DESIRE ARCHIVES   作:ベロベロベ

16 / 25
虚誕Ⅶ/覚悟を決める、その勇気

 

「amen……」

 

 虚ろな声の祈りが響く。そこは夜の暗闇に侵された一室。机の上に広げられた聖典とその横にある大きなグランドピアノ。 聖園ミカは譫言の様に祈りの言葉を呟く。普段は奔放な姫の様に振る舞い、戦闘ではその恵まれた才能から無類の強さを誇る彼女も、こうして見るとただの少女に過ぎない。丸められた背中は見ているのが辛い程に弱弱しく、少し触れただけで簡単に崩れてしまいそうな儚さを醸し出している。

 彼女はふと顔を上げ、空を見上げる。雲一つ無い綺麗な夜空に照る大きな月。淡く輝くそれは彼女の羽に反射し、その薄暗さも相まって幻想的な光景を創り出していた。

 そしてその光とは対照的に、まるで透明な水の中に垂らされた一滴の乳液の様な濁りが彼女の瞳に広がっていく。輝きと濁り、相反する2つの要素が同居するそれはまるで1つの絵画の様。

 少女はその小さな両手を強く握り合わせ、縋る様に天を仰ぐ。

 

 もしもこの世界に神様が存在するのなら、どうか私に慈悲を、赦しを、贖いを。どうか、どうか友達を殺してしまったこの私に救いを。

 隅で震える携帯電話にも気が付かない程に、その祈りは深い。

 

  Kyrie eleison(主よ、憐れみたまえ)。ピアノから流れるそのメロディーはいつも礼拝などで耳にしている曲。これが心情1つでこうも変わってくるという事実、彼女は知りたくもなかっただろう。

 願いを乗せたキリエがゆっくりと夜空に溶けていく。夜はまだ長い。少女を憐れむその(こえ)は、朝日が昇っても止まずに響き続けていた。

 

▪▪▪

 

 「そういえば英寿君、昨晩のデートは楽しめましたか?」

 

 天使と悪魔ゲーム第1回戦において、初の黒星を上げてしまった英寿に朝一番にかけられたのは、そんな揶揄う様な一言だった。解き終わった問題用紙が回収された事で顔を出した机の木目に向けていた視線を上げるとそこにはニコニコと愉しそうに笑っているハナコの姿が。他の3人も気にはなっていたのか、皆一様に彼の方へと視線を向けている。

 

 「あー……、いや違うんだ。俺とナー、いやミカはそういう関係じゃなくて……」

 「ほほう、()()とな」

 「ああいや……!」

 

 先生は顎に2本指を当ててほくそ笑んでいる。この年頃の男子が異性の下の名前を呼び捨てにするのであれば、そういう関係である事を疑う1要因にはなるだろう。彼女には今もう1つの可能性も浮上しているが、それはそれとして面白そうなのでハナコに乗っかる姿勢を崩さない。こうした甘酸っぱい青春イベントがトリニティにはちょうど足りないと考えていた所だったのだ。

 一方の英寿は内心僻事していた。あれだけ騒ぎになればネットで話題位にはなるだろうと踏んではいたが、想像以上に凄まじい事になっている。仕事用のSNSアカウントには大量の質問が寄せられており、Momotterでは煉獄燃え盛るお祭り状態だ。

 実際は甘いどころか笑顔で殺意を向けられる関係だというのに、それと真逆の勘違いをされるというのは中々にキツイものがある。彼は椅子に深くもたれかかって天井を仰いだ。

 

 「ふふ……♡ いえいえ何も咎めるつもりはありません。寧ろ愛を育むのは素晴らしい事。私は大いに応援しますよ」

 「ふむ、まあ私は英寿のプライベートにまで干渉するつもりはない。好きにしてくれ」

 「いやいやダメでしょ!? 学生の身分で不純異性交遊なんてエッチなのはダメ! そもそも私達全員が基準に到達しないとここから抜けられないんだから、今は勉強に集中してよ!」

 

