ブックマークと感想を貰えると超嬉しいですとも。
1
事の始まりは、今より少し遡る。
高校最後の生活が始まってから、そろそろ一ヶ月。毎年ながら、最初の大型連休が迫っていた。
そんなある日の夜。夕食を済ませ、後片付けをした俺は、遠坂と毎夜行われる魔術の鍛錬の前の小休憩として、居間でくつろいでいた。
遠坂の魔術のレッスンは過酷極まるハードワークなので、せめて何もない時間はしっかりと休んで体力を温存するのが、遠坂に弟子入りしてからの俺の日課でもあった。
その日は珍しく、藤ねえは夕食を終えるなり帰ってしまった。連休明けに行われる中間テストの問題作成が芳しくないらしい。
桜の方も、連休中も弓道部の練習があると言って、今日は早めに帰ってしまった。
そんな訳で、その夜の家には俺と遠坂の二人きりだった。
最初は一人でテレビでも流し見しながら、なにもしないでいたのだが、少しすると魔術をレクチャーする為の準備を終えた遠坂が居間に合流してきた。
どうせ鍛錬が始まるまではお互い暇なので、雑談でもして時間を潰すことになった。
とはいっても、高校三年生になってから、俺と遠坂は毎日のように一緒に行動しているので、積もる話などは特にない。話題になるのは、今日学校で起こったこと、などである。
───まあ、学校の有名人である遠坂から話される内容はなかなか刺激的である。なにより俺としては、こうやって遠坂となにげない会話ができるのが嬉しい。
「そういえば士郎。最近アルバイトを増やしてるわよね」
さっきまでと変わらない穏やかな声音で、そんな事を訊いてくる遠坂。
「ああ、そうだな」
特に否定する必要もないので、肯定の相槌を打つ。
遠坂の言う通り、最近はこれまで以上にバイトを増やすようになった。
以前までは生活費を稼ぐためだけのものだったが、今はそれに加えて、色々とお金が必要になったからだ。
高校を卒業すれば、俺は遠坂の従者としてロンドンに行くことになる。遠坂のお陰で入学試験を受ける必要はないとのことだが、留学するとなれば、向こうで職を見つけるまでの生活費や、向こうで使う家具と、必要になる費用が多い。
既に遠坂には師匠として色々と世話になっているのだから、せめてお金ぐらいは自分で用意したいと、そんな俺なりの最低限の誠意があるのだ。
「えっと、なにかマズかったか?」
しかし、こうして遠坂が話を切り出してきたのには何か意味があるように感じられた。
バイトを増やしたことがなにかしらの逆鱗に触れたのかもしれない。少し恐くなったので訊き返してみる。
しかし、そんな疑念は杞憂だったらしい。
「別に何も。だいたい理由は察しがつくし、士郎が決めたことならわたしが口を挟む必要はないわ」
つまらなげに答えて、遠坂はお茶請けに置かれた煎餅を齧る。
その姿はいつもと変わらず優雅で、ここまで煎餅を食べる姿に気品を感じさせるヤツを見るのは初めてだった。
「そうか。なら良かった」
努めて平静を装いながら、見られないように顔を逸らして緑茶を啜る。
まあ、なんというか、信頼されているのは誇らしい。
「ところで衛宮くん」
しかし、そんな俺の感慨は、この上なく冷たい声で跡形もなく消え去った。
遠坂は、冷酷なまでに冷たい声音のまま続ける。
「連休に入るなり、連日バイトのシフトを入れて、肝心の“彼女”をほったらかしにしたのは、果たしてどういう事情によるものなのか説明してもらえるかしら?」
途方もなく冷たい、しかして溶岩のように煮えたぎった怒りが漏れ出てしまっている声音だった。
そんな声に引かれて顔を見れば、遠坂は笑顔だった。しかし決して笑ってはいなかった。口角は上がり、目尻が下がってはいるが、その全てがぎこちない。あるいは、俺を威圧するためにわざと不自然な笑顔を作っているのか。
なにより、こめかみには青筋が浮き出てしまっている。
結論として、表情と感情が噛み合っていないのは明白であり、ここで選択を誤れば、
「弁明があるなら聞いてあげるわよ、衛宮くん?」
死刑執行の瞬間が迫り、死神は背後にしがみついてくる。
選択を誤れば、俺は遠坂の怒りもといガンドをその身に受けることになるだろう。
ならば、俺の取れる選択肢は───
「すまない。短絡的な選択で遠坂を蔑ろにした」
できる限りの減刑を求めることだった。
一応、俺なりに精一杯弁明することも考えたが、俺程度が考えつくような言い訳が遠坂に通用する訳がない。こと説法や論戦の分野なら、遠坂は一成と二大巨頭だろう。この場合、対抗となる一成と比べても、容赦のなさから遠坂が一歩先を行く印象がある。
「む。釣れないわね。言い訳の一つでもしてくれたら、こっちも面白くなったのに」
「そりゃあ、今回は完全に俺の落ち度だし───そこでだ」
こともなげに怖いことを言いながら可愛く拗ねる遠坂に怯むことなく答える。
自分も、ただ謝っただけで反省の気持ちが伝わるとは思っていない。そもそも今回の件は、まず第一に相談するべき遠坂になにも告げずに、勝手に決めてしまった俺が悪い。その責任を取って、初めて遠坂に、謝罪したと言えるのだから。
「その埋め合わせとして、連休のどこか一日にデートに行こう。もちろん行き先は遠坂が決めていいし、その日は遠坂の言う事はなんでも聞く」
連日シフトを入れたといっても、さすがに空きの日はいくつかある。本当はその日にもバイトを入れようかとか、せっかく時間もあることだし土蔵のガラクタの整理とかに使おうと考えていたが、背に腹は代えられない。
「そう。じゃあ、その日はわたしに絶対服従ってコトでオッケー?」
「む……まあ、そうなる」
恐ろしい問いかけに対して、俺は否定できない。
「そっか。じゃあまず、その日のお弁当は士郎に作ってもらおうかしら」
「わかった。腕によりをかける」
「それは楽しみね。じゃあ、日程は五月五日ね。どうせなら、最終日に思いっきり遊び倒すわよ!」
そう得意げに胸を張る遠坂。
こんな経緯で、連休最終日の五月五日に、俺と遠坂は遊びにいくことになった。
2
「…………、ん」
窓から差し込む陽射しで目が覚めた。
