だべってるだけ。   作:小心 モノ

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師匠と釣り

「半ケツババアー!」

「半ケツババアが出たー!」

「こらぁ誰が半ケツババアだガキ共ぉーっ!」

 

 そりゃ隠そうともせずおっぴろげにしてたらそう言われるだろ。

 言い慣れてそうなあたり、これがいつものやり取りなんだろう。初めて出くわしたイベントと怒鳴りながら駆けていく姿を見送りながら、俺は釣り竿に意識を戻した。

 抜けるような快晴。今日はのんびりと釣り糸を垂らすには絶好の日和だ。諸々の道具を詰め込んで行きつけの港に着いた俺は、かれこれ一時間は動きもしない浮きを見続けていた。釣れるかどうかは重要じゃない。いや大切ではあるんだが、本題では無かった。

 バイトも柱田との約束もない、最近では珍しい日。そんな日に俺は決まってある人に連絡をして、近況報告をしたりなんだりとをする事にしている。

 肝心のその人悪ガキを追っかけ回しにいったけどな。因果の実在性を確信するぜ。

 

「さてさて、もうじき連れますかな、っとぉ!?」

 

 噂をすればなんとやら、弱いながらも確かな引き!

 即座に合わせ、針を引っかける。手ごたえは上々、感触からしてそうそう抜けはしないはず。それでも油断はせず慎重に、しかし普段より強くリールを巻いていく。

 抵抗はそれなりだが、大型って程じゃねえ。みるみる糸が引き寄せられていき、とうとう魚影が見えてきた。タモは使う必要もない。そのまま手元の回転を維持し、獲物を海上へと引き上げた。

 夏の空に輝く魚体。まるまる太ったアジが姿を現す。

 

「おほー! いいねぇ!」

 

 瞬間、脳裏にはいくつもの料理が浮かんだ。考えるだけで腹が減ってくる。フライか塩焼きか、はたまたシンプルに刺身か。なめろうって線も捨てがたい。ニクいやつだなお前はまったく、どれだけ俺を惑わす気だよおいおいおいっ!

 晩飯までお預けだというのは拷問だ。早くも獲物を求めだした胃をなだめながら、針を抜き取りに掛かる。

 俺の影に隠れたアジはいきが良く暴れ回るが手慣れたもの、素早く外していけすに放り込めば、先ほどまで針が刺さっていたとは思えない活力ある泳ぎを見せていた。

 さてさて次だと、ケースからゴカイを取り出し針に刺している所で、遠ざかっていた足音が戻ってきた。

 それは俺の後ろから影を大きくし、陽光の容赦ない照りつけを遮る。息が荒い。

 

「はー、はぁー……追いつけなかった……あのクソガキども足が速い……毎度のことながら、なんでわたしがこうも追い詰められなければいけないんだろう? どう考えてもおかしいよね? ねえ弟子よ」

「いや知らんけど……」

「なんだとぉー!? 弟子ならわたしを庇えよぉ! 追いつけなかったの割と心にきてるんだぞ!」

 

 怒鳴り声には迫力が無い。なにもかもが自分が招いた結果だしずっと繰り返してんなら直せよと思わなくも無いが、そんな殊勝な心掛けをこの人がするはずもないと、俺は良く知っていた。

 恩人ではあるんだが、だからと庇う義理立ては無い。自分で何とかしてくれ。

 振り返って、その顔を見る。案の定ご立腹だと顔に書いてあり、この人俺より年上なんだあとなんとなく思った。

 見た目もそうだが、どこか子供っぽいんだよなこの人。

 

「そんなくやしいならせめて鍛えるなりなんなりしたらどうなんだよ、師匠」

 

 俺がそう答えると、師匠――伏花奏はその透き通るような真っ白な髪を翻らせ、思い切りふんぞり返った。

 

「え!? めんどいからイヤだけど!?」

「じゃあ聞くなよ」

 

 そんな自慢気に言う事じゃねえだろ。

 

「今めんどくさい奴だって思ったでしょ」

「すげぇ思った。今」

「なにおー! 貴様言うに事欠いてー! おまのぼがあーっ!」

「お前はこのボケバカぁーってそう圧縮するんだ知らなかったなぁ」

「なめすぎだぞ貴様ぁ! 誰なんだコイツをこんな風に育てた奴はーッ!」

「半分はアンタだよ」

 

 なんなんだよこのやり取り。全部自分に跳ね返ってんだけど壁打ちの天才か?

 マジで年上の威厳が皆無だ。皆無超えて絶無だ。

 こんなでも俺にとっては生きる道を教えてくれた人なんだが、普段が普段なだけにどうも敬う事が出来ない。今だって多分この人的にはそこそこキレているんだろうが迫力も何もあったもんじゃない。多分柱田の方が背が高いんじゃないか?

