ヴィクトーリヤ・パトリオットにとって、アッシュ・レオフォードの存在は──不思議な存在だった。
初めは【光の剣聖】の息子として見ていた。
次に、己の娘を完膚なきまでに叩きのめした強者であり、それに比例する驕った性格を持つ子供だと見た。10年ほど前に一方的なものではあるが、【光の剣聖】に対して確執を抱いている彼女にとって、
その次に、魔法を失ったと風のうわさで耳にした。
優秀な光魔法使いが一人消えた。
その事実自体は喜ばしかったが、一人の子供が将来を閉ざされた事実に多少なりとも同情した。
ヴィクトーリヤは人間だった。
何処まで行ってもただの人間に過ぎない。
【聖銀級】などと言う評価を受けても尚、自分が超越的で優れた人材だとは──どうしても思えなかった。
だから、かつての師であったサンセットより話を持ち出され。
自分でも感情の整理がつかないまま、受け入れる事を決めてしまったのは良かったことかと今でも自問自答を繰り返している。
「……寝てしまいました」
「疲れが溜まっていたんだろう。アッシュは我々の前ではあまり弱みを見せようとしないからな」
「たしかに。子供とは思えません」
アデリーナの膝の上で静かに寝息を立てるアッシュを見ながら、ヴィクトーリヤは思う。
果たしてこの子供は一体何者なんだ、と。
「『男子三日会わざれば刮目して見よ』──そんな諺がありましたね」
呟きに同意し頷く。
だが、これがただの『成長』などと言う生易しいものではないことを、ヴィクトーリヤは察していた。
仮にこれが成長であったのなら、きっとこの国はより良い世界に変化して言っているであろうし、これからの世代に対して期待しか持たなかっただろう。しかし、そうではない。あくまでアッシュが特異的なのだと見抜いたのは、ヴィクトーリヤ自身の
急に人が変わったかのように、人格も思想も行動力も、何もかもが変貌する。
魔法を究極なまでに理解しその身に修めた人間こそが到達できる──いや、到達できてしまうその場所で狂ってしまった人間を、彼女は知っていた。
──アッシュには、魔法の才がある。いや、既に行きついているのかもしれない。
そしてそれを証明するかのように、アッシュ・レオフォードは闇魔法を理解して見せた。
どれだけ魔法の才に溢れていても、誰にも教えられずいきなり魔法を発動することは不可能に等しい。幼い頃のヴィクトーリヤが同じことをしろと言われても無理だと首を横に振る。
何よりも、露骨に変わったと思う部分──態度。
まるで大人を相手にするような、それでいて子供らしさの残っている歪さ。こんな風になれる教育を施しているのならば横柄な人格にはなっていなかっただろうし、ヴィクトーリアにとってこれは理解しがたい変化だった。
責任の所在だとか、父親の威光だとか、それにふさわしくなるだとか。
そんなことを考えて口にするアッシュは、年齢不相応に過ぎた。
『──ヴィクトーリヤ。その子供を導き、【闇の英雄】へと仕立て上げなさい』
「っ…………」
頭を振って、その言葉を霧散させた。
「(……アッシュはアッシュだ。それ以上の、なにものでもない)」
【光の剣聖】レオパルド・レオフォードの息子で、【聖銀級】魔法使いヴィクトーリヤ・パトリオットの弟子で、光と雷を得意としていた魔法適性を失い死の淵を彷徨い歩いたことで獲得した闇適性を極めようと人生を歩み出した、一人の子供。
その将来を左右する立場の己が、揺れるわけにはいかない。
『わかっているでしょう。貴女の亡き夫が、なぜあのような行動を起こしたのか』
──わかっている。
闇の根源に触れて、深淵に覗かれて、引き返せなくなったからだ。
その神髄に手をかけて、それでもなお正常な精神を保っているアッシュ・レオフォードという少年が、どれほど闇に愛されてしまったのかと。
闇魔法使いとしてのヴィクトーリヤは、涎が出る程の逸材だと思っている。
もしも、【聖銀級】をも超える【黄金級】に至れば。
闇魔法を下に見るこの風潮を払拭し、否。
彼こそが待ちわびた、【闇の英雄】に。
『我らは
「──お嬢様? せっかく眠っているんですから、寝させてあげてください」
「やだ。暇だし構ってくれないと」
「んがっ」
「こらっ。顔を突いてはいけません」
「えぇ~」
「……………………」
ヴィクトーリヤには過去がある。
誰にも話していない、誰にも話せない、ただ一人愛した夫と誓い合った約束。
『いつの日にか、自分たちの手で闇魔法を解明して、危ないものじゃないって証明して見せよう』──青い時代に誓ったそれは、彼女の心の中で燻っていた。再点火させたのは、させてしまったのは、他でもないアッシュ・レオフォード。
光と雷の適性を失いながら、常に前を見続け進もうとし続ける光の御子。
闇に愛されてしまった、光の御子。
それが今、手中にある。
自分の采配一つでその在り方を変えられるかもしれない。
山荘に訊ねてきた古い友人の言葉を頭から追い出そうとして、再度頭を振るが──消えない。
欲望が僅かに、渦巻いた。