「引っ越し……? ええと、はい。過去一度だけありましたね。といっても私は覚えてないんですが、相当ちっちゃい時にこっちに越してきたみたいです」
「やっぱそうなのか……ちなみになんだが、そこって七塞とかいう名前じゃないか?」
「あってますけど、えっ。なんなんですか先輩なんで知ってるんですか」
「それはだな――」
「もしかして、さらに私に興味が湧いちゃいました!? とうとうそんな自力で調べ上げたくなるほど柱田に夢中になっちゃいましたか! そーですか!!」
「うるさっ」
「イヤですね水臭いですよ先輩! そんな調査なんてせずとも大抵の事はお答えしちゃいますよ何言ってるんですかもーやだー先輩ったらもーっ!! ちなみに何が気になっちゃうんですか? 先輩の知らない私の好物? それとも最近嵌ってるもの? ちなみに私はカフェエスポワールの水月パフェと爪楊枝をグルーガンでくっつけての形態模写がですね!」
「留まる事を知らねえなあ柱田ァ!」
情報の洪水だわ水遁使いか?
なかなか合致しないだろう組み合わせが飛び出してきて、そりゃ色んな趣味の取っ掛かりを教えたのは確かだが大丈夫かと心配になった。特に爪楊枝アートは意味分からん。なに見出してんだよコイツ。
思い込みで爆走を始めた柱田に、俺は即座に訂正を入れる。でないと勢いに任せて言ってはいけないものまで口走りそうだ。
「違うっての! お前も知ってるだろ俺の師匠の話。その師匠がいってたんだよ、お前の出身地の話とか、引っ越ししてるとかな」
「……師匠って。あの師匠ですか? 先輩が多趣味になった一因っていう」
「そうそう。あれで色々謎の多い人だからな。あの人が言うってんなら多分間違いじゃねえんだろうなとは思っていたが……まさか本当に当たるなんてな」
「ええ……めっちゃ不気味じゃないですかそれ。こわ。会った事も無い人に出身当てられるとかちょっとしたホラーですよ、なんで分かったんですかね……?」
怯える柱田。そうだよな、俺も言ってておかしいと思い始めていた。知識にしたって限度があるわ。一体何を知ってるんだよあの師匠はよ。
「さあな。詳しくは聞かされなかったし俺も検討がつかん。ただ」
「なんですか?」
「同類だから、とは言ってたな。いやまあお前と似た所はあるんだが、それ以外がどうにもな……」
そりゃ見た目の系統は一緒だが、周囲からの扱いがどうにも異なるんだよな。伏花の方はまだ溶け込めてるというか、柱田ほどハッとする瞬間はない。
その分、あの時の柱田のように周囲から浮くという事も無さそうなもんだが。男子の話しぶりもそうだが、どうにもあれは異様に見えた。そこに伏花の意味深すぎて逆に露骨な態度も合わせれば、なにかしらの事情がありそうなのは明白だ。
その事情とやらが、俺にはてんでピンとこない。柱田も伏花も、普通の人で。何かしらを抱えているなんてのは、今まで考えた事も無いからだ。
いや、柱田は慣れるまでどこか影があったのも事実なんだが。それにしたってちょっと気まずい時期かなんかだろ程度にしか考えていなかった。今思えばそれも柱田が抱える事情絡みではありそうなもんだけど。
直近で、どこか浮世離れした二人の姿を連続して見たせいか、俺の中には奇妙な納得が残り続けている。けど伏花と別れて一人で考え込むと、やっぱり柱田と師匠には明確な差があるとしか思えない。一見似ていても、やはりどこか違いはある。
俺が気付けていない、なにか。それを指して伏花は同類だと言っているんだろうが、その正体が分からないから悶々としてしまう。もどかしいったらありゃしねえ。知らない方が為になるとは言われたものの、そうくれば余計気になってしまうのが性というもの。
なんとなく、柱田を観察すればこの霧掛かった感覚を晴らせるかと、俺は視線を横に移す。
「ふーん……?」
「……な、なんだよ」
柱田は、なんともいえない顔をしながら俺を見ていた。
あまり見る事の無くなった、どこか不機嫌さが混じっている表情。ジトっとした半目に、尖らせた唇。責められているような気がして、思わずたじろいでしまった。この不満気な感じは、本気のそれだった。
一体俺のどこに柱田の神経に触れる箇所があったのか、と一人探っていると、柱田は少し距離を詰めてくる。じりじりと。
「……その師匠とやら、美人ですか?」