 童顔で、胸も尻もなだらかだ。くたくたになったシャツを羽織るだけで、下はなんと下着一枚のみだ。男らし過ぎる攻めた格好の癖にどこか無防備で、釣りをしている最中は前のめりになるせいか裾が捲り上がり下着どころかケツが見えている。毎度毎度そうなのと現実味が無いほど真っ白な髪のせいで、近所の子供からは半ケツババアとの愛称を頂き熾烈なバトル(追いかけっこ)を繰り広げる中だ。今のところ伏花が全敗中。

 そんなか弱き生物であるところの伏花はぷっくりと頬を膨らませながら俺の隣に座り込み、立てかけてあった竿を手に取り巻き上げる。

 見えた針からは餌だけが器用に食べられていた。ぐぬぬ、と唸る伏花は共用のケースからゴカイを取り出し瞬く間に取り付けると放り投げた。着水のタイミングで俺が釣り上げたアジを一瞥する。

 

「しかもわたしより先に釣ってる……あのガキ共さえいなければわたしが先だったはずなのにぃ。おかしいよね? 弟子なら師匠より優れていてはいけないよね?」

「こればっかりは時の運っていうか俺悪くなくね? ていうか師匠ならあっという間だろうし、ハンデだハンデ」

「わたしは付けた覚えがないんだけど、ねっ!」

 

 ヒットと同時に伏花が竿を引く。何の抵抗も無いように手早くリールを巻き、宣言した通り早くも一匹目を手に入れていた。俺の釣ったアジより大きい。

 それだけならまだいい。が、伏花は眼前にぶら下げた魚をじっと見つめたかと思うと俺の方をチラリと向き、勝ち誇るようにニヤついてきやがった。お、大人げねぇ……! 速攻でマウント取ってきやがった!

 

「ふっふっふ、確かにあっという間だったようだねぇ……しかも掛けた時間を考えれば、わたしの方が一歩上手みたいだ。まったく二階堂クゥン? 自分が上だという考えはまだまだ早いよぉ? 少なくとも今のわたしの記録を塗り替えなければなぁぬっふっふ!」

「なんでそう挑発がしつけぇんだよやらしいな!」

「わたしはアダルトだからねっ!」

「やかましいわカス」

「カスゥ!? 君がわたしの事をやらしくてとてもいやらしいエロティックでセクシーな女だと言ったんだろうが責任取れよ! よりにもよってカスだと貴様!」

「盛り過ぎだろ欲望の化身か?」

「化身ですけど!?」

 

 誇るな。そして騙るな。嘘で呼吸してんのかこの人?

 憤慨しながらも手元は実に鮮やかな手際だ。素早く処理を施すと自分のケースにしまい込み、餌を引っかけてまた海の中へと放り投げる。言葉と動きが一致してねぇんだよななんかな。

 そのままじっとしている、かと思っていたら伏花は俺の膝をぽんぽんと叩き、何事かを訴えてくる。

 

「……なんすか」

「わたしはとても傷つきました。だからアイス買ってこい」

「殆ど自爆だったけどな」

「やかましいぞ! いいから買ってくるんだわたしバニラ味な!」

「ごり押し……!」

 

 段々叩く強さが大きくなってきたのもあり、仕方なしにその要望を叶えるべく立ち上がる。まだちょっと痛い。

 

「あ、もし俺の竿に引っかかってたら伏花が代わりに釣ってくれるんだよな? 頼むぞマジで。俺の晩飯は師匠の腕に掛かってるからな」

「誰に向かって言ってるんだろうねぇ? 二本で手を打とうじゃないか!」

「へーへー」

 

 ドヤ顔で二本指を立てる伏花をスルーし店に向かう。後ろから聞こえてくる大声は無視だ無視。構い倒してたらキリがねえ。

 浜満港は県の最南端にある中程度の規模を誇る港だ。Eの形に伸びる堤防はそれなりに名の知れた釣りスポットになっており人気がある。海鳥の鳴き声と、遠くに見える人口数百人の島。周囲には山や林といった自然が多く、その合間を縫うようにして切り開かれた一軒家はその殆どが漁師のものだという。

 物流のために開かれた道路を中心として広がる港町は古くから形を変えておらず、どこか懐かしい作りと年季がある。そんな港からほど近くにある駄菓子屋は、俺と伏花のいきつけだった。

 店の中は扉が開けっ放しになっていて風通しがいい。入った瞬間、体感温度が急に下がった気がしてホッとする。日差しのあるなし以上に、この薄暗い雰囲気が一役買っているのは間違いないな。

 店内には所狭しと駄菓子が並び、奥の方でおばちゃんが暇そうに座ってテレビを見ている。聞こえてくるのは競馬の予想だ。似つかわしくないと思えばいいのかある意味らしいのか判断は付かねぇ。

俺の身体じゃ狭い通路を抜けた先にある一角、クーラーボックスの中を覗けばすっかり数を減らしたアイスが並んでいる。

 さてさてお目当てはと見てみると、ちょうどバニラ味の棒アイスが三本残っていた。

 他にも味付きのはあるんだが、せっかくだ。その残っている分を全部手に取ってレジに持っていく。俺も食いたくなってきた。これが伏花の策略……!?

