少し酔ってる佐々木さんは、いつもとは違う場所で田山さんと過ごします

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少し酔ってる佐々木さんは、いつもと違う場所で田山さんと過ごします。
佐々木さん視点です。


おもしろい

駅前のスーパーの2番レジにいる山田さんを知ってから、自分の人生も悪いものではないと思えるようになった。ただ愛でるだけで良い存在がいるというのは、こんなにも心を豊かにしてくれるのか。知らなかった。

それまでは会社と家の往復を繰り返すだけの生活だったのに、山田さんの笑顔で癒やされる楽しみが出来た事で自分の人生に光が射したような気分だ。

その日までは仕事から開放された後にコンビニや駅のホームで酒を飲んでから家に帰るだけの日々だった。道行く人と走り去る車の流れ、電車から吐き出される人と吸い込まれる人、動き出す電車、それらを見ているようで見ていない何も考えない時間が、350mlの酒を体に流し込む時間が、自分を癒やす時間だった。

 

若い頃はコンビニやホームで酒を飲んでるおっさんを見て、カネが無くて酒を一缶買うのが精一杯なんだろうなと思っていた。早く家に帰ればいいのに帰らないのは家族から疎外されてるからなのかもなとも思ってた。でも今なら分かる。自分がそのおっさんの年齢(トシ)になってそのおっさんの気持ちが分かるようになった。

家に帰ったら寝るだけなんだよ。寝たらまた朝が来るんだよ。だからほんの少しの時間だけでも自分を癒やす時間が必要なんだよ。自分で自分を褒める時間が必要なんだよ。

 

早く上がった今日も山田さんの笑顔に癒やされようと思ってたのに、帰宅途中にあんな事が起きるなんて思いもしなかった。山田さんを知った次の日からコンビニやホームで飲むことはなかったのに、今日はここで飲んでいる。なんでだよ。

 

――いつまで俺は引きずってんだよ、終わったことだろうが。

 

何本の電車が行き過ぎただろうか。ホームで電車を待つ人の姿はまばらになっている。既に空になっている酒の缶を両手で掴む。下を向いてため息を吐く。

 

(タバコ吸いてえな)

 

いつものあの場所で隣にいるあの子の顔が目に浮かぶ。あの子は俺のこんな姿をきっと『おもしろい』と言うだろうな。

彼女の事を考えていたら頬が緩んだ。

会いたい。あの子に会いたいからもう帰ろう。次の電車に乗って、あの子がいるいつもの場所へ行こう。

 

向こうのホームは電車が出発するところだった。ゆっくりと走り出す電車と誰もいないホームの比率が変わって行く。

電車が去ったホームに、俺の真正面に、女の子がいる。俺を見て両手を大きく振りながら口を開いている。女の子の声と姿はこちらのホームに到着した電車に掻き消された。

 

田山さんだ――。

 

俺が見間違うはずがない。

到着した電車には乗らない。だって、あの子が『待ってて』と言った気がしたから。

 

 

 

電車が見えなくなった頃、あの子は俺の元へやって来た。

 

「おつかれ―――す」

「田山さんこんばんは」

 

肩が微かに上下している。走ってこちらのホームへやって来たのだろう。俺がこちらのホームへやって来た彼女を見つけた時は歩いていたのに。可愛いな。

彼女が隣に座る前に立ち上がる。彼女を見ないようにしながら、彼女に何か飲むか尋ねる。答えを聞かぬまま自動販売機に誘導し、飲み物を選ぶよう促す。

 

「ごちそうするよ。選んで」

 

まだ彼女は微かに息が上がっている。俺は彼女がなぜここにいるのか聞いてもいないし、彼女が俺とこのホームで飲み物を飲みながら話すのかどうかも聞いていない。でも彼女は俺に彼女の時間を分けてくれる、そんな気がする。

 

取出口に出てきた彼女の飲み物を取ってあげようと腕と体を動かした時、彼女も飲み物を取ろうとして腕が触れ合った。ああ、ごめんねと彼女に言いながら彼女の飲み物を取ってあげた時、彼女の香りをいつもより強く感じた。俺の元に走って来たから彼女の体温と彼女の香りが混ざり合って強く香るのだろう。走らなくても俺は逃げないのに。可愛いな。

 

「佐々木さん酒くさい」

 

彼女の目を見つめる。俺は彼女からいつもとは違う香りをもらったのに、俺が与えたのは不快な酒の匂いだったのかと苦笑いした。その顔が彼女にとっては初めて見た俺の顔だったのだろう、彼女はこう言った。

