士凛短編   作:ラビット晴晞

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 忘れないこと。
 それだけが生き残った者に全うできる唯一の責任である。


白い雪の面影を探して

 ─────その姿を、今も覚えている。

 

 泣きそうな顔で、誰かに助けを求めていた少女がいた。

 冬の城で、自分はあの子を救えなかった。

 あの場の誰にも、少女を救うことはできなかった。

 自分は見ていることしかできず、少女を守る狂戦士も、少女を守るが故に退けるべき障害をついぞ倒すことは叶わなかった。

 そのことについては、バーサーカーに文句を言ってやりたい。

 敗北は仕方ない。敵との相性は最悪であり、そのうえで少女を守り抜こうとした意思を蔑めるはずもない。

 それでも、ならばせめて、あの子を一人にすることだけはしないでやってほしかった。

 あの子を助けられなかった俺にそんなことを言う資格はなく、こんなものは感傷でしかないとしても、あの子が頼りにできるモノは、おまえしかいなかったんだから。

 

 後悔はある。

 けれど、飛び出したところであの子を救うことはできなかったこともわかっている。

 だから同情はしない。

 そもそも、自分とあの子は敵同士だった。

 敵からの同情なんて、これ以上ない侮辱だろう。

 

 ああ、けど。

 自分が知れたのは、純粋で残酷な少女だけだった。

 それが少しだけ残念で、

 あの戦場には似つかわしくない、無邪気な笑顔を、もっと別のカタチで見ることができたなら。

 敵ではない少女と言葉を交わすことができたのなら。

 

 ほんの一瞬でも、少女の咲くような笑顔を見ることができたなら─────

 

「────つ」

 

 目が覚める。

 時刻は五時半。

 だというのに、外の陽射しは強い。

「まずは顔を洗って、それから道場で体を動かすか」

 部屋に出れば、やはり晴天。

 六時前だというのに日は高く昇り、夏の青空はあの頃よりも目が眩む。

 あれから半年。

 冬の面影は既になく、

 心残りを置き去りにして、日々は変わらず進む。

 今日はそれを振り返って確かめる、そんな一日になる。

 

 脱衣所で顔を洗ってまだ残っていた眠気を完全に覚ましてから、道場で日課の運動をこなす。

 柔軟まで終える頃には、時刻は六時過ぎになっていた。

 

「あ、先輩。おはようございます」

 

 着替えて居間に行けば、桜が既に朝食の下拵えをしていた。

 

「おはよう桜。今は夏休みなんだし、こんな早くに来る必要なんてないんだぞ?」

「いえ、朝練の準備もありますから」

「なら無理に来なくていいのに」

「先輩。わたしが好きでしていることですから、無理なんてしてません」

 

 そう言って、不満そうに抗議してくる桜。

 どうやら意地悪が過ぎたみたいだ。

 

「悪い悪い。朝飯、まだ途中だろ。手伝うよ」

「大丈夫ですよ。今朝は時間に余裕もありますから、先輩はゆっくりくつろいでいてください」

「いいって。桜に全部やらせるのは家主として申し訳ないし、俺だって好きですることだ」

 

 そんな訳で、桜と合流して朝食を作ることになった。

 さらに三十分かけて、ゆっくり朝食の準備をする。

 ごはんを炊いて、鰹節から出汁をとる。

 そこに大根とにんじんをつっこんで煮て、最後に味噌を溶かしてみそ汁を片づける。

 深漬けにされた白菜をごまとしょうがと一緒に炒めて、青菜としめじを一緒に和えれば副菜二種の完成。

 あとは鮭に塩をふって焼けば出来上がりだ。

 ここにだし巻き卵を追加すれば、ふたりぶんの弁当もどうにかなる。

 この後の工程は桜に任せて、先に献立を詰める弁当箱を出すと、

 

「あれ。先輩、そのお弁当箱どうしたんですか?」

 

 目端の利く後輩は、俺が自分と藤ねえ分の容器の他にもう一つ大きめのランチボックスを取り出すのを見逃さなかった。

 

