夏休みの夜は、波の音を連れてさらに深まっていく。コテージに到着してからというもの、Roseliaの面々はどこかゆったりとした空気に包まれていた。ストイックな彼女たちにしては珍しく、今は楽器を置いて、各々がリビングのソファで寛いだり、海風にあたったりしている。僕もその一角に身を置きながら、氷川が淹れてくれたハーブティーを口に運んだ。
「……山崎さん。今日は、ありがとうございました。……その、来てくれて、嬉しかったです」
隣に座った白金が、膝の上で指を組みながら小さく微笑む。昼間の水着姿も破壊力があったが、今は薄手のルームウェアに着替えており、その無防備な肩のラインが目に毒だった。
「……こっちこそ。たまにはこういうのも悪くない」
僕がそう答えると、対面に座っていたあこが身を乗り出してきた。
「彗太さんはやっぱり、伝説の召喚士みたい!あこたちの修行の地を、こんなに華やかにしちゃうなんて!」
「あこ、あまり山崎くんを困らせないの。……でも、本当に良い気分転換になったわ。ね、友希那?」
リサの言葉に、窓際で夜の海を見つめていた湊さんがこちらを振り返った。その瞳は、昼間よりもずっと深く、僕の心の奥底を覗き込んでいるようだった。
やがて、一人ずつ風呂を済ませ、湿った夜の空気が肌に心地よくなった頃。 リビングに残ったのは、僕と湊さん、リサ、そして氷川と白金の五人だけだった。あこは遊び疲れたのか、早々に寝室へ引っ込んでいる。
湊さんが僕の隣に座り、静かに口を開いた。
「……山崎くん。そろそろ、答えてもらえるかしら。あなたが隠している『音』の正体を」
逃げ場はなかった。リサも、氷川も、そして白金も、固唾を呑んで僕の答えを待っている。
「……大した話じゃない。ただ、昔少しだけ曲を作っていた時期があったんだ。ネットに投稿したりして、それなりに熱中してた。……それだけだよ」
僕は努めて淡々と、事実の一部だけを差し出した。
「やっぱり……。あなたのあの時の指の動き、ただの素人じゃなかったもの」
氷川が納得したように頷く。
「じゃあ、今はどうして書かないの?あれだけの耳を持っていて、それこそプロからも注目されるような場所に関わっていたあなたが、どうして筆を折ったのかしら」
湊さんの追及は鋭かった。僕は視線を落とし、空になったカップを見つめた。
「……野球に専念したかったから、というのが表向きの理由だ。でも、実際は……自分たちの音楽が、誰かを救うどころか、追い詰めていくのが怖くなったんだと思う」
あいつのことはどうしても口に出せなかった。それを言えば、僕の心の中に張り付いている呪いが、彼女たちの純粋な世界まで汚してしまう気がしたからだ。
「……そう。それ以上は、今は聞かないわ」
湊さんはそれだけ言うと、立ち上がって寝室へと向かった。リサと氷川も、僕に少しだけ労わりのような視線を向けて、後に続いた。
僕は一人、熱を持った身体を冷ますためにテラスへと出た。 夜の海は真っ暗で、ただ白い波頭だけが規則正しく砕けている。
「……山崎さん?」
背後から声がした。振り返ると、白金がストールを肩にかけて立っていた。
「……白金。まだ起きてたのか」
「はい。……少し、風にあたりたくて」
彼女は僕の隣に並び、手すりに手をかけた。潮風が彼女の長い髪を揺らし、石鹸の淡い香りが鼻をくすぐる。
「……さっきの話。山崎さんは、大切な何かを……守ろうとして、傷ついたんですね」
「……どうだろうな。俺はただ、逃げただけだよ」
僕は海を見つめたまま、心の奥に澱んでいた問いを口にした。
「……なあ、白金。もし、自分の大切な人が、理由もわからず、原因不明の病に襲われたとしたら……お前ならどうする?」
「原因、不明の……病……」
「ああ。昨日まで笑っていた奴が、急に心の糸が切れたみたいに、どうしようもない絶望に飲み込まれていく。……それを隣で見ていて、自分の奏でる音が、そいつを救うどころか、さらに深く沈ませているのだとしたら」
あいつの最期の顔がフラッシュバックする。僕が曲を書けば書くほど、あいつは壊れていった。 白金はしばらく黙って波の音を聴いていたが、やがて僕の手元に、自分の手をそっと重ねた。
「……私は、それでも、隣にいたいです。救えなくても、一緒に沈むことしかできなくても……一人きりで暗闇にいるよりは、きっと、いいと思うから。……山崎さんは、一人で背負いすぎです」
彼女の掌の熱が、冷え切っていた僕の心にじわりと染み込んでいく。
「……ありがとう、白金」
「あ……あの、山崎さん。……お願いが、あるんです」
白金が、顔を真っ赤にしながら僕を見上げた。
「これからは、その……『白金』じゃなくて。下の名前で……呼んで、もらえませんか?」
「え……?」
「氷川さんのことも、名字で呼んでますし……。私は、その……もっと、特別に……」
彼女の瞳は潤んでいて、けれどそこには確かな意志があった。僕は少し戸惑ったが、この夜の静寂と、彼女がくれた言葉の優しさに負け、小さく頷いた。
「……わかったよ。……燐子」
名前を呼んだ瞬間、彼女は弾かれたように俯いたが、重ねられた手にはさらに力が込められた。
「……はい、彗太さん」
僕たちはそれからしばらく、名前を呼び合った余韻に浸りながら、夜の海を見つめ続けた。Roseliaのメンバーたちが眠るコテージ。波の音。僕の止まっていた時計の針が、また少しだけ、けれど確実な重みを持って進み始めたのを感じた。
だから、こうなった。僕は翌朝、目が覚めた時に自分の部屋のベッドの端で、なぜかリサと氷川が「どっちが先に彗太を起こすか」で静かに火花を散らしている光景を目の当たりにすることになるのだが、それはまだ、数時間後の話だ。