 

「佐々木さんおもしろーい」

 

彼女の言う『おもしろい』は、さまざまな言葉・感情が内包されたものだ。それは決して彼女がそれを言語化出来ないからじゃない。それを悟られないための予防線のようなものだ。可愛いな。

 

「今日はけっこう酒を飲んだんだよ」

 

酒は一本しか飲んでいない。飲んだ直後だから酒量が多かったと言っても彼女には分からないだろう。

そういえば、酒を飲んでから彼女に会うのは初めてだ。ならば、いつもは言えないでいる言葉を酔ったふりして言ってしまおうか。ああ、そう考えるのは酔ってる証拠だ。自分の思考回路の短絡さに呆れて笑ってしまった。

 

「なんか良いことあったんでしょー。佐々木さんおもしろーい」

 

俺に何があったのか聞き出そうとする彼女が可愛い。でも今日あったことは良いこととは逆のことだったなんて言ったら彼女はどうするのだろうか。聞いてみようか。でも、何があったのかは正直に言えない。彼女には、言えない。

 

「良いことじゃないんだ。いつもの上司だよ。怒られたんだけど、もちろんそれはいつものことだけど、今日はなんだか…いつもよりイライラしてしまってね」

 

彼女は納得していないようだ。唇を少し尖らせながら疑うような口調でふーんと言った。良いことがあったんだよ、それは君に会えたことだよと言ったら彼女は嫌がるだろう。彼女はそういう事を言う男を嫌悪している。

 

先にベンチに座った俺の右側に当然のように彼女は座った。酒くさいと言ったのに彼女は俺の隣に座ってくれた。この年齢(トシ)になると、若い女性が真横に座ってくれると嬉しい。それは決して性的な意味ではない。隣に座っても良い人間なのだと社会的に認められたことと同じなのだ。この子は今の時代の中年男性が置かれているそんな状況など知らないだろう。彼女はそんなもの、知らなくていい。

 

「田山さんはよく俺だと分かったね」

 

彼女がなぜここにいるのか、なぜ反対のホームにいたのか、それは聞かない。

 

「デカいおじさんがホームにぼっ立ちしてたら目につくでしょ」

 

それから彼女はこの後の予定を話し始めた。久しぶりに会う友達とオールするのだと。サービス業の自分と土日休みの友達とは自然と疎遠になってしまうが、その友達とはお互いにどうにか都合を付けて定期的に会うようにしていると。友達のことを話す時の、輝く彼女の瞳は美しい。その友達とのエピソードを俺に話しながらも、時折カバンに目にやっている。きっと、待ち合わせ時間はとうに過ぎているのだろう。カバンに目線を落とすのは、その友達からの連絡が来た時なのだろう。俺は彼女の話がひと息つく頃に腕時計を見た。

 

「あー!佐々木さんが腕時計してるの初めて見たー」

「えっ、ああ、いつもは帰りの電車内で外してるんだよ」

 

彼女を友達の元へ行かせる為に俺が時間を気にしている事にしようとしたのに失敗した。でも、彼女には友達の元に行かせないと。彼女が俺を優先させた事は嬉しいが、友達の大切な時間を奪っている。

 

「ああ、もうこんな時間か、田山さん、俺はそろそろ帰るよ。お友達と楽しい時間を過ごしてね。田山さん、今日は俺に声をかけてくれてありがとう。おかげで嫌なことは忘れちゃったよ。ありがとう」

 

彼女の目を見る。有無を言わせぬ口調と態度の俺を怪訝そうに彼女は見ているが、カバンの中も気にしている。

ちょうど電車が来た。ホームにあるアナログ時計の針は9時47分を指している。このまま時が止まれば良いのに。彼女の指輪で時計の針に手錠をかけてくれれば良いのに。

 

じゃあ見送るよ、佐々木さん酔っぱらってるしと言う彼女と離れたくない。でも仕方ない。

電車に乗り、閉まるドアの向こうの彼女を見る。手を振る彼女へ俺も小さく手を振りながら口を動かす。彼女は聞こえるはずのない言葉が何なのか、キョトンとした顔で首を傾げている。可愛いな。

 

電車は彼女をホームに残して去って行く。さっきの言葉を次会った時に必ず彼女は聞いてくるだろう。あの時何と言ったのかと。その時は『おもしろい』と言ったんだよと答えよう。意味は帰り道にぼんやり考えれば良い。本当の意味はまだ言えないから。

 

いつか声に出して言いたいな。



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