「ああ、これか。今日は俺と遠坂も出かけるから、俺たちの分の弁当も必要でさ」

「……でも、今朝作ったおかずの量だと、四人分のお弁当を詰めるには足りないと思いますけど」

「俺たちの分は後から作るよ。けど、容器だけは先に出しとこうと思って」

 出来た時にまた屈むのは面倒だろ、と付け加える。

「そうだったんですか。納得しました」

 

 最低限の説明で、桜は理解してくれたようだった。

 今日の用事は説明に困るものだ。墓参りに行く、なんて言えばつっこまれるのは目に見えているし、そこのところを誤魔化せる器用さが俺にはない。

 だから、今ので桜が引き下がってくれたのはありがたかったんだが、

 

「ちょっと。今日遠坂さんと一緒に出かけるなんて聞いてないわよ士郎!」

 

 いつの間にか居間に来てくつろいでいた藤ねえ(ふくへい)が追撃をかけてくる。

「そりゃ、今日出かけるのは俺たちの用事で藤ねえは関係ないんだから、いちいち報告する義務なんかないだろ」

「なっ。彼女ができてから士郎がさらに反抗的になっていって、お姉ちゃんは悲しいよー」

 

 ヨヨヨ、と袖で目元拭っての泣き真似。

 いつもながら、こういう行動を本気で行っているのは大人としてどうかと思う。

 

「それにしても、姉貴分と可愛い後輩が夏の暑いなかハードな練習だっていうのに、彼女と遊びに行くなんていい御身分ですなー」

「しつこい。だいたいな、俺たちは用事があって遠出するんであって、遊びに行く訳じゃないぞ」

「じゃあ、男女がお弁当持って出かける目的がデート以外のなんだっていうのよー」

「む。それはだな……」

 

 痛いところを突かれた。

 確かにさっきまでの自分の説明を振り返れば、デートのようにしか聞こえない。

 しかし、行き先まで話せば詳しい説明責任が要求されることは確実なので、中途半端な答えを返す訳にはいかない。

 そうして、俺が返答に窮していると、

 

「知人に会いに行くためです」

 

 まるで示し合わせたように、襖のほうから声がした。

 居間にいた全員が声のほうを向けば、遠坂が軽やかな笑顔でそこにいた。

 

「おはようございます、藤村先生。桜と士郎も今朝は元気そうでなによりだわ」

「は、はい。おはようございます遠坂先輩」

 

 遠坂に呼びかけられた桜は、気後れしながらお辞儀する。

 そんな後輩を見届けて、微笑みを浮かべながら教師と対峙する優等生。

 

「挨拶もほどほどにして、先ほどの話の続きをさせてください。

 わたしと衛宮くんは今日、共通の知人に訪ねに行くんです。

 お弁当も、知人の家までは距離があるものですから、道中で昼食をとれるように衛宮くんにお願いしたものです。

 決して、藤村先生が考えられているような目的ではありません」

 

 穏やかに、淀みなく行われる簡潔かつ反論する余地のない説明。

 いや、付け入る隙自体はあるのだが、

 

「そ、そうだったの。ところで、そのご知り合いはどのような方なのかなー」

「信頼できる人物とだけ。それ以上は個人のプライバシーがありますから」

「ぅ、うぅ……」

 

 こんな風に、全てを話せない以上どうやっても反撃の隙を与えるならと、敵を誘い込んで撃ち漏らしを処理するために用意された抜け道だったのであった。

 常日頃から積み重ねた信用さえ武器にするとは容赦がないにも程がある。

 ともあれ、勝負ありだ。

 だというのに、遠坂に一切の油断はない。

 

「それと桜」

「は、はい」

「事情は言った通りよ。それで帰りは遅くなるだろうから、今夜の夕飯は頼めるかしら」

「はい。わたしは構いませんけど……」

 

 急に巻き込まれた桜は困ったように隣の俺を見る。

 ……仕方ない。

 桜には悪いが、俺も観念して遠坂に乗っかるしかないようだ。

 

「俺からも頼む」

「……はい! わかりました。今夜は腕によりをかけます」

 