 

「ばーちゃーん。会計頼むわー!」

「あいよー!」

 

 呼びかけるとおばちゃんはゆっくりと立ち上がり、こっちに歩いて来る。初めてここを訪れたのはちょうど二年前ぐらいか? 御年八十六歳になるというにも関わらず、変わらない背筋の伸び方だ。顔の皴もいい感じに深く、歳を取るならこうありたいという見本だな。

 

「えー、三百円だね。ほれさっさとお出し!」

「せっつかれなくても出すよばあちゃん」

「こんな暑いんだ、せっかくのアイスが溶けちまうよ!」

「それは流石に過大評価だろ。ほれ三百円」

「その油断が命取りなんだよ! 毎度どうも!」

「俺何と戦ってんだよ」

「知るか!」

「えぇ……」

 

 そんな元気なおばちゃんはひったくるようにアイスを奪い取り袋の中に入れると、保冷剤を勢いよくぶち込み手渡してくる。んな叩きつけなくてもと思いながら受け取った。

 しかしおばちゃんはまだ気になる事があるようで、しきりに俺の左右や奥の方に視線をやっている。

 

「……あんた、今日はあのべっぴんさんと一緒じゃないのかい?」

「ああ伏花? 今頃堤防で入れ食い状態だと思うぜ。俺はパシらされたって訳よ」

「目上の人にはさんをつけないか! 年上だって聞いてるよ」

「そう呼んだら怒るんだよあの人……」

 

 それもブチギレである。何をそんなに怒り狂う事があるのかってぐらいキレる。本人曰く社会人時代のカス共を思い出すかららしいが、そもそも俺はあの人が一度でも社会に出た事があるのかという驚きがあった。

 自称社会不適合者だしな。そして付き合いが長ければ長いほどそれは吹かしではないと気付かされる。

 それでも何とかしてしまえる辺り、凄い人だなと俺は思っているのだが……これから世話になるのだしと敬語にさん付けをした途端の暴れっぷりを見てからは、どうにも敬う気持ちは失せてしまっていたのだった。

 結局遠慮のない距離感こそが伏花にとっての最適なのだとよく分かった後は、気楽に接せさせてもらっている。その一環で釣りについて教えてもらった身としては、あの偉ぶり方は本気で大人げないと言わざるを得ない。最初から決まってる勝ち負けでああも勝ち誇れるのは才能だよ才能。

 

「かーっ! つまらないね全く!」

「何が?」

 

 伏花について考えてげんなりしている俺がどうやら気に入らないらしい。おばちゃんは悪態を付きながら大きく息を吸いこんだ。

 

「こちとらあんたらがいつ付き合うかで賭けてんだ。だってのにいつまで経っても動きの一つもありゃしない! このままじゃたこ焼き屋の鉄斎さんなんておっちんじまうよ!」

「待て待て待て待て! なに勝手に賭けてんだババア!」

 

 あり得ない可能性にベットすんな! 虚無に賭けてどうすんだ!

 つーか誰だよ鉄斎さん知らねぇよ。赤の他人からの被害をどうしてこっちが案じなきゃならねぇんだよ。

 とんでも発言をぶちかましたおばちゃんは、まだまだ言い足りないといったご様子。なんでそんなに偉そうなんだよ、俺の周りの年上ろくな奴いねぇのか?

知らぬ間にそんな事が行われていたとは、と驚きに固まる俺に構いもせず、おばちゃんは自分がこれっぽっちも間違っていないという体を崩さない。よくもまあ開き直れるもんだなおい!

 

「しょうがないだろ子供と競馬しか刺激が無い所にとんでもない美人さんだったあの子があんたを連れてきたんだ! 話題にしない方が失礼ってもんだよ!」

「目の前の俺に少しは伺い立てろや! てかおばちゃん客番してて退屈だったのかよ、なんで駄菓子屋やってんだそれで! 子供の笑顔が楽しみとかもっともらしい事言えよ! 禁欲中のギャンブラーなんだよその思考回路は!」

「んな清純な答えが返ってくると思わない事だね! ヒリつく出来事も時には長い人生に必要なんだよ覚えときな!」

「人使って勝手に熱灯してんじゃねえよ!」

 

 なんだこのファンキーババアは!

 心なしか、保冷剤が柔くなっているような気がしてくる。おばちゃんの顔に嘘は無さそうで、本気で俺と伏花との仲の進捗を楽しんでいたようだ。見開いた目に宿る本気度が違う。こっちまで熱に当てられそうだぜ……!

 

「だいたい伺い立てた所で許可なんて出さなかっただろ? ん?」

「出すわけねえだろ」

「それ見た事かい! いいかい? 賭け事ってのは秘められれば秘められてるほど燃え上がるもんなんだよ。何事においても秘密ってのは刺激的なスパイスだが、特にギャンブルは最高だね!」

「マジでなんで駄菓子屋就いてんだよ! 悪徳の街で栄えてる奴みてえな言葉吐きやがって、警察と逃走劇繰り広げてた方がまだ似合うが!?」

「なのにあんたときたら何の動きもありゃしない! おかげで明かす羽目になっちまったよまったくっ!」

「なんでこっちが悪くなってんだよおかしいだろうがっ!」

 

 本人がブレないからまるで俺が間違っているようにも思えてくるが決して違う。気を強く持て! とんでもない本性を隠し通してたおばちゃんのペースに乗せられるな!

 ただアイスを買いに来ただけなのになんでこんなことになってるんだ? この場に伏花がいないのが悔やまれる。俺だけで背負うには厳しすぎるんですけど?

 そうだ、伏花だ。師匠と俺とが付き合う?

