双剣の騎士ヴィネアの慕情 ~第四皇子とともに山国に移住した女騎士の受難譚~   作:中澤織部

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さて、何も言うまい。


第三話、夜に隠す密談

シュタットヘルムに到着したその日の夜、ヴィネアは上着を乱雑に脱ぎ捨てながらベッドに腰を下ろし、一息を吐いた。

彼女がいる部屋は、シュタットヘルムの王女マリー=エレオノールから夫の仮住まいとして用意された別館の一室であり、オットーの計らいでヴィネアに与えられたものだ。

昨日まで暮らしていた帝都の部屋よりは些か狭いが、室内を飾る調度品の質は勝るとも劣らない。

オットー自身はマリー=エレオノールとの式を挙げたのち、城の本館に住まいを移すらしい。別館には後日にまた何人か住まうことになっているらしいが、現状ではヴィネアだけとなる。

 

 

「しかし、オットー様は本当にあのような……」

 

 

ヴィネアは誰に問いかけるでもなく、小さな声で呟いた。オットーの妻になるのだと名乗ったマリー=エレオノールの姿は自分よりも若く……否、むしろ幼いと表現した方が適切な容姿をしていた。

ドレスの隙間から見垣間見える手足は華奢で、線の細さを気にしているヴィネアからしても、ガラス細工で人を象ったような、そう思わせる程に脆く儚い印象を受けた。身長の面においても、頭がオットーの腹の辺りに来るほどしかなく、履いている靴のヒールから逆算すればもっと小柄だろう。

 

 

「オットー様は、知っていたのでしょうか」

 

 

まさか、とヴィネアの口から自然と言葉が漏れでる。

宮廷でオットーに関わりのあった女性というのは、ヴィネアと比べても肉付きの良いことが殆んどだった。それもあってか、彼もまたそういう方が好みなのかと考えていたのだが。

 

 

「……と、幾ら邪推したところで、オットー様のお考えなど、私にはわかりませんが」

 

 

唯一の灯りである蝋燭の火を吹き消し、整えられたベッドへ仰向けに倒れこむ。

目を瞑る前に、ふと開け放たれた窓の外に視線を移せば、日が完全に落ちた雲一つない夜空には星々を侍らせて煌々と浮かぶ双子の月がある。

ヴィネアは誰にも聞こえない声で「お休みなさい」とだけ呟くと、そのまま瞼を閉じて眠りについた。

 

 

 

 

……

 

 

 

 

別館にあるオットーの寝室、ヴィネアに与えられた部屋と比べても余裕のある間取りの室内には、オットーの他にもう一人の姿があった。

 

 

「このような夜分遅くに申し訳御座いません。ですが、こうして人目を憚らなければ、話もできませんから……」

 

 

銀製の水差しを片手に、オットーは突然の訪問者──マリー=エレオノールを前にして考えを巡らせた。

小柄で華奢な少女はソファに行儀よく座り、水の注がれた銀製のコップを、包むように両手で持っている。

机に置かれた燭台の灯りに照らされて、幼いながらにうっすらと身体のラインが透けて見える寝間着姿が、オットーの目にはやけに態とらしく扇情的に映っていた。

 

 

「それは、私以外の誰かに聞かれては困る話ですかな?」

 

 

オットーの問いかけに、マリー=エレオノールが視線を向ける。紫がかった瞳は磨き抜かれた宝石のように瞬いて、やや俯きがちなそれがオットーを射抜く。

オットーは決して視線を逸らさず、自分と目の前の少女のグラスに水を注ぎ、持っていた水差しをテーブルに置いて向かい合うように座る。腰がソファに沈むと、ぎしりと音を立てて軋んだ。

 

 

「少し、失礼しますね」

 

 

マリー=エレオノールはそう言うと、人差し指に指輪を嵌めた右手を翳してみせた。

すると、僅かな一瞬だけ指輪の宝石が瞬いたかと思うと、オットーは窓の外から微かに聞こえていた市街の喧騒が止んだことに気付いた。

 

 

「……これは、魔術か聖術の類いかな?」

 

 

オットーが興味深そうに問うと、彼女は目を指輪に視線を落として答えた。

 

 

「音の漏れを防ぐ魔術が込められた指輪です。先生からの贈り物なんですよ」

 

 

先生、という単語が気になったものの、オットーは話を促すことにした。

 

 

「まさか、王女殿下御自らが態々出向いてくださるとは思わなかった。何せ、帝国では皇帝は常に至尊の頂きに君臨すべしと教えられていたものだからな」

 

 

「王女殿下などと申さなくとも、私のことはマリー=エレオノールと、呼び捨てにしても構いません」

 

 