「は?」
いきなり何を聞いて来てんだコイツ。
「だから、美人なのかどうかって話です。同類なんですよね、私と」
「そんなん聞いてなんになるってんだよ」
「重要な事なんです。答えてください」
「圧がすげえんだよ圧が」
初対面の時と同じ、いやそれ以上だぞ。
底冷えするような眼差し。見れば虹彩もなんとなく寒色が混ざっているようにも見えてくる。なにより声のトーンが平坦過ぎる、抑揚無しで低めの声は敵に対して出すもんだろうが普通は。
質問の内容は謎だが、どうやら柱田にとっては大事であるらしい。その証拠に服の裾を摘ままれ、決して逃がさないという気迫が行動に出ている。いやもはや握りこんでいる。仮にはぐらかそうとしても速攻でバレる予感がした。なんでちょっとした会話から虫の知らせを感じ取るまでに発展してんだよ。
「……まあ、整ってはいるな。顔の系統は柱田と同じ……」
「そうですか。ふーん。そうですか」
「さっきからどうしたんだお前」
俺の返答に対して柱田が取った行動は、思いっきり頬を膨らませて睨みつける、だった。なんでだよ。
ホント何がどうなってる? 後輩の機嫌がいまいち掴み取れん。これがジェネレーションギャップ……!?
なんかもうめんどくさい拗ね方……いやこれ拗ねてんのか? ともかく不機嫌になってしまった柱田は、視線を固定しながら掴んだ裾を揺さぶって俺を揺らしてくる。止めろ視界がブレる!
「なるほど先輩は私が学校に行っている間にその美人の、美人の! 師匠と思う存分楽しい時間を過ごしてきたようでええいい御身分ですね私では満足出来ないという事ですかいえいいんです私もまだまだ心構えが足りないという事がよく分かりましたよええッ!!」
「念仏か?」
「先輩の耳は馬の耳ーっ!」
「誰が言っても意味ない相手だこの野郎!」
「知りませんよ! むしゃくしゃするので殴らせてください! とりゃーっ!」
「思い切り構えんなやテレフォンパンチャー!」
よく分からんキレ方で叩いて来る柱田の拳を捌く。しゃがみながらよくバランス保てるな感心するわ。いややっぱ出来ねえわ。なんで俺殴られてるん?
非力な柱田のパンチなんぞ全く怖くはないんだが、その怒りの起源が分からず困惑してしまう。なんだよ伏花についてはこれまでもちょくちょく話題に上げてきただろうが。今更過ぎねえか?
顔が整ってるかどうかが、同類判定に引っかかるのか……? 確かにどっちもそんじょそこらのレベルではないが、だからってそれが決定的な要因になるとは考えにくい。ただ美人であるだけなら探せば出てきはするだろう。
だが柱田は、その要因だけで同類という言葉に納得している様子だった。ますます謎だ。なんなんだよ俺にだけ通じてないじゃねえかよ。
「まったく……ぜぇっ、先輩はほんっとに先輩なんですから……」
「絶え絶えになってまで俺を貶したいその根性はすげえなって思うわ」
「全部先輩のせいですからね! んぐっ、んぐぅっ……けほっ」
散々ポカポカ叩き続けてきた柱田だったが、ついには息切れを起こし手に持った飲み物を一気飲み。空いた容器を差し出してくる。
「先輩おかわり! 今度は午前ティーでお願いしますっ!」
「すぐそこに自販機あんだろ。隣見ろ隣」
「これで手打ちにしてあげましょう!」
「さてはヤクザ映画見ただろ最近? つーか俺なんもしてないんだが? 手打ちとか言われても心当たりないんだが?」
「行ってくれるまで私テコでもここを動きませんからね! 先輩のせいで柱田ちゃんは一人蒸し風呂夜空の下取り残されちゃうのでした! あーあ!」
「わーったっての。これで手打ちなチョップチョップ」
「おちょくってんですかっ!」
むがーと怒る割には律儀に座ったままの柱田。立ち上がって移動しただけですぐに手が届かなくなるにも関わらず、果敢に手を伸ばしてくる姿に俺は涙を禁じえなかった。ウケる。
そんな柱田を置いて自販機に向かう。といっても本当にすぐそこだ。お目当ての自販機の横に二人しゃがみ込んで、うだうだとしていたのだから当然と言えた。硬貨を投入して飲み物を買い、ついでに手渡されていた空きペットボトルをゴミ箱に放り込むまで、柱田からの視線が常に付きまとう。
目に見えなくなっても、柱田の顔が浮かぶようだ。