 ないない絶対ないね、断言してもいい。俺みたいな同類を除いて人を苦手にしている面がある伏花に、誰かと付き合うという概念はそもそも存在しないはずだ。なんなら本人が言っていた。

 おばちゃんの中で炎が豊かに育っているところ悪いが、てんで見当違いなのだ最初から。

 

「あのなばあちゃん、根本からして前提が――」

「次来る時までに進捗の一つも無かったら罰金だからね! ほらさっさとお行きっ!」

「聞けよっ!」

 

 最後まで理不尽な要求を押し付けながら、おばちゃんは俺を追いだした。

 その勢いといったらとても老人とは思えない気迫に満ちて、いや知らなかった一面からして老いどころか堅気の気配すら感じないんだが。ともかく俺が出ていくまで収まらないのは明白だった。

 結果として帰り道を歩く俺の胸には、謎の敗北感だけが居座り存在を主張するのだった。

 なんで?

 

「……いやしかし、あっちぃなホント」

 

 じりじりと照りつける日差しと雨季の湿度が真っ向から対立しあい、そこまで苦しくはないもののじっとりという効果音が似合うような道すがら。アイスを守ろうと自分の影に固定しながら、どうにもスッキリしない思考の渦巻きを自覚する。

 潮の香りを運ぶ風は、どうも頭の中までは攫ってはくれないようで。海鳥の鳴き声を横に進んでいくと、見慣れた髪が風になびいているのが見えた。

 その白は、ただの白髪ではあり得ない艶やかな光沢。夏の光をたっぷりと含み、自由気ままに反射させる煌びやかな絹糸。

 さらりと重力を無視して踊る姿は、どうも柱田と被る。

 別嬪だとおばちゃんは言っていたが、全くその通りで伏花もまた非常に絵になる雰囲気を持っていた。言葉を話さなければまるで別人だ。どこぞのお嬢様が抜け出して来たのかと想像せずにはいられない、特別な人にしか纏えない空気が伏花にはある。

 囚われない純白は、先ほどまでのやりとりで消耗した俺の心を癒してくれるような、幻想的な光景ではあるんだが。

 

「お、おぉぉっ!?」

 

 両手の竿をしならせながら思い切り反り返っている必死過ぎる姿に脱力する。

 歯を食いしばるな歯を。

 

「おーい! 何やってんだーっ!?」

「か、帰って来たか弟子っ! 見てみたまえよこれ、ダブルヒットだ! しかもどっちも大きい! あともうちょっとで釣れそうだけどここに来て抵抗が!」

 

 問いかけに叫び返しながら踏ん張る師匠。糸の先を辿ってみれば、確かに殆ど海面まで上がってきている魚影が見える。

 よく一人でそこまでやれたなとか、実にいい場面を見逃したとか色々あるが全部後回しだ。伏花がやべぇ。

 思い切り足に力を入れて反り返っているせいかシャツが捲り上がって細い太ももを晒し、きわどい所まで捲り上がっている。奇跡的なバランスで吊り合っている姿勢は今にもひっくり返ってしまいそうだ。いや、下手をしたら逆に海へ引っ張られるかもしれない。

 社会的にも身体的にも、伏花はだいぶピンチだった。半ケツと呼ばれる所以のシチュと少しずれるだけで途端に煽情的になってしまう危うさは、まさしく柱田と同様だった。

 ちょっと目を離しただけでどうしてそうなる!

 

「おいおいちょっと待て、すぐ行くから動くな! 動くな頼むから!」

「いやもうちょっとで行けそうだしねぇ! 頑張ってみようかなここは!」

「無茶だろおバカ!」

 

 急に張り切るの止めろ!

 どこにそんな力が込められているんだという程に、遠目に見ても出力が変わった。一瞬の出来事だが均衡を破るのには十分だ。

 加えられた力に伴い海面が引っ張られ、その見事な魚体が露わになる。二倍、いや三倍のまるまる肥えたアジが二匹、宙を舞う。いやデカすぎる。もはや別種なんじゃないかという個体。小ぶりなカツオに匹敵するんじゃないか? 聞いた事もねえ。

そんなのが二匹同時とかどんな奇跡だよ。

 

「おぉ――ぅ、あ、わああああああっ!?」

「言わんこっちゃないっ!」

 

 予想どおりが過ぎるわ。

 アジの飛ぶ先と行方を同じくした伏花の頭部はギリギリのところで背中から順に衝突、威力を分散。痛み無く済んだのはいいが、勢いはそこだけに留まらなかった。

 小柄な分軽い体は、速度を殺し切るのに時間を要した。足先から順に、尻と腰が浮かび上がる。

 起き上がりに失敗したでんぐり返しのような体勢で伏花がひっくり返るのと、二匹の魚が堤防の上に落っこちるのは同時だった。ついでに言えば、急いで駆け寄った俺がその現場に辿り着くのもだ。

 

「……あーあーこりゃ酷え」

「見ろ弟子! わたしは勝ったぞ、これは祝杯だねぇははははっ!!」

「社会的に負けてんだよ!」

 

 完全に捲り上がったシャツはもはや上着の機能を果たしていない。薄布に包まれた尻も明らかにデザインが子供用なスポブラもおっぴろげになってなお勝ち誇れる精神性はあまりにも強靱すぎる。

 広がるままに散らばった長髪は無残に裂かれた天の羽衣じみていて、所々に砂がこびりついてしまっている。だというのに伏花は大して気にする様子もなく屈託のない笑顔で見上げてくるのだから、そういえばこの人そうだったなという納得感すらあった。

 成人女性の姿かこれが? 柱田の恥じらいが今はすげぇ恋しかった。

 

「祝いついでに引っ張ってくれよ二階堂クゥン、一人で起き上がるの結構しんどいみたいだこれ」

「マイペースの権化か?」

「まあまあそう言わずに、ほら」

「……ほらよっ」

 

 周囲に人が居なくてマジでよかったわ。絵面が酷すぎやしないか?