 コハルの至極全うな指摘を聞き流しながら、英寿は今回のデザグラについて思考を張り巡らせる。

 昨日景和が言った事は甘くはあれど共感出来る部分でもあった。英寿も過去数度ライダーを倒した事はあるが、それはバッファの様にルールを犯してでも彼を排除せんと動いた者達を返り討ちにしただけ。勿論彼らにはしっかりとペナルティーが入れられた。

 しかし今回は違う。運営が用意したゲームそのものがライダー同士の戦いを煽っている。加えてゲームマスターの変更という事実に、ナビゲーターの異変。一筋縄では行かないとは考えていたが、それ以上の障害が現れた気がしてならない。

 

 (それに昨日は、1度もジャマトが出現しなかった…………)

 

 ジャマトはデザイアグランプリというゲームにおいて不可欠な存在のはずだ。何せそもそもの開催理由が、ジャマトからの侵攻の阻止なのだから。運営の言い分からすれば願いを叶えるのは、あくまで世界を守ったという成果に対する報酬だ。

 にも関わらず、ジャマト無しでゲームを進めるなどおかしいにも程がある。

 

 (やっぱりデザイアグランプリは、ただの世界を救うってゲームじゃなさそうだ)

 

 まあそれも当然と言えば当然なのではあるが。

 

 それにしても、毎度毎度こうして騒ぎになられるのは困る、と英寿は自身のスマホに視線を移す。

 話題の記事はあれだけではない。ミレニアムの生徒会長らしき人物がこれまた男と出歩いているのを見ただの、動物の仮面をつけた謎の不良集団がドンパチやっていただの多数の記事が投稿されている。

 男と云々は正直どうでも良いが、ライダー達がしっかり見られているのは問題だ。クロノス辺りに捕まれば更に面倒な事になる未来は容易に想像出来る。

 

「まあその辺は俺らにはどうにも出来ないけどな」

 

 事後処理は運営の役目だ。英寿達仮面ライダーはゲームに勝利し、願いを叶える事さえ出来ればそれで良いのだから。

 

 それに今は向き合わなければならないものがもう一つ。

 

「は~い、採点終了! 」

 

 先生の明るい声が審判の終わりを告げる。その時の英寿からは当初に見せていた余裕はどこにも見えない。長く、大きく息を吐き出し、そして腕を組んで目を閉じる。

 

「コハル、56点。アズサ、44点。ハナコ、4点。そして英寿は─────」

「…………………………!」

「35点!」

「───」

 

 ガクリと頭が後ろに垂れる。こうなる位なら普段からちゃんと勉強しておくんだった、なんて学生らしい悩みを抱く事になるとは、以前の彼ならば夢にも思わなかっただろう。しかし現実問題こうして重く圧し掛かってきているのだから、置かれた立場というのはどこまでも当人を縛り付けるものらしい。

 

「ん…………?」

 

 体を伝う振動に、ふと先生は声を漏らした。仕事用にと連邦生徒会から支給された携帯の画面には見知った名前が表示されている。何やら用があるらしく、指定の場所に来て欲しいとの旨が書かれている。既に当人はその場所に居るらしい。先生は少し考えた後、点数に一喜一憂している生徒達に向けて少し声を張り上げる。

 

「ごめん皆、今から用事で出かけてくるね。昼頃までには戻ると思うから。それまで各自、参考書等で復習しておく様に!」

 

 それだけ言い残し、彼女は教室を後にする。残された生徒達は各々参考書を取り出し、間違い箇所の修正に励みだした。

 僅か1人を除いて。

 

 

▪▪▪

 

 

「わあ、ここに水が入ってるのなんて久々に見たよ! 何々? これから皆で泳いだりするの?」

 

 燦燦と輝く陽射しに照らされ、美しく煌めく水面に目を輝かせながらミカは明るい声をあげる。以前の汚れ具合を知っている彼女からすれば目覚ましいまでのその変わり様には驚かざるを得ない様で、その声には素直な賞賛と喜色が込められている。

 穏やかな風がプールサイドを突き抜け、彼女の桃色の髪を優しく撫でた。彼女は先生に向かってその笑顔を向けて、掌をヒラヒラと遊ばせる。

 

「泳ぎかぁ、私は折角なら海に行きたいけど。でもこういう山の中っていうのもいいかも知れないね」

 