お目当てのものを手渡した時の表情は想像していた通りで、思わず笑みを含んでしまう。
「なに笑ってるんですか、もう」
「悪い悪い」
「……とりあえず、ありがとうございます。奢って貰って」
ふくれっ面を維持しながらキャップを開く柱田を横目に元居た位置にしゃがみこむ。ついでに買ってきた缶のプルを押し込むと同時、柱田は勢いよくペットボトルの中身を口の中に流し込んだ。
喉に押し込むたびに膨れる喉が自販機の光で際立つ。時折柱田はこうして俺を誘い、結構な時間をこの自販機周辺で過ごす事がある。
辺りはすっかり夜の帳を下ろしていた。だからこそ、柱田の金髪はこの上なく目立つ。暗闇に灯る道しるべのように浮かび上がる髪が揺れ動く。それを俺はこれまでそういうものだと受け止めてきたが、伏花との会話以降は多少見方が変わっていた。
柱田には、何か特別なものがある、らしい。その証の一つがこの髪に思えた。伏花もまた、普通ではあり得ない髪色だからだ。
ただ、それを表に出そうとは考えなかった。なんとなくだが、そうした扱いを柱田は好まないように見えたからだ。
柱田は俺の、初めて出来た後輩。その認識だけは変わらないし、変えてはいけないものなんだろう。
「っかー! 効きますね! 喉に!」
「酒みたいな飲み方すんなよ」
「誰がそうさせてるんですかねー? おやおや、こんな所に生意気ノッポがしゃがみこんでます。元凶め! くらえ!」
「厄介な絡み上戸だなコイツッ、ぐああ頭突きすんな! 零れるだろうが!」
「えいえいっ!」
「止めろつってんだろ柱田ァーっ!」
「にゃあああ!」
まあそれ以前に変化しようがないんだがな! 午前ティーはそんな酔いをもたらす成分入っておりません!
明らかにその場の勢いに任せて頭で小突いて来る柱田を物理的に抑え込みながら、俺はひそかに安心していた。変な話を聞いてしまったのもあって、扱いが気付かない間におかしくなってしまわないか不安だったんだが、どうやらその心配は不要らしい。
大人しくなった柱田を放してやると、ダメージが残っているのかぐわんぐわんとふらついていた。最近さらに頭小さくなってないか? なんか握りやすいんだよな。
度重なる締め付けで縮んだかを訝しんでいると、柱田は涙目になって俺に非難の目線を向けてきた。
「先輩、私の頭をハンドボールか何かと勘違いしてません? 最近力加減が雑になって来てますよね」
「掴みやすい形してるからな。てか雑もなにも、お前がそういう扱いしてくださいってフリをしてくるからだろうが。俺はそんなお前の要望を読み取ってだな」
「少しも望んでいませんけど!? もっとこう、繊細で優しく扱って欲しいんですよ私は! お姫様レベルを所望します!」
「無理だな」
「諦めないで下さいよ! 決断早すぎませんか!?」
「いやだって、お前そんな柔くないだろ。俺の中では超合金ぐらいの打たれ強さなんだが」
「乙女に向かって超合金とはなんですかっ!!」
「いってえなお前本気で殴んなっ!」
「……ぅぅぅ」
「ほれみろ拳痛めてんじゃねえか!」
清々しい程の自滅だった。
いくら非力でも全力でやられれば多少は痛い。が、そもそも柱田という生き物は暴力沙汰には慣れていないのだ。そんな奴がいきなり思い切り拳を叩きつければ反動で自分の方が負傷してしまうというもの。
普段の柱田なら気付きそうなもんだが、コイツ本気で酔ってるんじゃないだろうな? だとしたら俺捕まるが。
痛めた部分を擦って誤魔化そうとしている柱田。そのままやけ酒みたいにペットボトルを呷り、余りにも雄々しい唸り声を上げる。だからその酒飲み仕草なんなんだよ、週末の居酒屋おっさんか己は。
「……先輩、評価星一です」
「あ? なんだって?」
そのまま午前ティーを半分まで減らした柱田は、何事かをぽつりと呟いた。
「だから星一ですよ。先輩、このままだと低評価が高じて閉店します」
「いや何を? 俺何開いてんだよ初耳なんだが? そもそも開店してねえよ」
「美人師匠しかり! 頭掴みしかり! 超合金扱いしかり! 流石に先輩でも庇い切れませんよ! 私の扱いの悪さが悪化の一途を辿ってます! そう、この痛む拳も全部先輩のせいなんです!」
「手に関しては俺何も悪くねえだろ!」
「罪しかありませんよ! 罪人先輩です!」
新手の称号が勝手に付与された。いや要らないんだが?