外はまだ仄暗く、日は登ったばかりのようだった。
「……よし」
時刻は五時半。
いつも通りの起床に、いつも以上に感謝しながら、寒さに負けじと起きあがる。
なにしろ今日は忙しい一日になる筈だ。朝に弱いお嬢様が寝ているうちにできる限りの準備はしておきたい。
「なにはともあれ朝飯だ」
遠坂に連れ回されるなら、どんな形であれエネルギー補給はしておきたい。
ただし、行った先で間食する可能性を鑑みて、なるべく量は多くならないようにする。朝の献立を組み上げてから、遠坂にリクエストされた弁当に取りかかろう。
今日は五月五日、連休最終日にして遠坂とのデートの日である。
居間に到着して、すぐにエプロンを装着して台所に立つ。
冷蔵庫の扉を空けて、使える食材を確認する。
遠坂にリクエストされた以上、弁当の方は豪勢に行きたい。そう考えると、やはり朝飯の方は軽くした方が良さそうだ。
「だったら今日はパンだな」
衛宮邸での朝食は、基本的に米が並ぶことが多い。
俺が和食が得意なところもあるが、この家の住人たちは基本的に活動量が多いので、腹持ちがいい米が主食になるのだ。
ただ、今回に限っては軽く済ませたいのでパンを主食にする。
トーストだけでは味気ない。ベーコンエッグとサラダもつけよう。
「よし。朝の献立決まり」
すぐに作れそうだし、弁当の方を先に作ってしまおう。
中身は昨日のうちにある程度組み上げている。
定番の鶏の唐揚げや卵焼き、ウィンナーは外せない。唐揚げに関しては、いっそのこと鶏肉をタレに余分に漬け込んで、夕飯の分も作ってしまおう。夕飯の主菜も決まった。
朝食がパンになるから、弁当の方の主食は米にする。おにぎりを数個、具材は鮭と昆布の佃煮、明太子を二個ずつ。
副菜は朝食に作るサラダを流用する。もちろん流用するからといって手抜きはしない。今朝の朝食が少し歪なかたちになってしまうが、この辺は妥協しよう。
ここまでの献立を二段式の大きめの弁当箱に詰め込む。
そして、弁当のおかずには予め買っておいたピックを刺しておく。サラダを食べる用の箸を用意しておく必要はあるが、手軽に食べられる筈だ。
弁当の構成を作り上げた俺は、さっそく作業を開始した。
すべての準備を終えた頃には、既に二時間が経過していた。
弁当を作り終えて、しばらくしないうちに起きてきた遠坂と朝食を食べてから、俺たちは家を出た。
起きた時には暗かった空も、日が昇って清々しい青空を見せる。
「それで、結局どこに行くんだ?」
弁当を入れたトートバッグを肩にかけて歩きながら遠坂に訊ねてみる。当然というか、毎度のことというか、今回も俺が荷物持ちだった。
あれから今日まで一週間近く経っているが、遠坂からどこに行くかは聞かされていなかった。
「隣町まで行くわ」
遠坂はきっぱりと言い切った。隣町とは新都のことだ。
「意外だな。遊び倒すって言ってたし、てっきりもっと遠出するのかと」
「それも考えたけど、なにせ今日は連休最終日でしょう?」
「なるほど。無理して遠出しても混んでて楽しめないかも、と」
「そういうコト。さあ、急いでバスを捕まえるわよ!」
そういって、遠坂は少し歩調を速める。確かにこのペースでは、隣町行きのバスの一番近い時間にはギリギリ間に合わない。
俺も歩調を速めて、先を行く遠坂を追った。
3
「う─────」
バスから降りた瞬間、人ごみに圧倒された。
ここ二ヶ月の間で、週末の新都に集まる人の営みには耐性がついてきていたつもりだったが、これはそれ以上だった。
さすが連休最終日。それに天気のいい休日に、時刻も十時前なのだから、賑わないほうがおかしい。
これなら、遠出して水族館や遊園地にでも行った場合にはこれ以上の混雑に巻き込まれたことだろう。それを避けた遠坂の選択は英断だったと言える。
「うわ。凄い人ね~。これは予想以上だわ」
隣にいる遠坂を除くと、その横顔には少し驚いている様子だった。いや、口をポカンと開けているところを見るに、呆気に取られているといった方が正確だろうか。
「遠坂も初めてなのか?」
「連休最終日はね。人が混むの判りきってたし。用事がある時は早めに処理してたから」
さすがは遠坂。やるべき事柄を決して後回しにしない勤勉さにはいつもながら頭が下がる。
「それじゃあ行こっか。これだけ賑わってるなら、ゆっくりはしてられない。この人込みに呑みこまれる前に吞んでやる気概で行くわよ!」
意気込む遠坂に目印にして、俺も後に続く。
そんな遠坂に連れられてきたのは、やはりというか、新都のデパートであるヴェルデだった。
「ヴェルデってことは、店を回るんだよな」
「ええ、あと二ヶ月もすれば夏でしょう? 新しい夏服が欲しいから、見ておきたいのよ」
「なるほど。ちなみに俺に荷物持ち以外の役割ってあるか?」
「大ありよ。士郎と過ごす夏のための準備だもの。貴方の意見がなきゃ始まらないわ」
ほら、さっさと入るわよ、なんて腕を引かれて、百貨店の入り口を抜ける。
入場した客を出迎えるのは、大きな吹き抜けのある広場だ。二階から五階までを突き抜けて、下からは上の店が、上からは下の様子が見えるようになっている。
ただ、俺の視線はより高くに吊り下げられているソレに注目していた。
「うわ。なんで鯉のぼりをよりにもよって室内に吊り下げるのよ」
隣の呆れた様子の遠坂で、同じものを見ていると知った。
───いや、あれだけ巨大なものなら、他の人たちの注目を集めそうだが。
吹き抜けの天井の頂上、そこから巨大な鯉のぼりが糸で吊り下げられている。遠坂の言う通り、室内に吊り下げられ、風を受けられずに垂れ下がったソレには物悲しいものがある。
「そうだよな。外にポールでも立てて取り付けたほうが、鯉のぼりの本懐は果たせただろうに」
そもそも、わざわざ室内に吊り下げるほうが手間がかかったのではないか。ここの職員たちにそんな常識的な発想をした人が一人もいなかったのだろうか、と少し心配になってしまう。
おかげで、気づくのが遅くなってしまった。
「思い出した。今日ってこどもの日だったよな」