 言われた通りに手首を掴んで起き上げると、伏花は竿を回収して糸を手繰り寄せ、針を外して獲物をケースに放り込む。

 そして軽く手櫛で髪を整え衣服を正すと、俺に向かって手を差し出した。

 

「それで、戦利品は袋の中かい? 早く渡すべきだとわたしは思うよ?」

「偉そうが過ぎる」

「偉いからね! ほらここに座りたまえよ、休憩しよう休憩。わたしは結構疲れました」

「威厳が足んねえんだよなぁ……ま、そうするか」

 

 胸を張って主張する伏花を流しながら、促されるままに隣へ座りこむ。

 足元を辿れば水面が揺れる。堤防に腰かけて遠くを見つめたまま袋から二本取り出し差し出せば、うっきうきの伏花が奪い取る勢いで纏めてぶんどっていった。

 包装を剥がし、禁断の二本同時食いを敢行しているのを横目に俺も取り出した。六月にも関わらずクソ暑いせいで若干表面が溶けかかっているが許容範囲内だ。水平線の上側を彩る雲とはまた違う乳白色が、熱気を失せさせるだけの甘みを想起させる。

 

「んぬぁぁぁぁ美味い……! 暑さとアイスは禁断の組み合わせだねぇ! そうは思わないか弟子よ。んんん~?」

「まだ食ってねえよ」

「早くキメなよ」

「激クソあぶねぇんだよその言い回しは! 素直に食わせろっ!」

 

 言ったら露骨に黙り込んだ。さてはしばらく擦る気だったなこの野郎。

 口を噤んでむずむずとしたまま震えている伏花は置いとき、俺も一口齧る。

 流石にキンキンに冷えてるとはいかないが、それでも熱気を紛らわすには十分の冷たさと濃い甘みが広がる。抜けるような青空の下で食べるには、伏花の言う通りなかなかの組み合わせだった。

 真昼間の日差しを遮るものは何もないが、それもまたこの時間を過ごせるのなら乙なもんだ。直射日光は容赦なくアイスを溶かしにかかる。急いで食う必要があった。

 無言で食べ進める俺の横では、既に両方とも食べ尽くしてしまった伏花が手に垂れたアイスを舐めとっている。無茶な食い方をした代償だった。小さな舌が日焼けを知らない肌を伝い、湿り気のある跡を残す。やけにエロいのなんなんだよ。

 

「買うだけなのに結構時間が掛かっていたようだけど、何かあったのかな?」

「あ? ああ……なんで伏花も居合わせなかったんだよってぐらいの出来事はあったな。ばあさんが賭けてたんだと、俺と師匠とで」

「賭けぇ? あのおばあさん競馬だけでなくて?」

「そうだよ。つーか伏花知ってたのかおばちゃんの趣味」

「そりゃあ競馬中継以外はテレビ切ってるし、棚に入ってるのはあれ競馬の広報誌だろう? 年単位で買ってるみたいだし、肩下げラジオにはコードが刺さりっぱなし。筋金入りだねぇあのおばあさんは」

「……よく見てるな師匠」

「当たり障りない受け答えの為には観察が重要だからね!」

 

 さらりと言っているが大したもんだ。そんなの全然目にも入ってこなかった。

 空色に近い瞳は時折深い所へもぐりこんでいるようになる。何を映しているのやら、常にそうした一面を見せていれば素直に尊敬も出来るんだけどな。流石にパンモロを崇拝は厳しいって。

 

「それで、おばあさんは一体何を賭けてたっていうんだい? わたし達の間にそんな気になる所でもあったのかな」

「なんつーか、俺と伏花が付き合うかどうかってので」

「……わたしと? 君とが?」

 

 舌の動きが止まる。

 きょとんとして、目をまん丸にして。まるで予想外の角度から来た一撃に面食らっている。

 その反応はまさしく想像していた通りで俺は笑ってしまった。そりゃそうだよな、前提からしてあり得ねえしそんな気配は微塵も無かったんだ。第一師匠と弟子なんて呼び合っている奇特な仲が、今更男女だのなんだのを意識し合うはずもない。

 ご丁寧に互いを交互に指差ししながら、ぽかんと口を開けている伏花。段々と理解の度合いを深めていく瞳と、それに従って真顔になっていく様はどこかコミカルだ。

 さてこの後どうなるか。大笑いするか怒り狂うか、案外スルーという点も捨てがたいがどうか……?