ビシッと柱田が指を差してくる。ほのかに赤くなっている手の甲は、間違いなく自業自得の証だ。そんなん突き付けられても困るというか、なんでコイツは自信満々なんだろうか。心なしか、言ってやったぜという満足感に満ちている気もする。
「いいんですかー? 明日から先輩は低評価罪人先輩になってしまいますよ? 私からの視線がちょっと冷たくなっちゃいますよ? このままでは。このままでは!」
「……俺に何をさせたいんだよお前は」
「ぬっふっふ……!」
アホの極みみたいな声だな。
「そこは先輩の采配にお任せします! この私を満足させてくれたのなら、高評価もやぶさかではありませんよ? さあさあ先輩! 一体私に、何をしてくれるんですか!?」
「そもそも俺はこの流れに納得してねえんだよ」
「おすすめは私を褒める事ですね! あとは肉体的スキンシップも……まあ先輩にとってはリスキーかもしれませんが、私的にはポイント高いですよ? とにかく甘やかしてください! かもかもですっ」
「聞けや」
と言った所で聞く耳持つはずも無い。
見事に願望駄々洩れにした柱田が手をクイクイと招いて要求してくる。瞳は期待で輝き、薄暗い中でも一際目立っていた。どうやらこの流れこそが柱田の望んだものであるらしい。
どう転んでもただでは起きないどころか、強引に自分の望む方向へ持っていこうとするそのバイタリティは凄まじい。随分とアクティブな奴になったものだという、過去とは真逆の印象。随分と変わったもんだな。マジで。
「ふふふ……今宵の柱田は愛情に飢えてますよ。果たして先輩に満たす事が出来ますかね!? ふんすっ!!」
今だって瞼を閉じてドヤ顔かましながら世迷言をほざいている。その得意げな眉毛止めろ。ふんすじゃないんだわ。
……正直、俺は何も悪くないという認識は変わらない。ただ、柱田的には俺がいけない事をしたからその見返りを求めようというロジックが働いているのだろう。
それをただ受け流すのは、気が引けた。というかなんか負けた気がする。
柱田はわくわくした様子で待ち構えている。それに俺が乗っからないというのは、勝負から逃げているような後味の悪さがあるのだ。相手の土俵で戦わないと気が済まないというか、言ってしまえばこの生意気な小娘どう打ち負かしてくれようか? という純粋な衝動が。
覚悟しろよ柱田ァ……そんなにお前が求めるってんならなあ、十分に買ってやろうじゃねえか! 戦いの時は今!
「……いいんだな?」
「い、いいですよ? まあこれまでは惜しくも……そう惜しくも! 敗北を喫してしまったのも事実です。しかしいい加減私も耐性が付いてきましたからね……! これまでとは一味も二味も」
「ほれ」
「ひゃうっ」
試しに距離を詰め、肩を抱いてみる。許可はコイツから出ているんだ、それに学校では抱き着かれもした、なら俺からこうしても問題は無いだろう。
俺の肩に預ける形で柱田を傾けると、びくりと跳ねてひめやかな悲鳴を上げる。思いっきり大言壮語じゃねえか。まんまるに見開かれた瞳が近い。
が、そこからは確かに言った通りだった。なんとか表情を取り繕った柱田が、気を持ち直して挑発めいたニヤつきを浮かべている。顔は赤い。ダメージはあるが、耐え切れる範囲内だったらしい。
どころかむしろ、自分から頭を押し付けてきていた。
「……ま、まだまだですねっ。こんなもんじゃ私は納得させられませんよ……? さあ、次は何をしてくるんですか? あ、いえ、今の状態は維持してくださいね。そこは間違えないで下さいね……んふふ」
「注文と要求が多いなお前はな」
物凄く満足げな柱田は、なるほど打たれ強くなっているみたいだ。そもそも何の値が強くなってるのかは知らん。
以前の柱田だったら静かに黙り込んでしまっている所だろうから、これは進歩しているというのも間違いない。よくよく考えれば、自分から負けに行ってないかコイツ? という疑問はさておき、柱田も日々成長しているみたいだ。
この勝負とやらが決着すれば柱田的には勝利条件を満たせるんだろうが、同時に照れで自滅するんじゃないだろうか。だよなこれ。勝敗を同時に柱田は獲得してしまうのでは……? いやまさか、柱田がそんな簡単な事に行き着いてないなんてそんなははは。
いや、逆に言えば中途半端に終われば俺の負けになるのか? 戦いだしてなんだが、この勝負の行く末どこなんだよ。なんか互いによく分かってないまま進めてないか?