我ながら抜けているにも程がある。今日が平日なのに休みなのは、国民の祝日であるからだ。それがいくつも重なり合って生まれた黄金週間の最終日がなんであるのか、すっかり失念していた。
「ん。なにか言った?」
「いや何も。むしろ遠坂に聞かれてなくて助かった」
こんなこと聞かれたら、遠坂にコテンパンにされちまう。
「そんなことより行こう。俺も遠坂の選んだ服が見たい」
追及される前に促して、最初の目標である遠坂の新しい服を見つけに、ブティックに向かった。
4
最初の二時間はひたすらに色々な店を回った。
ブティックでは様々な夏の装いを試す遠坂を見ることができた。
元々フットワークの軽い遠坂と涼やかな夏服は相性がいいらしく、どの衣装もとてもよく似合っていたと思う。
そのような感想を伝えていたら、
“少しは意見出しなさいよ⁉”
というお叱りを受けてしまった。
確かにどの服も似合っている、とだけ言われても判断材料にならない。ただ、本当にどの服も似合っていたのだから仕方がないではないか。
そうやって答えた俺に、困り顔で遠坂がこう返してきた。
“だったら、アンタはどのわたしと夏を過ごしたいのよ”
それならば───難しいことに変わりはないが───なんとか選べそうだったので、頭を抱えながら、二つ目に来ていた白い袖なしのブラウスと黒い短めのプリーツスカートの組み合わせがいいと思ったことを伝えた。
その衣服を購入し、そこからはヴェルデの中から外まで、色々な店を巡った。
雑貨屋でいまだに買っていなかった遠坂の湯飲みを探したり、アクセサリーショップなんかにも足を運んだ。
“こういうのに魔力を溜めた宝石を仕込むのもアリよね”
イヤリングを見ながら語る遠坂の言葉は聞かなかったことにした。
そうして今は、街中を歩いている。
ちなみに俺は行き先を知らない。遠坂の二歩後ろを着いて歩いている。ただ、遠坂の足取りに迷いがないところを見るに、あてもなく散策している訳ではないらしい。
とはいえ、さすがに何処に行くぐらいは訊いておくべきだろう。遠坂は脈絡なくジェット機じみた行動を起こすので、せめて心の準備ぐらいはしておきたい。
「なあ遠坂、いまドコに向かってるんだ?」
「内緒」
─────即答だった。
「ええ、その心は?」
「それも内緒」
───────これも即答だった。
心なしか、問いかけに対する返しで歩みが少し弱々しくなる俺と反比例するように、遠坂の歩みがスキップじみた弾んだものになっている気がする。
とりあえず、いま判ることは遠坂が向かっている行き先は秘密、その理由も俺に隠したいらしい。
「短い人生だったな」
「なに勘違いしてるのよ。ほら、着いたわよ」
脳がこれまでの人生の総集編らしきものを再生しかけたところで、遠坂が呆れたように言いながら立ち止まった。
走馬灯の再生を打ち切って、遠坂の視線の先を追う。そこにあったものに、俺の目は見開かれた。
「ここって───」
「どう? こういうわたしたちらしくない場所に行くんだから、新鮮な驚きを提供したいじゃない?」
確かにこれは驚いた。
いま俺たちの前に佇む建物は、普段の俺たちなら絶対に行かない場所。
つまるところ、ゲームセンターだった。
入り口を潜ると、まず真っ先に音に気圧された。
あらゆるゲームの効果音とそれを遊ぶ人の喧騒が忙しなく続いている。もう騒々しいぐらいだ。
「さて、行きましょうか」
入って数秒、中を見まわしてから遠坂は促してきた。
「お、おう」
いまだここの雰囲気に圧倒されながら、遠坂の隣を歩いていく。
自分たちが遊べそうなゲームを探しているのか、大きい通路を歩きながら、周りを注意深く観察している遠坂を見習って、俺も辺りを見ましてみる。
初めに目に付いたのは、クレーンゲームだった。
店頭には並ばないような大容量の駄菓子や、可愛いぬいぐるみといった、色とりどりの景品がクレーンの取り付けられた箱の中に鎮座している。
本来数千円はするだろう景品を、わずか百円玉硬貨数枚で手に入れられる可能性があると思うと、なるほど浪漫がある。これは誰もが遊ぶ訳だろう。そしてクレーンゲームの中にはお金が蓄えられていく訳だ。いい商売をしている。
その後もいくつかのゲームを見て、俺と遠坂が遊べるならどんなゲームがあるだろうと考えてみた。
デジタルオンチな遠坂はもちろん、俺もゲームを嗜んでいる訳ではない。
となると、やはり練習が必要なゲームは避けた方がいい。アーケードゲームで練習するなんて出費は想定されてはいないだろう。
それなら、できるだけ単純かつ直感的な操作で楽しめるゲームの方がいいのだろうか。
そうした思考が浮かんだところで、一つのものが目に入った。
「遠坂、あれとかどうだ?」
肩を叩いて遠坂を呼び、目に入ったものを指差してみる。
指差した先には、卓球台に似たテーブルの上に、手の持てる大きさの赤と青のマレットが二個ほど置かれている───エアホッケーと呼ばれるゲーム筐体だった。
「なに、衛宮くん。あれで遊びたいの?」
「いや。あれなら必要なのは体と反射神経だけだし、俺と遠坂でも楽しめるかな、って」
「ふーん。いいじゃない。じゃあ、まずはアレで決まりね。お昼ご飯前の運動にもなるし、中々いいアイデアよ」
遠坂は極上の微笑みを湛えて、エアホッケーの筐体へと駆けていった。
「そいつはどうも……ったく」
我ながら慣れないにも程がある。
ただ、好きな相手にそんな顔をされて褒められる、なんて照れるに決まっているじゃないか。
「ちょっと。なにしてるのよ士郎。アンタがしたいって言い出したんだからね」
「わかってるって。いま行くよ」
遠坂に遅れてゲーム機の前に立って、百円玉を投入する。
どうやら一定の点数を先に奪取した方が勝つルールのようだった。
先行は遠坂。その手に持った赤いマレットで、プラスチックの円盤を勢いよく打ち出す。
「っ────!」
俺から見て右を狙った打球に反応する。
対角線上に打ち返したパックはテーブルの外枠に激突し、反射してゴールを狙う───!