 扉を閉めると共に彼女の問に答えつつ、先生もまた風を受けてプールサイドに足をつけた。今は連邦生徒会としての真っ白なコートにも身を包んでいるがこれが意外にも熱くない。通気性は抜群らしく、吹き抜ける風の涼しさを感じながら彼女はミカと目線を合わせ、口を開いた。

 

「私に、用件があるんだって?」

「うん……えへへ……」

 

 先生の口調は優しい。表情もこれ以上無く穏やかであり、その様子は向かい合う者を安心させる。威圧感といったものにはまるで無縁と思わせる彼女を見て、ミカは思わず笑ってしまう。

 

「先生は上手くやっていけてるのかな、て思って。ほら補習授業部の子達って皆癖が強いでしょ?」

「うんまあ、それはそうだね……」

 

 先生の脳内には生徒達と出会った頃の記憶がフラッシュバックしていく。

 スクール水着のままで檻に閉じ込められていたハナコ、ガスマスクを被ってどこぞの暗黒面の様な呼吸をしつつあらゆる箇所に爆薬を仕掛けて暴れ回っていたアズサ、脳内まで真っピンクなコハルに、1人聖堂でブツブツ呟いていた英寿。一癖も二癖もある生徒達の輪に送り込まれた事は否定出来ない。しかしそんな4人にうんざりしているかと聞かれれば、それは否だ。

 

「皆良い子達だよ。それに設備もしっかり揃ってるし、余り問題は無いかな」

「ああ、それは確かに。にしてもナギちゃんってばかなり入れ込んでるよねぇ。あんな小さな部活にこんな施設用意しちゃって」

 

 ここはトリニティの中でもそれなりに規模の大きい施設である。確かにここ数年使われていなかった施設ではあるが、それでも中堅以下の部活に使用許可が降りる程陳腐なものではない。ここに集められたという事はトリニティでもそれなりに意味を持つ部活という事。学園にとって重要だという事を表している。

 

「でもやっぱり遠いと色々不便じゃない? あ、だから色々こっそり楽しんじゃってるとか?」

「いやぁやっぱり主目的は勉強だからねぇ。そういうのをやり続けるのはちょっとね……。まあこっそりデートしに行った子はいるみたいだけど」

 

 先生の揶揄う様な声色に、ミカの笑顔は少し強張る。どこか不愉快な事を言われたかの様なその顔に先程の英寿が正しかったのだと彼女は確信した。

 

「ありゃ、ホントに違ったんだ?」

「違うに決まってるよ。そもそも私ティーパーティーだよ? シスターフッドの子と付き合ったりなんかしたら

 面倒事になるに決まってるでしょ……」

「そっかぁ……」

 

 少々残念そうに先生は肩を竦める。可能性は極めて低いとわかってはいたものの、折角兆候の見えた青春が無残にも露と消えた事に対する名残惜しさを感じながらも、では何故そんな関係の2人が一緒に出歩いていたのかに対する答えも確信へと至っていた。

 

「じゃあ昨日外に居たのは……」

「うん、あの時の続きだよ」

 

 あの時という言葉で思い浮かんだのはゲーム開発部の生徒達と潜り抜けたあの窮地。結局あの事件はミレニアムの生徒会長たるリオに口止めされ、直後にエデン条約云々の話が流れ込んできたために彼女の中で有耶無耶になりつつあるものだ。その事について更に言及しようとしたが、それはミカに止められた。

 

「今日はその事について話にきた訳じゃないんだよね」

「───そっか」

 

 先生の顔が強張る。先程のミカとは種類の違うその顔にミカは思わず苦笑する。

 

「そこまで警戒されちゃうのは心外だなー。私こう見えても繊細で、傷つきやすいんだよ?」

「子供は皆そんなものだよ」

 

 先生の顔の強張りはすぐに解け、元の柔和な表情へと戻る。彼女のその顔に安心感を覚えたミカはゆっくりとその口を開き始める。どことなく、彼女の全身には緊張感が漂っている事をそれとなく感じながら、先生は紡がれる言葉を待つ。

 

「じゃあそろそろ本題に入ろうか! あっ、一応言っておくとここに私が来てるってのはナギちゃんは知らないよ? 護衛も付き添いもいない、正真正銘の単独行動! 先生はそれを信じてくれる?」