 はにかみながらも張り切る桜が微笑ましいものだから、つい遠坂と顔を見合わせて笑ってしまった。

 一方で、もはや俺たちの動向に手出しできなくなった藤ねえが青白い顔になっている。

 さて、そろそろ朝食が出来たようなので、この手の話は一旦終わりにしよう。

 

「ともかく、もうすぐ朝飯できるぞ。ちょうど近くにいるんだから、ふたりとも運ぶの手伝ってくれ」

 手を叩いて、話題を打ち切る。

「了解。いい匂い、今朝の出来も期待できそうね」

「お口に合えば幸いです」

 

 朝食を盛りつけた後、遠坂と桜が食器を運んでいく。

 

「ほら、藤ねえも」

「うぅ。この家のヒエラルキーが着々と遠坂さんを頂点に作り替えられていくよぅ……」

 

 もう戻らない過去を懐かしむように遠くを見る藤ねえ。

 その姿には同情するが、前が自由過ぎたので、遠坂という抑止力の登場で多少大人しくなっている今が丁度いいというものである。

 その後、数秒かけて立ち直った藤ねえが食器を運ぶのと入れ替わりで遠坂が戻ってくる。

 少し確認したいこともあったので、二人には聞こえないように顔を寄せて耳打ちする。

 

「よかったのか」

「よかったのかって、なにが?」

「遠坂、朝弱いから。無理してるだろ?」

 

 今日の用事は朝早くから出発する必要はない。

 遠坂は朝に弱いんだから、無理して早起きしてくる必要もなかったのだ。

 

「そりゃあしてるわよ。けど士郎だけで桜たちを言い含められるか不安だったもの」

「すまん。正直助かった」

「でしょう。感謝なさい」

 

 遠坂の言う通り、大いに感謝しながら反省しよう。

 俺の不甲斐なさで遠坂に無理をさせてしまった。

 …………まあ。

 

「それに心配要らないってば。この程度なら魔術回路を働かせて誤魔化せるわ」

「そうか。ならよかった」

 

 この通り、そんな俺の心配のほとんどが杞憂になるのが遠坂なのだが。

 

「あ。二人でコソコソ内緒話を! やっぱり遊びに行くんじゃないでしょうね」

「違うって。文句ばっかり言ってないでさっさと残りも運べよな」

「はーい。もう、釣れないんだから」

 

 こんな調子で、今日も今日とて衛宮邸の朝の団欒が始まった。

 

 朝食を終えてすぐ、藤ねえと桜は部活があるので学校へ行った。

 俺たちも用意をして衛宮邸を出る頃には一時間が経っていた。

 森に入るまでの道のりは前回と同じだ。街から自動車(タクシー)を使って移動すること一時間、国道からそれた雑木林を一キロほど歩いて、森の入り口を目指す。

 冬の森は昼なお暗かったが、夏の強い陽射しは空を覆う葉をこえて眩しく降り注いでいる。

 

「暑い……蒸し暑い……」

 

 道中、文句をぼやき続ける優等生。

 よほど夏の森の暑さが堪えているのか、普段は俺の先を歩くことの多い遠坂も、今は俺の四歩後ろからついてくる有様だ。

 呆れながら振り返ってみると、険しい表情には憎しみすら入っている気がした。

 

「我慢しろって。まだ五分ぐらいしか歩いてないぞ」

「仕方ないじゃない!」

 

 見てられないんで、一応窘めてみると間髪入れずに心の叫びが返ってきた。

 どうやら割と限界らしい。

 

「なによこの湿気。蒸し暑いにも限度ってものがあるでしょう⁉ この肌にまつわりつく熱気、気持ち悪いったらないわ!」

 

 俺に刺激されて爆発したらしく、次々と森への不満を出しつづける学園のマドンナ。

 暑さは旅人の音をあげさせるというが、遠坂の化けの皮さえ容易く剥ぎ取ってみせるとは、夏の森というのは恐ろしい。

 かくいう俺も、こう蒸し暑いと結構辛いものがある。

 夏の暑さ自体には慣れているが、この森では熱気が木に覆われて逃げてくれない。そのうえ木々が密集して湿度も高くなるものだから、暑さが体全体にまとわりついて確実に体力を奪っていく。