「甘いっ!」
難なく対応する遠坂。
今度は正面ド真ん中。全力で打ち返されたソレに俺は反応できず、パックはテーブルの中心、外枠が付けられていない穴に吸い込まれるように潜った。
「先制点! 張り合いないわよ、士郎」
「勝負はまだ始まったばかりだろ。すぐに取り返してやるからな」
得意げに胸を張る遠坂に答えて、素早く筐体の下側から出てくるパックを取り上げる。
俺としても、普段負けてばかりの遠坂に一泡吹かせるチャンスだ。是非ここで勝ち越しておきたい。
今度は俺から、プラスチックの円盤を打ち出した。
5
「遊んだわね」
ゲームセンターを後にして、歩きながら遠坂が伸びをする。
「そうだな。案外疲れるものなんだな、ゲームって」
体には疲労感がある。慣れない作業だったこともあって、体力を使っていなくとも、精神的な消耗が大きかった。
肝心の結果だが、五戦やって三勝二敗で遠坂の勝ち越し。ただ、お互いあのゲームが初めてで慣れていなかったのと、狭い卓上の戦いだったので駆け引きの要素が薄く、単純な反射神経の競い合いだったからだろう。自分でも意外に思うほど食い下がれた。
“これはここまでにしよっか。せっかく来たんだから、他にも色々遊びたいし”
その意見はもっともなんで、もう二戦ほどしたい気持ちを抑えて頷いた。
ただ、体を動かして慣れない場所での気負いが取れたのだろう。
その後は気軽にゲームセンターを回って、遠坂が気になったゲームをやった。
「士郎にシューティングゲームで挑んだのは失敗だったわ。まったく歯が立たなかったもの」
「そりゃあな。遠坂はガンド撃ちの時もあまり狙いをつけるタイプじゃないから、ここでぐらい勝っとかないと」
「むしろあれで照準の付け方を練習するってのもアリか」
「───ええっと、ダメ」
マシンガンの弾幕が正確な照準で飛んでくるってのは、もう立派な兵器だ。
「そうよね。そもそも他にやることもあるし」
「うん、それがいい。お願いします」
今でも十分怖いんだから、これ以上の性能なんて必要ありません。
「けど、アレはスッキリしたわ」
「ああ、アレか……」
ファイティングポーズを取りながら、拳を突き出す遠坂の姿で言わんとしている事を察する。
「随分気に入ったんだな。パンチングマシーン」
「ええ。一目見た瞬間に気づいたわ。これはわたしの為にあるものだって、矛と盾が出会ったように、魂の欠けた部分が埋められた感覚だったわ」
なるほど、一度出会ったら戦わずにはいられないと。
この場合、的を射ているのかいないのか微妙なところだが、遠坂らしい、とんでもない表現だとは思う。
それに、俺の目から見ても、アレと遠坂の相性は最高だった。
実際、あのミットとグローブを備えた筐体を目にしてからの遠坂は凄まじかったの一言に尽きる。
それを視界に入れるなり、ひとりでに駆け出して百円玉を投入。次の瞬間には───きちんとゲームの説明は待っていたが───グローブを装着、ミットに渾身の一撃を叩き込んでいた。
あまりゲームには詳しくないのでわからないが、初めてのパンチングで二百五十なんてスコアを普通の女の子は出さないと思う。
よほど爽快だったのか、学園のマドンナは追加で二回、都合三回ミットに拳を打ち込んでいた。
最後の一回なんか、ミットが倒れる前にもう叩き込む暴挙にまで出る始末。
何が遠坂をそこまで駆り立てたのか。詮索するのはよしておこう。本格的な命の危険が生じる気がする。
「初めて行ったけど、案外楽しめたわね」
「ああ」遠坂の言葉に相槌を打つ。
実際、慣れないっていうのは、それだけ新鮮な体験だったって事だ。
いつになっても、新鮮な体験というのは時間を忘れさせる。
「ん。どうした遠坂。なにか気に入らないって顔だけど」
「別に。判ってはいたけど、やっぱり悔しいなって」
「なんだよ、それ」
「アンタには関係ない事よ」
いきなり人の顔を不満げに見て、掴みどころのないコトを言う遠坂。
「そんな事より、そろそろお昼ご飯にしましょう」
ただ、続けられた遠坂の台詞がもっともだったんで、追及する機会は訪れなかった。
昼食にしようとやってきたのは公園だった。
晴れの日に弁当を持ってくると、大抵はどこかの公園で食べることが暗黙の了解になりつつある。
せっかく作ってきたんだし、どうせなら見晴らしのいい場所で食べたいというのは俺も賛成だ。
「では、どうぞ」
こうなることを見越して用意していたレジャーシートを広げて座った後。
トートバッグから肝心の品物を向かい合う俺と遠坂の中心に置いて、フタを開いた。
「おお、美味しそう」
弁当箱の中には、規則正しく詰め込んだおかずの数々。
朝に作ったから揚げたちは───既に温かさを大分失っていたが───遠坂の言う通り、美味そうな匂いが鼻腔をくすぐった。
午前中は色々な場所を歩いたし、さっきはゲームセンターである程度は運動したので、適度に腹が空いている。
「いただきます」
「いただきます」
手を合わせて、昼食の時間が始まった。
「おにぎり?」
「うん。上から鮭、昆布、辛子明太子」
「最初は昆布から食べようかな」
そう言って、遠坂は真ん中のおにぎりを手に取って口に入れる。
「美味しい。動いた体に塩味が沁みるわね」
「それはよかった。じゃあ俺も」
自分も一番上の鮭のおにぎりを一口。
適度に動かした体に鮭のほぐし身の塩味と米の旨味が満たしていく。
前のバッティングセンターみたいに体を動かせる場所を行くと踏んで、主食を米にしたのは正解だった。
「じゃあ、次は唐揚げね」
遠坂は次に、ピックに刺さったから揚げを取り上げて、一口大のそれを頬張る。
「美味しい。やっぱり唐揚げは冷めても美味しいのがいいわよね」
「まだタレに漬け込んでるのが残ってるし、今夜は熱々なのも食えるぞ」
「さすが士郎。わかってるわね」
「そいつはどうも」
いい加減に慣れたいものだが、照れくさいのは仕方がない。
目の前で、楽しげに笑う遠坂から顔を逸らし、実は一番自信のある卵焼きを口に入れる。卵の甘さと、仄かに感じる出汁の風味が心地よかった。
そのままの勢いで、半分ぐらい食べ進めたところで、
「まあ、構成が運動会で昼に家族で食べる弁当感が否めないのは唯一の不満点だけど、それ以外は概ね合格よ」
