他とは違うからこそ、人は惹きつけられる。
種類も項目も重要ではない。善か悪かの違いではない。平均から大きく逸脱した存在というのは、それだけで周囲に影響を与え、認知されるのだ。
それが学校であるのならば、常に優秀な成績を収めれば。部活動が大きな賞や大会に出て結果を収めればどうか。現役でモデルをしている、披露出来るだけの一芸がある、ボランティアに精力的に活動するだけでもいい。
普通と違う行いは、能力は。人を群衆から個人へと変える。
そしてその違いが大きければ大きいほど、個人としての存在が膨れ上がる。ただ日常を過ごしているだけでも耳に入るような、一際独立した存在だ。
その一点において、柱田陸奥という少女は入学した当初から特別だと言えた。
「……」
窓際の席に座り、頬杖をついて外を眺める。
ただそれだけの立ち振る舞いが、まるで壮大な絵画に映る。
美貌だけなら、珍しくも実在しうる。人を魅了し、校内の噂になってもおかしくはない。それだけの容姿もまた才能であり、人を固有めいた位置に押し上げる要素だ。時に嫉妬されながらもクラスの中心に容易に溶け込み、周囲から一目置かれていただろう。
しかし、柱田の場合は次元が違った。
陽光を浴びる肌は恐ろしいほどきめ細かく、触れればどれほどの感触なのかを空想させる魅力にあふれている。ぱっちりとした目元は今は細められているが、縁取るまつ毛の先まで煌びやかに輝いているようにも見えた。ほんのり桜色に染まった唇、スッと通った形のいい鼻梁。頬の輪郭はやや幼げな丸みを帯び、年齢を隠すベールのような、見る者の想像に任せる余地を産む。細く形のいい眉毛の作り出す表情は、作り物めいた精度で整っていた。
紫のメッシュが入った、金を糸状に伸ばして束ねたような髪が揺れる。
不可思議な色合いの麗髪が風になびくたびに、それを遠巻きに眺める男子生徒の胸は高鳴り、同時に近寄りがたいという思いが胸の内を支配し始める。
造りは確かに優れている。しかしながら、その奥に潜んでいるものも同時に感じ取ってしまう。触れはおろか話しかける事すら戸惑わせる、基底から異なる異質なものを。
それは、人の力で作られたとは思えない規模の、朽ち果てた神社を前に人が感じ入るものにも似ていた。美しくて、恐ろしい。近寄ろうとも思わない。不用意に近づけば、己の身に何かが起こりそうで。だから遠巻きに眺め、距離を置き、どうか祟らないでと祈る。あるいは瞳を曇らせ、崇拝もするだろう。なんと神々しく、光り輝いているのだろうと。
畏怖。
心に、精神に。恐れと信仰を想起させる神秘的な空気を纏った少女。
それが、柱田だった。
クラスメイトは寄り付かない。教師でさえ語り掛けるのを拒否している。誰もかれもが柱田の醸し出す雰囲気に当てられ、そして恐れて遠ざかっていく。それでも重力が捻じ曲げられたかのように引き寄せられてしまう。意志と関係なく、それは常人の必然であった。
浮いているとかそういう規模の話ではない。
異常だ。
指を伸ばし、言葉を語り、ただ動くだけでも周囲を魅了する。圧倒し、屈服させる。そんな事が出来てしまえる人間は、果たして人間と呼べるのか。魔性であり、古くは迫害さえ受けてきただろう魔女にも似た異質さ。
柱田は人外じみていた。人の世には溶け込めない異物であり、孤高であった。
一年と少しが経っても、その評価は変わらない。
近づけば近づくほどに発せられる圧は強まるのだから、柱田の周囲には広い空間が出来ている。一見して排斥にも取れる行いは、しかし咎められない。自分が同じクラスで過ごすのならそうしてしまうと分かっている。教師陣でさえも、どう触れればいいのかを示せないからだ。
所用で話しかけるだけでも、勇気のいる行為だった。その姿を見る柱田の目線は冷たく、瞳に映ってはいるが見ていない。受け答えは普通の人と特段変わりはないが、相対するだけでも体の震えが止まらなくなる。
恐れているがゆえに陰口は無く、さりとて親密な仲の者もいない。なれるはずがない。柱田はそんな人々を無感動に眺めながら、淡々と日々を過ごす。それがこの学校における柱田の全てであり、柱田を知る者にとっても変わらない普遍足る事実だった。