 

「甞めてたわ。夏、それも日中の森を……」

 

 この熱気と湿度への殺気を放ちながら呻いている。

 

「大丈夫か。森はこれから先もっと深くなるぞ」

「自分の軽はずみな発言を後悔してるところよ」

 

 そういえば、意外なことに、今日の墓参りの提案があったのは遠坂の方からだった。

 それは夏休みに入る少し前の昼休み、屋上で昼食を食べつつ夏休みの大まかな予定をたてていたときのこと。

“いろんなことが落ち着いてきたし、そろそろイリヤスフィールのお墓の手入れに行きましょう”

 という一言から、今日俺たちはここにいる訳なのだが、

 

「……日焼けイヤ……虫刺されイヤ……」

 

 ついに暑さ以外の不満が漏れ出した。

 

「本当にだらしないぞ遠坂。それにおまえ、そっちに関しては出かける前にあんなに対策してたじゃないか」

「こういうのは気分の問題なのよ。いくら日焼け止めのクリームを塗って、虫よけスプレーをかけたって、森の湿度が精神を腐らせるのよ」

「ったく。しょうがないな」

 

 ……というか、たかだか暑いってだけでここまで不平不満を漏らすなんて、これまで夏って季節をどう乗り切ってきたんだろうか、こいつ。

 しかし、このまま文句言われ続けるとこっちの気まで滅入りそうだ。

 少し早すぎる気もするけど、助け舟を出してやろう。

 

「ん」

 

 歩く速さを緩めて、遠坂の隣になったところでカバンから取り出した水筒と日よけの帽子を手渡す。

 

「ありがと。うん、これで少しはマシになったわ」

 受け取った遠坂は、さっそく帽子を被る。

 それだけで今まで陽射しを受けないように俯いていた顔があがる。

 

「水分はこまめにな。あとは陽射しをできるだけ避けて、熱中症にはならないように」

「じゃあ遠慮なく。あ、おいしい、麦茶だこれ」

「水ってのも味気ないだろ。それに水分だけじゃなくて塩分もとらないと」

 

 ちなみに水筒はそれぞれ二人分持ってきた。

 余分かもしれないが、足りなくなることの方が問題だと用意したものだったが、森に入る前からここまで暑いなら、その選択は正解だったらしい。

 

「……っと」

「わぷっ」

 

 思わず足を止めた俺の背中に埋まる遠坂。

 

「ちょっと士郎、急に止まってどうしたのよ」

「着いたぞ、遠坂」

 

 木々がより青々としているからか、依然と印象が異なるが間違いない。

 森の入り口だ。

 

「早く行きなさいよ」

「ああ、悪い。少し、前に来たときのことを思い出して」

「前に来たとき……ああ、なるほどね。大丈夫だから、さっさと行きなさい」

「そうは言ってもな……」

 

 以前、ここで起こったことを思い出す。

 あれ自体は静電気みたいなもので、大したことはないといっても、わざわざ自分からタンスの角に指をひっかけになんていかないだろう。

 とはいえ、文句を言っていてもしょうがない。

 少し警戒しながら、森に踏み入る。

 

「む。あれ……?」

 

 特になんともなかった。

 ビリッと痺れることもなければ、木の根に足をひっかけて転ぶなんてこともなかった。

 

「だから大丈夫って言ったでしょう。術者だった城の主も、城自体ももうないんだから警報だけある訳ないでしょう」

 

 そんな当たり前なことを言いながら、遠坂も森の入り口を越える。

 やはり、地雷を踏んだみたいに飛び退くことはなかった。

 考えるまでもなく当たり前なことだ。

 この森の主も、主の住まう城も既にない。ならば、侵入者の存在を知らせる警報も、追い返すための罠も必要ない。

 情けない話だ。

 分かってはいたはずなのに、まだそれを認められていなかったなんて。

 

「行くわよ」

「─────ああ」

 

 再び歩を進める。

 この森にはもう誰もいない。

 それを受け入れるために、俺は今日ここにいるのだ。

 