「勿論」

「…………そっか」

 

 笑みを崩さず、先生はミカの言葉に肯定を返す。自身に全幅の信頼を向けられるのは悪い気はしないが、それはそれとして少々の驚きは隠せない。どうしてこうもあっさりと信じられるのか、彼女は疑問を抱くが今はそれは置いておく事にした。

 

「先生はナギちゃんから何か取引を持ちかけられたりしなかった? 例えば、『トリニティの裏切り者』を探して欲しい、とか」

「…………」

「ふぅ、やっぱりね。ナギちゃんってばわかりやすいんだから」

 

先生の沈黙に対し、ミカは呆れを滲ませた溜め息を吐く。全くもって予想通りの、面白みに欠ける行動だと彼女は不満げにぼやいた。

 

「それで、何か情報は貰えた? 理由とか目的は? 補習授業部のメンバーについては? そういうのも何も無しで、ただ探してって言われた感じ?」

「まあ、多少はって感じかなぁ。漠然と怪しい子達が居るって事くらいで、後は何も。アロナも条約の別業務にかかりっきりで、余り連絡取れてないんだよねぇ」

「……そっかー。全くナギちゃんも連邦生徒会長も先生に全部丸投げしちゃってるのかな。何も教えずにこんな重荷を先生に背負わせるなんて……。それで先生は何て答えたの?」

「私は私のやり方で対処させて貰うって言ったよ」

「先生のやり方って?」

「勿論、信じる事だよ」

 

 先生の声色に変化は無い。そう勿体ぶる事もなく、あくまで自然に、まるで雑談の中でちょっとしたゴシップを伝えるかの様な感覚で彼女はそう告げる。

 

「私は先生の役目ってそういうものだと思ってるから」

「…………そっか。確かに先生は『シャーレ』だもんね。私と違って、もっと広い視野で世界を見れてる訳か」

「それは少し大袈裟じゃない? 私は自分が正しいと思った道を進んでいるだけだから」

 

 先生はそう言うが、ミカは素直に彼女を凄いと感じていた。彼女を取り巻く世界で我を貫く事は難しい。それは上に立とうが下であろうが変わらない。生徒会に入れば様々な問題と向き合って四苦八苦、下についたならば上からの指示に従わねばならない。トリニティは良くも悪くも厳格であるが故に縛りも大きい。その中で無理に我を通せばどうなるか。彼女はその結末を良く知っている。正しかろうがそうでなかろうが、それが自らにとってどうなるかは別の話なのだ。

 だからこそ先生の視点は自身のものよりも高い位置にあるのだと、そうミカは感じたのだ。

 

「じゃあ、先生ってどこの味方なの? もしトリニティの味方じゃないなら、ゲヘナ? それとも連邦生徒会?」

「私は生徒達の味方だよ」

「…………あ、あぁー」

 

 それは一見すれば意地悪な質問に対する無難な解答にも思えるもの。例えば桜井景和が先生と同じ立場だったとして、彼もそう答えたとしよう。その言葉に対してはミカは単なるその場しのぎと受け取るだろう。中身の伴っていない、形だけの綺麗事。しかし彼女の発言はまるで違う。彼女が告げたその言葉はその綺麗事をただの戯言とは思わせない、確かな重みが存在していた。

 先程の言葉もそうだ。どこかフワフワとした声色とは真逆の重厚感。何かに振り回されようとも決して揺らぐ事の無い、確固たる決意。それがあるからこそ虚をつかれた様な、こんな気分になるのだろうかとミカは漠然と思考する。

 

「それは、その答えはちょっと予想外だったな……。…………じ、じゃあさ、その……、私の味方って事でも良いのかな? 一応生徒会長とは言え、生徒でもあるんだけど……」

「勿論、ミカの味方でもあるよ。もしも君が困っていたら、助けを欲していたのなら、絶対に助ける。約束する」

 

 逸る鼓動と泳ぐ視線の両方を懸命に抑えながら、ミカは恐る恐るといった様子で先生に尋ねる。それに対して即座に、そして強く返された返答によって顔が紅く、熱くなっている事が彼女自身でもわかった。