 

「……ふーん」

「……っ!?」

 

 なんか、なんか違うぞ。思ってたのと違う!

 ほのかな桜が彩る頬。唇を突き出してそっぽを向き、もみあげをくるくるといじり出す姿は確実に照れ! 異物混入の現場を目の当たりにしてしまった!

 そのまま伏花は黙り込むと、水平線を眺め始めた。爽やかな潮風が吹き抜ける、波打つ音が静寂に映える。横顔は一見何でもないように見えるがやはり普段とは違い、しかし決して嫌な感情ではないのはよく見て取れる。湧き上がる感情をどう表現していいか分からず、その迷っている時間がむずかゆいような、心地いいような。そんな情感を秘めた相貌。

 まさか伏花からそういった種類の顔を見るとは思っておらず、動揺してしまった。

 というか、なんだ。なんなんだこの時間。

 伏花が何も言わないから、俺も何か言葉を発しようにも出来ない。どうにも出方を伺い合っている気配がする。結果として無言が場を支配する。一体どうしてこうなった?

 このままこの時間が続いたらマズい気がする。切実に。なんで黙り込んでんだよ伏花……! 畜生これも全部あのおばちゃんのせいだ! 責任転嫁するしかねえよなぁ!?

 

「んっふっふ」

「……なんだよ」

 

 ひとしきり気まずい空気を流した伏花は、突然含むような笑い声を上げるとこっちに視線を寄越してくる。赤らみを残しながらも余裕そうな笑み、からかおうとしているのは明白だった。

 

「そうかそうか、わたしとねぇ……随分面白い予想だ、ねぇ二階堂君」

「お、おう。まったくあり得ねえってのなあ?」

「どう思った? 実際わたしと男女の仲になる事については」

 

 俺の茶化しを無視して、あろうことか伏花は掘り下げてきた。

 何してんの? どう進んでも地獄しかない道を丁寧に舗装しようとしてんじゃねえよ。

 

「どう思うって、だからそもそも考えた事もねぇって」

「ちなみにわたしは満更でもない」

「はっ!?」

 

 さっきから何攻めて来てんだコイツは!

 にかっと、爽やかな笑顔で爆弾をこれでもかと放り込み爆発させた伏花。どう答えてもなにかこう、大変な事になる未来しか見えねぇ! 何考えてんだこの野郎!

 

「おや? おやおやおや?」

 

 うろたえるばかりの俺の様子に何を感じ取ったのか、ますます笑みを深めてじりじりとにじり寄ってくる。クソが! ここぞとばかりに!

 しかし何も言い返せなかったのも事実。好意的な言葉に何も思わないという訳にはいかず、隙だらけになってしまったのは言い訳のしようもない。

 ニヤニヤとしやがってからに、お前覚えとけよ!

 

「そうかそうか動揺しちゃったか! 仕方ないねえわたしも一応美人で通っているからねえ。二十歳になったばかりの若造惑わせちゃったか! ごめんねえ青年! はっはっは!」

「微塵も気配が無いどころか否定していた癖にここぞとばかりに攻めてくんじゃねよ! 後で痛い目見るのそっちだからな!?」

「そこらの相手ならともかく、わざわざ弟子にした人だぞ? 十分選択肢に入ってくるよ」

「止まる事を知らねえなあ!?」

 

 駄目だもう逃げるしかねえ!

 劣勢だ、どうあがいても勝ち目がない。

 そう悟り、立ち上がった。いや、立ち上がろうとした。

 足に力を込めた瞬間、動きに合わせて伏花が距離を詰めてくる。片手を素早く腿に置き阻害、全身を引っ付かせてそれ以上の行動をさせないように抑え込んできた。

 汗でじっとりと濡れた腕が絡みつき、細いくせに柔らかい感触が半身を支配する。体格差を物ともしない、一切の身動きが取れない。身体の使い方が上手すぎる。回避の身のこなしを身に着けた柱田を思い出した。

 そこには技巧がある。一夜で身についたものではない、確かな骨子が根底にある。どこで身に着けやがったんだこのっ、殆ど体術と変わりないだろうが!

 そして何が恐ろしいかって、その技術を総動員してまで俺を逃がそうとしないって事だ! ろくでもない予感しかしないが!?

 

「おいおいどこに行こうっていうんだい? まだ返事を貰っていないんだがなぁ」

「あー聞こえねぇ! 聞きたくねぇ!」

「じゃあもう一度聞いちゃおうねぇ」

「鬼畜かテメェ!」

 

 俺を追い詰める事に全力を注いでいるこの女は、そのままさらに密着度を強めてきた。日差しで暖められた小柄な体躯、自分のとは異なる体温が否応なしに感じ取れる。

 そのまま伏花は身を乗り出し、耳元で囁く。

 

「ねぇ、どう思った……?」

 

 からかいはある。しかしそこに混じっているのは、揺れ動くような不安。

 思わず振り向いてしまう。真正面にある顔は、思いのほか真剣で。

 

「……」

 

 だから。

 

「わたしは、構わないよ?」

 

 伏花に、俺は。

 

「――いい加減にしろ伏花ァ!」

「ふぎゃんっ!?」

 

 思い切り頭突きをかましてやった。

 あまり立てていい感じではない音を響かせながら、不意打ちを喰らった伏花がひっくり返った。打撃を喰らった箇所を抑えながら涙目で、しかし笑みは零したまま。イタズラがバレた子供の、それも悪ガキ特有の開き直った笑顔だ。

 そうだ、コイツの真剣さはからかいに対してだ。全身全霊で俺をおちょくる為だけに声も体も使ったに過ぎない。

あんまりに予想と違う反応をするから気付くのに遅れてしまったぜ……!