だが、ここ数日の間にその評価は激変していた。
「……あ」
柱田がぽつりと声を零す。
スカートからスマホを取り出すと机の上に置き、手慣れた操作でアプリを起動する。届けられたメッセージを確認しては瞳を輝かせ、返信を打っては反応を待ち続ける。振動と共に返ってきた文章をさっと読んでは、また返信を繰り返す。
「ふふっ」
花を手に持つ少女のような、ささやかな微笑み。
それだけで、周囲に振りまかれていた威圧じみた空気はその質を一変させる。華やいだ暖かなものへと。息が詰まっていた女子はやっと楽な呼吸になったと深く息を吸いこみ、気持ちが落ち着かなかった男子は平静を取り戻す。
柱田の手元で会話が進行するにつれ、冷たいばかりだった表情は鮮やかな色彩を見せた。笑い、不満気にし、照れたかと思えば喜びにほころぶ。人外から人へと変貌する。同一人物とは思えないほどの、劇的な変化だった。
「んもぉ……」
困ったような、嬉しいような。悩まし気な声を上げながら、柱田はひたすらに会話に集中する。シューズのゴム底がリズムを刻み、左右に揺れる体が機嫌のよさを表している。
たったそれだけの振舞いが、どれほど珍しい光景なのかをクラスメイト達は知っている。柱田が入学してから、嬉しそうな顔など一度も見せた事は無い。あるのはただ凍てついた態度だけで、氷解している姿というのは誰にとっても初めての事なのだ。
少ないながらも変化はあった。柱田が二年に進学してから、時折誰かとアプリで会話をしている様子は目撃されていた。相手は誰だと噂にはなったものの、柱田は無表情のままであったからあくまで噂止まりだった。
それが今では、隠す様子もない。むしろ見せつけるかのように豊かな感情を零すままにしていた。
きっかけが何であるかは、学校中が知る所にある。恐れ、時には崇拝されていたからこそ、柱田の身に起きた変化は師走の如く校内を駆け回った。
その人物こそが、柱田の変化の要因なのだと。
バイト先の先輩で、柱田が忘れていた学生証を届けに来た。そこで柱田と普通に喋り、気軽に触れ合って盛り上がっていた。挑発されては制裁し、からかいに慌ててなだめようとし、抱き着かれては何事かを叫んでいた。
そして最後は和やかに別れ、また後でと。そう言われていた男。
日ごろから柱田の圧を受け過ごしている人からすれば、その行いはまるで常識から外れていた。普通に話し、普通にやり取りを繰り広げ、普通に約束を交わす。まるで柱田の異常性を気にもせず、当たり前のように接していた。
それは、例え望んでいたとしても得られないものだ。
その男のように接しようとすればたちまちの内に心が悲鳴を上げる。遠くに置き、近づこうとする事すら出来ない少女なのだと身をもって体験しているからこそ、男の存在は青天の霹靂だった。ありえからざる存在が、ひょっこりと姿を現したのだ。
男が来てから、柱田は変わった。
時にスマホを取り出してはそわそわとしだし、届いたメッセージに対して豊かな表情を見せるようになった。男を相手にした柱田が冷徹とすら言える寒々しい横顔を一転させ、じゃれて懐いて構い倒していたその時のままに、どこまでも安心し切った顔を見せるようになった。
慕い、好意を抱くままに行動する。隠そうともせず感情を曝け出し、相手をどう思っているかを周囲に見せつけるようにする。神秘的で、だからこそ得体のしれなかった少女からの、一方的なコミュニケーション。
周囲の評価は変わった。せざるを得なかった。神秘のベールは剥がれ、その奥に潜む人間性を、柱田は自ら公開したのだ。
怪物に見いだされた共通点。同じ人間であるという安心感は、それまでの距離感から一歩近づこうという思いを一部の人に思わせた。いかに異常な気配を纏うとはいえ、その見た目は整ったもの。理屈抜きで惹かれる人物というのは存在しいえた。
「は、柱田さん」
「あっ、おま、馬鹿」
「……」
「た、楽しそうだね。それってもしかして、噂のあの人と――」
しかし、アプローチを試みたものは即座に知る事になる。
たった一人との特別を邪魔された柱田が、どれほど恐ろしくなるのかを。
