双剣の騎士ヴィネアの慕情 ~第四皇子とともに山国に移住した女騎士の受難譚~   作:中澤織部

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なろうに書いていたものをこちらに移しました。
よろしくお願いします。


第一話、帝都離宮にて

未だ空が薄暗い早朝。

帝国騎士ヴィネア・ヴェルクスラインは城内にある自室のベッドの上で目を覚ました。

帝都ルーシアでは漸く春を過ぎたばかりだというのに、日が暮れてしまえば凍えるように肌寒い。完全に夜も更ければ、寝る際には毛布を幾枚も重ねても凍えてしまう程だ。

毎日がこうも寒くては、ずっと温かい毛布に包まれて眠っていたいと考えるのが人の常ではある。しかし帝都……というより帝国において、極寒の早朝はごく普通のことだ。

ヴィネアは嫌がる身体をゆっくりと起こすが、寝起きの為にまだ思考は寝惚けていて覚束ない。

 

 

「……眠い」

 

 

暫くベッドの上で寝惚けたまま呆っと過ごすが、眠気が残る頭を刺激するために、頬を平手で強く叩く。

力を入れすぎてしまってヒリヒリと痛むが、それを我慢してベッドから出たヴィネアは鏡台の前に立ち、燭台に火を灯す。

腰より上を映しだす鏡には、起きたばかりの彼女の姿が、心許ない灯りに照らされてぼんやりと立っていた。

 

 

「はぁ……」

 

 

鏡に映る寝間着姿の少女が、溜息が漏らす。

切り揃えられた金髪の下、切れ長の瞳は澄んだアイスブルーの色をしている。目元にはうっすらと隈があり、寝起きの所為か、少しだけ目付きも普段より悪く見える。

部屋の中ですら肌寒いが、着替えるために纏っていた薄いベージュの寝間着を嫌々脱ぐと、冷えた空間に色白ですらりとした肢体が顕になる。

手足は女性らしく細身だが鍛えていて、しなやかでそれなりに筋肉のついた腰つきは、彼女の密かな自慢ではあるのだが、

 

 

「やはり、オットー様も肉付きのある方が好みなのでしょうか」

 

 

敬愛する主君の名前を、小さな声でボソリと呟く。

ヴィネアは同じ年頃の同性に比べても胸や尻の肉付きは少しだけ控えめで、それがより一層、彼女の身体を細く見せてしまう。

 

 

「……はぁ」

 

 

深く溜め息を吐いた彼女は、しかし気を取り直して身嗜みを整えることにした。

暖炉に薪を焚べて火を灯し、沸かした湯を桶に満たして肩口まで伸びた髪を濡らす。柑橘系の香りが良い石鹸を染み込ませて汚れを落とす。

ここ帝国において、香りの良い石鹸はかなりの貴重品だ。

中でも、砂漠の多い南の国から輸入される品には特別なまじないが籠められているらしい。

帝国でもヴィネアのような爵位のない騎士身分程度では滅多に手に入らないような代物なのだが、主君であるオットーから勧められたのもあって、懐に余裕を持たせる程度には奮発してみたのだ。

 

 

「……良い匂い」

 

 

櫛で梳った髪が何処となく明るくなったように思えて、ヴィネアは出費に見合った効果に気分を良くした。

彼女は髪に次いで顔を濯ぎ、濡らした布で身体の首元から爪先まで丁寧に拭っていく。

一通り身体を綺麗に拭い終わると、その次は着替えに入る。

上下に分かれたシンプルな肌着を着用して、その上へ袖口などにフリルの付いたシャツを着る。

騎士として宮廷に出仕する立場である以上、見映えを良くする為のお洒落は欠かせない。

足のラインが強調されるタイプのズボンを履いて、銀糸の刺繍が入った黒色のベストとコートを羽織る。

ヴィネア個人としてはもう少し落ち着いていて身軽な方が好みではあるのだが、部下の評判は主君の評価にも繋がる。見てくれの悪い者が部下にいては、主の沽券に関わる。そのため、彼女は己の我が儘を我慢することにしていた。

肩甲骨まで伸びた髪を邪魔にならないように纏めて、腰のベルトには、細身で質の良い二振りの直剣と特異な形状の短剣を提げる。

最後に軽く香水を吹けば、準備は完了だ。

 

