閃の軌跡 Northern War ――エレボニア帝国潜入記―― 作:ヒアデス
『ノーザンブリア自治州』。
ゼムリア大陸北西部に位置する北国であり、かつては歴史ある大公家が統治する『ノーザンブリア大公国』として、土地柄ゆえの寒冷な気候に見舞われながらも、隣接する国々との間で行われていた貿易によって富を得て、精強な《大公国軍》によって独立を維持していた。
しかし
後に『ノーザンブリア異変』もしくは『塩の杭事件』と呼ばれる“災害”である。
その混乱の最中、当時の大公バルムントは国民を捨てて我先に『レミフェリア公国』に亡命し、主君に失望した国民達と残された公国軍は大公が住んでいた宮殿を占拠し、大公制の廃止と民主制への移行を宣言した。
その後レミフェリアから戻ってきた大公率いる近衛軍と旧公国軍との間で激しい戦闘が起こるが、その詳細は省かせてもらう。
それから幾ばくかの間を置いて、七耀教会の総本山『アルテリア法国』の承認と各国からの支援を得て、ノーザンブリアは自治州として再び歩き始めた。
だが、《塩の杭》がもたらした爪痕はあまりに大きく、ほとんどの国民はその日食べる物に困るほどの極貧にあえぐようになり、多くの民がノーザンブリアを捨てて他国へ流れて行った。
その窮状を憂いた旧公国軍は、彼らが食する食料とそれを得るための外貨を得るべく他国へ身を投じることを決断した。
それが旧ノーザンブリア公国軍にして、
そして、七耀暦1205年4月。
ノーザンブリアから、《北の猟兵》に属する数人の男女が“ある密命”を帯びて、南に隣接する大国――『エレボニア帝国』へと潜入していた。
帝国有数の大都市にして『紺碧の海都』と呼ばれる、オルディスで最も豪華なホテル『オルテンシア』では、貴族や豪商など街の名士達を集めたパーティーが開かれていた。
そのパーティーの会場に向かって、高そうな黒スーツを着た男と、彼の腕につかまっている整った容姿の女が歩いてくる。
二人は会場の前で足を止め、音楽と談笑の声が漏れてくる扉をじっと眺める。それを見て受付の男が声をかけた。
「こちらは本日祝賀パーティーが行われております。ご参加には招待状が必要ですが……」
それを聞いて二人の男女は男の方へ顔を向けた。連れの女に腕を貸しながら、赤髪の男は薄い顎髭を生やした顔をしかめる。その男の目から放たれる鋭い眼光に受付はひるみかけた。
だがそこで金髪の美女が赤髪の男の腕を揺らした。それを受けて男は「ああ」と声を漏らしながら表情を緩め、懐に手を入れる。
「そうだったそうだった。招待状を見せる必要があったんだったな…………ほら、これでいいか?」
警戒心を解かずに見つめ続ける受付に、赤髪の男は懐から“招待状”を取り出し受付に差し出す。
受付は招待状を受け取り、それに目を滑らせてから二人に視線を戻した。
「失礼しました――どうぞ中へ。ごゆるりとお楽しみください」
そう言って受付は扉を開け、一礼しながら二人を促す。二人組の“招待客”は笑みを浮かべ、礼を言いながら扉をくぐって行った。
ちょうど同じ頃、これまた二人の若い男女がホテルの屋根を滑りながら現れた。
二人は軽やかに屋根を滑り降り、ホテルのバルコニーに降り立つ。
バルコニーに降りた青年と少女は先ほどの二人組より若く、黄緑色の髪に紫色のメッシュを入れた青年は二十代近く。くすんだブロンド髪を下ろした少女は十代半ばに見える――実際その通りの歳だが――。
青年――タリオン・ドレイクはバルコニーに張られた窓から部屋の中を見下ろす。
二階ほどの吹き抜けが設けられた部屋の中には、高そうな服を着た紳士淑女がオルディスの海産料理に舌鼓を打ちながら談笑し、部屋の一角では派手なドレスを着た美女たちがステージ台の上に立ち、近々富裕層向けに販売する予定のドレスとそれを見にまとう自身を見せつけるようにゆっくり歩く。
そしてそれ以上に注目を集めていたのは、会場の隅に置かれた
彼らを見てタリオンは口を開いた。
「マーティンさんもイセリアも案外決まってますね……まあ、ドレスコードがあるからって長い時間選んでましたから」
「…………」
タリオンの言葉を聞いて少女――ラヴィアン・ウィンスレットは細い眉を寄せる。
ここに来る前、街のブティックでイセリアから様々な服を着せられたのを思い出したからだ。もっとも、そのうち一着は購入しており、帝国にいる間は着続ける予定でいるが。
それを思い出しながら、ラヴィは不満そうに漏らす。
「……パーティーと《帝国の英雄》に関係なんてあるはずがない」
「さて、どうでしょうかね。内戦を終結させた英雄ともなれば、帝国中あちこち引っ張りだこかもしれません。“相手”の方もはっきりこのパーティーを指定してきたそうですし」