「誰、ですか?」
「――ッ!」
一言、発するだけ。
それだけで話しかけた男子の身には、まるで皮膚全体が凍り付いたかのような感覚が襲い掛かる。極寒。錯覚だと分かっていてもなお耐え切れない、常軌を逸した敵意。
ただ不愉快だと睨みつける。そんな何気ない行いが相手に与える影響としてはあまりにも攻撃的だ。柱田が人間の世界に溶け込めず、浮いてしまう理由はそこにある。心の揺らぎ一つとて人が受け止めるには難しいほど、与える力が膨れ上がってしまう。
柱田は怯え、固まる男子を一瞥し、ああと思い当たる節に声を出す。
「そうですね、当然ですか。あの姿を見て、勘違いする人も出てくるものですよね。いえ、いえ、そうでしたそうでした。もとよりそれ込みでしたから、狙い通りとも言えますね」
「……っ、ぇ」
一人納得する柱田に、男子は何も返せない。呼吸が浅くなり、それが出来るようになるまでに消費した酸素を取り込むにはまるで足りない。逸れた意識が男子に、僅かな息を許していた。
「むしろ警告を忘れていた私の落ち度ですね。すみません」
謝りながらも、怒りの圧はまるで収まっていない。柱田にとっては、ほんの僅かに苛ついた程度ではあるが、それを向けられる当人にとっては生き地獄の時間だ。
「ですが――」
柱田の瞳が、男子を射貫く。再び息が奪われる。
柱田は意図して行使していた。己の身がいかに異質であるかを理解していた。十七年間の経験則は、その異質なる特性を操る事さえ可能にしていた。
「私に近づくのは、止めてくれませんか? 不愉快ですので」
絶対零度の視線が射貫く。
何度も必死に頷き、何とか逃れようとしている姿を見て柱田は威圧を解除する。途端に解放された男子は這う這うの体で逃げ出し、それを見ていた周囲はさらに柱田と距離を置く。が、注目はされ続ける。畏怖の念を抱きながらも、見ずにはいられない。
柱田はそんな周囲を意にも返さず、鼻息を一つ吹くと窓の方を向き、またも頬杖をついた。手元でスマホが振動を繰り返す。急に切れたトークに相手が何事かを確かめようとしている姿を想像し、微笑みを浮かべる。
「……今頃先輩、どこにいるのかな」
呟き、目を閉じる柱田の姿は、人とは呼べない圧力を使った後とは思えないほど穏やかだ。纏うものの色が変わり、息苦しさが取れていく。一人の気分次第で周りに害も癒しももたらす異常なる力。
威圧を強め、一人に集中させる事は出来ても、漏れ出す分までは抑えきれない。手を出せるだけの呪いと何が違うのか。柱田は、そんな己の持つ力を良くは思っていない。
突き抜けるような青空は、柱田に過去を想起させる。
今回こそはと地毛であるという証明書を携えて教師を相手にしに行き、いつものように恐れられて取り付く島もなく話を打ち切られる。結局、柱田はその不可思議な髪の色を問われないままでいた。叱られもせず、触れられもしない。せっかく取りに行った紙が無駄になり、ゴミ箱にやるせなさと共に放り投げた。
思い返して、乾いた笑いが出る。何を期待していたのかすら、柱田は思い出せなくなっていた。
何度もその繰り返し。幼小中と、そして高まで。その全ての期間、柱田は常に同じ時を過ごしてきていた。大人も、同級生も。同じ景色が繰り返される。歳なんて関係ない。一様に恐れ、崇められてきた。
だから、柱田にとって、先輩は特別な存在なのだ。唯一、恐れも崇めもしないたった一人の特別。
柱田に取って世界とは、先輩とその他で構成されていた。その他からの干渉を柱田は許さない。
「……んふふ」
柱田は変わった。その人と出会ってからは、毎日が楽しくて仕方がない。
恐れられても、避けられても、孤立しても。何も感じなかった心が浮足立っている感覚は新鮮で、生まれてから一度も味わった事のないそれに喜びを抱いている。
一番、生を実感している。
人の世から浮いていて、溶け込みも馴染みも出来ず、常に独りぼっちのままだった日々が色づいていく。その中心に、先輩がいる。
柱田は幸せだった。過ごす時の殆どが孤独でも、幸せだった。
群青に浮かぶ孤島の中で、柱田は幸福を甘受していた。