 

「……わーお」

 

 最早それしか出てこない。今目の前にいる大人は想像以上に優しくて、格好良くて、頼りがいのある存在だと分かったから。彼女が考えうる限りの最高の返答。

 

 そして――――――、望む限りの最悪の返答だった。

 

(これきっついなあ…………)

 「そっ、か……。でもそれを額面通りに受け取るのは、ちょっと難しいよね……。」

 

 顔と同時に、全身に熱が沸き上がってくる感覚がミカを襲う。嬉しさと緊張と罪悪感。正と負の感情が混ざり合い、そうしようもない気持ちが彼女の心を満たしていく。

 先生は優しい。本当に、信じられないくらいに優しい。そんな先生を、彼女はこれから利用しなくてはならない。したいしたくないではなく、しなければならない。彼女に纏わりつく『理想の世界』がいつにも増して重くなっていく。あそこで適当な返事としておいてくれれば、まだ気が楽だったかもしれないのに。連邦生徒会長の様な人でなしなら、桜井景和の様な愚か者なら、まだ良かったのに。

 先程とはまるで違う矛盾した気持ちにミカは蝕まれていく。声が強張っているのが、自身でもわかった。

 

「ミカ…………?」

「だからね先生。取引、しない?」

 

 恐らくここが分岐点。全身から滲み出た汗がじんわり制服に染みていく感覚を、ミカはいつもよりも鮮明に感じていた。

 今ならばまだ引き返せるかもしれない。全てを投げ出して先生の胸に飛び込めば、きっと彼女は優しく包み込んでくれるだろう。

 

「補習授業部の裏切り者が誰なのか、教えてあげる…………」

 

 しかしあれだけの事をしておきながら、今更引き返すのか?

 その思いが、その甘美な考えを溶かしていく。許されないという強迫観念が、彼女を縛り付ける。

 

「裏切り者は……」

 

 どちらを選ぶか。それ即ち、『和解と殲滅』か『蘇生と罰』か、2つに1つのその選択。その選択によって、彼女の未来は一変するだろう。その先にあるものがなんであれ、彼女に止まるという選択肢は最早無い。

 そして震える声で、彼女はその名を告げた。

 

 「 ――――――裏切り者の正体は、浮世英寿」

 

▪▪▪

 

「………………」

 

 その後、ミカは口早に色々な事実を告げ終わるとすぐにその場を去っていった。その背中に声をかける暇も無く、自然の景色に溶けゆくその背中を見ている事しか出来なかった。

 先生はその場から動かない。ただ心の中に蓄積した汚泥の様な感情を溢れ出させない様に、彼女は澄み切った空を見つめている。

 

 ミカが何かを抱えて苦しんでいるなど、一目瞭然だった。そもそもが命を賭けた戦いに身を投じているのだ。それに値する何かを背負っているのは明白だ。それが何なのか、先生はわからない。彼女が語った事が真実なのかはわからない。もしかすると自身を利用するために吐いた嘘なのかもしれない。

 しかしミカが見せたあの笑顔はとても純粋な笑みとは言えない、今にも崩れ去りそうな、どうしようもなく泣きそうな笑みであった事だけは紛れもない真実だと、先生は断言出来る。あれは彼女なりの精一杯のSOSであったのではないか? どうしようもない状況に置かれ、その立場故に誰にも相談出来ずに抱え込んでいたものが自らの言葉によって爆発したのではないか。

 先生にはそう思えてならなかった。

 

 「私は、先生だ」

 

 何かに言い聞かせる様に彼女はそう呟く。その対象はこの場には居ない無数の生徒達であり、この世界であり、そして()()()()()()()()()()に向けたもの。

 何故そうしたのかはわからないが、それでも言っておかなければならないという衝動が彼女の中で沸き起こったのだ。彼女の中には、いつも誰かに見られているという感覚があった。

 

 「生徒を助けるのが私の役割だからね」

 

 口から呟かれる一言一言が重く、低くなっていく。沸き上がる感情は怒りと使命感。未だ天使であり続ける子供達を守らねばならないと先生を構成する全てが叫んでいる。

 彼女は言った。私は生徒達の味方であると、断言した。であれば果たさなければ。『行動には責任が伴う』という社会の根本を支えるそれを成すために、彼女は今一度、その空を睨みつけた。

