双剣の騎士ヴィネアの慕情 ~第四皇子とともに山国に移住した女騎士の受難譚~ 作:中澤織部
帝都より陸路で遥か南西、帝国が五番目に制圧した地方であることから帝国領第五州と呼称されるその地域は、寒冷地の多い帝国の中では比較的温暖な気候で知られている。広々とした大地に豊かな自然が広がっており、森林や草原の広がる南端には、緩やかで広大なセレーヌ河が大地を横断するように横たわる。
オットーとヴィネアはセレーヌ河より更に南の小国、シュタットヘルム王国に向かう道中、第五州の南部にいた。
シュタットヘルムは聳え立つ峻険な霊峰フェネリア山脈を南に臨み、北には帝国領とを別つセレーヌ河による天然の要害に護られている。
その歴史は帝国より遥かに古く、今の時代に至るまで自らが侵略することも、またされることもないまま、約千年の長きに渡って歴史を紡いできた小国である。
その道中、周りを護衛の兵に囲まれ、ろくに舗装はおろか最低限の整備がされた程度の悪路でガタガタと揺れる馬車の中には、二人の他に誰もいない。
本来ならば皇族であるオットーと同乗が出来るのは彼と同じ皇族か、でなければ彼と同格の立場だと認められなければならないのだが、ヴィネアの場合は、オットーの鶴の一声により護衛として例外を赦されていた。
「静かなものだな」
「ええ、帝都の喧騒とはまるで真逆です」
延々と窓の外を流れる風景を眺めながら、オットーはぼそりと呟いた。
窓の外には目立つ田畑や町村の類いもなく、馬車が通る街道に最低限の整備がされている以外に、人の手が加えられた痕跡は殆どない。
加えてこの街道も前の戦いの折、軍を迅速に動かすために急拵えで整備したものだ。早急の用がない今では通る人もろくにおらず、この地に本格的な整備と開発が成されるのは、きっと遠い先の話になるのだろう。
「ですが、今回のことが切っ掛けとなれば、発展の余地は充分に生まれるかと」
真っ直ぐに自分を見つめるヴィネアの言葉に、オットーは苦笑する。
「だといいんだがね」
「……やはり、気乗りがいたしませんか?」
「いや、そういう訳ではないよ。現に私は、自分の妻になる女性のことが気になって仕方ないくらいさ」
そう笑う彼の瞳には、自分を慕ううら若い騎士の、ほんの少しだけ寂しげな姿が在った。
……
揺れる馬車に身を任せてから、果たして幾時が経っただろうか。窓の外を見れば、出立の際には正午を過ぎたばかりの明るく深緑が広がっていた景色も、何時の間にか夜闇に黒く沈み始めていた。
空には雲一つのない星空が広がっており、欠けた二つの月が浮かんでいる。
「今日はもう遅い。この辺りで一夜を明かすとしようか」
そうオットーが命じ、一団は街道脇にポッカリと設けられた空き地に夜営を敷いた。
周りは木々が鬱蒼と生い茂る中で、その空き地だけはあからさまに人の手が入った痕跡が残されている。
恐らくは、街道を築く際の仮拠点でも置かれていたのだろうか。野晒しに放置されて刃の錆びた斧や、半ばまで加工されたまま捨て置かれたままの苔が生えた丸太が転がっていた。
「……思えば、こうして夜営をするのも随分と久しぶりに感じるな」
「前の戦いから、既に二年も経っていますから」
鍋が吊るされた焚き火の前で、ヴィネアはオットーの言葉にそう答えると、コップに注がれた水に口をつける。
綺麗な飲み水などは貴重品だ。帝都でも井戸の数は決して多くなく、民の多くは安いエールなどを普段から飲んでおり、宮廷に暮らす貴族や皇族ですら、水よりワインなどの方がよく飲まれる程だ。
現にヴィネアが口にしている水も、近くに微かなせせらぎの音を奏でる透き通った小川がなければ、カップの半分にも満たない量しか口にできなかっただろう。
「しかし、後から続くとは言え、これだけの数で良かったのですか?」
そう言うヴィネアとオットーが座る以外にも焚き火は点在していて、それぞれを囲うように兵たちが休息をとっている。
その周囲を警備の為に歩哨が警戒こそしているが、その総数はとても広大な領土を持つ帝国の、名ばかりの庶子とは言え第四皇子である筈のオットーに伴うに相応しい数とは、ヴィネアにはとても思えなかった。
「ならば、結婚相手の国に軍団の一つや二つでも引き連れて来れば良かったと言うのかい? それでは、態と武力を見せつけて脅しているのと同義だろう?」
