青年と少女たちの日常   作:柊真夜

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32 料理男子ってカレーが得意そう

 その日の最後を告げるチャイムが鳴り響くと同時でした。私の視界の端で、山崎さんが驚くべき速さで鞄をまとめ、教室を後にしたのです。

 

「……また、ですね」

 

 隣の席で同じように彼を見送っていた白金さんが、困ったように眉を下げて呟きました。ここ数日、山崎さんの放課後はあまりに慌ただしいものでした。生徒会の仕事も、私が「何か用事があるのですか?」と問えば、彼は「ああ、少しな」とだけ答えて、逃げるように去ってしまうのです。

 

 私と白金さんは、生徒会室へ向かう廊下で、偶然にも松原花音さんに遭遇しました。彼女は茶道部の活動に向かう途中だったようですが、私たちの顔を見るなり「あ、二人とも!」と声を弾ませました。

 

「あのね、さっき山崎くんを見かけたよ。なんだかすごく急いで調理室に入っていったけど……何かあったのかな?」

「調理室、ですか?」

 

私と白金さんは顔を見合わせました。山崎さんと料理。その結びつきがあまりに意外で、私たちは気づけば、吸い寄せられるように特別棟の調理室へと足を向けていました。

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 廊下の曲がり角から、私たちは息を潜めて調理室を覗き込みました。そこには、いつもの制服の上から純白のエプロンを身に纏い、三角巾で髪を整えた山崎さんの姿がありました。

 

「……っ」

 

 白金さんが小さく息を呑みました。調理室の中では、調理部の部員たちに混ざって、山崎さんが驚くほどの真剣な表情で包丁を握っていました。トントントン、と規則正しく響くリズムは、熟練のそれとは言えませんが、非常に丁寧で、何より「誠実」な音がしました。

 彼は今、玉ねぎのみじん切りに挑んでいるようでした。目に染みるのか、時折目を細めながらも、その手つきは一寸の妥協も許さないといった様子です。傍らに立つ調理部の部長らしき生徒が、「山崎くん、筋がいいね。火加減も完璧だよ」と感心したように声をかけています。それに対し、彼は「ありがとうございます。……次は、出汁の取り方を教えていただけますか」と、音楽について語る時と同じ、あの真面目な声音で応えていたのです。

 

「山崎さんが……あんなに一生懸命、料理を……」

 

白金さんの瞳には、驚きと共に、どこか温かい光が宿っていました。

 ライブハウスで機材を扱い、グラウンドでバットを振るい、音楽で私たちの魂を揺さぶる彼が、今は野菜の切り方一つに全神経を注いでいる。そのギャップは、私の胸の奥に形容しがたい感情を呼び起こしました。

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 後日。生徒会の仕事が一段落した放課後、私は意を決して彼を呼び止めました。もちろん、隣には白金さんも一緒です。

 

「山崎さん。少々、伺いたいことがあるのですが」

 

 彼は片付けをしていた手を止め、「なんだ、氷川。改まって」と不思議そうにこちらを見ました。

 

「貴方、最近……放課後に調理室へ通っていますね?」

 

 私の言葉に、山崎さんは目を見開きました。

 

「……なんでそれを知ってるんだ? 誰にも言ってないはずだが」

「松原さんに見かけられたようです。……私たちも、その、少しだけ様子を拝見しました。あんなに真剣に、一体何を作っていたのですか?」

 

 追求すると、彼は気恥ずかしそうに視線を逸らし、後頭部を掻きました。あの山崎彗太が、これほどまでに照れた様子を見せるのは珍しいことです。

 

「……大した理由じゃない。来月、両親が一時帰国するんだ」

「ご両親が、ですか?」

 

白金さんが問い返すと、彼は少しだけ寂しげに、けれど誇らしげに語り始めました。

 

「うちの両親は、国内国外問わず出張続きで、家を空けることが多い。家族全員が揃うなんて、年に数回あるかないかだ。……だから、一ヶ月後に二人が帰ってきた時、自分の手料理でもてなしたいと思ってな。いつも苦労をかけているし、たまには……その、驚かせたいだろ」

 

 その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが震えました。彼が泥だらけになって子供を助け、私たちの過去を受け止めてくれた、その根底にある「優しさ」。それは、会えない時間を埋めようとする、家族への不器用な愛情から来ていたのですね。

 

「……素敵な理由、ですね」

 

白金さんが優しく微笑みました。

 

「氷川さんも白金も、変なことに興味を持つんだな。料理なんて、俺には似合わないだろ」

「いいえ。とても……その、似合っていました。……山崎さんのご両親、どのような方なのですか? 私、興味があります」

 

 私がそう言うと、白金さんも「私も……彗太さんのご家族、お会いしてみたいです」と続けました。山崎彗太という人間を形作った両親。彼をこれほどまでに真っ直ぐに、けれど繊細な優しさを持つ青年に育てた方々に、私はどうしても一目お会いしたくなったのです。

 山崎さんは、私たちのあまりの勢いに面食らったようでした。

 

「会いたいって……。ただの普通の夫婦だぞ?……まあ、そんなに言うなら、当日うちに来るか?」

「えっ……!?」

「い、いいのですか……?」

 

 まさかの「家への招待」。私たちは同時に声を上げ、顔を見合わせました。山崎さんは「ああ、飯の味見役が必要だと思ってたところだ」と、ぶっきらぼうに、けれど口角を僅かに上げて笑いました。

 彼のプライベートな空間、そして家族との対面。予想もしなかった展開に、私と白金さんの心臓は、調理室のタイマーが鳴るような激しさで、騒がしく鼓動し始めていたのでした

 

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