これはかつて少女だった一人のウマ娘の一幕
URAファイナルズを乗り越えた、とあるウマ娘の幕間
皆さんお久しぶりです
現在ウマ娘三部作が絶賛暗礁に乗り上げ中なので、その気晴らしに書いてみました
こういう単発ものもたまに出すかもしれないので、その時はよろしくお願いいたします
星の綺麗な夜でした
(「ーー嫌だ」)
だからでしょうか?
そう言ってわたしの手をぎゅっと握りしめたあなたの瞳は、まるで周囲の星達と同じ様に煌めいていて
(「ーー君もいなきゃ嫌だ」)
ぽたり、ぽたりと、その瞳から星の雫が零れ落ちていきます
後から後から、無尽蔵にあふれでるそれは、落ちる端から海へと帰っていく一瞬のきらめき
空に浮かぶ本物の星よりも小さくて儚い刹那の輝きです
だけど
(「アストンマーチャンはーー」)
それでも、それをぬぐおうともせずに、真っ直ぐにわたしを見つめるトレーナーさんの瞳には
(「――ここからなんだ」)
まるで鏡のようにくっきりと
(「――そのはずなんだ」)
呆然とするわたしの姿が映っていて
そんなあなたの瞳から、何故だか目を逸らすことができなくて
(「...」)
だからわたしは
(「.........」)
わたしは...
「...ここに来るのも久しぶりですね」
ふと脳裏を過った回想を切り上げ、そうひとりごちたマーちゃんの言葉に、しかし反応する人は誰もいません
もうすぐ春だというのに、少し肌寒い空気の中、マーちゃんは一人寂しく立ち尽くします
ですが、それは当たり前です
なぜなら夜の海は危ないですから
だからこそ、こんな時間にそうそう人なんているはずもありませんし、逆にいたら、それは多分不審者さんかなにかです
悪い悪い、どこぞのアクトウマーチャンさんの一味に違いありません
そんなことを思いながら、マーちゃんは靴を脱ぎ、一歩海へと足を踏み出します
チャプッ...という軽い音と共に、冷たい海の水が足を濡らします
見上げれば満点の星空
微かに耳の奥に響く波の音以外何の音も聞こえない
そんな静寂の世界が彼方まで広がっていてます
ですから
「...もう、良いですよね?」
チャプチャプと、一歩踏み出す度に水音が立ちます
だけど、そんな微かな音はすぐに世界に溶け込み消えていきます
広がる星空の下、どこまでもどこまでも広がる大いなる海へと、静かに消えていきます
そして、それは他ならぬマーちゃんも同じことです
ザザーン、ザザーンと、よせては返す波の音があたりに満ちています
一歩、また一歩と足を進めるごとにその音は大きくなり、同時にマーちゃんと世界の境界もまた曖昧になっていきます
どこからどこまでがマーちゃんで、どこからどこまでがマーちゃんでないのか
まだ少し肌寒い三月の夜
そこに流れる空気の感覚と、膝まで使った海の水の冷たさがゆっくりと消えていく中で、マーちゃんは次第に永遠の世界へと溶けていきます
ですが、今のマーちゃんには恐れも不安もありません
何故なら、これは昔から覚悟していたことで、実際にかつてマーちゃんはその先に行きかけましたから
それを思えば、本来の流れから随分と遅れたものだとも思います
それに...
「...もう、トレーナーさんもいませんから」
みんなみんな、いつかは海へと帰ります
例外はありません。それが早いか遅いか、ただそれだけ
そしてつい先日、トレーナーさんもまたそうして帰っていきました
一緒にいたい、マーちゃんの隣でその姿を見つめ続けたい
そう言ってマーちゃんを引き留めたあの人はだけど、マーちゃんよりも先に帰ってしまいました
マーちゃんという船を地上に繋ぎ留めていた錨は抜けてしまいました
「...それなら、良いですよね?」
あの日、聞かなかったことにした波の音に、今度こそ答えても良いですよね?
あの日、行かなかった場所へ、もう行っても良いですよね?
「わたしも...」
あなたのところに行っても...良いですよね?
広がる星の海を、本物の海の表面が鏡のように映し出しています
いいえ、そこにはきっと境界線など無いのでしょう
煌めく夜の帳の中で、二つの海が交わる場所
そこへと再び一歩を踏み出そうとしてーー...