 

「──と、確か、今年は襟元を開くのが流行りでしたか」

 

 

ふと思い出して、シャツの襟元を少し緩める。他国の大使と交流する機会が多い宮廷において、その年毎や月々の流行に敏感でなくてはならない。それは、末端の召使いにすら要求されることだ。

 

 

「しかし、一体誰が流行などと決めているのやら」

 

 

こんなところで文句を言っても仕方なし、着替えを終えたヴィネアは、自分の部屋から出た。

身体を洗うのに使った水桶と脱いだ寝間着は、そのまま部屋に置いておく。後で宮廷に住み込みで働く召使いが、勝手に回収して洗ってくれているからだ。

夜になって部屋に戻る頃には、綺麗な寝間着が用意されていている。直ぐに着替えれられるようにしてあるのが嬉しい反面、鍵を掛けられないことが内心不服ではあるのだが。

 

 

「やはり、まだ明け方は寒いですね」

 

 

寒さで凍える手の平に軽く息を吐いて、廊下を歩き始める。

縦長の窓には細工を施した貴重な硝子が使われているのだが、まだ日が昇っていないために陽光が差し込まず、自分以外には誰も居ない薄暗い廊下に、ヴィネアの足音だけが響く。

壁には等間隔で松明が並んでいるのだが、大方夜番の兵が忘れたか面倒くさがったのか、灯っている筈の火は殆どが消えている。

 

 

「……これは、後で夜番を叱るように告げておかねばなりませんね」

 

 

コツコツと石組の階段を足早に降り、曲がり角を少し歩いて行けば、離宮の建造物に四方をぐるりと囲まれた、木々や植物が綺麗に整備された中庭が視界に入ってくる。

宮廷お抱えの庭師が丹念に手入れをした中庭は、華美な装飾や美しい色とりどりの花が咲き誇っている大庭園とは異なり、比較的質素な造りになっている。

しかし細部には職人による緻密な計算が施されていて、見る人が見れば、思わず感嘆の声を漏らしてしまうだろう。

ふと、中庭をきょろきょろと見渡すヴィネアの視界に、中庭の隅で剣を振るう青年の姿が映った。

背丈はごく一般的な帝国人男性より気持ち高めなぐらいで、程よく鍛えられた上半身を寒空に晒していて、滲んだ汗が肌着を湿らしている。

まだ薄暗いために見える輪郭も朧なままだが、幼い頃から仕えているのだし、それに、今の宮廷でこんな朝方から熱心に身体を動かすような人など他にいないのだから、誰と間違えよう筈もない。

 

 

「オットー様、お早う御座います」

 

 

帝国の第四皇子であるオットー・フォン・ルーシジェアは、ヴィネアの挨拶に剣を振るうのを止めると、柔和な表情を浮かべて自身の騎士に微笑んだ。

 

 

 

 

……

 

 

 

 

「──ああ、お早うヴィネア。つい鍛練に夢中になって気付けなかったよ」

 

 

主君が特徴的な頼りない八の字の眉を外側に傾けたのを見て、ヴィネアは内心で違和感を覚えた。

オットーが住む離宮は警備のために召し使いや奴隷の他、何人もの衛兵が常駐している。

しかも、四方を囲まれているとはいえ、屋外である中庭には宮廷魔術師の手による探知結界が張られている為、ヴィネアでなくとも誰かが中庭に足を踏み入れた時点で、そのことに気付いている筈だったからだ。

ヴィネアは心中で疑問を浮かべるも、恐らくはここ最近の戦後処理を含めた激務のせいなのだろう、と彼女は独り納得した。

 

 

「汗で御体が冷えてしまいます。お着替えのご用意は……」

 

 

「私ももう子供じゃないんだから、着替えぐらいちゃんとあるさ」

 

 

ほら、とオットーが指を差した方を見ると、中庭に置かれた木製の素朴なベンチの上に、きめ細やかな布地のタオルが畳まれている。しかし困ったことに、その傍らには藍地に金糸があしらわれた礼服が無造作に広げられていた。

 

 

「オットー様、あれは……」

 

 

