんだよ。そこが一番の謎だろ」
柱田はどうしても俺のせいにしたいみたいだが。
コイツの言を信じるなら、本当に今回が初回も初回。だというのに柱田には、原因に心当たりがあるらしい。
冗談の可能性もあるが、それにしては妙に確信めいている。柱田の中ではなんらかのロジックがあって、その回答に行き着いたと考えるのが自然だ。そして俺には、それを聞き出す権利がある。
人のせいにするなら追及されるのも仕方ねぇよなァ!?
「え、あの」
「なんだよ」
「えっと、えぇー……?」
問いただし始めた途端、柱田は言い淀んだ。
さっきまでのこっちに突っ込まんとばかりの勢いは無く、なぜかもじもじとし出した。指先を合わせてすりすりしている。口元は手で隠され、目線はあちらこちらへとさ迷い始めた。
大変に乙女っぽい仕草なんだが、急にされるとなんか怖えな。
……なんか不安になってくるな。そんなに言い難い理由なのか?
「それは、その……手、先輩に、手を、手が、初めて……」
「……手? 初めて?」
「だからぁ……せんぱぁい……」
そんな甘ったるい声初めて聴いたわ。
しかしなにが言いたいのかよく分からんな。もう少し情報が増えねぇと実像が浮かばない。
明らかに柱田は困っているんだが、こっちもなんか無性に気になり始めていた。最低限聞き出さないと気が済まねぇ……!
「なんだよ柱田、もっとはっきり言えよ」
「うぅ……その、えっとぉ……!」
「ほれほれどうした」
こんな弱ってる柱田新鮮だな。つついちまおう。
不意打ち気味に頬を押し込む。柔らかな弾力。触り心地は抜群だ。マシュマロみたいって言葉本当に使う時あるんだな。
「――ぁ?」
最初、何をされたのか分かっていない様子だった。
「う」
俺の指と顔をゆっくりと見比べて、ただでさえ大きな瞳を限界まで見開いて。
「うなぁぁぁぁっ!」
「ぐぁぁぁぁぁっ!」
思い切り正拳突きを放ってきた!
とんだ不意打ち返しだ、もろに喰らったせいで蹲ってしまう。調子に乗り過ぎた……!
しかも柱田はそこで止まらず、追撃を仕掛けてくる。連続突きだ、五連続は卑怯だろうが!
「もー! もーもーもー! それは今やっちゃダメなやつですからね! 時と場所を考えて下さいよもー!」
「ぐぉっ、やめっ、やめろ柱田っ! いくらお前でも本気の拳はそれなりに痛い!」
「止めませんよ何言ってるんですか! いい機会です!」
一旦動きを止めた柱田は、両手を大きく広げて身構えた。
今度は何を仕掛けてくるのかと、俺も警戒していた。
そのはず、だったんだが。
一瞬足に力を入れた。そこまでだ、見えたのは。
目にも止まらぬ速さで踏み込んできた柱田は、俺の手を掴んでいた。さっきと同じ、指を交わす組み方だ。まったく追えねぇ。出だしと結果だけが、俺の脳で認識できる限界だった。過程を抜き去り結果を得たと、そう見えても仕方のない鮮やかさ。
コイツ、掴んだコツを昇華してやがる。さっきのシャドーから発展させたな?
何でこう身体能力自体は普通以下なのに、動かす能力は図抜けてるんだよ。素人の身体にプロの技術だ。天才肌ってのは恐ろしいもんだな……の割にやる事はえへえへ笑って俺をからかっては自滅するだけなんだが。得られる結果が基本馬鹿でしかねぇ。
柱田め、さては本気を出していなかったな? 悔しいが完敗だ、どんな戦いかは知らんが。
敗北感を抱いた俺の手を捕まえて、柱田は。
「先輩は乙女心を全く分かってないようですね……! 罰としてしばらくずっとこのままですからね! 覚悟しておいて下さいっ!」
「……お、おう」
何がしたいんだコイツ?
いや、意図は分かる。恐らく柱田はさっきの汗のくだりから、俺の手をべったべたにすれば自分を怒らせた相手は嫌がって何かしら反省するだろうと考えたんだろうが……詰めが甘いなんでもんじゃない。
自分も恥ずかしい思いをするって分かってんのか? さっき散々それでお前赤面してたんだぞ。
盛大な自爆でしかなかった。
「へ、へへへ……! 絶対離しませんからね、先輩ぃぃぃぃ……っ!」
「……あー、いや、いいんだけどな……?」
駄目だこりゃ。
柱田はグルグルと目を回していた。さっきよりも顔が真っ赤になっている。どこからどうみても混乱してますねありがとうございました。柱田先生の次回作にご期待ください。
次来る前に死にそうなんだがコイツの場合。恥ずか死にだ恥ずか死に。
多分恥が高まり過ぎて視野が狭くなっているんだろう。初めて会った時はもっとこう、冷めた感じでこんなおまぬけではなかったんだが、いつの間にやら随分とポンコツだ。人って変わるんだな。今では強く実感できるぜ。
凄まじい動きをしたとは到底思えない非力な握力を両手に感じながら、俺は天井を見上げた。
蛍光灯の明かり、強弱を繰り返す、時間が流れている。
一体いつ、こいつは気付くんだろうな。
いづれ来るだろう時を、俺は待ち構えていた。多分、楽しみにしてるんだろう。わくわくしているのだと、心臓は主張していた。
――その後、冷静になった柱田は自分の手が何をしているかを見つめて一瞬固まったあと、もはや声にもならない悲鳴を上げて逃げようとした。
俺は逃がさなかったがな。がっしり掴ませてもらった。しばらくそのまま観察させてもらったが、最終的に諦めてまたにぎにぎしてきた段階で離すと力なく叩いてきた。膨らんだほっぺが柔らかそうだ。
ははは。