焚き火の明かりにぼんやりと浮かぶオットーは笑みを浮かべている。ただ、ヴィネアを見つめる普段の頼りなさ気に垂れた目は決して笑ってはいなかった。
「……申し訳ありません。出過ぎたことを」
「私たちは敵を攻めに来たのではない。寧ろ、相手とより親密になるために来たのだから、これぐらいで良いのさ」
それに、とオットーは周囲の兵に視線を向ける。彼らはみな帝国正規軍で統一された規格の装備を着ていたが、姿かたちは大きくまばらに異なっていた。
「私の配下は小鬼や猪鬼、鉱人のような亜人ばかりだ。純血を重んじる腹違いの兄上たちや貴族どもからすれば、纏めて厄介払いするには都合が良かったのだろうな」
血統を重んじる帝国において、亜人種は肩身が狭い存在だ。
最低限の立場こそ保証されているが、人間種よりも過酷な兵役義務が課せられており、軍での階級も上限が定められている。
かつて、まだ不安定な建国当初においては、軍事や政務の要職に亜人が名を連ねることは少なくなかったという。しかし、帝国として百年が経った頃から人間と亜人という種族の隔たりが、やがては確執として表面化しだした。
決定的だったのが第五代皇帝グンドバルト二世の頃に起きた融和派のハヴトワーゼ候と厳格派のポータジワン公による争乱である。融和派によるポータジワン公暗殺未遂を発端とする一連の内乱は事勿れ主義で知られた皇帝グンドバルト二世の重い腰を動かし、ハヴトワーゼ候の敗死によって厳格派による身分種族の統制が顕著になったと言われている。
「尤も、ポータジワン公自身は其処まで厳しくするつもりもなかったと言われているがね」
オットーは一息に呷り、空にしたコップを手に立ち上がると、ヴィネアの頭を撫でた。
それは、彼に仕えてからというもの、彼女が幾度もしてもらったことだった。
「順当に行けば明日の昼には着く。皆、確りと休んでくれ」
彼は兵たちにそう言うと、設置された天幕の中に消えていった。
……
翌日、明朝には野営を畳み、オットー率いる一団は直ぐにその場を出立した。
先日と同じように道中にこれといった危険な出来事などはなく、景色ばかりが淡々と移り変わる。
そうして半日を進んだ辺りで、地に這う大蛇のように大地に横たわる、大きな川の前に出た。
遥か東に連綿と連なる雲貫きの山脈から大小様々な河川が合流し、西端のアトリア海まで流れる、対岸が遠くに辛うじて見えるほどの果てないこの大河こそ、オットーらの目的地であるシュタットヘルム王国と帝国との間に、実質的な国境線として取り決められたセレーヌ河である。
「……いつ見ても雄大です。帝都直轄地や我がウェルクスラインの土地にも、このような規模の河川は存在しませんでした」
「流石、恵みと祝福を司る女神セレーヌの名を持つだけはある。前の戦いから二年ぶりになるか」
懐かしむようなオットーの視線の先、川岸には一際大きな橋が架かっていた。
帝国独自の様式が取り入れられた橋だが、仮組の足場が架けられており、運び込まれた石材や木材が山のように積まれている。まだ建設途中であるらしく、橋としては機能していないように見えた。
「ここからは複数に別れて船で渡るらしい。橋が完成していれば、こういう手間も省けたのだがな」
船は海を渡るためのガレー船やキャラック船などとは異なる、河川に適した喫水線の低いものにオットーとヴィネアらは乗った。
ゆるやかなセレーヌ河には大きな波も無く、流れる水にそっと指先を触れさせると、凍えるようなその冷たさがわかる。
雲貫きの山脈から雪解け水が流れ込むため、春にも関わらず真冬のような冷たさなのだ。
水の冷たさに、ヴィネアは思い出す。
二年前の戦いが行われたのは、肌寒さの残る冬の終わり頃だった。
冬には水位が下がるとはいえ、セレーヌ河は一年を通しての平均的な川幅が二五三リーベ(二七六〇メートル相当)にも及ぶ。多少水位が下がったところで、その脅威が変わることはない。
かつて、帝国軍は無理矢理に渡ろうとしたが為に少なくない数の兵が死に、渡河直後に待ち構えた敵によって更に多くの犠牲が出たのは記憶に新しい。
「何処までも穏やかで揺るぎない大河……、あの戦いが無かったかのように思えてしまうな」
セレーヌ河の流れを見つめながらそう言うオットーの横顔は何処か寂しげで、きっと彼の脳裏には、ヴィネアと同じ前の戦いの風景があるのだろう。