「“相手”って……?」
不満そうなまま尋ねるラヴィに、タリオンは双眼鏡から目を離し、困ったようにうめいた。
自分達にこの密命を下した上官にして《北の猟兵》の副首領――ジェイナ・ストームにパーティーの事を伝えたらしい“相手”……その人物についてはタリオンどころか、隊長のマーティンにさえ知らされていない。そんな“相手”がもたらしてきた情報が信じられるかと言えば、首をひねりたいところだった。
もっともマーティン達が怪しまれることなくパーティーに潜入できたのは、その“相手”が用意してくれた招待状のおかげなのだが……。
そう思いながらタリオンは再び双眼鏡を目に当て、中の様子を窺う。
すると無数の羽根をあしらった、豪奢なコートを着た禿頭の老人が美女たちに言い寄っているのが見えた。かなり高い地位の貴族らしく、美女たちは顔を引きつらせながらも愛想笑いで応じる。
彼らを見て――
「ああいった場に相応しくない輩もいるみたいです。あのような者までいるとは、いったいどういう趣旨のパーティーなんでしょうかね…………教官?」
返事が聞こえてこない事を訝しみ、タリオンはラヴィの方に目をやる。だがすでに彼女はそこにおらず……。
「教官――ラヴィ教官! 一体どこに?」
タリオンはさっきまで隣にいた上官を探し、きょろきょろ見回す。そんな彼を会場内から見上げている、青色の少し露出の高いドレスを纏った黒髪の女がいた。
(――あら、
◇
『北通り』と呼ばれるオルディスの街中、夕暮れに染まったそこをラヴィは機嫌悪そうに歩いていた。
なぜ帝国なんかに来て、覗きみたいな真似をしなくてはならないんだろう。私は
そう思うといけないと分かっていても、これ以上あそこにいるのは我慢がならなかった。
――それもこれも腰抜けな政治家達や、いるかどうかもわからないのに彼らを怖じ気づかせている《帝国の英雄》のせいだ!
胸中で毒づきながらラヴィは顔を上げ、故郷とは程遠い――平和と豊かさにあふれる街に目を戻す。
すると、何組かの親子が露店の前に集まっているのが見えた。はしゃぎながら待つ子供達の前で、若い店主がポップコーンを作っては子供達に配っている。
ラヴィは好奇心のままに子供達と店に近づいていった。そこである女の子が自分の後ろにいるラヴィに気付き――。
「おねえちゃんもたべる?」
そう言って、女の子はラヴィに向かって山盛りのポップコーンを差し出す。
ラヴィは戸惑いながら母親を見るが、母親は微笑みながらうなずくだけだった。
そんな親子と未知の食べ物への誘惑からラヴィはおずおずとポップコーンを一つつまみ、それを口に入れる
その瞬間、甘さと塩辛さの混じった味が口の中に広がった。そして思わず――
「――おいしい!」
ラヴィがそう言った途端、女の子はニカッと顔をほころばせながら「でしょ!」と返す。
それを聞いてポップコーン屋は笑いながらラヴィに声をかけた。
「ポップコーンを食べるのは初めてですか?」
「……え、ええ、まあ」
店主の問いにラヴィはギクリとしながらそう答える。だが店主は怪しむそぶりを見せずに言った。
「そうですか……じゃあせっかくです。あなたの分も一つ作りますから、少しだけ待っていてください」
「えっ!? で、でも――」
今まで余分な物を買ったことがないラヴィは慌てて断ろうとする。だが店主は気にせず、
「いいですいいです。ちょうど店じまいの時間ですし、一つだけサービスさせてもらいますよ。あなたにポップコーンを分けた女の子にならってね」
そう言ってウインクしてから彼はポップコーンを作り始める。唖然としながらそれを見ているラヴィの足元から声がかかってきた。
「よかったね、おねえちゃん」
ポップコーンを分けてくれた女の子にそう言われ、ラヴィはどうしたらいいのかわからず視線を宙に泳がせた。
ちょうどそこで――
「あっ、こんなとこに――なにやってるんですか、突然いなくなって」
青年の声が聞こえて、ラヴィも女の子も店主もそちらを見る。
そこには紫のメッシュが入った黄緑色の髪の青年――ホテルに置いてきたはずのタリオンがいた。
タリオンはラヴィに近づき、声を潜めながら言った。
「戻りますよ。そろそろ《英雄》が現れるかもしれませんし、あのパーティーの事を伝えた者が我々に接触してくるかもしれません」
そう言ってラヴィを説得しようとするタリオンだったが、彼女は――
「これも任務」
「はぁ?」
上官の口から出た言葉にタリオンは怪訝な返事を返す。ラヴィは続けて、
「帝国の情報を集めに来た私達にとって、この国の現状を見て回るのも大事な仕事じゃないの?」
「それは……そうかもしれませんが……」
ラヴィの言葉にタリオンは反論できず、考え込む。