礼儀作法は確りとしている、とオットーは言葉を交わしながら値踏みする。

年齢も十近く離れてはいるものの、見てくれも帝国の宮廷で顔を見せる貴族や皇族と比べても格段に整っている。恐らくもう数年ほどしてあどけなさが抜ければ、きっと世の民の悉くが讃えるほどの美貌になるだろう。

 

 

「……では本題に入るとしよう、フロイライン・マリー=エレオノール。人目を憚ってでも私に話したいこととは、果たして何用であるのか」

 

 

「話したいことというのは、私の、私が未だに王女であることについてです」

 

 

そう言うと、マリー=エレオノールはぽつりぽつりと、これまでの経緯を語り出した。

 

 

……

 

 

 

 

マリー=エレオノールの父にあたる先代のシュタットヘルム国王ジギスムント二世。彼はその四十余年に渡る治世において、何ら特筆することのない凡庸さが語られる。しかし、この王は妻の胎かそれとも己の種が故か、長らく子宝に恵まれないという大きな問題を抱えていた。

彼の実兄ヘルムートがその病弱さ故に王位継承権を手放して以来、永らく治めたこの凡庸な王がそのまま崩御することになれば、次の王位は彼の妹が嫁いだノイエシュターレン公爵家に移ることになっていた。

当初、ジギスムント二世は己に子がいないことからそのことには肯定的であった。しかし、三十年程が経った頃、彼の複数いた妻の一人が、幸か不幸か遂に子を成したのである。

 

 

「それがこの私──マリー=エレオノールです」

 

 

マリー=エレオノールは途中、コップに注がれた水で喉を潤しつつ、やや訥々としながら言葉を続けた。

彼女が言うには、直系の跡継ぎである自分が生まれたことを、多くの民や臣下は祝福したという。それは心からのことであろうが、しかし、そのことを好ましく思わないものも確かにいたのだ、と。

それは即ち、世継ぎが不在の場合に王位継承権を得る筈だった、ノイエシュターレン公爵家とその類縁たちである。

この時のノイエシュターレン公爵家には既に跡取りが生まれており、縁のある貴族たちは、次代のノイエシュターレン公がシュタットヘルム国王になると信じて疑っておらず、故に漸く生まれたジギスムントの子は、彼らにとって邪魔な存在だということだ。

しかし、とオットーは顎に手を充てながら思う。ただの後継者問題だけならば、それはあらゆる時代のどの国にも起きうる、ごくありふれた出来事に過ぎない。

それならば、態々マリー=エレオノールがそもそも隣接こそすれ、長らく敵対的な関係であり、二年前には一度交戦した過去のある帝国に近づくことにはならないと、オットーはそう考えた。

 

 

「マリー=エレオノール。もしや、貴女の父上は」

 

 

オットーが最後まで言い終わる前に、マリー=エレオノールは右手でそれを制した。

 

 

「……貴方の推測の通りです、オットー様」

 

 

彼女が言うには、凡庸であるがゆえに人並みに臆病な王は、老いた己が死んだ後の、漸く授かった一人娘を案じるようになった。それはやがて、次第に外戚にあたるノイエシュターレン家に王位継承権があることを恐れる原因にもなっていく。

そして、それが血に汚れた粛清へと至るには、それほど時間は掛からなかったという。

しかし、少なからず影響力のあるノイエシュターレン家を潰すには、このただ凡庸なだけの王では限界があったとはいえ、ノイエシュターレンに連なる類縁の半数にまで匹敵する数を処刑したところで、ジギスムントは病に倒れた。

そのような先王の愚行による実害を受けたが故に、ノイエシュターレン派閥はマリー=エレオノールの女王即位を頑なに認めようとしていないのだ。

 

 

「──そのような経緯もあって、ノイエシュターレン公をはじめとした少なくない数の貴族は、私を快く思っていないのです。しかし、父がこの世を去ってからもう二年が経っています。これ以上空位にはできません。ですから、私には帝国という強力な後ろ楯が必要なのです」

 

 

自分勝手な話ですよね、と眉尻を下げて少女は力なく笑みを浮かべる。

それを間近で見て、オットーは自分の中で何かが疼いたのを感じた。

オットーは先王ジギスムント二世の行いに対して、特に批判的な考えは抱かなかった。

まだ伴侶もいない自分には、子供を思う気持ちなど解らない。だが、これでも実父が皇帝という皇族の端くれでもあるのだから、彼が粛清にまで踏み切ってしまったことには多少の理解は示せていた。

けれど、その凡庸がゆえの短慮な行動の結果として、遺された幼い娘に対して重圧を課しているということが、オットーに言い様のない不快感を味あわせる。

オットーは思わずマリー=エレオノールの手をとった。程よく鍛えられた彼の両手に包まれた少女の手は、その生まれの重責に比べてあまりにも華奢に過ぎた。

 

 

