青年と少女たちの日常   作:柊真夜

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31 球技は大体同じ

 空は突き抜けるように青く、グラウンドを照らす太陽は少しだけ季節を先取りしたような熱を帯びていた。金属バットがボールを弾く乾いた音と、土を蹴るスパイクの音。そして、女子ソフトボール特有の、高くて華やかな野次と声援が初夏の風に乗って流れていく。

 

「……まさか、こんなことになるとはな」

 

 僕はバッターボックスの土を軽く蹴り、呼吸を整えた。状況は7回裏、ツーアウト満塁。スコアは3対3。一打出ればサヨナラ、打ち取られれば延長。この試合最大の、そして最終盤の局面だ。

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 事の始まりは、数日前の放課後だった。北沢はぐみが、泣き出しそうな顔で『CIRCLE』に飛び込んできたのだ。

 

「けーくん先輩! 助けて、一生のお願い!」

「……落ち着け。何があったんだ、北沢」

 

 事情を聞けば、地元のソフトボールチームの助っ人が急遽一人足りなくなったらしい。エースの子が体調を崩し、補欠もいない。このままでは棄権負けになってしまうという。

 

「男の俺が出ていいのか?」

「町内の親善試合だから、人数が足りない時は家族とか友達の助っ人もOKなんだよ! けーくん先輩、野球部だったんでしょ?お願い、この通り!」

 

 はぐみに手を合わせられ、キラキラした期待の眼差しで見つめられると、どうにも断れない。僕は苦笑いしながら、その「一生のお願い」を引き受けることにした。

 

 

 

 そして当日。グラウンドのベンチ裏には、場違いなほど華やかな一団が陣取っていた。

 

「彗太、頑張れー! かっこいいとこ見せてよね!」

「けーくん先輩! スマイル、スマイルだよーっ!」

 

 こころが「世界を笑顔にするわよ!」と叫んでいる。さらには山吹ベーカリーの差し入れを持った沙綾までが、「無理しないでね」と微笑んでいた。正直、身が引き締まるというより、緊張で胃が痛くなりそうだった。

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 試合開始直後の第一打席。僕は右打席に入った。ソフトボールのライズボールに慣れるまで時間はかからなかった。

 

 カキィィィン!

 

 放たれた打球は、レフトの頭上を遥かに越え、フェンス際で大きく弾んだ。 「回れ回れ!」というはぐみの絶叫を聞きながら、僕は全力でダイヤモンドを一周する。快足を生かしたランニングホームラン。これには相手チームも度肝を抜かれたようだった。

 

「……あ、あの、山崎さん。すごすぎます……」

 

ベンチに戻ると、対戦相手のピッチャーが引きつった顔でこちらを見ていた。

 その後の打席、相手チームの作戦は徹底していた。「敬遠」だ。バットを振らせてもらえないまま、僕は二打席目、三打席目と一塁へ歩かされた。勝利に徹する相手の判断は正しい。

 

 

 守備でも僕はショートを守り、幾度となく飛んでくる強烈なライナーを捌いた。だが、5回表の守備だった。イレギュラーした打球が、グローブの芯を外れ、右手の指を直撃した。

 

「……っ!」

 

 鈍い痛みが走る。確認すると、右手の薬指と小指が赤く腫れ始めていた。突き指だ。はぐみが真っ青になって駆け寄ってくる。

 

「けーくん先輩!大丈夫!?ごめん、はぐみのせいで……!」

「いや、平気だ。これくらい野球部にいた頃は日常茶飯事だよ。冷やせば動く」

 

 僕ははぐみに心配をかけまいと無理に笑ってみせたが、右手の握力は明らかに落ちていた。これではバットを強く振り抜くことはできない。

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 そして迎えた、最終回。7回裏。サヨナラのチャンスで、打席ははぐみに回った。

 

「北沢、繋げ。俺が決める」

「……うん! 任せて、けーくん先輩!」

 

 

 はぐみは集中力を研ぎ澄ませ、相手のインコースを鮮やかにセンター前へ弾き返した。  ツーアウト満塁。サヨナラの舞台は、整った。

 

 僕はゆっくりと、バッターボックスに向かう。相手バッテリーは僕の右手の負傷に気づいているのか、不敵な笑みを浮かべていた。右打ちなら、強く叩けない。彼らはそう確信し、今度は敬遠せずに「勝負」を選んだ。

 

 だが、僕は右打席を通り過ぎ、左打席へと足を踏み入れた。

 

「え……? けーくん先輩、そっち?」

「山崎くん、左利きだったの!?」

 

 騒然とするベンチ。実は僕は、かつて野球部で「スイッチヒッター」として鳴らしていた。右打ちの方がパワーはあるが、左打ちはミート力と確実性に長けている。そして何より、今の突き指した右手への負担が少ない。

 

 初球。相手ピッチャーが渾身のストレートを投げ込む。僕は打つ気を見せず、じっと見逃した。ストライク。

 

「……いける」

 

 二球目。ピッチャーの肩が上がった瞬間、僕は打撃姿勢を崩した。バスターだ。バントの構えから瞬時にトップへ引き戻し、最短距離でバットを出す。

 

 パシィィィッ!

 

 狙い通り、前がかりになっていたサードの脇を、打球が弾丸ライナーで抜けていった。  三塁走者がホームを駆け抜ける。

 

「サヨナラーーー!!」

 

 北沢の声と共に、グラウンドに歓喜の渦が巻き起こった。北沢が二塁から全力で走ってきて、そのまま僕の腰に抱きついた。

 

「やったぁぁ! けーくん先輩、かっこよすぎるよ! 最高のスマイルだよ!」

「あ、おい、北沢……苦しいって」

 

 沙綾、こころたちもフェンスを乗り越えんばかりの勢いで喜んでいる。泥だらけになったユニフォーム。痛む指先。けれど、空を見上げた僕の心には、久しく忘れていた爽快感が広がっていた。

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 試合後。グラウンドの隅にある木陰で、僕たちは沙綾が作ってきてくれた山吹ベーカリー特製のランチボックスを開いていた。

 

「はい、彗太。指、しっかり冷やしてね。……お疲れ様、本当にすごかったよ」

 

沙綾が保冷剤を僕の手に当ててくれる。

 

「ありがとう。……このサンドイッチ、美味いな」

「でしょ? 頑張った彗太への特別製だよ」

 

 そんな僕の隣に、はぐみがぴたっと体を寄せて座ってきた。  彼女の髪からは太陽と汗の匂いがして、その体温がジャージ越しに伝わってくる。

 

「けーくん先輩、今日は本当にありがとう。はぐみ、今日のこと一生忘れないよ!」

「大げさだ。人数が足りてよかったよ」

「ううん、それだけじゃないよ。はぐみ、けーくん先輩と一緒にスポーツできて、よかった!」

 

 はぐみは僕の腕をぎゅっと抱きしめ、屈託のない、向日葵のような笑顔を向けた。

 

「また一緒に遊ぼうね、けーくん先輩! 約束だよ!」

 

 その真っ直ぐな瞳に、僕は少しだけ気恥ずかしくなりながらも、「ああ、約束だ」と答えた。彼女の明るさが、僕の過去の澱みをまた少しだけ洗い流してくれたような、そんな黄金色の午後だった。

 

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