新学期の浮足立った空気から逃れるように、僕は海へと向かう電車に乗っていた。辿り着いたのは、かつて夏休みに彼女たちと訪れた場所から少し離れた、人影のない砂浜だった。
押し寄せては引いていく波の音だけが、今の僕には唯一許された旋律のように思えた。 僕はポケットからスマホを取り出し、一度だけ電源を入れる。数えきれないほどの着信とメッセージの通知が溢れ出したが、そのすべてを無視して、僕は一通のメールを作成した。
宛先は、白金燐子。
『……白金、ごめん。俺は、これ以上君たちの側にいる資格がない。最後に、あの海にいる』
送信ボタンを押すと同時に、僕はスマホを砂の上に置いた。拒絶したい、関わりたくない。そう心では繰り返しながらも、どこかで「救ってほしい」と願う浅ましい自分がいることに吐き気がした。自分は人殺しだというのに。
一時間ほど経った頃だろうか。背後の砂を吸い込むような、複数の足音が近づいてくるのが分かった。
「……山崎さん!」
最初に名前を呼んだのは、燐子だった。その後ろには、息を切らした紗夜、リサ、沙綾、そして香澄やこころまでもが立っていた。彼女たちの瞳には、不安と、そしてそれ以上の覚悟が宿っている。
「……言ったはずだ。もう放っておいてくれと」
「放っておけるわけないでしょう!」
紗夜が、鋭い声で僕の言葉を遮った。
「貴方が何を抱えていようと、独りで勝手に終わらせる権利など貴方にはない。……教えてください。チュチュという少女が語ったことが、すべてなのですか?」
僕は逃げ場を失い、ゆっくりと彼女たちの方へ向き直った。水平線に沈みゆく夕日が、僕の影を長く、醜く引き伸ばしている。
「……チュチュが言ったことは、半分だけだ。彼女は、あいつがただ『音楽を辞めた』と思っている。……でも、現実はもっと単純で、救いがない」
僕は、喉元まで出かかった「呪い」を、一つひとつ吐き出した。
「あいつは、死んだんだ。俺が曲を書き、あいつに言葉を強いたからだ。あいつは最期に『漠然とした不安が俺を苦しめる』と言って、俺の前から消えた。……俺が、あいつを殺したんだ。自分の才能に溺れて、隣にいた親友の心が壊れていることにすら気づかずに」
静かな海に、僕の告白が響く。少女たちの顔から、血の気が引いていくのが分かった。相方が「いなくなった」のではなく、自ら命を絶ったという真実。
「そんな手が、そんな音が、君たちのキラキラした世界に触れていいわけがないだろう。……人殺しは、人の前にいてはいけないんだ。俺は、このまま消えるのが正しいんだよ」
僕は吐き捨てるように言い、彼女たちの脇をすり抜けて去ろうとした。誰の顔も見たくなかった。その同情も、憐れみも、今の僕には劇薬でしかなかった。
だが、僕の腕を、驚くほど強い力が引き止めた。
「……ふざけないでください」
氷川紗夜だった。彼女は僕の腕を掴んだまま、その体全体を震わせ、真っ直ぐに僕の瞳を射抜いた。
「貴方の犯したことが人殺しだというのなら、私だって同罪です。……私も、自分の理想のために日菜を傷つけ、彼女の居場所を奪おうとした。……音楽が、誰かを追い詰めることもある。それを知っていて、なお私たちはここに立っているのではないですか!」
「彗太……、逃げないで」
沙綾が、僕のもう片方の手を包み込むように握った。その手は、かつて僕が池に入った後に繋いだ時と同じように、温かくて、震えていた。
「彗太が自分を許せないなら、私が……私たちが、一生かけて彗太を許してあげる。あの子が死んじゃったのは、彗太だけのせいじゃない。……彗太が優しいから、そんな風に思うんだよ。でも、私は彗太がいない世界なんて、もう嫌だよ」
「そうだよ、山崎先輩!」
香澄が僕の正面に立ち、涙でぐちゃぐちゃの顔を上げ、満開の夕日のような力強さで叫んだ。
「先輩の音は、誰も殺さない!だって、先輩がいたから、私たちは今こうして笑えてるんだもん!先輩が殺したって言うなら、その代わりに私たちが何度でも先輩を救ってみせる!」
燐子が、一歩前に出る。彼女は震える声で、けれどはっきりと僕の名を呼んだ。
「……彗太さん。……私は、貴方の音楽で……救われました。貴方の厳しいけれど優しい言葉があったから、私は一歩を踏み出せた。……貴方が人殺しだというなら、私は……その人殺しに、恋をしてしまったんです」
衝撃が走った。周りのリサも、紗夜も、沙綾も、一瞬だけ目を見開いたが、すぐに納得したように頷いた。
「……わたしもだよ。彗太、あんたのその不器用な優しさに、どれだけ救われたか分かってないでしょ」
リサが、優しく僕の背中に手を添えた。
波の音が、先ほどよりもずっと温かく聞こえた。あいつを殺したと思っていた旋律が、今、目の前の彼女たちの声によって、新しい意味を上書きされていく。
僕は、崩れ落ちるようにその場に膝をついた。砂の冷たさと、彼女たちの熱。ずっと溜め込んでいた涙が、夕暮れの砂浜に一気にこぼれ落ちた。
「……ああ……っ。……あああああ……っ!!」
慟哭。数年分の呪いが、彼女たちの温もりに溶かされて、潮風に消えていく。人殺しだと、自分を責め続けてきた僕の時間を、彼女たちが無理やり引き戻してくれた。
海を見つめながら、僕は初めて、自分を縛っていた過去という鎖が、微かに緩んだのを感じた。
かなり出来の悪いものができてしまった。