我ながら不敬なのでは、とヴィネアは思いながらも、少しばかり責めた視線で主君を見やった。

シェトラウ地方から献上された木材をふんだんに使ったベンチは気品ある佇まいをしているものの、朝露のせいで湿っているのがわかる。そのようなところに置いているのだから、当然のように礼服も湿ってしまっているようだった。

 

 

「いやぁ、態々着るために戻るのも面倒だし、あれでもシワが出来ないようにしているんだよ。それに、時間が経てば直ぐに乾くと思ってね」

 

 

そうは言うものの、オットーのやや垂れた藍色の目は、ヴィネアから視線を逸らして何処か泳いでいる。

これが仕え始めた頃ならば、主君の振る舞いにヴィネアも些か心配を思えるのだろう。

しかし、オットーとヴィネアの主従としての付き合いは長く、ヴィネアは溜め息を吐くだけですました。

オットーは頭を掻きながらベンチに向かい、鈍い色を放つ剣を携えたまま礼服を手に取った。

 

 

「それはそうと、今日の予定について確認してくれないか?」

 

 

言われずとも自分の頭に入っているだろうに、話題をずらしたいのかオットーが着替えながらそう尋ねたので、ヴィネアは予め暗記していた予定を述べた。

 

 

「はい、本日はご朝食を終えた後に皇帝陛下への拝謁と、引き継ぎの再終確認があります。各種の引き継ぎが完了次第、帝都より出立する手筈となっております」

 

 

「この時間だと陛下もご就寝の最中だろう? 陛下より先に食事を頂くのも如何なものかと思うが、さてどうしたものか」

 

 

態とらしく顎に手を当てながら、オットーは笑みを浮かべてそう呟いた。

 

 

「はぁ、では引き継ぎまで残っている書類が大量にありますので、そちらを片付けますか?」

 

 

そう言うと、オットーはヴィネアにだけわかる程度には嫌そうな表情をした。

けれど元々、彼は書類仕事が嫌いではない。

むしろ、平均的な貴族や皇族の男子が幼い頃から好むような狩りやごっこ遊びよりも、読書や机仕事に向いた性格もあった。

結局はそれが災いして、普段から山のように仕事を押し付けられもしていのだが。

 

 

「いや、そうではなくてな。私とて見納めかもしれない帝都の景色が恋しくないわけじゃない。最後に生まれ育った宮廷を見て回りたいんだが…」

 

 

「オットー様」

 

 

「──何だい?」

 

 

「正直に仰っては如何ですか?」

 

 

「……何のことだか」

 

 

露骨に目を泳がせる主君に半ば呆れるが、長く側に付き従ってきたヴィネアにとって、「最後に宮廷を見て回りたい」という彼の言葉が、強ち嘘ではないことが彼女には理解できた。

現皇帝の第四皇子であるオットーは、しかしその実、正妻の子ではない。

ある時、皇帝が戯れに手を出した平民の侍女が身籠ってしまったことから召し上がられ、そうして侍女の腹から産まれた彼は、血の混じった庶子ながら第四皇子としてその人生の大半を権謀術数の渦巻く宮廷の中で過ごしてきた。

幾度かの出征で離れる時もあったが、それでも、どれだけ醜く腐敗していようが、彼にとって宮廷とは自分の知りうる世界そのものだったのだ。

 

 

「かしこまりました。宮廷を回っていれば朝食までには礼服も乾きますでしょうし、私も護衛として同道いたします」

 

 

ヴィネアの申し出に、オットーは無言で首肯した。

二人はまだ早朝の静かな宮廷を、互いの思い出を振り替えりながら散策する。

その中で、時節寂しそうな表情を見せるオットーの横顔に、ヴィネアはこれから旅立つ先を思う。

果たして新しい地は、故郷に別れを告げるオットー様の寂しさを紛らわしてくれるのだろうか、と




・ヴィネアの石鹸

柑橘の香りのする高価な石鹸。帝国において水は貴重品であり、石鹸もまた高価である。ヴィネアが私的に使うそれは砂漠に広がる南方から輸入されたもので、香る柑橘は南国に由来する品の証である。
高貴な者に仕える者は、また己も身を清く正すべきである。しかし仕えるべき相手が相応しいかは、また別の話だ。
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