 森を進む。

 記憶を頼りに、風景の変化すら定かではなくなっていく木々を切り拓いていく。

 前回みたく急ぎの用事ってわけでもないので、都合二回の小休憩を挟んで、ゆっくり四時間かけて目的地に到着した。

 

「──────────」

 今度こそ、その光景を直視する。

 最後まで見届けることのできなかった、その終わりを目に焼きつける。

 絢爛だった城に、かつての面影はない。

 主の後を追うように焼け落ちた城は跡形もなく、辛うじて残った壁と門だけが、そこがかつて城であったことを示している。

 あるいは、それがこの城の最期の抵抗だったのかもしれない。

 ここに主である白い少女がいたことが忘れられぬように、と。

 

「そういえば、わたしってこの城を門から入ったコトってなかったのよね」

 

 不意に、城門を抜けながら遠坂がそんなことを言ってきた。

 

「あれ、そうだったっけ?」

「そうよ。イリヤスフィールに交渉に来たときはいわずもがな、アーチャーに連れてこられたときは意識なかったし。

 そういう士郎はどうなの?」

「俺は遠坂を追ってきた時に。まあ、あの時はそれどころじゃなかったけど」

 

 ……で、遠坂はなんでいきなりこんな話をしたんだろう。

 

「うーん、振り返ってみたら勿体ないなって。センスは疑うけど、こんな立派な城の門を潜ったっていうのは、それだけで箔がつくってものじゃない?」

「前から思ってたんだけどさ。ヘンなところで現金だよな、おまえ」

「衛宮くん。なにか言った?」

「すみません、口が滑りました」

 

 こんな会話を挟みながら、城跡を進んでいく。

 そしてかつて中庭があった場所、イリヤ────おそらくは主を守るために死んだであろう二人の従者も────を埋葬した墓に辿り着いた。

 墓石というには寂しい、目印として置いた石があるだけの少女が眠る場所の前で手を合わせる。

 

「久しぶり、イリヤ」

 

 ぎこちないなりに、精一杯気安く挨拶する。

 

「全然来れなくてごめんな……っていうのもおかしいか。

 でも息つく間もないぐらい忙しくてさ、ようやく来れるようになった頃には半年経っちまってた」

「まあ、衛宮くんの飲み込みがもう少し早かったら、ここに来るのも早くなったでしょうね」

 

 それを言われると、申し開きのしようもない。

 

「彼は今、わたしに弟子入りしているの。貴方も知ってる通り、衛宮くんは半人前以前の問題だから、手を焼いてるわ」

 

 遠坂はいつになく穏やかに、眠れない子どもに読み聞かせるように語りかける。

 今まで見たことなかったけど、子ども相手だとこうなるんだな。

 

「わたしね、不思議とイリヤスフィールのことを憎めないのよね」

 

 少し間を空けて、遠坂は言葉を継いだ。

 遠坂にとっても、イリヤって女の子を特別だったらしい。

 

「俺だって同じだ。俺もイリヤのこと憎いと思ったことないんだ。いや、遠坂はまだ競い合うライバルとは思ってたんだろうけど」

 

 思えば奇妙な関係だったように思う。

 あの戦いで自分たちは敵同士だった。その関係が変わることはなく、俺たちと彼女は敵同士のまま、ギルガメッシュによって幕が引かれた。

 だというのに、俺はあの子を敵と見ることができなかったのは何故だったのか。

 

「そりゃあ、怖い目にはたくさん遭わされたけどな」

 

 それと同じぐらい、あの子は潔かった。

 歯牙にもかけていなかっただけかもしれないが、あの子は他のマスターたちのように、無関係な人間を巻き込むことだけはしなかった。

 あの子にとって俺は憎むべき敵だったのかもしれないけれど。

 俺にとってあの子は敵になり得なかったのだ。

 

「だからなんだろうな。イリヤと話してみたかった、なんて思うのは」

 

 少女が言葉を思い返す。

 

“─────また遊ぼうね、お兄ちゃん”

 