 

「……いやあバレちゃったねぇ! あともう少しで完全に騙しとおせた所だったんだが、惜しかった!」

「うるせえなこいつ、仮に最後まで通せてたらどうするつもりだったんだよ」

「その時は思い切りからかってやったさ」

「たち悪いなこの野郎……!」

 

 倒れた体を起こして伏花はそうのたまった。あやうくその未来が現実になる所だったから笑えない。危ない所だったぜ本当に。

 遠くなっていた周囲の喧騒が一気に戻ってくる。風が生む潮騒、海鳥の鳴き声、はしゃぐ子供、大型トラックのタイヤ音、海を割いて進むボート、釣った魚が跳ねまわる、戻ってきた漁師が指示を出している。

それだけさっきの静寂は影響力が大きかったみたいだ。騒がしくすら思えてくる。

 だというのに伏花は、何事も無かったようにふるまってきた。

 

「まあもろもろは置いといてだね」

「やらかした側が言ってるとクソムカつくな」

「どうどう。ふふっ、どうどう」

「半笑いで言うなや」

 

 舐め腐ってんなコイツな。

 

「君の場合はあれだろう? 最近お気に入りの柱田ちゃん。その子と噂になった方が嬉しいんじゃないかな? どうなんだい? ん???」

「うぜぇ……酔っ払った親戚のおっさんぐらいうぜぇ……」

「だれが中年太りだ貴様!」

「言ってねえよ耳に変換器でも埋まってんのか?」

 

 伏花には柱田の事を話してあった。今より柱田が慣れていない頃には相談もしたものだが、だからといって弄られる材料を提供したんじゃねえんだわこっちは。

というか柱田はまだ高校生だって言ってんだろ。仮にその気が芽生えたとしてもアウトだろうが止めろよ最年長がよ。

 

「師匠よお、柱田は禁じ手だろうが」

「禁じられてるからこそ燃えるというものだろう?」

「おばちゃんと同じ事言うな!」

 

 二度目だ二度目! もうやめろ!

 

「おやそうだったか。いやあその子の事は個人的に気になっていてね」

「気にするなら扱いに気を付けろや」

「うむうむ気を付けるとも。その子の事も含めて、これから近況報告会といこうじゃないか」

 

 ほら、と両手を広げて話してみろアピールをする伏花。

 俺はなんだか脱力してしまった。今日の目的はそうだったと思い出すと同時に、なんでこんな回り道になってんだという呆れが一気に押し寄せてくる。もうだいぶ疲れたぞ俺は。

 しかしながら、だからと話さないままじゃあ何のためにこの人に会いに来たのか分からなくなる。

 砂漠をさ迷った後みたいな徒労感を背負い込みながら、俺は伏花に最近の出来事を話し始める。といってもその話題は柱田に関する事が多い。ここの所よくつるむから当然と言えば当然なんだが、自分の口から話題が出てくるたびにアイツとの付き合いが濃くなっている事を自覚した。

 

「ははぁー青春してるねぇ! なんだい随分いい思いしてるじゃないか二階堂君っ!」

「だからそれ止めろつってんだろ!」

 

 実はそのシャツの下マジでビール腹なんじゃないだろうな?

 後はまあ、見た映画だったり読んだ漫画だったり、バイトの合間にやっている副業についてだったり。フリーランスで活躍している伏花の話は為になるので、異業種ながらちょくちょく相談に乗って貰ってたりした。

 なにせ全てのやりとりをメールでこなす覆面デザイナー。そんな特殊過ぎる形態で成功している人からの言葉が役立たない訳がない。

 俺も一応、伏花と同じ普通の社会には適合し切れなかった人種だ。高卒後に入った会社はすぐに辞め、どうしようかという時に出会ったのが始まりで、なんだかんだ世話になっている。いきなりお前弟子になれと迫ってきたのは忘れられない。

 だからといって全部の振舞いを許す訳じゃないがな!

 そんな事情があるので、俺はなんで伏花が柱田を気にするのかについても気付いていた。多分だが、柱田からも同類の匂いを感じ取っているんだろう。いや柱田の場合はそれだけではなく、不可思議な色の髪も然りで、見た目からしてどことなく被るものがあるんだが。

 しかし、どうやらそれだけが柱田を気にする要因ではないみたいだった。学校での柱田の様子に、伏花は食いついてきたのだ。

 

「……柱田ちゃんは、普段からそんな扱いなのかい?」

「多分そうだと思うぞ? 俺も初めて見に行ったから確証は出来ねえけど、柱田も特に思う所は無いみてぇだし周りはやけに整った列作ってたし。急にそうなったならもっと乱れてたはずだ」

「なるほどねえ……そうじゃないかとは思っていたけど、やっぱりか……」

 

