都会の夜景を一望できる、RAISE A SUILENの拠点——チュチュの所有する超高級マンションのスタジオ。その重厚な防音扉を、一切の躊躇なく押し開けたのは、素顔のままの奥沢美咲だった。その後ろには、いつも通りの不敵な笑みを湛えた弦巻こころと、決然とした表情の薫、花音、はぐみが続く。
「……何の用? ここは部外者立ち入り禁止よ」
デスクでモニターを見つめていたチュチュが、不機嫌そうに振り返る。しかし、こころはその威圧感をさらりとかわし、彼女の目の前でぴたりと止まった。
「彗太のこと、教えて。あなたが彼に投げつけた、あの『悲しい音』の正体を!」
チュチュは鼻で笑い、椅子を回転させた。
「ハッピー野郎たちが何の用かと思えば……。いいわよ、知りたいなら教えてあげる。彼がどんなに惨めな逃亡者か」
チュチュの口から語られたのは、音楽業界の裏側で囁かれていた「伝説」の断絶だった。 数年前、ネット上に彗星のごとく現れた匿名作曲コンビ。一人が旋律を編み、もう一人が詞を乗せ、歌う。その完成度は既存のプロを戦慄させた。だが、その活動はある日、何の前触れもなく唐突に終わりを迎えた。
「相方の男は、彼が作ったあまりに完璧で、あまりに重い楽曲に追い詰められた。……そして、彼女は二度と表舞台へは戻ってこなかった。彼は、自分の才能で相方のキャリアを、人生を壊したのよ。だから彼は筆を折り、名前を捨てて、あんなライブハウスのスタッフに成り下がっている。……私の分析(アナライズ)に間違いはないわ」
スタジオに、重苦しい沈黙が降りた。彼女にとっては、天才が音楽を辞め、相方の人生を狂わせたことこそが最大の罪だという認識だった。だが、あの日、山崎彗太が見せた絶望的な叫びの正体——それは、チュチュが語った「挫折」よりも、もっと深く、暗い淵を覗き込んでいる者の拒絶だった。
「……あの日、山崎くんが言ったこと。それからずっと元気がなくて……」
花音は震える声で呟き、美咲は拳を強く握りしめた。
________________________________________
その「真実」は、驚くべき速さで各バンドのメンバーたちへと伝播していった。
放課後の生徒会室は、春の陽気とは裏腹に、凍りついたような静寂に包まれていた。
「……そんな。彗太さんは、ずっと、そんな重いものを……」
燐子は机に突っ伏し、声を殺して泣いていた。
「……私が、不甲斐ないばかりに。彼がそれほどの傷を抱えていることにも気づかず、下の名前で呼んでくれだなんて……わがままを押し付けて……」
隣で立つ紗夜もまた、窓の外を見つめたまま動けずにいた。
その時、生徒会室の扉が勢いよく開いた。駆け込んできたのは、息を切らしたリサだった。
「みんな、大変……!彗太、CIRCLEを辞めるって……。それだけじゃない、学校にも『転学届』を出したって、店長から連絡が来たわ!」
「「えっ……!?」」
リサの目には涙が溜まっていた。
「山崎さんは、本気で消えるつもりよ。私たちが彼の過去を知って、自分の『呪い』が私たちに伝染する前に。……自分の居場所を、全部消してしまおうとしてる」
誰もが言葉を失った。彼にとって、今の人間関係は「救い」ではなく「恐怖」に変わってしまったのだ。自分が愛されれば愛されるほど、かつての相方のように、彼女たちも自分のせいで壊れてしまうのではないか。
その恐怖が、彼からすべての言葉を奪い、逃亡へと駆り立てていた。
「……待ってよ、そんなの……そんなの、絶対に認めない!」
香澄が叫んだ。
「先輩は、何も悪くないのに! あんなに優しい音が、人を壊すわけないのに!」
「……追いかけましょう」
紗夜が、静かに、けれど鋼のような意志を込めて言った。
「彼は今、駅に向かっているはずです。……今の彼にとって、私たちは『救いたい存在』ではなく『遠ざけるべき被害者』に見えている。……それを、私たちの音で否定しに行くのです」
少女たちは、一斉に走り出した。放課後の校庭を、駅前の人混みを、彼という名の「孤独」を捕まえるために。
一方、駅のホーム。夕日に照らされたベンチに、僕は一人で座っていた。足元には、必要最低限の荷物が入ったバッグ一つ。スマホは、あの日から電源を切ったままだ。
「……これで、いい」
僕は独り言を漏らす。僕がいなくなれば、Roseliaは彼女たちの誇り高い音を守り続けられる。ポピパはキラキラした時間を過ごせる。沙綾は家族と幸せなパンの香りに包まれていられる。僕が関わらなければ、彼女たちは壊れない。
ガタン、と電車の接近を告げる音が響く。僕は一度も振り返ることなく、白線の内側へと一歩踏み出した。
あいつの最期の顔が、脳裏をよぎる。
チュチュは知らない。あいつがただ「活動を辞めた」のではなく、この世を去ったことを。そして、その原因を作ったのが、自分の旋律であったという確信を、僕は一生捨てられない。
「……ごめんな」
僕は誰にともなく謝罪し、闇の中へと消えようとしていた。
——彼女たちの、必死の叫びがホームに響き渡る、その直前まで。
完全に三文小説以下ですね。