そこでメーカーの中からパンッとポップコーンが弾ける音が鳴った。それを聞いた途端、タリオンはとっさに後ろへバク転し、拳を構えた。
それを見て周りからおおっと歓声と拍手があがり、タリオンは頭に手をやりながら照れ笑いを見せる。
そんな中――。
「はいお待たせ。ポップコーン出来上がりましたよ」
「ありがと――じゃ、私はもう行くから」
そう言ってラヴィはポップコーンを片手に、もう片手を上げて別れを告げる。そんな彼女に、
「できればまた食べに来てくださいねー!」
「バイバーイおねえちゃん!」
店主と女の子に手を振られながらラヴィはその場を駆けだす。タリオンもそれに気付き、慌てて彼女の後を追った。
◆
それからしばらくの間、しつこく追って来る
そこでは『みっしぃ』というマスコット達が風船を配りながら、子供達を集めていた。
集まった子供達の前でピエロの仮装をした男が声を張り上げる。
「さあ、みんな見ていっておくれ! 楽しいお話やってるよ! かっこいい英雄の大活躍が見られるよ!」
その言葉に子供達は顔を輝かせる。一方ラヴィは……。
「“英雄”……」
ピエロの言った一言にラヴィは足を止め、子供たちの後ろに立って、彼らが設置したであろう垂れ幕に目をやった。
ピエロが隅に下がるとともに幕が上がり、絵で描かれた街が表れる。その後ろから声がかかってきた。
『ここは『ケルディック』。この町には大きな
そこまでナレーションがかかったところで市場の上に火の絵が被り、その横から緑色の鉄人形が現れて、人々の悲鳴――を模したスタッフの声――が上がる。そこで絵で描かれた町人が浮かんできて、子供たちに語りかけてきた。
『うわー。このままじゃ僕達の町が焼かれちゃうよ! どうしよう? みんな、領主様の兵隊相手に僕達はどうしたらいいか教えて!』
その問いかけに子供達はうなる。その中である男の子が言った。
「――“えいゆう”!」
それを聞いて、他の子供たちも声を上げた。
「そうだ! “えいゆう”をよぼう!」
「わるい兵隊をやっつける“えいゆう”!」
『そうだみんな。英雄を呼んで僕達の町を守ってってお願いして!』
町人の呼びかけにつられて、子供達は口々に『えいゆう!』と叫んだり『まちをたすけて!』と懸命に声を上げる。
すると天から剣を持った白い鉄人形が降ってきた。鉄人形の姿をした“英雄”は剣を振りながら領主の兵隊達に向かっていく。
それを見て子供達は歓声を上げ、後ろにいる親たちも笑みを浮かべていた。
そんな中で……
「白い……機甲兵……」
誰にも聞こえない声量でラヴィはその名をつぶやく。“英雄”と呼ばれている白い鉄人形は、《帝国の英雄》が乗っている《
彼女を含む観衆の前で、“英雄”は緑色の鉄人形に剣を振るって彼らを追い払い、見事町を救い出した。
『ありがとう、英雄!』
『おかげで僕達の町を守れたよ!』
領主の兵隊達と入れ替わるように町人達が出てきて、口々にお礼を告げる。“英雄”は剣を掲げてそれに応え、そこで幕は下りて紙芝居は終わった。
そして子供達は親に連れられてこの場を後にし、何組かは帰るついでにみっしぃが両手に持っているシルクハットの中に硬貨を入れる。
それらを呆然と眺めるラヴィの横から、
「あれは内戦中の出来事を元にした芝居みたいですね」
「……」
いつの間にか隣に立っていたタリオンは垂れ落ちた幕を見ながら話を続ける。
「去年帝国で起こった内戦中、馬鹿な領主が自分の治める領地内の町を焼き討ちしたそうです。あのお芝居では《英雄》によって助けられた事になってますが、実際に《英雄》が駆けつけた時には、すでに町の目玉である市場は焼け落ちてて、町の有力者もそれに巻き込まれて死んでしまったとか」
「――っ」
その説明を聞いて、国民を捨てて逃げ出した大公が脳裏に浮かび、ラヴィは唇を噛む。
そんな彼女に気付き――
「まあ、その領主も仲間や息子に見捨てられた挙句、“白い機甲兵”に乗った《英雄》に捕まったんですけどね。……そろそろ戻りますよ。さすがにこれ以上あそこを空けるわけにはいきません。気持ちは分からなくもありませんが、あれも立派な猟兵の務め――」
そう言ってタリオンは年下の上官を引き戻そうとする。さすがのラヴィも彼に従おうとしたが――
「見たか、子供達の反応を?」
「ああ。やはり
耳に届いた二つの声のうち、片方は子供達を集めていたピエロのものだった。
熱のこもった――しかしどこか陰のある声にラヴィは不穏な予感を覚える。そして彼らが資材を片付けながらどこかへ向かっていくのを見て――。
「ごめん! あなたは先に戻ってて! 私もすぐに行くから!!」
「あっ――教官! 今度はどこへ――!?」
タリオンの腕を振りほどき、ラヴィは怪しげなピエロ達の後を追う。彼女を呼びながらタリオンも彼女に続いた。