 要領を得ない伏花は、そのまま考え込んでしまう。

 それは答えを知らないのではなく、どう答えるのかを悩んでいるようにも見えた。

 あの光景は異様だった。例えば学校に芸能人が来たとかならああいった人だかりも分からなくはないんだが……それだって毎日訪れてたとしたら段々収まっていくはずだ。

 だというのに、柱田の周囲に立っていた人たちはそんな様子は一切見せていなかった。そもそも柱田は別になにか目立つ事はしていない、と思う。モデルにならすぐにでもなれそうなもんだけどな。そんな話は聞いた事もない。

 純粋に容姿だけであそこまで人を集めるというのも考えづらい。思い返すほどに不思議な光景だったが、伏花には心当たりがあるみたいだった。

 

「……例えばなんだけど、柱田ちゃんはどこか恐れられているようではなかったかい? 自分とは違う存在について語るような、そんな距離感は? 群衆の中にあって、孤独に見えはしなかったかい?」

「……よく分かったな」

 

 俺があの時抱いた違和感や印象を、まるまるそっくり言い当てられてどきりとした。探偵に犯行を暴かれた犯人もこんな気持ちになるんだろうか、妙に心拍数が早くなる。

 それだけ、伏花の言葉には確信があったからだ。問いかけるような口調だが、断言する力強さがある。まるでその場に居て伏花も直接見てきた、と言わんばかりの態度にそう返すしかなかった。

 そんな俺の硬い声を受け取って、伏花はカラカラと笑って手をひらひらと振った。

 

「いやいや、そんな深刻な話では無いよ。ただその子は運がいい。それも随分と良い巡り合わせに出会えたようだね」

「何の話だよ。柱田に何か、おかしな事が――」

「良縁は存在するっていう話さ。今度柱田ちゃんにあったら聞いてみるといい、引っ越しをしたことはあるか? ってね。両親のどちらかが、七塞という土地の出身なはずだ」

「……全部を明かす気は無いって事でいいんだな?」

 

 知っている風を隠そうともせず、しかし肝心な部分を明かそうともしない。俺に対する露骨すぎる意思表示だった。伏花は足をぷらぷらと揺らしながら、軽くうなずいた。

 気になる。気になり過ぎるが……話していい段階なら、伏花はとっくに話している。明かそうともしないという事は、俺が知る必要はないって意味なんだろう。

 そこのところの判断については、俺は伏花を信頼している。その伏花が言うなら、俺は好奇心を引っ込めるだけだ。

 

「君の場合は、ふんわりと認識しているだけでいいんだ。それが柱田ちゃんの為にもなる」

「それはまあ、理解したけどよ。でもなんかムカつくんだよなあそれはそれとして」

「キレる若者は怖いねぇ」

「なんだとこの意味深ババア」

「きしゃー!」

 

 お前もキレてんじゃねえか。

 だが、伏花がそうする理由も分かる気がする。詳細を知った所で、じゃあ俺に出来る事があんのかっていうとそんな訳は無い。伏花の言う通り、なんとなくの認識のままでいい気がするのは俺もだった。

 とりあえず柱田は特殊な事情があって、その結果としてあの異様な光景が生まれたと。それだけ分かってれば、今はいい。

 掴みかかってくる伏花を抑えながら、俺はふと気になった事を聞くことにした。

 

「なあ伏花」

「もがががっ!」

「なんでそんな詳しいんだ? 正直柱田ならともかく、その周囲の反応まで当てられたのはビビったぞ。まるで伏花も同じ体験をしてきたみたいじゃねえか」

 

 でなければおかしいぐらいだ。伏花のそれはただの憶測ではないという事は、なんとなく察せられる。

 ぷはっ、と塞がれていた口が解放された伏花は、俺の問いにすぐには答えず、遠くを見つめ始める。ただ水平線に視線をやる、というよりも、深い過去を回想しているような感じがする。

 やがて、珍しく苦笑いを零して息を吐く。

 

「……まあ、わたしもそれなりに苦労はしてきたんだよ。柱田ちゃんも大変だっただろうから、君が支えてあげなさい」

「支えるのは、別にいいけどな」

「そこで即答できる事が、柱田ちゃんにとっては救いなんだよねぇ。いいなあわたしももっと早く君に出会ってたらなあー! もしかしたら惚れてたかもだ!」

「……結局、理由はなんなんだよ? 断言した、出来た理由は」

 

 急かすと、それを待っていたように伏花はこちらに振り向く。

 

「そうだねえ、強いて言うなら――」

「言うなら?」

「わたしと柱田ちゃんは、同類なんだよ。色んな意味でねぇ」

 

 空色の瞳。不可思議な虹彩は柱田と同じく、光の角度によってそのきらめきを変える。

 超然とした、他とは一線を画す空気を醸し出しながら、伏花はそう言った。

俺はなんとなく納得がいって、ただ頷き返す。伏花もその気配を引っ込めて釣りを再開し、俺もそれに倣った。

 なおその後再び半ケツ状態になり、またしても襲来してきた悪ガキにからかわれた挙句追いかけ回して疲労困憊になりぶっ倒れていたが。

 締まらねえな師匠はまったくよぉ! そこは超然とした雰囲気のままでいろよな!

 

 

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