 俺と少女との間にあった言葉は、それが最後だった。

 お兄ちゃん、そう俺を呼ぶ少女の言葉には敵意だけじゃない、あの子なりに親しみもあったような気がするのだ。

 もしかしたら、イリヤは俺と話をしてみたかったのかもしれない───っていうのは、さすがに都合が良すぎるだろうか。

 けど、あの子が残酷なだけの少女ではなかったのは確かだと思うのだ。

 そういう部分を見ることができなかったのが、心残りだった。

 

「うん────俺たち敵だったけどさ。イリヤとはそんなの関係ないところで話してみたかったよ」

 

 言ったからって、どうなるってものでもないけど。

 でも、墓前で本音を伝えるなら、こういう夢想のほうがいいと思うのだ。

 それを隣で聞いていた遠坂は立ち上がって言う。

 

「それじゃ、さっさと終わらせよっか。お墓の手入れ」

「そうだな。待ってろイリヤ、すぐに綺麗にしてやるからな」

 

 それから、俺たちは日々の出来事を語って聞かせながら、たっぷり一時間かけて念入りに墓を綺麗にした。

 

 手入れが一段落した後、少し離れて木陰で昼食をとっていた。

 弁当の中身はサンドイッチ。半分は俺、半分は遠坂が作った。

 中庭の瓦礫は少ないし、焼けた草は半年かけてまた息づき始めている、点々とした緑の景色に大きな池もあるから、眺めはいい。

 いまさらだけど、朝のアレは意地なんて張らずにピクニックに行くと言えば、すんなり解決したのではないか。実際に今はピクニックみたいな状況になってるワケだし。

 そんなことを考えながら半分ほど食べ進め、冷たい麦茶で一息つく。

 

「余裕ができたら、ちゃんとした墓石を用意してあげないとね」

「ああ、あれじゃ寂しくてしょうがない。けど、どうやって墓石なんて持ってくるんだ? 業者には頼れないだろ?」

「加工するだけならわたしが作れるわ。材料が材料だけに安い買い物じゃないけどね」

 

 まあ、大理石を仕入れて運んで加工するとなれば気軽な買い物にはならないか。

 それらすべてを自費でやる余裕が俺たちにできるのはまだまだ先になるだろう。

 

「……」

 

 それきり会話は途絶えてしまった。

 張り切ってイリヤに色々聞かせていたら、話題を使い切ってしまった。

 丁度いい機会なんで、一つ気になっていたことを訊いてみよう。

 

「でも驚いた」

「……いきなり何よ」

「いや、こういうのはてっきり俺から切り出すものだと思って。先手を打たれちまった」

「そうね。だって衛宮くん、ずっと行きたそうにしてたもの」

「うん、だから意外だった。遠坂から誘ってくれたこともだけど、ついてきたことも」

「アンタね、わたしを冷酷非道の薄情者とでも思ってるわけ?」

「容赦ないやつとは」

「失礼なんですけど」

「ごめん。でもそうじゃなくて。

 ほら。遠坂はいつも頑張ってるから。掃除と近況報告ってだけなら、俺一人でも足りるだろ」

 

 苦笑いしながら答える。

 遠坂が墓参りに来ることが意外だと感じたのは、そんな暇はないと思っていたからだ。

 日頃の学業や魔術の鍛錬に加えて、今は俺のことも見てくれている。あと半年後に卒業して渡英するまでに自分が魔術師として最低限のレベルにできるように予定を建ててくれている。その進捗によっては修正する手間もかかるだろう。

 本来なら、それ以外のことをこなす暇はないはずだ。

 

「そりゃ、他のことで手一杯なのに墓前に立つのは失礼だと思うわよ」

「やっぱり」

 

 遠坂にとって、墓参りとはそういうものなんだろう。

 墓前に立つなら、死者に無礼があってはならない。

 それは、死者に対してだけでなく、自分のためにも。

 墓前で手を合わせることの意味は、死者を供養するだけではない。死者との対話を通して、自分のこれまでを確認する作業でもある。

 だから、墓前に立つときは今の自分を見据えて死者と向き合えるときであるべきということ。

 