ぐ。普段はまわりくどいのに、こういうところは率直に言ってくる辺りが遠坂らしい。
「そいつは悪かったな。これでも俺なりに遠坂と差別化を図ろうと思ったんだ。けど今に見てろ。今回の反省を活かして、次こそはぐうの音も言わせないからな」
「それは頼もしいわね。楽しみに待ってるわ」
なんて、またもや意地の悪い笑みを浮かべる遠坂。
この悪魔は、基本的に俺が振り回されてもがいている様子を見るのが楽しんでいる。さしあたっては、いつかのデートでは中断するほかなかった午後にへばる俺を見たいって顔だ。
「先に言っておくけど、あの時とは違うからな。午後からだって遠慮なくて振り回してくれていいぞ。絶対に音を上げてやるもんか」
言って、箸を使ってサラダを食べる。シャキシャキ、という食感で目が覚める。
「そう? それは残念。午後は少し趣向を変えて、穏やかに行こうと思ってるの」
予想外の返答に反応が遅れる。
「あれ。そうなのか」
「けど、そっか。なら次回は一日中付き合ってくれるってコトでいい?」
鬼の首を取ったように得意げに笑う遠坂。
「……わかったよ。自分で言い出したことだし、今更引っ込められるか」
というか、そういう失言をしたから攻めてきてるんだろ、この悪魔。
「それに、遠坂に振り回されるの疲れるけど悪くないし」
「……そ、そう」
「ん。どうかしたか遠坂。急に顔逸らして」
「分からないんだったら、一生そのままでいなさい。鈍感」
なんだそれ、という言葉を呑みこむ。
そんな自分には分かりません、なんて返しをしても無意味なのは察しがついた。
どこに視線を向ければいいか分からなかったので、とりあえず広場を見まわした。
「…………」
不意に、その光景が目に入った。
俺たちと同じように、この広間で昼食をとる三人。
父と母と、その子供。
子供は周りの景色に目を輝かせて、両親の存在を確かめるように何度も振り返りながらたどたどしく歩いている。
二人の親は慈しむような目で、我が子の小さく大きな冒険を見守っている。
そんなありふれた光景に、忙しない時間で再び抜け落ちた前提を思い出した。
「どうしたのよ士郎。急にボーっとして」
「ん。ああ、いや、今日ってこどもの日だったんだよなあ、ってなんとなくそう思っただけ」
「こどもの日って、そりゃそうでしょ。なに当たり前なコト言ってるのよ」
「いや、そうなんだけど」
どうしても今日は連休の最終日である、という認識のほうが先に来るというか───
「───はて?」
頭の中で生まれた疑問に、首を傾げる。
改めて考えてみると、妙な話である。
そもそも、なんで遠坂はデートの日を連休最終日に指定したのか。
いや、このデート自体は遠坂に構わなかった俺の埋め合わせで、俺自身に拒否権はなかったのだけど、連休のシフトの空きは他にもあったのに、なんで今日を選んだんだろうか。
あの時は、連休の最後に思いっきり遊ぶ、という派手好きの遠坂らしい言葉で納得してしまったっが、今日実際に遊んでみて、どうもそれだけじゃないように思われた。
「なあ、遠坂……ちょっと質問があるんだけど」
「それはいいけど、アンタさっきから何を食べてるのよ」
「えっ」
言われて、手元を見てみると、箸が掴もうとしたサラダはどこにもなかった。
どうやら自分は、既にない野菜を延々と口に運んでいたらしい。
「悪い。本当にボーっとしてたみたいだ」
「ちょっと。大丈夫なのそれ。もしかして、さっきのは強がりで、本当は午前中で体力使い果たしてるんじゃないでしょうね」
「そんなヤワなもんか。それに、午後からは穏やかに行くんだろ。だったらへばってたって問題ない。それとも、やっぱり俺が倒れるような作戦でもあるのかよ」
先ほど生まれた疑問をいったん棚にあげて答える。
一応、大丈夫というジェスチャーとして、まだいくつか残っていたからあげを一つ、丸ごと頬張ってみせた。
「ま、それもそっか」
遠坂は得心がいったようで、これ以上追及してくることはなかった。
「じゃあ、それじゃ残りも食べよっか。いつまでもここで休んでいる訳にもいかないし」
卵焼きを口に入れる遠坂。
「あら。これも美味しい」
「お褒めに預かり光栄です。卵焼きは結構作ってるからな」
答えてから、俺も箸を再び進め始める。
俺たちの昼休みは、もうしばらく続くようだった。
6
「なあ、遠坂。穏やかに行くってこういうことなのか?」
「そうよ。お茶会。おやつの時間も近くなってるしちょうどいいでしょ?」
昼食を終えてしばらく散歩してから、俺たちは和風の茶屋に来ていた。
きっかけは遠坂の一言。
“三時のおやつっていうし、そろそろ甘いものが食べたいのよね”
言われてすぐに思いついたのは以前訪れた喫茶店の方だったが、そう訊ねると、
“今日はそっちじゃないわ。せっかくの祝日だもの。そっちに乗りましょう”
と返されて、この茶屋が選ばれた。こどもの日と茶屋がどう結び付くのかは、俺にはよく解らない。
「そう言われれば、そうなのか……?」
お茶会とは言うが、毎日話している俺たちが、いまさらお茶会で改まってするような話があるのだろうか。
「なによ。訊きたいことがあるんでしょ」
結局、疑問を訊ねる
というより、遠坂が“午後からは穏やかに行く”と言っていたから、いま無理して訊きだすような話題でもないと思ったのだ。
「まあ、そうだけど」
「それに、わたしにはあるわよ。話したいこと」
そう言うと、遠坂はメニューを手に取り、開いて、こちらにも読めるよう机の上に横向きに置いた
「で、何を頼む? わたしはもう一つ決まってるけど」
そう言って、冊子とは別に置かれたものを指差す遠坂。
「柏餅?」
「せっかく端午の節句なんだし、食べといた方が満足感あるでしょ?」
なるほど。祝日に乗るとはそういう意味か。
「そうだな。じゃあ俺もそれで……一つってことは、他にも頼むのか?」
「それをこれから決めるのよ」
冊子をパラパラとめくり、遠坂は自分が食べたいものを絞り込んでいく。
「わたしはこのクリームぜんざいね。士郎は?」
「遠坂は? 他に味見したいものとかないのか?」
「わたし? ……そうね。この抹茶パフェとかかしら」
「なら俺はそれを頼むよ。あとは、このおはぎ三種セットを二人で分けるってのはどうだ」