 

▪▪▪

 

 やっぱり綺麗だな。

 

 中程の大きさの雲が点在しているその空を眺めながら、錠前サオリはふとそんな事を思った。そしてその感覚に、彼女はすぐに違和感を持つ。彼女に美を語る感性は存在しないし、それを手にする切欠も無かったはずだ。にも関わらずその様な感情を抱いた己を戒めるために、彼女は右の頬を強く叩いた。

 何も無い伽藍とした廃校舎に乾いた音が響き、すぐに静けさを取り戻した。

 

「サオリ」

 

 暗闇の奥から声がする。サオリはズレた帽子を深くかぶり直し、ゆっくりとその方向へと視線を向けた。

 

「………………アズサか」

 

 少女、白洲アズサはゆっくりとした足取りでサオリの下へとやってくる。彼女の持つ純白の翼とそれを彩るカラフルなアクセサリーは寂れた廃校舎には不釣り合いだ。しかし彼女がそれに不快感を示す事は無い。寧ろいつもよりも慣れているといった様子で、彼女はサオリと向かい合う。

 

 黒が多くを占めて質素なサオリと白が多くを占めてそれなりに派手なアズサ。全く異なる出で立ちの様に思える2人、しかし立ち方や武器と手の位置を鑑みてみると相応に似通っている箇所が挙げられる。それが2人を同じたらしめているものであると気が付く者はそうはいないだろう。

 

「首尾は?」

「問題無い。今の所は計画通りだ」

「そうか、なら良い」

 

 2人の会話は淡々とした実に簡素なもの。無表情なのも相まって何の感情も無く、ただ与えられたプログラムを遂行するだけの機械人形を思わせる。そしてそれは強ち間違いという訳でもない。2人、特にサオリは自身の事をそう強く認識しているであろう。どこか零れ落ちているかの様な記憶を埋め合わせる様に、ずっと。

 

「聖園ミカの情報では、補習授業部とやらには要注意人物として挙げられていた者も何人かいるな。特にシャーレの先生。彼女に関してどうだ?」

「それも、今の所は。私達の事どころかトリニティについても余り詳しい様には感じない」

「そうか。何か備えがあるのか単なるお人好しか…………。何にせよ警戒だけは緩めるな。キヴォトスに赴任してからの彼女の実績は目を見張るものがある。マダムは計画の一番の障害になるだろうと言っていた。何より裏にはあの連邦生徒会長が居る」

「……わかった」

 

 アズサの返答に、僅かながらの反感の意が込められた。サオリにはそれが何故かはわからず、少しだけ思考した。そしてすぐにそれを放棄する。理由などわかりきっている。脳内に浮かぶのはかつて自分達の上官であった幹部を睨みつけるアズサの姿。血と泥と暴力の雨に晒されながら、それでも睨む事をやめなかった彼女のそれは今でも小さな体躯の中に燻っているのだろうと、サオリは結論付けた。

 

「アズサ、忘れるな。Vanitas vanitatum, et omnia vanitas。世界は虚しい。世界はただ、虚しいだけだ」

「…………………………ああ」

 

 サオリは去っていく。黒に覆われたその姿は闇夜に溶け、輪郭すらも曖昧になっていく。

 雲が流れ、隠されていた月が顔を出す。瓦礫の隙間から差し込むその淡い白光はアズサの全身を優しく、そして切なげに照らしていた。

 

「サオリ、どうして――――――」

 

 それが零れたのは彼女が完全に消え去った後。以前とはまるで別人かの様に変わってしまったその有様はアズサには到底受け入れ難いものだった。

 あの日語った夢も何かに奔走していた時の情熱も、今の彼女からは欠片も感じられない。

 

 アズサは踵を返して歩き出す。込み上げる感情を瞳だけに押し込め、重い足取りで宿舎へと戻っていく。これからの事を考えると彼女の全身が重くなる。それでもその歩みは止めない。かつてサオリが言っていた言葉を心に言い聞かせ、彼女は進み続ける。

 

 

