青年と少女たちの日常   作:柊真夜

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20 新学期ほどではない

 冬の張り詰めた空気はいつの間にか和らぎ、桜の蕾が今にも弾けそうなほどに膨らんだ四月。進級した僕は、相変わらず自分の意図しないところで波乱の渦中に立たされていた。

 入学式当日。新入生たちを教室へ誘導する案内係を任された僕は、胸に『案内』の腕章を巻き、校門付近に立っていた。そこには、同じく係を務めている見慣れた顔が二つ。

 

「あ、山崎先輩!おはようございますっ!」

 

 満開の笑顔で手を振ってきたのは、ギターケースを背負っていないのが不思議なほど私服の印象が強い戸山香澄だった。その隣では、市ヶ谷有咲が面倒そうに案内板を抱えている。

 

「……おはよう、戸山、市ヶ谷。あと一年、また騒がしくなりそうだな」

「ちょっと先輩、初日から縁起でもないこと言わないでくださいよ。あたしらだってお気楽に案内してるわけじゃないんですから」

 

 有咲が口を尖らせるが、その視線はどこか楽しげだ。

 

「えへへ、山崎先輩、今年もよろしくお願いします!キラキラドキドキな一年にしましょうね!」

 

 香澄の無邪気な宣言に苦笑しながら、僕は彼女たちの横を通り過ぎた。あと一年。この騒がしい少女たちに振り回される日常が、また始まるのだと自覚させられる。

 

 式典の開始が近づき、僕は体育館の舞台袖へと回った。  重い緞帳の陰、積み上げられた長机のさらに奥。そこに、真っ白な顔をして震えている一人の少女を見つけた。

 

「……燐子」

 

 声をかけると、彼女は「ひゃぅっ!?」と短い悲鳴を上げて飛び上がった。手に持ったスピーチ原稿が、ガタガタと音を立てている。新生徒会長としての、初めての大きな仕事。対人恐怖症に近い彼女にとって、全校生徒の前での演説がどれほどの苦行か、想像に難くない。

 

「……山崎、さん……。あ、あの、私、やっぱり無理です……。文字が、真っ白に……」

「大丈夫だ。お前が積み上げてきた準備を、俺は知ってる。……俺もすぐ側にいるから」

 

 僕は彼女の震える肩にそっと手を置いた。

 

「燐子は練習通りにやればいい。失敗しても、俺がなんとかしてやる」

「……はい。……彗太さんが、そう言ってくれるなら……」

 

 僕が下の名前で呼んだことで、彼女の頬に微かな朱が差す。震えが少しだけ収まったのを確認し、僕は彼女を残して舞台裏を去った。

 

 廊下へ出ると、今度は凛とした佇まいの氷川紗夜と出くわした。彼女は新しい副会長の腕章を、痛いほど強く握りしめて僕を待っていた。

 

「山崎さん、ちょうどいいところに。……貴方に伝えておくべきことがあります」

「……なんだよ、氷川。そんなに怖い顔して」

「今年度の生徒会役員の名簿です。……貴方の名前を、受理しておきました」

 

 彼女が差し出した書類の末尾には、確かに僕の名前が記されていた。

 

「……は? 役員? 俺は立候補なんてしてないぞ」

「白金さんが貴方を強く推薦し、私もそれに同意しました。貴方の実務能力と、何より彼女を支えられるのは貴方しかいないと判断したからです。……文句は受け付けません」

 

 彼女はふいと視線を逸らしたが、その耳たぶが心なしか赤くなっているように見えた。

 

「……氷川、お前な。……まあ、決まったんなら仕方ない。副会長、頑張れよ。俺も手伝わされるんだろうしな」

 

 僕がそう言うと、彼女は小さく唇を噛んだ。

 

「……言われなくても、全力を尽くします」

________________________________________

 入学式が終わり、放課後の生徒会室。そこにはなぜか、役員ではないはずの香澄と書記の有咲まで入り込み、椅子に深く腰掛けていた。

 

「……うぅ。……やっぱり、噛んでしまいました……」

 

 机に突っ伏して消沈しているのは燐子だった。実際、彼女のスピーチは途中で三秒ほど止まり、声も震えていた。客観的に見れば「完璧」とは言い難いものだっただろう。

 

 

「……そんなことない。後半はしっかり声が出ていたし、新入生も聞き入ってたぞ。……燐子、よくやったな」

 

 僕が彼女の頭を軽く撫でるようにして励ますと、燐子は潤んだ瞳で僕を見上げた。

 

「……本当、ですか?……彗太さんが見ていてくれたから、最後まで読めました」

 

 その微笑ましい光景を、部屋の隅で見ていた氷川の空気が一変した。彼女は手元の書類をパサリと置き、冷徹なトーンで口を開いた。

 

「……山崎さん。先ほどから気になっていたのですが」

「ん?」

「……なぜ、白金さんのことを下の名前で呼んでいるのですか?」

 

 生徒会室の温度が数度下がった。

 香澄は「おぉ?」と目を輝かせ、有咲は「げっ……」と顔を歪めて椅子を引いた。

 

「……ああ、夏休みに、本人がそう呼んでくれって言ったからな」

「……本人が、ですか。……そうですか。私には『氷川』と、頑なに名字で通しているのに」

 

 氷川の言葉には、隠しきれない棘と、それ以上に深い「寂しさ」が混じっていた。  彼女は僕をジロリと睨みつけ、絞り出すようにこう付け加えた。

 

「……不公平です。……私だって、その……」

「ちょ、氷川さん、顔怖いですよ!山崎先輩も鈍感すぎるっていうか……」

 

 有咲が頭を抱えて唸る。

 

「……あーあ。あたしら、何を見せられてるんだか。……帰っていいですか、これ」

「いいじゃん有咲! なんか今年も、すっごく面白くなりそうな予感がするよ!」

 

 香澄がパンと手を叩き、沈滞した空気を無理やり明るい方向へ引き戻した。

 

「ねえ! 新学期のお祝いに、今度みんなで蔵でパーティーしない? 山崎先輩も、役員就任祝いで強制参加ですよ!」

「……勝手に決めるな。……まあ、考えるよ」

 

 僕は窓の外、夕闇に溶けゆく桜を見つめた。下の名前での呼び方一つで、こんなにも騒がしくなる。かつてあいつと二人きり、静寂の中で音を紡いでいた頃には考えられなかった、色彩豊かなカオス。

 

「……今年も、頑張るか」

 

 小さく呟いた僕の声は、少女たちの賑やかな笑い声にかき消されていった。けれど、その騒がしさが、今の僕にはそれほど悪くないものに感じられた。

 

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