「……お待たせしました、山崎さん」
受付のシフトを終えた白金さんが、教室の前で僕を待っていた。先ほどまでの喧騒が嘘のように、彼女の周りだけがひっそりと静まり返っている。着替えてくるのかと思ったが、彼女はまだあのメイド服姿のままだった。
「その格好で、行くのか?」
「……はい。その、実行委員の人に、このまま宣伝も兼ねて歩いてほしいって……。嫌、でしょうか?」
「いや、似合ってるからいいと思う。……じゃあ、行こうか」
僕が歩き出すと、白金は一歩後ろを、まるでお供のように付いてくる。だが、誤算だった。僕たちは目立ちすぎていた。
「おい見ろよ、山崎のやつ……。白金さんと二人きりだぞ」
「なんだよあの、美男美女……じゃなくて、美女と野獣……でもないけど、なんか雰囲気いいな……」
「白金さん、あんな顔するんだな……」
すれ違うクラスメイトや他クラスの連中の視線が痛い。からかい混じりの指差しや、野次が飛んでくる。僕は溜息をつき、隣で今にも消えてしまいそうなほど俯いている白金に声をかけた。
「白金、大丈夫か? 嫌ならどっか空き教室にでも……」
「い、いえ……。山崎さんと一緒に歩けるなら……私は、大丈夫……です」
その言葉が、彼女の最大限の勇気であることは分かっていた。しかし、平和な時間は長くは続かない。
「あれっ? やっぱり彗太じゃん!それに燐子も!」
背後から飛んできたその声に、僕の背筋が凍りついた。聞き慣れた、そして今は一番聞きたくなかったテンションの声だ。振り返ると、そこには私服姿の今井リサと、相変わらず凛とした表情を崩さない湊友希那が立っていた。
「リサ……。それに、湊さんまで」
「文化祭、遊びに来ちゃった☆ ……って、ええっ!? ちょっと、二人でデート!? 燐子、その格好なに、めちゃくちゃ可愛いんだけど!」
リサが詰め寄る。その横で、湊さんが鋭い視線を僕に向けていた。
「……山崎くん。燐子は、あなたのクラスの出し物の手伝いをしているはずでは?」
「あ、あの、湊さん……。今は、休憩、中……で。山崎さんと、一緒に……」
白金さんが蚊の鳴くような声で説明するが、リサの目は笑っていなかった。
「へぇー。彗太、この前あんなに私と買い物して楽しそうにしてたのに、今日は燐子とメイドさんデートなんだぁ。意外と隅に置けないね?」
「リサ。彼と買い物をしていたの?」
「あ、あはは……。いや、それはほら、衣装の相談とか……ね?」
「……山崎くん。燐子は繊細なの。遊び半分で連れ回すのは許さないわ。それに、あなたは私とも『予約』の話以外ですべき会話があるはずよ」
湊さんが僕の至近距離まで歩み寄る。香水の匂いではない、彼女自身の凛とした香りが鼻をくすぐる。右にリサ、左に湊さん、正面にメイド服で泣きそうな白金。周りの生徒たちが「おい、Roseliaのツートップと修羅場だぞ」とスマホを向け始めている。
「……あの、とりあえず場所を変えないか? ここでこれ以上話すのは、みんなの迷惑に……」
「逃げるつもり? 彗太」
「……不誠実ね」
リサと湊さんのコンビネーション攻撃に、僕は言葉を失う。その時だった。
『聞いてください!』
校内放送を突き破るような爆音が、体育館の方から響いてきた。
「あ、今の声、戸山さん……?」
白金が顔を上げた。救いの神、というにはあまりに騒がしいが、この場の空気を切り裂くには十分すぎる熱量だった。
「……ポッピンパーティーのライブが始まるみたいだね。観に行く約束をしてたんだ。皆で行かないか?」
僕の提案に、湊さんはふんと鼻を鳴らした。
「……いいわ。彼女たちの音楽が、この不愉快な空気を払拭できるほど成長したのか、確かめさせてもらうわ」
「私も行く! 彗太の隣、キープしちゃうもんね☆」
結局、僕は三人の少女を引き連れて体育館へと向かうことになった。地獄のような移動時間だった。右腕をリサに掴まれ、左隣には湊さんが無言で圧をかけ、その後ろを白金が「うう……」と項垂れながら付いてくる。すれ違う男子生徒たちの殺意に満ちた視線が刺さる。
だが、体育館の重い扉を開けた瞬間、そのすべてがどうでもよくなるほどの「光」に包まれた。
ステージの上には、山吹ベーカリーの沙綾がいた。 いつもエプロン姿で笑っている彼女が、スティックを握りしめ、魂を削るようなドラムを叩いている。その中心で、星型のギターを持った戸山香澄が、キラキラとした瞳で叫んでいた。
「――キミがいなくちゃ、はじまらない!」
音楽。僕が捨てたつもりで、どうしても捨てきれなかったもの。彼女たちの演奏は、決して完璧ではない。技術だけを見れば、Roseliaの方が圧倒的に上だろう。けれど、何かが違う。隣を見ると、湊さんが目を見開いてステージを凝視していた。リサも、いつもの軽いノリを忘れて聞き入っている。白金は、祈るように胸の前で手を組んでいた。
沙綾が、一瞬だけ客席の僕を見た気がした。彼女の叩くビートが、僕の胸の奥に澱んでいた「暗い過去」を、無理やり揺さぶり起こしてくる。
――音楽は、人を壊すだけじゃないのか。こんなに眩しいものが、本当にこの世にあるのか。――
ライブが盛り上がるにつれ、体育館の熱気は最高潮に達する。僕は、無意識に自分の指が、空中でリズムを刻んでいることに気づいた。
「……山崎さん?」
白金が、僕の横顔を不安そうに覗き込む。
文化祭の喧騒は続く。この「光」を知ってしまった女子たちが、僕という「影」を放っておいてくれるはずがない。僕の静かな日常は、この日を境に、取り返しのつかない方向へと走り出したのだと確信した。