「──マリー=エレオノール。貴女は既に知っているのだろうが、私は第四皇子とは名ばかりの庶子に過ぎない。だが、それでも我がルーシジェアとシュタットヘルム二国にとって利益となるのならば、私は貴女の力になると誓おう」

 

 

「──有り難う御座います。オットー様」

 

 

何処か後ろめたさを残した微笑みに、オットーは笑みを返す。

聞く人によれば、このような言葉は気障に聞こえるだろう。格好付けの偽善と思われるかもしれない。

我ながら青臭い台詞だな、と彼は自嘲する。つまるところ、自分で思っていたよりもオットー・フォン・ルーシジェアという男は、未来の妻である目の前の少女を蔑ろにできるほど、冷酷にはなりきれていなかったのだ。

 

 

 

 

……

 

 

 

 

ふと、暗闇の中に聞こえた物音にヴィネアは目を醒ました。

窓の外に浮かぶ双子の月は随分と傾いていて、城下に灯っていた喧騒もひっそりと静まり返っている。

何の音だろうと視線を向けると、ベッドと同じ高さにひっそりと動く姿が見えた。

此処は自分の個室として与えられた部屋で、夜も遅いとなれば、それは侵入者に他ならない。

寝起きの状態から直ぐに意識を切り替え、物音を立てずに立て掛けていた剣を手に取る。気配を殺しながらこそこそと扉に手をかけようとする何者かの後ろに立つと、

 

 

「何者ですか」

 

 

「──!?」

 

 

鞘に納めたままの剣を突きつけると、その何者かはビクリと肩を震わせた。

ヴィネアの剣は鞘にも銀細工の装飾を施されている。元々はそういった華美な装飾を余り好まなかったのだが、身だしなみの一つだとオットーに説得されていたもので、暗闇の中でそれを突きつければ、大抵は凶器と誤認すると考えたが故に施したものだった。

 

 

「変なことをしようとせず、そのフードを外して此方へゆっくりと振り向いてください」

 

 

その何者かはフードを被っているため輪郭がはっきりとしておらず、故にヴィネアは顔を見せるよう促した。

 

 

「はっ……あ……う、えっ、と──」

 

 

恐る恐るフードをとって此方に振り向いた顔を見て、ヴィネアは少しばかり拍子抜けしてしまった。

フードの下にあったのは、少女の顔だった。

年齢はヴィネアと同じぐらいか二つばかり年下のようで、くせのあるぼさぼさの茶色の髪が鎖骨の辺りまで延びている。

髪の合間からは目元に濃い隈のできた灰色の瞳が覗いており、やや青白い不健康そうな肌もあまり手入れがされていないように見えた。それでいて唇は厚くぽってりとしていて、そこだけは綺麗な桜色をしている。

そして特徴的だったのは、頭から生えた犬か狐の類いによく類似した耳だ。

 

 

「──獣人種、ですか」

 

 

獣人種は帝国を含め、各地に幅広く生活圏を持つ種族の一つだ。強靭な膂力と俊敏な身体能力を持ち、かつて東方では獣人種の遊牧民が、その武力を背景に巨大国家を樹立した歴史がある。

帝国では亜人種の内の一つとして迫害こそされているが、その優れた能力から帝国軍では精鋭に配されることが多く、現在の帝国軍において獣人種は数少ない亜人種の出世頭だ。

主であるオットーはその微妙な立場ゆえに配下は亜人種ばかりであり、そこには獣人種も含まれている。当然それに付き従うヴィネアも将兵の顔は一通り把握しているが、しかし、当然と言うべきか、ヴィネアは目の前の少女の顔に覚えがなかった。

 

 

「……何者ですか? 曲なりにも此処は王宮の一画、身分不確かな輩が忍び込めるような場所ではない筈」

 

 

「あ、あのっ、わた……私も、この城の……えぇと……」

 

 

「この城の……なんです?」

 

 

態とらしくトーンを落とした冷ややかな声で再び問いかけると、獣人は顔を真っ青に染め上げる。

 

 

「ご、御免なさいっ……!!」

 

 

すると目の前の獣人の少女が大粒の涙をボタボタと流しながら一際大きな声で叫んだかと思うと、遠く東方の宗教的風習に伝わる五体投地もかくやといった、あまりにも見事な姿勢で床に頭を擦り付けた。

それはヴィネアですら反応に困るような、あまりにも完成された土下座であった。




・貫きの双剣

騎士ヴィネアが振るう二振りの剣。
細身の剣刃には希少な金属が使われており、鋭利な刃は刺突に優れる。
帝国の名門ヴェルクスライン家に代々伝わるそれは、実戦的な造りながら細かい細工が施されている。
騎士の誇りは常に剣と共にあり、それは後ろ暗い流血によって穢れても尚、本質は清らかに在り続けるだろう。
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