彼女は主と同じ思いを共有できていることに、少しばかりの満足感を得て、そして直ぐにそんなことで一喜一憂する自分自身に対して、言い様のない嫌悪感を覚えた。
……
セレーヌ河を渡り終え、王国側から用意された替えの馬車に乗り、再び陸路での移動を始めたオットーらは、暫くして遂にシュタットヘルム王国の王都シュテーリアをその視界に収めた。
王都シュテーリアはセレーヌ河の支流が流れ込むフェルニア湖畔の、小高い山の麓に築かれていた。
山頂には帝都のそれより小ぢんまりとしながらも、赤い屋根の尖塔を中心に城が築かれており、よく見ると山の一部が麓から中腹にかけて、城と同じ色合いの市街が築かれている。
逆に麓から湖畔に沿って広がる町並みは色鮮やかとは言い難く、恐らくは、麓を境に身分で別れているのだろうと察することができた。
一団は日が落ちる前に、王都の正門へと辿り着いた。
湖畔沿いの町を囲う城壁は所々が崩れ、補修の痕跡が目立つ。恐らくは、前の戦いの後になって手が加えられたのだろう。城壁の外側、壁沿いには天幕や小屋が犇めき合っており、門から内側に進むと、より市街の様子がよくわかるようになった。
湖畔の麓沿いに連なる町並みは、良く言えば質素で素朴と言え、悪く言えばみすぼらしいとも言えた。
石造りの建物よりも簡素な木造の家が多数を占めており、石造りでも外観が最低限マトモに維持されているのは、市街の中心部に建てられた役場らしい建造物ぐらいだった。
地べたに座るか横になっている浮浪者が目につく大通りを進むと、正門よりは手入れのされた二つ目の門に当たった。
其処を越えると町並みは先程とは打って変わり、山の中腹にかけて、ゆるやかな傾斜に沿った町並みは整然と築かれていた。家屋の一つ一つが湖畔の市街よりも大きく、道行く人々の身なりから貴族や富裕層のための区画なのだと一目で理解できる。
「私が言えた義理ではないが、帝都と比べて随分とあからさまだな」
「はい、いいえオットー様、帝都は構造の都合、態と見せつけるようにできておりません」
「あの見上げるばかりの城壁で隔たれたものを、見せつけていないと言えるのなら、そうなのだろうがね」
寒空の下、隔たれた帝都の向こう側に暮らす臣民のことなど、宮廷での贅沢に現を抜かす者たちは気にすることなどなかった。
それは、態々城壁を越えてまで下々の元へ足を運ぼうなどと思えるほど、帝都の貴族が酔狂ではなかったのもあるだろうし、何より、その聳え立つ隔たりによって、目に見えぬ相手に気を向ける必要を感じなかったのもあるのだろう。
しかし、今足を踏み入れたシュテーリアのそれは、互いが相手を見ることができるよう、意図的に築かれた隔たりであった。
「よくもまぁ、これで千年も続いたものだな」
否、むしろ千年も経って限界を迎えたが故の婚姻なのだろうか。
……国を憂うような聡い女であれば良し、だが血に囚われた愚か者であれば──。
オットーは静かに瞼を閉じ、王都を見下ろす城に住まう、自分の妻となる相手に思い馳せた。
……
街並みが途絶えた中腹から山頂にかけて一本の道が伸びた先に、シュタットヘルム王城は在った。
市街を囲んでいたそれよりも背の高い白色の城壁に囲まれた城の正門を潜ると、正面の石畳が敷かれた中庭の先に三階建ての城館が見え、その玄関口には、豪奢なドレス姿の少女が供回りを連れて立っていた。
薄紫と白を基調としたドレスを纏った小柄な少女は、明るくウェーブのかかった茶色の長髪が膝下まで伸ばしている。
年齢は十代の半ば程だろうか、少なくとも、ヴィネアよりも年下だということがわかる。
彼女はオットーとヴィネアが馬車から降りたのを確認すると、ドレスの裾をつまみ、僅かな乱れもなく恭しく頭を下げた。
「シュタットヘルムにまでご足労いただき感謝いたします。私の名はマリー=エレオノール・ラ・シュタットヘルムと申します」
そう言って、マリー=エレオノールはにこやかな微笑みを浮かべた。
「貴方の妻となる者です。オットー・フォン・ルーシジェア様」
・水
清流から汲んだばかりのただの水。
断崖に囲われた帝都において水は貴重であり、それは長期の遠征を必要とすら帝国軍においてもそれは変わることはない。
だからこそ、水は美味いのだ。