……まあいいか! 合法的に柱田を追い詰めるいい機会だしな!
という訳で、もう少し強気に攻めてみる。
「見ものですね先輩……ここからどう切り込んでくるのか!」
「なんでそういちいち強気なんだよお前はっ」
「わぷっ、ちょ、せんぱっ、うぶぶぶぶっ」
柱田の頭を、今度は掴まずに添えるだけにする。
そうして、思い切り撫でまわす。気分は小型犬の頭を撫でる感じだ。わしゃわしゃと髪をかき乱しても、質の良い手触りは引っかかりなく心地いい。ついでにさらに柱田を引き込み密着度を高めてやる。
完全に俺に体重を預ける形になった柱田は、腕を掴むことで体の支えにしていた。制服越しに人肌の温度が伝わってくる。やはりというか、学校とバイト終わりとでは同じ姿でもだいぶ印象は違う。制服姿という共通点と、異なる雰囲気。伏花の言っていた同類とはこういう事なのかもしれないと、ふと連想した。
「偉いなー柱田は。何がかは知らんが偉いなー」
「先輩雑過ぎます!」
「なんだよ褒めてやってんだろうが」
「それは、そうですけど……うぅー……」
唸り声を上げながら、柱田が沈みこんでいく。
俺が引き寄せる以上に自分から肩に顔を押し付け、まるで見られないようにしている見たいだった。そのくせ姿勢の関係上、より抱き着いている形になってしまっているが。逃げてんのか攻めてんのかよく分からねえな柱田よお。俺もなんだかんだよく慣れたもんだわ。
うずめながらむーむー唸っていた柱田だったが、撫で続けると段々声が小さくなり、しまいには無言になってしまった。手は離れようとしない。髪もだいぶ乱れてしまっているが問題は無いらしい。文句の一つも言わず、黙り込んだままだ。
判定員がそのままなら勝負の決着も分からないままだろうが。
「おい柱田」
「……」
「柱田、おーい柱田」
「……」
「無視すんなや。おいこれこのままでいいのか?」
何も言わないからずっと手が動いてるんだが。自分から初めてなんだけどいつ終わればいいんだよこれ。
しばらくそのまま続けた。なんか手のひらが熱くなってきてないか? 大丈夫か柱田、爆発すんのか。起爆寸前か?
感じる温もりが高まってくるも反応はないので、どうしたものかと手をこまねいていると、もぞもぞと柱田に動きがあった。恐る恐る、伺うように伏せていた顔を上げる。
真っ赤な顔は見るからに熱を保ち、涙で瞳が潤んでさえいる。それでも嫌そうな雰囲気は無く、俺は勝ちを確信した。ここまで追いつめれば優位は揺るがないだろ流石に。そしてどう見ても敗北顔だろこれは。
柱田は俺と目が合うと、慌てて逸らす。そのままもごもご呟いて息が当たる。
「……そのまま続けて、いいです。しばらくこのままで、お願いします……」
「……お、おう」
それだけ言ってまた伏せてしまった以上、俺は何も言えなかった。
もはや勝ち確どころか勝利者インタビューの段階まで来ているが、肝心の柱田がまた黙り込んでいるから手出しが出来ねえ。多分、満足してはいるん、だよな?
