紗夜と燐子を家に招くという、今思い出しても心臓に悪い約束をしてしまった数日後のこと。僕は自宅のソファで、手つかずの楽譜を前に、ただ天井を見上げていた。両親が帰ってくるまでの間に、少しでも「料理」以外にも誇れる自分を取り戻したかったのかもしれない。
その時、スマホが短く震えた。画面には丸山彩からのメッセージ。
『彗太くん、お疲れ様!急な相談なんだけど、今から私の事務所に来られないかな……?』
彼女の頼みを断る理由など、僕には持ち合わせていなかった。
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芸能事務所の一室。重厚な扉を開けると、そこには彩をはじめとするPastel*Palettesのメンバー全員と、厳しい表情をした年配の担当者が待ち構えていた。
「彗太くん!来てくれてありがとう!」
彩が駆け寄ってくる。その瞳には、アイドルとしての輝きとはまた違う、ひたむきな決意が宿っていた。促されるままに会議室の椅子に座ると、担当者が資料を僕の前に置いた。
「単刀直入に言いましょう。山崎くん……君がかつて『ノクターン』の心臓部として活動していたことは、既に調べてあります。……我々Pastel*Palettesに、君の楽曲を提供してほしい」
心臓が、嫌な音を立てた。
「……何故、僕なんかに。あの一件を知っているなら、僕の曲がどんな結末を招いたかも分かっているはずだ」
「分かっている。だが、今の彼女たちには、君の持つ繊細で、魂を揺さぶるような音が必要なんだ」
千聖や日菜、麻弥、イヴも、真剣な眼差しで僕を見つめている。僕は激しく葛藤した。自分の音が、再び誰かを壊してしまうのではないか。その恐怖が、指先を震わせる。しかし、彩が僕の両手を握りしめ、真っ直ぐに訴えかけてきた。
「彗太くん、お願い。……私、彗太くんの作る音が聴きたいの。不器用だけど、あんなに優しい人が書く曲が、悪いものなわけないよ。どうしても、彗太くんがいいの!」
彩の涙ぐんだ、けれど真っ直ぐな瞳。その熱に当てられ、僕はついに折れた。
「……分かった。……ただし、条件がある」
「条件?」
「変名を使うこと。僕が作ったとは一切公表せず、正体不明の作曲家としてクレジットしてほしい。……僕の過去が、君たちの活動に泥を塗るようなことだけはしたくないんだ」
僕の提案に、担当者は深く頷いた。
「了解した。その条件で進めよう。……ありがとう、山崎くん」
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数日後の放課後。僕は花咲川学園の図書室の隅で、五線譜と睨み合いながら頭を抱えていた。一度筆を置いた者が、再び音を紡ぐ。それは想像以上に過酷な作業だった。過去の自分と、今の空っぽの自分が衝突し、脳内が不協和音で溢れかえる。
「……うう、全然形にならない……」
呻きながら机に突っ伏した時、背後から声をかけられた。
「山崎さん……?何やってんの、そんなところで頭抱えて」
振り返ると、奥沢美咲が呆れたような、けれど心配そうな顔で立っていた。
「……奥沢か。いや、少しな」
「少しって、その紙……五線譜?もしかして、作曲してるの?」
美咲が目を見開いた。彼女には、かつてチュチュに過去を暴露された際に少し事情を知られていたが、まさか僕が再びペンを取るとは思っていなかったのだろう。
「……ああ。どうしても断れない頼みがあってな。……でも、なかなか上手くいかない」
「……へぇ。あの山崎さんがね。……あ、でも、あんまり無理しないでよ。顔色、ひどいし」
美咲はそう言って去っていったが、この「事件」が思わぬ波紋を呼ぶことになった。 彼女から話が伝わったのか、あるいは僕の「再始動」を予感していた者たちがいたのか。
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翌日の『CIRCLE』。僕がロビーの端で休憩がてら楽譜をチェックしていると、異常な気配を感じて顔を上げた。
「……なんだ、これは」
そこには、各バンドの「作曲担当」たちが一堂に会していた。Poppin'Partyの牛込りみ。 Afterglowの美竹蘭。Roseliaの湊友希那。Morfonicaの八潮瑠唯。RAISE A SUILENのチュチュ。そして、どこか気まずそうな奥沢美咲。
「……山崎さん。貴方が再びペンを取ったと聞いたわ」
友希那が、鋭い審美眼で僕の持つ楽譜を射抜く。
「アンタの作る音が、どんなものか興味がある。……盗めるものがあるなら、盗ませてもらうわ」
蘭がギターケースを背負い直し、不敵に言い放つ。
「アンタ!私の最強の音楽に抗おうっていうのね? 見せなさい、その中途半端な足掻きを!」
チュチュは相変わらずの勢いで僕を指差した。
「……皆さん、少し落ち着いてください。……山崎さん、もしよろしければ、どんな風に曲を作っているのか……見せていただけませんか?」
瑠唯が申し訳なさそうに、けれど興味を隠しきれない瞳で僕を見つめる。僕の指先の動きを観察していた。
かつて世界を揺らした「ノクターン」の片鱗。それが、再び芽吹こうとしている。名だたる少女たちの視線に晒されながら、僕は冷や汗を流しつつ、再びペンを握り直すしかなかった。