青年と少女たちの日常   作:柊真夜

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29 雨は好きでも嫌いでもない

 どんよりとした雲が低く垂れ込め、やがて音もなく雨が降り出した。バイトの休憩中、僕は夕食の買い出しを兼ねて近所のコンビニへと足を運んだ。雨脚は予想以上に早く強まり、僕はビニール傘を買おうとレジへと向かった。

 

「あ、彗太じゃん! 奇遇だね~」

 

 聞き慣れた明るい声に顔を上げると、そこには今井リサがいた。そしてその隣には、眠たげな目をさらに細めた青葉モカが、パンの袋を抱えて立っている。

 

「……今井か。それに青葉も。バイトか?」

「そうそう、コンビニバイト」

「ねえ彗太、もうすぐバイト終わりでしょ? あと十分くらいだし、一緒に帰ろうよ。モカも送ってあげたいし、ね?」

 

 リサの提案に、モカも「賛成~」とゆるく手を挙げた。断る理由も特になく、僕は買ったばかりの傘を広げ、賑やかな二人の少女と共に歩き出した。

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 雨音の中、リサの明るい話し声が響く。彼女はいつも通り、僕を『彗太』と下の名前で呼び、他愛のない世間話を振ってくる。事件を経て、彼女との距離は以前よりもずっと近くなった気がしていた。

 

「あはは! それでね、あこがさ……」

 

 リサが笑いながら車道側に寄った、その時だった。背後から猛スピードで走ってきた車が、道路の大きな水溜まりを派手に跳ね上げた。

 

「あ、危ない!」

 

 僕は反射的に、リサとモカの肩を引き寄せ、二人を庇うようにして背中を向けた。バシャッ、という重たい衝撃。二人に水はかからなかったが、代わりに僕のシャツとズボンは、頭から水を被ったかのようにビシャビシャになってしまった。

 

「……っ、冷た……」

「彗太!? 大丈夫!?」

「あちゃー……彗太さん、大惨事~」

 

 リサが慌ててハンカチを取り出そうとしたが、濡れ方が尋常ではない。薄手の白いシャツが肌に張り付き、透けて見えたのは——裏方仕事やかつての運動で鍛え上げられた、無駄のない筋肉のラインだった。

 

「…………」

「…………」

 

 それまで騒がしかったリサとモカが、不自然に黙り込んだ。リサの視線が、僕の肩から胸元、そして引き締まった腹筋へと注がれる。彼女の頬が、みるみるうちに林檎のように赤くなっていく。

 

「……二人とも、どうした。顔、赤いぞ」

「えっ!?あ、いや、なんでもない!なんでもないけど……その、彗太って意外と……体、しっかりしてるんだね……」

「リサさん、鼻血出るよ~」

「出ないからっ!」

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 その後、少し離れた場所に住むモカを送り届け、僕はリサと共に彼女の家の前まで辿り着いた。

 

「じゃあ、俺はこれで」

「待って、彗太!そんな濡れたまま帰ったら絶対に風邪引くよ。……うちでシャワー浴びていきなよ。服も乾燥機かけてあげるから」

「いや、悪いよ。すぐ近くだし……」

「ダメ! お願いだから、私の気が済まないの。……ね?」

 

 リサに真剣な瞳で見つめられ、僕は結局、彼女の家の中へと強引に招き入れられた。

 温かいシャワーを浴び、リサから貸してもらった(おそらく父親の)予備のTシャツに着替える。サイズが合わず、どうしても胸元や肩のラインが強調されてしまうのが落ち着かない。

 脱衣所を出てリビングに向かうと、リサが飲み物を用意して待っていた。彼女は僕の姿を見るなり、再び「うぐっ」と言葉を詰まらせた。

 

「お、お待たせ。はい、温かいお茶」

「……ありがとう」

 

 ソファに並んで座る。リサの部屋特有の、甘い香水の匂いが鼻をくすぐった。リサはチラチラと僕の横顔や、Tシャツから覗く腕の筋肉を盗み見ている。彼女の脳内では、もしも自分たちが付き合っていたら、という妄想が暴走していた。

 

(……え、これって、もし彗太が私の彼氏だったら、毎日こんな感じなの……? 風呂上がりの彗太を独り占め……。やだ、私、何考えてるの!?)

 

 顔を火照らせ、必死に茶を啜るリサ。その様子は、いつもの余裕たっぷりな彼女とは程遠い。

 

「……雨、止んだみたいだな。そろそろ帰るよ」

「えっ!? あ、もうそんな時間? 服、もう乾いてるはずだから持ってくるね!」

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 僕が帰宅した後、リサは自分の部屋のベッドに倒れ込んだ。そして、手元のスマホをそっと開く。そこには、リビングで僕が油断していた隙に、彼女が反射的に撮ってしまった「濡れ透けの背中」の写真が保存されていた。

 

「……私、最低。隠し撮りなんて……」

 

 リサは罪悪感に苛まれながらも、その写真を消すことができずにいた。逞しい背中のラインを指でなぞりながら、彼女は小さく熱い吐息をつく。

 

「……でも、悪い気はしないかな。……かっこよすぎだって、彗太」

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 後日。CIRCLEのロビーで、機材を運んでいた僕はリサと鉢合わせた。

 

「よう、今井。昨日はありが――」

「ひゃいっ!? ……あ、あはは、彗太! お疲れ様! じゃ、じゃあねっ!」

 

 リサは僕の顔を見た瞬間、沸騰したかのように顔を真っ赤にし、挨拶もそこそこに全速力で逃げていった。

 

「…………何だったんだ、あいつ」

 

 取り残された僕は、ただ首を傾げるしかなかった。五月雨が去った後の空気は少しだけ熱を帯びていて、少女たちの視線は、僕が気づかないところでさらに深まっていた。

 

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