なんというか、勝負には勝ったが柱田の望み通りにしかなっていないんじゃないか? 肝心の勝利の感覚があまりない。結局柱田に乗せられたまま事が進んでいっただけに思える。
控えめに頭頂部を擦りつけてくる柱田に、俺はただ要望通りに撫で続けるしかなかった。背を預ける塀の反対側、すっかり暗くなってしまった田舎の光景を眺めながら缶に残った中身を飲んで気を紛らわせていると、夜風が吹いて柱田の髪を手の甲に流していく。
こそばゆさに一瞬身構える。柱田は動きを止めたものの、またしても再開した。
……無言が支配する。いや気まず過ぎるわ。
勝ったはずなのに得る物がこれか? 柱田を打倒した成果としてこれはあっているのか、そもそも結局柱田からの評価はそんなに重要なものなのかという疑問もあるが、俺も一度流れに乗っかっている以上強くは言えない。
一体いつまで続けていれば終わるんだと思いながら手を動かし続けていると、柱田の方からアクションがあった。もぞもぞと動き、徐々に俺から離れていく。靴裏でアスファルトを擦りながら、ついには俺の手を掴んで放した。
そのまま顔を上げる。ぽーっとぼんやりした眼差しと取れないままの頬の赤みはあるが、満足げな微笑みはこの勝負の終わりを予感させた。そしてすげえ見覚えがある。これは、あのアホアホ柱田の再来……!?
熱を冷ます様に細く息を吐くと、柱田が離した距離をまた詰めて体を預けてくる。素肌にはじっとりと汗が滲んでいた。これは気温や湿度が原因じゃねえ、確実に熱に浮かされた柱田だ!
「……満足しました。今回も負けてしまいましたか……んふふ」
「の割には全然悔しそうじゃないじゃねえか」
「まんまと天才柱田ちゃんの策略に引っかかりましたねぇ……油断大敵ですよぉ先輩? 試合に勝って勝負に負けてますね。やーい負け犬ー」
「なんだとこの野郎!」
ド直球に煽ってくるこの後輩をどうしてやろうかと考えるものの、途中で気付く。前ほどアホにはなっていないな?
距離は近えし体はくっつけてくるし熱のこもった視線を送ってきはするが、そこまで理性を失っていないようにも見える。いやそれでもだいぶアホだが、耐性でも付いたのか?
機嫌よく残った飲み物を飲みながら……これは甘えてくるでいいのか? ごろにゃーんとでも言いだしそうな程のゆるっゆるな口元に、勝ちとか負けとか考えるのが馬鹿らしくなってきてしまう。
現に柱田もどうでもよくなってそうだしな。思考能力零だろその顔は。
「うへへぇ……先輩、もうちょっと詰めて下さいよぉ……」
「これ以上埋まる距離も無いだろうが。埋まるのか?」
「それもいいですねぇ……ズブズブの関係ですねぇ」
「よかねえだろ二重に」
コイツ今なら幾らでも騙くらかせるんじゃねえか?
前はそのまま帰したが、今回の柱田はなんか不安だ。アホじゃない代わりに隙が大きく鳴ってやがる。ほっとく訳にはいかねえか。
その後、しばらくの間ゆるくなった柱田の花が浮かんでそうなトークに付き合って時間を潰した。あったかいですとか案外がっちりしてるんですねとか、なんかそんな感じの素直が過ぎる言葉をぽろぽろ零しながらひたすらにへにへと笑い続ける柱田を見て、帰さなくて正解だったなと安心してしまった。
立とうとする柱田をなんとか誤魔化しながらそうして過ごしていると、排熱が進んだ柱田が徐々に正気を取り戻していく。そして自分の距離感のおかしさを認識すると、跳ね跳んで距離を取り混乱している様子だった。
やっと元に戻ったかと、用が済み帰路に着く俺の背後から柱田は何やら必死に自分が変な事を言っていないか確認をしてくる。どうやらあの状態は自覚というか記憶があるらしく、前なった時は帰った後気が気で無かったらしい。
それに対して、俺は何も返事をせずひたすら誤魔化し続けてやった。ますます慌ててついて来る柱田の様子に、ようやく勝ったという実感が湧いて来る。
一人得したままは許さねえぞ柱田ァ……! これが勝利の美酒って奴だ!
ぬるくて炭酸の抜けた飲料を飲み干して、ぎゃあぎゃあと騒ぐ柱田を背景に俺はひたすら酔いしれるのだった。