「でも、だからこそやるべきでしょう、この場合。だって───」

「だって?」

「あの子の痕跡がここにあると知っているのは、わたしたちだけなんだもの」

「ああ、そうだな」

「まあ、そんなことはわたしに言われるまでもなく、衛宮くんのほうがわかってるでしょうけど」

「遠坂よりかは判らないけど」

 

 忘れないことだけが生き残った人間にできることであり、責任だということは知っている。

 遠坂に言わせれば、俺のそれは“やりすぎ”なんだろうけど。

 

「そういえば、わたしも士郎に訊きたいことがあったんだけど、いい?」

「いいけど、なんだ?」

「前に藤村先生から聞いたんだけど、士郎ってお父さんが亡くなってから一度も墓参りに行ってないっていうじゃない? それってどうしてかなー、って」

 

 藤ねえのヤツ、また余計なことを話したな。

 

「なに、もしかして話しづらいことだった?」

「ん、そんなことないよ。別に大して理由があるわけじゃないんだ」

 単に墓の手入れなら、藤ねえが定期的にやってくれているし。

「それに、今は行ってもなにも報告できないしな。それだけ」

「そっか。士郎らしいわね」

「はいはい。どうせ俺も薄情ですよ」

「そう? わたしは逆にお父さんを特別に想ってるからだと思うけど?」

「──────────」

 

 コイツは、こういうことを満面の笑顔で言ってくるから、タチが悪い。

 

「じゃあ、次に来るときはたくさんの土産話も用意しないとね。お父さんにも報告できるぐらい」

「……いつまで先になるんだ、それ」

 

 気恥ずかしいものだから、苦しまぎれの憎まれ口を叩いてしまう。

 

「けど、まあ……」

 

 土産話ぐらい、遠坂と一緒なら案外すぐに貯まってしまうのではないかという気がした。

 

 昼食を食べ終わる頃には、時刻は三時を過ぎていた。

 

“あ。供え物買ってくるの忘れてた”

 

 という遠坂の一言から、野原の花で作った冠を供えた後、最後にもう一度だけ手を合わせて、俺たちは帰路についた。

 その道中。

 

「士郎、ちょっと待って」

「え?」

 

 突然立ち止まってなにかを確認している遠坂。

 紙を取り出して印をつけているが、この森の地図だろうか。

 

「遠坂、なにかあったのか?」

「ん。ちょっと確認。この森に仕掛けられたトラップの位置をね」

「トラップって。なんでさ」

「後で使えるかもしれないでしょ」

「使うって、何にさ」

「アインツベルンはこの土地の管理を手放した。

 今日ここに来て、特に変化がないのを見て確信したわ。拠点がこんなことになってるのに、特に誰かが来た形跡がないのがその証拠。

 なら、わたしたちがここを使っても問題はないと思わない?」

「えっと──つまり、この森のトラップをかっぱらうってことか? それって泥棒じゃないか」

「人聞き悪いんですけど、それっ。

 今回の聖杯戦争の勝者はわたしたちなんだから、これは正当な略奪。勝者の特権じゃない」

「────」

 

 恥ずかしそうに頬を朱色に染めながら、トンデモナイコトを言ってのける優等生。

 なんだか知らぬ間に悪事の共犯者にされているのがひっかかるが、そこは言及しない方向でいこう。

 実際、当時の俺たちは協力関係で、今の俺の立場は遠坂の弟子。どう言い訳しようと無関係ということにはならないワケだし、諦めるしかない。

 

「コホン。話を戻すけど。

 殺傷力のあるトラップは取り外す、それか命に関わらないレベルのものに加工すれば、この森を有効活用できるんじゃないかしら」

「ここをアスレチックにでもするつもりか?」

「そうよ。森は地形も複雑だし、トラップを遊具(アトラクション)に変えてしまえば、楽しく実戦的に鍛えることができると思わない?」

 

 そりゃあ、遊びながら鍛えられるってのはいい考えだと思うけど。

 

「でもそれ、そこまでして労力を払うことか?