「いいわね。あと一つ」
「お代は俺が払います」
「よし。そういう訳で注文を確認します。柏餅二人前、クリームぜんざい、抹茶パフェ、おはぎ三種セット、それと緑茶でよろしいでしょうか。お客様?」
そんなこんなで昼下がりのお茶会は始まった。
数分後。注文したものが運ばれ、机の上に置かれた。
早速、熱い緑茶で喉を潤す。
仄かな苦味と渋味が心地いい。遠坂に弟子入りして、紅茶を飲む機会も多くなったが、やはり自分には日本茶の方が合っているのだ。
机に並べられた甘味の数々を見れば、飲み物は苦いぐらいが吊りあいが取れていると思う。
遠坂はさっそく、クリームぜんざいを食べて舌鼓を打っている。
「士郎。そっちのもちょうだい」
「お、おう」
遠坂に促されて、自分の抹茶パフェを差し出す。
「もう。わかってないわね、こういう時はあーん、ぐらいしなさいよ」
「なっ。人前でそんなコトできるか馬鹿⁉」
「そう? じゃあわたしの方はするわよ。はい、あーん」
そう言って、自分のクリームぜんざいをスプーンですくって、笑顔で俺へ差し出すあくま。
「あ、あーん」
断れるわけがない。
気恥ずかしさなんて、この報酬の前ではないに等しい。
そうして、遠坂が差し出してきたクリームと餡子を呑み込んでから数秒、気まずい沈黙があった。
「……恥ずかしい」
「あとで後悔するぐらいならやるなよ」
「なによ、悪い⁉ 仕方ないじゃない⁉ なんかやりたかった気分だったのよ」
「……」
まあ、熱に浮かされて後でへこむのは遠坂らしいといえばらしいが。
「で、味の方はどうだった?」
「えっ」
そんなこと訊かれても困る。
遠坂のあーんで全部持ってかれて味わっている余裕はなかった。
「甘すぎるぐらい甘いのはわかった。確かに美味しいけど、飽きないのか?」
「よく言うでしょ。おやつは別腹。それに、こういうのは心の保養よ」
心の保養、というと。
「食事って言うのは、いわばエネルギーの補充でしょう? でも、体だけ元気になっても、心が疲れてたら本調子なんて出せないわ。だからこうして、心の方も満たしてあげるんじゃない」
「そういうもんなのか?」
「そういうもんよ。士郎だって、衛宮家での団欒がそうでしょ?」
確かに、あの家での団欒に気を休めている自分がいるのは確かだ。
遠坂にとっての甘味は、それと同じらしい。
「じゃあ、あーん」
抹茶パフェをスプーンですくって、遠坂に差しだす。
「えっ」
「……その。お返し」
「どういう風の吹き回しよ。さっきは人前でできるかって言って恥ずかしがってたクセに」
「そうだけど、遠坂だけに恥ずかしい思いをさせる訳にいかないだろ。だから、これであいこだ」
今の言葉通り、凄く恥ずかしい。
心臓はバクバクうるさいし、顔は耳まで赤面しているのが分かる。
「あーん」
遠坂は横の髪をかきあげながら抹茶のアイスとクリームを口に入れる。
その後、少し味わってから呑みこんだようだった。
「ど、どうだ?」
「美味しい。クリームの甘味と抹茶の苦味が絶妙。あとは───」
「あとは」
「士郎が食べさせてくれたことで二倍増しってところね」
「…………」
その言葉とその顔は卑怯だ。
これまでだっていっぱいいっぱいなのに、そんな笑顔を見せられたら、許容量なんかとっくに越えて、なにも返せないじゃないか。
熱のこもった顔と頭をどうにかしようと、抹茶パフェを食べてみたが、まったく効果はない。
「なら、よかった」
やっとの思いで捻り出したのは、我ながらどうかと思うほど不器用な言葉だった。
そんな休息どころか疲労が増しただけのような出来事も挟んで、甘味も半分ほど食べ進んだ頃。
「それで、わたしに訊きたいことって?」
遠坂らしい単刀直入な切り出しで、ようやくお茶会の本題が始まった。
「遠坂だって話したいことがあるんだろ? 俺の方は後でいいよ。大した疑問でもないし」
「大した疑問でもないなら先に済ませなさいよ。言っとくけど、わたしが話してる時に上の空になるだけは勘弁だからね」
「む……」
毎度ながら、確実に痛いところを突いてくる。
実際、俺はさっきの昼食で、遠坂の言う通りボーっとして話を聞いていなかった前科があるので、言い返せる言葉もない。
「じゃあ、俺の方から。なんで今日にしたんだ? 連休最終日に遊び回るってだけじゃないんだろ」
あまり先延ばしにするのも性に合わない。遠坂を見習って、率直に疑問を口にしてみた。
遠坂は思案するように顎に手を当て、少しすると微笑んで、
「そうね。ならそれ、衛宮くんが当ててみて」
また唐突な答えを返してきた。
「……は?」
「だからクイズ。わたしが今日を選んだ理由を当ててみて。正解なら、わたしの話を聞かせてあげましょう」
あんまりに突拍子のない提案だったんで、二の句が継げない。
体感的にはこういう時の遠坂は俺をからかって愉しもうとしてるのが七割、真面目な話になるのが三割ってところか。
どちらかはまだ分からないが、ハッキリしてることは一つ。
「わかった。やるだけやってやる」
「気合十分で結構。安心なさい。わたしの話ができなくなるのも困るし、手こずるようならヒントをあげるから」
遠坂の狙いがなんであれ、俺が正解しなきゃ話が先に進まない。
「今日限定のセールとかやってた?」
「んー。セールはやってたけど、別に今日限定ってものはなかったんじゃないかしら」
「じゃあ、今日限定で欲しい服とか小物が売られてた、とかどうだ」
「だったらそれをまず買ってるでしょう。いくらなんでも当てずっぽうが過ぎるわよ」
「む。そうだな、気をつける」
倹約家な遠坂が理由にしそうなところで真っ先に思いついたものを挙げてみたが、手ごたえはなかった。
「…………」
腕を組んで頭を抱える。
少なくとも今日買ったものは除外できるとわかっただけでも収穫ではあるのだが、そういったもの以外となるとめっきり思いつかなくなる。
手詰まりな訳だが、それ以上に悔しいのが───
「……手こずってるみたいなのでヒントね。この茶屋と関係があるわね」
こうして唸って悩んでいる俺の姿を眺めて、目の前のあかいあくまが愉しんでいることである。
しかし、ここで意地を張っても仕方がない。
この茶屋に入ってきてからの自分たちの行動を思い出す。