「――――――はぁ」

 

 そして、一部始終を陰から見つめる少年が1人。トリニティの制服の上から黒いロングコートを羽織った彼はゆっくりと溜め息を吐き出し、闇夜の中へと消えていった。

 

 

 ▪▪▪

 

「んー…………」

 

 デザイアグランプリ控えのサロン内で、ベロバは無邪気な笑みを浮かべていた。ゲームマスターが身に着けているはずの仮面を手で弄びながら彼女は両足をパタパタと揺らしながら遊ばせ、今か今かと何かを待っていた。

 そして数分後、サロンにある古ぼけたデザインの固定電話が鳴り響く。それを聞いた彼女はそれはそれは嬉しそうに受話器を握りしめ、自らの耳に押し当てた。

 

「どぉ? 準備出来た? ………………そう。なら早くこっちに送って! この目で一度は見てみないとねぇ?」

 

 期待通りの報告だったのか、心底愉しそうにベロバは嗤う。数秒も経たずに送られてきたそれを見て、彼女の興奮は天元突破を果たし、笑い声が口から滝の様に溢れ出していく。

 

「アハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハ!!!!!!! あ~、最っ高! これならゲームがもっと盛り上がるわぁ…………!」

 

 そこに居たのは一体のジャマト。一見なんの変哲も無いその個体だが手には本来仮面ライダーが所有すべきデザイアドライバーが握られており、ジャマトはそれを腰に当てる。そして取り出したのは異質なバックル。それは脱出ゲームで現れたジャマトライダーと同一の物だ。

 

「それにしても運が良いわねぇ、本当に。まさか死んで尚生き返るなんて、流石ゾンビバックルを好んで使ってただけはあるわぁ。あと少し長く使っていたら本当に不死(ゾンビ)になれたのに……残念」

 

 ベロバはジャマトに話しかけるが、ジャマトの方は何も話さない。ただ心底煩わしそうに、彼女の体を撥ね退けるだけ。その態度に腹を立てる事はなく、寧ろそうでなくてはとでも言いたげに彼女は微笑んだ。

 

 そしてベロバはジャマト相手に饒舌にかつての記憶を語りだす。かつて見た人間の過去、執念、生き様、そして死に様。その者は最高に格好良く、これ以上無い程に愚かしく、未だかつてない程に惨めな最期を遂げた。後少しで届いたはずの栄光を掴み損ねた時のあの絶望の表情は、今でも彼女の心を強く揺さぶっている。

 その者はもう居ない。しかしその思いは今でも誰かの心に残っている。であればまだ見られるはずだ。彼を取り巻く、最高に不幸な物語の続きを。

 

「この世界で幸福を享受出来るのはいつだって勝者ばかり…………。こんな世界間違ってると思わない?」

 

 ベロバはジャマトの頬を撫でながら耳元で囁く。

 

「だから壊しちゃいましょ。そうやって何もかもを壊してキヴォトスが、()()()が絶望して不幸になる…………そんなゾクゾクする世界をアタシに見せて?」

 

 いつしか彼女の表情は邪悪とは真逆の恋する乙女の様なものへと変わっていた。頬は桜色の熱を帯び、端正な顔を邪悪に染める。

 ジャマトは浸る彼女の手を払いのけて自らのドライバー、その中心を軽く触れる。指から感じる何かが割れた様な感触。それが異質そのものである事を、わざわざ語るまでもないだろう。

 ジャマトの肉体が蔦に覆われ変容していく。過去にも見られたその現象にベロバは驚かない。そうして出来上がったその姿はかつてその命を散らした敗者そのもの。

 

「敗者にもチャンスが無いとね。そうでしょ、ミッチー?」

「ダまレ……」《SET》

 

 ジャマトであったはずの彼はドライバーにバックルを装填しながら歩を進める。そこにあるのはデザイアグランプリのロゴが印刷された旗。それらを忌々しげに睨みつけ、勢いよく引き裂いた。

 そして『彼』は怨嗟の殺意の込められた表情で、ゆっくりと呻いた。

 

「ぜんブのライダーは、俺が潰ス………………!」《JYAMATO》




誤字報告とか遠慮なくお願いしますね
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。