 それを作れるってコトはアインツベルンはもうこの森には来ないってことだ。なら、使うのは俺と遠坂だけなんだぞ」

「あら? そんなことないんじゃない。少なくとも、あと一人か二人は増えると思うわよ」

 

 遠坂が言うには、これは先行投資ということらしい。

 俺には見当もつかないが、こいつには将来的な顧客のアテがあるようだった。

 

「子どもの遊び場と考えれば、わたしたちより適任でしょう」

「子どもって、誰の?」

「わたしと士郎の」

「そうか。俺と遠坂の……って、えぇぇぇええええええ⁉」

「なに驚いてるのよ。当然でしょ。

 わたしは遠坂の当主として、後継者を作る義務があるもの。

 士郎とはずっと一緒にいるんだから、当然そういうことになるわよ」

「なっ、なっ、なっ、なっ……」

 

 いきなりなにを言い出すんだ、このバカッ!

 完全な不意打ちで思考が停止する。そのクセ、心臓は太鼓みたいにドクンドクン太鼓みたいに打ちならされて落ち着くことだってできやしない。

 

「───ああもう、心臓に悪い」

 

 数秒経って、熱でのぼせた頭を全力で落ち着けて口ごもる。

 きっと近くに川があったなら、反射的に飛び込んでいただろう。

 思考を取り戻して遠坂の方を見るのには、さらに数秒がかかった。

 

「……」

 

 遠坂はしゃがんだまま、俺から顔を背けていた。

 ただ、唯一見れる耳は林檎みたいに赤くなっていた。きっと顔全体はこれ以上に違いない。

 

「言った本人が照れるやつがあるか、バカ」

「な、なによ。悪い? 仕方ないじゃないっ。こう、気づいたら口から出てたんだから」

「……ったく。そんな考えなしに爆弾をぶつけられるこっちの身にもなれってんだ」

 

 本人が俺以上に取り乱してるもんだから、逆に冷静になれた。

 遠坂の言った直後に後悔するクセはそう簡単には直らないらしい。

 ともかく、あの状態の遠坂を放っておけないんで、支えようと前に出ると、

 

「待った。今はダメ、それ以上一歩でも前に出たら許さないわよ!」

 

 なんて言ってこっちを威嚇してくるあかいあくま。

 

「分かった、近寄らない。近寄らないから」 

 

 だから、顔も見せないまま指先をこっちに向けて、冗談になってないコトを言うのはやめてください。

 当たりどころが悪ければ、普通に命に関わるんだから。

 

「─────でも、そうか」

 そうできたら、きっといい。

 それならきっと、あの子も寂しい思いをしない。

「ちょっと。いつまでそこで突っ立ってんのよ。置いてくわよ」

「わかってる。すぐ行くって」

 

 一歩早く立ち直って歩き出している遠坂が不機嫌そうに睨んでいる。俺も置いていかれないよう歩くペースを上げて、遠坂の隣に追いつく。

 

「もう探さなくていいのか?」

「うるさい。あんな話して続けられるわけないでしょ、バカ」

「なら続きは今度にして、さっさと帰ろう。晩飯は桜に任せてあるけど、待たせたくない」

 

 最後にもう一度だけ振り返り、城のあった場所を目に焼き付ける。

 

 ─────少し待っててくれ、イリヤ。

 またしばらく来れなくなりそうだけど、しばらくしたらここも賑やかになるみたいだ。

 静かに寝てられないかもしれないけど、その方がおまえは喜んでくれるよな─────

 

 心の中で別れを告げて、森を後にする。

 この森には誰もいない。

 それでも、あの子はここに眠っている。

 今はそれだけで十分だ。

 

 陽は未だ高く。

 見上げた空は、眩しいぐらいに澄み渡る青空だった。




 タイトルからして冬のお話かなと思った読者の諸君。
 ヴァカめ! 真夏のお話でしたー!
 ……と、冗談はさておき原作トゥルーエンドから半年後のイリヤの墓参りのお話。
 あの子を覚えているのは二人だけなのは寂しいけれど、決して忘れないであろう二人に覚えてもらえたのは、UBWにおいては救われなかった少女の救いだったのかな、と。

 ……ちなみに感想が欲しいのですが、ダメ?
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