「あ」
そこまで思考を巡らせて、ここに至るまでの遠坂のある言葉が銃弾のように脳を掠めた。
だが、そんな単純な答えでいいのだろうか。
「考え過ぎ」
そんな俺の疑念を見透して、遠坂は切り捨てた。
「考え過ぎなのよアンタ。こんなの深く考えなくたって真っ先に思いついてたでしょう?」
「……そうかもな。でも、遠坂の出すクイズなんだ。なにかしら捻られてるっていうか、意地の悪いひっかけを用意してるって考えるのはしょうがないだろ?」
「馬鹿ね。いくらわたしでも、即興のクイズにそんな仕掛けできる訳ないじゃない」
俺の言葉が癪だったのか、半目で不機嫌な表情を作る遠坂。
事実とはいえ、自分がいじめっ子みたいに言われるのは心外みたいだ。けど、今回に限っては善意によるものだったのだろうし。
「確かに、今のは失礼だったよな。悪い」
なんで、素直に頭を下げることにした。
「いいわよ別に。気にしてないから」
シッシッ、とつまらなげに手を振って遠坂は俺の謝罪を受け取らなかった。
噓つけ。顔には不服です、って言葉が書いてあるんだ。どう見たって気にしてる。
だが、これ以上追及すると本題から逸れるし、そのつもりもない。
「話を戻して、答えを言ってもいいか」
「ご自由にどうぞ。出題者として、しっかりと審査するわ」
そうして、挑戦の時がやってきた。
「さて衛宮くん。貴方の出した答えを聞かせなさい」
「───今日が、こどもの日だから」
回答を終え、俺たちの間に言葉はなくなった。
正解発表を待っている俺に対して、遠坂は黙して微笑うのみ。時間が経てば経つほど、それが正答に対する賞賛なのか、誤答の茶化し方を考えているものなのかわからなくなり、緊張と不安が強くなっていく。
気が付くと、無意識に居住まいを正していた。
そうして数秒───俺にとっては数分にも思えたが───経った頃、遠坂は遂に口を開いた。
「正解。よくできました」
「ふう……」
遠坂は笑顔を崩さず、正解を言い当てた生徒を褒める。しらず、安堵の息が漏れていた。
正解発表を溜めて焦らす演出はクイズバラエティ番組でよく見るが、当事者になるとここまで精神を削るものだとは思わなかった。
「さてと。士郎が正解したことだし、これでわたしの話もできるってコトね」
なにはともあれ、これで楽しい余興は終わり。
ここから先は、真面目な話が始まる。
「士郎の言う通り、わたしが今日を選んだ理由はこどもの日、端午の節句だから。けど、士郎が気になってるのは、じゃあなんでその日を選んだかよね」
「そりゃあな」
遠坂の言う通り、俺が本当に気になっていたのはその辺りだ。
連休最終日を全力で遊ぶ、こどもの日だから、この二つの理由から、遠坂は今日という日を選んだ。
では、その奥にある考えはなんなのか。
実のところ、さっきの時点で察しはついてしまっていた。
「考え過ぎだって言いたいんだろ」
それは先ほど、遠坂が三つ目のヒントとして俺にかけた言葉だ。あれはヒントであると同時に、遠坂が俺に伝えたい言葉でもあったのだ。
具体的には、一人で勝手に行動して遠坂との時間を蔑ろにしてしまった件について。
「うーん。それだけだと六十点かな」
「む。というと……?」
「あの時も言ったけど、士郎が本当に必要だと思って行動に移したんなら、わたしから言うことなんてないわよ」
「あれ。じゃあ何が言いたいのさ」
「そりゃあ、その行動自体に文句はないわ。けどね───」
遠坂が漏れ出した怒りのオーラを感じ取り、一瞬にして悟る。
どうやら自分は逆鱗に触れてしまったらしい。
「程度ってものがあるでしょう⁉ なにも連休のほぼ全部にシフト入れるとかバカじゃないの。せめて半分に抑えなさいよ!」
それを言われると、返す言葉もございません。
「考え過ぎってのはそういうこと。ただでさえ士郎がこうと決めたら一直線で妥協ってものがないんだから」
まくしたてる遠坂の迫力は、鍛錬で立ち会った時のセイバーを彷彿とさせる。反論するつもりもないが、弁明する隙も見つからない。
ただ、これだけ俺への怒りを吐き出してスッキリしたのか、言葉を一度切ってぜんざいを口にして小休憩を挟んでいた。
俺としてもありがたい。遠坂は気づいているのかいまいち分からないが、さっきから定員さんの視線が痛い。多分これが三分も続いていれば、本格的に注意の申し出が入っていただろう。
「遠坂。とりあえず落ち着けって、なっ」
言って、お茶を差し出す。
「ふん。そんなご機嫌取られたって、手加減してあげないんですけど」
「分かってる。遠坂の言いたいことは全部聞く。今日は元々そういう話だったろ」
今日のデートにおいて、俺は遠坂のしたいことはなんでも聞くと言っている。遠坂がしろというのならするし、聞けというならなんでも聞く。
耳に痛いことでも、俺の軽率な行動の結果なのだし、どんな言葉だろうと受け止める。
遠坂はお茶を啜った後、さっきより少し熱の取れた声音で、
「……まあ、文句はさっきので大体言い終わったわよ。これで四十点」
と言って、今度はごまのおはぎを口に入れ、またお茶を啜った。
「反省してます。以後気を付ける───それで、残りの六十点分はなんなんだ」
四十点とは言うが、ここまでの内容はあの時点で聞いていたものと同じ。わざわざこの場所を用意して遠坂が同じことを繰り返すだけで終わりにする筈もなく。
本当に俺に伝えたいことは、残りの六十点の方に含まれている。
「───士郎。この柏餅の意味って知ってる?」
まだ手を付けていなかった柏餅の乗った皿を持ち上げて、遠坂はそんなことを訊いていた。
まったく要領を得ない。
「ああ、雷河の爺さんから聞いたことがあったかな」
子供の健やかな成長を祈るための願掛けの為の食べ物とかなんとか。
「そう。より詳しく説明しとくと、風習として始まったのは江戸時代。柏が葉をつけたまま冬を越し、新芽が吹く、つまり後継ぎができるまで葉を落とさない縁起担ぎのいい木とされたから。その縁起のいい柏の葉で餅を包んで端午の節句に食べることで男の子が元気の育つことを願った、ってことね」
「男の子……そうだよな。端午の節句はもともと男子に成長を願う一日な訳だし」
「そっちは知ってるのね。まあ、柏餅は関東圏で食べられているものだし詳しくないのも無理ないか」