「お母さん!!」
ハッと我に帰ったマーちゃんは、気が付くと誰かに抱き締められていて
「嫌だ!嫌だよお母さん!!」
絶対に離してなるものかと、しかとマーちゃんを抱き締めながら泣きじゃくるその少女の目は
「まだ死んじゃ嫌だよ!まだ私にはお母さんが必要だよ!!」
キラキラと、まるで星のような涙をいっぱいに貯めてこちらを見つめるその目は
それでもしっかりと、まるで鏡のようにマーちゃんの姿を映し出すその瞳は
(「ーー嫌だ」)
まるであの日のあの人の
(「ーー君もいなきゃ嫌だ」)
いつもマーちゃんを映してくれていたあのレンズと
綺麗な空の色をしていた、あの懐かしい瞳と
「だから行かないで!お母さん!!」
父親のものと、本当にそっくりでしたから...
「...ーー本当に」
ひどい...ひどい人ですね、トレーナーさんは
マーちゃんはため息をつきます
だってそうですよね?
これではマーちゃんは海に帰ることができません。何故なら、まだトレーナーさんのレンズは稼働し続けていますから
マーちゃんを映し続けていますから
それならマーちゃんの方から姿を眩ますわけにはいきません
忘れさせたくない、そう言ってトレーナーになってくれたあの人の願いを
世界に逆らってまでマーチャンを引き留めてくれたあの人の想いを、無駄にするわけにはいきません
...ずっと一緒にいてくれると、そんな約束を破った薄情な誰かさんと違って、マーちゃんは義理堅いですからね
エッヘン
それに...
「...安心して下さい。マーちゃんはどこにも行きませんよ」
そう言ってマーちゃんは、胸の中で未だにぐすり続ける自身の娘を柔らかく抱き締めます
「...ホントに?」
「はい」
疑わしそうな目で母親を見つめる彼女の表情に、思わず苦笑してしまいます
確かにマーちゃんはちょっぴり周りからズレた変なウマ娘で、お世辞にも普通の母親とは言えないかもしれません
だからこそ、信用ならないとばかりにマーちゃんを見つめる娘の姿は、ある意味当然と言えば当然のことですね
ですが
「...あなたがいますからね」
そう言ってマーちゃんは自身の娘の頭を撫でます
マーちゃんと同じ綺麗な鹿毛に、それでいてトレーナーさんと同じ空の色の瞳
無言でされるがままになっているこの子は、わたしとあの人の、世界で一番の宝物。マーちゃんとトレーナーさんがいなくなっても、それでも残り続ける、マーちゃん達の生きた証。大切な一人娘
だからこそ
「...帰りましょうか」
マーちゃんは水平線に背を向けます
マーちゃんを呼ぶ声を、もう一度だけ聞かなかったことにします
何故ならマーちゃんには、どうやらまだ生きる理由があるみたいですから
生きたいと、そう思える理由があるみたいですから
「...その前に着替えでしょ!
そんなずぶ濡れで帰るつもり?ちゃんと持ってきたから後で着替えてね、いい?」
「おや、そうでしたね
流石は我が娘、気が利きます
....むむむ!これはもしや、マーちゃんをも超えるウルトラマスーパーマスコットの素質!?」
「もう!相変わらずなんだから!!」
ですからトレーナーさん
マーチャンはまだ、もう少しだけ生きてみようと思います
いつか忘れられてしまうとしても、誰もマーチャンやトレーナーがいたことを覚えている人がいなくなったとしても
「...ねぇ、■■■」
「なに?」
それでもきっと、今を生きることは無駄なんかではありませんから
生きて生きて生き抜いたその歩みは、例え記録にも記憶にも残らなくても
「ありがとう」
きっと...
「.........次やったら承知しないからね」
「はい」
「ふん!お父さんもお母さんも、私がいないとてんでダメダメなんだから!!」
それでもきっと誰かの中で生き続ける
そしてその誰かもまた、別の誰かの中で生き続ける
そうやって人の想いは時を超えていく
「...ほら!行くよ、お母さん!!」
「...えぇ」
そう、マーちゃんは信じることにしましたから...