言いながら、遠坂は柏餅を一口。俺の方も一息つくためにお茶を啜る。
「……要は俺がまだ子供だって言いたいんだ、遠坂は」
「うーん、そういう意味じゃないけど、そういう意味になるのかな」
「やっぱりそうなんじゃないか」
未熟者扱いは事実なので言い返せないが、子供扱いはさすがに不服である。
「ハイ、そこで拗ねない。衛宮くんが子供扱いされたくないのは分かってるし、わたしだって士郎がガキンチョなんて思ってないわよ」
「じゃあ、どういう意味なんだよ」
「そういう心情とは別の意味で、わたしたちはまだ未成年だってこと。わたしたちがいくら背伸びしようと、この国はわたしたちを大人とは認めないでしょ」
「そう、だな……?」
「逆に言えば、二十歳になれば否が応でも大人にならなきゃならない。生きていれば勝手に大人にならなきゃいけない時は来るんだから、それまでは子供の特権を満喫しないと勿体ないじゃない」
「………………」
「だから、そこまでして急ぐ必要はないんじゃない? いざとなれば、身の周りの大人を頼ればいいんだし」
目の前で難しい顔をする遠坂を見つめる。いや、見惚れる。
同時に、自分の勘違いに思い至る。
───なんだ。こんな簡単な話だったんじゃないか。
「そうだな。確かに遠坂の言う通りだ。心配させてごめんな」
「謝る必要なんてないわ。わたしは衛宮くんの心配なんてしてないもの。それに」
「それに?」
「こういう時は他に言うことがあるでしょう」
やっぱり、コイツには敵わない。
「うん。ありがとな遠坂」
「どういたしまして。さあ、真面目な話はこれで終わりね。せっかくのお茶会だもの」
「了解。お茶会だもんな。このまま終わりじゃ休み時間って感じがしない」
そこから先は、いつもと変わり映えしない近況報告になった。
お茶も冷めていない。甘味も残っている。
お茶会が終わるまで、俺たちは今日のデートコースの感想とか、昨日までの日常を思いつく限り次から次へと、時間も忘れて話し尽くした。
7
さて、お茶会が終われば、そろそろいい時間になる。
空が茜色に染まる前に、俺たちは新都の町を後にした。
“連休最終日なのよ。藤村先生も桜も来るんだから、夕食も豪勢に行きましょ”
そんな遠坂の提案によって、商店街に寄って夕食分の材料を買った。
明日からまた生活が戻ってくる。そんな日にこそ、よく食べて英気を養う、という意見には俺も賛成だ。
そうして買い出しを終えて帰路に着く頃には、立派な夕暮れ時だった。
「しかし意外だった。遠坂から夕飯を豪華にしよう、なんて提案があるなんてな」
「……前々から思ってたけど、アンタってわたしにどんなイメージ持ってるのよ。戦いの前に補給をして、準備万端にしておくのは必要なコトじゃない」
少なくとも昨年まで、日常のことを戦いなんて例える物騒なヤツだとは思わなかった。
「そうじゃなくて、前は食事にそこまで頓着してなかっただろ? 俺たちを元気づけるためにわざわざそんな提案をするとは思わなかった」
聖杯戦争が終わって、正式な交際が始まってからすぐ、いつも朝食を抜いていると聞いた時は本気で心配になったものだ。
「う。仕方ないじゃない、朝は弱いんだから。士郎ん家で三食食べるようになって、食事がどれだけ活力になるのかを思い知ったの」
「それは嬉しい変化だな。前までの遠坂、折れそうなぐらい細かったから」
「───衛宮くん。女の子の前であまりそういうこと言わない方がいいわよ~」
「ごめんなさい。言葉を間違えました」
遠坂は氷に亀裂が入ったような笑顔で俺を威圧したあと、一瞬だけ不機嫌そうにそっぽを向く。
「ま、冗談はさておき、確かに前までは痩せてるのを通り越して不健康だったかもね」
過去を振り返るように微笑むのを横目に見て、自分の手元に視線を移す。
デートで買った服や小物、夕食の買い出しの重みが両手にある。
「なあ、遠坂。これ半分持ってくれないか?」
言いながら、遠坂に右手の方のクイッ、と袋を持ち上げてみせる。
「え? どうしたのよ、いきなり。そんなの持てないほどヤワじゃないでしょ」
「いいからいいから、頼む」
「……仕方ないわね。さっさと寄越しなさい」
遠坂は訝しげに顔をしかめた後、近かった方の俺の右手から荷物を持っていってくれた。
「これでいい? ……ったく、なにがしたいのよ」
「だって、両手が塞がってたら───」
言いながら、少し強引に遠坂の手と指を絡ませる。
「なっ⁉」
「遠坂と手を繋げないだろ」
遠坂の顔がみるみる赤く染まっていく。
「そんな、いきなり……」
「俺と手を繋ぐの嫌か?」
「嫌じゃない、けど───」
耐えきれなくなったのか、ふいっと顔を背ける遠坂。
その仕草が、どうしようもなく愛おしい。
「ありがとな、遠坂」
今日一日に起こった出来事を振り返って、改めて感謝を伝える。
「遠坂のおかけで勘違いに気づけた」
「勘違いってこともないと思うけど。士郎がしてるのは、確かにわたしたちのこれからに必要なことなんだし」
「そうかもな。でも、感謝してる。俺だって、遠坂との時間を大切にしたい」
将来のために必要なことでも、その為に今目の前にあるものを疎かにしてはいけないのだ。
そもそも自分の将来はハッキリしているのだから、今から急いでいたって結果は変わらない。
自分にできることを一歩ずつ、焦らずに進んでいけばいいのだ。遠坂が隣にいてくれるなら、絶対に正しい方向に進んでいける。
「そ、そう。でも、本当に感謝される覚えはないわよ。士郎が突っ走ってなにかしでかせば、それは師匠であるわたしの責任だもの。面倒になる前に予防を打っただけよ」
「違いない」
岐路を辿っていく。
手を繋いで歩いていると、いつも色々な感情が入り乱れて時間の感覚さえ覚束ないものだが、今は不思議なほど穏やかな気分だった。
「で、どうだった? 今日一日遊んだ感想」
そう訊ねてきた遠坂の微笑は、夕日に照らされてこれ以上ないほど扇情的だった。
「───たのしかった、と思う」
「そう。ならよかった」
衛宮邸に続く坂道に入った。
自然と、繋いでいた手からより強く結びついた。
今日のことを脳裏に刻み込むように、最後の高校生活の最初の連休は終わりを告げた。